冬季五輪楽しめる国は幸せ?

 ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが終了しました。

 リアタイではほぼ見ていないのですが、ニュース番組などで映像はおよそ見ました。

 種目も増えたのですが、日本の活躍する競技も増え、魅せ方?ストーリーやビジュアルコンテンツとしても優れたものになっています。

 オリンピックになれば思い出したように注目されるカーリングなどのマイナースポーツや新しい競技が特に冬季は多いのではと思います。1972年の札幌は黎明期の昭和ですし、ジャンプの日の丸飛行隊だけがメダルでした。

 その後の1998年の長野に比べても、ウインタースポーツがさまざまな面で進化し、関係者の努力もですし、演出や推しの手法も見せ方も上手くなったのだと思います。

 夏季でもそうですが、昔は競技も少ないうえ、全くテレビにも映らない競技がけっこうありました。

 会社にいた北海道の支店幹部に札幌オリンピックのボブスレー代表だった人がいましたが、自慢はされていましたが、現代と比べると自虐ネタでした。

 放映権料の高騰とかも、コンテンツの魅力と関係がありますが、タイムや距離、点数を極限まで競うアスリートの姿にはやはり素直に感心し、感動します。

 15歳からオリンピックに選ばれ通算10個ものメダルを胸にかけた高木美帆さんの挑戦し、力を出し切って、姉に労われる涙も素晴らしかったです。

 フィギュアやスノーボード、カーリング、ジャンプなど、女子も台頭し、見ても楽しくメダルの期待にワクワクする競技が増えました。

 しかし、元々冬季オリンピックは特にヨーロッパ、北半球の国が中心で、暑い国、イスラムの国の女性を見ることはありません。その意味では世界中が集い競い合うスポーツの祭典かと言うと疑問は残ります。

 日本では女性の社会進出が叫ばれ、欧米とともに男女機会均等が当たり前になりつつありますが、世界でも人口の多いイスラムの国はまだまだ女性のスポーツ参加、ましてや海外に試合で出ることは稀です。

 戦禍の国もある中、これだけ女性も活躍し、スポーツを楽しめる国はやはり平和なのだとは思い、ありがたいことだと思います。

 

保険会社は儲けている?

 大手外資系保険会社プルデンシャル生命保険の100名ほどの社員らが顧客から不正に金銭を授受したとして大きな問題となっています。

 直接ここの商品を買ってはいませんし、詳細はわかりませんし、一概にこの会社だけが不当に儲けている訳ではないとは思います。生命保険会社にまつわる件に関して考察してみたいと思います。

 生命保険会社をめぐっては、第一生命にしろニッセイ、かんぽ生命にしろ顧客とのトラブルや不正な金銭取得はありました。個人情報の不適切な扱いも出ています。

 顧客の不安や資産を増やしたい気持ちを利用し、保険や資産運用を巡り大金が動く場合が今までもありました。弁護士だとか会計士、ファイナンシャルプランナーなど本来信頼を得て、資産などいろんな相談を任された人が、欲にくらんで私腹を肥やす一線を越えたという感じでしょうか。

 プルデンシャル生命も随分羽振りが良かったとは噂では聞きますが、日本生命のいわゆる生保レディがかつてバブル期には、高級マンションを買ったとか、豪邸を買ったとかの話もありました。

 最近生保レディという名称はそろそろ変えようと言われた矢先らしいです。外資系や通販系は、ニッセイなど国内大手は、テレビ宣伝や生保レディの人件費に巨額をかけているから、自分たちの方が保険料が安く配当や保険金に多く回せるというのが常套句でした。

 業界として営業社員にも歩合として随分回せるのが保険会社の構造というわけです。

 生産したモノを売る商売だと、お客様からお金をいただいて必要なモノを買ってもらうので、車とか時計や宝石とか高級品は一部あっても金額には限度があります。

 しかし、保険商品の資産運用の場合は消費財ではないので、お金をつかうのではなく、増やすつもりで財産を預けるので、不正があればスケールも大きくなります。

 ニッセイも企業資産は大きく、メガバンクらが不振な中、日本のビック5に入る企業規模です。

 どうして生命保険会社がこんなに儲かるのかというと、結局集めたお金を信用創造で増やし、有利な投資をしてさらに増やしているからです。

 保険の仕組みは大数の法則で綿密な統計をとって病気などの保険対象リスクの数値を出していて、それに見合う保険料と、給付金でバランスをとっています。年によってバラツキはあっても元の保険会社が大損するようなことはありません。

 病気になって給付を貰えて助かったと焼け太りのように喜ぶ人がたまにいます。保険会社の広告のサクラのような話をする人もいますが、多くの健康で保険金を一銭も貰わなかった人に支えられているのです。この保険に入ってて良かったなんて話を聞いても、私はその分入った人でも保険金が貰えない人になる確率が高いので入る気にはなりません。

 元が返ってくる貯蓄型もありますが、それなら自分で運用していた方が良いです。

 保険ですから、儲からない確率、トータルで全員が保険会社の利益分は損をするのです。安心感はあっても元が取れない可能性の方が高いのです。

 手取りの問題で健康保険料が高いと言いますが、国や組合が一部負担している構造の強制保険です。

 民間企業の保険は公費負担はないので保険料から保険金銭支払いと生命保険会社の宣伝経費、人件費など企業の利益が充てられます。

 高額療養費制度、公的な障害や遺族年金制度もある中、それに重ねて医療保険や生命保険にあえて入らされるのは、やはり保険会社の宣伝上手さでしょうか。

 ある程度長い期間、大金を預けるので、積立運用、債権投資などを個人でやって、いざとなれば取り崩したら、保険会社の儲ける分を少しでも自分で稼げるのではと思うのが私のリクツです。

 「素人の投資は怖い、病気は怖い、銀行に貯金していても増えない。生保会社は何かと相談に乗ってくれて、良い商材がある」というのが、生保業界がこれほど大きくなった背景でしょう。

 私の勤めていた某市役所も、大手の生保レディが張り付き、毎週のようになんやかんやと休憩や帰宅のタイミングで、アンケートやらで営業しようと絡んでくる昔ながらの人海戦術で来ます。私も昔営業してましたから邪険にはせず話は聞きます。

 良い商品もあるし、それなりにライフプランの相談もしてくれる知識はあります。

 大手生保にも外資生保にもそれなりに商品はありますが、別に入らない方がトータルのお金は貯まる確率が高いです。

 あえて活用できるのが相談のケースかもしれません。

 相続のケースで、保険を利用されるようですが、それで上手く分割できる資産の場合です。

 私は葬式代ぐらいをしっかり残せばいいぐらいで、子供も独立していたら美田をたくさん残す必要もないと思います。

 保険料を払ったつもり貯金か堅い投信に入れておけば遺ると思います。

 生保会社はあくまで代理の投資屋、今回のような悪いヤツは競馬のノミヤのようなものです。自分で投資できれば中間マージン無しで資産が増える可能性のが高いです。

今、労働組合って何してる?

 私もかつて会社員で、もちろん労働組合員だった時期があります。

 管理職になり組合員ではなくなり、最終的な親会社は規模は大きくホワイトですが労働組合はない合理的な企業でした。

 それでも未だに多くの会社が全員が加入義務のあるユニオンショップ制の労働組合を抱えているのには呆れます。

 もっと驚くのは、最近、公務員の仕事もさせてもらいましたが、多くの自治体が自治労や自治労連という組合にユニオンショップに近い労働組合とつながっていることです。

 特に共産党や社民党が上部団体の自治労連に加入しないといけない自治体がそこそこの地方都市にまだ多いことには、失礼ながら驚きます。

 組合の活動にどうこうではなく、これほど公務員の組合員を組織しながら、今や議員の数や支持者が低迷しているのが不可思議に感じます。

 組合によっては、物価高や賃金、沖縄の基地問題のデモに駆り出す過激なところもあるようです。

 本来、国や地方都市を支えるべき公務員が、左翼系の政治活動に参加させられるというのも摩訶不思議です。

 従業員の福利厚生はもう十分に達成され、一般の公務員は潤沢に有給も消化し、犯罪者にならないで無事に勤めれば4カ月以上のボーナスが貰えます。

 もう組合の活動など、タテマエだけになっています。強制的に給与天引きされ、上部団体や専従者給与に充てられる組合費をなくし、手取りを増やせばいいのです。

 政治的影響力もなく、従業員の待遇改善の役目も終わった、パワハラやコンプライアンスは別の組織がある。もはや、労働組合こそ、消えてなくなった前時代の遺物です。

 当たり前のことですが、少ない手取りから先達の高齢者を支えるならまだしも、何で組合専従者や連合や自治労連の親玉を支えないといけないのか、考えればわかることです。

2年で倍になった品目も多い

 500グラムで1000円を切っている値段の珈琲豆に思わず飛びつきスーパーに行きました。今や半分以下の240グラムでも1000円近い値段、ちょっといい豆なら100グラムで1000円超えます。

 エンゲル係数が低い庶民にとってはここ2年ぐらいの物価指数の上昇は10%なんてとんでもない。米にしろ、2倍になってるものも多いじゃないかと言いたくなります。家電とかあまり毎日の生活に関係ないもので平均をごまかしているのかと思います。

 エネルギー価格も上昇して、住宅関連など住んでいるだけで上がるものもあります。

 生鮮食料品は確かに野菜などはまだらで、上がり下がりはあります。

 しかし、大問題になった主食の米をはじめ、買い物をしている人は目に見えて上がっているものが多く物価指数との乖離も感じるのでしょう。

 確かに統計をしっかりとっているはずですが、大多数の国民を支える物価という面ではどうしてもズレます。

 テレビのコメンテーター、アナリストなども頭の良い方は官僚の巧みな説明にごまかされていますが、実際にはお金持ちで庶民感覚がありません。

 政治家も残念ながら伝聞だけで自分は毎日スーパーで半額シールの貼られたパックを買う訳ではないのです。

 年金は本来物価や賃金にスライドして上がるはずですが、統計の反映はずっと後です。ましてや賃金がそもそも上がっていない上、年金は財政健全のためマクロスライドで上がるのは抑制されていますから、待っても物価に対応する上昇はほぼないと言えます。

 普通に年金だけで生活をしている人はどう考えてもおかしいと感じるはずです。この不満と不安も逼迫したものですし、かと言って今の年金を増やすとますます現役世代が負担になるので、どこかから財源をとなってしまいます。

 しかし、年金は本来現役世代からたくさんのお金を貯めている訳で、その運用でもっと収益を上げられるはずです。国の事業で儲けてはいけないと考える人はいますが、儲けてはいないのです。多くの金融機関や保険会社などと同様、お金を集め信用創造し、運用で益金を得れば税や保険料を増やさなくてもいいはずです。時限的にもそこから回さないと、マクロスライドの限界と、急激な物価高への非対応は明らかになっています。

 次と年金改訂検討では厚生年金から国民年金に回そうとしていますが、そんな卑怯なアクロバット的愚策を考えるなら、あと2年は運用益、政府の外貨資産で回すでいいはずです。

 

赤字路線廃止、サービス低下 公共交通の課題

 JRなどの赤字ローカル線が◯年◯月までに廃止というニュースが出ると、地元民や鉄道ファンは反対の声を上げた存続を訴えます。

 公共交通機関が廃止されると、マイカーのない人や通学の高校生たちはたちまち不便を強いられるます。

 公共交通機関なんだから税金で何とかならないかという意見もあります。

 民間企業のJRになったから悪い、国営に戻せとの極端な意見もあります。

 JR各社は東海を除いて、赤字ローカル線の営業状態を公表しています。実際に廃止のやり玉に上がるのは、地元住民もそう利用していない旅客数です。

 第三セクター鉄道も地元の負担が重くのしかかります。税金といっても結局は鉄道に乗らない人が大きな負担をすることになるのも変な話です。少子高齢化で財政の苦しい自治体も負担しきれず、まして採算重視の企業体のJR、私鉄も、赤字ローカル線にお金を遣うわけにはいかないのです。

 JRは民間企業だからこそ、合理化は進み、多角化にも取り組んでいます。今さら国鉄になっても拉致はあかないでしょう。ましてや、赤字ローカル線だけ国や自治体が官費で引き継ぐほどの余裕はありません。

 それでもなんとかならんのかなとは思います。ローカル線にも見事な車窓の橋梁やトンネルなどもあり、せっかく建設した設備がもったいないものです。

 渡し船のような交通機関が公的支援で無料や格安というところがあります。島嶼部や河川に囲めれた地域などです。高速で快適に進む豪華なフェリーではなく、本当に買い物とか通学で自転車まで乗せて、ブルブルンとエンジンを唸られて向こう側の岸まで行ってくれる小さな船です。

 こういうのも、船が老朽化し、燃料代もかさみだし、操縦士人も不足して、自治体の財政が厳しいとどうなるかはわかりません。

 しかし、根本的には大きな施設や車両が要り、客が減り運賃収入が減ると立ち行かなくなる鉄道とはどうも違うようで、最初から官営のままです。

 国鉄というか、国経営と行かなくとも、JRとして鉄道以外の他部門でもっと稼いで最終的には不採算の鉄道をカバーすることはできないものかとは思います。

 通信や、金融、ショッピングなど、専門のカード会社顔負けの経済圏を形成しつつあるのですから、人口が減っているとはいえ廃止でエリアの顧客を失うのは得策ではないはずです。

 ポイントやファンドでローカル線を救うような柔軟な発想です。

 JRは民間企業とはいえ、まだまだ鉄道部門は法律に縛られたりして、融通が効かない面があります。廃止を検討する前に、もっといろいろできそうには思います。

 

「棺桶まで歩こう」ちゃんと歩かないといけない

 キャッチーなタイトルで、中高年への運動啓発本かと思わせますが、高齢者にウォーキングを勧める本ではなく、終末のあり方の話です。

 在宅緩和ケアで2000人を看取った医師の本です。

 日本のとことんまで生命を長らえる医療の課題はよく聞く問題です。何となく延命治療を選ぶことがないように、真剣に老後を考える内容です。自分らしく在宅で穏やかな最期を迎えられる心のケアが中心になっています。

「歩けるうちは死なない」とコピーになっていますが、そこから終末医療に関して考えさせられるものです。

 健康寿命と言われますが、寝たきりとなっての期間が長いのはいくら長生きしてもやはり辛い時間になるのは分かります。

 歩くというのは比喩的な表題ですが、実際に一時的に病気などで歩けないと不自由を感じ、お金があっても何となく悲しくなります。

 クルマ社会ですから、私なども営業で車を与えられてる頃、目的地までギリギリまで車で行くのが当たり前でした。それが習慣づくと、歩くのが億劫になり歩く力が落ちていたものです。ウォーキングの良さと楽しさがわかると目からウロコが落ちた感じでした。

 時間や距離もですが、訪れたい名所など目的がある散策が良いとは思います。

 しかし、本格的なウォーキングはしっかりした姿勢、歩幅をとって、短い距離でも毎日継続する程度で良いと言われます。公園や広いショッピングセンター、マンションの空いてる空間などフラットで車の少ないところでしっかり歩くことです。

 逆に悪い歩き方だと、膝や腰に負担がくる場合があるので注意です。外を歩く場合、交通事故はもちろん、段差での転倒、衝突などの可能性は距離や時間に比例して大きくなります。

 若い頃から、習慣で健康とダイエットのため、バス停や駅間一つ歩いていた人が、結局躓いて歩けなくなったという笑えない話も聞きました。慎重に歩くのと無理は禁物です。

 高齢者の医療費負担割合が政治的にも問題になっています。政党や政府も後期高齢者の負担割合を3割にする検討を始めています。

 そうなると、高齢で医療期間にかこるか否かで本人や家族の負担の差も大きい時代になります。

 健康で病気をしないのが一番です。

 健康保険が高齢者に使われる割合が多く、現役世代の手取りが少ないので問題になっています。

 高齢者に対する保険適応の治療も、延命治療で診療報酬が稼げる制度をやめれば、現役世代の負担は減るのではと思います。

 

 

子供から大人に完全に変わる昆虫

 久しぶりに、オンラインですが自然観察の集まりを拝聴しました。

 富士山麓の蝶を25年以上追い続けておられる研究チームがいます。

 アサギマダラでも知られますが蝶も移動距離はわりと長く、高速道路の構築、トンネル残土処理などの環境変化で生息個体の状況が変わってきているようです。

 多くの花、野菜などは虫媒花でハチや蝶の助けがないと受粉できません。

 自然観察なんて、社会や経済と関係ないと思われるでしょうが、日本の食料事情とけっこうつながっています。

 専門家の方が、翔んでる蝶を見て、種類や雌雄がすぐわかるのには驚きます。幼虫を見てすぐ、何の蝶か分かるのにもさらにびっくりします。

 その幼虫は捕食されて鳥や他の昆虫の生態系を支えるとも言われます。

 完全変態の昆虫がイモムシから蛹の中で一度身体を溶かして生まれ変わって美しい蝶の成虫になるのも神秘的なものです。

 生物学は理科で習いまさに理系、それでもあの翅の美しさに魅されるのは、理系というより芸術家のような気がします。

 人間も生まれ変わって、別の姿になりたいと思う時もあるでしょう。一度溶けてしまうと、記憶もなくなりそうですが、それでも美しく生まれ変われるならと思う人はいるかもしれません。それこそ、胡蝶への夢とでもいうべきでしょうか。

 

 

憲法改正へのターニングポイント

 自民党が衆議院の3分の2以上の議席を得たので、国会の安定とともに憲法改正の発議もできそうなところになりました。

 憲法改正というと、「平和憲法を護れ」「9条を護れ」と護憲派、いわゆる左翼系が大騒ぎします。

 しかし、戦後80年を過ぎた今この機会にこそ憲法改正の議論は進めるべきだと思います。

 憲法改正に関しては9条だけの話ではないのに、すぐ全ての議論をフリーズするのは、そろそろやめないといけません。

 憲法を改正するというのは、保守でも革新、右でも左でもないはずです。いやむしろ本来革新系の政治家が叫ぶべきことです。

 日本は異常で、憲法を変えようというのが保守で、維持したいというのが革新、左翼、リベラルです。少し考えるとおかしい話です。

 しかもアメリカに半ば押し付けられた憲法なのに、親中に近い左翼が憲法改正に反対し、親米の保守が改正をしたいというのですからそれも捻れた感じです。

 この問題は余りもタテマエ、うわべだけの言葉が行き交います。

 そもそも「平和憲法」「自衛隊」という言葉も変です。

 平和憲法の対局に「戦争憲法」というものがあるのでしょうか。そんな戦争大好き憲法というものは世界中探してもありません。

 世界で平和よりも自分や家族の生命が危険にさらされる戦時下が好きな人も探してもいないでしょう。

 考えなければ巻き込まれいものではありません。日本の憲法として、戦争に巻き込まれたらどうするか、しっかり議論すべき点です。

 日本が第2次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争を仕掛けた反省と言われますが、戦略の保持や交戦権を認めないというので独立した国を維持できるのでしょうか。

 戦力と交戦権不保持、核保有など論外という主張もあるでしょうが、「正義の秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求する」という前段からして、全て戦争大好きアメリカの傘の下でこその平和ではそれほど身ぎれいなものではありません。

 じゃあ安保条約も無くなり、アメリカの基地が無くなり、自衛隊も無しで、まさに丸腰でいいのか、それも含めていつまでもつまらん論調を終わりにしないといけません。

 実際に交戦権、戦力をどう維持するか、自衛隊でどうなのかしっかり議論し、話しをしていけば良いでしょう。

 軍隊を持たない方が攻められないのが本当にそうならその通りで良いでしょうが、誰もが納得できる議論になるかです。

 自衛隊が軍隊という名前かどうかというのは本当に些末な問題です。

「自衛」+「隊」セルフディフェンスフォースとは変な言葉で、自分で自分を護る部隊?そんなはずはなく、やはり自分の国を護る部隊のはずです。

 自分の仲間、同胞が、家族が他国に攻撃、蹂躙されるとしたら、戦う力、負けない力が必要なのかどうか?

 オープンにしてそこを議論していけば良いのです。当たり前のことですが、他国にああだこうだ言われる筋合いのものではありません。

 極左、極右の人々も、何でもかんでも反対賛成ではなく、研究していればいろいろ建設的な意見も出るかもしれません。

 まずは俎上に載せるこどです。戦争をすることが目的でないことを、ちゃんとして議論に入れば良いことです。極端に言えば、反戦イコール左翼でもないはずです。それなら反戦イコール核保有でも、成り立つのです。

 太平洋戦争下や、戦後の混乱を知らない世代ばかりになり、安直にゲームのように戦争が始まるのは避けないといけません。

 もう一つ憲法や自衛隊の議論に蓋をすることで、結局困るのはアメリカ依存が過度になっていくことです。兵器も武器も軍隊も核もアメリカ頼りで、過度にぼったくられても文句も言えず血税から巻き上げられます。

 国防費の適正もある程度透明化して議論できます。

 だからこそ、戦争に対してもっと現実的に議論しあい、憲法について話しあうべきです。

 80年も経た憲法ですから9条以外でもアップデートしていけば良いと、もう少し気軽に考えられないものかと思うのです。

 

民主党政権交代今は昔

 2月8日投開票衆議院選挙で中道改革連合が惨敗しました。

 高市総理の勢いもありましたが、これにより2009年政権交代した民主党政権の中心だった生き残りがかなり国会から消えました。

 既に鳩山由紀夫、菅直人は政界引退しています。今選挙で岡田克也、小沢一郎、枝野幸男、馬淵澄夫、海江田万里、安住淳といった旧民主党の重鎮が軒並み比例復活もかなわず落選しました。野田佳彦さんも惨敗の責任を取り代表は辞任するでしょう。原口一博も党を割ったものの落選、維新に移った前原誠司がかろうじて当選したぐらいです。

 中でも1980年代自民党竹下派から、細川連立政権、自自公連立政権、民主党連立政権と長年政界に君臨してきた小沢一郎の落選は時代の流れを感じます。

 

 壊し屋とも言われ、一時的には与野党問わず、反共よりも反小沢という団結が大きな塊になるほど、言葉を変えれば危険なほどの勢力を持っていました。

 何度か傀儡を使っても政治の頂点のポジションに君臨した力と、結局は政敵の逆襲と味方の裏切りで盛衰を繰り返した稀有な存在でした。竹下登、金丸信、橋本龍太郎、渡辺美智雄、小渕敬三、野中広務、青木幹雄、亀井静香、小泉純一郎、麻生太郎ら強力なライバルたちと壮絶なしのぎをしていました。タフネゴシエーションとして内外に名を轟かせ、昭和・平成の政治を語る上では総理にはなっていないものの、大物中の大物でした。

 その剛力は凄まじいものの、大衆をつかむセンスの無さ、仲間や後継に任せる度量の無さが、2度も政権交代をし通算では4回も与党の中心にいるという偉業も長続きせず最後は残念な末路につながったのです。

 小沢に関して最近の老害的発言だけでイメージを抱く人もおられますし、首相候補を呼びつかた自民党幹部時代も横暴さだけが伝えられます。しかし、アメリカや韓国、中国とも総理、官僚を飛び越えてタフな交渉をし、財務省はじめ各省庁を振るい上がらせ最も激しくやり合ったところはあまり伝えられていません。外交や財務省の官僚や役人の横暴や特権が騒がれる今ならヒーローものです。

 自民党の中で旧田中派の金権政治が批判されることも多いですが、田中派とその後継竹下派が日本経済を発展させた功績もまた大きいのです。歴史にイフはないとはいえ、自民党保守本流のお公家のような政治家だけでは、外国や官僚の言いなりがもっと早く進んでバブルすら無かったかもしれません。

 小沢一郎にしてみれば、旧民主党の鳩山、菅、前原、枝野仙谷、岡田、野田あたりは、小僧っ子、小物過ぎて丁寧に話す気もなく、突っぱねてしまったのでしょう。結局、その感性が仇となり、次々と党を変え仲間を離合して権力を失いました。

 小沢一郎も年齢を考えると政界引退、少し最近の映像だと痩せておられます。失礼ですが、それほどの間もなくやがて訃報に接し、向こうでまた野中さんらとバトルしそうです。

 そんないかにも昭和、平成前半のガチンコな政治も完全に終わるのだなあとは思います。

 

 

 

 

想像したより高齢者が生きづらくなった21世紀の日本

 今還暦を迎えて、高齢者と呼ばれてもおかしくない世代の人が、子供の頃の昭和末期まではお年寄りはもう少し優遇されていました。

 戦争と、戦後の厳しい時代とその後のモーレツに働いた世代が、日本を支えた人たちなんで現役引退お疲れ様という感じだったのでしょう。

 年金は納めた当時の金額よりも、はるかに大きな金額が貰えて、健康保険の保険料も医療費負担も少なく、介護保険は制度はないのですからもちろん負担も無かったのです。

 年金が年300万、月22万とか25万で当時の物価で昔は天引きもないので、十分生活できました。家族も多いので世話してくれる人がいたのです。

 老人ホームに入れるなどは、世間体が悪い印象すらありました。

 21世紀では家族で高齢者を介護するあらゆる余裕が無くなり、年金の中からか本人が払うか扶養者が負担して施設に入るのが当たり前になっています。それだけでも経済的な負担は大きくのしかかります。そこそこの施設に入ると年金では払いきれない支出になります。

 家族の奉仕で無料だったものが、保険料になり介護保険料の徴収が始まりました。健康保険も無料だった時代は終わり、国民健康保険や、健康保険組合の財政悪化の根源だった高齢者は後期高齢者医療保険制度に切り離されました。2割の負担と、保険料の本人負担も始まり、年金から天引きされ始めました。

 税制改正で富裕層の累進上限が70%から50%そして37%まで下がりました。これに対し年金生活者はこの30年近くで税金も社会保険料もどんどん上がりました。

 リタイア時の虎の子の退職金も、初任給や賞与などに比べ、じわじわと下がり、老後資金は自分で2000万用意が必要と言われるようになりました。お金がないのに長生きすれば罪のような感じの高齢者に厳しい21世紀になっています。

 ロボットが家事をやり、空飛ぶ車が家の上空にいると想像した未来でしたが、そんな未来は庶民には夢でした。平均的な高齢者はここへ来て物価高で相当厳しい生活を強いられています。自治体によっては国保料も高く、公営交通の特典なども減っています。

 ロボットはまだファミレスの配膳かウーバーぐらいしか見かけないですし、おかげで楽になったり安くなった訳でもないです。

 役人や政治家それぞれが年金を優雅にもらってるお年寄りから、もう少したかれるだろうと、あっちからもこっちからも無分別に税金やら保険料も取り立て給付は減らしていきました。支払う年金は年金財政のため抑えられては、仕事とか財産がない高齢者は悲鳴を上げるのは当然です。

 人生100年と言いながらも、サラリーマンの定年は65歳ですから、個々人のファイナンスプラン、バラ色の年金生活は大変厳しいものになります。

 物価高は待ったなしですから、ただでさえ2カ月に1度の年金振り込みですから、1〜2年後の改訂ではなく、食料品の値上がりにスライドして年金生活者支援給付金はもう少し幅広い層に給付すべきです。

 ほぼ国民年金だけの人に5000円程度だけの調整のような制度では貰える人はちょっと嬉しいにせよ、多くの厚生年金受給者の年金生活者には関係ありません。

 配当や事業で所得がある人以外の年金生活者には、物価高に合わせての増額給付を早くすべきです。

 外交、国防、そして少子高齢化ももちろん大事で比べるようなものではありません。しかし、喫緊の国民課題には違いありません。

 減税や社会保険料軽減に財源というのはそもそもおかしいので、既に取りすぎた制度時代の見直しであり、公平公平な老後の最適化です。政治に携わる人、役人・行政のトップはこれを考えないと、政権、国の根本は安定しません。

 失われた30年とかいうのは政治の失策と野党は言いますが、専門家の官僚が酷いのです。

 20世紀末に、将来まで俯瞰したグランドデザインを考えられず、目先のセクトだけの枠組での予算にこだわった官僚の責任が大きいでしょう。自分たちは天下りで悠々と老後を暮らせる退職金や年金をガッツリ貰う立場におれば、実質の所得代替率がどんどん下がり不満が爆発する時期は必然だったのです。

 最後には憲法で守られた最低限の生活、セーフティネットがあるというのはあまりにも横柄な役人の立場です。

 財政が厳しいなら、20世紀末に必要だった天下り団体が、用済みで縮小するとか、役員報酬ぐらいは減らすスタンスがあってもいいはずです。逆に入札で優位に立ち民間を圧迫しているのでは、貴重な税金が上手く経済にまわらないのです。

 退職金の税額控除など、せめて生涯でトータルにすべきです。そもそも巨額の退職金が、起業家でもない、横滑りの役人に何度も支払われることすらおかしい。最低賃金のボランティアでいいぐらいですが、「規定が」とか言って辞退する人もいない。

 この辺から財源を産まないと、金額の多寡は別にしても、不公平感が理不尽すぎます。

 高市総理の回りにも、庶民とはほど遠い世襲議員や官僚出身、財務省洗脳議員もおられますが、負けずに頑張って欲しいものです。

 他党とも協議を重ねた税改正などの案件をおろそかにするとイッキにブームは去ります。

 あえて、高市総理にもう一度エールを送ります。