敦賀の名所 松本零士ロード

 かつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。交通の要衝の近代の宿場町で、欧州に渡航する人が、東京から敦賀まで列車を乗り継いできていたわけです。
 昨年85歳で亡くなられた松本零士さんは同市出身。銀河鉄道やヤマトの着想に敦賀を発着する列車や船のイメージがあったのでしょう。
 1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置されています。かつてのドラマのシーンを思い出し、たどりながら散歩するのも楽しいです。
人口減少の地方都市のならいで、商店街には閉まっている店も多かったですが、これからまた松本零士も見れなかった新幹線が来たのをきっかけに若者たちが街の未来を目指して欲しいものです。

福井県の賭け、未来はどうなる北陸新幹線 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

福井県の賭け、未来はどうなる北陸新幹線

 明治以前の旧越前国と若狭国が今の福井県です。現在の福井県というのは、失礼ながらややマイナーな県、とくに首都圏からは遠くて県名、県庁所在地、位置などもなかなかクイズでも完全正解できないぐらいではと思います。北陸3県の中でも、百万石の金沢と能登半島のある石川県、黒部ダム、立山のある富山に比べると、福井は一番知られていないのではと思います。
 その福井県にこの2024年3月新幹線が延伸開業し、大いに注目されています。
 とは言え東京から福井まで乗り換えなしでいけるということで、逆に関西や名古屋方面からは直通の特急がなくなり、敦賀乗り換えとなります。運賃も上がるわりには乗り換えの面倒が生まれ、距離は長くないのでそれほど時短効果もありません。


 関西からは一番近い、中部北陸の県の一つですが歴史的にも文化的にも近畿の影響は大きいいところです。実は廃藩置県後の一時期、明治9年今の福井県は嶺北地方を石川県、嶺南いわゆる若狭と敦賀あたりまでを滋賀県と合併して消滅していた時代もあります。嶺南地域といわれる旧若狭国は近畿の天気予報にも入り、中部都の中間とも言えます。

 明治14年、福井城のあった福井市を県庁として47都道府県の一つ福井県は誕生します。敦賀も日本海の重要な港湾で、鉄道の要衝でもありましたが、南部であるため、やはりどこの地域からも便利な福井が選ばれました。歴史好きには源氏物語にも描かれた国府の武生、戦国時代朝倉市の一乗谷、柴田勝家の北の庄があったあたりが越前の中心と言えます。
 若狭地方は、今回の敦賀延伸後はたして小浜ルートで新幹線は来るのか微妙なところで、いずれにせよあと十数年は開業のめどは立ちません。

 北陸新幹線の敦賀延伸は福井に何をもたらすのでしょうか。かつて欧州へつなぐ交通の要衝でもあった敦賀ですが、現在の人口は8万程度で地方の小都市で新幹線の終着駅としては、他の都市と格が違うのは否めません。県庁のある福井市を含めて、東京とのつながりを新たに強力にして、なおかつ関西や中京とのつながりを持ち続けるという独自色でどこまで勢いを取り戻せるでしょう。地震被害を受けた石川県とともに、福井が日本海側のモデルケースとして地方再生、過疎化、人口減少、高齢化という課題をクリアしていけるのか、新たな局面を迎えます。

津波が10年で流したもの 書評:津波を乗り越えた町々

 2021年の上梓なので被災直後から10年、津波の被災地を追った写真集です。復興は徐々に進んでいるとも見えるし、まだまだ全然とも言う人もいるでしょう。
 ある図書館の内容紹介では『一人の写真家がファインダー越しに見つめ続けた、東日本大震災の被災地の十年-。撮影総枚数15万4937枚の写真の中から、津波被害が甚大だった岩手、宮城、福島の写真を選び抜き、紡ぎ上げたルポルタージュ』とされています。カメラマンとして技術も含め、使命と情熱を持った良い仕事をされた本だと思います。

 東北という人口減少、少子高齢化の日本の中でも過疎の地域が多い中で、一部は復興を終えたところと、これから先が見えない厳しい状況の地区は多いのではと言われています。
 担い手やら子供が居なくて、産業や文化、インフラ、住宅地が放棄されていくところも当然あり、そこに全国からの復興税はじめ国費をこれ以上投入しても仕方ない判断が下されるのでしょう。
 仕方がないこととはいえ、津波がその時に流したものと、10年以上かかって人のあきらめで流していくものがるのです。

性加害報道の週刊誌

 松本人志さんの性加害の報道をめぐる事件は裁判をめぐりいろいろ報道されています。
 芸能人やスポーツ選手の女遊びやいわゆる反社との付き合いというのは、昔からよくありました。
 国民的歌手の美空ひばりさん、戦後プロスポーツの代表力道山らもですし、演芸や映画なども反社とつながらないと興行ができなかったのです。
 そんなもの一体じやないかという話もあります。吉本興業という会社も、エンターティメントビジネスとは言え、戦前から縄張りを仕切っていた興行の会社です。今は上品なビジネスの部門もあります、根はヤクザ者ですし、他の芸能や映画にしろ似たようなつながりはおおいはずです。
 春団治の時代から、女遊びも芸の肥やしとも言われ。長らく天才的な芸人は女や金で問題を起こす過去の例が多かったです。昔は妾とか2号さんを囲い、芸者遊びもユルユルやってましたから、ヒモのついた女に手を出し、金や喧嘩で揉める事件も多く、もみ消しもあったのでしょう。
 松本人志の場合、報道が正しければ素人の女性を半ば後輩が騙すように誘い、十分な金銭的な感謝も示していないところが問題のようではあります。
 ネットも松本擁護派と批判派が分かれます。典型的なのが時間が8年も経過しているというのと、警察でなく週刊誌というところを,擁護派は指摘しますし、批判派はそれは時間経過関係なく、セカンドレイプとも言いかえします。
 私の印象としては、昭和から平成の中頃までの借金まみれのスターに比べ、島田紳助以降巨額の所得を得て資産も運用する富裕層的な芸人が増えた感じがします。そんな時代に入り、松本も多くのイベントの審査員でコンテンツの印税までがっぽり儲けています。その割には垢抜けない、素人相手にセコイ感じで性質の悪い遊び方なのです。
 同意か強制かなどはグレーですが、もうオジサンなのですからそんなに向こうから来るモテ期ではなく、おそらく相手も半分カネ目当てですし、不満が残ってもあり余るお金を渡せばこんな問題にはならなかったでしょう。事実そういう桁違いのお金を渡すやり方で遊んだのはやはり女好きで知られる故志村けんさんだと言われていますし、そういう遊び方はキップのいい大物に多かったようです。
 お金を渡すとか、そもそも遊ぶのが悪いという問題は別にして、やはり相手を慮るのがタクシー代程度だと何だあの有名人はとなります。

 もう一つ、男女の性加害や暴力の報道ではアスリートや有名大学の学生とかが、その悪質か犯罪は別にして実名で報道され事実上未来を失うのは、報道の罪かなとも思います。もちろん犯罪者だとすると加害者やその家族にとっては。そいつを集団リンチにかけたい気持ちはあるでしょう。
 しかし法治国家は司法が刑を科すのであって、ネットの一般民が雑誌記事で被害者の家族まで住めないようになるぐらい袋叩きにする権利はありません。被害が確かめられれば、成人なら罪に見合った刑罰を受けることになるわけです。裁判で事実が確認される前から、「〇〇大学の恥だ、OBとしては恥ずかしい」「〇〇部は廃部にして、学長は辞めろ」とか息巻き、正義感ぶって息巻く人が多いのです。雑誌を盲信するのかと諫めると、「あんな犯罪人を庇うのか、性被害を受けた父親だったとしてもそう言えるか」と興奮が抑えられないのですが、それこそ〇〇大学のOBとして、法の何たるかも知らない恥です。


 松本人志の場合は超有名人としての有名税もあり、雑誌の取材に問題は会っても、あくまで雑誌との民事での争いであり、公開プロレスに近いものがあります。そもそも名誉棄損とは言え、普段から下ネタやイジメのような笑いと下品なキャラをトークでも売ってきたわけで、清純な俳優や健全を売りにしたアスリートに比べても、訴える名誉が良く分からないところで、そのあたりは擁護する気にはなりません。同僚やシンパは、人柄や芸の素晴らしさを強調していますが、憧れや尊敬の感情は犯罪や記事内容の事実関係とは関係ないので無益な擁護が多いです。

 一時代築いたお笑い芸人が消えていく、そこはそれだけの話だと思います。

一汁一菜

味噌汁が一品と、干物などのおかずが一品,シンプルな一汁一菜。
高度経済成長期ぐらいまで、日本ではこんな食事がどこの家庭でも当たり前で、むしろ恵まれていいたのです。
 刺身も今ほど鮮度流通が難しく、レアステーキなど肉食もそれほど一般的ではない時代、寿司やてんぷら、とんかつ、すき焼きなどは晴れの日に食せるかどうかです。
 栄養バランス面などで何種類も食材を食べたほうがいいとも言われます。それも間違いではないですが、フルコースや松花堂弁当のようにだんだんと各家庭でも外食や給食でも何皿もオカズが当たり前になりました。そして、毎日その種類は変わり、人により値段もピンキリです。いつの頃か賞味期限が設けられ、日が過ぎた食材はカビや湿りを確かめるとかせず火を通すとかの工夫もなくポイ捨ての時代です。

 東日本大震災を想起する3.11が近づき、能登半島で炊事も食事も満足いまない状況に避難されている方、断水のままの人も多い中、「飽食」とも言われる今の日本人は一汁一菜を見直すときかもしれません。

裏金 しがらみ 現金払いをやめればいい 

 政局は毎日のように変わりますので最新の情勢は変っているかもしれませんが、根本がスッキリというのはまずありえないでしょう。
 国会は年度内に来年度の予算成立を確定させたいために、3月1日金曜日に採決するのに一部野党が反対して時間を長引かせて結局土曜日にも衆議院を開いて年度内予算成立をさせました。

 この野党の抵抗というのが、旧社会党から伝統を引き継いだような時間稼ぎです。中身というのは、日本の国権の最高機関のはずが、もはや伝統芸能、古典芸能です。野党の時間稼ぎにも呆れますし、与党の説明、政治倫理審査会のお決まり文句知らぬ存ぜぬにも呆れます。
 大企業は今は概ねコンプライアンスに厳しく社用の飲食に一人3千円とか上限を設けています。厳しい中小企業は自腹で、ワンマン社長のブラック企業の社長さんぐらいがじゃぶじゃぶ飲食接待を使う程度です。確定申告、自動車税、固定資産税や住民税、国民健康保険料や国民年金なども役所などにいかなくても近くのコンビニで払えるようになったと思っていれば、ATMでペイジーで払えるようになり、ついに今や、オンラインバンキングやQRコードの決済で自宅でもスイスイと支払われ、その気になれば明細も出ます。
 政治団体が収支報告を修正し、使途不明金が数百万とかいうのも平気で出てきているのです。使途不明でいくらでも使える裏金、政治資金に怒りが沸く強い反発は当たり前です。
 税金を払ってる人の目線が見るのですから、土曜日も事務方を出勤させさらに公費を無駄に使うのももったいない話です。それで何か結果が出ればですが、パフォーマンスで中身もなく予算が成立です。衆議院も参議院もどうせ与党が過半数を占めるのです、衆議院で粘っても参議院でひっくり返ることはあり得ない。衆院尊重の決定を待つなどに持ち込まれることはないのに、このポイントで騒ぎ粘る意味が分かりません。
 今、政界が大変になっている政治資金報告の記載漏れ、パーティのキックバックなど、真面目にインボイスなど、デジタル対応して税金を払っている国民をバカにしています。 税務署や警察、役所で税金や罰金をまけてくれで通らないでしょう。この問題が出てから、公務員の方の徴収も大変だと思います。まして能登半島の被災地にもう少し何かしてあげられないのかと思います。

 与野党の政治家も口を揃え、金がかかる現金で貰える資金が要ると言います。確かに選挙で世話になる人、支援者からのお金も要り、それでしがらみができることは世の中の仕組みとしてあるでしょう。政権を取るには子分を集め、ボスになり子分を可愛がり、子分は上納するののでお金がいるのも理屈はわかります。だからこそ自戒をするように、政治倫理の大綱や法律があるのにその精神を守る清廉さがないのです。
 それでもデジタル化して現金を止めれば、どこからいくらというのは分かります。完璧ではなく、抜け道もあるでしょうが、今よりはるかにマシです。透明性を上げ、いくらいるのか見えるかすることで政治家という職業がブラックでなくなるのです。正直今の議員は世襲でしかなれない、新たに議員になっていくのに、いったいいくらおカネが要るのかもわからない合理的な考えのまともな人材が集まらないのです。
 これができない現金でしかお金が動かせないなら、本当に古典芸能です。

 自販機でさえ、QRコード決済できるものができていたかと思えばあっという間にセルフレジとともに増えだし、デジタルデバイトをあざ笑うように現金不可の機械も出だしました。新しい紙幣も発行されますが、もう大概のことはスマホやパソコンでできます。デジタルデバイト、まさに一番取り残されるのは国会の老人です。
 
 領収証がいらない使途も入手先も相手先も公開しないでいい、非課税の政治資金を金額が少ないから罪に問われないというのでは、「税は国家である」という国の秩序が成り立ちません。

使い捨てカイロいつから 不適切時代の発明

 もう春を迎えようって時ですが、使い捨てカイロ、昭和末期の発明の話題です。
 私はあまり使い捨てカイロのお世話にはなっていません。でも明らかに外で立って待つとか、作業の日以外はよく使いました。日常的には今は真冬でもそれほどは使いません。
 これが出したのが昭和52年ごろからなので、中学や高校では使っていないわけです。
 何で暖とってなのかと思います。ベンジンか何か入れる丸いヤツ。ズボン下、腹巻、下着やら防寒具が多かったのかもです。
 そういえば、布団の中に電気アンカもありました。
 昭和末期に滋賀県の彦根にあった会社の社宅が木造で密閉性が低く、本当に布団かぶっても寒くてたまらなかったです。
 今は家の構造も断熱、保温性が高いのでしょう。暖房も衣類もいいものがあります。
 登場当時のホカロンは100円カイロと言われ、使い捨てなので学生や独身にはやや高いものだったかもしれません。
 今は大きなパックやハコに入って1個あたり15円~20円程度ではないでしょうか。

 使い捨てカイロですが、中身は鉄粉や水、活性炭、塩類、保水材が入っています。そして使い捨てカイロを開けることにより空気を窮して、鉄が酸化することで、熱が発生するという原理になっています。使い捨てカイロの原理自体は簡単で、中学生でも理解できる科学?化学なのか「理科」です。
 ロッテという会社は最初はお菓子に使うための脱酸素剤を作っている時に偶然脱酸素剤が熱を発していることに気づき、工学メーカーとともに開発したそうです。この酸化と熱の持続時間の折り合いが難しく、使い捨てカイロの発明の際には、上記の原料の配分に試行錯誤の嵐だったそうです。
 いずれにせよ、日本人のすごい発明ですね。

3月16日からの時刻表を見て 未来の日本

 駅の時刻表掲示板や紙で配られるポケット時刻表がどんどんなくなる時代ですが、マニアにとっては分厚い時刻表は必須の愛読誌です。私もさすがに毎月ではないですが、大きな改正がある春には買います。
 3月16日改正は北陸新幹線延伸が路線図に反映され、敦賀~福井は北陸本線ではなく新たにできた「ハピラインふくい」と石川県の部分は「IRいしかわ鉄道」となります。北陸本線とは「北陸」とは言え、米原から敦賀の45キロmあまりの短い区間になり、大部分が滋賀県で長浜以南米原までは愛称「琵琶湖線」ですのでもう改称してもよさそうなぐらいです。
 写真の時刻表もかろうじて三セクでJRのページのくくりには入り、普通電車の本数はそれなりですが、福井県内を乗り通す電車は少なく、サンダーバードやしらさぎ、かつては寝台特急まで縦横に走った優等列車は皆無となり寂しいものです。
 京阪神からはそれなりで東京から遠い北陸、福井県のこの交通体系の変革はどうでるでしょう。金沢延伸が成功のビジネスモデルでしたが、福井、敦賀というのは関西圏、中京圏に近かっただけに、東京一極加速の仲間入りを果たすのか、少なくとも福井と京都、大阪、名古屋は特急乗り換えで確実に運賃は上がり不便となります。
 富山、石川も新幹線ができ、関西からの乗り換え需要は減りました。その分東京からが増えてペイはできているのですが、今後も大丈夫なのかというのかという面と、関西が相対的な地盤沈下につながるのでは思います。
 そして、今回の能登半島地震とその後のインフラ復興の遅れで見られる、新幹線はあっても一部の恩恵はあっても偏りがあり、地域全体のインフラ整備など住民の環境、産業の活性につながっていないのではという疑問が沸きます・
 リニアも含めて、地方への新幹線は未来の日本にとって重要で必要だとは思いますが、環境も含めてその地方の経済を回しどう再生、活性化していくかを見極めて進めないとと思います。一時的に大手ゼネコンや外資はじめ東京の資本が潤い、地元に住む人の教育や、買い物、医療、住環境などが配慮され、この地域に住んだらいいなと思えるようにしないと、未来の日本はないのです。

人は何のために生きて来たか分かる歌があった

 ろくでもない1日ってありますよね。いくら心の広い人でも、難癖ばかりつけられてやりたいことができず時間が過ぎた1日。そんな日に限って巡り会わせが悪く、天気も体調も悪いような最悪のイライラが募るような日が私にもたまに来ます。
 先日も仕事でもさんざんみたいな一日の帰り、天気予報に反して、みぞれ交じりの雨です。しかも風も強く、服もかなり濡れるほどです。
 今日はいいことの無い日だと、泣きたくなるような気持ちでの信号が変わるのを待つ交差点で、お母さんの自転車の後部座席に合羽を着せられた子供が寒そうにしています。
 小さな折り畳みの傘、信号待ちの短い時間ですが、子供にだけでも雨がかからぬように差しかけてやりました。母親には見えないまま、信号が変わると自転車は走り去りました。子供ははにかんだ笑顔で手を振りました。自分が雨の打たれる状況は変わらず、むしろ濡れ方が激しくなったわけですが、気持ちは一変してモヤモヤもイライラも、悪い一日という気持ちは消えました。

その人はさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
言う事が分かった

惜しいような気もしたけど
僕は それをあげる事にした(中略)

結局僕は そんな事を何度も繰り返し
最後には何も見つけられないまま
ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの
人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが僕の
探していたものだとわかった

今までで一番素敵なものを
僕は とうとう拾う事が出来た
槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの 」歌詞より抜粋です。

 前半の歌詞は、素敵なものを見つけては人に譲り、そんなことを繰り返している内に、時間だけ過ぎてしまったという嘆きでしょうか。
 人生の終焉が近づく頃、自分がこれまで歩いてきた人生を振り返ってみると大金持ちになったり、名誉や地位を得た者に比べ「虚しい価値のない人生を送ったかな?お金も残らないし、モノもたくさん持っていない。結局、いいことはあまりなかったかな?」
 そんなことはないでしょうと後半の歌詞は否定します。
 自分がこれまで人に譲り続けてきたものは、その人たちの笑顔とともに心に焼き付き、人生を豊かに彩ったはずです。たとえ、わかりやすくお礼を言われなくとも、人に譲った時の自分自身は輝いているのです。
 がめつく奪った時よりも爽やかな顔になっています。
 
 人生の目的は奪うことや貰うことではなく、大切なものを他人に与えることなのです。このことに気づけば、肥大する物欲をある程度断ち切り、幸福感がジワジワと増してきます。
 春を待つ驟雨の中、そういうものだなあと思いました。
 

 昨年75万人しか出生していない衝撃!

 第一次ベビーブームの今生きている団塊世代73歳の老人の半分以下しか出生していないなんて!

 2023年の出生数を発表しているが、なんと過去最少の75.8万人で、前年に比べ5.1%減、婚姻数も戦後最低で48万組とのことである。75万人といってもぴんとこないし、成人とか20歳になった世代が80万人ぐらいなので、そんなものかと思う人も多いでしょう。出生率は韓国も低いと言われますが、日本の出生数、過去の数字を見ると驚くほど多かったのです。ということは毎年還暦を迎えるとか、年金が貰える世代はずっと多いしかも、2倍も3倍も多いのです。
 日本では1947年から1949年にベビーブームが起きています。この3年間は出生数が250万人を超えており、合計すると約800万人程度の出生数となる。1949年の出生数269万6638人は戦後の統計において過去最多であり、この出生数は2023年の出生数約3.6倍です。
 表題の通り、団塊の世代と言われ今も健在なご老人73から75歳の方はまだ各年代で170万人ぐらいおられます。出生数の2.6倍ぐらいはいます。
 その後も第二次ベビーブームの年齢ぐらいまで50代60代は楽に150万人以上います。毎年「還暦だ」とか「年金もらえる世代」に入ったとかいう人が、赤ちゃんの2~3倍いるんです。
 そして、みんなが高度成長から、バブル期とその崩壊まで日本を支え家庭を守ってきた「そろそろ休ませてくれ、人生謳歌させてくれ」となるのです。それでも賦課方式で物価が上がり、支える世代の割合が低く、さらに下がり続ける実態が良く分かります。すぐには崩壊、制度破綻とはいかないまでも、このままではダメだというのはあながち危機感を煽るものでもないのです。

 2050年とか、近未来の高齢者比率や、総人口が8000万人とか人口減少を憂う統計予測はよく出ますが、この高齢者の多さを見ると「こりゃ、ダメだ」と思います。
 いざ少子化対策となると、高齢者が多くてそちらに回すお金も多く、大したものが決まらない決められないハンパは政策ではどうにもなりません。結婚する若い人間の絶対数も少ないのです。
 

 そんなこと考えなくても、何とかなると思われた時期は過ぎています。
 もちろん政府や識者もAIも考えているでしょうが、伝統的な考えや仕組みからは既成の概念を取り払わないと、人口も若者、出生も増えません。
 それは、相当に痛みを伴うとか、保守の人が顔を顰めるような内容にもなるでしょう。それでも国が存続しないと元も子もないです。どんな形でも日本を残し守るのが保守でしょう。政治家も情けないことばかりやってずどんなに嫌われても説明を尽くし茨の道を国民とある亜k内といけないでしょう。これからの政治家も国民も相当な覚悟が必要です。
 こう書くと暗いことばかりですが、俯瞰してみれば国家運営の構成がドラスティックに変わるよということで、その変化を確かめ、楽しまないとしょうがないです。