大連立 少数与党でも大政翼賛会でも良い政治を

 少数与党に転落した石破自民党が、財務省ら官僚主導で密に立憲民主党と大連立を組もうとしているという噂が真しやかに流れているそうです。

 財務省びいきで、消費税増税のもしてきた野田佳彦率いる立憲ですし、石破さんとも政策で共通するところもあり、あながち火のないところの煙と言えなくもなさそうです。
 そんなことになれば今の国民注目の「103万の壁」論争で、国民民主党と協議してきた内容など完全に反故にされそうです。

 党則、主義主張は違っても政権を取るためには野合するイメージの大連立ですが、過去にも似たケースがありました。今の自公政権も広い意味では政権維持のために当初は主義の違う公明党を抱きこんで自民党が強固な連合を作ったのが始まりです。

 戦前の大政翼賛会はもちろん知りませんが、何度か戦後、大連立の話は浮上し、またそれに近い連立も組まれています。
 今の自公政権の元は、1998年自民党が参議院選挙で惨敗し、いわゆるねじれ国会となり法案成立が難しく安定した国会運営をはかるため、小沢一郎自由党と、その後公明党を引き込んだ自自公政権が今の自公政権の原型で、これはまあ大連立というよりは数合わせの意味あいが強かったです。自由党の小沢一郎は何かと小渕首相に要求して困らせ、すでに公明党の参加で過半数を取っていた自民党は、自由党を切り崩した上離脱させて、保守党という形で残らせ、やがて自民党に彼らも合流します。扇千景党首、二階俊彦や小池百合子はこの時に保守党経由で自民党に参加しています。自由党から保守党に移ったメンツも政権を手放したくない甘い誘惑に負け、一度政権の利権の甘い汁を吸った公明党はその後、主張をどんどん保守自民党寄りに変え今も政権にしがみついています。


 それ以前には1994年、あの30年前の阪神大震災の時の村山首相を生んだ、自社さきがけ政権という今聴いてもとんでもない政権を奪うためだけの野合政権がありました。自民党が下野した日本新党、新進党、さきがけ、公明、社会党などの細川連立政権時代に、さきがけと社会党がまさかの自民党に寝返り社会党の村山首班指名で政権を奪い返したのです。力技もいいところで、その後、社会党は離脱させられます。この辺になるともう歴史になるうかもしれません。
 自民党は、この歴史で見るといつも権力を奪い返すには手段は選ばず、時には主義も政索も二の次で数合わせに走ります。何とか、安定した政権を握りたいのです。悪夢と罵った民主党政権がこけて自公政権に戻り、民主党はバラバラにあり、安倍さんの第二次政権以降安定した盤石の体制が続くと思いきや、裏金問題や物価高などであっという間に転落でカオスの状態です。
 近年の政治体制でも珍しい、少数与党です。予算は通しにくく、委員会も野党に議長をいくつか取られ、何かあって野党が一致すれば不信任案が可決する、不安定な政権地盤です。まして石破首相は党内でも派閥やグループに属さない弱い地盤です。
 それでも、野党の意見を聞きながら、細々と政策を進めています。参議院で過半数割れや、衆院選での不利予想が出る際や、あるいは憲法改正など重要法案を仕掛けたい時、これまで「自社さ」「自自公」以外にも、自民党は野党との大連立を模索しています。小泉内閣時代に前原民主党、麻生内閣時代には小沢民主党に、それぞれ大連立を持ちかけています。民主党政権時代にも、東日本大震災の時に、菅直人政権で谷垣自民党と連携か連立してみればという話も出ています。
 いずれも小選挙区制の二大政党による政権交代を否定したような大政翼賛会、大野合のような企みで、現実には至りませんでした。民主党政権誕生の少し前、麻生内閣時代は、もう次の選挙で負けるのは分かっていたので、自民党は小沢代表を抱き込み実現寸前まで行っていましたが、小沢一郎が党に持ち帰えるや党内では真っ向批判され、結局破談となりました。小沢の思いとしては、今の民主党の若いメンバーで政権を担っても、当面人気はあっても、とても海千山千の官僚や外国相手にまともに運営できないので、一度自民党と組んでも政権運営の練習をして、その後単独政権に結び付けた方がいいという意図もあったようです。
 この話が本当であれば、民主党政権未熟からの崩壊、分裂を読んでいたわけです。ある意味、実現していれば、民主党の中で能力のないモノ、思想があまりに左巻きは淘汰されていたでしょう。自民と民主が適材でポストを担い共同して官僚にもモノを言い、より良い政策に結びついたかもしれません。そこは少し残念に思うところで、その中で多くの民主党議員が結局陰が薄くなり、自民党に仕切られるケースもあったでしょうが、切磋琢磨して、しのぎを削れば案外良い政権運営ができたのではと思います。

 今噂されるケースは、あまりにも官僚主導で、大連立を組まれ、国民民主あたりの積み上げたものが反故にされるなら大変なことです。枠組み自体は大きな指導力とリーダーシップを持つなら大連立はありかなとも思います。

 過去の連立や実現しなかった大連立の時代よりも、ネットによる市民の意見の醸成も顕著な時代になっています。
 憲法改正もやがては必要とは個人的には思いますが、今はそれ以前の課題が多すぎます。まず物価や景気賃金、社会保障の問題を落ち着かせ信頼を取り戻さないと、防衛や少子化対策すら進めないでしょう。結局、政治が淀み「民」を見ることがなくなり、税や社会保障の負担割合があまりにも上がりすぎて、多くの人の信頼を失ったのです。他の国なら野蛮な革命につながってもおかしくないのですが、日本人の多くはおとなしい事なかれで進んでしまった、でも不満、でも生活できない状態で政治や行政にNOがつきつけられているのです。
 大連立もいいですが、何かをきっかけに「民」を見る政治に戻らないと、静かな沈没は止まりません。

 


 

不満が多いのは税割合が高すぎる、五公五民

 キャベツやコメも大きく値上がりし、生活が苦しいのは、江戸時代の「四公六民」を凌ぎ、「五公五民」とも言われる重税が原因です。実際、全国民の所得に占める税金と社会保障費の割合を示す国民負担率は2022年に48.1%に到達。以降も5割近い水準で推移しています。その国民負担率の中身をみれば、控除が縮小、復興特別や森林環境税おかしな名前の税など、これ、なぜ取られるの?と疑問になるものも多い……。

 サラリーマンの給料から源泉徴収される税金や社会保険料は、ひっそりと天引きされていることから「ステルス増税」との批判も根強い「103万円の壁」を178万円に引き上げろと国民民主党が訴えると、政府からは「7~8兆円の税収減となる」と懸念の声が上がり、地方首長からも「自治体財政が破綻する」などと反対論が巻き起こったわけです。

政府与党も地方も「税収が減るから大変だ、大変だ」と、税金を取る側の話ばかり……。減税によって手取りが増えれば消費が増え、経済が活性化して税収も増えます。ところが、7~8兆円の税収減という試算は自然増収を完全に無視して、減ったものだけを計算しています。

 たしかに反対している人の中には、浪費家やギャンブル依存などの人も一部はいますが、多くの年金生活者も現役時代からは切り詰めた生活をし、貯えを切り崩しながらも、この物価高には爆発しそうです。教育や住宅ローンを抱えた人も、切り詰めていても食費に回るお金がなくなる、自分の家庭で使っているお金なので非課税や生活保護にも該当はしないが、給料だけでは極めて厳しい人が増えています。せめて手取りをと言って103万円の壁の撤廃に期待しをても「財源がない」??と新たな税負担が増えれば同じです。

 まともに考えない、政治家、財務省はまずは、税と社会保障を所得の3~4割に抑えて、その収入を厳しくとっていいのでその範囲をシェアすればいいのです。各省庁に紐付けし過ぎた予算は結局肥大化して、徴収や分配段階でも手間も時間もかかり、誰も得をしてしていなのです。

 ここはあまりにも民の負担は多い、そして年金の支給でい言うと実質の所得代替率がこれまた低すぎる結果につながるのです。

 年金が月7万、15万、20万といってもそこから引かれては現役時代とは大きな差です。年金生活者に税負担など本来なしでいいぐらいのはずです。

 こんな当たり前の図式を分からない官僚や政治家何とかならないモノかと思います。

壊さないといけない古い組織が多すぎる

 古い習慣や、組織を根本から壊してやり変えるとは、言葉はキレイですが本当に大変なことだとは思います。
 古い寺社や伝統産業や伝統芸術が集約された京都ですが、他の関西同様に明治以降は革新的なことを沢山やり、日本初のというものも多かった街です。

 京都のような町で、保守的な立場の友人も多いのですが、今の日本には憤り、ジレンマを抱く人は多いのではないでしょうか。

 愛国的で保守的な思想を持つ方でも、今の日本の政府与党の政治や官僚の行政、経済の状況には心から支持できないという話をよく聴きます。立憲民主党や、ましてれいわ新撰組や共産党はまっぴらでも、自民党にも投票したくないというものです。志高い一部の保守政治家には残ってもらって、自民党はじめ既存の政党は全部ぶっ壊れて、お金のかからない選挙や国会の運営ができないものかとは、多くの人が望んでいるのではと思います。

 日本はここへきて、大きく国際的地位も競争力も失っています。あらゆる分野で閉塞して、元気がない国になっています。

 保守政治や国会議員だけが悪いわけではないのですが、政治と長い間しがらみで結びついたものが淀み、腐食さえ進み壊死寸前で組織が硬直してどうにもならないのではと思います。

 最近になって、「年収の壁」問題で財務省だとか総務省や厚生労働省が悪いとかいう話もチラチラとはでていますが、まさに氷山の一角というか、ほんの一面です。政治改革で企業献金を止めようといっても、なかなか与党からは全面禁止の声は出ません。
 ひとことで、企業団や団体の寄付、政治献金といいますが、我々庶民のふるさと納税とは意味も額も違いすぎます。否、我々でもどうしても献金すれば、返礼品を求めます。企業がただ見返りなく、政治家や政党にお金を出すわけがありません。

 お金だけではなく、業界団体は長く、集票をまとめて議員も送り込んでいますし、族と言われる議員も当選させています。

 戦後、GHQの指導下で、財閥解体が進み自由化が進んだ日本の産業ですが、1950年ぐらいに多くの業種、業界が自分たちの会社や個人経営者を守るため、業界団体を作り、制約や法律を作りました。あらゆる業界、マスコミや、政治、農業や工業も、宗教、医療やインフラ、日本の戦後の社会の枠組みのほぼ全ての「仕組み」がこの時期に形成されました。

 当時のその「仕組み」が悪い訳でも、中心になったリーダーの人選に問題があったわけではないのです。日本の問題は多少急ごしらえでも立派は仕組みができて、その上に立った権力者、上位組織がそれから70年アップデートされないままだったことです。権力者は世襲とまではいかなくとも、新しい考えの人材を登用するよりは過去の考えを踏襲する人間を後継し、いつしか組織の上位者は、社会全体はおろか業界全体も見ることなく、組織の維持、強権で排除の理論を持ち、権力の維持だけに邁進することになります。

 結局、戦後スタートした組織はどこでも、フィクサー、闇将軍だとか、牢名主、ヌシ、老害とか、伏魔殿だらけになってしまています。去年90歳過ぎて亡くなられた讀賣新聞の渡邊恒雄さんも、若い頃は革新的な経営もされたのでしょうが、権力を持って年齢を重ねすぎ、プロ野球の新規参入も拒む「壁」になっていました。経営者が自分の企業や業界を守るのは当たり前の論理ですが、結局日本はそれが政治、選挙と結びつき、マスコミも巧みに誘導するために、あらゆる面で組織が改革されずに、新しいものが生まれなくなり、生まれても育つことなく古いものだけがしがらみに守られ生きている国になりました。
 たとえば大地震やコロナ禍で、あれだけの被害が出ていても、政府、自治体だとか、官僚、医師会、マスコミ報道などが、それぞれどうしようもない課題を抱えて停止していまっていたのは記憶に新しいところでしょう。
 今回が自民党の選挙敗北で、支持者や団体の中にもだいぶ疑問が出たのも事実ですが、一つ一つの組織、「農協」だとか「記者クラブ」「医師会」「宗教団体」「労働組合」などが全部キレイにアップデートしていくことはあるのでしょうか。

 老害的な経営者や政治家に「ハラキリ」を揶揄した老害の早期引退を唱えた成田悠輔氏もだいぶ意に添わぬバッシングをされていました。こういった斬新な意見を、巧みに当事者を交えて潰していくのは本当に悪質です。
 別に彼も全高齢者世代に対してリスペクトがなかったわけではないと思います。
 大阪府の知事市長を務めた橋下徹も、改革を唱えた時、だいぶやられていて、いまだに保守層でも、改革や財政緊縮のターゲットにされて怨んでいるし、毛嫌いしている人よく聞きます。大きな改革をするときは確かに、その組織の黒幕だけでなく、そこに遣え従う人も巻き添えになりがちではあります。でも、組織も時代に応じて変わらないのです。そこにいる人が不安や危険を感じて抵抗します。
 だから日本が70年前のまま、進歩しない国になってしまったのです。
 簡単に書いてしまいましたが、大変実行は難しい問題ですし、線引きも難しいものです。年収の壁一つであれだけ、抵抗され進まないのですから、もう今の与党は総替えでもいいぐらいです。
 この構図が分かっても、文句を言ってるだけで私は議員でも官僚でもないです、力もない不フォロワーも少ない一ブロガーの無力さを感じます。
 それでも小さな力を集めるしかないです。自分もかつては、古い組織に抗えず、しがらみにがんじがらめの時もありました。エラそうな経験もありません。
 少しずつでも拡散もですが、若い方が新しい日本を作る意欲を持つこと、それを回りの人が「若いから、前例がないから」と既存の考えで邪魔をしないで支えることでしょう。

 

 

地上波テレビ局終わりの始まりの年

 戦中を回帰する言葉に「大本営発表」というのがあり、国、軍部にとって拙いことは隠して報道せず、自国に都合のよいことは過大に報道する意味あいを揶揄するように戦後使われました。戦争で負けているのに、「被害は軽微」「転進」などで事実を伝えようとせず、どんどん本土に危機が迫るも、報道は真実を伝えませんでした。

 戦後マスコミは、その反省から、報道の自由を得て「権力に屈せず真実を報道する」を前提にしていると、これまた国民はコロリと騙されてきました。もちろん、多くの真実の情報、アメリカ発などの夢のある情報も多い中、やはり権力は淀み、都合の良い報道、捏造、隠蔽が当たり前だということが、ネットの普及で分かってきました。

 朝日新聞のサンゴ礁捏造などは可愛いもので、東日本大震災に伴う原発被害、コロナ禍でのワクチンのリスクなど、ネットの海外情報などと照らし合わすと、明らかに日本の大手メディアの報道が欺瞞と隠ぺいに満ちているのも時間の経過で何となく明らかになっていったのです。

 よく、オールドメディアとネットの比較論で、情報リテラシィに結びつけられ、ネット情報は玉石混淆で危ないものも多くあてにならないと言われます。しかし、私が結論づけて言えば、地上波の情報、ニュース番組は、都合よく編集し、隠蔽して、捏造して、恣意的な偏向報道をするので悪質です。天気予報ぐらいしかあてにできないです。

 オールドメディアという言い方も変でして、大手新聞やテレビ局という意味なのでしょうか、それらも実際にはペーパーの新聞など今や老人しか読まれず、地上波テレビのニュース含めて、ネットで見られている報道のことです。関西でいいますと、京都や神戸のローカル新聞や放送局も結局、中小ですが、地元の権力と結びついたオールドメディアです。一見、中央に対してが、左翼的なスタンスをとりますが、地元ではどっぷり既成権力に結びついています。
 兵庫県知事の報道も今もいろいろ見解が分かれますが、地方新聞、テレビ局はじめ大手メディアが、長期県政をしいた井戸元知事支持派である反知事側の情報をうのみにして、過剰に報道したことに変わりはありません。

 前段がやや長くなりましたが、サムネ写真の大物タレントスキャンダルも、小学館「女性セブン」がスクープし、その恐ろしいほど悪質なテレビ局がらみの背景を文藝春秋「週刊文春」いわゆる文春砲が直撃しました。

 年末年始の特番のMCはじめ、司会やキャスターも務める元SMAPのリーダーです。元ジャニーズ事務所の大物中の大物とは言え、芸能人個人のスキャンダル、性癖をあげつらい、犯罪を金銭で納得させようとしただけならまだしもであり、ここでとやかく書くほどではないのです。

 ところが、これがテレビ局アナウンサーがプロデューサーの指示の下に、不同意性行為を強要される案件であり、少なくともこのプロデューサーが常習的にこのような接待でのし上がって地位を得ていたという報道なのです。どこまでが事実かは分かりませんが、松本人志の事件でも当然、相手の言い分、開き直る部分もあるでしょうが、文春砲とは言え多少悪い印象付けの文章は会っても、根も葉もない話、火のないところではない話です。

 少なくとも中居正広の犯した行為は事実ですが。ここで彼がテレビから消えて済む問題ではないのです。

 中居は、ジャニー喜多川氏の異常な事務所で、それなりに耐えて、努力もして、正常な感覚とは言えないまでも、MCとしても仕切りやトークで生きてきた人間です。女性関係に淫らなのは、芸能人に多く、何をしても許されるだろうという、ジャニーズの異常は土壌があったのでしょう。

 問題はそのジャニーズ事務所の異常も長期にわたって報道せず、反省していたのかと思えばこのような、情けない人権無視の性接待のような情けない行為を許すテレビ局側です。

 今後、どういう報道をして、粛清するのか、裁判で争うのかしないのかわかりませんが、フジテレビなど、民放キー4局(テレ東)いれて5局、NHK入れて6局の地上波などもういらないのです。ここに大手メーカーが多額のスポンサー料を出し、大手広告代理店が中抜きして、それでもテレビ局の社員、幹部が他の業界と比べて、ダントツの高賃金、高所得を得ているなどというのは異常すぎます。時代が変わってきていて、ネット広告の方が上になっているのに、いつまでも沈みかけた泥船で贅沢に宴会をしていて、「大本営発表」のウソと隠蔽報道ばかりでは話になりません。

 昔、田舎にいくと地上波が関東や関西より1つ2つ少ない時代がありました。テレビ局もナベツネさんが死んだ讀賣、日テレ系に、フジサンケイグループは統合して、左側にたつテレ朝と朝日新聞のグループとTBSと毎日新聞のグループも一つでいいのではと思います。再編は左右ごっちゃでもいいです。ドラマなどはそれぞれ、配信など含めれば、じっくり良いものが作れます。

 批判的ばかりになりましたが、テレビは嫌いではありません。ただ、スポンサーの意向や芸能事務所や、政治家など権力への忖度であまりにも面白くないいびつな姿になって、それならネットで十分だとなってしまったことが残念なのです。

 あと5年も10年もすると、またさらに時代が変わるエポックが起きるでしょう。

新旧交わるのが京都 北陸新幹線問題

 北陸新幹線の延伸ルート問題で、小浜ルート以前に京都乗り入れに対し、反対の声が上がり府知事は駅ルートの絞り込みを年内決定は先送りし、来年の着工は難しくなりました。
 府北部の自然環境や、市内では地下水の問題などで酒造組合の反対も出ていましたが、ここへ来て京都仏教会も「千年の愚行」と反対の声を上げた影響も大きかったようです。

 私は京都在住の鉄道好きで、やみくもに新幹線やリニアができれば良いとは思っていません。冷静に今までの経験則で情報を分析しています。反対の立場の方の危惧もわかりますし、元々新しいインフラができる場合、立ち退きや環境被害などのデメリットを蒙る人と、便益を受ける立場の人がいて全体として将来を見据えてどうかという議論をしなければいけません。

 少し京都は景勝も優れた場所も多く、また由緒ある寺社仏閣を訪ねると、本当に歴史の重みのあり、その伝統を継承するのに計り知れない尽力をされているのもわかります。ともすれば、多くの都市や地方では後継もなく、朽ち果てるところが多い中で京都は長い都であったとは言え、恵まれた面がありますし、東京に政治の中心が移った明治期の先人が危機感を持ち知恵を絞り努力されたのが分かります。

 比叡山や愛宕山を借景とした素晴らしい庭園が今も維持される中で、京都駅周辺だと東寺や本願寺に、京都タワーや新幹線が交差する時代を超えた光景が目に入ります。寺町通や祇園界隈も古い町並みやお寺の横にモダンな建物もあります。全体としては高さが制限されてはいても、外国の街の統一感はなく、町家の横にマンションやホテルもあり、変な店舗もあってカオスなのが京都です。

 古い伝統を守る意識と、新しいものを拒まず受け入れる意識が交錯するのが京都です。全国に先駆けて、小学校を作り、琵琶湖疎水からの発電を利用した日本で最初の路面電車など、京都は革新と保守の時代を繰り返してきたのです。

 東海道新幹線も当初は京都乗り入れには反対の声もありました。この時も保守的な人は反対したのです。しかし、もし京都に新幹線が通らず、奈良や大阪を経由しないと東京方面や山陽方面に直接行けないとなると、随分不便ですし、こんなに京都は規模を維持できていないと言われています。奈良と立場が逆転してとまでは行かずとも、奈良や鎌倉のようなひっそりとした地方都市となっていた可能性はあります。風情はあっても、いくつかの企業は発展せず、大学も少なく、多くの寺社仏閣は朽ち果てているかもしれません。

 阪急(旧新京阪)の地下線、京阪の地下化と出町柳延伸も反対の声はありましたが、今はすっかり定着してなくてはならないものです。逆に反対やさまざまな事情で実現が遅れたのが、都市高速と市営地下鉄です。今のインバウンドの市バスの混みようや、バスの乗り入れの難しさを考えると、環状する地下鉄、都市高速、もしくは市電の保存含め、将来を見据えた革新的考えが負けた結果かとも思います。

 北陸新幹線は、確かに難しい問題が多いです。京都の政治家の多くもリニアは反対デモ、北陸新幹線には条件付きで賛成という方が多かったですが、ここへ来て負担に見合う便益があるのかという声が大きくなってきています。

 しかし、京都仏教会、相国寺派や清水寺など観光寺院の一大組織ですが、東西本願寺など檀家を多く抱える京都仏教連合会とは別組織です。
 かつて古都税にも反対しているのが当然この観光寺院の多い京都仏教会です。お寺や神社の市内に占める面積割合が多く京都の固定資産税収は少ないので、何とか観光客から税金を取ろうとしたのですが猛反発にあい、結局京都市は破綻寸前まで財政を悪化させています。
 それぞれのお寺を維持し、文化を守り宗派を守るのはいいのですが、京都の未来の交通網に対し意見するのは越境であり、僭越です。新幹線の恩恵でたくさん儲けてきたのですから、まず地元の財政に寄与していただきたい。そこからはじめて納税者として意見を述べる権利ができるはずです。
 何が言いたのかといいますと、仏教会の代表、日本の仏教界の重鎮中の重鎮とされ、世界遺産で知られる金閣寺(鹿苑寺)と銀閣寺(慈照寺)の住職を兼ねる有馬頼底・臨済宗相国寺派管長。大阪国税局が過去に着手した税務調査では、2009年~3年間で約2億円の申告漏れを認めてに修正申告し重加算税は免れたものの、過少申告加算税などを含む約1億円を追徴課税されています。
 今も年間5000万円以上の収入のある宗教団体は、財産目録や収支の登記が義務付けられていますが、仏教会の多くの寺院がこの最低減の公開をしていないのです。

 一般の市民が、物価高や増税に苦しむ中です。北陸新幹線が京都に恩恵なのか害なのかは別にしても、地元の庶民がこれ以上負担するのは不公平であり、「千年の愚行」なのです。

昔見ていた未来が住みにくい

 子供の頃には、テレビ電話など未来の話、まして腕時計にビデオレシーバーがついて顔を見ながら遠くの人と話ができるなど特撮SFの中での21世紀の話でした。

 いつの間にか21世紀になり、少し前まで遠方や海外の電話など高価な料金だったものが、今や世界中どこでも、家族や友人とテレビでしゃべり、写真はもちろん子供の成長などの動画もタダ同然で共有できます。
 もちろん、特撮SFのヒーロー、隊員のような防錆組織でなくとも、ごく普通の営業マンなどが、スマホを貸与され、GPSで位置情報を把握され、出退勤、定時連絡などを義務づけられています。カッコいいどころかとても気忙しい、窮屈な世の中になっています。

 銀行や金融機関、駅の窓口などの有人業務はどんどん減り、スーパーもかつてはパートの典型的業務だった「レジ打ち」係は激減して、セルフレジが増えています。
 バーコードが発達して、かつては値段を手打ちするという熟練が必要だったものが、誰でもできるようになっていましたが、もうそれをお客さんが、カメラ監視の下で自分でやらされる時代になりました。
 もうそれ以前に、スーパーの店舗へも行かず、ネットスーパーやオンラインショッピングも増えました。もちろん、リアル店舗での飲食などの消費、ウインドウショッピングなどはありますが、飲食やビューティ関連はネット予約、ファッションでさえリアルの色やサイズ、質感を確かめに店を覗きネットで買う人も増えました。

 今まで、あったルーティンな仕事、事務系や販売系、窓口業務は激減して機械やデジタルでできない、キツイ汚い、クレームが多いなど難易度の高い仕事が、賃金の伸びないまま残ってしまって、かつてバラ色に見えた、子供の頃想像していた未来、21世紀は働きにくい、住みにくい世の中になっているのです。
 労働条件や環境は、法律を始め改善されています。かつて、主婦の仕事が家電で楽になったように、本来はデジタル化で楽になるはずの仕事のはずが、どこかで間違ったのでしょうか、どうも窮屈で生きづらい世の中です。
 介護だとか、保育とか、消防、土木、バス運転手など、キツメの仕事は人材難であえいでいます。短期間でも高報酬にして、入れ替わりながらも誰もが働きやすくして、高給官僚やIT長者なんぞの高報酬をちょっと減らすだけで実現は可能なのではと思います。

 

日本が戦ってくれて感謝しています (井上和彦)

 12月8日は日米開戦の日でした。
 冬の寒い日に戦争が始まり、暑い夏の終局を迎えたのです。
 戦争に対して語るとか、記録を残そうというと、どうも右と左、保守とリベラルで大きく価値観も変わり対立するようです。もうかなりのお年寄りだけが、小さい頃戦争を経験した世代です。それ以外の人は、伝聞、教育で戦争を教え込まれています。

 ずっと、その価値観の中で、教師がいて、教育を受け、本を読み、資料を見ていると、どうしてもバイアスのかかった見方を信じきってしまうようです。

 私は一つの本について、書評を含め、必ず左右の見方を確認して両側からの見え方を確認します。

「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」
 この本は保守的な方の書かれたもので、いわゆる日本がアジアに対して植民地支配をしかけ侵略戦争を仕掛けたという自虐史観を否定する内容です。
 フィリピン、インド、台湾、パラオ、ミャンマー、マレーシア、多くの国が欧米諸国から支配され、削除されていた状況から解放、独立して、日本には感謝こそすれ、侵略された意識などないということです。

 私は戦争に至った経緯、国民の多くを犠牲にしてしまった帝国主義がなかったとは言いませんが、多くのアジアの国を解放したことは事実で、この点は左翼の自虐観を全否定します。

 そして、当時は蒋介石率いる国民政府軍と戦いが始まったのが、日米開戦以前の日中戦争であり、朝鮮の併合はさらに前にさかのぼります、中国、韓国には若い世代になっても、反日の歴史が伝わっています。
 しかし、毛沢東語録にも「何も申し訳なく思うことはない。日本は中国に大きな利益をもたらした。日本軍国主義なくして、中国共産党が権力を奪取することはなかった」と日本の政治家に語ったことが記されています、

 その他のアジアの国も、黄色アジア人種が、欧米に対して、各国の奴隷的立場から解放し、近代化の道筋を使ったのが日本だという評価は間違いないのです。

 多くのアジア人は、直接の日本とのかかわり以上に、アジア人が欧米とよく戦ったことに、勇気づけられ、またその後解放、独立につながったことに感謝しているのです。
 中国や韓国は、確かにそこまで感謝されない背景もあるのも分かります。しかし、南京大虐殺にしても、あり得ないほど、日本人が、侵略、略奪をするとはあまりにも誇張、捏造が妄想的過ぎます。

 戦後の一時期、非武装中立、軍隊不保持がもてはやされ、多くの文化人、ジャーナリストも軍隊非保持、非武装中立がお題目になり、「戦争反対」「憲法9条を守る」「自虐」が当たり前の理念になり。自虐からの戦争忌避の考えが浸透しました。「軍隊はいらない、いざ敵国が攻めてきたら、命懸けで家族や国家を護る」という考えを真剣に披露している人もいました。

 もちろん、私以下の世代が知りもしない。焼け跡の闇市を経験している、戦後焼け野原で食うや食わずに生き抜いて、多くの「敵」も見て戦争の辛さ、奪われた者、失った家族との苦い体験をしてきた人です。戦争の問題からは、だからこそただ反対というのは逃げていることにも思えます。

 ならず者のような国家があるのは、否定できません。国家間の戦争でなくても、国境を超えて恐ろしい敵が略奪に来るときがあります。非武装中立だけでは、さすがにならず者は抑えられないのです。国家には、国を護る人、組織は必要です。

 東京裁判の理不尽で、日本が自力で戦争をする力を与えられなかった。その部分をさらに広げて、アジア全体に侵略を企図ぢたというのはいくら何でも否定しないといけなのです。最初は日本も組織や国民のため、戦争を始めました。決して略奪のためではなかったのでした。
 南京での虐殺が大虐殺というまでのスケールか、全く無かったかは分かりませんが、両極端ではなさそうです。大虐殺で何万人というのはあり得ません、日本の長崎、広島の原爆、東京大空襲や沖縄戦は盛っていなくて、何十万人と亡くなっています、事実と、推測は分けて考えるリテラシーが必要です。私は保守でも右翼でもないですが、左翼自虐バイアスにかかった人が使う日本が行った「侵略戦争」というのは少なくとも間違いだと思います、

 この本だって、都合の良い証言を集めて、盛っているところはもちろんあるでしょうが、全部を否定できるものではありません。沢山取材もされています。

 日本はアジアの少なくとも何割かの国の人に感謝されていたのです。

書評:関幸彦「刀伊の入寇」王朝からの防衛問題

 今日、この書評を上げるのも、分かる人には分かるタイミングではありますが、源氏物語の描かれた貴族の摂関政治平安時代にも対外防衛、戦争、軍事、外交という話があったのです。

 対外戦争というと、専門の軍隊があり、軍人や兵士がいて、政府が相手国に宣戦布告して国際法にのっとって、戦争が始まるというやり方は、ごく近代の話です。

 今も局地戦は、民族間の略奪のような小さな争いごとから始まっている場合もあります。
平安時代は、大和朝廷もまだ蝦夷を完全に駆逐したわけでもなく、沖縄は別の独立国、北海道も未開地でした。朝鮮半島は新羅と戦闘状態になったこともありました。
 優雅そうに見える平安貴族ですが、近代的な軍隊は有していなくても、国内をまとめるのにも弓や剣の武力は持ち、兵(つわもの)、武者を要し鍛えてはいました。

 私も含め、初見の人もいるかと思います。学校で出る歴史教科書にはあまりでていません。学校で習う日本史ですら記憶が曖昧な者には背景さえおぼろです。
 その国家を蹂躙する略奪者が来たのが道長の時代、寛仁3年(1019年)3月末から4月にかけて、女真の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐・対馬を襲い、さらに九州に侵攻した事件です。刀伊(とい)とは、高麗語で高麗以東の夷狄(いてき)である東夷(とうい)を指すtoiに、日本の文字を当てたとされています。(wiki参照)
 国家間の戦争というよりも、朝鮮のさらに北方のいわば蛮族が集団で舟で略奪に来たわけですが、そのスケールと残忍さには驚きます。
 元寇は有名ですが、それ以前の日本では最大級の対外危機でした。
 食糧や衣類を強奪、牛馬を食べ、働ける男子は拉致して奴隷にして、女子供、老人は惨殺したようです。死者364人、被虜者1289人、牛馬被害380頭と書にはあります。
 情報伝達の遅い時代で記録にももちろん詳細は遺りずらいものですが、朝廷がその情報を聞き、大宰府が対処して行ったのが、迅速だったのか後手だったのかも想像しかできません。

 某国の拉致被害がそれだけでも、大きな問題になりますが、国家安寧という面では、この規模の危機は絶対に手をこまねいていてはいけない事態です。

 戦後教育の中で、平和憲法遵守、非武装、戦争放棄、武力の不保持ということを金科玉条のように信じ込まされている人がいます。
 戦後の一時期、非武装を唱えるトレンドが学者や文化人、作家などでもよくいました。
しかし、国家の存亡、尊厳の喪失、国民の被害に対して備えは無ければ、国体を維持できないのは、この歴史的事件でもよくわかります。
 結果、この時代も日本が良く戦い、気象の運、高麗の協力もありましたが、刀伊を駆逐しています。
 武力をもって、ならず者を倒すのが正しいのか、武器を持たないでやられるままかは議論の余地のないところです。

兵庫県知事選以前から始まっていた大手メディアの凋落

 テレビの時代がネットに広告料でも追い抜けれて終演をむかえたのは昨年のことです。

 そして、今年トランプの復帰、直近の兵庫県知事選と、報道でも趨勢を見誤り、誤報道ともいわれ不信を抱かれて、テレビをはじめとしたオールドメディアは完全敗北しています。自民党総裁選でもこの傾向はありました。
 もちろん、ネットニュースなどにソースを提供しているのも新聞社やテレビ局でもあり確かに、政府や、警察や、国会や、検察、大企業、芸能プロの番がおり重要なソースを抑えています。
 かつてテレビが台頭しだした時、新聞がテレビ欄を裏1面にもっていき、共存と延命を図ったのと同じく、テレビ局はネットにもニュースもドラマも配信しています。すっかり発行部数も減り、若者に見向きもされないオワコン「新聞」も何だかだとマスコミの中央にいるやり方は同じです。
 まだら模様で融合、一体化もはかっていくでしょう。
 しかし、テレビ電波のように独占をして莫大な利益を産み、利権のために政治と結びつき、政治をも動かせるほどの力はさすがの衰えたなというのが、今回の兵庫県知事選でもあります。

 ちょっとした事件や災害などの画像が、記者よりも一般の方の方が早いですし、検証さえできれば、大手マスコミも投稿者スクープを採用しています。
 ネットは、大手の配信も海外を始め真偽い入り乱れても、多くの情報が早く大量に流れますもう、見る側はテレビの地上波ニュース番組だけでなく、ネットで検証しているのです。
 今回の選挙でオールドメディアたる大手マスコミは、自分たちが攻撃した前知事がネットの力で勝利したことに憤って、逆切れしてネットは「信用できない、フェイク、デマが多い」と、恩着せがましく注意していますが、ネットの進出は今に始まったことではありません。
「デマが多いのも事実、オールドメディアが報道しない真実がある」からネットが指示されており、この傾向は前回の参院選あたりから、ネット政党も議席を取り、都知事選で石丸候補が予想以上に善戦して既存の立民の候補より上の2位で現職を脅かしました。まだ、完敗するまでは、何もネットがデマだと騒がなかったのが今回うるさく恩着せがましく言うのはいかにもオールドメディア側はプライドを傷つけられ危機感を持ったのです。
 じゃあ、新聞やテレビは嘘をつかず、デマもなく、キチンと報道してきたのでしょうか。そうではないからあれっ?と思う人がネットの「ニュース」や「情報」で確認し、インフルエンサーの見解を見て確かめているのです。
 テレビが嘘ばかりだったことは過去からのヤラセや捏造、ステマでむしろ知っているのです。
 今はそれはいいも悪いもネットでも出ます。
 ネットは官僚や警察、大企業など権力に結びつくから、【真実が曲げられる】【事実が隠される】のです。
 恣意的な報道になり、一度ストーリーを描いたら、冤罪だろうと、池に落ちた人物は人権無視で徹底的に再起不能、人格崩壊まで攻撃するのです。
 逆に権力に守られた側の人物は、旧ジャニーズがいい例ですが、政治に拙い情報、官僚や政治家の中枢には忖度、自らの協定で、絶対に名前も話題にも出ないよう隠されます。
 ネットが情報を流しても、よほど盛り上がらないとテレビは無視の時代もありました。コロナワクチンの危険性の話題も、ちょっとでも触れただけで、投稿もできずアカウントも消される時期すらありました。テレビのコメンテーターが、片寄った方向にしか話ができない、議論しているようで、内輪も程度のヤラセなのはよくわかります。
 結局自ら協定をして、旧ジャニーズ問題にせよ、福島の震災後の原発事故、コロナのワクチン問題、数々の冤罪事件、選挙の情勢も巧妙に都合よく描いてきたものが、ここへ来て瓦解しているのです。朝日新聞が分かりやすく捏造したというのも悪いですが、談合して嘘をつきとおす、隠し続けるというカルテル体質はもっと最悪です。
 私はテレビっ子世代で、新聞もとっています。今はネットもよく見ますが、やはり媒体というよりも、情報は正確だけがいいでです。
 テレビの報道の何とも言えない余分な憶測、恣意的な解説、専門家ぶったミスリード、たきつけられた素人のインタビューやひな壇コメント、こんなものは一切要らないと思います。事実の報道があって、難しい用語は辞書のように解説するだけで良いのです。
 そういう正確な報道なら媒体は関係ないでしょう。

 

 

破産の原因、奨学金は何とも悲しい

 破産の実務を少しやっている中で、その原因も、さまざまに散見,いくつかに分類できます。ギャンブル依存症を診断書までつけての申し立てもありますし。アル中をはじめ買い物や旅行の中毒めいた浪費もまあ弁解の余地はないようで、ではどこまでが計画的な楽しみ方というと何となく偶然うまくいくような人もいるので難しいものです。

 ひとつ歯車が狂うと、他の人は上手くしのげたものが、なかなか拙く重なってくるケースが破産につながるのでしょう。

 病気も一因でメンタルも含め、仕事に就けなくなる、契約社員、自営やフリーランスでは満足いく保障、病気の有給、健康保険の傷病手当もありません。

 中でも、厳しいのが「住宅ローン」「奨学金返済」です。広い意味では学費が高いこと、家賃や住居費が高いからなのでしょうが、私自身も、サラリーマン時代、マンション購入でそのローンを払いながら、二人の子供が大学に行く時期はハンパなく可処分所得が減りました。
それ以前には会社の事実上の債務超過もあり、何とか健康に働けて幸いでしたが、大変な時期が重なっていたらと思うとぞっとします。

 学費、奨学金返済の破産などを見ると、日本の大学の奨学金がほとんど返済義務ありの貸与型なのを悲しく思います。
 少子化はある程度しかたない現象とすれば、優秀な子の大学までの教育の無償化は政府が是非考えて行かないといけない問題だと思います。一部の自治体で高校無償化が実施されていますが、一部私学は反対するなど、既存の権益からいうと抵抗される場合があります。しかし、長い目で見ると、少子化でますます教育機関は要らなくなり、淘汰されるのは目に見えています。国立大学の統合なども進んでいますが私学も含めてもっと要らない教育機関を減らし、無駄な学費で負担の多い奨学金を無くすべきなのです。