「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」って?

高齢者のマラソンではなく、高齢者が子供の頃見ていた特撮の中のお話。
 『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」(初回放送1968年(昭和43年)3月31日)。兵器開発競争を皮肉ったウルトラセブン史上に残る重いエピソードです。当時は冷戦やベトナム戦争の真っただ中であり、このエピソード自体が核抑止による終わりの見えない軍備拡張を風刺したものであるといわれています。
 ソ連は崩壊したはずなのに、大国が武器供与をし核をちらつかせて局地戦が続く緊張は今も同じです。
 劇中、ウルトラ警備隊が属する地球防衛軍は侵略宇宙人への対抗策として、新型水爆8000個分の破壊力を持つ惑星破壊兵器「R1号」を開発し、ギエロン星で使用実験が行われることになったのです。セブンであるモロボシ・ダンは参謀たちに実験中止を進言に行くが、途中でフルハシ隊員に制止されます。
「忘れるなダン、地球は狙われているんだ。今の我々の力では守りきれないような強大な侵略者がきっと現れる。その時のために···」
「超兵器が必要なんですね」
「決まっているじゃないか!」

侵略者は、超兵器に対抗してもっと強烈な破壊兵器を作りますよ!

我々は、それよりも強力な兵器をまた作ればいいじゃないか!

「·········それは、血を吐きながら続ける···、悲しいマラソンですよ

 生物もいないだろうということでR1号の実験に使用され爆破されたギエロン星には生物が存在し、R1号の放射能の影響を受けてウルトラセブンのアイスラッガーも通用しない凶暴なギエロン星獣に変異し、復讐の為に地球へ降り立ち放射能の灰を吐き地球に甚大な被害を与えます。
 最終的にギエロン星獣はセブンに倒され、事件の反省から新型兵器R2号の開発も凍結され、物語はカゴについた回転車で、延々走り続けるリスの映像で幕を閉じます··
 ·地球の平和を守るという口実の元、人類が科学を暴走させてしまう警鐘めいた話はこの後の特撮アニメ作品にも登場します。
 
 ウルトラセブン自身が人類よりも優れた超兵器を持っている矛盾、星間戦争が本当に一方が正義で相手が悪いのかという問題もシリーズの他の作品にも見られるテーマです。反核とか、安保と自衛隊とかを揶揄しているなら当時の子供には難しい内容だったようです。この放映から50年以上経っても人類は当たり前に言い訳しながら苦しいマラソンを続けています。

賛否?ウルトラ兄弟に依存という設定

 ウルトラマンが要れば人間の防衛戦力は要らないというには、初代ウルトラマンの隊員も悩んだ課題です。主人公がウルトラマンの物語ですから、人間の防衛チームが開発する武器は、前座でかませ犬の役割です。

 先日、広島の件でウルトラマンエースの設定の時に、ウルトラ兄弟ができた事情を書きました。↓

1972年ヒロシマ 原爆同等の被害という封印設定 #ウルトラマン#特撮 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 前作、「帰ってきたウルトラマン」にウルトラセブンが登場しただけで、ものすごく視聴率は跳ね上がり、さらなるピンチにはセブンと初代マンが人間体の役者も出演して再登場した時も当時の子供は歓喜の声を上げました。
 この夢の共演の好評を受け、兄弟の設定、新設定でのウルトラマンエースでの客演となりましたが、地味な長兄ゾフィーの登場に始まりました。しかし、ウルトラ兄弟とヤプールや最強の宇宙人ヒッポリト星人との決戦となると、エースの兄たちも防衛チーム同様、引き立て役、かませ役に回らされます。
 難しい方向性の決め方でしょうが、現在の主役エースを引きたたせるには、他の兄弟は脇役に回そうと取り決めたのでしょう。小学校から中学になろうかという時期、帰ってきたウルトラマンファンだった友人は、お兄さんのはずなのに弟のエースより弱い扱いが不満は印象でした。
 しかも、ウルトラマンの最終回などでは、幻想的で威厳のあった兄たちがゾロゾロと非効率に戦い、敵の罠に落ちるというのも前番組のヒーローを雑に扱っているように感じ不評でした。当時の子供でもウルトラ兄弟が勢ぞろいしたというのに、強敵とはいえ惨敗するというのは、トラウマになったこともあり、失敗といってもいい展開です。その後のタロウやレオでも人間体を演じた俳優団次郎とともに帰ってきたウルトラマンはゲスト出演しますが、主人公のピンチを救うというよりは強敵のかませ役となり、いいととろは主人公にもっていかれます。
 今のヒーローを持ち上げるため、強い敵にしないと、兄弟がいる以上必要な設定です。しかし地球を守るのは一人だけでなくいざとなったら、兄弟や父さえ助けにくるというのはピンチのインフレを呼んでしまいました。かつて、ウルトラマンやウルトラセブンが敵にハリツケにされた時の絶望感は、兄弟ができることによって、大ピンチではなくなります。地球に怪獣が一頭現れたぐらいでは、深刻に感じられなくなります。
 元々が科学的に考えれば、たった一人のヒーローでは、いくら巨大な宇宙人でも近代兵器の防衛チームが頼りきりというのはおかしい話です。まして、マッハ5や7程度で、3分間しか活動できないのでは、本当は局地的なピンチにしか有効的戦力ではないはずです。
 新旧ヒーローの共演と功罪、そのジレンマというのは、ライバルの仮面ライダーシリーズでもありました。こちらはライダーの共演は連係プレーやアクションとしては見ごたえがあり、東映の戦隊ヒーローの誕生につながります。それでも前ヒーローの細かい設定や、得意技はうまく脚本に描かれず(ほぼ新しい脚本家は知らないか忘れられ)、再生怪人はゾロゾロ出ても以前よりも弱くワクワク感はありませんでした。
 ウルトラシリーズの怪獣の場合も、兄弟とともに過去の怪獣が出てくる回も人気はありました。過去の怪獣や怪人がまた再生されても弱いのです。初回登場の特性も忘れられて、着ぐるみプロレスのかませ役となってました。

 最後は宇宙人の巨大ヒーロー主人公の登場で解決する。防衛チームや過去のヒーローは脇役というのは決め事なのでしょう。
 いずれにせよ、日本でこれだけ巨大特撮ヒーローが人気なのは、潜在的には在日米軍や核の傘に守られているような、どこかにウルトラマン依存と似た心理があるとも言われます。自分たちが戦わなくとも、誰かが助けてくれるという都合の良い解釈です。
 地球人が変身するわけでウルトラマンも人間と一体で戦ってはいますが、最終局面で戦力依存には違いありません。
 長年、ウルトラマンなどの正義のヒーローを見るに、最初は孤独な戦いだったのが、いつのもにか味方も戦力も仲間も強化され、組織対組織の代理戦争になってきていたように思えます。その感覚と依存心は日本の社会にも受け継がれてしまったのかもしれません。


 

1972年ヒロシマ 原爆同等の被害という封印設定 #ウルトラマン  #特撮  #ヒロシマ

 広島でG7サミットが開かれ、各国首脳が原爆資料館を訪れたことで思い出したお話です。 
 1972年4月、「帰ってきたウルトラマン」の後を受け、昭和の第2期ウルトラマンシリーズ第2作「ウルトラマンエース」第一話「輝け!ウルトラ5兄弟」が放映されました。
 当時、私はもうそろそろ怪獣から離れだす、中学1年生だったと思います。兄にはいつまでそんなの見てるみたいに言われたのを覚えています。
 この「エース」という番組は、難産で、呪われたと言われるほどトラブルも多く、設定も直前で変わり、路線変更もあった作品です。長くなり、多少端折りますが、初めてウルトラ兄弟という設定が現れた記念すべき作品ですが、元々円谷も連続でこの枠を受け持つのではなく、1回休んで次の作品をじっくり作ろうという案すらあったようです。
 主人公の男女がタッチしての変身で、敵は怪獣よりも強力な生物兵器の超獣、そしてウルトラシリーズ初のシリーズを通しての悪役で超獣を送り込む異次元人ヤプールというチャレンジングな設定でした。
 初代のマンやセブンに比べ低調と言われた「帰ってきたウルトラマン」を超えようという意欲には満ちていましたが、実際には迷走したようです。
 当初はセブンのように「ウルトラ」のあとはマンがつかない「ウルトラエース」という題名の予定でしたが、商標の関係で使えないことで急遽、「ウルトラマンエース」と言う名前になり、これがウルトラ兄弟にもつながりました。エースだけ何となく造詣はウルトラマンには似ていません。後の兄弟も商標問題は無ければ「ウルトラタロウ」や「ウルトラメビウス」などになったかもしれません。
 そして、何と撮影がスタートして直ぐにヒロインが事故で大怪我を負い降板となります。主人公南夕子さんを演じたのは、急遽の代役さんなのです。
 そして、やはり男女合体変身というのがそもそも分かりにくいし、子供が遊びで真似しにくいという問題もあり、初回以降は視聴率は低迷したようです。後半のテコ入れ、路線変更で男性だけの変身となり、そのヒロインも唐突に月星人だった月に帰るというトンデモ後付け設定で降板させられます。後半好調だった前作「帰ってきたウルトラマン」の流れを受け初回はウルトラ兄弟というコピーもあり20%後半を叩きましたが、以降大台はなく低迷します。前番組で心躍った、マンやセブンの兄弟のゲスト登場も、今作ではゾロゾロ出てきてもかませ役に回され不満と不信が溜まる内容で子供も離れたと思います。

 ここまでは、昭和特撮ファンには比較的有名なエピソートです。他にもいろいろありますが割愛して本題の広島の件。
 これはこの「ウルトラマンエース」第一話「輝けウルトラ5兄弟」で、男女二人の主人公、広島県福山市のパン屋の配達運転手で実直で熱血漢の男性と、福山市民病院の優しく元気な看護婦(当時の名称)の女性が、超獣の攻撃に街が襲われ際、「ウルトラマンエース」に助けられ、エースへ二人で変身できるアイテムを貰い、新しい地球防衛組織TACに入隊するというところです。
 初回としては盛りだくさん、てんこ盛りでツッコミどころも多い感じで、不完全というのか、何だか子供心にも消化不良の印象はぬぐえませんでした。
 その、テンコ盛りの第1回なのですが、なぜ、広島県福山市?という実際の地名でローカル都市になっているのか不思議です。後でヒロインの夕子が月の出身だとされると、ますます「何で福山?」という話が出ます。
 実はここに封印された部分があるのです。次にベロクロンが現れるのは首都圏K地区(なぜかイニシャル)、地球防衛軍が壊滅状態にされ、新たに結成されたTACの竜隊長が、「地球防衛軍を壊滅させたベロクロンはもはや、怪獣とは言えない異次元人が送り込んだ生物兵器、怪獣よりも強い超怪獣、超獣だ」と語るセリフがあります。
 その前に実際に竜隊長がすでに収録した場面のセリフは「広島市を襲ったベロクロンは、広島に原爆と全く同じ規模の被害を与えた、原爆を落としたのと同じ、異次元人の悪魔の所業だ」細部は違うけれど大意はそういう内容で脚本通りだったそうです。
 広島の市民に原爆を、怪獣番組で想起させるのはケシカランと言われたか、原爆投下を悪魔とよぶのはアメリカに忖度したのか、何か他に事情があるのか、この部分は封印され、急遽広島県の第二の都市福山市にお鉢が回りました。
 広島の原爆ドームが崩れ、このセリフがあれば、衝撃で、社会問題的なものも訴えた、かなりハードな展開、重い内容を抱えて新機軸の第一話となっていたはずです。昔なら許されたこともあれば、子供向きにそこまでは遠慮されたこともあるものです。
 被爆したケロイドを連想させる宇宙人を、登場させて謝罪して永久欠番になったウルトラセブン第12話の件もあり、設定を慎重に再考したとも思われます。
 原爆ドームを怪獣が壊すことはやはりタブーだったとも思いますが、世界の核を取り巻く状況もまた50年を経て不穏でもあります。現実世界にはエースもヒーローもいない上、やはり政治的な大人の裏事情であたふたと庶民は振り回されるだけです。

仮面ライダー 真(シン) 考察

 庵野秀明監督・脚本の「シン・仮面ライダー」が上映されました。
 同世代でややマニアックな面もある庵野さんの「シン」シリーズです。エヴァやゴジラ、ウルトラマンとそれぞれヒットを飛ばしてきましたが、仮面ライダーはやや興行的には苦戦しているようです。
 ネタバレはできるだけ避けますが、観た方も賛否両論で、相当コアなファンでないと十分には楽しめないような内容のようです。私の印象もそう、複雑です。
 仮面ライダーはウルトラマンと並ぶ私らの子供時代のヒーローであり、途中中断もありながら、平成、令和と今も続いている特撮シリーズです。もちろんご存じの方が多いとは思いますが、ウルトラマンが円谷東宝系の怪獣相手の巨大ヒーローであるのに対し、仮面ライダーは等身大で怪人を相手にする東映が制作のヒーローです。

 今となって、制作の裏話などでも伝わりますが、特撮の本家ともいえる円谷のウルトラマンに比べ、東映は予算や技術では太刀打ちできない面を役者や演出陣の工夫、根性とアクションでカバーしたと伝わります。その熱気が第二次特撮ブームで、先日紹介した「帰ってきたウルトラマン」その後の「ウルトラマンエース」あたりの時期に、等身大の「仮面ライダー」その後の「仮面ライダーV3」は真っ向からスピーディなアクションで迎え撃ち、「変身!」のブームで第二期のウルトラシリーズを上回る人気でした。
 小学生から中学になろうかというときが、この第二次特撮ブームで、第一次のウルトラマンほどの圧倒的世帯占拠はなくとも、当時の子供らは「ライダー派」と「ウルトラ派」に分かれました。

 どちらが強いかという議論は設定であり身体のサイズからして意味がないのですが、私はどちらもリアタイである時期まで見て、ウルトラマンのシリーズの巨大化というのが時にムダでリアリティを欠くと子供心に感じた面があります。実際にアクション面で敏捷さに欠けるイメージがウルトラマンの不人気な点でもあり、巨大化することでミニチュアなどの制作費もかさむため特撮巨大ヒーローは一時下火になります。東映側からは潤沢に見えた東宝円谷もオイルショックには勝てず実は厳しい予算だったのが分かります。
 ただ今回、「シンの映画」で取り上げられた仮面ライダーの初期シリーズもいろいろ矛盾やリアリティを欠くような大人の事情もあったようです。主役が本郷猛から一文字隼人に交替するのも役者の大怪我という事情を無理に脚本化しています。

 今回、「シンの映画」で仮面=ヘルメットのような感じで描かれています。特撮ヒーローの変身というのはツッコミどころ満載なのです。仮面ライダーの仮面が外部装着のヘルメットなら普段はどこに持ち歩いているのでしょう。バッタ容姿のヘルメットなら複眼状の目や触覚は装飾のようなものなのか、改造人間としてパワーを発揮できるようになる状態に変身した時、いろいろ装着するのはどういうシステムなのかと思います。ややグロテスクかもしれませんが、甲虫などの金属感は自然にもあるので身体が変身するとした方が未だにしっくり感じます。そうでないといきなり爆風を受けて変身する場合などは成り立たないような気がします。
 ベルトが身体に埋め込まれて、あとは身体が変態すると言うのがリアルなのか、宇宙刑事の蒸着や、その後の一般人のライダーシステムでの変身などは外部からの高度技術です。同時期のスペクトルマンなどは宇宙へ本人が依頼してそこからの何らかの技術で変身します。
 バイクの変形などはメカとしてはそういうものと分かりますが、相当にバックアップメンバーが要ります。
 最近の仮面ライダーは改造人間ではなく、普通の人になりました。改造人間の悩みという面では初期シリーズの踏襲は重大でしょう。コントロールしにくい魔性の力を持ってしまい、悩む苦しむ、その人外となった醜い強さを隠すのが「仮面」そうなると、かなりヒーローとしては異端です。相手がテロ組織とは言え、石ノ森さん独特の悪の組織が作った者が、裏切って孤独なヒーローになるというのですが、警察や防衛組織もない孤独な戦いでは現実的には戦い切れないのではと思います。警察と良い連携をとった平成の仮面ライダークウガやアギトなどがその点は一番納得です。アギトにはG3という警察の作ったライダーがヘルメットのような仮面をかぶり全身防具を装着しますが、元のアギトやギルスはやはり自然に仮面や身体は変身しているような描写に見えます。謎の部分です。

 どこまで行っても、ご都合な謎は残る者です。それも楽しみなのでしょう。

追悼 帰ってきたウルトラマン

 ウルトラマンを演じた俳優としては先輩も後輩も高齢なのに元気にご存命だったのに、ついに「帰ってきたウルトラマン」郷秀樹役を演じた団時朗(当時団次郎)さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りするとともに、子供時代のヒーローの喪失にショックを受けている世代です。私に世代では初代ウルトラマンに夢中になり、続くウルトラセブンがあり、しばしのインターバルがあいて、仮面ライダーとともに小学校6年生当時に、もうそろそろ大人なびた世界にも踏み出そうとした頃ウルトラマンの帰還として注目した作品です。
 近未来で無国籍なかっこよさのあった前2作に比べ、1970年代の公害や社会問題、第二次世界大戦の爪痕もリアルに描いた部分がありました。そしてウルトラマンと郷秀樹は戦いに何度かやぶれ、恋人を殺されても成長し続ける等身大のヒーローでもありました。

 それゆえアッケラカンとしたユーモアもあった初代ウルトラマンや、武器や装備がかっこよくサスペンス、SF色も強く、かつ無類の強さを誇ったウルトラセブンに比べ、帰ってきたウルトラマンは弱く頼りない印象もありました。
 視聴率的にも苦戦したので、後のウルトラ兄弟につながるセブンや初代マンとの共演、チートな武器ウルトラブレスレッドが投入され、後半は宇宙怪獣や宇宙人とのハードな戦いが増えます。
 そんな中で戦い続けた、団さん演じる郷秀樹の苦悩はドラマとしてはなかなか面白かったです。

 もう50年以上前になるのでスタッフや演者が鬼籍に入るのも仕方のない『帰ってきたウルトラマン』。その1971年11月に放映された作品を、一部のファンが「11月の傑作群」と呼んでいます。「怪獣使いと少年」については以前のブログでも少し取り上げました。
http://seizafpkotodama.com/2022/05/02/%e3%82%a6%e3%83%88%e3%83%ad%e5%b9%b3%e5%92%8c%e7%a5%88%e5%bf%b5%e9%a4%a8%e3%82%92%e8%a8%aa%e3%82%8c%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%80%ef%bc%83%e5%9c%a8%e6%97%a5%e3%81%ae%e5%8e%b3%e3%81%97%e3%81%84/

「11月の傑作群」というのは、『帰ってきたウルトラマン』でこの11月に放送されたエピソード第31話~34話までです。……ネタバレありです。

 第31話「悪魔と天使の間に…」1971年11月5日放送は、市川森一脚本 本作で初めてとなる侵略宇宙人のゼラン星人が登場、障害のある男の子を装って卑怯な手段で罠を仕掛け、郷秀樹を孤立させてウルトラマンを窮地に追いやるという今では放送が難しいストーリーです。伊吹隊長の娘が少年を信じ庇うため、正体を知った郷秀樹と隊長の対立、宇宙人にブレスレッドをコントロールされ窮地のウルトラマンを救うのはやはり、男の子がテレパシーを使う場面では印象的な効果で宇宙人らしさを演出していました。伊吹隊長は最後に郷に、娘には隠さず真実を告げると言います。この宇宙人が子供を利用し、テレパシーで主人公だけを葛藤させるのは、次作品ウルトラマンエース最終回、同脚本家の「明日のエースは君だ」と似ています。
 第32話「落日の決闘」1971年11月12日放送 珍しいコメディタッチのストーリーです。
 第33話「怪獣使いと少年」1971年11月19日放送は、差別問題を取り入れた意欲作であり特撮史上でもっとも物議をかもした問題作です、脚本は沖縄出身の上原正三『帰ってきたウルトラマン』を語る時、引用されることが多いエピソードです。「宇宙人はすべて侵略者、人間は被害者」という概念に警鐘を鳴らす、ウルトラセブンの「ノンマルトの使者」と並び、すべてのウルトラシリーズのなかでも特異な問題作といえるでしょう。雨の情景で暗い映像が多く、少年が執拗に受けるイジメ、差別の映像は今では放送は難しいでしょう。パン屋の少女とのやり取りも、全体を明るくするほどにはなりません。今ならもう少し明るめになるでしょう。
 第34話「許されざるいのち」1971年11月26日放送 動物でも植物でもない生物を生み出そうとして、それが怪獣となってしまったことを苦悩する科学者。怪獣のデザインと物語の原案は一般から寄せられたもので、後に映画『ゴジラvsビオランテ』の原案公募でも採用された小林晋一郎さんによるものです。

……の4作品の通称ですがやはり強烈なのは第31話と33話でしょう。両作品ともドラマ重視で登場怪獣は地味で記憶にも薄く宇宙人も人間に近いものです。伊吹隊長演じた根上淳さんと団さんの重い演技が印象的でした。高身長でハーフ、イケメンすぎる団さんですが、それゆえに問題を提起するときの優し気でせつない口調は心に沁みます。

 その後、舞台やドラマで活躍された団さんですが、やはり我々世代にとって、ハヤタ、モロボシダンとともに、役のまま郷秀樹としていつまでも記憶に残っています。

平成は霞み、昭和はもっと遠くなりにけり

昭和生まれで当然平成の30年を丸々過ごした人間には、昭和は4月に、平成では12月には天皇誕生日があるのが当たり前でした。令和も4年度がもうすぐ終わり、5年に差し掛かり、令和も一つの勢力、塊になりかけています。幼稚園に令和に生まれが入園しだし、「令和の怪物」とか「令和の歌姫」など「令和〇〇」が創造されています。

 そんな中で、今年は「シン・ウルトラマン」も作成され、その前のゴジラに続き、昭和からのリメイクというか、懐かしい作品を良く分析して再構築さた創作がなされています。

 初代のウルトラマンなどSFや特撮の黎明期で、今では考えられない稚拙なところもあれば、大変な苦労をしてしあげた部分もあり、それらをポジティブに現代的に解釈されています。それとともに、当時活躍された方々がどんどん鬼籍に入っていかれる中、魁となったものを後世に伝える意味もあるのでしょう。

 ウルトラマンの初代は、1966年(昭和41年)開始ですから、カラーテレビの普及時期で50年以上も前の制作です。怪獣も宇宙や宇宙人も子供にとっても大人にとっても新しい概念だったのです。後付けに苦労するような、当時の設定も数多くありました。とにかく最高視聴率は42,8%ほとんどの回が30%後半という、誰もが同じテレビを見ていて翌日の話題にしていた時代でした。

 55年も経っても動画配信などもされ、テレビでも同シリーズの新作が作られる、東映の仮面ライダー、戦隊ヒーローシリーズと並んで日本最長のシリーズです。この間、幾度も長短の中断期間を挟んでいて、ウルトラ兄弟や宇宙全体の警備隊という組織も後付けされた中でのワールドというのが通念になってきています。

 さしずめ、今放映されているのは「令和ウルトラマン」、東映は「令和仮面ライダー」のシリーズになるのでしょうか。その前に中断時期を経て、平成に復活した「平成ウルトラマンシリーズ」というのが、大きな設定はウルトラマンながらも従来のウルトラ兄弟の概念からは、別ワールドとされ、CGも巧妙になりSF的にも良く仕上がっていました。放映時間帯や、核家族化、テレビ離れで視聴率は昭和に遠く及びませんでしたが、「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」平成3部作と言われ、とくにガイアはよくできていた好きな作品です。ちなみに私の家では子供が物心つき始めたのがこのあたりで、次の『ウルトラマンコスモス』がリアタイで観出した時期になり、仮面ライダーだとまさに平成ライダーの走り「仮面ライダークウガ」からです。

 平成のシリーズ世代が20歳を超え出し、早い方はもう子育てが始まって、新しいウルトラマンを観る、昭和や平成、シンのシリーズを動画配信、アマプラとかでも見る3世代から4世代めにはいるのでしょうか。

 そんな中でもアニソン、特撮ソング歌い続けた水木一郎さんが先日亡くなられていました。マジンガーZも昭和47年ですから、50年以上唄い叫び続けておられたのでしょう。またそれより下の世代の、先ほど好きと書いた「ウルトラマンガイア」で隊長役石室コマンダーを演じられた渡辺浩之さんも今年若くして亡くなられています。

 訃報を重く受け止め、昭和が遠く感じるというのは、もう年寄り、年のせい過ぎて顰蹙かいそうです。

 平成でいろいろ流行したものの、すでに死語、廃版、無くなっていることが多く、60代ぐらで令和を謳歌することなく、亡くなる方もおられます。

 今の令和の時代を築いたのが、昭和であり、引き継いだ平成であるのは間違いはないところです。

日本人がウルトラマンに求めるモノ

  映画「シン・ウルトラマン」を観ました。子供の頃のヒーローや怪獣を現代的設定とふんだんにCGなどを使いうまく仕上がっています。
 当時からのツッコミどころも強引に後漬けで修正や科学的設定をつけています。
 そもそもウルトラマンがなぜ地球に来て、地球人と一体化し命懸けで地球の平和を守るのか、特撮ヒーローもの難しい点です。
 怪獣のようなミサイルも通じない巨大生物が、自然界に生存することはそもそも現実味がありません。侵略を狙う異星人の生物兵器とするのがやはり妥当なのでしょうか。
 現実に怪獣有事があったとして、日本ではどう立ち向かえるのか。ウルトラマンの世界では初期の作品から自衛隊<専門チーム<ウルトラマン という図式でウルトラマンが出ないと事態は解決しません。
 しかし、自分の国、自分のの問題でありウルトラマンに頼るというのは何だか違うような気がします。日本がアメリカ軍や国連軍が正義だと思い込むよううな依存、甘えが見られます。
 問題定義の作品もありましたが、異星人はもとより、地底人や海底人、植物人間などと人類の抗争になればどちらが正義ともわかりません。兵器の開発も際限なく止まりません。現実に、対怪獣、異星人にならどんな強力兵器もOKならごまかして他国攻撃に流用することも可能でしょう。
 まあいろいろ考えると難しく、素直に楽しめませんので。

 今回の映画ではカラータイマー、3分間の活動という設定が取りやめになっています。
 私はウルトラマンはアラジンの魔法のランプのような感じで、場所と時間を限定した局地戦で個人への協力として現れてすぐ消える存在でいいと思います。それが現実的なファンタジーのような気がします。

ウトロ平和祈念館を訪れました #在日の厳しい運命

 2022年4月29日にオープンした京都府宇治市伊勢田にあるウトロ平和祈念館を訪ねました。
この写真はその祈念館の屋上から南側、自衛隊の大久保基地を見ている光景です。
 ウトロ地区は在日韓国人地、戦前飛行場を造るため集められ敗戦後、韓国に戻らなかった人達が居住していたところです。長い間、上下水道も通らず、立ち退きも強いられ差別と貧困に苦しんだ人達がようやく令和になって再開発をされ、祈念館にその事実、経緯を刻まれています。

 私は15年ほど前、東北から関西に戻り宇治市大久保に住んでいました。その時伊勢田のウトロ地区の様子は実際に見聞きしました。21世紀になっても立て看板でいろいろな問題を訴えるその住宅群は正直異様に映りました。
 京都に住む人でも知らない人もいるかもしれません。知って目をつむっている方も多いかもしれません。サッカーの日韓W杯、韓流ブームもありましたが日韓の関係はなかなかいい方向には進まずむしろ悪くなる一方です。
 昨年もこのウトロ地区の看板にヘイトクライムによる痛ましい放火がありました。

 私は政治的な問題は常に中立で、どちらかの肩を持って相手を攻撃することは好きではありません。歴史は勝者や国により歪められます。それぞれの主張には主観が入り、恣意的なものになりますから、私は常に片方によらず両方の可能性を考えます。
 この施設で語られ、展示される日本特に戦前の日本が全て正しいとは思いません。いわゆる左翼系の自虐史型日本史へ誘導する錯誤の可能性もあります。しかし戦後の復興の後も日本政府の行政が動かず日本社会が差別や偏見、非協力な無視が続いたことは事実でしょう。
 日韓や在日の問題、歴史も含め改めて知ると私は知っているつもりで勉強不足でした。

 ウトロの経緯も詳しくはなかなか分からないものです。
 知らないことが人々の嫌悪の感情を産み、ヘイトに繋がっているのではとも思います。
私自身も、在日の人がなぜ本国に帰らなかったのか、帰ったら良かったのではと単純に思っています。実際に帰国支援事業もあったというい事実を持ち出し、【不法滞在だから仕方ない】という考え方をされる人もいます。国や法律が正しいのか間違いのかではなく、救い切れないものがあり、それぞれの考え方がありそこに不幸が産まれました。
 では差別やヘイトが許されるのか、今ウクライナの難民には手を差し伸べたいという方がたくさんおられます。誰も好き好んで異国に住みたくはないはずで、まして上下水道もない買い物もままならないところで住むのに何らかの事情はあるでしょう。その経緯を詳しく知れば仕方なかったと分かることもあるでしょう。また法律を盾に分からない人もいるでしょう。


 いわゆるネトウヨという人の在日攻撃は未だにあらゆるところで止みません。在日の人の中に日本社会で成功した有名人、財界人も多くいる中で、それをあげつらい並べ上げて何が証明され何が楽しいのでしょうか。

 厳しい条件で努力され成功された人は認め、恵まれない人はとことん罵倒し罵詈雑言を吐くのが日本人のやることでしょうか。

 愛国心、真面目な法律や秩序のためか、公益や私益を拡大する使命感のためか、日本人は時に優しく、時に残酷にまっすぐ進みます。

 日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を持つとどれだけ残忍極まりない行いをする(帰ってきたウルトラマン33話「怪獣使いと少年」)

平成ウルトラマンさえリメイクされ令和のウルトラマンへ

ウルトラマンが誕生して今年は55周年だそうです。私が子供の頃、ウルトラQに続いてカラーとなって巨大ヒーローや怪獣退治の戦隊が登場する特撮番組に胸躍ったものです。
初代ウルトラマン、それに続くウルトラセブン、その怪獣ゼットンやバルタン星人等のキャラクターも商売上手な親会社になった円谷プロがいろんな映像や商品タイアップで今でもよく見かけます。
55年なので、3世代、3元号を跨いでプロデュースもマーケティングもされています。昭和の最後が予算不足でレオや80で息切れして終わった後、単発や海外制作、アニメ等の時代を経て平成ウルトラマンという初代のからのウルトラマンと一線を引いたシリーズが産まれます。ティガ、ダイナ、ガイヤと続きコスモス等に続きます。私の子供は平成シリーズをビデオで見てコスモスをリアルで見た世代です。その子ももう成人で子供向け特撮は卒業してます。
ウルトラマンティガに始まる平成シリーズは、仮面ライダーの平成ライダー「クウガ」と並びよくできたエポック的作品です。
ティガの高評価でシリーズの継続が確定して今に至ります。
そしてそのティガが令和でリメイクされて、現在放映の「ウルトラマントリガー」となっているのですからもう時代の変遷はスゴイです。
これまでの平成シリーズにもマックスやメビウス以降さんざん大人が懐かしむような怪獣の再登場、エピソードの続編等も良く作られました。そして最近はもう過去の全ウルトラマンの力を借りるアイテム、その子孫たちも主役で登場して盛りだくさんです。特撮を見て育った優秀な作家や脚本家が本を書いてなかなかいい出来のモノも多かったです。
こんな時代がくるとはあのとき、昭和41年のガキには思いもよらなかったことです。当時の最新鋭の通信はさすがに今は当たり前です。

VISTAが見た12年

パソコンを買い替えて初めての投稿です。いろいろ不具合も多く遅くなっていました。バックアップもできなくなりさすがに決断しました。少し慣れないですが動作は早いです。
私はクルマもそうですが、とりあえず使えればそうマニアックには買い替えません。
今はとくにスマホでできることが増えました。
このブログもデバイスを変えると厄介だと思ってましたが、ついでにいろいろ確認できたことわかったことも多いです。やはりやってみることは良いことです。
この前のパソコンはWindows Vista というやや短期でXPにつないだ感のあるOSでした。
それまでももっと遅いMEでしたし、光に変えてネットのつながりの速さには満足でした。
当時は会社のセキュリティも緩く、家もパソコンで資料作ったり仕事するのは当たり前でした。
約12年の周期で今年はクルマとパソコン買い換え、家も12年目くらいです。
私事も、世間もいろいろあったこの干支や星座も巡った12年です。
リーマンショックからコロナショックまでです
オバマからトランプ、民主党から自民党政権へと戻りました。
私は父を8年前、母を今年亡くしました。12年前はまだ町の化粧品店が健在で店頭に立ってました。子供たちは小学校からもう社会人です。
東北で大きな地震がありました。仙台から転勤して2年後でした。
60歳での会社人生の転機を前に、充実した日々。有終の美を飾れたのかはわかりませんが民間会社37年を勤め上げました。大震災の翌年には、化粧品白斑自主回収問題という大きな波もありました。入社した会社と名前の違う会社で定年退職しました。
消費税は5%から8%、そして10%です。スマホが主流となり、大震災以降できたLINEやYouTubeやフェイスブックなどSNSの時代になりました。
平成の天皇陛下は初めて生前退位され元号は令和となりました。
これからの12年また何があるのでしょうか。