ハイブリッドな時代は過渡期?環境詐欺

 太陽光発電と聞くと、ああエコで良いなと感じる人と、怪しげなビジネスじゃないのとか、実は林や野原を削って自然を破壊していると言う人もおられます。

 パネルを作るのにも破棄するにもエネルギーを使うからその分も計算して比べないと、エコなのかどうかはわかりません。

 そんなパネルの設置に国も支援して、業者も乱立したので話は難しくなりましたね。

 いろいろ技術や、科学的知識、考察などしなくとも人間の素朴は直感として、太陽光パネルは怪しげで、少なくとも美しくはないと思いますが、これは人それぞれの感じ方です。

 少なくとも、太陽光発電とか再生エネルギーを他人にまで押しつけるのはちょっと遠慮したて欲しい。立ち止まって考えて欲しいところです。

 エネルギーの問題で言うと、EVやハイブリッド車も微妙な問題です。

 これは感覚、勘に頼るだけではなく、少し知識と考察が必要ですが、それほど難しい技術的な話までは行きません。

 ハイブリッドは自動車だけでなく、私の趣味の鉄道車両でもその技術が使われだしました、  電気と化石燃料の併用以外にも、他の経済や社会の分野で、デジタルとアナログで作業する場合のような二刀流的な意味合いで言葉としても広がっています。

 自動車や鉄道車両でイメージしていただきたいのですが、たしかに動力が電気だと、その場所ではCO²が削減されます。

 鉄道車両だと、大量に旅客や貨物を運べますし、トラックや乗用車より規模面でエコな乗り物と以前から言われていました。ましてCO²を出さないで遠距離を走行できれば、環境には理想的でしょう。

 ハイブリッドカーは電気自動車とガソリン車のいいとこ取りをしている。蓄電池車両やハイブリッドの鉄道も、さまざまに日本の技術で開発されて実用化されて来ています。

 しかし、素朴に考えてそもそもの電気や電池がやはり多くは化石燃料や原子力の発電所からの供給に頼っているのです。

 森の中を走る時は確かにCO²を発生はさせないけれど、どこかでは電気を作るためにエネルギーを使っているのです。モノや人が動くとそれだけ質量✕距離のエネルギーが必要なのです。この原則は変わらないので、エコというのは移動を抑えるか、距離を縮めるか質量を減らすしかないのです。

 ハイブリッドがEV化への過渡期に過ぎないと言われ懸念されるのは、二つの動力を持つ機器でありその分重くなることです。過剰で割高な装備で、作るまでのコストや環境負荷も大きいです。単純にスペースも必要ですし、メンテナンスも増える訳ですす。私の尊敬する理系の人、技術屋さんも素朴にそこを指摘しています。

 ハイブリッド車はTOYOTAがヨーロッパや中国のEVに対抗した日本のメーカーらしいスグレモノの技術を持っているのには違いないでしょう。

 日本人の技術は、なかなか難しいことをやってのけるので、一般論では語りきれません。今までの専門家の発想では難しい二刀流を平気でやってのける野球選手がいるのと同じかもしれません。

 ガソリン車が無くなり、全て電気自動車になることは、技術的にも、政治的なことも踏まえてもあり得ないでしょう。ハイブリッドの需要はこれからも持続します。

 かつては、鉄道も交流と直流、電化と非電化で機関車の切替や列車を乗り換えていました。やがて交流直流の切替可能な電車が当たり前になり、今やハイブリッドや蓄電池車両で乗り換えなしで、電化非電化を乗り通せます。

 それを思うと、移動手段としてのシェアは圧倒的に高いクルマの動力の未来がどうなるのかは、環境に大きな影響もあるかとは思います。

 しかし、そもそも移動手段としてのクルマは乗れる人数が少ないので、環境にあまり良くないのはどこまでいっても間違いないのです。

 環境だエコだと言う言葉にはあまり騙されず、自分の感性を信じて考えて欲しいものです。

 

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