長崎への思い

 長崎を訪ねたのは3回目、10年ほど前はビジネスで佐世保へ往くのに長崎市内は通過したのみでした。

 はじめて行ったのはもう記憶も薄い40年前20代でした。

 車窓途中の有明海は穏やかなイメージでしたが、長崎市内に入ると雨だったのを覚えています。

 平和公園まで大雨の中何とかたどり着いたのが苦い思い出でした。

 眼鏡橋近くに学生時代の友人の実家の店があり、路面電車でぶらぶらと訪れた記憶だけあります。

 その人が今、何処にいて何をしているかはもう知りようがありません。

 40年ぶりの平和公園、長崎は今日は雨ではありませんでした。

 若い頃は、終戦からは時間の経過も短かったのに、戦争とか平和の意味を噛みしめ考えることは少なく、ひたすらに目の前の仕事と青春に悩んでいました。

 それでも日本は経済成長を遂げバブル期で、都会も地方も元気でした。

 まだまだ高速道路や新幹線も未発達でしたが、鉄道の営業キロ数はこの頃が最長でした。長距離で地方に行くのは鉄道と路線バスが中心でした。

 離島など地方の人口もこの頃がピークに近いところが多く、スマホもウォシュレットも無くとも、暖かい平和な家族が今よりたくさんあったのでしょう。

 福岡や長崎など主要都市の駅前や中心街は発達しましたが、人の流れは変わり、昔からの町や島は置き去りにされたところがいくつかあります。

 全ての地域、人を平等、公平に扱うことはできないので、運不運は仕方ないかもしれません。しかし、もう少し日本の中だけでも救いあう平和で暖かい時代になる選択はあったのではと、取り戻せない時間に思いを寄せます。

 

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