年金問題を少し落ち着いて考えさせる 楢山節考

年金問題は奥が深く煩雑です。今も年収の壁問題や、非課税世帯への給付などが連日話題に なり、少し物価が上がると年金生活の人は苦しいと騒がれます。

 非課税の年金世代にも壁があり、給付をすれば壁は高くなります。また今、年金を既得としてもらっている世代の人は原則下がりませんから、団塊世代以前からのサラリーマンで定年まで勤めあげた人などは比較的悠々な年金生活を送った状態が続いています。高額の高齢者施設、介護やケアのサービスもビジネスとして成り立ち、シニアをターゲットんしたクルーズやグルメなども盛んです。是非は別にして、生産性の高い年代に比べて経済の流れというかが何か変な方向に向いていて、寿命や生命の尊厳もビジネスになり、ただ長生きしていればsこには国も医療機関もコストをかけることを誰も否定できません。

 そんな時、ふと昔の価値観、生命観を思い出させ、考えさせられるものがあります。

 「楢山節考」深沢七郎の小説。昭和33年木下啓介監督、田中絹代さん主演での映画化、そして二度目の映画化昭和58年の今村正平監督、緒形拳、坂本スミ子さんのもの、私は二度目の映画を劇場で見て、重いインパクトを受けました。しかし、当時はその重さの意味が本当には分かっていない20代でした。

 【以下 ネタバレ、ストーリー】 
信州の山々の間にある貧しい村に住むおりんは、「楢山まいり」の近づくのを知らせる歌に耳を傾ける。村の年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行くのが習わしで、69歳のおりんはそれを待っていたのである。山へ行く時の支度はずっと前から整えてあり、息子の後妻も無事見つかる。安心したおりんは自分の丈夫な歯を石で砕く。食料の乏しいこの村では老いても揃っている歯は恥ずかしいことであった。

「自分が行く時もきっと雪が降る」と、おりんはその日を待ち望む。孝行息子の辰平は、母の「楢山まいり」に気が進まない。少しでもその日を引き延ばしたい気持ちだったが、長男のけさ吉の妻はすでに妊娠5ヶ月で食料不足が深刻化してきたため、家計を考え、急遽早めにおりんは山に行くことを望む。
そして、その最後の日、辰平は禁を犯して山頂まで駈け登り、念仏を称えているおりんに「雪が降って来て運がいいなあ」と呼びかけた。おりんはうなずいて帰れと手を振った。--村に帰りついた辰平は楢山をのぞみ見ながら、合掌していた。


 ただ、その情景だけが登場人物とともに描かれる。
現代人が失った生命の尊厳を問い直す「棄老」の物語。
 そこには、悲しみや怒りも、主張もなく、ただ自然とともに力強く、生きて死んでいく姿があり、おそらく、この人の生き方は現代人よりてらいなく濃密なのろうと想像させます。

 現代の寿命、生き方、高齢者の福祉や介護、経済や食糧事情、環境も全て違います。60や70になっても、今の世代の高齢者は歯を折るどころか、行列のできるような名店や、ミシュランの三つ星グルメ店で、豪華な食事をして写真をアップしています。
 あるいは、そこまで恵まれない裕福でない老人は、家族に養われることもなく、年金だけでは生きていけないとイラ立って国を責めているかもしれません。

「棄老」姥捨て的発言は暴論で、炎上してしまう何もかも違う時代、閉塞した高齢化社会だからこそ、何か次の考えを馳せるとき、「歯が揃っていることが恥ずかしい時代」を省みることも必要ではないかと思います。かつては「老人ホーム」に親を居れることは「棄老」「姥捨て」と罪悪感を持って言われまいしたが、そんなことも時代により変わっているのです。もうこの話に描かれた、高齢者を捨てる家族すらいない時代です。
 高齢者は自立して福祉を勝ち取り自分勝手に長生きするだけの爛れた国家が残っているというのは暴論でしょうか。

年収103万?106万の壁とは

 国民民主党の政策を自民党石破内閣が呑むか注目される扶養者年収「103万円の壁」
 現状大きいのは「103万円」ではなく「106万円の壁」の方ではと思います。
 もちろん103万を超えると所得税が僅かずつかかります。しかし、それは超えた額に税率がかかるだけです。
 106万円を超える収入になると、従業員数が50人を超える企業で働いている者が、月8.8万円以上の所定内賃金を得ると被用者保険が適用され、社会保険料負担が発生します。
 今までは支払う必要がなかった厚生年金保険料が発生するので、手取り収入が減少します。手取り収入を維持するためには収入が125万円以上になるまで働く必要があります。ただし、将来、厚生年金をうけとることができるようになります。さらに医療保険から傷病手当や出産手当を受け取ることができるようになります。メリットもありますから正確な損得は難しいです。目の前の手取り収入が減るという意味では損であり『壁』です。ややこしいことに岸田内閣で支給を始めた社会保険適用促進手当が受けられるので、最長3年間は保険料負担が補填されます。雇用主にとっても負担が発生し、支払いたくない会社などは、さらに時間を制限したり解雇したりのケースもあります。これは「壁」の限度が増えた場合も同じです。
「130万円」は「従業員数が50人以下の企業で働く者が、年間収入130万円以上になると、配偶者の扶養から外れるため、国民年金の第三号被保険者から第一号被保険者になり、国民年金保険料が発生します。また、国民健康保険の保険料負担も発生します。将来の国民年金の金額は変わらないため、保険料負担の分、手取り収入が減ります。従業員数50人以下の企業で働く者にとっては大きな『壁』となっていますが、51名以上の会社などですでに壁を超えている人にはこの金額は関係ないのです。
 少しややこしいですが、いわゆる103万の壁は所得税がそこから少しずつかかるだけで、1万円あるいは千円超えたからと大騒ぎするほどではありません。150万円の方も配偶者特別控除が少しずつ減り、201万円でゼロになります。
 やはり大きいのは年金、社会保険料にかかる「106万円」OR「130万円」の壁です。これは壁を千円でも超えたら、目の前の支払いはイッキに万単位で増えます。
 ここが、労働時間、意欲の壁になり、最低賃金が上がればますます実質の時間は減っていたのです。

 ここの労働を壁を取り払って推進するので、そんなに悪いことでも何でもありません。主婦や学生などもリミットが上がって働き、その分社会に貢献し、経済は上手く回るのです。

 元々、最低賃金が上がればスライドしてあげていれば良かったと思えるくらい、当たり前の筋を国民民主党は主張し、自民は唸っている感じです。

 財源が7,8兆必要でと、財務省の言い分をそのままに反論する向きもありますが、場当たりで岸田内閣も社会保険適用促進手当を支出していますし、経済が成長すれば税収は増えますから正確なシミュレーションは実は難しいです。目の前の枠に決まった財源論だけで、余った時は何十兆と余剰が出て、還元するのに今年のように苦労しているので、今の税の仕組みはそう簡単に国は損をしない仕組みです。中小企業の社会保険料負担をもっと軽減してもいいとも思うほどです。

 年金の方も含めて、枠による財源と、国民や企業の全体負担のバランスを考えて、厚労省と財務省、政府が一体となって考えれば良いことです。数字を誤魔化して虚飾しても、国民の手取りは増えないのです。社会保険料を天引きして、今の物価で最低限の生活、現役の時からシュリンクしてやり繰りできるかを、庶民目線で考えることが政治(まつりごと)です。それが政治家、官僚の仕事であり、財源確保はそこがあってのものです。

マイナンバーカード便利だけど

 マイナンバーカード、私はマイナポータルとかの機能をそこそこ便利に利用しています。保険証はどうがありますので、マイナカード一本なら財布の中に保険証も要らず便利です。ただ、健康保険を切り替えた時の紐付けには時間がかかるのは仕方ないところでしょうか。
 あとはe-TAX、年金の扶養手続き、ふるさと納税のワンストップ特別申請などもカンタンにできます。オンラインバンクで公共料金も支払える時代ですから、平日に役所に行くとか、コンビニに走るとかしなくても、家にいながらにしてかなりの手続きができます。

 年金事務所に勤め、その後も年金の委員として、「ねんきんネット」というアプリを使ってもらうのに、「アクセスキー」という数字からのアプローチを推奨、紹介していましたが、そのやり方よりもマイナポータルに連動したやり方の方がはるかに簡単、楽にできます。

 実は先日、マイナンバーカードの6ケタ~の方の暗証番号を忘れてロックをかけてしまったのですが、休日にもやっているセンターに行き、少し待って解除してもらいました。セキュリテイもまあ安心で、来年は5年目で電子証明書の有効期限が切れますから、更新が必要と聞きました。これもめんどくさいでことですが、まあしょうがないでしょう。

 健康保険証が12月に切り替わり、妥協策として全員に資格証を送るそうですが、これも何だか結局ムダなお金だと思いますがね。保険証のマイナカード一本化反対する人は、こういうところに税金が使われるのはいいのでしょうか。何でも「国が」と言いますが、国がやるということはいつも「何でも反対する人が良く騒ぐ」誰かの「血税」が使われるのです。「血税」でマイナ保険証だけに絞れず、わざわざ二重に発行した資格証明書が来ますから大切にしてください。
 今はETCで高速料金支払い、乗るのも当たり前でその方が楽なのはみんな認識しています。最初はあれも、カードリーダーめんどくさいとか、「何でそっちだけ割引する」とか反対してました。ああいうのと同じで慣れない、めんどくさい、機械音痴だからと嫌がる人を巻き込んで、何でも反対する人が騒ぎを大きくしているだけでしょう。病院がカード読み取りを設置できないというのは、また別の問題です。各医療機関がここはカードリーダーがある、ここにはないということもはっきりすれば良いことです。カードから暗証番号の打ち込みや、顔の認証は高齢者に難しいとも言いますが、反対したり、笑っていないで自治体などでもっと学習機会を増やすべきです。動画などで繰り返せばわかる人はいます。

 ただ、パスワードロックや5年の更新ではやはり窓口の人に頼っています。そうすると、Sこへ行ける人、説明を聞く能力は必要です。パスワードの設定も本人でできるかです。
 ここまでの過程で、やはり他人に頼る人、人に聞かずにおられないという依存の多い人も思い当たります、一人で何もできない人で、ある程度大人になっても、会話が必要でお母さんのようなAIがいるのかなと言う人はいます。まあ人間ですから。
 

年金のルーツ 日本最初の企業年金は意外にも、私が勤めた会社

 国内で最も古い企業年金の給付記録が近江商人発祥の地の一つ、滋賀県蒲生郡日野町の商家から見つかっていたそうです。私の母方のルーツは近江で、そこから都に流れ明治期以降に小間物や薬の商いをしていたので、近江商人には興味がありました。
 見つかったのは、関東に十五店舗以上の造り酒屋を営んだ近江日野商人の鈴木忠右衛門が、明治三十三年(1900)に退職した勤続四十五年の従業員に渡したとみられる「慰労状」(写真)です。
 これによると、謹厚をねぎらった上で、亡くなるまで毎年百円(現在の十万円相当)を支給し続けるほか、本人亡き後も遺族に半額以内を終身支給することを約束したもので、「終身年金」の記載が見られるほか、「遺族年金」に当たる内容が記されています。
 さらに、別の商家からも「退職年金」に相当する幕末の史料が見つかり、「退職年金」の最古とされた昭和二十四年から百七年も逆上る制度に注目されました。
 現代の多くの商社やメーカーなどの企業に息づく近江商人の質実さと先進性がうかがえます。もちろん、庶民と言えば、土地に縛られた農民がほとんどの時代、縁の薄い遠方で商売をするには、従業員に大変な苦労をされる面もあったでしょうし、その苦労に見合う待遇を定め、人材を確保する面もあったでしょう。
 公的年金という意味合いでは、諸説があり、江戸幕府や各藩も『養老扶持」として支給をしたりしていますが、家族の扶養手当、介護手当的意味合いも強い感じです。現代の厚生年金制度につながるのは、近江商人から5年後の明治三十八年(1905)です。
 なんと、私が勤めていた会社の名前が出てきました。
 企業年金を国内で初めて導入したのは、明治三十八年(一九〇五)の「鐘淵紡績(後のカネボウ、クラシエブランドやカネボウ化粧品などの源流となる、後年カネボウとして知られた紡績会社)」とされています。日本初の企業年金は鐘淵紡績の経営者、武藤山治がドイツ鉄鋼メーカの従業員向け福利厚生の小冊子を1904年に入手し、研究後、翌年1905年に始めました。
 私は、この話を定年退職後、契約で勤めた年金事務所の研修で初めて知りました。40年前にも新入社員の長い導入研修で聞いているのかもしれませんが、当時はそんな歴史があってしかも【年金・共済・退職金】【社会保険・福利厚生】など、若い世代の自分に今関係ないし、まして企業の歴史などどうでも良かったのです。当時ですら、大企業の後塵に近く、戦前日本最大の民間会社で待遇も退職金も日本一素晴らしかったことには同期と愕然として悔しがったことだけ記憶しています。

 
【鐘淵紡績の共済組合制度】
 明治期という早い時期に,一種の企業年金制度を創設した事例です.
それは1905(明治38)年に鐘淵紡績で創設された鐘紡共済組合で,ドイツの鉄鋼会社クルッ
プ社の社内福祉制度を参考に,一般の従業員を対象とした企業年金制度が実施されていたとい
うものです.この制度を創設したのは,三井銀行から鐘紡に転じたのち議員にもなる、武藤山治であり,明治時代にこういう先進的な制度が存在したという事例は,日本では他に類例が全くなく,極めて先
進的でユニークなものであったそうです.
 具体的には以下のような規定を定め,傷病手当や退職年金の給付を行ないました。
「本組合は組合の人々が病気にかかり亦は負傷をなし若しくは死亡し又は老衰のために働くこ
とが出来ずして退社し又は既定の勤続年限に達したる時は夫々定まれる救済をなし又は年金を
給与します.」
 保険料は従業員が給料の3%,会社は拠出総額の二分の一以上の金額を補助するとされてお
り,退職年金の給付要件の部分を見ると,「男子は15年,女子は10年勤続して退社した場合に15年間年金を支給する」などと書かれていました.
 近代の民間企業でこのような相互共済制度が取り入れられるの初めてで、三井や三菱の財閥系企業などにも注目され、その実績が関係官庁や他の企業に出回り他の社も採用するようになりました。厚生省の健康保険法は鐘紡の共済組合制度を骨子に作られたのです。
 その評価は、当時の過酷な労働事情や国策で発展する企業事情でもあり、上意下達であり現代で評価されるほど民主的とは言えないとの評価する向きもあります。
 年金制度に関して,後の厚生官僚は以下のとおり述べている.
「いわゆる本格的な老齢を事故とする年金制度にはほど遠く,いわば一種の勤続年数に応じる
手当金的性格が強かったが,当時の民間企業における制度としては,十分評価にあたいするも
のであったといえる」
(参考)『鐘紡百年史』の121~126P第二編第十一章の二「鐘紡共済組合の創設」等

 三方よしで日本初の年金の原型を作った近江商人を母方のルーツに持つ私が、年金制度を最初に制度化した会社に就職し、定年まで勤めると、その制度を引き継いだ厚労省の所管の年金機構に就職したのも奇しき縁かなと思います。今は少し年金とは別の勉強をする仕事に入っていますが、年金の仕組み、手続きの啓蒙、制度改革には地域の年金委員として興味を持って啓蒙に当たります。
 共済や保険の言葉も知れ渡らない時代から労働時間や環境、生涯の過ごし方も120年の間にどんどん変わり、直近の20年ぐらいでも大きく変わりました。
 社会保障、年金制度へ労働者や国民が受ける恩恵、期待もまた様変わりしています。複雑になりすぎて、人間の欲望とともに混迷の時代かもしれませんが、いつの時代もいろいろ保障や老後、障害などを考えてくれた人がいるのです。
 いろいろ言われますが、日本の社会保障制度はそれほど悪くないのも歴史を見ると良く学び直せます。
 

セカンドキャリア、セミリタイア後の充実

 人生には多くの選択があり、重要なターニングポイントを経験します。多くの人がその時に間違った経験をしないかとか、間違ってしまったのかと悩みます。
 若い時でもそうですし、多くの人は高齢に足を踏み出し、定年や継承でセカンドキャリアやセミリタイヤを迎える時、「何をしようか、何を選ぼうか」と戸惑います。
 多くの人が、学生から就職して社会人になって、それほど多くの会社や業界を経験はせず、一つか二つを勤め、あるいは家業を継ぎ、還暦を迎えリタイアの時期を迎えます。多少の趣味はあっても、綿密に組んだライフプランの無い人が悩むのも当たり前です。
 
 意外と参考になるのが、アスリートのセカンドキャリアではないでしょうか。若いうちに契約金や高年俸で、収入が高かったスポーツ選手も、身体の衰えで30代後半かせいぜい40代にはリアイアを迎えます。メジャーリーグぐらいまで行けば、年金で楽に暮らせますが、日本ではよほど現役の収入を貯めこんだ人でないと、別の仕事を見つけないと食べていけません。
 指導者やアナリストになれるのは、一部のトップクラスですし、その椅子も少なく競争が激しいものです。第二新卒として始めるには年齢も中途半端ですし、事務などのスキルももちろん身につける余裕はなかったはずですから、先輩やコネがないと現実には厳しい就職活動が待っています。
 ちょっと前に綾野剛が主演のドラマ「オールドルーキー」というそんな就活を描いたものがありました。
 サッカーしか知らなかったいなかった元プロサッカー選手が、引退後の道(セカンドキャリア)を模索していた中で出会ったスポーツマネジメント会社で現役アスリートの代理人やマネジメントを行いつつ、自分のことを誇りに思ってくれた娘たちのために現役への未練やプライドを捨て、奮闘していく姿を描くものでした。監督やキャストも、スポーツ監修も優れたなかなかドラマとしても、しっかりしたものでしたが、代表クラスまで行った選手が別の職種という難しさは身につまされます。

 まして普通の会社で、長年勤め「部長」「課長」「支店長」をしていましたと誇っても、MBA取得とか、英語や会計、パソコンなどが人並み以上できなければ、別の業種ではただのおじさんです。

 現実にアスリートのセカンドキャリアを見ていると、業界で細々コーチや解説の席を守っている人と、スナックやら水商売、運動具店などの自営も多いでしょう。残念ながら、失敗やしくじりの例も多いようです。

 成功してる方で、少し変わったところで、私と同い年1959年生まれの元プロ野球選手に、大洋ホエールズ(元横浜DeNAベイスターズ)読売ジャイアンツで俊足好打の外野手として活躍した屋敷要(やしき・かなめ)さんがいます。私はパリーグの球団のファンで、名前だけは知っている程度で当時も原辰徳や掛布、岡田、落合などが有名ぐらでセリーグの球団なのでよく見ていません。高木豊、加藤博一と俊足の、1~3番を組む外野陣でスーパーカートリオと名は馳せていました。
 その屋敷要さんが、指導者解説者を少し経験した後、子供の頃には興味があったものの、現役時代は縁のなかった、鉄道、蒸気機関車の写真に魅せられ、撮り鉄型の鉄道愛好家としてメディアのに登場し、いまや「元野球選手の、」という前説の肩書は要らない、評価の厳しい鉄道ファンからも認められた、屋敷さんの楽しそうな仕事が見られます。カメラも一流になり、真摯に打ち込まれたのが良く分かります。

 もちろん、現役の延長戦というより、その知名度を生かしたビジネスを拡大しているサッカーの中田英寿、本田圭佑のような例もあります。また女子アスリートもその容姿やスタイルを活かし、女優やモデル、タレントの転身したり、やはりビジネスで成功している例もあります。自分の才能、能力を良く見極めて人生設計している姿ですが、ここまで常人は少し真似できないクラスになります。

 還暦過ぎてからのの就職、生き甲斐の持ち方はよく似た難しさがあります。よく聞く話が、先ほど書いたように、職場では管理職や役員まで上がった人が、降格でヒラのような仕事で定年延長や再雇用の待遇を嫌がり、別の仕事を探そうにも高齢ではとても雇ってくれる職場もこなせる仕事もありません。
 そもそも「一兵卒」「雑巾がけ」でプライドを捨ててやる覚悟と、前の仕事をしながらもやりたかった仕事へのスキルや知識がないと、好条件のヘッドハントなど増してありません。
 幸い、子育ては終わり、マイホームのローンも終わり、退職金や年金である程度の生活基盤が見えればそう焦らないで力を抜いて、子供の頃の夢、若い頃やりたかった頃、残りの人生やりたいことを見つけることです。
 未経験の仕事を教えてもらいながらするのですから、雑巾がけから始められることに喜びを見出す謙虚さは要ります。
 横を見れば、同い年の中には、まだ定年がなく70歳以上でも高収入で働き続ける人もいるでしょうし、すでに年金生活でシュリンクした暮らしの人もいるでしょう。どちらをやっかむとか、性悪,是非はありません。他人の人生を羨んでも、やっかんでも他人にはなれません。未だに引退できない人も30歳で引退した人も、苦しむも楽しむも似たようなものです。
 一つの仕事、業界を貫き生き通すのも良し、またいろんな経験を楽しむのも良し、早めにリタイアするのも良しです。
 それぞれ、自由ですが、私は人生いろいろ経験して、この年でも雑巾がけ、一兵卒から始められるのを喜びとしています。
 それにはとても深い意味があります。


平均寿命,平均余命,健康寿命

ファイナンシャルプラン、社会保険、年金などでは平均寿命とかの言葉がよく聞かれます。残りの人生の期間を算出し、どのくらいの支出に備えるのかです。
 平均寿命も、毎年伸びています。男性でも81歳ぐらいになってきています。若くして事故などで亡くなった人もいますから、今の中高年の方の余命はそこからさらに少し先となります。
「長いなあ」と感じる人もいれば「まだまだ生きられる」と思う人もいます。人生100年時代というのは、生物学的にも実証されているようで、目だとか内蔵などのパーツは120年以上もつようになっているそうです。脳科学の話で聞くと、100歳まで脳は成長するそうで、還暦というのは成熟してから期間としてはまだ半分なのだそうです。

 それでも、著名人の訃報などを目にすると、60代後半から増えだし、70代に入るとイッキに増えます。持病や事故、不規則な生活など、自分にはあてはまらないと楽観する人もいますが。100歳まで生きる人が平均を上げていることを考えると、60歳ぐらいから亡くなっている人はかなりいるわけです。平均の数値を植え付けられると、多くの人がそのポイントで一斉に亡くなるように思われますが、そんなことはないのは少し考えればわかります。
 繰り下げの年金制度で、年の年金額を増やそうと貰うのを遅らせても結局貰えないとか使うこともなく死ぬ可能性はここにあります。優雅な老後と思いながらも、結局はこの年齢になると命はあっても、病気で療養という可能性もあります。健康寿命は平均寿命マイナス10と言われます。そうなると、まだまだしっかり歩き、活動できる期間は案外残り少ないのが中高年の現実です。
 だからこそ、いろいろ健康に気を使いながら、お金は大切にしつつ使い、やっておきたいことをやり、会いたい人に会う、悔いのない毎日を過ごすのがベターと思います。

読書レビュー:坂本貴志「ほんとうの定年後」       高齢者の生き方、働き方

 帯の煽りが良いのか結構売れた本のようです。内容は、良く細かいところも調べてはいます。

 60歳の還暦、定年にジンと来ていたのもつかの間、あっという間に後輩たちも還暦を迎える報を受け、次は雇用延長も終了?の企業が増える65歳を迎えようというのが私たちのの世代です。
 学校を卒業してから勤めだし、定年延長まで働いた人は確かに大きなターニングポイントになる65歳ですし、体力的にも自営業などの方もそろそろ事業を継承や引退を考える時期です。そういう世代、あるいはその手前の方、もう過ぎている方にも大いに参考になる、働き方、生き方の本です。
 この本は1985年生まれのエコノミスト、アナリストによるもので、こまめに分析されています。他の方のレビューでも見かけましたが、やや男性目線の話が多いと指摘されています。しかし現在の高齢者がかつて「男は仕事、女は家庭」が主流だった時代を生きてきている関係もあるである程度仕方のないところでしょう。
 あと10年もすると、専業主婦の割合は増えだし、今の若い人が高齢になった時は世帯の年金や働き方としては男女がかなり似かよってきます。

 ルポ、体験談などは自分も経験してるし、見聞きしているのでそう目新しいものばかりではないですが、統計値を見ての論説にはうなるものがいくつかありました。
 形はどうあれ70代でも働いている人の割合が半分近いのには驚きました。裏を返せば半分ぐらいは働いていないのです。年金や家族の扶養、貯金の食いつぶしで生活しているということです。ごく当たり前のことですが、なるほどそういう割合なのかと思います。
 
 70歳をすぎて、ゆとりのためならいざ知らず、生活費のために働かざるを得ないのも厳しいなあとも感じていましたが、働かないでも食べていけるから絶対幸せで居場所があるかはわかりません。
 高齢、この年齢になって、さらに70代、80代で、居場所というのか、終の生き方を見つけるのが大事なところです。
 私自身は大企業を60歳で延長せずに定年退職し、その後公務員のような仕事にありついています。化粧品のメーカーからは随分変わった転換をしているように思われますが、60代手間から、随分と「働く」ことへのプレッシャーは減り、自分を見つめ直す機会に恵まれたのは、この本に書かれている通りで決して非凡ではないとも感じました。
 とくに若い頃は、目の前の仕事を必死に頑張る藻は大事ですし、そうしないと食っていけません。それでも将来を見据えて何か自分で学び、身に着けていくことは大事だと思います。学生時代から社会人になっても勉強して、身に着けたことは必ず何か後で役に立つ、損をすることはないと思っています。

2025年金制度改革速報!?

 

 参考となるのは「令和6(2024)年財政検証結果の概要」(2024年7月3日、第16回社会保障審議会年金部会)ですが、かなり長文で難解で、要約しても何かわかりにくいかもです。
 正式に決まるのは与党、国会を経てですが、マスコミの速報でも「65歳までの国民年金の拠出期間延長」は見送られたもようです、さんざんネットでも100万円の負担増とか言われていました財政上は有効なのに、批判を恐れるのか無理だと判断したようです。
 あとデマ混じりに、「付加給付」「遺族年金」「3号制度」が無くなると言われていましたが、それもありません。抜本的な改革が今後持ち上ればですが、今具体的に出ていないとまずないでしょう。
 遺族年金や寡婦加算などの男女格差についても触れられていません。マイナーなので効果も測定されてなにのか触れられていません。幹を変える議論中心なので、枝葉の部分ですから、逆に小さく改定される可能性は残ります。
 報道では「在職老齢年金の撤廃」「厚生年金要件拡大、扶養106万の壁の撤廃の検討」に言及されていますが、世論の観測気球的な場合もあり、支持率下ルならやめようかみたいな可能性も残ります。
 そんなことでは大きな改革などとてもできなのですが。2025年で大きく変わる可能性は小さいかもしれません。

 【ニュースの要約】
 7月3日発表、厚生労働省が年金制度の財政検証結果を公表し、所得代替率が50%を維持する見通しとなった。財政検証は5年に1度行われ、今回の結果を踏まえて与党との年金改革議論が進む予定です。
 所得代替率は2024年度に61.2%見積もられ、基礎年金の拠出期間延長案が注目されました。具体的な案として、拠出期間を45年に延長することで所得代替率が6.9%改善するが、負担増加も懸念されています。(負担増のブーイングがあり、今回は見送られそう。ある意味残念)
 厚労省は他の改革案でも所得代替率向上の可能性を示唆しました。
 年金制度改革は財政の安定性や信頼性向上だけでなく、人手不足対応も重視されている。在職老齢年金制度の撤廃案や第3号被保険者制度の見直しも提案され、労働力不足問題への対応が求められています。
 特に在職老齢年金撤廃案では、給付が増加する一方で将来の受給世代に影響があり、年金財政に悪影響(2029年に0,9%)が及ぶ可能性も指摘されてはいますが(それでも撤廃案に踏み込むようなニュアンスです)(ここは観測気球なのでしょうか)
  第3号被保険者制度の改革も労働力不足を考慮し、年収106万円超えると問題が生じる「106万円の壁」が存在しています。
 女性の社会進出を促進するためにも制度改革が必要であり、高齢化が進む中での課題に対処するために政府は抜本的な年金制度改革を急ぐ必要があることは明らかです。来年の年金改革に向けて政府の積極的な対応が求められています。

 たった0.9%の財政悪化など、景気や少子化の予測の誤差の範囲で、積立金の配当でカバーできそうなものを、在職老齢年金撤廃が、「働き手確保OR給付財源優先か」世論の様子見でまだ微妙です、この報道だと、反発が少なければ撤廃の方向ではあるようです。
 所得代替率が6.9%も改善できるのに既得権の反発怖れて、国民年金拠出5年延長45年案は据え置きというのも情けない話です、
 ベーシックインカムなどの抜本的改革など考えてひねり出す政治家や官僚が現われないのはとても残念。
 結局、受給者、勤労する高齢者、受給期間の近い中高年、遠い若者、それぞれの顔色を窺いすぎてたら何も変わらず。制度がつぎはぎだらけで老朽化し、誰もが不満のままジワジワ沈んでいくのではと思います。
 早く決めないと5年の拠出延長も経過期間を考えると実効はとても遅くなります。
 女性を中心に働き方は昭和61年頃とは大きく変っているのに、3号制度もですが、遺族年金の規定、中高年寡婦加算などは手付かずだと、実際に世の中との乖離が長く続きます。イッキに変えないと一貫性もない部分もありますが、寡婦加算や遺族年金の男女不平等など早く止めたらと思います。マイナーチェンジから始めればいいと思います。

 個人的には、あまりにも経過措置が煩雑になりそうで事務方も大変だと同情しますが、そんなことは偉い人にはわからないです。

使い捨てられる傘

 雨の季節なので傘の話題ですが、日本は雨が多い国ということもありますが、世界一傘を生産して販売している国です。これは人口比では圧倒的に多く、消耗品ではないのですが、成人一人より多い1億3千万本の傘を販売しているそうです。
 その6割以上はビニール傘で、年間8000万本消費され、もはや使い捨て感覚で購入している層も多いようです。
 コンビニに勤めていた人に聞くと、コンビニで忘れ去られるというか、気にしないで置いたままになるビニール傘といいうものは物凄い数になるようです。大型のゴミのステーション用コンテナが満杯になるほどですから、ある意味すぐ燃えるゴミになる弁当などの食料品系の残飯ゴミよりも廃棄に困り性質(たち)が悪いのです。
 私の勤めていた会社や役所でも,ルールを決めて処分しているところ以外では、とにかくどうでもいい誰のカわからない不潔な傘が溜まります。いざとなると傘立てが満杯で使えないというぐらいになります。
 梅雨時や真夏は出かける時晴れていても、急な雨にあうことがよくあります。しかし、大金持ちならいざ知らず、税金や物価が高いと言いながら、コンビニで傘を買う贅沢というか浪費をする人の多いことには驚きます。そもそもお金持ちやファッションに敏感な人は、しっかりした機能、デザインにすぐれた傘を持ち、安っぽいビニール傘は持たないでしょう。
 コンビニの少ない田舎や、30年~40年ぐらい前の日本ではまだ、傘は使い捨てのようにポイポイとされていませんでした。靴下と同じように、破れれば繕い、骨を修繕したり交換したりして使い続けていましたし、どこかに忘れたとなれば必死で探したものです。
 急な雨で傘が無いとか、忘れると、駅前まで家の人に傘を持って迎えに来てもらう光景もありました。本当に家の人も来ないと誰かと相合傘でということもありました。
 今は相合傘も死語に近く、お迎えの微笑ましい光景も、見かけることもありません。
 こと傘に関しては、直したり、失くさないように大事に使う精神がなくなったのは残念なことです。
 「またコンビニで買った」などとお金をどぶに捨てる自慢をしてないで、夏などは置き傘や折り畳みを晴雨兼用で持つなど少し考えればできそうなことをやらない人が多いのは何なのでかと思います。
 賞味期限の過ぎた食品、靴下や下着なども丈夫でも一度破れれば終わりで捨てられます。
 スマホはじめ家電なども値段の割に保証期間を過ぎると壊れやすいのもが増えて、新しいタイプが推奨される時代です。
 社会の多くの人が使い捨ての割高にシフトした結果、結局実質の可処分所得は少なくなり、多くの人の生活は貧しい時代になっているのではと思います。

時代に置いて行かれる、昭和生まれのエイジハラ?

 アクリルにこじゃれたプレートの表札、セキュリティの番号を知らないとノックもできない住居が増えたました。火事や老朽化による建て替えで減りましたが、それでも未だに木造の長屋や安っぽいモルタルやコンクリートの〇〇荘というのも近所にあります。
 タイムスリップ?もののバブル期や昭和末期でもなく、もう50~60年の築年数でしょうか、本当に吸い込まれてタイムスリップすうような雰囲気のところもあります。

 職場でも、同窓とかでもやはり昭和生まれは、なかなか今のハラスメントや、コンプライス違反が肚にははいっていません。
 完全なダメオヤジというか、突き抜けて昭和のまんまと言う人もいますし、意外と厄介なのは、表面的には理解しているけど、結局はもう今はそれでもアウトがわからない人です。
 若い世代に理解のある先輩、上司であろうとしつつ、「私の時代はこうだったけど」を、ついついいってしまいます。時代の史実だけなのが良そうそうですが、結局は「昔のようにサービス残業なないから、ラッキーな世代だよね」「ネットで検索したり、コピペするのが当たり前なんだろう」のような言い方はエイジハラです。もちろん、若い世代にオヤジ狩りのように、無能扱いされる逆のパターンもエイジハラですが。露骨な高齢者いじめがないとしても、それはそれで高齢に気をつかうことで、職場の効率も下がります。
「あの人、前部長やったけど、今再雇用で何にも仕事できないで、たまに「どうや」とかお菓子もってくるだけで、影では「忙しいときにファイルの開き方とか初歩的なことで何回も時間止めるし」「退職金もらってアレで、パートの何倍も給料もらってるんよ、正社員は優雅な会社よ」昭和の激動を乗り切り、雇用延長後はヒラに落され、給料は半分以下でもそんな言われ方をされています。
 デジタルに追いついている人はまだマシで、WINDOWSの発売から、ワープロソフトや、パソコン通信の歴史を語れるような人はまだ重宝されます。スマホ世代で、ワードを卒論でやっただけで、Excelも全く知らない大卒世代が増えていますから、ビルゲイツ世代の私たちが「年齢だから」と若者に劣るわけはなく、そこは私は強く反論させてもらいます。
 デジタル化についていっていないでも、逆にやはり、若い世代が経験していないいろいろな苦労をしてきている世代ですし、企業や社会を支えてきたのが高齢者です。
 65歳なのか70なのか75歳なのかは別として、この世代もいい人も悪い人もいますので、世代で括って高齢者とするのは不適切としたいです。