2年で倍になった品目も多い

 500グラムで1000円を切っている値段の珈琲豆に思わず飛びつきスーパーに行きました。今や半分以下の240グラムでも1000円近い値段、ちょっといい豆なら100グラムで1000円超えます。

 エンゲル係数が低い庶民にとってはここ2年ぐらいの物価指数の上昇は10%なんてとんでもない。米にしろ、2倍になってるものも多いじゃないかと言いたくなります。家電とかあまり毎日の生活に関係ないもので平均をごまかしているのかと思います。

 エネルギー価格も上昇して、住宅関連など住んでいるだけで上がるものもあります。

 生鮮食料品は確かに野菜などはまだらで、上がり下がりはあります。

 しかし、大問題になった主食の米をはじめ、買い物をしている人は目に見えて上がっているものが多く物価指数との乖離も感じるのでしょう。

 確かに統計をしっかりとっているはずですが、大多数の国民を支える物価という面ではどうしてもズレます。

 テレビのコメンテーター、アナリストなども頭の良い方は官僚の巧みな説明にごまかされていますが、実際にはお金持ちで庶民感覚がありません。

 政治家も残念ながら伝聞だけで自分は毎日スーパーで半額シールの貼られたパックを買う訳ではないのです。

 年金は本来物価や賃金にスライドして上がるはずですが、統計の反映はずっと後です。ましてや賃金がそもそも上がっていない上、年金は財政健全のためマクロスライドで上がるのは抑制されていますから、待っても物価に対応する上昇はほぼないと言えます。

 普通に年金だけで生活をしている人はどう考えてもおかしいと感じるはずです。この不満と不安も逼迫したものですし、かと言って今の年金を増やすとますます現役世代が負担になるので、どこかから財源をとなってしまいます。

 しかし、年金は本来現役世代からたくさんのお金を貯めている訳で、その運用でもっと収益を上げられるはずです。国の事業で儲けてはいけないと考える人はいますが、儲けてはいないのです。多くの金融機関や保険会社などと同様、お金を集め信用創造し、運用で益金を得れば税や保険料を増やさなくてもいいはずです。時限的にもそこから回さないと、マクロスライドの限界と、急激な物価高への非対応は明らかになっています。

 次と年金改訂検討では厚生年金から国民年金に回そうとしていますが、そんな卑怯なアクロバット的愚策を考えるなら、あと2年は運用益、政府の外貨資産で回すでいいはずです。

 

老老介護の時代か

 私の住むところも政令指定都市とはいえ、周辺部の住宅地で日本のどこにも漏れず高齢化の進んだ街です。

 新築購入のマンションには住んでしたが、12年経過して住んでいる人は私も含め熟年が増えてきています。

 小学生のまとまっての登校、幼稚園、保育園のお迎えのバスも来ますが、少しピークが過ぎるとデイサービスのバスもいくつも来ます。高齢者なのでお迎えというのは冗談にも不適切と言われるのでしょうか。介護サービスに預けた後のご家族さんも少し息がつける安心感が何とも切ないです。

 散歩に歩く近所のお家も小洒落た新築もあるものの、昔からの家が多いです。

 やはり高齢者がデイサービスに来る姿も見ます。

 杖やストックで頑張っておられる高齢者も見かけます。

 私もリハビリ中で杖こそないですがそんなに早く歩けないので、概ねよほど弱った高齢者以外は先を譲るぐらいです。

 鼻歌を歌いながらマイペースで歩幅や姿勢に気をつけてさっさとは歩いているつもりです。

 ある日の、後ろから♪カラスなぜ鳴くのと「夕焼け小焼け」を口ずさむ声が聞こえて来ました。ちょうど同じぐらいの速度からだんだん近づいて来ます。

 ホラーっぽい感じですが、高齢の女性が、やはり高齢の車椅子に乗ったご主人に歌を聴かせながら押して歩いておられるのです。

 ご主人が認知なのか足が不自由なのかはわかりません。ご近所の方も、どうですかみたいな声をかけて、ぼちぼちですと無難な返事をされていました。

 微笑ましい光景でした。このこ婦人が車椅子を押せる体力と、老いた夫を気遣う優しさを持っていることに感心しました。

 夫婦が老いていき、他に家族で介護する人がいないとなり、お互いのどちらかがが車椅子を押して介護する確率というのはどのくらいなのでしょうか。

 家族なら当たり前のようで、お金が潤沢なら人に頼むとか、片方が急に悪くなり過ぎる場合や、双方そこまでの体力も気力もないとこれはできません。

 経済状態や過去の経緯など知るよしもないのですが、当たり前に介護する側、される側それなりに徳があったのではとも思いました。

 そんな徳のある人が多い時代ではなくなってきているので、やはり自分の健康、特に足腰にはますます注意していきたいとは思いました。

 医学が発達して、統計上高齢者の平均余命は長くなっています。それは健康寿命が伸びている訳ではなく、長く生きながらえるということは辛い場合も多いのです。

 やはり、棺桶に入るまで自分の足で歩いていきたいものです。

http://seizafpkotodama.com/2026/02/14/%e3%80%8c%e6%a3%ba%e6%a1%b6%e3%81%be%e3%81%a7%e6%ad%a9%e3%81%93%e3%81%86%e3%80%8d%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%81%a8%e6%ad%a9%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%91%e3%81%aa%e3%81%84/

赤字路線廃止、サービス低下 公共交通の課題

 JRなどの赤字ローカル線が◯年◯月までに廃止というニュースが出ると、地元民や鉄道ファンは反対の声を上げた存続を訴えます。

 公共交通機関が廃止されると、マイカーのない人や通学の高校生たちはたちまち不便を強いられるます。

 公共交通機関なんだから税金で何とかならないかという意見もあります。

 民間企業のJRになったから悪い、国営に戻せとの極端な意見もあります。

 JR各社は東海を除いて、赤字ローカル線の営業状態を公表しています。実際に廃止のやり玉に上がるのは、地元住民もそう利用していない旅客数です。

 第三セクター鉄道も地元の負担が重くのしかかります。税金といっても結局は鉄道に乗らない人が大きな負担をすることになるのも変な話です。少子高齢化で財政の苦しい自治体も負担しきれず、まして採算重視の企業体のJR、私鉄も、赤字ローカル線にお金を遣うわけにはいかないのです。

 JRは民間企業だからこそ、合理化は進み、多角化にも取り組んでいます。今さら国鉄になっても拉致はあかないでしょう。ましてや、赤字ローカル線だけ国や自治体が官費で引き継ぐほどの余裕はありません。

 それでもなんとかならんのかなとは思います。ローカル線にも見事な車窓の橋梁やトンネルなどもあり、せっかく建設した設備がもったいないものです。

 渡し船のような交通機関が公的支援で無料や格安というところがあります。島嶼部や河川に囲めれた地域などです。高速で快適に進む豪華なフェリーではなく、本当に買い物とか通学で自転車まで乗せて、ブルブルンとエンジンを唸られて向こう側の岸まで行ってくれる小さな船です。

 こういうのも、船が老朽化し、燃料代もかさみだし、操縦士人も不足して、自治体の財政が厳しいとどうなるかはわかりません。

 しかし、根本的には大きな施設や車両が要り、客が減り運賃収入が減ると立ち行かなくなる鉄道とはどうも違うようで、最初から官営のままです。

 国鉄というか、国経営と行かなくとも、JRとして鉄道以外の他部門でもっと稼いで最終的には不採算の鉄道をカバーすることはできないものかとは思います。

 通信や、金融、ショッピングなど、専門のカード会社顔負けの経済圏を形成しつつあるのですから、人口が減っているとはいえ廃止でエリアの顧客を失うのは得策ではないはずです。

 ポイントやファンドでローカル線を救うような柔軟な発想です。

 JRは民間企業とはいえ、まだまだ鉄道部門は法律に縛られたりして、融通が効かない面があります。廃止を検討する前に、もっといろいろできそうには思います。

 

人生後半へのヒント?

「島耕作」シリーズや「黄昏流星群」などで知られる漫画家の弘兼憲史さんは、シニアの生き方に関するエッセイ、啓発本も多く出かけておられます。

 年齢的には私より12歳上で、島耕作の舞台、モデルになったとされる松下電器産業(現パナソニック)に入社して数年でドロップアウトして漫画家デビューされています。

 同世代サラリーマンたちの定年後や、島耕作ばりに役員になった友人もいるのでしょうか。

 リアルに響く助言もあれば、まあそれだけ印税も入る立場で書かれているからと、少しやっかみで共感できないところもあります。

 知識や考え方、割り切り方は参考にして、実際に羨ましがるのは抑えながら読むのがこの手の本です。

 成功した人は、奥付や解説読むと、気後れしますが、まあ偶然もあり運もあったのでしょう。そのタイミング、その時の流れ、人の流れでないと大成功はしないので、多くの人が憧れてもしかたはないです。

 島耕作で描かれる家電大手企業もドロドロとした人間模様でしたが、実際のパナソニックもなかなかに今苦しい業績です。創業者松下幸之助も神様扱いされますが、後継を間違い派閥争いが常態化して、得意分野のない企業となり苦戦しています。

 業界全体が苦しく、どこも本来のテレビや冷蔵庫といった家電がメインではなくなってきている中で松下幸之助が生きていればどう考えるでしょう。

 話がそれましたが、神様の威光も、経年劣化しているぐらいですから、凡人のシニアが、少し考え方を変え工夫しないと気楽な老後はないということです。

 ただ、あの大松下とふんぞり返る肩書の人間でも会社を辞めれば、普通のシニアです。

 現役の肩書では楽しくは生きていけないのです。

 シニアはダウンサイズした生活を、楽しみながらとも提案されています。

 もちろん、まだ生涯いつまでも何らかの肩書のある現役の役員さんという人もおられます。シニア対象の啓発書は、対象の環境がまちまちなので、自分に上手く当てはめて考えるのが読み方です。あまり力を入れず、残りの時間を逆算してやり残しのないようにはしたいものです。

 戦前派の五木寛之さんとか、森村誠一さんの本よりはさすがに共感部分は多いです。

 しかし、まあ難しいのはやはり人間、他人の成功を素直に喜ぶより、やっかむ心理は生まれやすい点。自分の度量の無さもよくわかりました。

 サクッと何冊か、漫画の感覚で読めます。

 

 

 

 

寒さ収まり花粉の季節へ

 体調不良です。

 咳き込む風邪をひいたと思ったら、マシになるかと思えば花粉の第一弾を浴びてまたも不調。

 長い夏に忘れがちだった、寒さ対策、花粉対策の準備不足、加齢による自律神経の衰えかなとも思います。

 変形股関節痛含めて、ぼちぼち回復となるのでしょうが、やはり体調が悪いと気も滅入ります。

 一つ一つやれることを考えて、目標をもってクリアしないといけないですね。

 厳寒が去ったのはそれはそれでポジティブにとらえな得ればいいことで、いろいろ重なると拗れたことにイライラしてしまいますが、一つずつ解いていくしかないのです。

 若い頃に持っていたカリスマのような体力、忍耐力は、いろんなな面でなくなっています。

 生きているだけで幸運とは思い、衰えた身体を大切にし、人間関係を大切にすることですね。

「棺桶まで歩こう」ちゃんと歩かないといけない

 キャッチーなタイトルで、中高年への運動啓発本かと思わせますが、高齢者にウォーキングを勧める本ではなく、終末のあり方の話です。

 在宅緩和ケアで2000人を看取った医師の本です。

 日本のとことんまで生命を長らえる医療の課題はよく聞く問題です。何となく延命治療を選ぶことがないように、真剣に老後を考える内容です。自分らしく在宅で穏やかな最期を迎えられる心のケアが中心になっています。

「歩けるうちは死なない」とコピーになっていますが、そこから終末医療に関して考えさせられるものです。

 健康寿命と言われますが、寝たきりとなっての期間が長いのはいくら長生きしてもやはり辛い時間になるのは分かります。

 歩くというのは比喩的な表題ですが、実際に一時的に病気などで歩けないと不自由を感じ、お金があっても何となく悲しくなります。

 クルマ社会ですから、私なども営業で車を与えられてる頃、目的地までギリギリまで車で行くのが当たり前でした。それが習慣づくと、歩くのが億劫になり歩く力が落ちていたものです。ウォーキングの良さと楽しさがわかると目からウロコが落ちた感じでした。

 時間や距離もですが、訪れたい名所など目的がある散策が良いとは思います。

 しかし、本格的なウォーキングはしっかりした姿勢、歩幅をとって、短い距離でも毎日継続する程度で良いと言われます。公園や広いショッピングセンター、マンションの空いてる空間などフラットで車の少ないところでしっかり歩くことです。

 逆に悪い歩き方だと、膝や腰に負担がくる場合があるので注意です。外を歩く場合、交通事故はもちろん、段差での転倒、衝突などの可能性は距離や時間に比例して大きくなります。

 若い頃から、習慣で健康とダイエットのため、バス停や駅間一つ歩いていた人が、結局躓いて歩けなくなったという笑えない話も聞きました。慎重に歩くのと無理は禁物です。

 高齢者の医療費負担割合が政治的にも問題になっています。政党や政府も後期高齢者の負担割合を3割にする検討を始めています。

 そうなると、高齢で医療期間にかこるか否かで本人や家族の負担の差も大きい時代になります。

 健康で病気をしないのが一番です。

 健康保険が高齢者に使われる割合が多く、現役世代の手取りが少ないので問題になっています。

 高齢者に対する保険適応の治療も、延命治療で診療報酬が稼げる制度をやめれば、現役世代の負担は減るのではと思います。

 

 

小さいもので満足した子供

 孫ができて、子供だと思っていたムスメがしっかり母親をしているのにはやはり感慨深いです。

 両家にとっての初孫で、いろいろおもちゃや服ももらっています。

 まだ0歳児で、せっかく買ったおもちゃよりも、家の中にある紙袋、スリッパ、スマホだとか何でも口に入れて遊びたいようです。

 母親になったムスメも子供の頃は似たようなもので、身近にあるもので、機嫌よく遊んでいめした。

 ようやくしゃべり出した頃、赤いゴム風船をもらったら、「私の風船、私の風船」と大喜びしていたのを、今でもよく覚えています。

 100均でいくらでも買える安い風船でこんなに大喜びしてくれている。

 やがて大きくなって学校に入り、世間を知る大人になると、こうは行かずにいろいろ欲も出てお金もかかるのだろうとも思いました。

 子供は不自由で、「そっちに言ってはいけない」「それは触ってはいけない」「それはまだ買わない」と制限ばかり言われます。

 では、大人は自由かと言うと、「子供や若い人は自由だからいいね」と嘆きます。

 赤ん坊、ギャン泣きもするし、おむつ交換も大変ですが、差し引いて余りあるほど見てて幸せになれるポジティブさ、無邪気さがあります。

 子供からもう一度人生やり直したい?それはどうなんでしょうか。

 どんなに地位や財産、教養を身につけても赤ん坊には勝てないものがあるのは確かです。

 

子供から大人に完全に変わる昆虫

 久しぶりに、オンラインですが自然観察の集まりを拝聴しました。

 富士山麓の蝶を25年以上追い続けておられる研究チームがいます。

 アサギマダラでも知られますが蝶も移動距離はわりと長く、高速道路の構築、トンネル残土処理などの環境変化で生息個体の状況が変わってきているようです。

 多くの花、野菜などは虫媒花でハチや蝶の助けがないと受粉できません。

 自然観察なんて、社会や経済と関係ないと思われるでしょうが、日本の食料事情とけっこうつながっています。

 専門家の方が、翔んでる蝶を見て、種類や雌雄がすぐわかるのには驚きます。幼虫を見てすぐ、何の蝶か分かるのにもさらにびっくりします。

 その幼虫は捕食されて鳥や他の昆虫の生態系を支えるとも言われます。

 完全変態の昆虫がイモムシから蛹の中で一度身体を溶かして生まれ変わって美しい蝶の成虫になるのも神秘的なものです。

 生物学は理科で習いまさに理系、それでもあの翅の美しさに魅されるのは、理系というより芸術家のような気がします。

 人間も生まれ変わって、別の姿になりたいと思う時もあるでしょう。一度溶けてしまうと、記憶もなくなりそうですが、それでも美しく生まれ変われるならと思う人はいるかもしれません。それこそ、胡蝶への夢とでもいうべきでしょうか。

 

 

憲法改正へのターニングポイント

 自民党が衆議院の3分の2以上の議席を得たので、国会の安定とともに憲法改正の発議もできそうなところになりました。

 憲法改正というと、「平和憲法を護れ」「9条を護れ」と護憲派、いわゆる左翼系が大騒ぎします。

 しかし、戦後80年を過ぎた今この機会にこそ憲法改正の議論は進めるべきだと思います。

 憲法改正に関しては9条だけの話ではないのに、すぐ全ての議論をフリーズするのは、そろそろやめないといけません。

 憲法を改正するというのは、保守でも革新、右でも左でもないはずです。いやむしろ本来革新系の政治家が叫ぶべきことです。

 日本は異常で、憲法を変えようというのが保守で、維持したいというのが革新、左翼、リベラルです。少し考えるとおかしい話です。

 しかもアメリカに半ば押し付けられた憲法なのに、親中に近い左翼が憲法改正に反対し、親米の保守が改正をしたいというのですからそれも捻れた感じです。

 この問題は余りもタテマエ、うわべだけの言葉が行き交います。

 そもそも「平和憲法」「自衛隊」という言葉も変です。

 平和憲法の対局に「戦争憲法」というものがあるのでしょうか。そんな戦争大好き憲法というものは世界中探してもありません。

 世界で平和よりも自分や家族の生命が危険にさらされる戦時下が好きな人も探してもいないでしょう。

 考えなければ巻き込まれいものではありません。日本の憲法として、戦争に巻き込まれたらどうするか、しっかり議論すべき点です。

 日本が第2次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争を仕掛けた反省と言われますが、戦略の保持や交戦権を認めないというので独立した国を維持できるのでしょうか。

 戦力と交戦権不保持、核保有など論外という主張もあるでしょうが、「正義の秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求する」という前段からして、全て戦争大好きアメリカの傘の下でこその平和ではそれほど身ぎれいなものではありません。

 じゃあ安保条約も無くなり、アメリカの基地が無くなり、自衛隊も無しで、まさに丸腰でいいのか、それも含めていつまでもつまらん論調を終わりにしないといけません。

 実際に交戦権、戦力をどう維持するか、自衛隊でどうなのかしっかり議論し、話しをしていけば良いでしょう。

 軍隊を持たない方が攻められないのが本当にそうならその通りで良いでしょうが、誰もが納得できる議論になるかです。

 自衛隊が軍隊という名前かどうかというのは本当に些末な問題です。

「自衛」+「隊」セルフディフェンスフォースとは変な言葉で、自分で自分を護る部隊?そんなはずはなく、やはり自分の国を護る部隊のはずです。

 自分の仲間、同胞が、家族が他国に攻撃、蹂躙されるとしたら、戦う力、負けない力が必要なのかどうか?

 オープンにしてそこを議論していけば良いのです。当たり前のことですが、他国にああだこうだ言われる筋合いのものではありません。

 極左、極右の人々も、何でもかんでも反対賛成ではなく、研究していればいろいろ建設的な意見も出るかもしれません。

 まずは俎上に載せるこどです。戦争をすることが目的でないことを、ちゃんとして議論に入れば良いことです。極端に言えば、反戦イコール左翼でもないはずです。それなら反戦イコール核保有でも、成り立つのです。

 太平洋戦争下や、戦後の混乱を知らない世代ばかりになり、安直にゲームのように戦争が始まるのは避けないといけません。

 もう一つ憲法や自衛隊の議論に蓋をすることで、結局困るのはアメリカ依存が過度になっていくことです。兵器も武器も軍隊も核もアメリカ頼りで、過度にぼったくられても文句も言えず血税から巻き上げられます。

 国防費の適正もある程度透明化して議論できます。

 だからこそ、戦争に対してもっと現実的に議論しあい、憲法について話しあうべきです。

 80年も経た憲法ですから9条以外でもアップデートしていけば良いと、もう少し気軽に考えられないものかと思うのです。

 

民主党政権交代今は昔

 2月8日投開票衆議院選挙で中道改革連合が惨敗しました。

 高市総理の勢いもありましたが、これにより2009年政権交代した民主党政権の中心だった生き残りがかなり国会から消えました。

 既に鳩山由紀夫、菅直人は政界引退しています。今選挙で岡田克也、小沢一郎、枝野幸男、馬淵澄夫、海江田万里、安住淳といった旧民主党の重鎮が軒並み比例復活もかなわず落選しました。野田佳彦さんも惨敗の責任を取り代表は辞任するでしょう。原口一博も党を割ったものの落選、維新に移った前原誠司がかろうじて当選したぐらいです。

 中でも1980年代自民党竹下派から、細川連立政権、自自公連立政権、民主党連立政権と長年政界に君臨してきた小沢一郎の落選は時代の流れを感じます。

 

 壊し屋とも言われ、一時的には与野党問わず、反共よりも反小沢という団結が大きな塊になるほど、言葉を変えれば危険なほどの勢力を持っていました。

 何度か傀儡を使っても政治の頂点のポジションに君臨した力と、結局は政敵の逆襲と味方の裏切りで盛衰を繰り返した稀有な存在でした。竹下登、金丸信、橋本龍太郎、渡辺美智雄、小渕敬三、野中広務、青木幹雄、亀井静香、小泉純一郎、麻生太郎ら強力なライバルたちと壮絶なしのぎをしていました。タフネゴシエーションとして内外に名を轟かせ、昭和・平成の政治を語る上では総理にはなっていないものの、大物中の大物でした。

 その剛力は凄まじいものの、大衆をつかむセンスの無さ、仲間や後継に任せる度量の無さが、2度も政権交代をし通算では4回も与党の中心にいるという偉業も長続きせず最後は残念な末路につながったのです。

 小沢に関して最近の老害的発言だけでイメージを抱く人もおられますし、首相候補を呼びつかた自民党幹部時代も横暴さだけが伝えられます。しかし、アメリカや韓国、中国とも総理、官僚を飛び越えてタフな交渉をし、財務省はじめ各省庁を振るい上がらせ最も激しくやり合ったところはあまり伝えられていません。外交や財務省の官僚や役人の横暴や特権が騒がれる今ならヒーローものです。

 自民党の中で旧田中派の金権政治が批判されることも多いですが、田中派とその後継竹下派が日本経済を発展させた功績もまた大きいのです。歴史にイフはないとはいえ、自民党保守本流のお公家のような政治家だけでは、外国や官僚の言いなりがもっと早く進んでバブルすら無かったかもしれません。

 小沢一郎にしてみれば、旧民主党の鳩山、菅、前原、枝野仙谷、岡田、野田あたりは、小僧っ子、小物過ぎて丁寧に話す気もなく、突っぱねてしまったのでしょう。結局、その感性が仇となり、次々と党を変え仲間を離合して権力を失いました。

 小沢一郎も年齢を考えると政界引退、少し最近の映像だと痩せておられます。失礼ですが、それほどの間もなくやがて訃報に接し、向こうでまた野中さんらとバトルしそうです。

 そんないかにも昭和、平成前半のガチンコな政治も完全に終わるのだなあとは思います。