孤独を楽しめる人、弱い人

 若い頃は否応なしに学校や職場があり、全く一人になることは少ないものです。

 それでも、やたらに群れたがる人や、まとわりつくかのようについて来たがる人はいます。寂しがりというのか、全く一人で何か調べてことを成すのが苦手な人はいます。難しくいえば群衆、仲間の中の孤独というのも

 私なんかは、人と一緒にいることがそう好きではない人間もいますが、俗には世渡り下手とか人間嫌い、逆張りとか、変わった人と言われます。

 写真のように、閑散駅が大好きです。鉄道の駅でも、大都市の繁華街や、住宅街の朝夕のラッシュなどは、仕方なく利用はしますが基本的には嫌いです。

 典型的なのは、昨日も少しディスった万博とか、行列のできる店や展覧会でしょうか。

 話題に遅れないようとか、みんなが行ってるからと、行列に並ぶなら、誰もいない秘境駅で長時間いる方が良いです。

 全く、有名なところへ行かなと言うほどひねくれものではなく、それなりに行きたい所がそんなに混んでないか、同類マニア以外誰もいないというだけです。

 マズローの欲求段階説に、生理的欲求、安全の欲求の次に、仲間への帰属社会的欲求がありますが、はてしてそうなのかと思います。

 その上位に、仲間から、承認・尊重される段階があり、最上に自分らしさの追求、自己実現という階層があるとされます。しかし、別に孤独を楽しんで他人や仲間に承認・尊重されずとも、孤独で幸せだと思えるなら、それのが最上の自己実現、自分らしさです。

 そもそも、自己実現は自分のものであり、仲間への帰属、承認がその下位の層にあるのは変です。

 私は、そこまで完璧に人付き合いが嫌いでもないですが、いざ約束して、会うとなる話題をどうしようとか、まして大勢となると、好き嫌いも出てきて合わせるのも面倒です。

 大勢で上っ面だけのジャガイモ相手ならいいですが、3人とか小人数で密に話さないといけないと、それなりに厄介です。これは人と交わるメリット、デメリットで、仲間への帰属と言っても、変に疲れるだけならムダだとは思うでしょう。

 若い頃は人それぞれでいいですが、仕事を辞め、還暦過ぎて、会う人が減りだすと孤独力が見事に試されます。

 私は最初、お金の問題かなと思いました。

 売れっ子のミステリ作家でセミリタイアした森博嗣あたりが、人づきあい悪いこと、孤独の楽しみを書いてても、「あんたお金持ってモノも買えるし、遊びにも使えるしや」と考えました。

 しかし、これは比較的地味に年金暮らしなどの方でも、悟っているかの問題のようです。

 あえて人とつながりたがらず、誰とも話さず、誰にも会わずでも不安や心配がないと明言している人もいて、感心しました。

 やはり孤独力があるとは、そうだなとも思いました。

 惨めなのは、権力を持っていてあたかも自己実現に達したと思っていた人が、財や権力、体力を失い、友や家族も去られて孤独に勝てない姿です。

 友達がいる家族がいるというのは、自分ではないのです。自分を紹介する時、誰々の友達とか、子供や孫のプロフィールは違います。自分が何を考え、何をやっていくかです。

 人に無理して付き合うのも、波長が合っていれば楽しい時間かもしれませんが、どこかで切れてしまいます。ロスを味わい挿げ替え続けても、最後はやはり自分です。

 人と交わると、多くの人は自分と比べてしまい、嫉妬たとか、競争心、逼迫感や劣等感などさまざまな感情が湧いてしまい、悟りきれないのです。

 孤独力は人と交わろうが、交じるまいが、自分一人で切り開く力です。

 孤独な時間が愛せるかが、落ち着いた時期の人間の肝要ではないかと思い、そうありたいと思います。

 年齢を重ねてから、マズローの3段階、4段階を気にして、昔のことを思い返し、語っても今さら新たに義理以外では承認は貰えないでしょう。

 いろんな意味でマズローの欲求段階説は合いません。

 人やその成長に階層はないのです。

 

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