人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

親分肌の弊害

 一昨日も書いた件で、少し長くなって書きたりなかったエピソードなどがありました。

 合併すると、よく旧◯◯派とかできます。合併しなくても、そこそこ大きな会社だとやはり派閥みたいなのがあって、誰々のグループにいて、親分のイエスマンになれば、少々トラブルを起こしても揉み消してくれるとかありました。

 信じられない方もいますが、私の化粧品会社だと、ザラにありました。どうしても女性の多い会社で、仕事はできるけど、女癖の悪い人も多くて、今なら人権、コンプラ問題のひどい話も多いです。

 親分が揉み消すのは、ほとんど金か女のトラブルで、豪傑も多く、真面目に働いてトラブル無い人よりも、むしろそういう奴のが出世して、処分されてもまた浮かび上がるのには、呆れるケースもありました。

 西日本を統括してる人が私の仲人でしたが、各県の支店長は自分がトラブルを揉み消した経験があると話してました。

 社長になった方も、名古屋時代に私の上司でしたが、パワハラやセクハラありありでしたが、見事に当時のチームを本社の側近に持っていきました。

 親分に取り立てられ、ミスも揉み消してもらったメンツで固めれば、ある程度結束は凄く強いですが、いかんせん不正には弱くなってしまいました。

 これは潰れそうになった民間企業の昔の話ですが、最近でも聞きますし、役所でもあるようです。

 国家や国家間はどうなんでしょう。人間がやってるのでは、やはり似たりよったりです。市会議員さんや、国会議員さんのお話でも、やはり政治もよく似たもんです。

 年明けにまた大きな戦争のニュースが入りましたが、世界の警察や親分となる国、それに従う同盟国はどういう感じなんでしょうか。

 戦争とまでなると、生命がかかりますから、親分が正しいかどうかはしっかり見極めないととんでもないことになりそうです。

http://seizafpkotodama.com/2026/01/05/%e6%8f%90%e6%a1%88%e3%82%84%e6%84%8f%e8%a6%8b%e3%81%af%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/

未来の交通を阻むモノ

 全国的に一般にはあまり知られていませんが、JRの鉄道では唯一?JR九州福岡県の香椎線という路線で自動運転が行われています。

 複雑なポイントやらは少ない都市近郊ではシンプルな盲腸線です。ただ、踏切もある路線なので、自動運転の完全なレベルではありません。

 関西万博ではアクセスに自動運転バスも運行されていました。

 運転手がいない!と不安になる人もいるかもしれませんが、乗り物の安全性という面では状況にもよりますが、今後ますますロボットや機械に任せた方が、ムラのある人間よりは安定しています。今までの電車、機関車では運転手になるのに大変な熟練も必要で、今後の人手不足を考えても、人間が自ら運転するシステムは早めに淘汰されないといけないでしょう。

 ホームドアの位置に合わせてマスコン、ブレーキを毎回どの駅にもピタリと停めるのは明らかに人間よりAIの方が得意なはずです。

 人間に任せるのは、災害などの緊急事態や、高齢者や障碍者への配慮、運賃や行き先、乗り換えなど細かい問い合わせへの対応ぐらいでしょうか。

 役所の窓口での申請なども、ゆくゆくほぼデジタルで可能になります。中での処理も今後ロボット化が進むでしょうが、(法律の改正など諸問題はありです)こちらもデジタル難民的な人への対応に人が要り、少しそういう対応に人は残ります。

 介護等含めてロボット化が進めば、社会の中で人間のやる負担は減ります。

 とは言え、進化の袋小路なのか、狭い道路は昭和以来の古い建物が立ち退かず、道幅も広がらないままで膠着しています。

 介護サービスもなかなか保険料は高騰するのに実態に合わない割には、業界は低賃金でブラックは状態が長く続いています。

 日本だと、タクシー業界などが、自動運転に反対します。

介護サービスにロボット導入というと抵抗する人かまた騒いで時間がかかるのでしょう。

 既得権益をもった業界や役所の関係者は急激な変化を嫌がり、上手く反対意見を盛り上げ粘ります。

「絶対反対」とか「暫定に」とか、「段階的に」とかで新しいアイデアをなかなか認めません。

 官民で連携して考えるべきは、AIに仕事を任せた時、人間がやるべき仕事です。

 自動運転の鉄道などでは、マスコンの操作は無理でも、人員は要ります。

 安全の知識があり、トラブル時の再起動などができ、鉄道会社への要望を聴くなど乗客への対応ができ、普段はひたすら運転台横に座って前面車窓とモニターに張り付けるだけの運転補助のような人が必要です。

「デジタル化は困る!ロボットに仕事を奪われては嫌だ」という人が反対すると、ますます未来は遠ざかります。

 子供の頃に想像された未来の都市が実現されるには古い家、建物やら、古い考え方を変えられない人は、申し訳ないけれど邪魔になります。

 しっかり補償して、未来的住居に移転してもらうことです。かつて高度経済成長期には今から思うと狭い団地や、ニュータウンがトレンドの憧れの住居だった時代があります。人気が出るような、住みやすい未来型住宅を作り、道路幅をまず自動運転に揃えることです。

 デジタル化の第2の波はデジタル難民が減った段階で、国のインフラ系の集中整備で、統廃合が必要です。 

 スマホがほぼ全員に行き渡り、使えるようになった時に、まずは電波の届くエリアをインフラ整備エリアとしてセグメントすることが、これからの限られた予算の投下には必須かと思います。

 私はローカル線や廃線跡など、古い街並みを見るのは好きですが、未来を考えた場合、朽ちゆくもの、要らないからこそ可哀想ですが選別すべきものがあります。

 

 

提案や意見は人物で見るものではない

 友達や職場での議論や審議、あるいは上は外交の交渉、国や自治体の大事なことを決める提案などでも、「人物が」とか「そのグループ」が嫌いで決まらないことがあります。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がありますが、袈裟に罪はないという話です。

 それぞれを具体的に例示すると、いかに大事な考えかわかりやすいと思います。

 何か難しい問題が例えば10問なり50問あってとして、全問に最適の答えを出すのは秀才であっても至難です。90点ぐらいがせいぜいです。

 間違った問題に関しては誰一人正解ではないかというと、中には確率的に正解者がいます。その正解者は90点には及ばないけれどその問題には最適解を出しているというケースはあり得ます。

 50問中、一人しか正解のない最難易度の問題があったとして、その一人の成績は凡庸だという場合や劣等生という場合もあります。

 秀才を高市くん、凡庸以下を玉木くんとか、野田くん、山本くんとかに当てはめると政治の問題になります。あるいは小泉くんとか、石破くん、河野くんとかでもいいです。

 優秀な総理大臣、力ある与党なら常に最適解を出せるなら良いのですが、どう考えてもそうはならないということです。

 残念なのは、今の政治の仕組みでも、選挙に落ちた人が素晴らしい提案、最適解を一つだけ出していても、それをピックアップして実現されることはなきのです。

 アイデアをある分野で出せても総合力がないとか、良き親分の下でないと実現できないのは、政治以外の世界にもあります。

 派閥の長か、長老や親分、御局など、職場などでもグループを束ねる人がいます。正式な組織の長や影のボスでも、自分の気に入った人をかわいがり、他を排除して意見も聞かないことがよくあります。逆に子分や愛弟子は少々ミスしても、犯罪を犯してもかばう場合さえあります。

 こうなると主流の派閥とかグループ以外の人間だと良い意見が通る訳がありません。改革など良い提案などが遅れをとるのです。

 個人の場合も自分は差別しないひいきしないと、バイアスにとらわれないと言いながら、意見を言った人に対する好き嫌いで決めてしまうことは多いです。

 政治でも、ネットなどの論争でも、とても優秀で弁も立つのに、天敵みたいにいつもどちらかが何か言えば上げ足を取り、その反対を必ず言い合う不毛の関係みたいな人たちもいます。

 政党もそれぞれ良いとこと、問題アリと感じるとこもあるとは思われますが、一議員で見ると、党是には関係なく良い主張をされる人もいます。

 党是は問題でも、あるジャンルにはしがらみがなく、良い意見を出す人や党もあります。

 ところが、それを通すと、そのグループが支持を集めて困るという選挙の利害も生まれると、良い意見が揉み消され、無難な多数意見しか通らず、かたやアイデア不足に嘆いているのです。

 会社にしろ、国家にしろ右肩上がりで余裕のある時は、好き嫌いの意見や人事がまかり通っても、それがために優秀なアイデアが揉み消されても何とか形になっていました。

 しかし、そういう時代は終わってしまいました。あるいは、そんなことが続いたから悪い時代になったのでしょう。

 個人として、生き残るためにも、他人の言葉を参考にする場合は、誰が言ってるかは正しいとか間違いではなく、誰しも間違いもあるし、胡散臭いやつも正しい時はあります。

 大事な選択、生き方に関しては、自分でよく考え、是々非々で見極めないと大損をしたり、大きな間違いを犯すことがあり得ます。

 

 

お墓参り、実は自分のお墓で悩んでます

 お正月には、父母のお墓まいりのため、お寺に行きました。正確には代々の墓になります。

 私は次男で分家になりますから、ここのお墓には入れない、まあ絶対入れないことはないのですが、多分入らないのです。

 となると、どこかにお墓買う、永代の供養の共同墓地を探すか、樹木葬とか海に骨を撒くとかになります。

 同じ立場の人もそれなりにいるのでしょうか。お墓も少子化?諸物価高騰のおり、安くもありません。老後資金の中から相当捻出して新しいお墓を買う価値というか、意義はあるか少し悩むところです。

 私は個人的には死んでしまうと、お墓やお葬式、法事などご本人が来る訳でもなく、煩わしいものでそう重く考えてません。

 残った家族に迷惑をかけない程度に意思と少しのお金を遺し、あとはお墓やお葬式は全くこだわりません。

 逆の立場で親戚や友人でもお葬式には本人ではない人との社交です。弔問外交というのが国と国の間ではありますが、利害やしがらみがなければ要らない部分が多いと思います。

 葬送の業者さんも、大変なお仕事ではあると思いますが、いい人もいますが、玉石混交でやはりそこはビジネスです。

 身内が亡くなり、安くない費用をいきなり払うのか否か決断を迫られるのですから、最近の悪質なネット詐欺に対抗するぐらいの知恵は少なくとも費用です。

 お墓も相手はやはりビジネスですから悩みます。

 従兄弟も分家がおり、私の妻の父も分家ですし、何やかんやと小金はあるので新しいお墓を用意したと聞きます。家を継ぐ男子もいず娘はみんな嫁に行って一代限りが決まった義父は山登りが好きなので山へ散骨か、墓を買うか悩んでいたそうです。(ちなみに存命です)

 私も悩むところです。次男の知人も何人かいるのですが、なぜか諸事情で家を継いだ方で、あまり直近で参考にならないものてます。

 先ほども書いた通り、それほど、自分の死に尊厳もこだわりもないので、気楽にボチボチ考えます。

 父と母の墓前で相談も、まあ勝手にしろともちろん答えは貰えません。

お酒に強いは自慢にならない

 お正月は何かとお酒を飲む機会が多いです。しかし、お酒は百薬の長とは言われながらも、年齢により弱くなるとも言われます。

 高年齢の方で今までよく飲んで来た方は肝臓が弱りつつある場合もあります。

 低アルコールのビールや酎ハイ、ノンアルコール飲料、スマドリがオシャレまさにスマートとも言われ出しました。スマドリや、お酒断ちか酒終いを考えてもいい時期です。

 年輩の方はお酒を取り上げられてまで長生きしたくないとか言う人がいますが、いざ病気になって苦しいのはイヤとかやっぱりそんなに早く死にたくないとなるようです。

 そもそもお酒が好き人は、アルコールに強いことや酔わないことを自慢しがちです。飲めない人を飲ませてハラスメントになったり、下戸を低く見て馬鹿にする傾向があります。

 高齢の世代の男性に多いですが、しかし酒が強いは全く自慢できるものではありません。むしろ酒に強い、酒をやめられないのは恥ずべきことです。

 特に高年齢になると肝臓や循環器など、アルコールの健康面でのリスクの方が大きく、ずっとお酒を飲めなかった人の方が確率的には健康で、長寿です。

 だいたい「お酒が強い、酔わない」のを自慢する理由というのは、持って生まれた体質、分解酵素のあるないであり、本人が努力したのでもなく、誇りたい理由すら良く分からない。合理的な説明がつかないものです。

 酔いたいために飲むはずなのに、飲んでもなかなか酔わないという人は、酔うまでの時間は全くムダで、お金を払って何をしてるのか解りません。

 高いお酒を味わえるのがいいのかもしれませんが、他の料理でも楽しめますし、同じ酒を量を重ねる理由にはなりません。

 お酒が好きということは、やはり酔うことが好きなのでしょうから、本当は酔っているはずで、イマイチよく分かりません。

 私のように比較的すぐ赤くなり酔う人の方が、経済的にも明らかに有利な良い体質だと思えてきました。それでも中途半端に飲みにはつき合わされました。

 友人の中には全くアルコールを受け入れず、それでも飲み会に顔を出して割り勘負けしそうですが、楽しそうな人が何人かいます。以前はそういう人の気持ちを理解できなかったですが、今はわかりますし、カッコいいとさえ思います。

 飲み放題につられて飲んで二日酔いとか、やがて肝臓壊すとか成人病は情けなく、カッコ悪いし辛いのです。

 今はノンアルコールでも大変美味しく、見事にビールの泡やキレやコクを原典に近く再現したものなどができています。

 低アルコールでも味は変わりません。アルコール分が濃く6や8だから5より優れているとか、お得ではないのです。

 写真のノンアルコールビールがも本当に良くできています。ドライゼロよりグレードアップしたアサヒゼロは価格も高いですが、味やのどごしが完璧にビールで、醸造酒の二日酔い感すらあるような気がします。確かに値段は高いので、水やお茶でも良いと言えばそれまでです。

 これでビールと同等の値段、ある意味贅沢な楽しみ方と、発想を転換する、酒好きの方はこれが理解できるとこれからも健康で過ごせます。

 人生100年、ファイナンスとともに健康寿命は大切だと言われますが、嗜好品に関してもできることは何だってやるのが健康に近づけることではと思います。

 

新年に一言

 年賀状に一言手書きで添えるテンプレートなんていう、心を込めて手書きするのが良いのにそれのアンチョコを教える何だか本末転倒みたいなサイトがありました。

 そのサイトでは、冒頭、年賀状は世界に誇れる日本の良き風習とされています。

 その割には、郵便料金も上がり、年賀状は終いにされてSNSにとって替わられています。

 若い人は、紙のハガキのやり取りはしない、知らない世代も増えだします。アラカン世代とかで、未だに何枚来るとか書いたって自慢げに呟かれてもかおが広い自慢なのか、アナログなのを自虐してるのかよく分かりません。

 メールだと、まだ多少形式ばったものもありますが、古手の年賀状だとHappyNewYearに混ざり「賀正」「迎春」「謹賀新年」中には「恭賀新年」とか、もはやどういう意味で何がどう違うのかと、この時期だけの謎の熟語が出現していました。

 本文も、久しく会っていなくても「旧年中はお世話になり・・」「本年もよろしく・・」という形式が横行してました。年明けすぐに会う職場や親戚にも元旦に届くかどうか気にしていました。

 世界に誇れる風習?奇習の間違いかと思います。

 新しい年の始まりとして、誰かに何かの決意なり、近況を伝えたりはそれなりの意味なのかと思います。

 しかし、1年越しに会話のキャッチボールをして、1年前書いた一言も忘れて同じように「またどこかで会いたいですね」とか書くのも、書いてくるのも、1枚85円ともなると、リストラされてヨカッタ。

「誠と謀略」戦後80年開戦は避けられたのか考察する

読書レビュー:橋本惠「誠と謀略」岩畔豪雄の知られざる日米和平交渉の記録

 戦後80年という節目の年で、「戦争を知らない世代」の割合が増え、ましてその深層まで掘り起こして知る人は限られてきています。

 このところ太平洋戦争が開戦前に日本人によって敗戦確実と研究されていた「総力戦研究所」の話が取り上げられ、ドラマのモデルが訴訟する件も話題になっています。

 同じ昭和16年やはり、日米間でもワシントンで繰り広げられた知られざる交渉があり、悪化した日米関係を修復しようと外交努力があったことを伝えているのが本書です。

 岩畔豪雄、井川忠雄の名前は私もついぞ存じませんでした。近衛首相や、松岡外相、東條英機ら戦争を止めず前に進めた名前の方が知られています。

 成立しなかった交渉に奔走した男の挫折を、太平洋戦争の裏歴史として、史実に基づき著しています。

 外交はつくづく伝えられる歴史だけでなく実らなかった裏があり、埋もれたものがあります。

 状況の変化もあり、ゼロか1かの成果では語れないものがあります。

 改訂版として、著者のご子息が、重い内容を現代にもわかりやすくされ、使命感を持って令和の時代に再度上梓されています。

 現代でも、世論の勢いだけでは危険であり、国際社会の外交は一筋縄では行かないものがあります。

 敵対的とされる中国やロシアにも、毅然とするだけではなく、人間的な外交努力もしていかないと国益は保てません。

 先の戦争以来、現代の戦争は多くの火器を使い一般市民の多くも巻き込み大変な国土と国民を消耗させる悪手です。

 単に厭戦、平和を望むことを軟弱・お花畑と保守層は揶揄しますが、やはり国と国が戦いもじさぬ時には、その裏ではあらゆる妥協点を見出す外交努力が必要です。

 戦後「戦争を知らない世代」と言われましたが、戦争を知る世代に育てられ多くの生き証人の話を聞けた世代する少なくなっていきます。

 歴史を現代から未来に活かすためにも、保守もリベラルも書を読み、学び、感じて次の日本の舵を取し、行き先を間違わないよう見極めないといけないでしょう。

壁を超えて次の壁も壊せ!

 物価高の中、手取りを増やしてという年収の壁問題がもうかれこれ参議院選挙や首相交代をはさみ1年近くやってるのではと思います。

 所得税非課税の壁を年収178万円にする国民民主党の案に近い形で決着しそうですが、時間もかかりすぎて、何だったけと言う人も多いでしょう。

 103万円が178万円になって何がどうなるか、さらっと説明できる人も案外少ないのではないでしょうか。

 所得税の基礎控除と給与所得控除を合わせた額が103万円から178万円に上がります。扶養でパートやアルバイトで働くのを103万円に抑えていた人がもっと働くことができ、フルタイムで働いていた給与所得者も年収により、3万から4万円ほど所得税が減ります。

 このことは、国民民主党玉木さんも頑張り、伏魔殿と言われる財務省を統括する高市総理もよく応じました。

 しかし、まだ実は所得税の非課税の壁だけではなく、住民税は控除の壁の控除額は変わらず健康保険料や介護保険料の社会保険料負担も大きいまんまです。

 国民年金扶養の壁、健康保険料や介護保険料など、いくつもの壁が存在し、その制度ごとに所得の定義も違い計算は複雑です。

 いろんな制度のルールが必要で、各機関の担当者でないと正確な計算は難しく、確定した金額はその場ですぐには分からない場合もあります。政治家でも専門で部会に入らないとなかなか分からないですし、高収入だと実感がわからない問題もあります。

 壁があるとどうしてもそれを超えるとゼロだったり、少なかったものから急に大きな負担がかかり、せっかく所得を増やしたのがムダになります。

 さらに、減税とか景気対策などで非課税世帯、子供のある世帯だけにポンと手当が支給されると、少し所得がある世帯だとその差は大きくなります。

 ギリギリで非課税を超えてしまって厳しい状況の人こそ助けて欲しいのに、困った事態です。

 社会保険料や住民税は自治体が決めます。国民健康保険だと、自治体にもよるのですが、毎年財政が苦しいと、年収400万程度で今年度年3万円ぐらいはしれっと値上がりしています。

 確かに高齢者など非課税世帯が増えてきてはいますし、就職氷河期など非正規で低い所得水準の人も多いです。収入がある人の保険料負担は増えています。

 物価高で賃金や年金が追いつかなく苦しい層があまりにも多くなってきているため、政府与党に対する不満は長く根深く続いてきています。

 一時的には高市総理の支持は上がりました。

 しかし、目先だけではダメです。

 長い政治不信の根は政治家や官僚が、経済の低迷が続いてもう税や社会保険料を搾取するのにも限界が来ているのことに気がつかないか、分かっていても目先を変えてごまかすからです。

 名前を変えては税金の種類が増えて、義務付けられた社会保険料は騒がれことなくしれっと増えて、実際の手取りは増えない。

 額面の収入が増えれば搾取がさらに増える。

 日本は確かに経済が低迷し、少子高齢化が進んでいますが、もっとできることはあります。本当に弾力のある自由主義経済ではないからです。一部の富裕層と貧困層を除く8割ぐらいの人が同じように働き社会に尽くす社会主義体制と同じです。

 企業献金の改革、公務員の改革、天下りの根絶からです。

 甘い汁を吸ってきた人らには厳しいでしょうが、真正面から取り組むことです。高市さんはやれる素養はあります。玉木国民民主党も吉村維新も他与野党も協力できるはずです。

 おコメ券を配る、給付金、税金の微調整以上に、やるべきこと、やれることは多いのです。歳入や徴収も、財務省の税務署、厚生労働省の年金事務所・労働局、地方自治体とバラバラに非効率にやるのをやめて、マイナンバーを利用してもっとシンプルにできるはずです。

 もう、楽に天下りで管理や事務で高給を貰える仕事はさすがに無くなるでしょう。民間企業でもAIに随分と人間の楽な仕事の幅は狭められてみんな必死です。

 それでも一次産業、高齢者への対応、障碍者や介護、インフラ整備など、人間に残された仕事は沢山あります。

 今は低賃金ですが、構造を根本的に変えて、ロボットやAIと併用しながら労働条件を良くして、そちらにお金を回すのです。

 高市総理の支持が高止まりななるかは、ここまでぐらいやるかです。一時的で一部のお茶濁し程度では、悪評の岸田、石破政権と経済面では大差はありません。

 具体的には年収800万程度までの中間層に対して、ガッツリと減税、社会保険料負担低減を行なうことです。

 財源は税金の挿げ替えではなく、真正面から構造改革で行政のムダを削るのです。今すぐのリストラではなくても、それを担保の国債を発行して、段階的に公務員待遇も天下り先も縮小し、最後は無くすのです。

 税金のたらい回しでは何も良くならない。地球温暖化に対してクーラーを入れるのと同じで、熱交換しているだけでどこかが冷えてもどこかが熱くなるのと同じです。

 どこかの税金を下げ、社会保険料を下げて、どこかに付け替えて増やしても結局付け替えるムダな経費が増えるだけで国民も企業も負担はトータルでは減らないのです。

 これでは経済は回りません。

 バブルの崩壊以降、昭和や平成の前半に大企業や名門企業と言われていたほとんどの会社が、その後次々と苦戦をし、倒産や合併、リストラ、デジタル化の波からDXを経験し、経営者も社員も辛酸を舐める苦労をしてきました。

 ステレオタイプに言われるのは、公務員はどんな不況にもリストラされない、役所は安泰で、基本的にはまさにその通りです。

 民間企業が大変な苦労をしている時代、公務員はどんなに赤字でものうのうと決められたボーナスを貰え、給与もカットされない、もちろん国家機関も省庁を廃止や統合する訳でもなく、人員を減らす訳でもなかったのです。

 省庁のセクト化、縦割りなど、この間むしろ尖鋭化し、横串を通して連携すらるよりも、溝は深まってる印象で、国民も議員も振り回されるのです。

 民主党政権が官僚に抗ってコテンパンに崩された経験は、高市さんも見てきています。だからこそ、ジャンヌダルクよろしく切り崩して欲しいのです。

 多くの企業が令和にはカスタマーの心を掴み生まれ変わっています。外資をはじめ企業にできて政治家、優れた日本人にできないことはないはずです。

 大変困難なことを提案しているようですが、全くごく当たり前のことです。

 

 

 

 

 

 

下剋上ありの優勝戦だから面白い

  年末というと昭和の昔はレコード大賞、歌謡大賞とかの1年の歌謡曲のトップを決める番組が人気でした。

 音楽の多様化が原因なのか、そもそも楽曲に優劣をつけるのがおかしいのか、ヤラセなのが飽きられたのか、人気は無くなりました。年末の歌番組としては総括した歌謡祭的なものや、紅白歌合戦が何とか残っています。

 お笑い、漫才の頂点を決めるというM-1グランプリも波はありましたが、今年の年末も盛り上がっていて、なかなか面白かったです。若手人気漫才師たちが賞金1000万円と名誉を目指し、本気で勝負しているのが伝わります。

 たかがお笑い、漫才であり、それこそある程度の忖度や筋書きはあるとは思われます。しかし、スポーツでもなく、競技でもない芸能の1ジャンルが、なぜか人を引きつけます。ガチンコの真剣勝負が展開され、実際になかなか計算され練習したお笑いとしての面白さとともに、勝負としての面白さもあります。

 一度決勝までに破れた漫才師が敗者復活で勝ち残った下剋上の年もありますし、今回もファーストステージで断トツで最終3組に残ったのに、最終決戦では一票も取れずに優勝を逃す予測できない面白い展開でした。

 このレギュレーションが絶妙なのかもしれません。今人気者のサンドイッチマンも敗者復活で勝ち上がったパターンで吉本でもないどちらかというと弱小事務所所属ですから、出来レースではないガチンコな勝負でした。

 レコード大賞は衰退しましたが、プロスポーツ、他の芸術の映画だとか、文学、音楽、絵画などでも優勝や年度の賞が決められます。

 それぞれに評価のしかたや、決勝、優勝や1位の決め方、審査や発表も違います。スポーツ番組のようなイベントになるものとそうでないものがあります。やはり、ヤラセや忖度で決まったドラマ的なものよりも、実力者が真剣にぶつかりあい雌雄を決する真剣味に人気が集まり、その賞やチャンピオンシップに権威が保たれいると思います。

 プロレスや総合格闘技も大相撲も栄枯盛衰があり、一時は国民的人気があったり、大晦日に特番もやる人気コンテンツでしたが、やはり筋書きやレギュレーションにヤラセが見えてしまい人気が落ちました。

 そういう面では、野球なんかも今のオオタニ人気にあぐらをかいてるとダメです、クライマックスシリーズなんかの解かりにくいレギュレーションでは衰退の恐れがあります。

 クライマックスシリーズも日本シリーズも下剋上ありのその時点での最強がガチンコでやるところを見せないと、やがてスターがいなくなりレコード大賞のように凋落すると思われます。

 昭和の歌謡曲もプロレスも好きだったのですがね。