尊属殺人

 孫が祖父母を殺すとか、中学生が見ず知らずの人を「殺すのは誰でもよかった」とか、突然刃物で刺すとか思いもつかない、考えられない事件が起きています。

 昔も凶悪時事件はありました。戦前のある時期、戦後すぐとかには確かに治安の悪い時代はありましたが、家族は生活にも厳しい時代でも、高齢者をいたわり、それぞれ助け合い、今よりは繋がりが強かったでしょう。

 高度経済成長期以降、日本は世界でも有数の治安の安定した国になっていたはずです。
かつては、家長、父親、祖父母は尊敬もされ、ましてやその家族を殺めると、通常の殺人よりも重い罰を受ける法律さえありました。

 もちろん、戦後人権平等が叫ばれ、ろくでなしの父親を殺害して女性の罪が重すぎるために、尊属殺人は憲法違反であるとされ、無くなりました。平等はいいことなのかもしれませんが、それで失われた日本の大事なものもあります。
 単純に昔は良かった、今はダメではなく、昔の方が人権上問題があったことも多いでしょうが、法律の柔軟な解釈などでもっと今の無機質で冷たい核家族化は防げたのではと思います。

 何も、女性がどうこうとか、人権を声高に抑えるのではないですが、親や高齢者に冷たい社会構造にしてしまったのが、これらの事件に象徴される寂しい日本の原因ではないかと思います。

 昭和の高度経済成長期までは、老人を施設に入れるなど、とんでもないは薄情な、親不孝者と近所からつまはじきにされるような時代でした。年老いた高齢者は、子供や孫が支えるのが当然だったのです。介護を職業にするような人はいない時代がつい最近まであったのです。もちろんそこでも、食うや食わずの家で老人を支えるのは大変な負担だったので、現在の介護制度も優れたものです。しかし、親との同居が減り、老いれば施設にハイでは、家族の絆も、人へのいたわりの感情も薄れます。

 医療や科学が進み、核家族化も進み、デジタル化が進む世の中、ロボットやAIも進化して世の中の仕組みに組み込まれ、高齢者を介護するのもシステム化されました。教育だけの問題でもなく、報道とか社会全体の空気のようなものが冷たいのでしょうか。便利な時代に、慈悲、恩義とか礼節、愛、人の心などがどんどん希薄になってしまったのでは思います。

 

権威や空気に流されない

  昔は新聞やテレビの報道というと、みんなが真実とまでは行かずとも権威あるものと認識していました。「新聞を読んで勉強しなさい」ともよく言われました。就職活動でも、最近の興味あるニュースはという質問を受けたり、大新聞の記事から出題があったりしました。

 自分が大人になり、いろいろ社会の仕組みや裏側を見聞きしたこともあるのですが、今はそういう権威などが良いも悪いも無くなっています。

 新聞をとる人も減りましたし、テレビの裏側などもジャニーズ事務所やフジテレビの問題などで、その価値もモラルも一気に下がって見えました。

 もともと、そんな権威や肩書は時には必要でも、ありがたがるほどのものではないのです。

 三ッ星の評価の店、口コミ上位とかいうのも真実は会っても、盛られて作られたものだというのも、少し考えれば分かることです。

 内閣総理大臣というのは、本来なら国の行政のトップで本来、日本国で最も肩書上エライ人のはずですが、巷間そんな尊敬の感情を抱く人は少ないでしょう。自分の目の前にいる上司や先輩などでも威厳のある人はいますが、実務上は社長だとか、監督官庁の認可や決済が必要な時があります。弁護士や医師、公認会計士、税理士、大学教授など、資格という権威がないとできないエライ仕事もあります。司法試験など難しい試験を受からないと、得られない資格で、常人より頭が良く勉強された権威のはずです。国家公務員でキャリア官僚になるなども、大変な難関試験を乗り越える、頭と努力が必要で、本来感心して、敬意を表すべき存在のはずです。

 ところが、ある局面では、ある特定の人物かもしれませんが、弁護士でも金儲けだけの悪徳な者がゴロゴロいる。議員でも役人でも給料だけ高いけれど、何をやっているか分からないヤツがいっぱいいるような気がします。

 政治や経済が行き詰まるとますますそんな気持ちが沸きます。長年作られてきた伝統や権威も今や、新聞のようなもので、真実も伝えていることも多くとも、それほど重用されないものになっているのです。

 伝統や権威を持って素晴らしい仕事をしている人もいますが、それぞれ報酬に見合った仕事をして欲しいものです。

 一人一人は伝統や権威にあまり惑わされなくともいいのです。

映画レビュー「花まんま」朱川湊人原作

 朱川湊人さんは好きな作家で、以前は短編集はほぼ読んでいました。この原作もかなり前に読んでいたのですが、ここまで映画化されるという強い印象はなかった気がしました。

 予告編を見たり、封切りからも随分経っていたので、原作とはだいぶ変えているというのは分かりました。映画の出来は素晴らしく、原作を盛ったというより、素材にして大きく飛躍したという感じです。朱川さんは同世代作家でホラーテイストの昭和の下町の人情や奇跡的な偶然を描きますが、昏いイメージも強く、そこを現代にうまく加工しています。
 【ネタバレ】というか、ほぼ原作は回想時間に使い、後日談のような現代がメインです。令和の今年のカレンダーのようなので、30年後という以前の設定すら、原作の昭和40~50年代よりも今よりにずらしているのではと思います。

 少し、もやっとした気分の時期に、映画館に行き、隣にポップコーンを頬張る女性とカップルみたいな感じで、その横は車いす用スペースで、前が通路のゆったりした席で鑑賞できました。
 冒頭から近鉄バファローズの三角帽子の主人公になる少年、大阪の昔の下町の象徴なのか、それでも当時少年は巨人か阪神に憧れる子が多かったのですが、そこは近鉄推しにはにやりです。関西以外の人にはどうかなとも思いますが、大阪から、京都の大学、滋賀彦根とロケもいいですし、キャストもほぼオリジナルで、関西のおばちゃんと看板娘の間くらいの、ファーストサマーウイカさんとか、オール阪神巨人が関西の下町感を出しています。
 鈴木と有村もですが、カラス言葉をしゃべれるヒロインの婚約者で学者を、鈴鹿央士が好演しています。彼方側の家族もみんな好演、六角精児、キムラ緑子ももちろんいい味なのですが、父親役のキーマン酒向芳が素晴らしい。個人的には妻のお父さんを思い出しました。娘を結婚させるのは、大事なイベントです。
 近江鉄道もロケに全面協力で、蹴上のツツジ園、同志社の大学も出てきます。

 最後は、感動で隣の女性とともに涙ボロボロ。

 

500万でも50億でもやることは同じ

 実際に現金というのは、ますます見かけなくなった時代です。昔でも500万とか集金したのが最高ぐらいで、自分でキャッシュとして持つのは50万くらいが最高ではと思います。

 ビジネスやマネープランでも、金額の多寡というのは、実際の価値とは乖離している場合があります。

 大谷翔平が桁違いに稼いでも、いざ対戦すると、年俸が100分の1、ポッと出の新人に負ける時もあります。

 私が社会人1年目だと半期の売上目標が、500万とか1000万円ぐらいの時代でした、インフレは別にして職階が上がると、管理する数字は倍々に上がり、管理職の上の方まで行くと半期億を超えて昔とは3ケタ、4ケタも違う金額を扱っていました。

 とはいえ、数字が大きくなっても、管理するのは、月度だとか属性に分けて、進捗を管理し、課題やツボを押さえてクリアしていくやり方にハメることに違いはありませんでした。数字の全体の大きさにビビらず、この感覚にいかにはめるかでした。為替相場などでも基本は同じです。

 半沢直樹のドラマ、原作でもありました。最初のクールは支店融資課長で5000万とか5億の挽回で躍起でしたが、2クール目ではいきなり1500億とかの案件や、国交省がらみの国家規模スケールまでの役目を担っています。

 ゲームで一定の経験をし、アイテムを得たりすると、ステージが上がり、同じようなプレイをしていても桁違いの相手を倒せて、大きなポイントを得るようなのと似ています。

 大谷翔平の野球が変わらないように、新入社員と同じように苦労しても、いつの間にか桁違いの仕事をしているものです。

 芸能界、俳優、歌手。お笑いとか、作家さんや漫画家、いろんな世界の人も食うや食わずの苦労の売れない時代や所得も小さい時代があり、今世間もうらやむ年収を稼いでおられます。

 また、バブルがあって、それがはじけてメジャー帰りみたいな人も同じです。最盛期は派手に稼いでも、今はコツコツやっているような人もいます。

 派手でも地味でも、人が仕事をやっていることにはそんなに差がないのです。
 別のラスボスを倒すステージだけが楽しいのではなく、最初のステージでも遊びとしてワクワクもあり面白いものです。

5月に毎年咲く花、どんな花にも名前があり生涯がある

 新生活に慣れるはずの時期ですが。実際の社会人や新しい学年が始まり、慣れて落ち着くはずの2カ月目ですが、一度長い休みで戻って見ると、何だか違和感のようなイヤな感じを覚えてこんなはずじゃなかったと思う時かもしれません。

 5月病なんて、今さらという年齢でも、卒業したはずの学校や会社が懐かしくなる人は多いかもしれません。通っているときはイヤッだった場所でも、それなりに群れるツレがいて、心地よい居場所があった場合、少し慣れるのに時間がかかるかもしれません。

 毎年、いろいろな花が咲き、目を楽しませて、いつの間にか消えています桜や梅みたいに一斉に咲き誇るものもあれば、電柱の影やアスファルトのスキマに咲くような地味なものもいます。

 人間の生涯だって、まあ同じようなものです。華やかに見えても、そう中身なんて変わらないものです。インスタとかいろいろSNS系見て、共感する時もあれば、うらやましいというマイナス感情は沸きあがりがちです。
 でも、多く人格者と言われるような人も、友人など他人が高給グルメ店やらなかなか行けないような旅行をUPするの見て、普通に「コイツ、またか、」って舌打ちしてるもんなんです。

 私もSNSにUPしては、一部では好かれても、それ以上に嫌われ、無視されることの方が多いです。実際自分は良かれと思ってUPしても、しょせんは自己満足であり、優越感と顕示欲のためのものです。そんなものは同じベクトルの人にガイドになって少し共感はあっても、多くはやっかみですから、心配などする必要もないですし、まして劣等感にかられるものではないのです。

 桜であろうと、ひまわりだろうと、月見草だろうと、そこには居場所があるのです。価値があるのです。
 イヤになること、飽きてしまうことも、嘆きたくなることも、一輪の花は呑み込みながら咲き、散っていき、また来年咲くのです。

新 「新幹線大爆破」レビュー

 1975年制作の東映映画佐藤純弥監督、高倉健らオールスターキャストの「新幹線大爆破」というサスペンス・パニック映画の50年を経たリプート作品です。
 今回の作品は1975年のリメイクではなく、旧の映画の世界線上の続編になるようなストーリーで現代を舞台にしたリプート、配信作品です。

 昭和の映画も良かったので、高倉健や千葉真一、丹波哲郎、宇津井健、山本圭らを、今回の草彅剛、斎藤工、のんさんらと比べることは野暮です。おかえりのんちゃん(ちょっと前に別のドラマでゲストでは出られましたが)おかえりピエール瀧さん。

 以前は国鉄が全く協力しなかったので、模型や遠景でしか新幹線が撮れなかったのですが、今回はJR東日本の全面協力、ロケもCGもあり、乗客には有名なYOUTUBERもいるのは時代です。

 劇場で上映していても観に行きたかったのですが、Netflix限定配信で、ホームシアターのある家ではないので爆発音や走行音を迫力あるサウンドで味わえなくて残念でした。もう映画館の時代ではなくなってきているのです。それも時代です。
 のんさんとピエール瀧さんの重要な役での出演も、地上波ではまだ実現できなかったものです。

 そしてネタバレにもなりますが、鉄道好きから見ても、十分楽しめるシーン満載です。そんなことが可能なのかという、乗客救助作戦は感心しました。今回はJR東日本で、昭和の映画は東海道のひかり号でしたから東京駅での接点はあり、そこからの夢の作戦は却下にはなったのですが、鉄道ファンを唸らせるものがありました。
 英語名はBULLET TRAIN EXPLOSIONでスーパーエクスプレスではないのです。新幹線というのはシンカンセンでも通じる、いつまでも「新」なのは面白い日本語です。
 大阪万博でも55年、この映画からももう半世紀なのかと、感慨のトシです。

イートインコーナーの悲喜こもごも

コーヒー豆も値上がりして、100円だったコンビニの珈琲もハンパな金額になっています。まあ喫茶店やカフェなどよりは安くて、クルマで立ち寄って駐車場で飲んでいる人も多いです。
 ファミリーマートが多くの店舗でイートインコーナーを無くして、商品の売り場を拡大していますが、ああいうコーナーの維持管理もいろいろ大変なのでしょう。

 ちょっと、簡単にお茶したり、軽食をいただく時は便利なので残念ですが、確かにスーパーのフードコートや、カフェコーナーでも長時間無料で過ごせるので客層はさまざまです。
 中にはかなり汗のような悪臭のする人もいます。高齢の方のリーズナブルな女子会のような、にぎやかなおしゃべりもちょっと行き過ぎくらいうるさい集団も見かけます。

 まあ、それはそれで、そこが居場所なのかなと思います。

 私も営業や外周りの時、準備や終了後の息抜きで利用したことも多いですから、オフの時に、逆に仕事をしている人を見ると「緊張してる」「サボっているな」というのがわかり微笑ましく感慨もあります。

 本当に孤独で、年金暮らしで寂しそうな高齢の方も、珈琲をかみしめるように飲んでおられます。

 スタバや本格的なカフェだと、値段は数倍になり、店の雰囲気や見る風景は変ってしまいます。

 今は贅沢はしていないけれど。かつてはもっと羽振りよくホテルや高級店で時間を使っていた人もいるかもしれません。

 そんなところで、珈琲を飲んだこともないと言う人も富裕層の中にはおられるでしょう。

 何かと想像してしまうと、面白いような、カフェコーナーのお客さんたちの人間模様です。人生はいろいろなのがわかります。

 

生きる意味を探す冒険

 私的な春休みを終え、来月には66歳を迎えるのですが、今日から新しい仕事に就きます。少しビビるところと、できるだろうというと自信と驕りで、スーツを着ます。

 既に同学年では、経営者や役員という方を除けば、仕事をリタイアしたり、セミリタイアで悠々とかいう世代です。

 今までやってきた人生は何のためだったのかとふと思う時期は誰にでもあるのではないでしょうか。

 今、ドラマでも注目されている、やなせたかしさん作詞のアンパンマンマーチはこんな歌詞です。

 何のために生まれて何をして生きるのか 分からないまま終わるそんなのはイヤだ!
 今を生きることで熱い心燃える だから君は行くんだ微笑んで
 そうだ 嬉しいんだ生きる喜び 

 この1番の歌詞、当初子供には難しいとされていました。「君たちはどう生きるか」みたいな哲学的命題のようです。人生の目的とか、分かって生きて来た人は少ないでしょうし、今を精一杯生きることが大切で、そこに意義も目的も自然と運命的についてくるものかもしれません。

 愛と勇気だけが友達だ

 2番にもこういう切ない孤独の部分があります。友達がいないというわけではなく、戦いへいく使命は。友人を巻き込まない自己責任の重さを語っておられるとも解釈されています。
 戦前う生まれのやなせさんが、戦地に赴く友人を思ったともされています。

 平和な時代に、この歌がいつまでも子供に歌われるのも、深い意味のあることです。

 やなせさんは戦前生まれでは珍しいくらい94歳まで長生きされました。それにくらべたら、還暦や古希手前などまだまだ若輩です。
 66歳などまだまだこれから新しいことのチャレンジできる、元気と勇気を与えられる熱い心を持ち続けたいと学ばせてもらっています。

鈍行停車のようなゆったりした時間

 各駅停車の旅は楽しいものです。
 新幹線や特急列車では、速すぎて車窓を楽しむことができません。

 移動手段としては、到達時間のため速度は重要なポイントです。しかし、速さは揺れや車窓を楽しむとは相反する要素です。移動の目的や、車内の環境にもよります。速達を求められる時と、移動そのものを楽しむ時によっても違います。楽しむといっても、通勤時間帯の満員電車でギューギュー詰めでは早く目的地に着きたいでしょうし、疲れた帰宅時なども早く家や宿に帰りたいものです。日が暮れて外が真っ暗ではもう車窓も関係ありません。

 何をもって旅を楽しむかにもよりますが、移動時の車窓という面では、トンネルや防音壁の多い、新幹線や高速道路は良くありません。富士山や浜名湖の見える東名高速や東海道新幹線の一部を除き、新しい路線ほどトンネルが多く景色は楽しめません。まして100キロ以上で飛ばせば景色などあっという間です。

 車窓、駅名標も見えないと、その時間は退屈な移動の苦行時間です。

 通勤だと、都市部だと快速で多くの駅を飛ばし20や30の駅を通過もしくは停車しながら目的地を目指します。いちいち駅を眼に留めてもいないでしょう。新幹線通勤だと、市や町はもちろん山か川を超え、県境を越えて高速移動します。快速が飛ばした一つ一つの駅にも、連なる街があり、住宅が沢山あり、家庭があり、病院や役場、施設があり、通勤通学する人、通院や買い物をする人がいます。春には桜が咲き、秋は紅葉し、夏にはセミが鳴き、冬には氷が張ります。そこここに飲食店もあり、名産品もあり、農家も工場もあります。
 降り立って歩けば次の駅まで行くのも結構な距離があります。駅を2つ3つとなると相当なウォーキングですし、10も20もとなると昔は宿場に宿をとったほどの距離です。

 そんな場所をゆっくり噛みしめるように観る時間もあれば、通り過ぎて何も感じない時期もあります。

 人間には、それぞれ旬の時期があったり、速く走る時期とゆっくり動く時期があるのかと思います。10代20代の若い時が概ね速いようでも、40代、50代で加速する人もいます。同じ年齢でも、同時期でも速い遅いを使い分けるような時もあります。

 ビジネスや受験のうような競争で速いこと、多いことだけが良いと考える癖がついた人もいると思いますが、癒されるのはゆっくりした時間です。かつて殺伐とした時間が多かった人は各駅停車でゆっくり車窓を眺め、駅を見たり車内の様子を見て、癒される時間を持つことです。
 電車に乗らなくても、これから自分は新幹線や快速ではなく、各駅停車のような時間を過ごすのだと思うと、人を妬まず、競争に煽られるような力が抜けて、まったりと過ごせます。

父親休暇 思い出される日米の差

A father with a baby daughter at home. A cute girl drinking water from the bottle. Paternity leave.

 大谷翔平選手の第一子誕生に伴う父親休暇が話題になっていました。
 アメリカということもありますが、時代は変ったものです。ロッテの主力、石川柊太投手も奥さんの出産で休暇だそうです。
 日本のファンももちろん、楽しみにしていた大谷さんが何試合か欠場して見られなくとも、高年俸の選手が休むことに非難の声などはありません。暖かく、祝福し復帰を見守っていました。
 今でもブラックな企業はあるのでしょうが、労働法も変わり、公務員や企業でも産休や育休、男性の育休も取りやすくなっています。
 20年以上前、私の長女が産まれた時など、私は営業マンで、病院には駆け付けましたが、少し仕事の時間をはずしたものの、有給休暇すらとれませんでした。それでも2ー3時間休んだだけで、社内や取引先からは「子供ができて休む営業なんて初めて聞いた」などとさんざんに皮肉られました。未だに軍人か何かと勘違いしてやがるのかと思いましたが、それが当たり前だった時代です。
 野球の世界でも、アメリカ人は家族を大切するのが当たり前の感覚なのに、日本人は仕事優先で職階が上がった人などは家族を省みないことが美徳のようにされました。

 野球の世界でも、アメリカ人の助っ人が来ていましたから、そんな日米の温度差が昔はありました。もう40年ほど前になりますが、伝説の甲子園球場バックスクリーン3連発を阪神タイガースが岡田、掛布とともに巨人に見舞ったランディ・バースも、良い記録の方だけがフラッシュバックされますが、悲劇もあります。
 家族の病気の件で帰国した際には日米の家族と仕事への考え方の違いも顕著にでた事件でした。
 バックスクリーン3連発や優勝にも貢献し、三冠王も取った史上最高の助っ人、阪神のランディ・バースですが長男ザクリー君の1988年の開幕後の5月、水頭症手術のため、アメリカへ緊急帰国しました。開幕4連敗後、5月上旬には何とか2位まで盛り返した矢先で、本人は前年は不振の年で、この年も3割は打っていたもののホームランは2本とファンにはやや物足りない状況でのことだったそうです。手術が終わってもしばらくは子どもに付き添いたいということからバースは戻らない。このあと、球団とバースは再来日の期限や治療費をめぐり、泥沼の対立を生みました。阪神は6月27日、なんと最強助っ人の解雇を発表しました。任意保険に入っていなかった阪神の事務方のミスもあったとも伝わります。

 これを不当とするバースとの話し合いは長期化。7月上旬、古谷真吾阪神球団代表はロサンゼルスで交渉に臨んだが再び決裂しました。心労もあってか、古谷代表の投身自殺という悲劇の結末でした。

 家族、子供の難病手術に、父親が立ち会う、有給休暇付与、健康保険高額療養家族適用ぐらい当たり前の令和では考えられない時代での悲劇でした。
 その点では、日本も変わりました。逆に仕事に打ち込む気概が足りない父親が増えたような気もしますが。