風化されつつある震災15年の運命

 私自身が5年前、10年前と比べて3.11を思い起こすことが少ない今年の3月でした。

 東北からは遠い関西では30年以上前の阪神大震災を1月に思い出す同年代の方が多いかもしれません。新聞やローカル局の報道も神戸の1月の割合の方が大きい感じです。

 私の場合は、東北宮城県に震災の2年前まで住んだことがあり、被災した同僚や知古も多くいました。

 運命のいたずらとはいえ、そこに居合わせなかったことを、僥倖とまでは言わないまでも、どう受け止めるのか複雑な思いです。当時、その2年前までは仕事で訪れていた仙台東部道路や石巻市北上川、仙石線野蒜駅に真っ黒な津波が押し寄せるの報道の映像で見た時は、怖さで鳥肌が立った記憶があります。

 当時も今もチャリティーだとか、ボランティアとかふるさと納税など、小さなことしか、東北に役立てることはできませんが、やはり何かやりきれない思いを抱えて15年が経ちました。

 15年の間、京都に居を構え、勤めていた会社も波乱もありましたが無事卒業し、小中学生だった子供も成人しました。世間はその後、コロナ禍にも見舞われて、経済は低迷を続けました。

 この15年、家族を失い、家を失くし、風評に苦しむなど未だ東北の震災の傷は癒え切ったとは言えません。

 復興特別所得税が名前としては残っていますが、多額の血税が徴収されているのに、決して上手く活用されているとは言えないのが悲しいところです。

 日本の税金を予算立てる省庁は、復興とか、森林環境、子育て支援とか名前はキレイでもっともらしい名目をつけます。しかし使われ方は題目の目的と違うとか、特定の法人等が潤うなど、サギまがいになっています。

 公務入札ビジネスを全て否定はしませんが、少なくとも人の不幸を助けるためとかでお金を集めて、半分はそれを利用して儲けているというのはとんでもない構図です。

 震災から時が経てば経つほど、離散していく人、仕事に就けない、健康を害したなどの因果関係の証明も難しくなります。いたずらに手当を上げるだけでなく自立を促さないといけない場合もあり、一律の対応も難しいでしょう。

 復興支援にしろ、被災した人の幅広い柔軟な対応が必要になっています。

 コロナの時もそうですが、緊急自体的な時だけに、急ぐのも大事ですが、悪質な中抜きは厳しく戒めないと、政官財の癒着による国民の苦しみは絶えません。

 震災から15年、個人としては達観した部分もできました。私益を捨てて考えると、能登の地震対応等を見ても、やはり公はもっと迅速かつ厳格であって、柔軟に動く、公僕とならないとと思います。

 

https://seizafpkotodama.com/2021/02/23/%e3%80%90%e6%9d%b1%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%a4%a7%e9%9c%87%e7%81%bd10%e5%b9%b4%e3%80%91%e7%94%9f%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%80%e9%81%8b%e5%91%bd%e3%82%92%e5%88%86%e3%81%91%e3%81%9f%e9%87%8e%e8%92%9c%e9%a7%85/

読書レビュー「サイコセラピスト」アレックス・マイクリーディーズ

 ハヤカワポケットミステリなんて何年ぶりに読むのかという感じです。

 洋書の新書判サイズで、紙の端っこがなぜか黄色い。世界のミステリが揃っていました。

 何年か前にベストセラーになったイギリスのミステリ。

 イギリスらしい陰鬱な情景と、病院の怪しげ人物が、ぎこちない翻訳でも何となく伝わります。

 夫殺しの容疑で、一言も発せられなくなり沈黙を守り続ける画家アリシア、興味を抱いた心理療法士セオ。

 ❴少しネタバレ❵

 施設やアリシアをめぐる様々な人間をセオの一人称で展開する中、アリシアの日記が挿入された構造で進みます。

 他のレビューでは、ネタバレ前でも、後半の劇的展開、騙されたと語られてました。そう思って読むと、予想どおりという感じで、一人称、日記挿入というと◯◯トリック。犯人も、騙しの構図も何となくそうじゃないかと思ったとおりでした。

 前半がダルいとも書かれていますが、海外作品なので登場人物の名前とキャラが頭に入るかで変わってきます。

 良くできたプロットではあるのですが、それだけに騙されるレベルの人には鮮やか、気付く人には丸わかりみたいな印象です。

 今どき外で本を読んでる人も少ない中、ハヤカワポケットミステリ読んでるという字が自のカッコ良さに酔えます。

 

国連も国際法も無意味なのか

 

「国際法とか国連は時代遅れで機能していない」という論調が広がっています。

 トランプの指示によるベネズエラやイランの奇襲ともいえる攻撃には驚かされました。

 親米の論客は「日本はトランプ政権に追従するしかない、国際法や国連主義を訴える人は左翼やリベラルで国を危うくする」との論調です。

 それでも、日本は国連に世界でも突出した割合で供託金を出しています。

 トランプが次々と無駄な利権がらみの国際機関から脱退しているように、日本もそれなら国連も国際機関もやめたらという意見は出ないのでしょうか。

 親米はわかっても、アメリカには貢ぐ、国連や国際機関にも払い続けるでは、いくら税金があっても国内にはまわせません。

 国際法に至っては、プーチンや習近平には秩序を求めているので、ダブルスタンダードです。ベネズエラやイラン、かつてのイラク攻撃もですが、さすがにアメリカなら何でもありでは、世界のどこでも秩序はなくなり、大国に媚び、安心して眠れたなくなりめす。

 戦争にもルールがあり、毒ガスや地雷には制限がかかっています。中世の騎士や武士の戦いのように、名乗りを上げて兵士だけフェアな戦争するのではく、近現代は兵站や市民も巻き込む戦争が当たり前になってきています。

 人民をないがしろにするあまりにも非道な独裁者も、かつての歴史では必ず報いを受けて退場しています。

 それを早めるトリガーがトランプの奇襲と言われれば、一見正しそうですが、確定した証拠や裁判もなく、他の人も巻き込まれながらです。制裁は必要となった場合、多少は形式的でもやはり国際機関の公平な認定が必要ではないかと思うのです。

フットケア初体験 もう転ばない!?

 お試しの機会があったので、フットケアというものを初めて体験してきました。

 美容・健康というイメージと介護や福祉の資格も備えた施術よ方で、いろいろ良いお話を聴けました。

 年齢の割にはキレイな足だと褒められました。女性の脚のスタイルではないですが、まあお世辞でも褒められると嬉しいものです。

「巻き爪やタコ、角質、ひび割れ、臭い、水虫」などということは最低限ないので、私は楽なお客だったのでしょうか。そこはまあ薄い手袋をしていてもイヤな汚い足のお客様もあったのでしょう。

 股関節痛がらみで、歩き方の悩みも相談しようと思いました。

 そこは股関節痛の整体とは違うので、脚ではなく足のポイント中心でした、

 最も参考になったのが、靴の選び方や履き方でした。高価なスニーカーでなくても、つま先がちょっと浮き加減の靴が良いとのことです。

 それと、一番納得したのは、靴の紐です。横着なので、つい緩めにして、都度靴紐を締めず履きやすく脱ぎやすくしていると、ゆるゆるでスリッパを履くような歩き方になり、負担がかかりやすいのです。

 せっかく歩いても、スリッパですり足気味に歩いていては負担ばかりかかるのはわかりました。上の緩んだところも締めて、都度ビシッと結ぶと、足の甲に負担が分散するのがわかります。これは習慣づくと、心地よく、歩くのがまた楽しくなります。

 爪を磨き、オイルでマッサージをしてもらい足の裏や指の間も揉んでもらいました。

 私の場合、小指があまり使われずに内側に向いて爪も少し劣化している程度で、引き続き良く洗ってハンドクリームなどでもいいから保湿をすると良いと言われました。

 靴が合わないのはもちろん、爪の変形、角質やタコ、ひび割れは不衛生になり、感染症になったり、痛みや痒みをともなうと、バランスが崩れ転倒の元です。

 保湿?など細かく関係ないと思われがちですが、本当につまずく時は小さな微妙な感覚の齟齬からなので、防ぐのも小さいことからです。

 ちょっとした段差でつまずくのが高齢者と言われますから、この微妙なサインを見逃さずに気遣いすることです。

 手足の指の感覚がクリアになると、筋力回復や、姿勢や身体バランス、体幹も向上し歩きやすくなるとのことです。

 逆にだんだんバランスが悪くなると、身体全体も衰え、爪切りやしゃがんで靴紐結びとかが困難となります。そうなると転落まっしぐらです。

 適度な体操などと合わせてケアして行きたいものです。

 転ばぬ先のフットケアです。

 

 

 

 

ネットテレビの時代

 テレビを買い替えました。

 壊れたわけではないのですが、4Kやネットに対応ということもあり、約15年ぶりの購入です。

 2011年アナログ地上波終了を前に政府がエコポイント付与をやっていた時期から15年ほどで、まあよくもったものです。

 この間個人的にも還暦、定年を迎え、子供たちも就職、このテレビも買うまでに成長しました。

 しかし、エコポイント付与は官主導の典型的な愚策だったのか、家電業界の凋落は始まります。液晶テレビで勢いに乗っていた名だたる国内家電大手はこの15年の間に、どこも大きな変革にさらされ、一部は消滅、吸収され、撤退し、日本経済とともに転がり堕ちるのでした。

 この間、ネットやスマホの普及も顕著で、ガラケーが淘汰される時代になりました。

 地上波チューナーのないテレビもありました。私の子供らはまだ新聞のテレビ欄を見てという習慣はありますが、もう新聞も取らない地上波テレビも見ない世代が親になっていき、いわゆるオールドマスコミはコンテンツを発信する一つの業態になっていきます。

 テレビも、多くのネット配信を見るモニターとしてのハードとなりました。

 たった15年、変わっていないと思いつつ、世の中どんどん変わっているのです。

 衛星放送で他チャンネル化した時も、こんなにたくさん見るものがあったら、時間がいくらあっても足りないと思いました。

 今WBCで騒がれるネトフリや、ダゾーン、ティーバーやアマプラ、ABEMA、YouTube、家族のサブスクでいろいろ見れると、何だかとんでもないコンテンツ飽食の時代も感じます。

 それでも本を読むのがまた、カッコいい。

 

 

 

春は曙 花粉でモヤッと

 昨日は朝、昼と移動を伴う私用で天気は良かったけれども花粉は「非常に多い日」でした。

 マスクや帽子で防備はしていたものの、完全に防げるものではなく、目も鼻もやられました。咳の風邪が治まったと思えば花粉症の時期で、外に出かけるのには良い気候なのですがジレンマに陥ります。

 立ち寄った区の総合庁舎で御琴の演奏をやっていました。風も通る広い吹き抜けで演奏の方も花粉に悩まされてる感じでしたが、唱歌等の穏やかな演奏で和ませてもらえました。

 中東の戦火の報道を目にすると、いろいろ思うとこるも多いですが、とりあえずは安穏な春が来たことを噛みしめて、また一歩進みます。

楽隠居か姨捨か?高齢世代の憂鬱

 高齢化社会を迎えて、なかなかリタイアした老人が優雅に暮らせる割合は低いのではと言われます。

 昔は「年金生活」というと接頭語に「夢の」とか「優雅な」とかがつきましたが、昨今の響きは全く違います。

「悲惨な」「不安な」が頭につきそうな年金生活の人が増え、今後高齢で年金受給を迎える方はますます現役の所得代替率が下がり、不安の通り悲惨となる人が増えそうです。

 昨今の急激な物価高には、年金支給額は対応できません仕事がある場合は別にして、相当な蓄えや、副業や運用で所得がある人以外は楽隠居はありえなくなりました。

 若い人は「ご隠居さん」とか、「楽隠居する」と言われてもピンと来ない言葉かもしれません。

 それでも昔は飢饉や恐慌などもあり、身分によっては弱い老人にまで食い扶持が回らず姨捨という悲劇もありました。

「楢山節考」という映画で描かれ、昔は姨捨という因習がありました。隠れて住まわせた老人の知恵が村を救って、姨捨制度を改めたという美談もありましたが、一般には見捨てられたのでしょう。

 横山光輝さんの描く時代ものにも、忍者や剣豪が出てきます。中には高齢になった者も描かれ、生命をかけ主君のために働いたのに、身体が衰えると最低限の食い扶持で蟄居させられ愚痴る場面もありました。

 軍人恩給という年金の原点もそんな感じで始まりました。鉱山作業員も早く年金制度が整いました。生命をかけ、身体も不自由になる仕事に就かせるには年金のような福利厚生が必要だったのです。

 しかし、誰もが働けなくなる老後は不安なのであり、年金制度は発展してきたのです。

 ところが2000年代以降、日本の政府は少子高齢化社会を見据え、大きく舵をきり、支える人間側の都合を鑑みた財政優先の考えのため、年金支給を減額していきます。

 消えた年金の騒ぎや、将来年金制度が破綻するのではという煽りで、年代で区切り厚生年金の支給の計算比率を下げ、さらに巧みに物価や賃金にスライドするはずの年金支給の乗率を下げていきました。

 高齢者は増えますが、その多くが時代を追うに連れて、年金では生活できなくなりました。定年も少しずつ延長されだしましたが、年金の支給も蜃気楼のように遠ざかっていきます。

 新自由主義が掲げられた2000年代以降、非正規社員比率が増え、所得も減り、貯金も退職金も少ない人がこれからどんどん高齢者になります。江戸時代や明治大正とかの昔に比べて医療も発達し、寿命は伸びて、高齢を迎える人は増えました。

 私の家の家系でも、母方の祖父は私が生まれる前に早死にしていますし、父方の祖父や兄弟も戦死や病死が何人かいました。父母の世代になると、それぞれ80歳は超えて生き、妻の父母は80代後半で健在です。ただ、この世代は自営も長く続けるのに恵まれた時代でしたし、年金もフルに厚生年金受給だと潤沢です。私たちの世代はその30年遅れて年金支給は遅く少ない。そしてさらに若い世代はもっと苦しい世代で自分の今が精一杯になり、高齢者を支えるのも、自分の老後への備えもままならないでしょう。

 冗談にもならない姨捨の時代が来るのです。

 子供が親を大切にしてくれるのか、しかし世代としては他人の高齢者まで支えてくれるのでしょうか。後期高齢者の負担を増やせていう世論もここからきています。

 高齢者に気遣う、長幼の序など知らない世代が占める割合が増えると、本当にギスギスした住みにくい世の中になりそうです。

 育ててくれた親の世代を大切にする社会が続くのか、終わってしまうのか、世代間の闘争などない社会であって欲しいものです。これは自分の目の前のためのエゴではなく、誰もが老いは避けられない高齢者を大切にするということはやがて自分たちも老いてうく、未来の自分たちの世代を大切にするという理解を広めることでしょう。

 

わかりやすい政治が良いのか?

 友達の発言をあまり悪く書くのもためらわれますが、総理大臣に求めるものがどうも違うレベルの話をする人がいます。

 そこそこの大学を出て企業に勤めた人や、政経に詳しい専門の著名人でも、「政治家の発言はわかりやすくないといけない」という意見になり、田中角栄、小泉純一郎や、高市首相は「わかりやすい」から良いというのだ。

「わかりやすい」だけが、高市首相の支持率高騰の理由とは随分失礼な話ではないのかとも思うのですが、直近でいうと菅義偉、岸田文雄、石破茂は話がわかりにくかったというのが不支持の要因というから何だかである。かつてはボソボソと滑舌が悪い総理大臣もたくさんいました。

 残念ですが、多くの人にとっては、難しい話をしてもわからない。いざ自分の目の前で税金が上がり、お金が無くなるとか生命が危険になると騒ぐだけで、気がつけばもう遅いのです。

 高市さんも、一時期は極端な右翼系の支持しか集まらず、保守党ぐらいと組んで自民党を割るべきといわれた時期もありました。

 安倍晋三の後継と言われますが、高市首相を見ていると、支持基盤は弱く一時期まではやはり総裁選に負け続けた小泉純一郎を思い浮かべます。「自民党をぶっ壊す」と「郵政民営化」のわかりやすい劇場型政治、ワンイシューで大変な人気の総理になりました。

 しかし功罪半ばというか、小泉純一郎の時代に日本の転落は始まりました。

「百年安心」と誇らしげに言われた年金改革は、今に至る所得代替率の漸減の始まりです。

 新自由主義を進め、非正規雇用を拡大して、大企業の正社員は助かっても、それ以外は大変な時代になりました。

 北朝鮮電撃訪問、靖国神社参拝なども、ただ右翼の支持を貰い目立ちたいだけでした。その時限りで、むしろ禍根が深まり広がっています。

 最も残念なのは、パフォーマンスで人気は得てもアメリカの言われるままに郵便貯金も手放し、財務省などの官僚の言われるままの経済オンチだった点です。

 今検証すると、トンデモない悪政しか残っていない小泉純一郎が、守旧派を叩いてあたかも勇気ある改革者を装い、大変な人気でやりたい放題、その後日本は真っ逆さまに転落したのです。

 その息子進次郎は結局高市首相に破れて今は閣僚止まりですが未だに人気はあり、どうなるでしょう。

 国民の大多数の支持がないと、政治を行うのは難しく、大衆迎合、劇場型政治は勝つためには間違いではなく、ネット情報が重要になった現代でも、政治の構図は変わりません。むしろネットにより傾斜が激しくなったかもしれません。

 ヒットラーも演説はうまかったようですが、大衆は破滅へと導かれました。

 話がわかりやすいことが正しいとは限らない。国民は、惑わされないよう、わかりづらくとも人物や政策をしっかり見ることです。

 高市首相はクレバーな面はあり、人気に自惚れずしっかり政策を見極めて進めて欲しいものです。

 

https://seizafpkotodama.com/2026/02/28/%e9%ab%98%e5%b8%82%e7%b7%8f%e7%90%86%e3%81%ab%e6%9c%9f%e5%be%85%e3%81%a8%e4%b8%8d%e5%ae%89/

いつまでも対岸の戦争ですむか?

 4年続くウクライナ、カザ、ベネズエラに続きイランでもアメリカの攻撃で戦火が拡大しました。

 戦後80年経っても、戦争はゲームやアニメのようにはスマートではなく、火器を使い市民の生命や財産を脅かす近世から人類は学んでいないのです。

 ホルムズ海峡封鎖が中引けば日本の経済への影響は計り知れません。原油価格はいきなり1割上がり、日本の備蓄が減っていくと物価や生活、産業に与える影響は計り知れません。

 しかし、それ以前にこんなにも好戦的なアメリカにずっと同盟国として寄り添い、貢ぎ続けていて大丈夫なのかとは、平和憲法とか戦争反対とはどの口で言うのか素直に感じます。

 日本人の感性では、目の前でころされる人がいれば、特にそれが知る人であれば悲しみ怒ります。

 人気のあるドラマや映画でさえ、思い入れた人が、戦争や犯罪でしんで行くと、大変多くの嘆きの呟きがネット上でも囁かれます。

 しかし、トランプの一声で何百人という人が一夜で亡くなっています。

 戦争にとにかく反対する声もあれば、国際平和のため悪の独裁者の国へは、先制や奇襲もやむなしという意見もあります。どちらも極端で、矛盾を抱えています。

 日本には平和憲法があり、戦争をしない巻き込まれないと、いわゆるリベラルや護憲の方は言われます。

 とはいえ、それ以前に日本は戦争大好きの力強い同盟国の軍事力や核の傘に守られ、戦後アメリカの傘下で朝鮮戦争やベトナム戦争の中継基地、関連特需で潤ってきた面の方が大きいです。

 第二次大戦の戦中、大空襲や原爆投下を味わい戦争の悲惨さ貧しさを嫌と言うほど味わってきたはずです。それでも、喉元過ぎれば、豊かな国になり恵まれた人たちは、他国の戦争は対岸の火事にしか見えません。。

 戦後の日本の奇跡的経済復興は日本人の勤勉さとか創造力と美化されますが、軍隊を持たず経済に特化し他の国の戦争で儲かったラッキーなだけで、何のことはない、今やアジアの国に一人あたりGDPで追い抜かれています。

 トランプという国家元首が「GO!」といえば、何百人がいきなり亡くなります、何万人もの生命や財産が喪われていても、日本人にとっては対岸の火事、遠い国の戦争なのです。

 親米や親中など、政治家のスタンスが極端に外国に寄り過ぎて国士と言える政治家が減っています。

 親米が保守、愛国で、親米がリベラル、護憲などとレッテルを貼ってベクトルを決めて分けてはいけない。真の保守、愛国、国士とは国と国民を思う政治家です。

 1980年代ぐらいまでの政治家は日本の政治や経済に強いブライドを持ってアメリカと、タ歩ネゴシエーションをしてきた人もいました。それで失脚させられたとされる総理大臣、政治家もいます。

 国際社会もソ連の崩壊、中国やイスラムの台頭で複雑になってきましたが、米ソ冷戦時代でさえ、日本はアメリカに対してそれなりに強い姿勢で臨んでいたのです。貿易摩擦に対して、妥協しない交渉で日本の産業、市場を守ってきました。もう一つ、あまり知られていませんが、軍事産業には矜持を持って手を染めませんでした。

 批判は受けますが、湾岸戦争でも当時は自衛隊の海外派遣はせずに済ませました。

 直近、国際秩序を大国の一政治家に任せていて本当に大丈夫なのでしょうか。

 外交は極端に走ってはいけない。一見敵対している国でも平和を望み友好の可能性を探り、交渉の糸は残しておかないとは思います。

 

 

 

 

オリンピック、WBC、W杯で思い出す昭和プロレス

 今年はスポーツイベント目白押しで、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが終わったと思えば、日本では人気の野球のワールドクラシックベースボールがあり、6月にはサッカーの北中米カリブ海ワールドカップが開かれ、9月には愛知県でアジア大会も開かれます。

 なんと言ってもサッカーのワールドカップは世界中で行われて注目される世界最大のスポーツイベントです。サッカーはほぼ世界中の国で盛んなスポーツで、野球やウインタースポーツは限られた国、地域で世界中とは言えません。

 日本では元々野球が人気で、一時下火で競技人口はサッカーに抜かれたようですが、大谷選手の活躍でメジャーリーグの人気に火がつきました。代表チームの国際大会WBCも、シーズン前のエキジビション的大会ですが、メジャーリーガーも出場して、日本のファンは世界一のかかった大会だと信じて熱狂します。

 野球は北中米、東アジアぐらいしか広がっていないスポーツですから、世界一とか世界大会といっても無理やりルーツをたどって欧州の国の代表にしたりして参加国を作っています。権威のある世界大会とは言い難い面があります。

 国際大会の国の基準は大会によって異なり、サッカーワールドカップは国籍要件で一度国の代表で戦うと国籍を変えても別の国では出られません。オリンピックは国籍要件はありますが、国籍変更は3年ほどの待機期間があり、2大会連続で2か国の代表での出場はできないのです。

 ラグビーは国籍ではなく、協会の所属で代表になれますが、通算10年の居住が求められます。

  これに比べると野球のWBCは、国籍、永住権、出生地、両親のルーツと広く認められ、まあユルユルです。大会そのものも、公式のシーズン前の宣伝、エキジビションでどこまで選手が参加し、全力で戦うかは微妙です。

 この感覚で、思い出すのは、昭和のプロレス、ブックと言われる筋書きや国籍ギミックなどです。

 プロレスもあのような形式ではアメリカと日本ぐらいしか行われていないので、とても世界のスポーツではありません。それでも、世界タイトルの選手権、世界の代表を集めたワールドリーグ戦、チャンピオンカーニバルだとかインターナショナルレスリンググランプリとかを信じて熱狂していた時代がありました。

 各国代表と言いながらもプロレスの国籍、特に悪役は、ショーのようなアメリカンプロレスでは嫌われるロシア人やナチスドイツのような衣装をつけ、プロフィールを偽って戦います。また、権威づけのために世界各国の代表を名乗っていても、実際にはプロレスの行われているアメリカ人でした。

 日本でも戦後すぐの時期、プロレスは敗戦で自信を失った日本人に、ウソでも勇気を与えました。

 力道山が大きな外国人を空手チョップでバッタバッタと倒すのに快哉を叫び、日本人は希望と活力を取り戻したのですから、ウソも方便かもしれません。

 当時はプロレスが、筋書きのあるものとはみんな思わず、力道山が苦しめられても最後には勝つのかハラハラして応援していました。

 少し後の世代はアニメのタイガーマスクでプロレスを知り、馬場や猪木がしのぎを削る時代でやはり内心嘘くさい面もあると子供心に思いながらも業界や団体ぐるみの虚構の世界とは思わず、タイトルマッチとかにはそれなりの権威があると興奮していました。

 ワールドリーグという大会に出場する相手レスラーも、オリンピックのように各国の予選を勝ち抜いた代表か、チャンピオンだと信じていたものです。

 プロレスの場合は、大会のレギュレーションもチャンピオンベルトだとかタイトルも、今となって知ると、全てが作り物、商売で、全く嘘くさいものです。

 それでもウソも方便のとおり、スポーツを見て喜ぶ心理はプロレスもその後の総合格闘技も、オリンピック、野球やサッカーを見るのと何ら変わらないと思います。

 母国や地元、ひいきの選手やチームが、勝てば良い。少し目が肥えると、内容も良く勝てば良い。それでも負けるよりは勝つ方が良い。

 昔の力道山など、ルールもいい加減で、とにかく人気者が勝てば拍手喝采でした。それは今、大谷選手がホームランを打つ、日本人が金メダルを取るのと何ら大差はなきのです。

 もう少しファンの目が越えると、最強のメンバーが集い、試合としても、接戦で競り合い、逆転などスリリングな展開で最後は推しが勝てればいいと思うレベルになります。本来のスポーツのルールを知り、技術の深さや面白さも知って見ている人はどれくらいいるのでしょう。

 やはり自国人や地元の推しが負けるよりは、理由は相手のケガなどのコンディション不良などであれどうであれ、勝てた方が良いと思うのが心理なのでしょう。

 スポーツを全く見ない人から見れば、見るのにかける時間もましてやサブスクやチケットにかけるお金ももったいないと思う程度の娯楽です。