津波が10年で流したもの 書評:津波を乗り越えた町々

 2021年の上梓なので被災直後から10年、津波の被災地を追った写真集です。復興は徐々に進んでいるとも見えるし、まだまだ全然とも言う人もいるでしょう。
 ある図書館の内容紹介では『一人の写真家がファインダー越しに見つめ続けた、東日本大震災の被災地の十年-。撮影総枚数15万4937枚の写真の中から、津波被害が甚大だった岩手、宮城、福島の写真を選び抜き、紡ぎ上げたルポルタージュ』とされています。カメラマンとして技術も含め、使命と情熱を持った良い仕事をされた本だと思います。

 東北という人口減少、少子高齢化の日本の中でも過疎の地域が多い中で、一部は復興を終えたところと、これから先が見えない厳しい状況の地区は多いのではと言われています。
 担い手やら子供が居なくて、産業や文化、インフラ、住宅地が放棄されていくところも当然あり、そこに全国からの復興税はじめ国費をこれ以上投入しても仕方ない判断が下されるのでしょう。
 仕方がないこととはいえ、津波がその時に流したものと、10年以上かかって人のあきらめで流していくものがるのです。

3月16日からの時刻表を見て 未来の日本

 駅の時刻表掲示板や紙で配られるポケット時刻表がどんどんなくなる時代ですが、マニアにとっては分厚い時刻表は必須の愛読誌です。私もさすがに毎月ではないですが、大きな改正がある春には買います。
 3月16日改正は北陸新幹線延伸が路線図に反映され、敦賀~福井は北陸本線ではなく新たにできた「ハピラインふくい」と石川県の部分は「IRいしかわ鉄道」となります。北陸本線とは「北陸」とは言え、米原から敦賀の45キロmあまりの短い区間になり、大部分が滋賀県で長浜以南米原までは愛称「琵琶湖線」ですのでもう改称してもよさそうなぐらいです。
 写真の時刻表もかろうじて三セクでJRのページのくくりには入り、普通電車の本数はそれなりですが、福井県内を乗り通す電車は少なく、サンダーバードやしらさぎ、かつては寝台特急まで縦横に走った優等列車は皆無となり寂しいものです。
 京阪神からはそれなりで東京から遠い北陸、福井県のこの交通体系の変革はどうでるでしょう。金沢延伸が成功のビジネスモデルでしたが、福井、敦賀というのは関西圏、中京圏に近かっただけに、東京一極加速の仲間入りを果たすのか、少なくとも福井と京都、大阪、名古屋は特急乗り換えで確実に運賃は上がり不便となります。
 富山、石川も新幹線ができ、関西からの乗り換え需要は減りました。その分東京からが増えてペイはできているのですが、今後も大丈夫なのかというのかという面と、関西が相対的な地盤沈下につながるのでは思います。
 そして、今回の能登半島地震とその後のインフラ復興の遅れで見られる、新幹線はあっても一部の恩恵はあっても偏りがあり、地域全体のインフラ整備など住民の環境、産業の活性につながっていないのではという疑問が沸きます・
 リニアも含めて、地方への新幹線は未来の日本にとって重要で必要だとは思いますが、環境も含めてその地方の経済を回しどう再生、活性化していくかを見極めて進めないとと思います。一時的に大手ゼネコンや外資はじめ東京の資本が潤い、地元に住む人の教育や、買い物、医療、住環境などが配慮され、この地域に住んだらいいなと思えるようにしないと、未来の日本はないのです。

 昨年75万人しか出生していない衝撃!

 第一次ベビーブームの今生きている団塊世代73歳の老人の半分以下しか出生していないなんて!

 2023年の出生数を発表しているが、なんと過去最少の75.8万人で、前年に比べ5.1%減、婚姻数も戦後最低で48万組とのことである。75万人といってもぴんとこないし、成人とか20歳になった世代が80万人ぐらいなので、そんなものかと思う人も多いでしょう。出生率は韓国も低いと言われますが、日本の出生数、過去の数字を見ると驚くほど多かったのです。ということは毎年還暦を迎えるとか、年金が貰える世代はずっと多いしかも、2倍も3倍も多いのです。
 日本では1947年から1949年にベビーブームが起きています。この3年間は出生数が250万人を超えており、合計すると約800万人程度の出生数となる。1949年の出生数269万6638人は戦後の統計において過去最多であり、この出生数は2023年の出生数約3.6倍です。
 表題の通り、団塊の世代と言われ今も健在なご老人73から75歳の方はまだ各年代で170万人ぐらいおられます。出生数の2.6倍ぐらいはいます。
 その後も第二次ベビーブームの年齢ぐらいまで50代60代は楽に150万人以上います。毎年「還暦だ」とか「年金もらえる世代」に入ったとかいう人が、赤ちゃんの2~3倍いるんです。
 そして、みんなが高度成長から、バブル期とその崩壊まで日本を支え家庭を守ってきた「そろそろ休ませてくれ、人生謳歌させてくれ」となるのです。それでも賦課方式で物価が上がり、支える世代の割合が低く、さらに下がり続ける実態が良く分かります。すぐには崩壊、制度破綻とはいかないまでも、このままではダメだというのはあながち危機感を煽るものでもないのです。

 2050年とか、近未来の高齢者比率や、総人口が8000万人とか人口減少を憂う統計予測はよく出ますが、この高齢者の多さを見ると「こりゃ、ダメだ」と思います。
 いざ少子化対策となると、高齢者が多くてそちらに回すお金も多く、大したものが決まらない決められないハンパは政策ではどうにもなりません。結婚する若い人間の絶対数も少ないのです。
 

 そんなこと考えなくても、何とかなると思われた時期は過ぎています。
 もちろん政府や識者もAIも考えているでしょうが、伝統的な考えや仕組みからは既成の概念を取り払わないと、人口も若者、出生も増えません。
 それは、相当に痛みを伴うとか、保守の人が顔を顰めるような内容にもなるでしょう。それでも国が存続しないと元も子もないです。どんな形でも日本を残し守るのが保守でしょう。政治家も情けないことばかりやってずどんなに嫌われても説明を尽くし茨の道を国民とある亜k内といけないでしょう。これからの政治家も国民も相当な覚悟が必要です。
 こう書くと暗いことばかりですが、俯瞰してみれば国家運営の構成がドラスティックに変わるよということで、その変化を確かめ、楽しまないとしょうがないです。


京都市長選総括と政治の構造

 京都市長選から少し時間が経ちいよいよ新市長が登庁されます。
 選挙を総括して書こうとしてから、いろんな政治の状況や京都市の行政への思いが巡りなかなか書けませんでした。
 京都市への長年の思い、役所関係に関わった時の思い、今回選挙応援に関わった友人たちへの思いなどが駈け廻りました。まとまりがなく書いたままです。ご容赦ください。

 京都では与野党が相乗りして「非共産」対「共産」の構図で長年争われてきました。今回、維新と地域政党京都党、国民民主党と前原新党が組み、自民公明と立憲民主党が相乗りした現市長後継としのぎを削る新しい構図でしたが、候補者の政治資金疑惑というまさかの急展開で、結局「非共産」対「共産」に戻りました。
 選挙結果では共産党福山氏が大善戦したとも言われますが。結局疑惑で失速した村山氏が前回の票も取れず、維新支持票は分散して、当選した松井氏から自民の支持層を自民除名の二之湯氏が獲っていった分で苦戦した程度でした。共産系は実は大きく増えてもおらず、あのまま村山氏が走っていた方が、3竦みで共産党がもっとトップに近づいていた可能性もありました。
 地域の事情ではありますが、「相乗りの形は京都に限らず全国にいっぱいある。党としてはその候補者と向き合い、いいかどうかを判断している。京都の特殊事情ではない」と自民党や立憲民主党は開き直るように述べていた。
 地方組織が弱い旧民主系議員は、選挙を取り仕切る組合、要は連合の意向に逆らえないのです。
 労働政策の実現を望む連合は首長選で現職寄りで、共産とは全く相いれない。連合と共産党系の近親憎悪のようでより敵対するのです。旧民主系は国政で自民と戦ったふりをしながら、足元の選挙区では手を握るという矛盾を続けてきました。
 今回は共産党が機関の新聞で村山の裏金リークをして、引きずり下ろしました。
 自民党内でさえ勝手に出馬した府議を除名までするコワイ制裁、片方で裏金でもユルユルの処罰なのにこの辺の近親憎悪のガチンコは一体何なのでしょう。結局は相乗り、現状維持に大きく舵が切られました。
 中央では敵対し、裏金問題で政権交代を目指すはずで、その足場を政令指定都市の首長選を取れば弾みもつく時勢でした。
 特に野党第一党、立憲民主党は情けなさ過ぎますし、推薦にたてた村山氏に疑惑が浮かぶと不戦敗を決めた維新も世論調査では村山氏優位で勝つ気満々だっただけに不戦敗は残念です。
 実際に市役所、区役所で働く人にも給料や待遇を下げては可哀そうなぐらいよく働く人もいます。
 松井新市長が述べていた京都の市職員は良く働く素晴らしいというあたりは間違いではありません。
 維新や京都党の改革を、大阪橋下流と毛嫌いした方、伝統産業や芸能、文化、地域などを守らず改革で切り崩すのではとも怖れた向きもあります。松井市長の当選で安堵した人もいるでしょうし、革新府政時代に立ち遅れたトラウマがある人も安心したかもしれません。
 しかし、革新知事市長時代以上に門川市政下で最悪の財政、福祉の体制であることも事実です。
 伝統文化などだけでは京都はもたないと私は思います。
 私は今は国の司法系の仕事なので京都市とは直接俸給を貰う関係ではありません。それでも少し関わった右京区のプロジェクト、地域でのITのボランティアなども体制によって機器の更新どころか存続そのものも年度替わり前で随分やきもちされていました。維新系の市長ならこれらも全ていったん見直しかもしれませんでした。
 個人的には再就職で地元での公務などの事務を探しているとき、文化庁や京都市の行政のデジタル推進課、、行財政局社会保険関係、交通局広報、町家の管理、二条城の管理事務なども回りました。採用されたおれば逆の立場だったでしょうか。それでも詳細に条件を見ました。総じて非正規採用の待遇はあまりよくなく、逆に職員はダラダラです。全体で人件費のかかる正職員で無駄な人材が多いのです。賞与や昇進などここらあたりに、手をつけられるのが維新だったのですが、その機会は失われました

 改革という面では、一番積極的なのが京都党、(維新)>自民・公明・立憲民主>共産党というのが京都の異様な構図です。
 それはそれで全てを俎上に見直すことは傷みはともなってもいいことかとも考えました。
 とはいえ結局門川市政をほぼ後継、継承の松井市長となりました。ドラスティックは無理でも繰り返しますが財政破綻の問題はつきまといます。松井市長は世話になった団体とのしがらみを抱えながらも、ある意味冷徹なほど冷静にこの問題に全方位に向いて取り組まないと待ったなしです。
 何せ、国とのパイプとか府市協調と門川市長も言いながら、全国ワーストの財政になったのですから、今さら国や与党は助けてくれません。国の支援は結局足枷になり、府市協調というのも前からいって二重行政の無駄は消えていません。似たような府市の組織があるのもそんなに急には変わらないし、変えられないでしょうが、やはりメスを入れていかないと遅れたまま、破綻寸前待ったなしは続きます。中央政治がどうしようもない時期、地方発で大きな変革があっても良いはずです。

 

少数野党の限界?

 GDPがとうとうドイツにも抜かれ、国際的地位も多くの国民生活も二軍落ち、2等国に下がりつつある日本です。多くの保守層もさすがに危機感はあります。
 それでも与党保守系支持の方は、よく共産党や立憲民主党、れいわ新選組のような野党なんか党方針もとんでもないし、政権担当さっせられないし要らないと思っています。自民安倍1強と言われた時代が続き、政府はやりたい放題で財政も経済も低迷、国民そっちのけで裏金問題の体たらくです。
 日本の選挙や政党政治の在り方がオワコンとも言われ、矛盾点や課題は山のようにあります。しかし、立法府として政治の中心のやりとりが今の国会ではいくら何でも情けなさ過ぎます。議員の在り方、政治家の金の使い方だけ見れば、野党の方がきれいだし、与党より言うことははるかにマシで、日本のためになる改革を語っています。
 別に野党を真剣に支持するわけではないですが、結局オール与党に近く、不信任案も倫理委員会や証人喚問など野党が要求しても屁の河童、糠に釘では国会をやっている意味はありません。
 その場しのぎのゴマカシを聞いていると、検察と警察、スクープ週刊誌があれば野党など要らないと思えるほどの微力な存在です。これでは巨大与党の中心の派閥が好き勝手にお金を集め勢力拡大を図るのが止められる道理は無かったでしょう。
 こんな緊張感のない国会でまともな法律が決まり、政策が決まっていくはずがないとは思います。
 与党の多くの議員を辞職させても政権は交替するほどではありません。ここは政権中枢はなるほどと唸れるくらいの改革を進めれば、政権は盤石になるはずです。
 逆に処分が甘ければ、急降下でバラバラになり、政権を失う可能性があるほど、今度の国民の怒りは燃え盛っています。
 しかし今の野党は、党の方向、政策や思想がバラバラで政権の受け皿になったとしても過去最悪の政権になりかねないのです。二大政党制の受け皿ができていない。澱んだ政権が続き、改善するのにひどく傷みをともなうので変わらないという閉塞した状況にイラつくわけです。だからこそ、現与党内で厳しい基準を定め、政治を地味に着実に刷新していくのがベストなのです。

元気な飲食店が復活していてホッとする

 年末に大阪の元職場の近くに行った時、いくつかの店が無くなったり代替わりしていて、コロナの爪痕の傷ましさに衝撃を受けました。

 仕事がら入ってくるニュースにも、閉鎖や倒産、差押のものも多く、コロナの助成金が断たれた昨年から苦しくなったところが顕著でした。元々助成金の無い業種で物価高や不況を乗り切れなかった例も多いのです。
 しかし、最近近所を少し歩き回ると、京都の飲食店、居酒屋やバー、レストラン、割烹など個人経営の小さなところでも元気にやっているところが多くホッとしました。活気のある接客をする人のいる店には癒され元気をもらえます。
 いろんな職業があって、お酒を勧める、料理を提供する飲食関係の水商売という仕事ももちろん無くてはならないものです。ちょっとした街なら、大手の居酒屋チェーンもありますが、町の盛り場やその横丁にも小さな個人の店がいくつもあるものです。
 コロナの波を乗り越えた多くの店を心強く、たくましくも感じます。
 どんな職業でもそうですが、個人経営は責任も重く、天命、天職と感じる情熱がないとなかなかやっていけません。
 
 やめてしまったところには、年齢や立地などさまざまな事情があったのでしょう。続けていけたところは、幸運もあるでしょうが、やはり情熱があり、仕事が楽しいからではと想像します。楽しく仕事をしているところには、良い人材や顧客が集まります。
 仕事が楽しくないなら、仕事をせず給付金を貰えて生活ができた時間があれば、もう働きたいとは思えなくなってしまったというところもあるのかと思います。少しぐらい苦しい時期に耐えても、いきなり休業補償で働かなくても、働いたと同じかそれ以上貰えるのは問題です。喜怒哀楽があり、あるいは苦しいばかりでも最後に少しでも儲かれば嬉しいのが自営業でしょう。それを何もしなくても、「はいこんなもんでしょう」と助成されたら、感覚もマヒします。
 むしろ、一番大切な働く楽しさを奪われたのかもしれません。
 楽しいというとそればかりではなく、苦しい時もあり、充実しているという言葉が合うのかもしれません。
 非合法とか理不尽には耐えてはいけないものもありますが、苦しい時をもう少しだけ乗り切れば自信になり、次のステージにつながる時があります。今は苦しくともその場で働くことの意義や使命に気づきもう少し頑張れば天使が舞い降りるような時が来ます。
 自分だけで頑張れないときは、少し方向を変え元気な人に会って少しパワーをもらうことです。
 

飽食時代の飢餓、賞味期限の罠

 能登半島地震で避難所や被災地での活動などで支援物資の中に賞味期限が切れているものが含まれることが問題となり騒がれニュースになりました。石川県のある被災自治体では、避難所に届いた支援物資の中に、賞味期限が2019年8月で切れたドリンクや、賞味期限が切れている食品が含まれていたと報じられています。
 しかし、賞味期限が切れていても飢えや渇きをいやすことはでき、どうしても不快に思うなら口をつけなければよい話です。ゴミになるとかいうのは違う話です。非常事態に性急で間違いもあります。緊急避難的に、飢餓状況の被害地域に送るのに、腐敗していない限り十分に食べられるし、飲めるものです。

 飲料、水の賞味期限は設定されていますが、密封されているペットボトルは全く問題ありません。本来、水だけなら腐敗はしません。ペットボトルの素材に使われているポリエチレンテレフタレート(PET)にはわずかに気体透過する性質があり、お水が蒸発することで少しずつ容量が減ってしまうのです。量が減ってしまう恐れがあるため、念のため設けているのです。つまり、ペットボトルのお水に関しては、賞味期限が切れたら飲めなくなるというものではなく、未開封の状態で保存されているのであれば、口にしても問題ありません。水は人体にも生活にも欠かせませんので、いくら賞味期限切れでも送ってもらっても良いものです。

 賞味期限が切れた食品を食品棚や冷蔵庫で見つけるとすぐ「食べられない」「飲めない」と捨てる人がいます。しかし、賞味期限は、科学的な検査等で得られた「おいしく食べられる期限」よりも少し短めに設定されています。たとえば、製造日から120日間、おいしく品質にまったく問題ない製品であれば、120に「安全係数として0.8をかけ算して96日後を賞味期限とする」という具合です。この場合、賞味期限後の24日間は、おいしく食べられます。その後、緩やかに風味等は落ちて行きますが、すぐに食べられなくなるわけではありません。安全係数として1未満のどんな数字をかけ算するか。その判断は事業者自身に任せられています。
 もう一つ、食品ロスの問題も含めて、「賞味期限」のおかげでメーカーや生産者は大変だと一般の方は誤解されています。私も食品も扱う総合日用品メーカーに勤めてましたが、食品衛生法にのっとり、消費者庁や厚労省の指導はあるものの、私に言わせれば実は大企業と政府がぐるになって儲けているような構図です。
 確かに和菓子の大手やいくつかの業者で、コスト削減のため賞味期限の偽装などが問題になりました。
 しかし、多くの場合、とくに加工食品の原価率の割合は低いので、売れれば回転が上がりどんどん儲かります。賞味期限があれば、卸せば売れればもちろん売れなくても時間が経てば廃棄されて、在庫はなくなりまた仕入れてもらえます。大手メーカーにとって、こんなに計算が立ちいい設定はないのです。
 流通段階で消費者まで渡らず在庫が溜まると普通は次の商品は売れるまで卸せません。ところが賞味期限が設定されていれば、例えばお菓子や牛乳、インスタントラーメンなどなら、期限を見つければそれに合わせ客は消費します。流通も売上を細かく予想しますが、売れなければ安売りで掃くか、社内消費や廃棄に回ります。そうすると、いったん生産者を出た商品は返品規定のないモノであれば、確実に賞味期限までに在庫ゼロになり、需要サイクルの見込める商品は計画的に作り、卸に送り込むことができるのです。
 これが無い時代は、八百屋さんやら食料品店には下手すれば何年もずーっと売れない商品が置いてあったものです。緩やかな時代だったとも言えます。
 もちろん、モノによっては美味しくなかったり、具合が悪くなったりしましたが、消費側も古そうなら良く火を通すとか、捨てる判断もしていました。
 実際、戦後しばらくは、敗戦で路頭に迷い多くの飢餓で食べられない子供や浮浪者が、ホテルの残飯をごった煮のスープやシチューか分からない本来不潔なものまで美味しく食べて飢えをしのいでいたという話です。
 菓子などで賞味期限偽装があったのは、本来儲かる構造でありながら、それでも時代の流れなどで利益が下がり、賞味期限切れを廃棄するコストが惜しいという状況に追い込まれていた問題で、老舗やグルメのはずのところが、食べて毒ではないが卑怯な手段で再利用していたという少しずれた情けない問題です。

 備蓄品はじめ、災害に備えることも必要ですが、大災害が起きた時、被災地に何か送ることや、支援に向かうのに、必要なものは調べるのに超したことはないですが、あまり杓子定規に賞味期限であれこれ騒ぐことは、本質的ではありません。

メーカーも協力し、自治体と備蓄品の内容を充実したものにしておき、個人でもあまり硬く考えずに、時折ローテーションしながら非常用のものをアウトドアなどで食べきり、うまく賞味期限と付き合えばよいでしょう。

 東毛酪農さんの画像ですが、実際にはこの黄色の期限がもう少しフラットに伸びて、その後緩やかに劣化するわけで、緊急事態でのカロリー補給には全く問題ないですね。

遅れる国土の強靭化、広がる格差

 2024年元日、能登半島を襲った大地震は、今も水道などインフラが回復せず。避難所や倒壊しかけた住宅で、寒い中厳しい生活を強いられている人がいます。
 今回の地震が石川県能登地方ということで、人口はそう多くない地域だということが不幸中の幸い、噂される首都圏直下型や南海トラフ地震で大都会でなくて良かったと内心は思った方もいるでしょう。
 都市型の災害で、人口が密集した地域の火災、地下街や低地の津波、電車の大事故、帰宅困難者などは過疎地とは桁違いの犠牲者が出て、パニックが起こるでしょう。
 多くのシミュレーションがされ、いつ来るか分からない地震に、防災の日や震災の日には思い出したように点検をして、意識を高めます。
 建物やインフラはそれでも大都市圏の方が堅牢です。耐震工事が済んでいる割合も、今回の能登地方のような人口過疎の田舎的な地域よりも、都心部は進んでいます。
 かつて、田中角栄が日本列島改造論をぶち上げ、全国に新幹線網、高速道道路網が進みだしました。高速道路は21世紀になり地方にも多くのルートができ、旅行や観光、移動や物流の主役となり、目覚ましく発展してモータリゼーション、クルマとトラックの時代を迎えました。逆にクルマが無い、運転できないでは田舎では暮らせません。新幹線網の全国拡大は出始めだけで、多くは絵にかいた餅に終わりました。
 新幹線や電車はおろか、バスすらも都会とは比べられない頻度で、それも赤字で自由に買い物に行けるような本数ではありません。
 田中角栄が失脚し、忘れられるとともに、地方の整備も忘れられていきます。


 地方自治体は限られた税収からの予算で、高騰する諸経費、人件費に対処し、介護や福祉などの予算はまったなしに上昇し、インフラの再整備、防災などライフラインの非常時への備えなどに回す余裕はありません。水道管や電気設備が老朽化してポシャれば、対症療法的に直すので精一杯なのです。
 メガ都市圏を除けば、県庁のある市でも多くの過疎地を抱え、インフラは脆弱で、水道や電気も事業として厳しいものがあります。設備が老朽しても、今回の能登のようにすぐバックアップできないのです。これでは比較的小さな災害でも被害が大きくなり、復旧させる人員にも事欠く、悪いスパイラルに陥ります。
 例えば今さらと言われながら、景気対策には不可欠だと強攻した二回目の東京オリンピックや、次の大阪万博などもそこで潤った経済が、東北の復興など、地方の再生に回らないといけないのですが、そんな形跡は微塵もないのです。これは日本の政治、経済の構造の大きな問題です。
 石川県はいい例で、元総理の大物政治家や選挙区でその息のかかった元大臣が知事をしながら、耐震基準もインフラ再整備も大都会との格差は歴然です。
 その首都圏ですら、ちょっとした雪で多くの人が怪我、高速道路はマヒする体たらくですが、それでもマシなほうなのでしょう。本当に大地震への備えができているなら、人の少ない地方のインフラはある段階でスパッとあきらめて、大都市部と主要の地方都市周辺だけに住んでいくような国になっていくというやり方もありかもしれません。大きな経済、社会のうねりと、大災害とどちらが先に来るかが運命です。

北陸新幹線 楽しみばかりではない – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

感謝して恵方巻

 昨日は、自宅マンションの管理組合理事会で修繕積立や管理費の改定問題で遅くまで話をしていました。
 時節柄か、家計も苦しいのだが、管理費会計の具体的な勘定科目を見れば値上げもやむなしというのが理解される感じです。また、地震、浸水など大規模災害への備え、ネット環境やEV、8Kなどさまざまな対応も必要となってきています。15年前は漠然としていた予想が現実に予算として挙がってくるのです。
 能登半島での大地震の被災地を見ていると、ある程度予測がつきながらも耐震やら防災までに手が回っていない、個人としての備えの不足があります。また、同時に国土軸の強化とは言いながら、この地方のインフラ、ライフラインの防災が弱く、国家としての備えも足りていないのが浮き彫りです。
 備えをするにはお金が潤沢に必要であり、起こらないかもしれない災害のために、立て直し足り補強をして備え、保険にも十分入っておくことができないのが日本の多くの地域の現状かもしれません。

 おこるべくして起こった不運、幸運にもこうして不自由なく衣食住が保たれ、節分の慣習を過ごしていることを幸いと思い、被災地の人に心を傷めます

政治、選挙はやはり難しい

 不在者投票というものに行ってきました。
 昔に比べ、不在者投票の条件は緩和されて、その割合も増えているそうです。
 私は親からは、「選挙には必ず行け」と教えられました。
 別に誰に入れろではなく、それは大人としての権利ではなく、義務に近いものと教わった感じです。戦前、戦中から戦後の変革、軍国主義から民主主義に変わったありがたさを体験してきた世代だからでしょうか。
 ただ、今その民主主義とその選挙制度が勤続疲労し、老朽化している感じです。
 全体の投票率が国政、地方とも漸減傾向は変わらず。少子高齢化が進み、一部で政治や選挙、民主主義のオワコン化が指摘されています。信任されたとはいえ投票率の40%のさらに3割とかの得票で当選して民意となるのです。
 私は国会や、選挙は面白いところもあるとは思い観察は好きです。それでも、当事者やはり議員になりあるいは首長になり政治、行政を担うのは大変なこと難しい構造だと感じます。
 政党政治と言われるの日本では、やはり政党に入らないと活動の範囲は狭く限られます。ではその政党が何をしているのかと言われると、このところのニュースではないですが本当に情けない限りです。
 地元の市長選挙も、少し関心をもって注目してみていたのですが、やはり酷いというか、政治とか選挙というものが、今の社会の流れからかけ離れてしまった伝統産業、古典芸能のような形で、いいにつけ悪いにつけ一生懸命努力されているという感じです。議員案件を持ち込まれる国会議員さんはじめ、選挙に関わっていいる人、実際の政治活動に入る人を見ているとやはり、そのムラ的社会の中で、大変な使命を持っての仕事だとは感じます。
 実際、議員や首長であり続けるためには選挙に勝たねばなりません。
 選挙カーで声を上げ、人の集まる街頭で声を上げ、バイトがチラシを配り、ポスターを貼る。それにお金がかかるからパーティで企業やタニマチから融資を集める。
 アナリストや学者が政治学を理想論で語るのと違うところです。
 民意を反映する画期的な制度を思いつき、公約してもその個人が当選し、所属党が政権を握らないと無駄になるという難しい問題です。

 論破王ひろゆきと並び、最近の若者に、政治的な発言のクールさで人気を博す成田悠輔氏の提案も正論でありながら、そこにたどりつくプロセスの段階で今政治も民主主義も断末魔のもがき苦しむ段階なのかと思います。
 成田の意見を高齢者引退部分だけや表面的なところで切りとった部分だけで誤解されている年輩の方がおられます。しかし彼自身は全くのデジタルに長けた理系脳の学者で野心も何もない人だとサマリを読んだだけで分かります。
 高齢者も若い層も、民主主義を肯定するひとも変えたい人も、俯瞰してみれば何年か後には変革された未来は来るでしょう。
 ネットのアンケートのような選挙はいつか実現して、選挙カーの喧騒もパ^ティ券裏金騒動もそんな時代があったと忘れられる。

 それが分かるだけに、今の選挙はもどかしい。