孤独を楽しめる人、弱い人

 若い頃は否応なしに学校や職場があり、全く一人になることは少ないものです。

 それでも、やたらに群れたがる人や、まとわりつくかのようについて来たがる人はいます。寂しがりというのか、全く一人で何か調べてことを成すのが苦手な人はいます。難しくいえば群衆、仲間の中の孤独というのも

 私なんかは、人と一緒にいることがそう好きではない人間もいますが、俗には世渡り下手とか人間嫌い、逆張りとか、変わった人と言われます。

 写真のように、閑散駅が大好きです。鉄道の駅でも、大都市の繁華街や、住宅街の朝夕のラッシュなどは、仕方なく利用はしますが基本的には嫌いです。

 典型的なのは、昨日も少しディスった万博とか、行列のできる店や展覧会でしょうか。

 話題に遅れないようとか、みんなが行ってるからと、行列に並ぶなら、誰もいない秘境駅で長時間いる方が良いです。

 全く、有名なところへ行かなと言うほどひねくれものではなく、それなりに行きたい所がそんなに混んでないか、同類マニア以外誰もいないというだけです。

 マズローの欲求段階説に、生理的欲求、安全の欲求の次に、仲間への帰属社会的欲求がありますが、はてしてそうなのかと思います。

 その上位に、仲間から、承認・尊重される段階があり、最上に自分らしさの追求、自己実現という階層があるとされます。しかし、別に孤独を楽しんで他人や仲間に承認・尊重されずとも、孤独で幸せだと思えるなら、それのが最上の自己実現、自分らしさです。

 そもそも、自己実現は自分のものであり、仲間への帰属、承認がその下位の層にあるのは変です。

 私は、そこまで完璧に人付き合いが嫌いでもないですが、いざ約束して、会うとなる話題をどうしようとか、まして大勢となると、好き嫌いも出てきて合わせるのも面倒です。

 大勢で上っ面だけのジャガイモ相手ならいいですが、3人とか小人数で密に話さないといけないと、それなりに厄介です。これは人と交わるメリット、デメリットで、仲間への帰属と言っても、変に疲れるだけならムダだとは思うでしょう。

 若い頃は人それぞれでいいですが、仕事を辞め、還暦過ぎて、会う人が減りだすと孤独力が見事に試されます。

 私は最初、お金の問題かなと思いました。

 売れっ子のミステリ作家でセミリタイアした森博嗣あたりが、人づきあい悪いこと、孤独の楽しみを書いてても、「あんたお金持ってモノも買えるし、遊びにも使えるしや」と考えました。

 しかし、これは比較的地味に年金暮らしなどの方でも、悟っているかの問題のようです。

 あえて人とつながりたがらず、誰とも話さず、誰にも会わずでも不安や心配がないと明言している人もいて、感心しました。

 やはり孤独力があるとは、そうだなとも思いました。

 惨めなのは、権力を持っていてあたかも自己実現に達したと思っていた人が、財や権力、体力を失い、友や家族も去られて孤独に勝てない姿です。

 友達がいる家族がいるというのは、自分ではないのです。自分を紹介する時、誰々の友達とか、子供や孫のプロフィールは違います。自分が何を考え、何をやっていくかです。

 人に無理して付き合うのも、波長が合っていれば楽しい時間かもしれませんが、どこかで切れてしまいます。ロスを味わい挿げ替え続けても、最後はやはり自分です。

 人と交わると、多くの人は自分と比べてしまい、嫉妬たとか、競争心、逼迫感や劣等感などさまざまな感情が湧いてしまい、悟りきれないのです。

 孤独力は人と交わろうが、交じるまいが、自分一人で切り開く力です。

 孤独な時間が愛せるかが、落ち着いた時期の人間の肝要ではないかと思い、そうありたいと思います。

 年齢を重ねてから、マズローの3段階、4段階を気にして、昔のことを思い返し、語っても今さら新たに義理以外では承認は貰えないでしょう。

 いろんな意味でマズローの欲求段階説は合いません。

 人やその成長に階層はないのです。

 

万博の年

大阪で3度目の万博があった今年2025年ももう終わりです。

 大阪では1970年の吹田での日本万国博覧会、1990年鶴見緑地での国際花と緑の博覧会に続き、夢洲で大阪関西万博が開かれました。

 1970年の万博で小学生だった世代は、お金と時間ができて夢洲に何度も訪れた人もいますし、「今さら?万博」とスルーした人もいます。

 営業というか、動員的には目標達成、成功したのか、元々の目標設定が弱気で低かったのかもしれませんが、一応最低限の目標はクリアしたようです。

 国をあげて発展途上に近かった1970年のパワーとは比べられません。

 当時小学生だった世代が.若手社員のバブル期に迎えた1970年の、ワンテーマ博覧会花と緑の博覧会を少し上回る動員程度です。

 こういう風に書くから、私は関西万博アンチとお叱りを受けるのでしょうか。

 一応、モビリティの未来と、京都市絡みで関西のパビリオンは行きましたし、地下鉄は何度も乗りました。

 個人の好みで、結果オーライみたいに「可愛い」と言われてますが、私は一貫してキャラクターの「ミャクミャク」はキモいと思う派で、好きか嫌いかで言うと嫌いです。

 あれがもう少し可愛いと動員もグッズの売れ行きも増えたと思います。

 普通に考えて、人気のあるゆるキャラのような可愛さや、アニメ的なカッコよさなら、少なくとも推しが増えて、何倍かはグッズも売れもっと動員にも繋がつたでしょう。

 好みはあくまで個人の感想です。

 しかし、万博が後半から人気が出てきたように言われますが、バイアスのかかった錯覚です。格安の通期パスのリピーターも多かったようで、このあたりは初期段階での動員が弱気で自信が無かった感が伺えます。規模は70年ほどではないしろ、あれだけの大屋根リングはじめ多くのパビリオンを作ったので強気の設定で良かったのではと思います。

 関西の経済からいうと、やはり跡地のIRが早くできることです。関西らしい元気で活力ある施設を何とか早く作らないと、万博ロスが重くのしかかりそうです。

 怪しげな金の流れが黙認され、破産者も絶たないパチンコやスロットが認められてます。公営で競馬競輪、宝くじが大金使ってテレビCMしてるのに、今さらカジノ反対とかいう上っ面だけのキレイ事二枚舌は何とか黙っていていただきたい。カジノがギャンブル中毒に繋がると反対なら、身近で破産者も沢山産むパチンコや競輪競馬もやめされるように訴えるべきです。

 私は、IRリゾートも人が多いとイヤで.ギャンブルはからっきしなので、まあ静かな万博公園跡地が好きではありますが。

 千里の万博公園も、鶴見緑地も大阪近郊とは思えない広々としてゆったりした癒しのエリアです。関西が首都圏に比べると人が少ないのも分かります。このぐらいのゆとりがある方が良いです。

健康保険料はとにかく複雑で高い

 60歳の定年後、再雇用には応じず、仕事を探している時、ライフプランの勉強にもなると、区役所や年金事務所に勤めていました。

 その後も労働保険や、裁判所の民事部で破産や過料、市役所の土地の開発許可などのけっこう難しい受付や審査事務をやってきました。

 久しぶりに役所に手続きに行く側になり、よく面倒くさくみんな行くものだと思います。

 そんな私でさえ、国民健康保険料の減免手続き、計算のややこしさと、その支払う金額の多さには愕然とします。。

 こんな手続きの受付を毎日していたのかと思うとびっくりしますが、もう少しシンプルにならないかとも思います。

 専門の方が電卓を叩き、ソフトを使ってもかなりの時間をかけていました。もちろん間違いは許されないお金の計算ですが、複雑を極めてなかなか素人がササッとやれるのではありません。

 そして、やはり高いです。今、年収178万円に税金控除の壁を上げると騒がれますが、やはり本丸の問題は社会保険料です。

 そう稼いでない庶民には所得税よりも住民税が高く、さらに健康保険料、介護保険料の比率が高いのはこの物価高とくに厳しいです。

 医療費控除や、寄付金控除などで少し税金を還付してもらったところで、なけなしの給料や、年金からガッツリと社会保険料を払わないといけません。

 参議院選挙では日本維新の会がこの少子化でいま、社会保険料とくに健康保険の仕組みを改善する公約を掲げていました。最終的には与党に入った維新ですが、この公約は地味で参議院選挙には惨敗でした。

 結局、維新の政策の中でもプライオリティイは下になり、議員定数削減が連立の条件となって、現在に至ります。

 その議員定数削減すら有耶無耶になりそうですし、実際議員が減ったところで、当面国民には大したメリットはありません。

 特定の上級国民や利権に繋がる層だけが潤い、世の中にはびこり、日本の経済を長く停滞させた仕組みを改善していかないといけないのに、総理が変わってもやはりこのあたりに自民党では勢いのついたアクションはありません。

 与党にしろ、公明、国民民主や参政、立憲やれいわでもここらの手取りを増やす国民への思いは共有できるはずです。

 大きな改革を伴う政策を進めるにはやはり目先の利害が絡み反対の声も必ず上がります。それを精査して、抑えながらも剛力で進めないと、この国は末期を迎えます。

 健康保険の負担を減らす医療の抜本的改革をすれば、医療現場が困り中小の経営の苦しい病院や医者や看護師も困るんだと訳知り顔で反論する人がいます。

 健保財政のために高齢者や現役世代の中間層の負担を増やすのは悪手です。

 医療機関、医師会、医療機器や製薬へのムダな支出を根本から見直しです。

 湿布や消毒、痛み止め程度には健康保険は使えない、そこからでも一歩です。

 日本だけが検診機器も多く、その負担が患者に回っています。

 農業だと零細農家だったり、どこの業界でも人質のように弱者を前面に出して改革を妨げる向きがありますが、議論の前提が違います。

 ムダを無くすことに、基本的に聖域も弱者もないはずです。

 医療の現場でも、農業、建設、政治、役所、業界団体、要らない組織やムダな活動を改めて、時限を決めて廃止して未来に病巣を残さないことが、日本のこれからに大事なことです。

 ここで改革しないと、維新の猪瀬直樹議員が著書「昭和16年の敗戦」に例えて主張されたとおり、日米開戦の時と同じく分かっていながら敗北への道に進むのに手をつけないということです。

 少子化のまま社会保険料、医療費が膨大になって破滅に向かうのです。

 

イジメは無くならない!? 

(画像は東映)

 ミステリなどでも犯人や動機にイジメを題材にしたものがあります。

 最近見た考察ドラマ、暴露系の映画などにも、学校でのイジメを糾弾するものから、ネットの暴力など広い意味でのイジメを問題にしているものも多くあります。

 最終的には、意識せずにイジメる側になっていた大衆が本当の最も性質の悪い犯人である的な結末もあります。

 いずれにせよ、結末がイヤな気分にさせされるイヤミスに分類されそうです。何せ、いくら正義のヒーローが戦っても、探偵が解決しても、イジメ側の全員を裁くことはできません。

 私自身も、学校でも職場でもイジメやパワハラを受けたような経験も少しありますし、また気づかずに逆の立場になっていたこともあります。

 イジメ側に入らないとイジメられるからとか、自分かこうやってイジメられた仕返しのための場合もあります。

 イジメるリーダー側から見れば、意識もなく知らずにの場合もあります。厳格な正義感や、潔癖症、指導のために、ハラスメントになっていて、周りが協調してしまうと、立派なイジメの構図が出来上がります。

 もちろん、多くの場合、未然に最悪の事態は防がれる場合もあります。

 それでも、理不尽なイジメが続き、悪質なものは後を絶ちません。極端な自殺や離職や転校はなくても、波風立てず事なかれ主義の下に妥協して苦しんでいる人も沢山いるでしょう。

 ハラスメントの通報、相談所など、システムはある程度はできていますが、グレーゾーンも多く、難しい面があります。

 また、いわゆるネット上のイジメはさらに取り締まりは難しいでしょう。。

 有名人はもとより、政治の世界でも議員や閣僚、首長、候補者などが、一つ間違うと大変な誹謗中傷に合う時代です。

 自由主義経済や、国際社会の政治すらが、元々大衆を巧みに扇動していますから、大枠でのイジメのような構図は無くならないのでしょうか。

 儲けた方が勝ち、強い者が生き残る社会の構図と、人間の正義を守る戦いはドラマのようには終わらないです。

戦後80年、あの万博から55年で進化してない

 関西で日本万国博覧会からは55年が経って、戦後80年と言われる今年です。

 いろいろな未来が語られたのですが、1970年の万博から少なくとも55年、世界から戦争は無くなっていません。

 戦争のやり方も、国民を扇動し軍隊を投入して、火器を使い国を消耗させてるのは変わらず進歩がありません。

 かつては、国王や貴族が企み、兵士だけが戦うのが戦争でしたが、近代になり市民を巻き込み国全体が犠牲を出して戦う形態に変化はありません。

 世界の情報が素早く手に入り、人権が叫ばれるものの、飛躍的に改善されたものはなきのです。

 携帯電話がスマホとなり、テレビ電話も格安で実現しましたが、80年経ってその他はどうでしょう。

 新幹線は、速度が上がった程度で、空を飛ぶわけでもありません。空飛ぶクルマと言っても、昔からのヘリコプターと大きな差はない詐欺みたいなのでした。

 子供の頃、あちらこちらに透明チューブに入って移動する乗り物がイメージされ、人間は歩いて混雑する電車に乗ることもなくなると想像されていました。

 ましてやタイムマシンもできる予定すらありません。

 その他にも大した未来はまだ実現していませんし、予定もされていません。

 建設するコストは上がり、今の計画はどんどん後ろに倒しです。そのうち、今のインフラも老朽化していきそうです。

 静かに進化の袋小路が見えたのを、そろそろみんな気づかないといけないのかもしれません。

 これから先画期的な発明もなく、ネタ切れをごまかす焼き直しのような改善と陳腐化が繰り返され、それを見ないふりして楽しんでいくしかないのです。

 歴史とは、そういうものだったのです。

 

もはや国土軸弱体の主犯、JR分割

 国鉄からJRになって、大赤字から脱却して、地域に密着したきめ細かいサービスができる会社になったと思われています。

 しかし、実態としては、国鉄時代と大して変わらない親方日の丸で融通が利かず、えらそうなお役人体質のまま、利益を追求するが故に利用者そっちのけエゴ丸出しのセクト化に走っています。

 モータリゼーションの時代であり、世界的にも鉄道の採算は厳しく、将来は厳しいものです。ホテルや飲食、不動産などさまざまな鉄道以外の事業で稼いでいるのも、民営化されて良かった面と言われます。しかし、肝心の本業である公共交通、インフラとしての利便性追求、国土軸の未来への役割を忘れては困ります。

 JR同士で、ここに新幹線を作るから、在来線は三セクに回る。エリアが輻輳すると、ライバル会社のように揉めだして、話が進まない。

 自社エリアを超えてICカードが使えない。

 自社のWEBサイトや予約サイト、アプリにしても、普通の民間企業より垢抜けない使いづらさのままです。他社の新幹線や特急が予約はしにくいなど、今どきもっての他のレベルです。旅行慣れして、何度も使えば少し使いこなせるけれど、JRの仲の悪さが良く分かります。

 リニアとか新幹線の延伸は国家レベルの話です。自治体に賛否の意見があるのは分かっても、JR同士で対立があるのは情けないです。

 こんなことやってるから、中国やフランスにも勝てないまんまなのです。

 同じ条件のローカル線でも、東海道新幹線で黒字の東海のエリアだから廃止を免れるとか、地元負担が少ないというのは明らかな差別、不公平です。

 国土軸を見据え、JR全体を俯瞰した経営のできるホールディングス会社に統合すれば、競争性や利便性を保ちながら多くの問題が解消できるのです。

 民間ではかつてライバルだった阪急と阪神など多くの業界で存続のため、外資からの防衛のため、必死で統合しています。のうのうと、痴話喧嘩のようなまんまのJRではダメです。

 

スターと言う虚像

 本年6月、日本プロ野球に多大な貢献をしたスター選手長嶋茂雄さんが亡くなりました。

 打撃部門に長嶋茂雄賞を制定しようという話が決まりました。

 スポーツや趣味が多角的になった現代大谷翔平という脅威のスーパースターこそいますが、現役時代の背番号3長嶋茂雄の人気は当時としては凄まじかったものです。

 しかし、その人気の現役時代を知る人もかなり高齢となっています。

 その長嶋茂雄も、引退後ポロリと「長嶋茂雄というスターを演じるのに疲れた」と漏らしています。

 スターへの幻想、スターの現実があり、一般のファンが見せられているのは幻想なのが分かります。

 アイドルは、スキャンダルを隠しながらアイドルを演じているのです。

 これは、その後のスター選手、大谷翔平にしろ、演出し、見せている幻想でしょう。

 もちろん、これは他のアスリート、芸術家、タレントでも、スターと呼ばれる層でも、見せているものです。

 マスコミが巧みにリードするスターのストーリーに踊らされ、酔うようにできているのです。

 オーラが見えるというのは、テレビや周囲が作っている上手い幻想です。

 大谷翔平選手がWBCの決勝アメリカ戦前に、スーパースターに臆さないために「憧れるのはやめましょう」と激を飛ばしたのが名言と言われています。

 それは、見ている方にこそ、感じるべき言葉です。

 私からすると、ルールも分からないで応援するような憧れに出費を重ねるのはやめにしたらと思います。

 スターはあくまでも作られたもので、家族にも、近所にも友人にも、地元の町にも推すべき人はいっぱいいます。

 

中国に規模も技術も大差開けられ、有事どころではない

 台湾有事の高市総理発言が勇ましいと、一部元気づいた右翼は戦争も辞さず、中国との観光や貿易なども断絶でいいと威勢のいいことを言っています。さすがに、それはちょっと行き過ぎ、足元が見えていません。

 確かに、防衛や同盟は必要ですが、中国の現在の国力を考えれば、アメリカの様子見もしながら、中国とは喧嘩せず上手くやっていくしかないのです。

 そこそこの年齢の方で、中国アンチの方は、どうしてもメイド・イン・チャイナ劣悪バイアスにかかっています。日清戦争同様、日本の自衛隊は精鋭だから少数でもいざとなれば勝てるとさえ思っている人もいます。

 そこまでいかなくても、大きくなり、技術も進んだ中国の経済力の規模や発展がイメージできていないのは困りものです。

 大学の世界ランキングでも、もう十数年、日本の国立大学よりも、いろいろな観点で優れた評価をされ、学生を輩出している大学が沢山あります。

 単に中国語が英語に似て文法が理解されやすいとかのレベルではなく、国家が教育、学術にかける予算が違いすぎるのです。

 軍事も経済もその差は大きくなっています。

 実際に通信や交通を取ってもその進化の差は歴然です。クルマの業界でもEVの売上シェアでもそうですが、自動運転の技術もどんどん進んでおり、ライドシェアがタクシー業界や役所の反対で進まない国との開きは増すばかりです。

 私の好きな鉄道においても、中国が新幹線技術をパクったとか、事故を揉み消したと、あれこれ言ってる間に、莫大な国家予算を投じて新幹線網を4万キロに延ばしています。これは新幹線がたった3300キロの日本の10倍以上で、日本中のJRを合わせた2倍以上の距離を新幹線より速い最高速度380キロメートルの高速鉄道が走ってるのです。

 乗り心地や、騒音、定時制、安全性と日本の優れた面はあるとは言え、それは日本が宣伝する立ち位置でのスペックです。日本の新幹線はたった100キロか200キロちょっとで未成のままの北陸新幹線や西九州新幹線がなかなかできない、リニアもできないまんまです。できるのは30年先とさえ言われます。

 事故は少ないと言っても、料金が高く、工事費や工期が何十倍もかかればクォリティとしては当たり前に求められるレベルです。海外に売って出るには、最高速度や安全性はもちろん、工事費やその後のメンテナンス費用も競争できるレベルでないと無理です。

 リニアや北陸新幹線が苦労してできた頃には、空飛ぶ車とか別のモビリティができて無用の長物になっていそうな鈍足ぶりです。

 20年もかかれば中国は日本中の鉄道のキロ数を新幹線にするほどの進化を遂げた、権力があり独裁の政治体制だからと、批判はあれども、喧嘩して簡単に勝てる相手ではありません。

 だから付き合いたくなく思っても、残念ながらこの国はすぐ近隣にいる訳です。

 日本は喧嘩してる場合ではなく、しっかりと共存し、技術を蓄え経済で負けないことです。

 自動運転のところでも書きましたが、新幹線でも、コメでも、医療、その他どの業界でも、体制の既得権益だとか、地元やらの利害で遅々として進まない。

 どこの業界も、役所が悪絡みして、既得権者が反対して、改革が進まないし、価格が下がらず、消費者が損を食うだけでなく、もはや国の仕組みとして一党独裁の中国に遅れてるんだという自覚もない。

 保守や右翼が中国に勝ちたいというなら、日本を改革して経済力で打ち勝つようにしろと強く言いたいほどの日本の体たらくです。

 こういう論調を目にすると、中国寄りとか、体制批判めいていると嫌う人がいますが、国を愛するからこそ、中国なんぞに負けて欲しくないわけです。

 新幹線の優れた技術を究めた国だからこそ、次のモビリティや産業、文化の主導権を日本の叡智で取って欲しいのです。

 

挑戦する気持ちを忘れない

 昨日は京都テルサでのトークショーのあと、夜は長年勤めた会社の同年代仲間とプチ忘年会。

 3人の集まりですが、1年の間には、それぞれいろんな出会いや別れ、心身の変化があるようです。

 会社時代の終わり頃をみていると、私よりも若い頃に頑張ってエラくなっていた連中がアップデートできずに、色褪せた晩年を迎えていたようです。

 若い頃のイケイケの努力の貯金が尽きたような残念な人がいて、パソコンや会計学、経営学、英語などが必須の時代についていけてないのです。

 これらの基礎の勉強は必要と言われていても、私が勉強していてもそんなもの今の仕事にすぐ役たたないと軽んじて言う人が多かったです。

 そういう勉強とか努力ってのは、今すぐ役立つかどうかなんて分からないものです。

 学校で、いろんな教科を学んで、部活で練習したことも、それぞれすぐに社会で役立つからとやったわけでもなく、実際には生涯で何のために学んだか分からないままの努力もあります。

 それでも、何かに挑戦し、努力した時間というのはかけがえのないものであり、人間が生きていく糧です。

 若い頃の努力が多い、恵まれた立場も人もいます。それでも努力を続け勉強して更に徳を積み重ねた人もいますし、努力を忘れ徳が無くなって生きる糧を見失いかける人もいます。

 身体は高齢に差し掛かると衰える部位もあります。しかし、筋肉は鍛えればつきますし、脳も勉強すれば、常にアップデートし、進化していくものです。

 若い頃に大して努力しなかったのなら、今もう一度学ぶのも全然ありでしょう。

 人生100歳時代と言われますが、60過ぎてあと30年だとして、若い頃の貯金だけで暮らすのはもったいなさ過ぎます。新しい糧を見つけて、努力するのも必要かと言われています。

行列に並ぶのは下品 食事を写すのもマナー違反?

 私もですが、ついつい外食で、写真を撮ってアップしてしまう癖がついている人は増えました。

 まだ定年前の10年ぐらい前だは、男の私が料理の写真を撮ると「あれっ?何してる」と見られ、写真を撮る人の割合は少なくSNSに上げると言うと奇異に見られました。

 よく考えると、あまり上品な行為ではありません。お店も宣伝になるから慣れてはいますが、本来はあんまり見せたくないホンネもあるはずです。

 そして、みんなラーメン屋など、一度ブームになるとか、地域初出店だとやたら並ぶのです。

 グルメだけでなく、芸術、万博やテーマパークでも、みんな平気で長蛇の列に並びます。

 スマホもあると、動画見たりゲームで時間は潰せますが、待っているのは真夏など特に苦痛のはずですし、非生産的時間です。

 私は商店街に生まれ育った店屋の子なのですが、よその店に並ぶことは、親からは禁じられていました。

 混んでいる時には、その店に行くなということです。

 お店がてんてこ舞いな時に、さらに並ばれてもイヤだろうし、空いてる時間に行くのが礼儀だとされ、いずれにせよ、そんな時はサービスも低下するからです。

 京都でも、行列が当たり前の和菓子や中華等が増えましたが、地元民には微妙です。インバウンド用のメニューにしているところもありますし、次から次にお客さんが来て、入れ食い状態になれば、悪気はなくてもサービスは落ちます。

 予約のシステムも増えて来て、飲食は本来行列無しで成り立つはずです。

 新規開店などで、サクラの行列を見て、良い店と思うのは愚かです。本来、並ばせるということは、お客さんへの的確な対応がなっていないということです。

 新規や奇異をてらうのに飛びつくのは、少し恥ずかしいと思う人が増えれば何かと町が落ち着くと思うのです。

 並ぶのに慣れた人はちょっと困りものです。ほっとけと言われそうですが、品がなく恥ずかしいし、時間的にもムダな行為だという考えがあることはわかって欲しい点です。

 行列ができる店というのは、上品な人が避ける店です。