長浜鉄道スクエア 北陸本線の要衝

 長浜駅のびわこ側には、現存する日本で一番古い駅舎を改造した建物が長浜鉄道スクエアという施設として、駅に併設されています。
長浜市街は駅の東側に広がり、この鉄道の記念施設を訪れたのは30年以上前、30歳になる前だと思います。レイルウエイライター種村直樹さんのミステリにずばり「長浜鉄道記念館」とうのがあります。30年前では鉄道スクエアという名前ではなかったのでしょう。当時から30年以上、改装もしながら保存しているのはすごい歴史的意義です。

展示車両はD51蒸気機関車と、交流電化対応のED70電気機関車の2台です。

 昔の駅舎をうまく活かし、改札口や駅業務、駅長室を再現していますし、ジオラマや年譜、ビデオ画像で往時をしのぶことができます。
 北陸本線は、敦賀延伸の新幹線で注目されました。並行在来線ということで、直江津~敦賀の間は第三セクターとなり、米原から敦賀の45キロほどの短い区間のみとなりました。
 しかし、敦賀~長浜間は、日本で3番目にできた古い路線です。当時は東海道線が今より北側のルートで関ケ原から長浜につながり、長浜から大津は琵琶湖を船で結んでいたのです。大津~神戸、新橋~長浜に次ぐ最古のルートであり、現存する駅舎で最も古いのが、この旧長浜駅なのです。
 陸路と湖上交通の交錯する要衝だった長浜は北陸本線が米原経由、東海道線も陸路で全通すると、中間駅に成り下がります。二代目になるかつての駅も哀愁を帯びた北国で、車両も交流用で京阪神とは趣が違いました。今は京阪神から新快速が来るアーバンネットワークに組み込まれました。4両ながら新鋭の電車が行きかいます。かつて琵琶湖を3時間かけて船が渡る待合があったのですが、観光でも楽に日帰りでいける距離です。
 歴史上の人物、紫式部も明智光秀も琵琶湖を渡り、越前に向かいました。その琵琶湖を横に見ながら、快速で駆け抜ける電車たちと、思い出を刻む哀愁ある記念館。

 

時の流れをしばし、逆行できます。

憧れるのはやめましょう 差別と格差の助長

 以前にも、高額報酬の方がエライのではないということを書きました。↓
 同期や同窓というのは、基本的に気さくなもので、公の場を除けばざっくばらんに役職や出世に関係なくフランクに話せるはずです。
 それでも「勝ち組、負け組」「出世頭」など格差を気にして、強調するイヤな言葉も耳に入ります。
 反面、今日もドラマなんか見てまして、きれいごとかもしれませんが、「平安貴族で身分が高ければ幸せではない」なんてのが耳に入りました。
 もちろん、自然に地位やお金が手に入ればそれに越したことはないかもしれませんが、他人から見て羨むものでもないのです。努力して手に入れば、当たり前でもありますし、背伸びして家族や健康やら犠牲にしていても幸せではないでしょう。
 マクドナルドのCEOのお話では、人生のジャグリングボールの中で、仕事は落しても戻ってくるゴムボールだが、家族、健康、友情のボールはガラスでできており、一度落せば壊れてしまうとされています。


 エライという定義もなのですが、社長や大臣、医者、教授、弁護士、一流アスリートやアーティストといった肩書を称え、敬い、憧れることは間違いではないです。無名人よりも、一目見たり、握手したり写真を撮ったりもしたくなる心理は私にもあります。ここを議論していると勘違いして来る人がいました。
 かと言って、本当に社会に貢献しているのは、高額報酬の人だけではありません。
 日々、農業や漁業、畜産で日本の食糧を支えている人、土木や電気、水道、ガスなどのインフラ、ライフライン、自衛隊や消防、警察などの現場にいる人がいなかったら、社会生活はなりたちません。
 この人たちが、高年俸で稼いで、すぐ辞めたら社会は困ります。

 世襲の、同族企業の何代目かの社長さんだって、もちろん苦労もあり、責任も負い、経営は楽ではなく、ボランティア活動で無償でゴミ拾いしているより、エラくないわけがないという議論もあります。
 収入や肩書は、それでも私のここでの論説中の基準ではエライのバロメーターではないのです。
 社長さんが平社員よりエラく、世襲よりも創業者、一代を築いた松下幸之助、稲盛和夫とかの創業社長はもっとエライという議論もありますが、エライの意味合いもいろいろ違います。伝説であり、時代も違い、美化もあり、もはや比較もできません。織田信長とか聖徳太子と比べるのと同じ、今そこにいないので自分と比べてエライも何もないのです 
 一代で巨万の富を築いたとはいえ、GAFAやIT長者、ベンチャー社長が必ずしも尊敬されているわけでもありません。
 だいたい、社長よりも現場のエンジニアや営業、事務がエライものなのか。
 大学で教鞭をとる人は、高校や中学の先生よりもエライのか。
 病院の院長は、当直医師や、看護師よりもエライのか。
 大臣や官僚、国会議員は、自治体のインフラ支える職員よりも、給料に見合って大変な仕事をしているのか。
 電力会社の社長だって、原発作業員よりハードな仕事をしているのか。

 お金をたくさんもらっているとか、役職や肩書が大したものじゃないのは、十分証明されています。
 森博嗣さんの著書も紹介しましたが、成田悠輔さんもSNSで言ってました。
 社長なんて一人の力で成れたわけではない。
 社内営業、コネ的努力。幸運や人の引きや、時代背景など、さまざまな偶然が重なって、稀有な運命でその立場になるのですが、その過程は決して尊敬できるものではなく、「ラッキー、ついてた」「したたか」という妬みの言葉しかないものです。
 その程度のものです。偉人もいますが、努力もあれば、幸運も大きいものです。憧れるようなものではないのです。
 〇〇士とか、〇〇ナーとか〇〇タントなど、資格だと言って、ピンキリですが、お金も時間もかけその仕事に就く努力をしたのだから、当たり前。その分、高額な仕事に就きやすい。それだけです。それ以上でもそれ以下でもないことです。幸運な人を尊敬し、不運な人を蔑視するのは、逆です。
 「憧れるのはやめましょう」
 

最もエライ働き方は無報酬、低賃金か – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

学歴、職歴、収入、資格がエライわけではない – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

13日金曜日の激動

 週末は忙しい上、三連休前ということで予想以上にバタバタした昨日、「13日の金曜日」でした。

 間違いの許されない、人名の漢字を貼り付ける仕事をしている際中に、申し立てや届出の来客、電話で再三中断。自らの扶養の書類も再提出しきり、10月の異動に伴う、仕事の分担の内示に呼ばれる。
 戻って送信して、原稿を確かめると、うーん件数が多いので間違った貼り付けを送信している。動揺しながら、対処法をやっと思い出し、パニくりながら修正、良く気付けたというか、冷や汗ものでした。
 なかなか深刻な申し立ても多い中、ミスもありながらもとりあえずやってきた仕事ぶり評価されているのにはホッとしました。
 異動が多いと大変な時期を迎えますが、少し残業して、今日は前に勤めていた事務所の親しいメンバーと飲み会。

 3年勤めた年金事務所、退所して1年半久しぶりの再会に懐かしくて、心地よい時間でした。

 マイペースで、いろいろやらかしたこともありましたが、やってきた仕事や、そこでの会話、コミニュケーションに今でも感謝されることはやはりお世辞でも嬉しいものです。久しぶりに天使が舞い降りる時間でした。これに驕ることなく私も精進したいです。

 社労士試験を目指し、ライバルに負けたくないという後輩さん、力みすぎず頑張って欲しいです。きっといいことがあります。

Rのつく月に

 残暑の厳しい年は、この頃10月はじめでさえ最高気温が30℃超え、真夏日というのもありました。9月半ばでも当たり前に日中は暑いです。
 しかし、9月ということで、Rのつく月、カキフライがお弁当に入っていました。
 セミの鳴き声は聞かれなくなり、日が傾く時間は早くなり、夕方五時半ごろに仕事帰りに歩くと、西日が建物に遮られやすく猛暑はましです。夜の蒸し暑さは、その日の湿度や風により変わりますが、外の空気もだいぶ低くエアコンなしで耐えられないことはなさそうなくらいです。集合住宅や家の込み入った街中では、惰性でみんなエアコンを使うので結局暑い空気が止まないのが困りものです。

 猛暑が行ってしまっても、夏の疲れは残ります。夏休みが終わり、何となくアンニュイになるのがこの季節です。
 健康やメンタルにも注意が必要です。
 読書やグルメ、スポーツ、芸術など楽しむための秋の過ごしやすい季節のはずです。残暑を乗り切って、季節を心地よく味わいましょう。

大阪が進化している

 普段、古都の落ち着いた街で、右京の太秦から京都御所の間の通勤で、高い建物の少ない町に慣れているので、東京はもうビル街が圧倒的過ぎて、現実味がないくらいです。
 大阪は近いので、未だに遊びにも行きますし、最初に実家以外で住み、長く勤めた都市でもあり、その変貌が見ておきたいとも思います。
 鉄道やら買い物、演劇や展覧会など「点」として通過したり、ピンポイントで行っても、万博を控えまとまっていろいろできてくるパワーにはやはり圧倒され、チョット付き合うのには疲れそうです。

 万博は小学校の大阪万博に何度も行き「制覇」したぐらいなので思い入れはありますが、そんなに強い期待感はありません。「行けたら行くわ」程度の思いです。

 最近では西梅田側にも、大きなビル、施設が複数でき、ウメキタ側にも芝生の大きな広場などできあと数年でさらに進化、完成する空間が広がっています。万博景気、さらにIRと、新駅、新路線も広がり先進性、利便性の高まりと、イベント効果で当面大阪は上がり目でしょう。
 西梅田近辺は10年ちょっと前、通勤にも四つ橋線を使い、取引先の新店舗の立ち上げにもかかわり思い出深い場所です。中央郵便局跡は更地にされ、屋台が出たり、サーカスなどイベントをやっていました。ここにKITTEという切手、郵便局を想起させる商業ビルが建ちました。
 劇場もあり、良いテナントも入っていますが、イマイチ「官」の匂いも残すのが面白いところです。
 まあ大阪は東京ほどではないにしろ広いし、一通りに行くには少し時間もかかりすぎ、気持ちとしては遠く感じるようになりました。大阪は京都より平野も多く、企図された公園も多くあり緑は案外多く、住むのに悪いところではないです。文化や芸術、スポーツイベントも当然開催頻度も高いので便利ではあります。
 しかし、私は人が多い所より、ローカル線や廃線鉄が好きなので、好きなイベントや経由地以外ではそう無理には行かないでしょう。

【生存確認】から希望、再生へ

【生存確認】という言葉が、そこそこの年齢、まあ還暦過ぎのOB会や同窓の集まり、そのSNSの常套句みたいになって、個人的には少し違和感というか嫌悪感も覚えていました。
 いざとなると、家族がいて親しい親戚や近所くらいには連絡があっても、友人全部に訃報が流れないことの方が多いので、意味合いはわかるのですが。

 実際に連絡を取り合って音信不通の人が鬼籍に入っていることが分かる、連絡が取れれば生きててヨカッタということは確かにあります。

 昔の職場の集まりでも次回の約束時によく耳にし、加齢に対する自虐的なところがあってこの【生存確認】という言葉が好きではないのかもしれません。

 私は今幸い勤めていますが、カツカツの年金暮らしで身体が不自由だとかで、出不精になっている立場になったとしてどうなのでしょう。
「【生存確認】できた」と人から言われると嬉しいと感じるか、どちらかというと、私なら受動の立場としてはどうもいい気はしないと思います。


 それでも、やはりリプライがあり、メッセージなどが返ってくると、元気でいてくれた嬉しくなるものです。実質的には【生存確認】は必要で、そこからお互いに刺激となり、どういう工夫をし、希望を持って生きていくか、ヒントがあったりすればさらにいいということです。
 人間は刺激を失い、使わない機能が増えると、一気に老化し、寿命も縮まると言われます。逆に自分の居場所と役割があり、日々努力するものがあれば100歳でも生きる身体と脳を持っているそうです。

 【生存確認】から、【希望】とリスタート、リボーンへつなげるのです。

ハラスメント社会

 兵庫県の斎藤知事のパワハラ問題が特に関西では派手に報道されています。部下の局長が自殺し、内部告発もされて、いろいろと判明したことがあり、百条委員会なども開かれマスコミも連日バッシングに入っています。知事は辞職を否定していますが、もはやあることないこと突つかれて、厳しい情勢でしょう。

 ワンマンの暴君や、パワハラ、セクハラ、名前を変え種類が増えても昭和の遺物でもなく、平成、令和に至っても絶えることはありません。

 今はコメンテータなどで注目され、明石市を日本一の子育て優遇で人口増加させて実績を上げた泉房穂元市長も、部下に対するパワハラで一度辞任しています。
 私自身も企業で管理職になった時、パワハラやセクハラと相手には解釈されて、何度か人事総務や労組に説明と善処を求められたこともあります。
 若手時代から中間管理職までは、かなり徹底的にパワハラを受けた方ですが、「受けた方がこのぐらいはオレはもっとやられた、見て来た」では通らない。不適切が通る時代を生きた損な役回りとも言えますが、未だにハラスメントはあちこちでくすぶり、表にも出てきます。
 令和で私のいた会社も完全ホワイトになってと思いきや、やはりチラチラ聞くのは、少し形は変わっても厳しいハラスメントはあるようです。私は平成の終わりごろはもう年齢も年齢で上の人はいなくなり、気を使われるようになっていただけで、気づかずにハラスメントはあったのでしょう。

 なまじ、管理職ぐらいになった方が、トップは言いやすいということが兵庫県知事の場合でもそうですし、企業などの最近の職場でもあるようです。「管理職イコール罰ゲーム」とも言われ、優秀な若手が管理職になりたがらないのはこういう点もあるかもしれません。
 人により受け方も違いますし、やりすぎとか権利を行使しすぎて、経営や管理がかえって成り立たないという意見もあります。明石市長ではありませんが、強引にでも進めないといけない事業だったということもあり、他にうまいスキルが見えなかったとかもあるのでしょう。

 もちろん人権というのは守る、守られるのが前提ですが、差別とか優劣はしっかり信賞必罰にしないと、小学校の競争でみんなにメダルを挙げても、世の中にはまだまだ金メダルを賞賛しメダルを取れないと非難される風潮があり、それが厳しい社会の現実だということは、やはりどこかで最低限学ばないといけないことだとは思います。
 

応急手当WEB講座

 目の前で誰かが倒れてしまったとき、
 あなたは助けることができますか?

 特別な資格がなくても、誰にでも行えるのが応急手当です。
 万が一の緊急事態に備えて、適切な応急手当を学び、
 日頃から身につけておきましょう。

 とういことで、職場の輪番に当たり、総務省消防局の応急手当WEB講座を受けました。

 町内会の消防と体育は大変なので避けてましたし、田舎に転勤しても消防団なんてまっぴらごめんでした。消防訓練は消火器の使い方を覚えれば何とかで、救急はめんどくさく感じていました。
 まあ半分イヤイヤ、スキマ時間に受けた講習ですが。ためになりました。救急車は来る時間は地域にもよりますが、有料を検討するなど年々遅くなっています。
 都市部では渋滞でなかなか来ませんし、田舎は消防署との距離もあります。
 救急救命士が来る前に、近くのAEDを使い、人工呼吸や胸骨圧迫をやれる人が増えれば、突然死や、重篤な後遺症になるのも防げることがあります。
 救急車が来るまでの数分、少しでもできることがあれば、大切な人を守れますし、他人を守るということは、巡り巡って自分も守られるということです。
 そんな機会に巡り合う確率は低いと思われますが、危機管理、保険的なものは低い確率のリスクへの備えです。応急処置やAEDの操作や知識などは誰でのタダで身につけられます。町内会に必ず一人ぐらいは詳しい人はいるでしょうが、いざという時その人が救急車より早く立ち会ってくれる確率はさすがにゼロ近似値ぐらい低いでしょう。おろおろと救急車がくるまで数分手をこまねいて見ているかできることはやるか。親兄弟、家族も友達も高齢になれば、そういう場に出くわすことは増えます。また自らの周りの人にもこの知識や意識を広めることも大切です。

応急手当WEB講習 (fdma.go.jp)

運休しすぎ?新幹線の代替を

 1964年開業で60年も経つ東海道新幹線ですが、東京~名古屋~大阪を結ぶ大動脈なのは変わりません。
 トンネルは以降の新幹線より少ないため、浜名湖や富士山など眺望も素晴らしいです。
 建設当時まだトンネルの工法も大型のシールドマシンがない時代でした、路盤もスラブ軌道の技術が確立しておらず、全線バラスト軌道で盛り土に石がしきつめてあるのです。
 このため、雨や雪に弱いのです。
 同線の降雪区間である関ヶ原も、開通直後の冬以来雪対策に頭を悩ませていました、長期間の運休を伴う大規模な改修工事は事実上不可能であり、現在もそのまま運用されているのです。
 未対策の冬季には、関ヶ原通過後、長距離にわたって氷塊の落下による石跳ねで窓ガラスの破損事故が多発したため、初期には前後の駅で氷雪のかき落としを行った。現在は、過去の被害状況を元にバラスト飛散防止シートが敷設されています。
 そして、ここへ来て大雨による雨量基準で運休ということも増えてきました。盛り土やバラストの弱点です。
 トンネルが少ないと、強風による倒木や架線の切断でも運休はありますし、南海トラフの津波にも警戒しないといけません。かつて、最初の東京~大阪を結ぶ鉄道を東海道にするか中山道にするか議論された、東海道の弱点がここへ来て注目されています。

 なお、後年に建設された山陽新幹線以降は区間によってスラブ軌道が採用されている。雪国を走る東北・上越・北陸新幹線はスラブ軌道主体で建設された上、融雪用の温水スプリンクラーも完備しています。
 北陸新幹線の東海道代替ルートが今回話題になっていますが。車両数や時間も含めて、東海道をカバーするほどではありません。リニアというのにはもちろん、いくつか賛否や補償など問題もありますが、東海道新幹線が60年以上経って70年、80年と使い続けられるかというと、難しいのも厳然とした事実なのです。

一期一会、旅は奇跡の偶然

 先週、夏休みをとって北九州、広島県などを青春18切符などで、気ままな旅をすることができた。
 九州鉄道記念館と、芸備線完乗、新型やくも初乗りが主な目的だったのですが、広島で7年ぶりに会社の後輩にも会うこともできました。この週に休みを取れたのもたまたまで、彼に会えお好み焼きで飲めたのも僥倖ともいえる幸運な偶然が重なったものです。

 記念館ぐらいは無理すればいつでも行けますが、人と会うのはそう簡単ではないものです。今週であったなら旅自体がキャンセルで、ギリギリの乗り換えのための切符も宿も取りけすなども台風に会えば大変です。今回の台風など、計画運休、交通障害も長く、雨に弱い芸備線なども停まったままですし、今後しばらく乗れないでしょう。

 先週もその前は台風の影響で、少し悪い予想もありましたが、強行してみたら、猛暑がぶり返す良い天気でした。幸運に感謝もしますし、いろいろなことも悟り、伝えるべきなのだなともいます。広島の翌朝は芸備線のダイヤの都合で、9時の列車でも、11時の列車でも三次の接続は同じなので乗り換え案内が11時を示しました。市内をぶらつくか宿でゆっくりしても良いのですが、広島駅に行くと結局先の9時の列車に乗ると、三次で3時間市内を回れました。ここでも三江線廃線跡やミュージアムなどをレンタサイクルで回ることができました、
 計画通り行かない旅もあれば、いろいろ楽しいサプライズがあるのが旅の楽しみです。まるで人生そのもですね。