疎水、南禅寺、哲学の道の思い出

 九州南部は早くも梅雨入りしたようです。本来は旧暦の5月(今の6月)の梅雨の晴れ間のことを言いますが、現在は5月の晴れ日にも用いられています。
 少し動くとむし暑く、いわゆる薄暑とでも言うのでしょうか、初夏の頃に感じる、うっすら汗ばむ程度の暑さを感じました。

琵琶湖疎水、国宝が増えるのはいいけれど | 天使の星座

昨日、国宝指定になったからではなく、偶然同窓生と、南禅寺、哲学の道、銀閣寺と琵琶湖疎水あたりを散策することになっており、雨の中、件の水楼閣なども訪れました。

 映画やドラマのロケにも使われる、見事なレンガ造りのアーチ橋で、この上に京都市北部へと灌漑用水を運ぶ疎水があります。
 まだ独身だった頃、上司に紹介されたセッティングで東京の本社勤務の女性の方を京都案内するという、準お見合いデートで行きました。一般的な金閣や清水寺でなく、たまたまテレビか雑誌でここキレイなだあと思った南禅寺と、その中のこの偉容の水楼閣に行き、2ショット写真も撮りました。
 もう30年以上なので、その後の交際の行く末の記憶というのが、あいまいですが、いい雰囲気では別れて、お互いの印象は悪くなかったです。
 元本社にいた上司の推しでしたが、本人にはお礼の電話をしましたが、当時はLINEなどでのアドレス交換もないですから、それはそれでいきなり遠距離恋愛にもなり、次はこちらが東京に行って案内をしてもらうのが流れなのでしょうが、そこまでの積極性がなく、もちろんもう一度彼女からの連絡もないままで、(大幅な省略、その後結婚)現在にいたります。
 そこで上手く立ち回っていたら、本社のエライ人の姪っ子さんなので、いろいろ運命も変わっていたでしょうが、今の妻との子供は存在しなくなる世界線になってしまいます。

 その水楼閣の先には、疎水分水の豊かな水を明治40年代に利用して作られた、京都で最大規模の工場がありました。私が入った会社、鐘紡(カネボウ)の本体、繊維部門の大きな工場が高野橋近く、今の高野団地、阪急洛北スクエアなどの一帯にありました。私たちの中学の頃に、すでに市営団地と、高野アリーナ、ホリデイイン京都に建て替えられていますので、化粧品主体の鐘紡工場と言ってピンと来る人はもう70代以降の方のようです。
 高野団地の一角には、レンガ造りの建物が団地集会室やモニュメントとして残っています。

 昭和57年に入社した時には、歴史のある戦前から日本を代表する企業で、待っていたのは大層な入社式と、厳しい教育と小うるさい先輩たちでした。
 関西の教育施設での長い研修期間でして、たまの休みに、80人くらいの同期の中でウマのあった、東京の方の大学のNとKという3人で出かけ、私が梅田の地下など関西を案内しました。京都に哲学の道というのがあり、いつか一緒に行こうということを話していました。
 入社早々、伝統とは言え過去の慣習、栄光にしがみつく姿勢や、販売部門の体育会系ノリに、肌が合わない3人で、浮いた存在でもありました。
 研修期間が終わり、各配属が全国に散り、見習い期間を終え、営業部門に本配属になっる前に、NとKは辞表を出したと噂を聞きました。
 その翌年だったかに、Nから国家公務員1種(現国家公務員総合、キャリアの入り口)の試験に合格し、外務省に入省が決まったというハガキが来て、その連絡文には「いつか、井上と哲学の道を歩きたい」と書いてありました。

日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】1 | 天使の星座

 

 Nは、その後外務省で眩いような活躍をし、広報責任者から、中東の国の領事を経て、今はアフリカの某国大使になっています。
 雲の上の人みたいに、昇進していて、さすがに連絡はないですが、いつかどこかで出会える気はします。
 私は36年鐘紡という会社の盛衰を見極めて、定年後公務員のお手伝いのようなことをしていますが、若い頃から公務というのは、やはり性に合わなかったのかそういう運命なのかと思います。
 同窓生、同期生見ていても、本当に人生のその先は分からない、人はそれぞれの道であり、哲学の道に碑のある西田幾太郎の言葉通りです。

「人は人、吾は吾なり、とにかくに、吾行く道を、吾は行くなり」


 カネボウ入社当時、見習い日誌というのを毎日書かされていたのですが、こういうブログ調に書いてて、Nくんは井上のそれは普通のヤツと違うと絶賛して友達になりました。

琵琶湖疎水、国宝が増えるのはいいけれど

 昨日の報道で、近代日本の洋風建築、産業遺産として琵琶湖疏水施設が国宝指定となるそうです。レンガ造りのアーチの水路橋「南禅寺水路閣」、レンガでつくられた水路のトンネル「第一隧道」「第二隧道」「第三隧道」のほか、船を台車に乗せ、ケーブルカーのように移動させる施設「インクラインの5つです。
 鉄道廃線跡や、古い街散策好きの私にも興味があり、インクラインが鉄道廃線化は微妙ですが、産業遺産としては、桜の名所でもあり、その意味を伝えるのには価値はあります。

 京都市にとっては、嬉しいニュースですが。観光客が増える弊害も悩ましいところです。南禅寺やインクラインは元々、観光客の多いところですが、山科あたりの疎水べりの道は知られざる景勝の静かな散策路でした。

 もう一つ、京都市で悩ましいのは、少し前にあった市の中心部五条通での水道管破裂の事件です。水道というライフラインのインフラ設備が40年超えの老朽化で、財政の厳しさを物語っています。

 住民にとっては、ライフラインは当たり前の最優先重要課題で、観光や文化施設、産業遺産などはあればいい程度のものです。ライフラインが整い、子育てなどの住環境が大前提であり、税金も保険料や水道代も高い、バスは観光客で混んでいるでは、たとえ京都で働こうが、大学に入ろうが、府下の他市町村、他県に住んで通った方がマシです。

 観光客が増え、それをもてなすのは、古都京都市民が1000年やってきた慣行です。それで、京都のインフラは支えられる構造にしないといけないでしょう。外国人観光客などからはもう少し、そっちに回せる税金を取るべきです。北陸新幹線の延伸を「千年の愚行」と騒いでる、観光社寺の京都仏教会あたりも、自分とこで儲けるだけでなく、京都市民の財政に回せるような施しをお願いしたいものです。

廃線や古い町を訪ねる

 なぜそんなニッチな趣味とか、マニアックな旅をとか言われることがありますが、最近は鉄道ファンも細分化もされ、女性や若い人にもどんどん増えています。
 あるいは京都でいうと仁丹ホーロー看板の同好会もずっとあれば、古墳を見る会も定期的に開催されています。
 廃線をめぐる鉄道ファン、廃墟をめぐるマニアはもちろん沢山います。廃線鉄道の本や写真集だけでも、トンネルや鉄橋にも細分化されて何十冊も出ています。
 裁判所に勤めている時に、裁判傍聴マニアという方も何人か見ました。その傍聴マニアも裁判官推し、各地の裁判所、法廷をめぐる人、有名人の裁判を見る人などさまざまなマニアに分類されます。

 学問や法律だって、まあ長年生きてきて全く知らないことッていのはゴマンとあります。世の中はそれはそれで成り立っており、知らないと急に罪に問われたりして、慌てて専門家に聞かれるハメになったりします。

 私の場合は、一人旅か一人で調べてどこかへ興味を持って移動手段も含めて考えて実践します。

 もちろん、1970年の万博世代なのでそちらもガイドやネットなどで情報は十分得てはいます。また海外旅行も数か国しか行っていないので、東欧やアフリカなども行ってみたいとシミュレーションは何度かしています。
 海外の有名どころなどキリがないですが、それでも国内にお城やお寺などの名所を行きつくしたわけでもありません。

 しかしながら、時間も限られた年齢なので、国内でさえまだ見たこともない地域の景色、文化、歴史に触れられるのですから、とりあえずの優先順位はそちらに回ります。全国の鉄道の中で、子供の頃に見た鉄道路線図で、乗り潰しいたいと思っていました。

 令和に入り、新幹線網は広がり、それ以上に廃線が増えて、乗る機会のないまま、絶景の車窓も封印され消えています。

 廃線をめぐると言いますが、その種類、時期もさまざまです。鉱山や森林、湾岸などの貨物輸送に使われトラックに代替されたものも含めると明治期から令和まで多くの鉄道が消え、それとともに駅や街の活気も消えたところがたくさんあります。
 産業構造、移動手段の変遷を知り、時の流れの儚さを感じられるのです。かつて、この港町が重要な汐待で栄えたとか、駅員のいない無人になったローカル駅はかつて、乗り換えや機関車交換で多くの駅員や関係者で町全体を潤すほど活気があったとかの姿は、郷愁をそそりますし、今見ておかないとやがて完全に移動手段も失い、撤去や老朽化で消えていくものも多いです。

 路線が遊歩道や、記念公園として保存され、古い街並みや建物が保全されているのも、奇跡的なことです。生活する人も減り、訪れる人もまばらな過疎地で、これ以上しっかり保たれるかは全く分からないところです。

 少しでもそれを目撃しておき、伝えたい気持ちもありながら、今日も明日も歩き続けるのです。

 

演歌の歌姫の楽屋で過ごした5分間

 演歌なんてと古臭くバカにする向きもおられますが、曲によってはJPOPの歌手がカバーし、著名なアーティストの作曲もあります。POPSもロックも音楽に境はありません。
 演歌歌手も男性も女性もアイドル的な活躍をはじめたのが、昭和の終わりから平成の始めでしょうか。

 実力もルックスも秀でた、演歌5人娘という人気歌手の方々も今やアラカンです。何とそのお一人に私は若い頃、楽屋で二人きりになるチャンスがありました。

 某県のある会館で、ライブ?当時はコンサートといったものが開かれていたようです。私の元同僚の知人女性が喫茶部でお手伝いをしていたのですが、ちょうど私も別件で訪ねていた時、楽屋に出前に行く依頼が来て、忙しいので代打で行ってくれないかということになりました。売れ出した有名な女性歌手の楽屋ということで嬉しいやら、緊張するやで、慌ててエプロンをしてオレンジジュースを盆にもって届けに行きました。
 イメージを膨らませたからなのか、あでやかな着物に身を包んだとにかくオーラが出ているとんでもない美人に見えました。
「ご苦労様、そこ、置いといて」と、あっさり言われて「はい」と返事したものの、何か会話をしたくてドギマギしながら、
「とても、おキレイです。歌をいつも聞かせてもらっています」
「ありがとう、あなた大学生?歌手か俳優になりたいん?」
 今よりはずっと若いですが、もう30歳過ぎてましたがバイトの学生みたいに見られたので、少しおかしくなりました。当時彼女は20代後半でデビューしてまだ3~4年でした。
 私は自分の話をしてこちらが地元ではなく、もうサラリーマンで京都出身だというと、自分も「大阪や」といきなり関西弁でしゃべりだしました。
 当時ネットもなく、Wikiなどで出身や経歴をカンタンには調べられませんでした。彼女は自分は大阪の下町出身で、太陽神戸銀行に勤めたことも話し、どうしても歌が好きでこの世界に入ってやっと売れ出したと語りました。
「サラリーマンを続けてもええし、芝居や本書くの好きやったら、好きな世界に飛び込んで思い切り頑張ったら誰か見てくれはったり、出会えるもんやで」
 そんな話を5歳も年上の私に話してくれました。
 その後、私もサラリーマンを抜け出すこともできず、ただ忙しい泥沼のような時を過ごしました。あの時、脱サラしていたらどんな人生なのかともいながら、そのすぐあと、彼女がレコード大賞も取り、紅白にも出続ける押しも押されぬ大歌手になっていくのを、羨ましく見るだけでした。

 その後の彼女の人生がどんなものかは詳しく知りもしませんが細面の別嬪さんだったのが、面影があるもののすっかり大阪の良く喋るオバサンになってはおられました。30代で結婚され、2年ぐらいで離婚されたようです。家庭よりもやはり歌を優先したのでしょうか。芸能界の闇の部分もあるのかは知りません。
 今でもそれでも動画サイトでは素晴らしい歌を聞くことができます。歌は薄幸な女性のものが多いですが、トークを見る限り、本人はいたってあっけらかんの陽性のままな方です。

 特に問題はないのですが、あえてイニシャルだけ明かせば K.Kさんです。

京阪電車にテレビカーがあった時代

 京阪電車はシックな統一感のある阪急電車に比べ、関西の京阪間輸送ではアイデアにあふれた車両が魅力でした。二階建て車両もあり、その昔はテレビカーというものも走っていました。

 沿線の門真に松下電器(現パナソニック)が合った関係で1954年私の生まれる前から白黒のテレビを置いた車両が導入されていました。そしてまさに、先の大阪万博の1970年の翌年には早くもカラーテレビが見られる車両が走りだしました。しかも関西の競合事情もあり、その豪華設備の特急が別料金なしの運賃のみ無料で乗れたのです。今は特別車両で関西も各社に有料座席が設定される時代ですが、当時は破格の無料サービスでした。電波状況で画像や音声は乱れる時もありましたが、人気のサービスで、大相撲や高校野球などが移動時でも見られる画期的なことでした。

 阪急沿線の私ですが、テレビ好きなので、このテレビカーは乗りたかったものでした。スマホであらゆる動画が見れ、ニュースやスポーツの情報もリアルタイムで入る今とは違う時代でした。

 大阪万博で、月の石だとか、360度スクリーンやらさまざまな近未来が提案された中、日本の未来への期待が溢れた高度経済成長期でした。

 1970年大阪万博の紹介の子供向けの雑誌か何かで読んだ話があります。アラブかアフリカのある国の政府関係者が、準備で訪れた日本の電車の優秀さと勤勉に規律正しく乗車して、新聞や雑誌を読む日本人に感心し、必ず母国もこうなりたいと思ったということです。
 アジアアフリカの中には、アジアで初めて大々的に開かれた国際博覧会に初参加して、大いに刺激を受け持ち帰って自国の発展につなげた国が多かったそうです。

 さて京阪電車も、今万博ラッピングもして、プレミアムカーも走っていますが、賛否ある今度の万博、車両にはもはや新聞を読む人はいなくて、スマホでSNSやゲーム、動画に夢中な人ばかりです。

 万博を招待ですでに見てきた人のお話では、「確かに面白い、すごい展示もある」けれど「未来や、新しい技術に関してはネタ枯れ感がある」「想像していた通りでモーレツに新しいものはない」とのことでした。

 体験できるゲームとかでもバーチャルでスゴイものがありそうですが、子供の頃のテレビカーや未来館に期待したワクワクはさすがにもうないのかなとも思います。

旅先で読んだ 華麗なる一族の、女性活躍大正ロマン

 2025年のこのミス3位ということで、ミステリ好きだけではギブアップする時代もので文庫本でも1200円ぐらいする長く重い物語です。ミステリというより時代モノで、名家での女性の半生を描いた読み応え十分の内容で間違いなくオススメです。最初は登場人物の名前なども昔の女性ですから短いので誰が誰か覚えるまで私も感情移入が難しかったものです。
 本当にこの時代の文化、史実、風俗を良く調べて物語にしてます。著者は私より少し年下の女性?参考文献リストだけでも厖大です。維新後の発展、戦争景気の波など家を取り巻く状況は変化して、火事や病気などミステリ要素以外でも事故や事件も頻発するわけです。
 常に主人公かな子の視点で、目の前の事象と思いが描かれるのは小気味いいほど正統派な小説です。


【紹介文より】
 『細雪』×『華麗なる一族』×ミステリ!
「女であっても、私はすべてを手に入れたい」
富豪一家に拾われた娘のたったひとりの闘いが始まる。

横濱で知らぬ者なき富豪一族、檜垣澤家。当主の妾だった母を亡くし、高木かな子はこの家に引き取られる。商売の舵取りをする大奥様。互いに美を競い合う三姉妹。檜垣澤は女系が治めていた。そしてある夜、婿養子が不審な死を遂げる。政略結婚、軍との交渉、昏い秘密。陰謀渦巻く館でその才を開花させたかな子が辿り着いた真実とは──。小説の醍醐味、その全てが注ぎこまれた、傑作長篇ミステリ。

 と謳われていますが、書評の中にもこれがミステリ?と言われるほど、ミステリ色は薄いです。事件の真相を解決するという意味では広義の非本格であり、小説としては正統派なのでしょう。

 着物や家事の作法などよくこの時代のことを見てきたように再現しています。スペイン風邪の猛威と対抗策はもちろんコロナを彷彿させます。戦争の軍靴の音も聞こえだす、そして大正の関東地方の大災害へと物語は進みます。

 仕事の行きかえりの短い時間では読み進まず、旅先の車中とホテルでようやく読めました。カバーはしてましたがさすがにカバンの中でくしゃくしゃになりました。

公害 原発事故 負も忘れてはいけない50年

 1970年の万博会場に初めて入った時、本当に未來の空間に来たように夢おどったものです。
 日本はあと30年、50年、21世紀に本当に輝く時代が来るのだと信じられました。
 しかし、日本の国の歴史を見ると、シーソーやブランコのようです。日本ってすごい、日本人ってやはりすごいと思える時期があったと思うと、慢心なのかズルズルと後退し、みんな沈んでいく時期があります。一度、底まで落ちるとまた頑張るのも日本です。
 明治維新や敗戦からの復興もそうでしたが、いい時期のあとには必ず悪い時期も来ます。

 1970年の万博の頃、高度経済成長期から安定成長は続き、世界で二番目の経済大国になり、JAPAN AS NO1と言われ、一億総中流とも呼ばれました。

 高度経済成長の負の部分には、公害や交通事故など予想しきれなかった社会の膨張に伴うものがありました。
 万博の電力館で電気事業連合会は、絶対安全と原発神話を高らかに宣伝していましたが、昭和も終わり、平成になると大きな原発事故も起こりました。
 過去がそうであるように、未来も決して全て明るいものではないのです。光があれば闇がある。闇があるこそ光があるのです。前に進む時があるから、その反動で後退があるのです。後退しきったから、また前進したり飛翔したりする。暗くなるときがあり、寒く冷たい時節があるから、日の当たる季節が温かくまぶしく感じるのです。ブランコやシーソーと同じで、反動の力が湧くのです。

 博覧会は、キレイごとなのは分かり切っています。誘致し、建設するのにも大変なイベントです。大阪に街にはかつて、万博の建設現場で働くため全国の日雇い労働者が来てそのまま住み着いた地区があります。1970年万博も決して良いことばかりではなかったのです。負の遺産は、今回の万博で言われる以上の試行錯誤があったとも思えます。環境の配慮や、労働環境の改善は55年前とは比べられないでしょう。

 公害を起こした企業、原発事故を起こした電力会社も大きな社会的責任を担っています。
 私はこの55年間を感慨を持ちながら、少し冷静に万博を見ます。
 今回の万博ではいったいどんな未来を見せてくれるのでしょうか。

まさにオールデイズ 昭和が輝いていた時代

小学生だった時代、55年前の1970年大阪万博が開催されていました。

 昭和といっても40年代です。バブル期ぐらいが近未来で、21世紀は夢のまた夢でした。
 子供心に、雑誌などで予習もしていたので、小学校から遠足で万博会場に初めて行った時は、やはり未来都市に来たみたいで感動しました。
 両親と兄の4人揃って家族連れで行った時は、父が買ったばかりの軽自動車で吹田まで行きました。新車にしても軽のちっちゃいクルマで、自慢していいような恥ずかしいような感じでした。
 両親の商売が平成の時代まで、そこそこ順調に伸びたのだと感じ、同時にこの時期、日本の国が万博やオリンピックでいよいよ世界の一等国へ進んでいくのが感じられたものです。

 一口に55年といっても当時若手で働き盛りだった20代後半や30歳くらいの人が、とうに80歳を超えて、もう亡くなられている方も多く、元気に次の万博を見る方は少ないでしょう。当時、老人の優待パスというのがあって、よく連れて行ってもらった祖母はもちろん、父も母ももういません。

 今度の関西万博、わりとじっくりとガイドブックを見ました。前売りが売れないとか賛否問題もありますが、海外の国々や国内の企業や地域、三菱未来館などパビリオンはありますが、やはり子供時代の大阪万博とは比べるものでもないです。子供の頃、想像していた50年も先の未来に立っている自分にもう一度感動するだけで、残念ながらさらに50年先が見通せないのです。

京都人の気質 マラソン、サッカー、観光

 昨日(2月16日)私の住む京都市内で、観光名所を回る京都マラソンが開催されました。京都人はマラソンや駅伝を応援するのが好きなのか、冬の間に全国高校駅伝(男女) 全国女子駅伝、車いすマラソンなども開催されます。
 そんな中で、市民の一部の声として、たださえ混雑しているのに交通規制までした上、赤字を出してマラソンをやるのは迷惑という批判的なものが上がり物議を醸していました。私の友人もランナーで参加し、市民の健康のためのマラソンとしては一定の役割はあるのでしょうが、観光地を回るというコースは、他の地方からの集客目当てで、コンセプトは曖昧です。
 マラソンの交通規制は観光ルートを市民ランナーが長時間かけ回るので、駅伝よりも長く、大規模で予算もかさみます。見直しの余地はありそうです。元々、三大祭りや桜や紅葉の時期などに比べ、観光客が冬枯れの頃に駅伝やマラソン開催に手を挙げた経緯もありそうですが、今やインバウンドのおかげで、曜日もオフシーズンもなく市内観光地は混雑が続きだしています。 

 インバウンド増加で、観光地近くのに住む人など、バスの混雑やクルマの渋滞、観光客のマナーの悪さに、オーバーツーリズムの弊害も何かと話題になります。
 それでいて、京都市の財政は破綻寸前に追い込まれていて、市バスや市営地下鉄も高い上に値上げ、市民税や健康保険料、介護保険料、水道料金、固定資産税と、周辺の宇治や大津に比べて割高で、住みづらくなっています。

 観光客や外国人が来て、市が潤えばいいので我慢せよという反論もあります。確かにインバウンドの恩恵は、少子高齢化の日本のどの自治体にとっても、贅沢は言えない恩恵のはずです。ところが、確かに実感としても、外国人が多く来ても、市バスも地下鉄も安くはならないし、税金など公共料金も高いままかむしろ上がる一方です。個人の店で伏見稲荷や清水寺の前に立地にあってボッタクリ価格でウハウハ儲かるところでもない限り、普通に暮らしているとほぼ恩恵はなく、デメリットが多いのです。

 ようやく宿泊税とかいうのを先の市長選でも公約され、最大1万円とか導入されますが、どこまでの効果で何に回すのかもイマイチ分かりかねます。

 京都人というのは、意地悪な印象もありますが、一見冷めていても、おもてなしは好きで、マラソンなどで多くの地方からのお客さんが来ることは嫌がっているのではありません。異邦人を受け容れ、歓迎する気質はあります。
 それでも限度があるのでしょう。街が汚れ、人だらけでは、住んでいられないですから当然です。サッカーのスタジアムも隣接の亀岡市に譲りましたが、正解でしょう。それほど熱心な市民は少ないですから、市内の西京極でやっていた時期などガラガラでした。
 街の人は自分たちは元々ホスト役で、土日は観光客を迎える立場という意識があるので、サッカーや野球を毎週のように熱心に応援に行けないのです。娯楽や文化なら、お金を出せばそこそこにありますから、そこらは冷めているところで、しかたのない点です。
 ただ、半導体など儲かっている地元大手企業があって、これほど観光客が来て、市全体の収支が破綻した夕張市に次ぐぐらい悪いというのは、やはり問題です。
 闇が深すぎます。
 市が切り詰めるところは切り詰めるにしても、どこがザルなのか、穴の開いたバケツのように抜けて、お金が流れるところを見つけないといけないでしょう。大阪や名古屋はけっこう財政を立て直し、改革を進めました。京都の闇は深いと言いますが、市長や公務員がえりを正して、しっかり問題を見据えて頑張って欲しいものです。

大手モールに入るか街の片隅で店を開くか

  年末の少し前から、近所の住宅街の一軒がネイルサロンを開業されていました
 通勤の駅までの往復で見かけるのですが、看板を見て「安い、今度行こう」と話し合っている若い女性もいました。ネイルサロンは町家など小さなスペースでできます。立地がいいと集客もできる反面モールに入るテナント料などが料金に上乗せされるので割高になると想像され家賃がいらない店舗だとその分安くサービスできるのでしょう。
 QRコードを読める看板で、SNSで宣伝しているのでそれなり盛況のようです。

 近くのイオン系のショッピングセンターやモールも毎年のように多くのテナントが入れ替わっています。家電量販や外食大手も撤退、交替するぐらいで、雑貨屋さん、はんこ屋さんも長年頑張っていたところが先月ひっそり閉められました。聞けば毎月小さな店でも固定で50万円以上のテナント料で、更新はテナント料も値上げがあり、歩合で上納する売上が少ないと燻し出されるようです。そうやってテナント全体の鮮度を上げているのでしょう。
 ただ普通に考えて、それだけのテナント料を払い、人件費や光熱費、営業費を払って儲けらえる業種やお店は限られてしまうでしょう。

 ラーメンや外食でさえ、同じチエーンでもフードコートの店舗は厨房が狭いので、メニューも限られ、鮮度や調理方法に限界があるようで味が大きく落ちるところがあうようです。
 かつて、イオンが商店街を淘汰してしまい、地元の生鮮を扱う店が無くなり、地域の食文化さえ崩しかねないと非難されたことがあります。
 私は商店街の店屋の家で生まれ育ったので、商店街が当たり前に全ての買い物の場と思ってましたが、スーパーやコンビニ、ドラック、ネットの時代を経て商店街にある店も様変わりしました。
 そして商店街の中で羽振りの良い店が、企業型になってテナントで支店を出して、そこが稼ぎ頭になっていた時期もあったのですが、もう集客だけでは儲けられない時代に入り、やむなく撤退していく流れなのでしょう。もう原点の商店街に戻る店もなく廃業されるパターンも多いようです。
 それでも大手のモールのあくどいやり方にはくみせず、商店街で若い人が新たな業種の店をオープンしたり、こういう住宅街で商売を始めたりも息づいています。
 大型モール、商店街、街中の店とそれぞれ棲み分けができれば良いのです。