訃報や喪中便りに思う

 11月末あたりから、年賀状の断りのハガキがチラホラくる時期です。年賀状そのものが減ったとはいえ、ご丁寧な対応です。

 若い頃は友人からだと、祖父母のケースが多かったのですが、最近は父母の場合が増え配偶者というのもありました。

 そして、同世代の方が鬼籍に入られたということで、年賀状のリストから消すこともあります。

 1年を振り返って、著名人の訃報をまとめた特集などもあり、寂しく思うこともあるかもしれません。今年でもプロ野球の大スターだった長嶋茂雄さん始め多くの有名人が亡くなられています。

 同年齢の方が、今自身が患っている系統の病気などで亡くなられると、「次は自分か」などと思ってしまうようです。あるいは、その有名人が活躍した時代、自分も若く元気に満ちていたと戻らない時間に切ない感情にとらわれます。

 しかし、まあそんなことを寂しがってもしょうがないのです。有名人や知人といっても、過去であり、他人であり、今の自分ではありません。

 今直接一緒に利害があって何かをやっているわけではないでしょう。

 しょせん人間は今をこれからの未来に向けて歩むしかないのです。

 今はそのものも減った年賀状に子供や孫の写真を印刷する人がいます。人それぞれですが、子供のいない人の中には不快な印象の場合もあります。

 子供がいる、孫がいるというのは一つの属性かもしれませんが、その人本来のプロフィールではありません。

 本人が心身の状態がどうで、どういう考えを持ち、何をやっていて、次はこういうことをやりたいとかいうことが、本来伝えるべきプロフィールです。

 人間か過去にとらわれると未来の希望をなくします。

 過去を上手くまとめ、どんどん新しい経験を積み重ねて新しいことに取り組む方が良いのです。

 そう考えると、す人生の目的が見えるかもしれません。

 

Jリーグも観客動員最高更新して終了

 1993年華々しくスタートしたJリーグ、バブルが弾け低迷期、コロナからも回復してJ1過去最高の800万人の観客動員で2025年シーズンが終わりました。

 NPB.日本のプロ野球も一足先に、ポストシーズンの日本シリーズも含めて終了し、こちらもセパとも過去最高の観客動員だったようです。

 チケット代金や飲食も値上がりしている中、グッズもよく売れてビジネスとしても成功しています。Jリーグの理念、地域の活性としても成功しています。パ・リーグなども昭和の時代はガラガラでやっていました。セ・リーグでさえ、巨人以外の球団は巨人戦と優勝でもかからないと、満員になることもなく、余裕で当日チケットを買えました。

 パ・リーグの最下位のチームや優勝の可能性の無くなったサッカーの、いわゆる消化試合のチケットが取りにくく、何万人ものファンが集まりユニフォームに身を包んで応援するなど、昭和、バブル期でも考えられないことでした。

 景気が悪い、物価が高いと言いながら、スポーツ観戦、推しの趣味にはお金を使う心理なのです。

 一つにはマーケティング手法、消費者心理まで研究した経営戦略が身を結んでいるのでしょう。

 景気が悪く、ストレスが多く、自分の身の回りがままならないほど、スポーツや娯楽で発散する行動なのでしょう。

 ロサンゼルスまで行っての大谷さんの応援ツアーが売れるのも、何ともうらやましいようなビジネスです。

 なけなしの大金はたいて生活の困窮してたら、合法的ですが、お金の減り方は悪質な詐欺商法と変わらないくらいです。

 オリンピック含めて、スポーツに熱くなりすぎない人は、その分は少なくともお金と時間が貯まる気がします。

鉄印帳、三セク地方鉄道を応援

 乗り鉄、ローカル鉄道と廃線探索好きですが、それほど几帳面な性格ではありません。

 撮り鉄とは程遠いカメラ技術ですし、切符などの収集を、スタンプ集めするほどマメな細かさも持ち合わせません。

 いろいろやりだすとゆっくり楽しめないこともあります。

 ローカル線の撮り鉄など、待ち時間も大変ですし、クルマなどでないといけない場所で長く待つのも、本来の鉄道好きとはちょっと違う気がします。

 あまり、鉄道のその情景というは、モノとして残りにくい、伝えにくいものというのもあります。

 ただ、大変遅ればせなからですが、全国の第3セクターの鉄印帳を始めました。

 お寺の朱印帳の鉄道駅版のようなものです。書き置きや印刷もありますが、本体を持っていてその駅までの切符を持ってないと書いて(売って)貰えないものです。

 対象のローカル鉄道の駅では、けっこう目的にされて先に待っている人にも出くわします。

 時間的には贅沢な趣味かもしれませんが、経営では相当厳しい元国鉄の赤字地方ローカル線転換がほとんどなので、協力してあげたいと思います。

 もっと、先にやっとけば、あそこであの時貰えたのにと思うところもありますが、それはそれで再訪する運命と思い頑張ります。

 

刑法39条の功罪

 画像は円谷プロの昭和特撮ドラマ「怪奇大作戦」の中でもトラウマ級の封印作品。

 依頼のあった人間を一時的にわざと狂人にして、恨みのある人間を殺し精神鑑定で責任能力無しで無罪が確定してから、元に戻すという、とんでもない犯罪のお話。

 そんな作品を思い出させるような昨今の世相であり、報道のスタンスも人権グループやマスコミに忖度で及び腰です。本当に50年も前のドラマのアイデアを使う悪人が現れてもおかしくなさそうです。

 東京都足立区で37歳職業不詳の男性が展示車を盗み暴走させて何の罪もない歩行者二人を死に至らせました。

 一部の人権グループなどの弁護士が、マスコミにも圧力をかけて、最近では匿名はおろか事件も取り上げなくなる異常な状況です。

 刑法39条により、精神疾患を持つ人は心神喪失だと刑事責任なしで無罪となる可能性が高いとはいえ、被害者や遺族の無念さを思えば理不尽な話です。

 知事や市長のスキャンダルは根掘り葉掘りと膨大な量を繰り返し取り上げるマスコミが、ちょっと精神的な病歴があると忖度し一気にトーンダウンするのは何なのでしょう。

「日本のように精神異常者が野放しになっている国はないんだ。政府ももっと考えてくれないとね」

 これは同作品の最後に担当警部の小林昭二さんがぼやくセリフ。

 展示車両を盗む段階でかなり悪質な知恵もあり、責任能力も十分のはず、国籍も実名も明かさない警察と、そこをツッコまないマスコミが問題。

 検索、裁判所がしっかり調査して有罪にしている割合が多いと開き直る新聞もありますが、そもそも忖度されて警察の段階で起訴されていないケースが多く反証にはなりません。

 ここらあたりもマスコミの劣化が酷いです。

 これも昔のドラマのセリフですが、「本当に怖いのは怪獣や宇宙人、妖怪でもなく人間です」

 

博覧会とともに進化した大阪メトロ

 今年は関西万博の年でした。万博を歴史も含めて書くと長くなりますので、主に鉄道に絡んだお話とします。

 1970年吹田千里で開催された日本で初めての万博、当時私は小学生でした。

 当時のメイン輸送は大阪地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線に直結した北大阪急行で、太陽の広場などメイン会場のすぐそば万国博中央口駅を結んでいました。御堂筋線は難波や梅田のターミナル、新幹線の新大阪にも接続していて、大量輸送に応えていました。

 この北大阪急行は千里に向かう途中から分岐する専用の臨時の支線で、なんと会期中限りの営業でした。

 32もの改札、券売機を備えた巨大駅がわすが1年足らずの設置だったのには驚きます。現在中国自動車道の施設になっています。

 短い期間で線路や駅は所有が原則ですが、土地を買うわけにいかずこの期間だけ、北大阪急行が道路公団に頼み込んで貸してもらったそうです。国家プロジェクトの凄さを感じるエピソードです。

 1970年の万博は目標をはるかに超える6400万人の動員は、今も破られない史上空前の記録で、日本中の人が大阪に来たような数字です。

 会期終了がせまった9月5日の土曜日には835832人もの入場があり、迷子や尋ね人が2000人以上、閉門時間にも帰れない人が17万人も出て、北大阪急行は付けを超えても深夜輸送をしましたが、ビジネスホテルすらない当時に難波や梅田に送られても結局夜をそこで過ごす人が数万人いたそうです。

 連合赤軍が太陽の塔の目の部分に立てこもる事件もあり、安保の年で中国との国交正常化はまだ2年後の時代。

 それに比べますと、時代が違うとはいえ55年後の今回の万博はトラブルにしろ、スケールは小さいものです。猛暑で行列もでき、目標をクリアしたとはいえ入場者は2900万人で、1970年の半分以下、関西に住む還暦超え世代は懐かしくて何度も訪れている人もいましたが、全国的に見るとわざわざホテルまでとって大阪まで来る人は少なく関西ローカルのイベントに過ぎない感は否めません。

 1970万博の20年後、大阪市鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開かれました。こちらも関西で開かれた博覧会協会公式の認定博覧会です。入場者は2300万人とテーマが絞られた認定博覧会では1985年つくばの科学博覧会の2000万人を上回る動員で、今回の関西万博に劣らない賑わいでした。

 この時のアクセス鉄道は、大阪地下鉄の鶴見緑地線のいう新しい路線で、リニアメトロと呼ばれる新しい技術の地下鉄でした。従来の車両よりコンパクトで地下トンネル断面も小さく低コストで建設できました。当時の次世代技術で今も走り続け、全国の地下鉄線、私鉄線にも継承されています。

 今回の関西万博では大阪メトロ中央線を夢洲まで延伸して400系という宇宙船をイメージした未来型の車両が導入されました。クロスシート、WifiやUSB電源、大型液晶モニターを備えた車内で、自動運転にも対応できる車両です。

 桜島、舞洲方面からのバスは一部自動運転が導入されていました。博覧会の目玉に、空飛ぶ車や、ライオン型のパーソナルモビリティ「コルレオ」、住空間のようなキャビンごと移動する「アリスシステム」など未来の交通機関の展示もありました。

 大阪の鉄道駅にはQRコード対応の改札口がほとんど設置できており、ペイペイなどで入場できます。メトロの駅には顔認証の改札もできており、自動改札ができた55年前から、確実に未来に来ているのです。

 なぜか、博覧会開催は関西に多く、鉄道の新しいシステムも関西から生まれるのが多いのは少し嬉しいです。

 いずれにせよ、これからの未来の発展を楽しみにしています。

 

 

自由席が無くなってくる

 東日本、西日本に続き北海道のJRも在来線特急の全車指定席が増えています。

 新幹線ものぞみは繁忙期は全車指定席になっており、これからの年末年始は指定を取らないと乗れません。

 私鉄王国の関西では、南海の一部と近鉄特急を除けば、京阪神の特急は無料で快適な自由席だったのが、一部または全部の車両が特別料金の指定席となって来ました。

 知らずに有料座席の車両に入り戸惑う人もまだいます。その日の気分で、自由気ままな旅にっと出る人には少し面倒な時代になりました。

 JRのルールで、指定の特急に乗り遅れた場合は後続の特急の自由席に乗れるというものがあります。しかし、西日本で言うと北近畿や南紀方面やサンダーバードなどは全車指定席ばかりなので、指定に乗り遅れると普通電車しかなく旅が続けられない事態さえあり得ます。

 それでも、今は交通機関に限らず、施設や飲食店等もネット予約が主流の時代で、それにみんなが慣れてはきています。

 私の学生時代等は昭和そのもので、夏休み等は周遊券で乗れる夜行急行自由席目当てに、始発駅には座り込みの長蛇の列ができていました。

 確かに自由席は始発駅有利の不公平がありました。また特急券の検札や車内販売など、乗務員さんは大変でしたし、不正乗車もあったでしょう。

 直角のボックスシートに座るためだけに長い行列で待った時代が昔かと思うと、万博などでは今だに並ぶのが耐えられる好きな人もいるようで面白いです。

国を守るのに保守もリベラルもない

 戦後80年の年も年末が近づいています。空襲や原爆、戦中戦後の飢餓等を語る人が減る中、いろいろ特集もされました。

 保守派と言われる高市総理の誕生で、いわゆる台湾有事の答弁から日中の関係が少しギクシャクしています。

 非核三原則の見直しも議論が出ており、アメリカとの軍事同盟強化をめぐっても、政権と反戦リベラルの溝がむしろ深まった年とも言えます。

 しかし、どうもかみ合わない論争が気になります。

 保守層や愛国者だって好き好んで戦争をやりたくて、アメリカとの同盟を強め、核の原則を緩和せよと言ってるわけではないのです。

 かつては文化人や学生らに非武装中立という、軍隊を持たないと相手国は攻めて来ないという考えが流行りました。

 さすがに丸腰では近隣諸国は舐めてかかって、国境付近の領土から占拠し始めるのは明らかです。

「中国や北朝鮮、ロシアが攻めてきたら、アメリカの協力なしにどうするのか。アメリカが軍隊を出す前に日本周辺が攻撃されたらどうするのか」

 日本の自衛隊も強化して、アメリカとの同盟は大金を貢いでも強め、日本も核の持ち込みは認め場合によっては保有した方が、相手はそう簡単に攻撃できまいというのが、保守層のまっとうな考えです。

 一方、反対の人はアメリカは世界中で戦争をしており、同盟を強めれば、テロを含め攻撃され巻き添えを食うし、核を持てば核戦争の危機さえあり得るのではないかと懸念します。

 実はこの議論、両者は、本来戦争を避けて国を守りたいということでは一致しているのです。

 保守なのかリベラルなのかとか親米、親中は置いて、「アメリカとの同盟を深める」「中国との貿易関係を断つ」「核武装をする」といった策の良い悪い、影響のどちらが大きいかとか、可能性が高いかの分析であって、ゼロや1かの判断ではないのです。

 賛成する人、反対する人それぞれの心の中にさえ、逆の目が出た時の懸念はあるはずです。

 ムキになって相手を潰そうというほどの、ハッキリした予測データはないはずです。

 どちらかというと、親米、親中とも軍事産業や貿易利権など経済的な思惑で偏った意見を述べてる人が多いのです。

 これは原発とかインフラ開発事業でも、安全対策や環境問題などでも良くある対立です。

 戦争とか原発は絶対悪と考える人もおり、全てに反対という

人がいます。

 一方でもし、戦争が起こったとしたら、日本にも軍事力は必要、アメリカとの同盟も必要と考える人がいます。エネルギー資源の乏しい日本では事故や廃棄物の問題をクリアしながら、次世代の核融合開発も含め原発を稼働させて行くという人もいます。

 前者は戦争が起こらない、核兵器も原発も必要ないと考え、後者は戦争が起こった時を考え、原発を必要最低限使っていく社会を考えています。

 この議論の傍証に、太平洋戦争や、ウクライナやガザをいくら取り上げても、議論にはなっていないのです。

 戦争の悲惨さ、原発事故の悲惨さも分かりますが、後者はそれも分かった段階でのお話です。

 世界中の戦争も、日本の原発はいくら反対しても、いきなり全部消えては無くなりません。

 二つの対立軸に所属するかではなく、それぞれの立場をもっと勉強して、最適解を導く議論が欠けている気がします。

 戦後80年というのも別にただの経年です。愚にもつかない議論で、片方の集団が暴走することこそ、国家の悲劇です。

 政治がやろうと取り組みかけていることの足を引っ張るだけの生産性のない議論もムダです。

 悲劇もムダも、繰り返してはいけません。

顔は履歴書?毎日少しずつ老います

 一昔前に「男の顔は履歴書」なんて言葉があり、そういう題名の映画もありました。

 男女同権が叫ばれて久しい今では不適切な死語でしょうか。

 男の顔にはそれまで生きてきた人生の経歴が刻まれるということのようです。まあ、同じように社会では働いている現代では、これは男女にこだわらずでしょう。

 赤ん坊を見てると毎日どんどん顔が変わり、1週で大きく変わり、しばらく見ないと顔もだいぶ成長しています。

 逆に高齢者は毎日毎日老います。鏡を毎日しげしげ見るのは本人だけでしょうから、指摘できる人は少ないものの、久しぶり何年かぶりに会う人から見れば経年劣化は明白です。

 私は赤ん坊の頃、お菓子の缶で目の上を切り、少し大きくなって兄弟で遊んでいて目の下を切った傷が大人になっても残っていました。

 しかし、もう今や多くのシワに隠れてそんなものはすっかり無くなっていました。いつの間にと思う深いシワの数々です。髪の毛が多いのがまだ若く見られるのでマシなのかとは思います。

 同年齢の中には、髪が真っ白やら、無くなってスキンヘッドの人もいます。白いのは髪だけでなく、ヒゲとか眉毛や鼻毛まで白くなるのにも老いを感じます。

 昔、取り引き先の社長さんが、穏やかな紳士なのですが、鼻毛がびっしり真っ白な人がいて、何だか残念でああはなりたくないと思ってましたが、仕方のないところです。

 顔はいかにも外見、今の言葉だと、ルッキズムですが、その顔に刻まれるのが、その人の身体の状況や、心の中、人生なのでしょう。

 口角が上がる、眉間にシワが寄りやすいとか、コメカミが痙攣しやすいとかはいかにもメンタルから来てそうです。どこかが痛いとか、苦しいのを我慢するのも顔の表情に刻まれるのかもしれません。心身の健全が大事なところです。

 仕事やお金とか、周りの友人、家族などさまざまな要素はあるでしょうが、頑固と言われるよりは、多少はいじられても好かれる高齢者のが良いですね。

「女の顔は領収書」という言葉もあり、こちらは美容等にお金をかけた反映だそうです。

 私の会社に鼻とか目の改造?にお金かけた同僚がいましたが、年を重ねるとそのメンテナンスの苦しんでいたように思います。どうしているのかとも、心配ですが、若い頃に過度に手を加え美しくなりすぎるのも老いると借金かなと思います。

 おしゃれ、スキンケアやメイクと健康習慣で健全なルッキズムに留めるべきだったのか、そのあたりはよくはわかりません。

 

2季?暑さにも寒さにも弱い?

 めっきり風が冷たくなり、日差しがある時はまだしも、朝晩は冬用のコートなども必要なぐらいになりました。

 暑い季節が長く2季などとも言われます。定点観測はしてませんが、紅葉はそれなりで昨年よりは早い気もします。

 衣類もですが、人間の身体が気温の変化に対応するのが大変です。とくに年齢なのか免疫力の低下なのか、季節の変わり目には弱くなった気がします。自立神経が弱り、あれだけ毎日薄着ですぐ汗をかいた時期が長かったので、身体が「あれあれ?これはどういう感覚だったかな」と思い出すのに時間がかかっているのではと思います。

 人間は極端な暑さや寒さには弱い生き物です。逆に言うとある程度の暑さや寒さには耐えられます。日本でも北の街の冬は厳しいですし、世界にはさらに寒い地域にも人は住んでいます。逆に赤道直下でも生きていく人たちがいます。

 身体が適応して慣れて行くということです。

 私は暑いのが苦手で夏の方が嫌いなイメージもありますが、初夏に夏バテはあっても風邪をひくこともないです。季節に合わせ、体調を整えれば暑さ自体には慣れます。

 冬は着込んだり、暖房があればへっちゃらとも思いがちでさすが、血管の収縮から循環器がやられ、ヒートテックをはじめ危険な事態は潜んでいます。

 心身の準備運動から、適度な運動が大切でしょう。

 私も寒気がするような不調の時期がありましたが、だいぶ寒さへの対応を思い出してきて、まだまだもう少し寒くなってもいけると思えるようになりました。

 あとはバランスの良い食事と睡眠、休養でしょう。ストレスの多いのは当たり前の世の中ですが、できるだけストレスを溜めないように乗り切りましょう。

記録なのか記憶なのか

 日本プロ野球界に長嶋賞創設と報道されました。長嶋茂雄さんの名前が打者版の沢村栄治(戦前の名投手)賞のような強打者に与えられる賞に設定されるようです。

 記録だけで言うと、三冠王を取り、タイトルを何度も取ってホームランの世界記録を塗り替えた王貞治の方が実績があります。

 しかし、ONと言われ王と長嶋が並んで戦後のプロ野球人気を引っ張った中で、人気は長嶋が上だったのでしょう。

 背番号3は私らの少し上の世代には神様、圧倒的な人気でした。

 ひたむきでかつ華麗なプレイの長嶋は人々の記憶に記録以上に残ったと言われています。

 記録も記憶も実は似たような言葉です。

 野球は個人記録が多く作られるスポーツです。盗塁や犠打など比較的地味なものや、連続の安打や奪三振、出場などもカウントされています。打率や出塁率、防御率、勝利やセーブの権利など計算したり、公式記録を待たないと分かりにくいものも多くあります。

 最近はメジャー流のサイバーメトリックとか、表彰はなくてもさらに実績や貢献度が細かく評価される数値が出ています。

 私たちが仕事をする上での個人の人事評価、企業の業績の評価も、時代とともにだんだん複雑、多面的になってきています。

 昔は売上目標だけだったのが、利益、キャッシュフローなど財務指標も複雑になり、目の前の〆切りや決算だけでなく長期的に見る貢献、サステナビリティの評価も入ってきました。

 プロ野球で記録のための小手先の争い、忖度や率を守るため試合に出ないなどというのは、決算のための粉飾を想起させます。

 プロスポーツや芸術、芸能は特に魅せることでお金を取っているのです。確かにホームラン王などのタイトルを取ると箔がつき、見に行きたいと思います。文学賞を取ったとか、音楽の賞も、それならいいものかと思います。

 しかし、少しその分野を眺めると、必ずしも賞を取ったから優れているとは限らないのです。

 プロ野球などのMVPや新人王もそうですし、多くの世間のタイトルや賞も、大人の世界、お金が動く政治的な裏のあるような決まり方があるのは、よく知られているでしょう。

 単に年度だけ取っても、豊作というか競合が多い年度と、そんな厳しい年なら獲得が難しいレベルの人が楽に受賞できる場合もあります。ホームラン王はや新人王は逃したけど、別の年なら楽に取れる記録だったという場合です。

 記録より記憶というのはそういう面でのフォロー的な言葉かもしれません。

 昔は権威があったけれど、今はそうでもないものに、歌謡界のレコード大賞や紅白歌合戦出場というものがあります。昔は年末大晦日の国民的行事でしたが、特にレコード大賞の権威失墜は顕著です。

 社会や音楽の変化もありますが、元々歌謡曲に一等賞を決めるとか、勝敗を決めるのがおかしいということにも、気付かれ始めたのでしょう。過去の大賞曲には名曲もありますが、時代を代表し、今もよく聞かれ、歌い継がれる曲が受賞していない場合も多いです。

 それを思うと、いろんな部門で今だに騒がれる◯◯賞なんて大した権威でもないのです。映画や音楽、絵画、文学など全てに今だにありがたがられる賞があり、それを目指す人々や支える層は厳然とあります。

 ノーベル文学賞なども、毎年日本の誰々が候補と騒がれますが、何が基準でどう選ばれるか、さっぱりわかりません。選ばれたら、日本人として嬉しいという気持ちは理解できても、文学としてそれが多額の賞金を貰って権威となるのは、貰えない人にとっては不思議を超えた理不尽なものです。

 賞や記録が全てではないのは、その世界でやっている人が実は一番よく知ってるはずです。記録でも記憶でもない何かが大切なのです。