ハイブリッドな時代は過渡期?環境詐欺

 太陽光発電と聞くと、ああエコで良いなと感じる人と、怪しげなビジネスじゃないのとか、実は林や野原を削って自然を破壊していると言う人もおられます。

 パネルを作るのにも破棄するにもエネルギーを使うからその分も計算して比べないと、エコなのかどうかはわかりません。

 そんなパネルの設置に国も支援して、業者も乱立したので話は難しくなりましたね。

 いろいろ技術や、科学的知識、考察などしなくとも人間の素朴は直感として、太陽光パネルは怪しげで、少なくとも美しくはないと思いますが、これは人それぞれの感じ方です。

 少なくとも、太陽光発電とか再生エネルギーを他人にまで押しつけるのはちょっと遠慮したて欲しい。立ち止まって考えて欲しいところです。

 エネルギーの問題で言うと、EVやハイブリッド車も微妙な問題です。

 これは感覚、勘に頼るだけではなく、少し知識と考察が必要ですが、それほど難しい技術的な話までは行きません。

 ハイブリッドは自動車だけでなく、私の趣味の鉄道車両でもその技術が使われだしました、  電気と化石燃料の併用以外にも、他の経済や社会の分野で、デジタルとアナログで作業する場合のような二刀流的な意味合いで言葉としても広がっています。

 自動車や鉄道車両でイメージしていただきたいのですが、たしかに動力が電気だと、その場所ではCO²が削減されます。

 鉄道車両だと、大量に旅客や貨物を運べますし、トラックや乗用車より規模面でエコな乗り物と以前から言われていました。ましてCO²を出さないで遠距離を走行できれば、環境には理想的でしょう。

 ハイブリッドカーは電気自動車とガソリン車のいいとこ取りをしている。蓄電池車両やハイブリッドの鉄道も、さまざまに日本の技術で開発されて実用化されて来ています。

 しかし、素朴に考えてそもそもの電気や電池がやはり多くは化石燃料や原子力の発電所からの供給に頼っているのです。

 森の中を走る時は確かにCO²を発生はさせないけれど、どこかでは電気を作るためにエネルギーを使っているのです。モノや人が動くとそれだけ質量✕距離のエネルギーが必要なのです。この原則は変わらないので、エコというのは移動を抑えるか、距離を縮めるか質量を減らすしかないのです。

 ハイブリッドがEV化への過渡期に過ぎないと言われ懸念されるのは、二つの動力を持つ機器でありその分重くなることです。過剰で割高な装備で、作るまでのコストや環境負荷も大きいです。単純にスペースも必要ですし、メンテナンスも増える訳ですす。私の尊敬する理系の人、技術屋さんも素朴にそこを指摘しています。

 ハイブリッド車はTOYOTAがヨーロッパや中国のEVに対抗した日本のメーカーらしいスグレモノの技術を持っているのには違いないでしょう。

 日本人の技術は、なかなか難しいことをやってのけるので、一般論では語りきれません。今までの専門家の発想では難しい二刀流を平気でやってのける野球選手がいるのと同じかもしれません。

 ガソリン車が無くなり、全て電気自動車になることは、技術的にも、政治的なことも踏まえてもあり得ないでしょう。ハイブリッドの需要はこれからも持続します。

 かつては、鉄道も交流と直流、電化と非電化で機関車の切替や列車を乗り換えていました。やがて交流直流の切替可能な電車が当たり前になり、今やハイブリッドや蓄電池車両で乗り換えなしで、電化非電化を乗り通せます。

 それを思うと、移動手段としてのシェアは圧倒的に高いクルマの動力の未来がどうなるのかは、環境に大きな影響もあるかとは思います。

 しかし、そもそも移動手段としてのクルマは乗れる人数が少ないので、環境にあまり良くないのはどこまでいっても間違いないのです。

 環境だエコだと言う言葉にはあまり騙されず、自分の感性を信じて考えて欲しいものです。

 

国を守るのに保守もリベラルもない

 戦後80年の年も年末が近づいています。空襲や原爆、戦中戦後の飢餓等を語る人が減る中、いろいろ特集もされました。

 保守派と言われる高市総理の誕生で、いわゆる台湾有事の答弁から日中の関係が少しギクシャクしています。

 非核三原則の見直しも議論が出ており、アメリカとの軍事同盟強化をめぐっても、政権と反戦リベラルの溝がむしろ深まった年とも言えます。

 しかし、どうもかみ合わない論争が気になります。

 保守層や愛国者だって好き好んで戦争をやりたくて、アメリカとの同盟を強め、核の原則を緩和せよと言ってるわけではないのです。

 かつては文化人や学生らに非武装中立という、軍隊を持たないと相手国は攻めて来ないという考えが流行りました。

 さすがに丸腰では近隣諸国は舐めてかかって、国境付近の領土から占拠し始めるのは明らかです。

「中国や北朝鮮、ロシアが攻めてきたら、アメリカの協力なしにどうするのか。アメリカが軍隊を出す前に日本周辺が攻撃されたらどうするのか」

 日本の自衛隊も強化して、アメリカとの同盟は大金を貢いでも強め、日本も核の持ち込みは認め場合によっては保有した方が、相手はそう簡単に攻撃できまいというのが、保守層のまっとうな考えです。

 一方、反対の人はアメリカは世界中で戦争をしており、同盟を強めれば、テロを含め攻撃され巻き添えを食うし、核を持てば核戦争の危機さえあり得るのではないかと懸念します。

 実はこの議論、両者は、本来戦争を避けて国を守りたいということでは一致しているのです。

 保守なのかリベラルなのかとか親米、親中は置いて、「アメリカとの同盟を深める」「中国との貿易関係を断つ」「核武装をする」といった策の良い悪い、影響のどちらが大きいかとか、可能性が高いかの分析であって、ゼロや1かの判断ではないのです。

 賛成する人、反対する人それぞれの心の中にさえ、逆の目が出た時の懸念はあるはずです。

 ムキになって相手を潰そうというほどの、ハッキリした予測データはないはずです。

 どちらかというと、親米、親中とも軍事産業や貿易利権など経済的な思惑で偏った意見を述べてる人が多いのです。

 これは原発とかインフラ開発事業でも、安全対策や環境問題などでも良くある対立です。

 戦争とか原発は絶対悪と考える人もおり、全てに反対という

人がいます。

 一方でもし、戦争が起こったとしたら、日本にも軍事力は必要、アメリカとの同盟も必要と考える人がいます。エネルギー資源の乏しい日本では事故や廃棄物の問題をクリアしながら、次世代の核融合開発も含め原発を稼働させて行くという人もいます。

 前者は戦争が起こらない、核兵器も原発も必要ないと考え、後者は戦争が起こった時を考え、原発を必要最低限使っていく社会を考えています。

 この議論の傍証に、太平洋戦争や、ウクライナやガザをいくら取り上げても、議論にはなっていないのです。

 戦争の悲惨さ、原発事故の悲惨さも分かりますが、後者はそれも分かった段階でのお話です。

 世界中の戦争も、日本の原発はいくら反対しても、いきなり全部消えては無くなりません。

 二つの対立軸に所属するかではなく、それぞれの立場をもっと勉強して、最適解を導く議論が欠けている気がします。

 戦後80年というのも別にただの経年です。愚にもつかない議論で、片方の集団が暴走することこそ、国家の悲劇です。

 政治がやろうと取り組みかけていることの足を引っ張るだけの生産性のない議論もムダです。

 悲劇もムダも、繰り返してはいけません。

顔は履歴書?毎日少しずつ老います

 一昔前に「男の顔は履歴書」なんて言葉があり、そういう題名の映画もありました。

 男女同権が叫ばれて久しい今では不適切な死語でしょうか。

 男の顔にはそれまで生きてきた人生の経歴が刻まれるということのようです。まあ、同じように社会では働いている現代では、これは男女にこだわらずでしょう。

 赤ん坊を見てると毎日どんどん顔が変わり、1週で大きく変わり、しばらく見ないと顔もだいぶ成長しています。

 逆に高齢者は毎日毎日老います。鏡を毎日しげしげ見るのは本人だけでしょうから、指摘できる人は少ないものの、久しぶり何年かぶりに会う人から見れば経年劣化は明白です。

 私は赤ん坊の頃、お菓子の缶で目の上を切り、少し大きくなって兄弟で遊んでいて目の下を切った傷が大人になっても残っていました。

 しかし、もう今や多くのシワに隠れてそんなものはすっかり無くなっていました。いつの間にと思う深いシワの数々です。髪の毛が多いのがまだ若く見られるのでマシなのかとは思います。

 同年齢の中には、髪が真っ白やら、無くなってスキンヘッドの人もいます。白いのは髪だけでなく、ヒゲとか眉毛や鼻毛まで白くなるのにも老いを感じます。

 昔、取り引き先の社長さんが、穏やかな紳士なのですが、鼻毛がびっしり真っ白な人がいて、何だか残念でああはなりたくないと思ってましたが、仕方のないところです。

 顔はいかにも外見、今の言葉だと、ルッキズムですが、その顔に刻まれるのが、その人の身体の状況や、心の中、人生なのでしょう。

 口角が上がる、眉間にシワが寄りやすいとか、コメカミが痙攣しやすいとかはいかにもメンタルから来てそうです。どこかが痛いとか、苦しいのを我慢するのも顔の表情に刻まれるのかもしれません。心身の健全が大事なところです。

 仕事やお金とか、周りの友人、家族などさまざまな要素はあるでしょうが、頑固と言われるよりは、多少はいじられても好かれる高齢者のが良いですね。

「女の顔は領収書」という言葉もあり、こちらは美容等にお金をかけた反映だそうです。

 私の会社に鼻とか目の改造?にお金かけた同僚がいましたが、年を重ねるとそのメンテナンスの苦しんでいたように思います。どうしているのかとも、心配ですが、若い頃に過度に手を加え美しくなりすぎるのも老いると借金かなと思います。

 おしゃれ、スキンケアやメイクと健康習慣で健全なルッキズムに留めるべきだったのか、そのあたりはよくはわかりません。

 

混雑やゴミはオーバーツーリズム、日中問題とは切り離して考えるべき

 中国が日本への観光客にストップをかけ、オーバーツーリズムで辟易していた人や保守層はホッとしているようです。

 一方、キャンセルを被った旅館やら旅行業界は青ざめています。

 ビジネスや食材、原材料の購買など貿易相手として中国に依存している関係の人も大変です。

 中国依存はリスクが高いので対策を考えておかないとも言われますが、目の前の利害が絡むとそうも言ってられません。

 だいたい混雑が嫌だとか、ゴミが増えると言ったところの影響が一般市民の賛成反対のホンネです。交通機関や街が混もうと、それで国が潤うなら良いことです。バスや電車、施設が混むのは増便や価格設定などやりようがあります。日本全体の人口は激減しているのですから、概ね地方の町の、商業施設や公共施設は平日はガラガラです。外国人向きに映えて注目された観光地は混むますが、行楽地も全盛期を過ぎてるところがほとんどです。

 人口減で、公共交通機関が減便されて、混雑が集中するのが問題なのです。

 だいたい、「混雑が嫌い、行列に並んで待つのがイヤ」だとか、言いながら万博に行き、推しのスポーツやライブ、美術館などには詰めかけて行列も平気な矛盾した心理の人が多いです。

 ゴミが増えるのも、人が増えれば当たり前です。たくさんお金を地元に落としてくれるのですから、観光地の業者は大きな分別ゴミ箱を設置して昼間は案内人をつけ夜は閉鎖しておけばいいのです。

 ゴミ箱撤去問題の本質は、家庭ゴミの投棄と、テロ対策です。テロ行為は案内人や監視である程度防げ、厳密にはどうやっても完全に防ぐことはできません。

 ゴミ袋が有料になり回収の指定日時も厳しいので、家庭ゴミが捨てられない人が多いのが原因と思われます。ゴミ袋は税金税収ですから、生活保護や非課税世帯、転入者などに無償配布して然るべきです。

 不法投棄が増えれば、何のためのゴミ袋有料かわかりません。テイクアウトの飲料のカップなどは店やいくつかの企業が協力して責任体制を設け、専用のゴミ箱を工夫すれば良いことです。

 特定の国の人だけマナーが悪そうなの来て欲しくないというのは偏見です。

 紳士の国、おしゃれな国からの来訪者だけなどというのは差別意識であって、それならば混雑という問題とは違います。

 ゴミ箱や公共交通機関がしっかりして、国の仕組みを案内、啓蒙することが大事です、儲ける人や町はそれを考え、WINWINの関係をどこの国が相手でも築くことです。

 経済、産業そのものよりも、インフラ、街の活性という面でも観光産業は大事です。外国人を選り好みして、人口も減り、働き手も観光客も減った静かな過疎の国になっては、朽ち果てて行くだけなのです。

ヤラセ、切り取り、マスコミの劣化

 「オールドメディア」とテレビ局などの報道機関が批判されが、マスコミの劣化は治りません。

 私が、転勤で北国にある支店で働いていた時、隣に地方新聞の本社がありました。雪が降った朝に、お客様が来るので雪かきをしていると、隣の新聞社のカメラマンに写真撮られて夕刊の一面に掲載されました。

 個人情報が今ほどはうるさくない時代でしたが、一応カメラマンは「撮ります、載るかもしれません」とは言われたが、地元有力紙の夕刊一面に雪かきしている自分の姿が掲載されて驚きました。シーズン初めての積雪に戸惑う市民?のような感じでした。地方新聞とはいえ後にも先にも新聞の一面に顔が載ったのは初めてです。まあ、一生懸命雪かきする私被写体として優れていたのかと自惚れていました。

 ところが、1年経った次の冬も、雪が初めて積もった朝にやはり雪かきをしていると、カメラマンが近づいてきて、「撮っていいですか」と、昨年のことを全く忘れて声をかけてきました。

 コイツっ!記憶も悪いし、取材に歩くのめんどくさいから、隣の会社の前で写真撮ってるんだ。地方新聞のレベルなんてそんなものかと思いました。

 大阪では副都心のオフィス街の大きなビルで、近くにテレビの関西では大きな存在のキー局がありました。

 近くには家電や金融、重工、エネルギーなど名だたる本社や近畿拠点のオフィスはあり、飲食や娯楽も多くはあります。関西ローカルで見かけるアナウンサーにも会えました。しかし、ここのテレビ局圧倒的にこの地区でのインタビューが多いのです。

 地元京都に帰っても、公共放送の支局が勤めたオフィスの近くでやはり大きな事件があると街頭インタビューはその界隈で良くありました。

 個人的な話が長くなりましたが、ズボラなマスコミでも取材してるだけマシだったのかもしれません。大手テレビ局でも平気で都合の良い切り取り、ヤラセのインタビューをやっています。

 売れない役者、タレントを使った捏造、ヤラセはさすがにひどいと思いますが、残念ながら大手キー局ではザラなようです。

 自虐気味に、ドラマやバラエティでそのことを取り上げるほど、当たり前にヤラセはあるのです。それでも、これだけ報道の度に、あたかも市民の声の代弁のように放送されると、ああそうなんだみんなの感想はそうなんだと信じる人もいるでしょう。

 都合の良いところだけカットして、いかにもとんでもない問題発言、怒りを買わせる失言と印象づけるのも悪質です。

 長い投稿動画、インタビューや記者会見、国会答弁などは、全部を視聴する時間はありません。趣旨を上手く要約するのは必要で仕方ないことですが、都合良く歪め印象操作することは絶対にあってはいけないことです。

 AIもこの趣旨要約などは得意の分野ですし、多少話を聴く練習をし、文章の要約を勉強すれば、誰でも公平公正にできる作業です。

 それができないで、意図を曲げ改竄して伝えるなら報道機関の資格を剥奪すべきレベルです。要約も取材を受ける側が自ら切り取るか編集の許可をしないと禁止にすべきです。

 外交など国益に関わることを、通訳が間違えたら大変な問題なのと同じで、勝手に趣旨を歪める切り取りなんぞを報道機関がやることがまかり通るのは許してはいけない。BPOなどはそのためにあるべきです。

 取材は自由で規制はしなくても報道機関の最低限のモラルは守るように取り決めるべきであり、市民も然るべ機関に文句を言うべきです。

 

 

 

 

 

残念!商品券は没?

 昨年は定額減税があって、今年は一人2万円、5人家族だと10万円の商品券という話だったのに、立ち消えてしまいました。

 石破前首相時代の公約?でしたが、現高市総理は総額17兆も20兆とも言われる大きな話のようですが、ガソリン暫定税廃止、お米券、電気やガス料金?いろいろあるのでしょうが、バラバラで結局あまりインパクトはありません。

 お金がドンと振り込まれるアメリカとは大違いです。一人10万あるいは30万円くらい配り、家庭で100万ほど入れば、おコメもガソリンもそのままでも、景気よく消費がガバっと増えるのは間違いないはずです。

 財源は、政治家や官僚ができない言い訳に使う言葉ではないのです。世代やら特定の国民に罰ゲームのたらい回しみたいに負担を増やすのではなく、考えて見つけてくるものです。

 税制にしろ、経済政策にしろ難しいと言われればそうですが、政策を増やして手間を増やしても結局公平でもなく手続きは煩雑になりそれ自体にもお金がかかります。

 シンプルで高額な給付に絞り、何年かけても財源を見つけて、景気が良くなり、国が豊かになり、みんな良く働けば返せるならそれが良いのです。

2季?暑さにも寒さにも弱い?

 めっきり風が冷たくなり、日差しがある時はまだしも、朝晩は冬用のコートなども必要なぐらいになりました。

 暑い季節が長く2季などとも言われます。定点観測はしてませんが、紅葉はそれなりで昨年よりは早い気もします。

 衣類もですが、人間の身体が気温の変化に対応するのが大変です。とくに年齢なのか免疫力の低下なのか、季節の変わり目には弱くなった気がします。自立神経が弱り、あれだけ毎日薄着ですぐ汗をかいた時期が長かったので、身体が「あれあれ?これはどういう感覚だったかな」と思い出すのに時間がかかっているのではと思います。

 人間は極端な暑さや寒さには弱い生き物です。逆に言うとある程度の暑さや寒さには耐えられます。日本でも北の街の冬は厳しいですし、世界にはさらに寒い地域にも人は住んでいます。逆に赤道直下でも生きていく人たちがいます。

 身体が適応して慣れて行くということです。

 私は暑いのが苦手で夏の方が嫌いなイメージもありますが、初夏に夏バテはあっても風邪をひくこともないです。季節に合わせ、体調を整えれば暑さ自体には慣れます。

 冬は着込んだり、暖房があればへっちゃらとも思いがちでさすが、血管の収縮から循環器がやられ、ヒートテックをはじめ危険な事態は潜んでいます。

 心身の準備運動から、適度な運動が大切でしょう。

 私も寒気がするような不調の時期がありましたが、だいぶ寒さへの対応を思い出してきて、まだまだもう少し寒くなってもいけると思えるようになりました。

 あとはバランスの良い食事と睡眠、休養でしょう。ストレスの多いのは当たり前の世の中ですが、できるだけストレスを溜めないように乗り切りましょう。

翻弄され続けた国の歴史

 たまたま手に入った古い本。最近の国際情勢で重版されてるようです。

 読んでいた五木寛之「青春の門」にウクライナ人も登場し、シベリアやソ連の歴史も描かれ、つながるように読みました。

 黒川祐次 著 ウクライナ大使を務められたた外務省の方 2002年のことで、ソ連崩壊で独立後のことはそれほど記述はありません。最近はキエフをキーウと表記されますが、キイフとの説もあるようです。

 世界史はあまり詳しくないのですが、ヨーロッパでも東欧、アジアよりはあまり世間にもよく知られてはいませんでした。ソビエト連邦の構成国にロシア、ウクライナ、ベラルーシのルーシ3国があって、モスクワのあるロシアが格上で偉そうにやっているようなイメージだけ持っている人が多いのではとも思います。

 ウクライナの歴史がモスクワロシアよりも古く、そのルーツでさえあることに驚かれされます。

[紹介文]ロシア帝国やソヴィエト連邦のもとで長く忍従を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出し続けたウクライナ。不撓不屈のアイデンティティは、どのように育まれてきたのか。スキタイの興亡、キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、一九九一年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰。人口五千万を数え、ロシアに次ぎヨーロッパ第二の広い国土を持つ、知られざる「大国」の素顔に迫る。

 以上

 島国の日本は、侵略戦争を仕掛けられ国土を失い離散することは一度も経験していません。

 戦前に領土を拡大し、敗戦で焼け野原になり、一時期アメリカの占領下にはありましたが、民族と国土そのものは存続し続けました。

 ヨーロッパの国の興亡のダイナミックさの感覚はなかなか日本人にはわからないのかと思います。

 かつて、ユーラシアから世界を席巻した国もあれば、常にそういった大国に蹂躙されながらも、歴史を刻んでいる国があります。

 日本の戦後の趨勢、第二次世界大戦の終焉を決める重要な会議が開かれたのがウクライナのヤルタです。極東では国境を接するロシアですが、そのシベリア地域には多くのウクライナ系住民が住み、ソ連抑留の最西端がウクライナというのも因縁です。

 昨今のプーチン政権でのウクライナ侵攻には、長きに渡るロシアとウクライナの国の成り立ちからの歴史も少なからず要因があると知るのも面白いです。

 

 

記録なのか記憶なのか

 日本プロ野球界に長嶋賞創設と報道されました。長嶋茂雄さんの名前が打者版の沢村栄治(戦前の名投手)賞のような強打者に与えられる賞に設定されるようです。

 記録だけで言うと、三冠王を取り、タイトルを何度も取ってホームランの世界記録を塗り替えた王貞治の方が実績があります。

 しかし、ONと言われ王と長嶋が並んで戦後のプロ野球人気を引っ張った中で、人気は長嶋が上だったのでしょう。

 背番号3は私らの少し上の世代には神様、圧倒的な人気でした。

 ひたむきでかつ華麗なプレイの長嶋は人々の記憶に記録以上に残ったと言われています。

 記録も記憶も実は似たような言葉です。

 野球は個人記録が多く作られるスポーツです。盗塁や犠打など比較的地味なものや、連続の安打や奪三振、出場などもカウントされています。打率や出塁率、防御率、勝利やセーブの権利など計算したり、公式記録を待たないと分かりにくいものも多くあります。

 最近はメジャー流のサイバーメトリックとか、表彰はなくてもさらに実績や貢献度が細かく評価される数値が出ています。

 私たちが仕事をする上での個人の人事評価、企業の業績の評価も、時代とともにだんだん複雑、多面的になってきています。

 昔は売上目標だけだったのが、利益、キャッシュフローなど財務指標も複雑になり、目の前の〆切りや決算だけでなく長期的に見る貢献、サステナビリティの評価も入ってきました。

 プロ野球で記録のための小手先の争い、忖度や率を守るため試合に出ないなどというのは、決算のための粉飾を想起させます。

 プロスポーツや芸術、芸能は特に魅せることでお金を取っているのです。確かにホームラン王などのタイトルを取ると箔がつき、見に行きたいと思います。文学賞を取ったとか、音楽の賞も、それならいいものかと思います。

 しかし、少しその分野を眺めると、必ずしも賞を取ったから優れているとは限らないのです。

 プロ野球などのMVPや新人王もそうですし、多くの世間のタイトルや賞も、大人の世界、お金が動く政治的な裏のあるような決まり方があるのは、よく知られているでしょう。

 単に年度だけ取っても、豊作というか競合が多い年度と、そんな厳しい年なら獲得が難しいレベルの人が楽に受賞できる場合もあります。ホームラン王はや新人王は逃したけど、別の年なら楽に取れる記録だったという場合です。

 記録より記憶というのはそういう面でのフォロー的な言葉かもしれません。

 昔は権威があったけれど、今はそうでもないものに、歌謡界のレコード大賞や紅白歌合戦出場というものがあります。昔は年末大晦日の国民的行事でしたが、特にレコード大賞の権威失墜は顕著です。

 社会や音楽の変化もありますが、元々歌謡曲に一等賞を決めるとか、勝敗を決めるのがおかしいということにも、気付かれ始めたのでしょう。過去の大賞曲には名曲もありますが、時代を代表し、今もよく聞かれ、歌い継がれる曲が受賞していない場合も多いです。

 それを思うと、いろんな部門で今だに騒がれる◯◯賞なんて大した権威でもないのです。映画や音楽、絵画、文学など全てに今だにありがたがられる賞があり、それを目指す人々や支える層は厳然とあります。

 ノーベル文学賞なども、毎年日本の誰々が候補と騒がれますが、何が基準でどう選ばれるか、さっぱりわかりません。選ばれたら、日本人として嬉しいという気持ちは理解できても、文学としてそれが多額の賞金を貰って権威となるのは、貰えない人にとっては不思議を超えた理不尽なものです。

 賞や記録が全てではないのは、その世界でやっている人が実は一番よく知ってるはずです。記録でも記憶でもない何かが大切なのです。

京都市の賑わい今は昔 

 京都市の100年という写真集が発売されるそうで、プレで写真展があり、何枚かの写真集の中身も鑑賞しました。

 100年ということは、昭和の初め、戦前から高度経済成長期など、古い街並み、懐かしいお店や市電なども見られます。

 建物、交通機関や買い物、通信、さまざまな文化や風俗が現代から見ると様変わりして、栄枯盛衰が感じられます。

 京都は千年の都と言われて、歴史や古いものを大事にするように思われますが、どんどんと新しいものを取り入れてきたからこそ、長年の反映があったのです。

 歴史や伝統だけを頑固に守っていては、明治以来の革新的な勢いのある街ではなくなります。そこをはき違えて、伝統だけを守ることを主張する人がいますが、それでは現代に生きる人にとって生活の街ではなくなるのです。

 外国人を含む観光客が増えてバスにも乗りにくいという不満の声もあります。

 交通機関やマナーにも問題はありますが、日本人の人口が少子高齢化でどんどん減る中で外国人でも来てくれるだけでありがたい話、贅沢な悩みです。

 有名な観光地は賑やかで、ホテルやマンションは増えましたが、一歩入ると下町は空き家も増えて、どこの地方都市や過疎地域と変わらない寂しさが見られます。昭和40年代ぐらいまでの下町界隈では、年末や祭り、交差点には、現代にない賑わいと活気があったのが、この写真集からも見られました。

 私が実家のあった三条会商店街、あるいは出町の桝形商店街なども、今レトロな注目で盛り返し賑わっています。しかし、バブル以前にまだ、スーパーやドラッグストアやコンビニがない時代の、生活必需品を買い求めた賑わいに比べると天と地のような閑散です。

 外国人観光客が少なかったら、ゾッとするほどの寂しさでしょう。

 栄枯盛衰は時代であり、仕方ないものと受け入れるしかないのです。

 交通を整備して、ゴミなどの啓蒙を徹底し、観光客からも無理のないように市や市民の収入につながる対策を講じれば良いのです。

 観光も含め、企業や大学があるだけでは、今後も人口減少の歯止めは効きません。

「もうこれ以上観光客は要らない」「北陸新幹線もリニアもう要らない」

 高齢者の多くは、変化を恐れこのまま静かな衰退を容認するかもしれませんが、歴史を見れば京都の町はかつてもっと賑わっていたのです。

 明治の初め、東京に首都が移って衰退の危機を感じ、最も革新的に新たなものを取り入れた貪欲なまでの斬新さが、京都に住む人の肝であることは忘れてはいけないのです。