ネットテレビの時代

 テレビを買い替えました。

 壊れたわけではないのですが、4Kやネットに対応ということもあり、約15年ぶりの購入です。

 2011年アナログ地上波終了を前に政府がエコポイント付与をやっていた時期から15年ほどで、まあよくもったものです。

 この間個人的にも還暦、定年を迎え、子供たちも就職、このテレビも買うまでに成長しました。

 しかし、エコポイント付与は官主導の典型的な愚策だったのか、家電業界の凋落は始まります。液晶テレビで勢いに乗っていた名だたる国内家電大手はこの15年の間に、どこも大きな変革にさらされ、一部は消滅、吸収され、撤退し、日本経済とともに転がり堕ちるのでした。

 この間、ネットやスマホの普及も顕著で、ガラケーが淘汰される時代になりました。

 地上波チューナーのないテレビもありました。私の子供らはまだ新聞のテレビ欄を見てという習慣はありますが、もう新聞も取らない地上波テレビも見ない世代が親になっていき、いわゆるオールドマスコミはコンテンツを発信する一つの業態になっていきます。

 テレビも、多くのネット配信を見るモニターとしてのハードとなりました。

 たった15年、変わっていないと思いつつ、世の中どんどん変わっているのです。

 衛星放送で他チャンネル化した時も、こんなにたくさん見るものがあったら、時間がいくらあっても足りないと思いました。

 今WBCで騒がれるネトフリや、ダゾーン、ティーバーやアマプラ、ABEMA、YouTube、家族のサブスクでいろいろ見れると、何だかとんでもないコンテンツ飽食の時代も感じます。

 それでも本を読むのがまた、カッコいい。

 

 

 

老老介護の時代か

 私の住むところも政令指定都市とはいえ、周辺部の住宅地で日本のどこにも漏れず高齢化の進んだ街です。

 新築購入のマンションには住んでしたが、12年経過して住んでいる人は私も含め熟年が増えてきています。

 小学生のまとまっての登校、幼稚園、保育園のお迎えのバスも来ますが、少しピークが過ぎるとデイサービスのバスもいくつも来ます。高齢者なのでお迎えというのは冗談にも不適切と言われるのでしょうか。介護サービスに預けた後のご家族さんも少し息がつける安心感が何とも切ないです。

 散歩に歩く近所のお家も小洒落た新築もあるものの、昔からの家が多いです。

 やはり高齢者がデイサービスに来る姿も見ます。

 杖やストックで頑張っておられる高齢者も見かけます。

 私もリハビリ中で杖こそないですがそんなに早く歩けないので、概ねよほど弱った高齢者以外は先を譲るぐらいです。

 鼻歌を歌いながらマイペースで歩幅や姿勢に気をつけてさっさとは歩いているつもりです。

 ある日の、後ろから♪カラスなぜ鳴くのと「夕焼け小焼け」を口ずさむ声が聞こえて来ました。ちょうど同じぐらいの速度からだんだん近づいて来ます。

 ホラーっぽい感じですが、高齢の女性が、やはり高齢の車椅子に乗ったご主人に歌を聴かせながら押して歩いておられるのです。

 ご主人が認知なのか足が不自由なのかはわかりません。ご近所の方も、どうですかみたいな声をかけて、ぼちぼちですと無難な返事をされていました。

 微笑ましい光景でした。このこ婦人が車椅子を押せる体力と、老いた夫を気遣う優しさを持っていることに感心しました。

 夫婦が老いていき、他に家族で介護する人がいないとなり、お互いのどちらかがが車椅子を押して介護する確率というのはどのくらいなのでしょうか。

 家族なら当たり前のようで、お金が潤沢なら人に頼むとか、片方が急に悪くなり過ぎる場合や、双方そこまでの体力も気力もないとこれはできません。

 経済状態や過去の経緯など知るよしもないのですが、当たり前に介護する側、される側それなりに徳があったのではとも思いました。

 そんな徳のある人が多い時代ではなくなってきているので、やはり自分の健康、特に足腰にはますます注意していきたいとは思いました。

 医学が発達して、統計上高齢者の平均余命は長くなっています。それは健康寿命が伸びている訳ではなく、長く生きながらえるということは辛い場合も多いのです。

 やはり、棺桶に入るまで自分の足で歩いていきたいものです。

http://seizafpkotodama.com/2026/02/14/%e3%80%8c%e6%a3%ba%e6%a1%b6%e3%81%be%e3%81%a7%e6%ad%a9%e3%81%93%e3%81%86%e3%80%8d%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%81%a8%e6%ad%a9%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%91%e3%81%aa%e3%81%84/

人生後半へのヒント?

「島耕作」シリーズや「黄昏流星群」などで知られる漫画家の弘兼憲史さんは、シニアの生き方に関するエッセイ、啓発本も多く出かけておられます。

 年齢的には私より12歳上で、島耕作の舞台、モデルになったとされる松下電器産業(現パナソニック)に入社して数年でドロップアウトして漫画家デビューされています。

 同世代サラリーマンたちの定年後や、島耕作ばりに役員になった友人もいるのでしょうか。

 リアルに響く助言もあれば、まあそれだけ印税も入る立場で書かれているからと、少しやっかみで共感できないところもあります。

 知識や考え方、割り切り方は参考にして、実際に羨ましがるのは抑えながら読むのがこの手の本です。

 成功した人は、奥付や解説読むと、気後れしますが、まあ偶然もあり運もあったのでしょう。そのタイミング、その時の流れ、人の流れでないと大成功はしないので、多くの人が憧れてもしかたはないです。

 島耕作で描かれる家電大手企業もドロドロとした人間模様でしたが、実際のパナソニックもなかなかに今苦しい業績です。創業者松下幸之助も神様扱いされますが、後継を間違い派閥争いが常態化して、得意分野のない企業となり苦戦しています。

 業界全体が苦しく、どこも本来のテレビや冷蔵庫といった家電がメインではなくなってきている中で松下幸之助が生きていればどう考えるでしょう。

 話がそれましたが、神様の威光も、経年劣化しているぐらいですから、凡人のシニアが、少し考え方を変え工夫しないと気楽な老後はないということです。

 ただ、あの大松下とふんぞり返る肩書の人間でも会社を辞めれば、普通のシニアです。

 現役の肩書では楽しくは生きていけないのです。

 シニアはダウンサイズした生活を、楽しみながらとも提案されています。

 もちろん、まだ生涯いつまでも何らかの肩書のある現役の役員さんという人もおられます。シニア対象の啓発書は、対象の環境がまちまちなので、自分に上手く当てはめて考えるのが読み方です。あまり力を入れず、残りの時間を逆算してやり残しのないようにはしたいものです。

 戦前派の五木寛之さんとか、森村誠一さんの本よりはさすがに共感部分は多いです。

 しかし、まあ難しいのはやはり人間、他人の成功を素直に喜ぶより、やっかむ心理は生まれやすい点。自分の度量の無さもよくわかりました。

 サクッと何冊か、漫画の感覚で読めます。

 

 

 

 

「棺桶まで歩こう」ちゃんと歩かないといけない

 キャッチーなタイトルで、中高年への運動啓発本かと思わせますが、高齢者にウォーキングを勧める本ではなく、終末のあり方の話です。

 在宅緩和ケアで2000人を看取った医師の本です。

 日本のとことんまで生命を長らえる医療の課題はよく聞く問題です。何となく延命治療を選ぶことがないように、真剣に老後を考える内容です。自分らしく在宅で穏やかな最期を迎えられる心のケアが中心になっています。

「歩けるうちは死なない」とコピーになっていますが、そこから終末医療に関して考えさせられるものです。

 健康寿命と言われますが、寝たきりとなっての期間が長いのはいくら長生きしてもやはり辛い時間になるのは分かります。

 歩くというのは比喩的な表題ですが、実際に一時的に病気などで歩けないと不自由を感じ、お金があっても何となく悲しくなります。

 クルマ社会ですから、私なども営業で車を与えられてる頃、目的地までギリギリまで車で行くのが当たり前でした。それが習慣づくと、歩くのが億劫になり歩く力が落ちていたものです。ウォーキングの良さと楽しさがわかると目からウロコが落ちた感じでした。

 時間や距離もですが、訪れたい名所など目的がある散策が良いとは思います。

 しかし、本格的なウォーキングはしっかりした姿勢、歩幅をとって、短い距離でも毎日継続する程度で良いと言われます。公園や広いショッピングセンター、マンションの空いてる空間などフラットで車の少ないところでしっかり歩くことです。

 逆に悪い歩き方だと、膝や腰に負担がくる場合があるので注意です。外を歩く場合、交通事故はもちろん、段差での転倒、衝突などの可能性は距離や時間に比例して大きくなります。

 若い頃から、習慣で健康とダイエットのため、バス停や駅間一つ歩いていた人が、結局躓いて歩けなくなったという笑えない話も聞きました。慎重に歩くのと無理は禁物です。

 高齢者の医療費負担割合が政治的にも問題になっています。政党や政府も後期高齢者の負担割合を3割にする検討を始めています。

 そうなると、高齢で医療期間にかこるか否かで本人や家族の負担の差も大きい時代になります。

 健康で病気をしないのが一番です。

 健康保険が高齢者に使われる割合が多く、現役世代の手取りが少ないので問題になっています。

 高齢者に対する保険適応の治療も、延命治療で診療報酬が稼げる制度をやめれば、現役世代の負担は減るのではと思います。

 

 

続編も騙される それでも感動の連作短編 「看守の信念」城山真一

 刑務所内の謎を解明する連作短編集ミステリ第二弾。

 第一作も巧みなミステリと、珠玉のような人間模様を描いて、短編集の最後でもドンデン返しを食らわされました。この第二弾でも見事に感動と謎解きと、連作の最後でドンデン返しをやってくれます。

 第一作があったから、続編では無理と思って油断してた人はレビュー見ててもたいていひっかかっておられます。

 見事につきますし、やはり中でも「がて」は涙出ます。何度も窃盗で刑務所に入った男とジヤズシンガーと文通のやり取りなのですが、謎解きイコール感涙となる仕掛けがすごいです。

 出所後の就職を仲立ちする部署が登場し、受刑者が働きにつく苦労も描かれます。なかなか社会では一度歯車が狂うと、元に戻るのは難しいのが感じられます。

 職階やら権限、制度など細かく取材されているでしょうし、多くのエピソードも創作とはいえ検証もされているのでしょう。

 取材力と創造力のたくましさに関心するしかない。この事自体がネタバレになりそうですが、連作最後の小気味よいドンデン返しは絶対映像化が不可能なので、本を読むしかないのも好感です。

読書レビュー:「ヒロシマ」ジョン・ハーシー

 米軍従軍記者が、原爆投下直後の広島から.生き延びた6人を追ったルポ。

 医学博士、ドイツ人神父、牧師、開業医、女性労働者、市井の後家さん、それぞれ家族や友人を失い、自らも原爆病と戦いながら生きていきます。

 当たり前のことですが、原爆の日からしばらくは、爆弾の威力も病気になることも誰もわからなかったのです。ガソリンやマグネシウムを前もってまき散らしたのかとも思われていました。

 普通の市民や医者が考えて、当時想像された火器の威力を遥かに超えていました。人道上使用されるべき兵器として、殺傷力だけでもケタ違いすぎていました。

 東京裁判はもちろん戦勝国の主催の法廷であり、公平公正を願うのは無理ですが、日本人に限らずドイツ人やアメリカの一般市民でさえ原爆を投下を決定した者こそ絞首刑にすべき戦犯ではないかと言うのは本音でしょう。

 かと言って、ルポは淡々と綴られます。家が崩れた後にやがて草花が生えだすとかいうのは、やはり取材されてないとわからない描写です。

 1985年までの各人の生き様を追っています。その間に、アメリカはビキニ環礁で核実験、第五福竜丸の事故を起こし、ソ連、中国、インドと核を開発し実験を行う時系列が書かれています。

 ヒロシマの訴えは、常に警鐘を鳴らしておかないと、原爆の惨劇を知らない世代の国会元首や軍人が何をしでかすかわからない時代に入ってきています。

 焼夷弾の空襲には訓練され、防空壕が各所にあった時に比べて、何の危機感もない軟な世代です。ゲームや映画のオブラートに包んだ表現しか見ずに、あれが戦争と思っています。

 しかも家族、地域や近所で助けあい励ましあうような関係も稀有な社会、人口の密集した都会にこんな核攻撃が起これば一体どうなるのか。

 喉が渇けば、冷蔵庫に蓄えがあり、自販機もコンビニもあり、キレイなトイレも風呂もいつでも使える現代。その当たり前の快適の対局に戦争があることは、少なくとも反戦とか思想、政治信条以前の問題として、事実認識と伝えることは必要なのでしょう。

 暑い、苦しい、水を求める人々、重症でもはや見捨てられる人の描写はやはりキツいですが、世界のどこかの戦争ではこういう場面が今もあるのかと思うと、人類は何をやっているなかと思います。

 核はやはり禁じ手にしないと

名作読者レビュー:松本清張「点と線」

 古典とか昔の名作を再読するのも滅多にないのですが、たまたま、気になった興味深い点がいくつかあり、文春文庫がキレイで読みやすそうに見えたのでイッキ読みしました。

 とにかく文章上手いし、面白いし、まあそれほど長くないのですが、あっという間でした。

 昭和32年連載開始で、映画化も含め、66歳の私が生まれる前、新幹線もできる前の時代の作品です。

 中学生ぐらいの時に、松本清張さんがわりとブームにもなってて、カッパ・ノベルス(新書判)を母が買ってて読んだのではと思います。内容はあんまり記憶にないのですが、同じキャラの刑事が出る「時間の習俗」も読んだかすかな記憶があり既読だと思います。

 福岡の香椎海岸で見つかった男女の服毒死体。官僚と水商売の女性の心中かと見られたものを地元刑事が、男性の財布に入っていた寝台特急の食堂車から、小さな疑惑を抱き、警視庁の若手刑事へと繋ぎ、精緻で堅牢な大きな壁が少しずつ、

 ネタバレ的に、有名なアリバイトリックが上っ面だけで語られて、交通インフラが進化した今では、古臭い印象だけ上書きされていました。

 いや、なかなか全てに面白いのです。

 アリバイそのものは、専門家の鮎川哲也らが貶したらしいですが、ストーリーとしてよくできています。

 堅牢なアリバイの壁が何重にも刑事に立ちはだかります。そして、犯行の背景が、社会的でもあり、また男女のドロドロした情念もありで、このあたりは鮎川哲也など全く及ばない力量です。

 警察小説的な展開で、最初の犯人の登場からは、あとは全て捜査する警察側からの視点で、倒叙もののような構成です。最後は警視庁と福岡の刑事の書簡だけで真相が明かされます。

 社会派と言われる官僚と癒着業者の不適切な関係、汚職が絡んでおり、時代も当時らしい男と女の情愛も描かれていました。

 その後、角川が横溝正史を掘り起こし、新本格の時代となり、おどろおどろしいミステリが復活して、なぜかリアルな社会派の松本清張はミステリ界でも少し隅に追いやられて行きました。どっこい清張はやはり優れた本格ミステリです。社会派というレッテルだけで読まず嫌いの友人がいて残念でした。

 今の時代とは相当捜査も違うのは仕方ないですが、探偵の発想や捜査の流れはその後の西村京太郎らに引き継がれる王道です。

 今ならメールでやり取りできる依頼を電報でやっているのが少し笑えますが、それが現代の科学捜査への依頼などと、スピード感覚的に変わらないです。

 警視庁の刑事がコーヒー好きで、東京でないと上手いコーヒーが飲めないというのも時代を感じさせます。寒冷前線という言葉が斬新だったとか、応接間に接待煙草が備えてあるのも、今の創作ではまず思いもつかないでしょう。

 難読な香椎(かしい)という地名、香椎海岸、香椎線香椎駅、西鉄香椎駅が重要な舞台となります。

 私にとっては最近の鉄道趣味として、ハイブリッド車両を導入し、自動運転を行う香椎線が頭に浮かぶのですが、もう一つの趣味の読書、ミステリの金字塔のような作品の聖地だったとは驚き、まさに点と線が繋がりました。

 ビートたけしが主演で2007年にテレビドラマ化はありましたが、映画化は、他の松本清張作品に比べ少なく、昭和33年に小林恒夫監督で一度きりです。完全な映像化は内容も時代も難しくなっているようです。

 脱線する蛇足ですが、ちなみに映画の主演、刑事役が抜擢で南廣さん、バンドや刑事ものも出られてますが、ウルトラセブンの終盤客演宇宙ステーションクラタ隊長や、マイティジャックの隊長で子供世代には著名な方。特撮繋がりでは、被害者の役人を演じた成瀬昌彦さんは、ウルトラシリーズ屈指の悪役俳優です。犯人役山形勲さんは時代劇や刑事ドラマの大物悪役が多いですが、ウルトラマンエースでも防衛軍のパワハラ上司でした。ここでも点が線に繋がりました。

 

読書レビュー:城山真一「看守の流儀」ドラマとは全然違う秀作

 このミス上位で手をつけてなかったのてすが、素晴らしい小説でした。

 昨年のドラマは幸か不幸すぐ離脱して見てませんでした。これはもうどう考えても小説から先のが面白いのです。

ドラマや映画、演劇というのは脚本や監督、キャストやスポンサー、尺の問題で原作と違うと、騒がれる場合もあります。

 基本的にどこまでを原作、原案とかに区別するかは微妙な問題です。時代を変えたり、外国を日本になど場所を変えても、基本的な話の根幹が同じなら原作とされる場合が多いです。著作権も絡みますから、イメージだけでこれは原作と違うと読者が不満を言っても難しい所です。

 最近は作家が映像に寄せて、これこれの俳優をイメージしてキャラクターを作っている場合さえあります。

 しかし、小説というものは、活字の文章から読者が想像するもので、そもそも最初から完成した情報が入ってくる映像作戦とは違うのです。

 全てを実写、実際の役者さんが演じると、ミステリの場合は使えないジャンルのトリックがあります。

 この小説をドラマを先に見るべきではないのはキャスティングを見ただけで重要な結末が予想されてしまうからです。

 もちろんその意外な結末を知っていても、十分本は楽しめるのですが、肝心の意外性、やられた感は奪われてしまいます。

 まして、ドラマで見ちゃうとわかったようになって原作を読まない人もいるので残念です。

 映像化の原作なら、本が売れるのも分かりますが、これはちょっとドラマ化しちゃうのは私なら反対です。

 それでもドラマ化したテレビ局はある意味エラいですがね。

 ずいぶん、ネタバレ的なところまで引っばって書きましたが、刑務所の中がほとんどの連作短編で、刑務官と受刑者、関係者が登場人物で納得ゆく結末もあるものの確かに重いストーリーです。

 この時代、恵まれた当たり前の暮らしをしている人に刑務所の中、犯罪者の暗い背景、そして地味な公務員としての刑務官の描かれ方は普段なかなか想像できないものです。

 これをよく完成されてミステリにしています。

 しかし、ドラマっていうと、やはり美形の俳優が演じてしまって、そこで想像が止まるからやはり難しいですね。刑務官なんて地味な公務員の中で最たるものだから、イケメン俳優や美人女優が充てられた段階で、いくら演技をがんばっても違うものになります。

 それはそれで人気俳優に出てもらいみんなに見てもらってテーマを分かってもらえばという意見もあろうかと思います。しかし、それもやはり内容によるのです。

 だもんで、二重の理由で、このドラマと原作は全く別物、なおかつ先に小説を読むべしです。

 刑務所の中でもいろんなハラスメントがあり、刑務官も公務員、上位職や年功、経験でいろいろイヤなことがある。いろんな組織が、一面社会の縮図なのでしょう。

 

 核はやはり禁じ手にしないと

 漫画のレビューをするのは珍しいのですが、少し広島の原爆を調べていて見つかった本です。後半、熱く長くなってしましました。

 考え方が真っ直ぐで原爆の悲惨さをしっかり伝えたい訴えたい気持ちがよく分かります。

 広電の女性運転手、被爆電車のお話はドラマ化もされ有名です。もう一話、反戦の気持ちを抱えながらも軍医となった広島陸軍病院の医師が焦土の中を奔走するお話。

 この本を読み終えたのはモールのカフェコーナーで、外は寒くても暖かい中でした。平和な日本で珈琲と甘い物を食べ、多少は景気が悪く貧しくとも周りもみんな楽しそうで、赤ん坊を連れた母親もくつろいでいます。

 この人たちは、身体中に火傷を負い真っ黒の遺体になることも、突然高熱と発疹、吐血で亡くなることもない。平和な日本です。

 しかし、広島、長崎の原爆の日から、80年を過ぎたのに、世界から核兵器は消えていないのです。

 いたずらに戦争反対、核保有反対と叫ぶことに与するつもりはありません。

 しかし、戦争が罪なき市民を巻き込み、健やかだったはずの人生を蹂躙するのはやはり悲しいことです。

 戦争は、それぞれに大義はあっても、国の疾病のようなもので研究し、治療せねばならないものでした。80年前に投下された原爆は、その悲惨な実験が終われば永久に国と国との紛争に使わないという選択肢がなぜなかったのかと思わずにいられません。

 戦争という人間の原罪、宿痾は治癒することなく、現代も社会を蝕み市民を危険にさらしています。

 日本人を守るというためには、核保有も選択肢とされています。どこかの国が核兵器で攻撃してくるので、そのためには必要かと言われればあながち間違いではないでしょう。

 丸腰で、何の武器も力もなく、武器がないから攻撃されない、財産や生命を奪われないとは強盗には通用しない理屈です。

 国際法や国連、人道上許されない兵器を禁じる条約も、結局は無力とも言われます。

 では強いものが勝ち、常に正しいのか。あるいは強いものの庇護のもとなら、人道上許されない兵器が使われても良いのか。

 正義とは何で、正義とはどこにあるのでしょうか。

 核兵器を持たないというだけで、核兵器を持つ国の傘に入っている。

 原発に反対しながら、原発の電気を回してもらい、原発の危険は他の地域や国に被ってもらう、お金が回っているならそれでいいかなというのと、やや似ています。

 原子力も発電の場合は上手くコントロールすればアリとも言えますが、兵器としての核はやはり最終的に使われてはいけないのが大前提にならねばです。

 放射能の恐ろしさは、戦後アメリカの免罪のための正当化や原子力政策のため、少しずつ、マイルドに表現されるようになったのではと思います。時代の波、経年でその悲惨さと鋭利さが伝承されないのではと思います。

 冷戦時代は、SFや特撮ものでは、核兵器による人類絶滅の終末が描かれたものが多かったです。ゴジラはじめ東宝や円谷でもそうですが、放射能も核兵器もマイルドな描かれ方になって、CGや科学的裏付けはしっかりしても、終末は多岐な未来の一つのようになり、危機感を伝えるものでなくなってきたように思います。

 独裁的な人間たちのナショナリズム支配では、核兵器の発射ボタンが押される確率は残ります。

 かつて戦争は兵士同士が名乗りを上げて戦っていました。今でも宣戦布告はあり、禁じ手はあります。戦争が中世、近世、近代、現代と進むに連れ、かつては考えられなかった市民、ロジスティクスを攻撃するなどもアリとなりました。

 軍事施設を攻撃するだけではなく、食料倉庫や病院、学校なども攻撃すると、国際法上許されないとは言われます。しかし、逆に偽装した部隊やゲリラが逃げ込んでいる場合もあり、フェアな戦争の判断は難しいです。近代の戦争はたいてい陰謀めいた暗殺や爆破事故などがきっかけで真実はわかりません。

 権力者が、大量破壊兵器を隠し持っていたからとか、あの紛争地域の自国民を救うためと強弁すれば何でもあり、勝ったものが正義です。

 主義や思想や宗教は自由としても、市民を巻き込む人道上許されない方法での戦争とその兵器に関しては、早く禁じ手を全ての国が批准して決めないと、やがて日本民族の危機も来ますし、人類の危機は続くのです。

 あえて左翼系、平和を訴える人にもここで強く考えて欲しいのは、戦争反対、核保有反対、平和憲法、自衛隊派遣反対と、戦争に頬かむりして蓋をしてもいけない。戦争とは何かしっかり見て伝えることです。

 自衛隊が無ければどうする?もっとアメリカに頼るのか?

 結論が出る問題ではないのですが、核兵器使用に至るような戦争は絶対に止めるというポイントだけは、どんな国の人、どんな思想、宗教の人にも刻んで欲しく、伝えて欲しいのがヒロシマの教訓です。

 

 

「誠と謀略」戦後80年開戦は避けられたのか考察する

読書レビュー:橋本惠「誠と謀略」岩畔豪雄の知られざる日米和平交渉の記録

 戦後80年という節目の年で、「戦争を知らない世代」の割合が増え、ましてその深層まで掘り起こして知る人は限られてきています。

 このところ太平洋戦争が開戦前に日本人によって敗戦確実と研究されていた「総力戦研究所」の話が取り上げられ、ドラマのモデルが訴訟する件も話題になっています。

 同じ昭和16年やはり、日米間でもワシントンで繰り広げられた知られざる交渉があり、悪化した日米関係を修復しようと外交努力があったことを伝えているのが本書です。

 岩畔豪雄、井川忠雄の名前は私もついぞ存じませんでした。近衛首相や、松岡外相、東條英機ら戦争を止めず前に進めた名前の方が知られています。

 成立しなかった交渉に奔走した男の挫折を、太平洋戦争の裏歴史として、史実に基づき著しています。

 外交はつくづく伝えられる歴史だけでなく実らなかった裏があり、埋もれたものがあります。

 状況の変化もあり、ゼロか1かの成果では語れないものがあります。

 改訂版として、著者のご子息が、重い内容を現代にもわかりやすくされ、使命感を持って令和の時代に再度上梓されています。

 現代でも、世論の勢いだけでは危険であり、国際社会の外交は一筋縄では行かないものがあります。

 敵対的とされる中国やロシアにも、毅然とするだけではなく、人間的な外交努力もしていかないと国益は保てません。

 先の戦争以来、現代の戦争は多くの火器を使い一般市民の多くも巻き込み大変な国土と国民を消耗させる悪手です。

 単に厭戦、平和を望むことを軟弱・お花畑と保守層は揶揄しますが、やはり国と国が戦いもじさぬ時には、その裏ではあらゆる妥協点を見出す外交努力が必要です。

 戦後「戦争を知らない世代」と言われましたが、戦争を知る世代に育てられ多くの生き証人の話を聞けた世代する少なくなっていきます。

 歴史を現代から未来に活かすためにも、保守もリベラルも書を読み、学び、感じて次の日本の舵を取し、行き先を間違わないよう見極めないといけないでしょう。