挑戦する気持ちを忘れない

 昨日は京都テルサでのトークショーのあと、夜は長年勤めた会社の同年代仲間とプチ忘年会。

 3人の集まりですが、1年の間には、それぞれいろんな出会いや別れ、心身の変化があるようです。

 会社時代の終わり頃をみていると、私よりも若い頃に頑張ってエラくなっていた連中がアップデートできずに、色褪せた晩年を迎えていたようです。

 若い頃のイケイケの努力の貯金が尽きたような残念な人がいて、パソコンや会計学、経営学、英語などが必須の時代についていけてないのです。

 これらの基礎の勉強は必要と言われていても、私が勉強していてもそんなもの今の仕事にすぐ役たたないと軽んじて言う人が多かったです。

 そういう勉強とか努力ってのは、今すぐ役立つかどうかなんて分からないものです。

 学校で、いろんな教科を学んで、部活で練習したことも、それぞれすぐに社会で役立つからとやったわけでもなく、実際には生涯で何のために学んだか分からないままの努力もあります。

 それでも、何かに挑戦し、努力した時間というのはかけがえのないものであり、人間が生きていく糧です。

 若い頃の努力が多い、恵まれた立場も人もいます。それでも努力を続け勉強して更に徳を積み重ねた人もいますし、努力を忘れ徳が無くなって生きる糧を見失いかける人もいます。

 身体は高齢に差し掛かると衰える部位もあります。しかし、筋肉は鍛えればつきますし、脳も勉強すれば、常にアップデートし、進化していくものです。

 若い頃に大して努力しなかったのなら、今もう一度学ぶのも全然ありでしょう。

 人生100歳時代と言われますが、60過ぎてあと30年だとして、若い頃の貯金だけで暮らすのはもったいなさ過ぎます。新しい糧を見つけて、努力するのも必要かと言われています。

行列に並ぶのは下品 食事を写すのもマナー違反?

 私もですが、ついつい外食で、写真を撮ってアップしてしまう癖がついている人は増えました。

 まだ定年前の10年ぐらい前だは、男の私が料理の写真を撮ると「あれっ?何してる」と見られ、写真を撮る人の割合は少なくSNSに上げると言うと奇異に見られました。

 よく考えると、あまり上品な行為ではありません。お店も宣伝になるから慣れてはいますが、本来はあんまり見せたくないホンネもあるはずです。

 そして、みんなラーメン屋など、一度ブームになるとか、地域初出店だとやたら並ぶのです。

 グルメだけでなく、芸術、万博やテーマパークでも、みんな平気で長蛇の列に並びます。

 スマホもあると、動画見たりゲームで時間は潰せますが、待っているのは真夏など特に苦痛のはずですし、非生産的時間です。

 私は商店街に生まれ育った店屋の子なのですが、よその店に並ぶことは、親からは禁じられていました。

 混んでいる時には、その店に行くなということです。

 お店がてんてこ舞いな時に、さらに並ばれてもイヤだろうし、空いてる時間に行くのが礼儀だとされ、いずれにせよ、そんな時はサービスも低下するからです。

 京都でも、行列が当たり前の和菓子や中華等が増えましたが、地元民には微妙です。インバウンド用のメニューにしているところもありますし、次から次にお客さんが来て、入れ食い状態になれば、悪気はなくてもサービスは落ちます。

 予約のシステムも増えて来て、飲食は本来行列無しで成り立つはずです。

 新規開店などで、サクラの行列を見て、良い店と思うのは愚かです。本来、並ばせるということは、お客さんへの的確な対応がなっていないということです。

 新規や奇異をてらうのに飛びつくのは、少し恥ずかしいと思う人が増えれば何かと町が落ち着くと思うのです。

 並ぶのに慣れた人はちょっと困りものです。ほっとけと言われそうですが、品がなく恥ずかしいし、時間的にもムダな行為だという考えがあることはわかって欲しい点です。

 行列ができる店というのは、上品な人が避ける店です。

都会でも生き残っている商店街は一部[回想昭和①]

 こちらは先日訪れた大阪の下町商店街。かつてはアーケードや舗装等からも賑わっていたのが想像できます。

 私は京都市内、ど真ん中の町家、商店街の店舗付き住宅に生まれ育ちました。今は実家は両親も亡くなり廃業し、売却しております。

 それでも地元の友達らの残る商店街は世代交代しながらも、個性ある店を入れたりして、健闘しています。

 もちろん、かつては生鮮食料品や日用品を買う人で夕方は賑わい、今頃の規制、年末は現代のインバウンドいっぱいの観光地なみに混んでしました。

 昭和40年代から50年代、コンビニやドラッグストアもまだなく、大型のスーパーも少ない時代、間違いなく地元の商店で誰もが買い物をしたのです。

 かつては、どこの地方都市にも活気のある商店街や市場があり、バスや自転車で遠くからも買い物に来られていました。

 電気屋さんや、薬局が、量販店に勝てなくなった理由はすぐ分かります。

 思い出してみると、お米屋さん、酒屋さん、タバコ屋さん、八百屋さん、豆腐屋さんなど、果物や鶏卵、豆などの専門店、今は見かけない業種のお店もたくさんあって、賑わいを支え合っていました。

「スーパーのが、ワンストップで何もかも揃う、コンビニのが便利、ネットショップでいいじゃない」の声もしょうがないのです。

 昔は1つの地域でお酒やタバコ、お米などは免許などで決められた店でしか買うことができない独占だったのです。家電や薬、化粧品なども業界団体があり、メーカーもあそこにもどこにもと、卸すことはしませんでした。

 取扱も価格設定も、規制緩和でほぼ自由になると、大手でないと生き残れない時代が来ます。

 メーカーや卸の立場でも、イオンだとか、セブンイレブン、マツモトキヨシ、Amazonだとか、たくさん買って売ってくれる企業体を有利な条件にせざるわ得ません。

 世知辛いですが、メーカーは商品価格も、提案もときには商品開発まで、大手を優遇してしまいます。商店街や住宅街にある個人経営のお店など、下手するとポイント値引きした後の大手やAmazonで売ってるよりも高い値段で仕入れさせられています。

 メーカーに勤めている時も、取引条件は、会社の利益と売上に関わり相反する時もある極めて難しい問題でした。

 たくさん買う人を優遇することが、結果的には小さな町の商店を淘汰してしまった。廃れた商店街を見ると、それだけが原因ではないでしょうが、そこここに賑やかな時代の栄華が見えて哀しいものです。

 子供の頃、12月は近所の商店街の大人達もかきいれ時で殺気だっていました。週休2日どころか、休みなしでみんな頑張ってました。

 ちょっと景気が悪いと、「正月のお餅やおせちも買えない」とハッパを掛け合っていました。

 ちょっと重たい回想ですが、別の切り口でまた別の機会に続きを書きます。

Jリーグも観客動員最高更新して終了

 1993年華々しくスタートしたJリーグ、バブルが弾け低迷期、コロナからも回復してJ1過去最高の800万人の観客動員で2025年シーズンが終わりました。

 NPB.日本のプロ野球も一足先に、ポストシーズンの日本シリーズも含めて終了し、こちらもセパとも過去最高の観客動員だったようです。

 チケット代金や飲食も値上がりしている中、グッズもよく売れてビジネスとしても成功しています。Jリーグの理念、地域の活性としても成功しています。パ・リーグなども昭和の時代はガラガラでやっていました。セ・リーグでさえ、巨人以外の球団は巨人戦と優勝でもかからないと、満員になることもなく、余裕で当日チケットを買えました。

 パ・リーグの最下位のチームや優勝の可能性の無くなったサッカーの、いわゆる消化試合のチケットが取りにくく、何万人ものファンが集まりユニフォームに身を包んで応援するなど、昭和、バブル期でも考えられないことでした。

 景気が悪い、物価が高いと言いながら、スポーツ観戦、推しの趣味にはお金を使う心理なのです。

 一つにはマーケティング手法、消費者心理まで研究した経営戦略が身を結んでいるのでしょう。

 景気が悪く、ストレスが多く、自分の身の回りがままならないほど、スポーツや娯楽で発散する行動なのでしょう。

 ロサンゼルスまで行っての大谷さんの応援ツアーが売れるのも、何ともうらやましいようなビジネスです。

 なけなしの大金はたいて生活の困窮してたら、合法的ですが、お金の減り方は悪質な詐欺商法と変わらないくらいです。

 オリンピック含めて、スポーツに熱くなりすぎない人は、その分は少なくともお金と時間が貯まる気がします。

昔イメージの未来の食はグルメの対極

 昭和のSFのドラマや映画で描かれた未来の食事は、宇宙食のように簡単に食べられるイメージでした。

 宇宙船内では重力の関係で、パックから吸うような、今のゼリー飲料、固形や錠剤でもバランス良く栄養が取れて味付けされ空腹が収まるものが想像されていました。

 ウイダーやカロリーメイトなどの感じですね。今もモーレツに働く高市総理はそんな感じでしょうか。今だとブラック企業が、24時間戦えますかと昭和では栄養ドリンク飲んで働いて働いて働いて働いて働いてのモーレツ社員もいました。

 動物は食事を味わうことはなく、必要な栄養を危険を避け、そそくさと取り入れます。交尾も危険を避けて手ばやく済ませます。

 人間もかつては飢えさえ、しのげば満足だった時代が長かったはずです。

 貴族や富裕層から食事を贅沢に楽しむようになりました。

 昭和の頃あるSF作家は、未来の食事を宇宙食のようになるのかと言う質問に、真逆の回答をされていました。

 手間暇かけた味や見栄えが良く、栄養は少ない食事を、時間をかけて味わうようになる。と正鵠を得た予言をされていました。性行為が、妊娠のためではなく、営みを楽しむためだけになってきたのと同じようにと、不適切なタブー的発言もありました。

 今は庶民でさえ、有名なラーメン店やらには行列を作り、ちょっとしたイベントの後では家族や仲間で豪華なディナーを囲みます。

 人間の社会が豊かになり、油断していても大丈夫な世界になったのは喜ばしいことでしょう。

 熊の出没などは、自然界が驕れる人間へ警鐘をしているのかもしれません。

 

都会の人も田舎の人もわがまま

 北陸新幹線、西九州新幹線等の整備新幹線、あるいはリニア中央新幹線もですが、推進と反対の利害が激しく対立してなかなか進みません。

 外交などもそうで、政治とはそういうものかとも思いますが、国の未来を思うと交通インフラの店晒し、先送りは残念です。

 都会であれ、地方であれ、自分の生まれ育った街、住み慣れた街が大事なのは分かります。

 それぞれの地域の意見は、間違いではなく、そもそもゼロか1かの議論ではないのです。

 全国に高速道路と新幹線網を巡られて、地域格差を無くし強靭で豊かな国土を作ろうというのは、1970年代に田中角栄ら政府が描いて決めた国家戦略です。

 その戦略の推進によって、戦後日本が発展したのは間違いありません。その後オイルショックやバブルの崩壊で、戦略は完遂されないまま、少子高齢化で人口は減少し、都会と田舎の格差はまた広がりつつあります。

 50年以上前の計画なので、見直しも必要という意見も間違いではありません。

 しかし、都会と地方の格差をなくすという考えは、過度に集中した現在の首都圏などを考えると、少なくとも全否定されるものではないでしょう。

 東京が政治、行政、経済、文化の中心で官公庁が集まり、企業の本社が集中するのも、以前はそれが便利で企図されて進みました。

 ネットの時代で、オンラインで申請やら何でもできるに、もはや多くの会社や人が集まるのに、いつまでも首都圏にこだわるのは何だかです。

 首都機能分散もですが、条件をつけて、もっと半強制的に地方への移転を推進すべきとも思います。

 インフラ整備でいうと、地方都市でも財政は厳しく、過疎地域へ回すのには限界があります。地方都市を住みやすくして、インフラ整備をできる地域をセグメントすることも必要でしょう。

 山奥や離島などの人には厳しい話に聞こえますが、ほっておいても、間違いなく来る未来です。

 御高齢の方とかで動きたくないという人に嫌われても断行して行くべきです。お金があるうちに、しっかりと新しい居住地に住める厚遇と補償をしていくことです。いつまでも限界集落のインフラや危機管理に税金を投入しているよりは、実は劇的に効率が良い税金の使い方なのです。

 大都会が便利、田舎暮らしで良いというのは両方とも慣れからくるわがままです。昔の日本では、もっと開拓精神で移住なども受け入れられていました。

 大都会で最低賃金でブラックに働くぐらいの仕事しかないとか、限界集落でインフラの劣化にボヤき続けてる人らを整備新幹線の停車駅近くで、工業や1次産業、流通拠点から商業、医療介護施設などの仕事とネット環境やらが整った住宅に計画的に住まわせるのです。

 新幹線や高速道路の交通インフラはそれらと産業に合わせて、次の未来を考えて推進すべきです。それぞれの地域の今の人にアンケートしていても決まるわけがないのです。

怪異!事故も幽霊も今は昔?

 今は合理化で複々線高架下の無人駅となった駅に、昔は夜な夜な怪異が起こったというお話を聞きました。

 関西の大手私鉄、今は合理化で無人駅も増え、トラブル時はインターホンで対応を問い合わせるシステムのところが増えました。

 自動改札はかつては、熟練の必要だった駅員の入鋏作業を無くし、ICカードが主流となって駅で切符を現金で買う人すら激変しました。京阪も小さな駅は自動券売機すら休止されました。

 戦前の話、その怪談に、当時は終電が終わった後に、宿直の駅員が切符と現金を数えてから仮眠に入ったという状況が語られます。

 しかも、高架ではない当時あった近くの踏切では、無残な礫死体の一部が回収されずに残っていて、、

 ところからの恐ろしいお話です。

 そんな駅の宿直室で真夜中一人なんて、それが出なくても、怖いです。

 踏切が減り、ホームドア設置も増えて、宿直も無論なく、現金も扱わなくなり、もちろん昼間でも駅員は配置されていません。

 今なら、連絡インターホンが押されて、幽霊が何か恨み言を伝えるのでしょうか。

刑法39条の功罪

 画像は円谷プロの昭和特撮ドラマ「怪奇大作戦」の中でもトラウマ級の封印作品。

 依頼のあった人間を一時的にわざと狂人にして、恨みのある人間を殺し精神鑑定で責任能力無しで無罪が確定してから、元に戻すという、とんでもない犯罪のお話。

 そんな作品を思い出させるような昨今の世相であり、報道のスタンスも人権グループやマスコミに忖度で及び腰です。本当に50年も前のドラマのアイデアを使う悪人が現れてもおかしくなさそうです。

 東京都足立区で37歳職業不詳の男性が展示車を盗み暴走させて何の罪もない歩行者二人を死に至らせました。

 一部の人権グループなどの弁護士が、マスコミにも圧力をかけて、最近では匿名はおろか事件も取り上げなくなる異常な状況です。

 刑法39条により、精神疾患を持つ人は心神喪失だと刑事責任なしで無罪となる可能性が高いとはいえ、被害者や遺族の無念さを思えば理不尽な話です。

 知事や市長のスキャンダルは根掘り葉掘りと膨大な量を繰り返し取り上げるマスコミが、ちょっと精神的な病歴があると忖度し一気にトーンダウンするのは何なのでしょう。

「日本のように精神異常者が野放しになっている国はないんだ。政府ももっと考えてくれないとね」

 これは同作品の最後に担当警部の小林昭二さんがぼやくセリフ。

 展示車両を盗む段階でかなり悪質な知恵もあり、責任能力も十分のはず、国籍も実名も明かさない警察と、そこをツッコまないマスコミが問題。

 検索、裁判所がしっかり調査して有罪にしている割合が多いと開き直る新聞もありますが、そもそも忖度されて警察の段階で起訴されていないケースが多く反証にはなりません。

 ここらあたりもマスコミの劣化が酷いです。

 これも昔のドラマのセリフですが、「本当に怖いのは怪獣や宇宙人、妖怪でもなく人間です」

 

喫煙は緩慢なる自殺?

 ドン・キホーテの創業者であり、小売業の売上をイオン、セブンに続く大手企業に成長させた安田隆夫会長が、小細胞肺がんで余命宣告されていることを、今年7月末期がんを公表されました。

 因縁の取り引き先でもあり、なかなかの強者で、著書にも唸らされることも多い方だけに驚きました。

 私の元上司も、同じ病気で定年後60代で亡くなられています。

 会社時代の同僚、同世代は昭和からの煙草プカプカの不適切世代です。高齢者になっても愛煙家は肺がんの確率高く、酒飲みが肝臓やられるのと並び、平均余命を下方から支えています。

 モーレツな世代で、ストレスも多い中、身体も目一杯で、今さら煙草やお酒をやめられないと言う方は多いです。

 しかし、残念ながら喫煙者の肺がん罹患割合は顕著であり、乳がんや胃がんの死亡率が下がる中、肺がんの死亡は下がらず難治性で、特に男性では圧倒的にトップです。その上、呼吸器官を患うので、見た目でもですが、実際に痛く苦しいそうです。

 これだけ書かれ、受動喫煙を煙たがれても、高額納税してるのにと、開き直る人は多いです。

 生きるということは、毎日死に近づくことですが、喫煙は緩慢なる自殺と言われるのは間違いありません。

 また、お酒の飲み過ぎも、習慣性があり、麻薬の少量と変わらないのです。お酒が強いことを自慢したがる人がまだまだ多いですが、身体のケア面から見ればお酒がやめられないのは恥ずべきことです。

 ぼとぼとに。

 

博覧会とともに進化した大阪メトロ

 今年は関西万博の年でした。万博を歴史も含めて書くと長くなりますので、主に鉄道に絡んだお話とします。

 1970年吹田千里で開催された日本で初めての万博、当時私は小学生でした。

 当時のメイン輸送は大阪地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線に直結した北大阪急行で、太陽の広場などメイン会場のすぐそば万国博中央口駅を結んでいました。御堂筋線は難波や梅田のターミナル、新幹線の新大阪にも接続していて、大量輸送に応えていました。

 この北大阪急行は千里に向かう途中から分岐する専用の臨時の支線で、なんと会期中限りの営業でした。

 32もの改札、券売機を備えた巨大駅がわすが1年足らずの設置だったのには驚きます。現在中国自動車道の施設になっています。

 短い期間で線路や駅は所有が原則ですが、土地を買うわけにいかずこの期間だけ、北大阪急行が道路公団に頼み込んで貸してもらったそうです。国家プロジェクトの凄さを感じるエピソードです。

 1970年の万博は目標をはるかに超える6400万人の動員は、今も破られない史上空前の記録で、日本中の人が大阪に来たような数字です。

 会期終了がせまった9月5日の土曜日には835832人もの入場があり、迷子や尋ね人が2000人以上、閉門時間にも帰れない人が17万人も出て、北大阪急行は付けを超えても深夜輸送をしましたが、ビジネスホテルすらない当時に難波や梅田に送られても結局夜をそこで過ごす人が数万人いたそうです。

 連合赤軍が太陽の塔の目の部分に立てこもる事件もあり、安保の年で中国との国交正常化はまだ2年後の時代。

 それに比べますと、時代が違うとはいえ55年後の今回の万博はトラブルにしろ、スケールは小さいものです。猛暑で行列もでき、目標をクリアしたとはいえ入場者は2900万人で、1970年の半分以下、関西に住む還暦超え世代は懐かしくて何度も訪れている人もいましたが、全国的に見るとわざわざホテルまでとって大阪まで来る人は少なく関西ローカルのイベントに過ぎない感は否めません。

 1970万博の20年後、大阪市鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開かれました。こちらも関西で開かれた博覧会協会公式の認定博覧会です。入場者は2300万人とテーマが絞られた認定博覧会では1985年つくばの科学博覧会の2000万人を上回る動員で、今回の関西万博に劣らない賑わいでした。

 この時のアクセス鉄道は、大阪地下鉄の鶴見緑地線のいう新しい路線で、リニアメトロと呼ばれる新しい技術の地下鉄でした。従来の車両よりコンパクトで地下トンネル断面も小さく低コストで建設できました。当時の次世代技術で今も走り続け、全国の地下鉄線、私鉄線にも継承されています。

 今回の関西万博では大阪メトロ中央線を夢洲まで延伸して400系という宇宙船をイメージした未来型の車両が導入されました。クロスシート、WifiやUSB電源、大型液晶モニターを備えた車内で、自動運転にも対応できる車両です。

 桜島、舞洲方面からのバスは一部自動運転が導入されていました。博覧会の目玉に、空飛ぶ車や、ライオン型のパーソナルモビリティ「コルレオ」、住空間のようなキャビンごと移動する「アリスシステム」など未来の交通機関の展示もありました。

 大阪の鉄道駅にはQRコード対応の改札口がほとんど設置できており、ペイペイなどで入場できます。メトロの駅には顔認証の改札もできており、自動改札ができた55年前から、確実に未来に来ているのです。

 なぜか、博覧会開催は関西に多く、鉄道の新しいシステムも関西から生まれるのが多いのは少し嬉しいです。

 いずれにせよ、これからの未来の発展を楽しみにしています。