100年安心と言われた年金制度改革の巧過ぎる罪

 年金制度の改革は1980年代の共済年金に手をつけた当時から国民年金は破綻寸前で、積立金の豊富な厚生年金や共済と比べ、元々徴収が難しく給付もきつかくなっていたのです。

 官民格差も騒がれて、基礎年金番号を統合して、いわゆる一階の基礎部分を揃えて、国民年金の財政危機は救えました。しかし異なるシステムの統合により、消えた年金という大問題も生まれました。

 元々バラバラだった上に、職場を変わり、姓が変わつた人、支給が近くまでは放置しているも多く、自己申告がないと年金機構側も知りようもなかったので統合しけれなかったのです。しっかりした大企業が全てならまだしも、保険料も届出も遅れがちな雇用主もいたでしょし、マイナンバーもない時代、不明になったこと自体はしかたなかった面もあるとも言えます。

 酷いのはバブル時代に、厚生年金保険料は莫大なお金が集まり、当時はバブル崩壊し、少子高齢化で先細る未来が見通せず放漫は投資で積立を散逸してしまいました。

 グリーンピアに見られたような厚生年金の積立運用失敗は責められます。これがトラウマともなり、なかなか積極的な運用も図れず、保険料と税金の枠での制度適用で、ジリ貧の経済の煽りを受けます。

 20世紀末には年金財政が厳しくなり、切迫した課題となりました。

 支給率は徐々に下げながらも、現役世代の負担は増えていきます。

 それでも「このままでは年金制度は崩れ、将来貰えないから、さらに改革すべき」となり、官僚や年金部会議員が知恵を巡らせます。

「年金100年安心プラン」を当時人気があった小泉純一郎総理と坂口厚生労働相が宣言し、今となっては悪名高い「マクロ経済スライド制」が始まりました。

 年金制度は100年経っても枯渇しないという財政上の制度の持続制可能性を指しているのでしたが、小泉さんの勢いで何だか100歳まで十分な給付で安心とか、国民年金だけでも老後年金制度で暮らせるような錯覚を抱かされました。

 現実は大きくは2度にわたり、厚生年金の標準報酬月額からの給付割合は減らされ、所得代替率は3分の2から、半分に減ったばかりか、そこに時限爆弾のようにマクロスライドがじわじわと作動をはじめ、令和になってからの年金生活者はどんどん苦しくなっていきました。

 この年金受給年齢到達による率の低下はまだしばらく続きます。そして、国民年金も元々苦しかったのが、デフレでストップしていなマクロ経済スライドがキャリーオーバー分含めて作動をはじめて、ますます苦しくなったのです。

 この間には住民税、厚生年金保険料や健康保険料や介護保険料も跳ね上がり、天引きされる金額は増えるので、手取りはますます減っていきます。

 本来は貰いすぎの世代からだけ減らして取るべきところですが、それも無理があり全体を下げて行くしかないのです。

 マクロ経済スライド制も、デフレが続きその厳しい顔をなかなか見せず、百年安心の笑顔だけのイメージが残っていたのもタイミングが悪い罪でした。

 本来は100年安心とか美辞麗句ではなく、「もうウチの家にはお金がないから、おじいちゃんのお小遣いは毎年減らすから、切り詰めてくれ」とはっきり言えば良かったのです。厳しくなるけど我慢してと言えば節約や対策もできたのに、選挙の影響を考えるとバレないようにクリアに言わないまま、じわじわと下げたのです。

 昔なら、物価にスライドして年金を1年後に(それでも遅い気がしますが)上げていたのが、それでは賃金が上がらない現役に対して不労の高齢者だけ上がるのはおかしいということで、賃金と連動を加味することになり、ますます物価への連動は遅れていくようになります。

 マクロ経済がさらに悪質で狡猾な面は、デフレで本来年金を下げるべき時はあえて下げず騒がれにくいようにして、インフレの時に上げる分から加算して引くようにしているのです。

 何でこんなややこしいことを考えたかと言うと、年100万円もらっていた人が物価が5%のデフレで支給わ95万円にすると気付いて騒ぎます。その場合は100万円のままにして、次にインフレで8%上がった時に108万円のところをキャリーオーバー分差し引いて103万円に止めるのです。これだと気付くのが難いという小手先の知恵です。

 ただでさえ、わかりにく年金の計算がますます難解になっていくのです。スパゲッティコードといわれる他の業界の知恵者、学識経験者でさえ、理解して解きほぐすのが難しくなっています。

 この間、非正規雇用が増え、元々の標準報酬月額も減り、賞与や退職金も減る世の中となりました。

 年金受給が60歳から65歳になった段階で、多くの人の老後の破綻が誰の目にも明らかになったのです。

 制度として老後を支える公的年金があって憲法で決められた最低限の文化的生活を保証しするには、年金財政も生活保護などの財政も厳し過ぎるのことも、政治家や官僚は気づきました。

 老後2000万円必要問題は、誰言わず財政の実情を遅ればせながら、明言して美辞麗句で誤解された年金100年安心を正したのです。

 年金だけの問題ではなく、賃金や退職金、他の税金や社会保険料で手取りは少なく、ここへ来ての物価高で、現役世代も年金世代も不満と不安が溢れてきたのが、しばらく前からの「年収の壁」「財務省解体」などの問題です。

 いわゆる五公五民の限界を超えた不平不満の爆発なのでしょう。

 さすがに繕っても今の税金や社会保険料は高すぎで、取りすぎです。かと言って高齢者の年金が潤沢かとなるとそこに回しているから現役世代が高いというほどではなく、本当に恵まれているのは今80歳以上の厚生年金受給の高齢者ぐらいです。

 高齢世代の◯◯を削ろうとか、健康保険の率をとやると、結局はこれから老後を迎える現役世代はもっと厳しくなってブーメランが返ってくるのです。

 この大きな国の課題は与野党以上に国会なのか国民会議や、省庁の枠を超えた政治と行政のリーダーたちが、傷みを怖れず改革していかないと進まないでしょう。

 自民党が大きくなったのも良い面悪い面がありますがポジティブに考えたいです。圧倒的な勢力ですから、目先の選挙はもうないのでふ、選挙の支持でお世話になった団体、いわゆる業界などでも改革のためにスバっと切って行く決断ができれば、改革は進みます。

 保守だからといった、憲法さえ変えようというのですから、公務員や官民癒着の構造を改革するのはできます。

 デジタル化の波で改革できるところはいっぱいあるのですが、既得権益に気を使うのと、実際に仕事や利益を失う不安を解消するアイデアや仕組み作りです。

 デジタル化でも人は必要です。特に過渡期ではある程度の人員は必要です。

 自動運転やロボットの登場で、バスや電車、タクシーも専門免許をもった運転士は要らなくなります。ここで業界を守るのではなく、過渡期の監視の人員や自動運転の企業へのシフトなどを上手く回すような仕組みをリードしていかないと、日本は取り残されていくのです。

 憲法も大切ですが、細かい法律を社会の変化に合わせて、既得権益を打破するよう変えることが、財源や雇用を産むのです。

 50年後の日本が素晴らしい国家で残っているかは、今の地味な改革が重要です。

 

 

 

 

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