大連立 少数与党でも大政翼賛会でも良い政治を

 少数与党に転落した石破自民党が、財務省ら官僚主導で密に立憲民主党と大連立を組もうとしているという噂が真しやかに流れているそうです。

 財務省びいきで、消費税増税のもしてきた野田佳彦率いる立憲ですし、石破さんとも政策で共通するところもあり、あながち火のないところの煙と言えなくもなさそうです。
 そんなことになれば今の国民注目の「103万の壁」論争で、国民民主党と協議してきた内容など完全に反故にされそうです。

 党則、主義主張は違っても政権を取るためには野合するイメージの大連立ですが、過去にも似たケースがありました。今の自公政権も広い意味では政権維持のために当初は主義の違う公明党を抱きこんで自民党が強固な連合を作ったのが始まりです。

 戦前の大政翼賛会はもちろん知りませんが、何度か戦後、大連立の話は浮上し、またそれに近い連立も組まれています。
 今の自公政権の元は、1998年自民党が参議院選挙で惨敗し、いわゆるねじれ国会となり法案成立が難しく安定した国会運営をはかるため、小沢一郎自由党と、その後公明党を引き込んだ自自公政権が今の自公政権の原型で、これはまあ大連立というよりは数合わせの意味あいが強かったです。自由党の小沢一郎は何かと小渕首相に要求して困らせ、すでに公明党の参加で過半数を取っていた自民党は、自由党を切り崩した上離脱させて、保守党という形で残らせ、やがて自民党に彼らも合流します。扇千景党首、二階俊彦や小池百合子はこの時に保守党経由で自民党に参加しています。自由党から保守党に移ったメンツも政権を手放したくない甘い誘惑に負け、一度政権の利権の甘い汁を吸った公明党はその後、主張をどんどん保守自民党寄りに変え今も政権にしがみついています。


 それ以前には1994年、あの30年前の阪神大震災の時の村山首相を生んだ、自社さきがけ政権という今聴いてもとんでもない政権を奪うためだけの野合政権がありました。自民党が下野した日本新党、新進党、さきがけ、公明、社会党などの細川連立政権時代に、さきがけと社会党がまさかの自民党に寝返り社会党の村山首班指名で政権を奪い返したのです。力技もいいところで、その後、社会党は離脱させられます。この辺になるともう歴史になるうかもしれません。
 自民党は、この歴史で見るといつも権力を奪い返すには手段は選ばず、時には主義も政索も二の次で数合わせに走ります。何とか、安定した政権を握りたいのです。悪夢と罵った民主党政権がこけて自公政権に戻り、民主党はバラバラにあり、安倍さんの第二次政権以降安定した盤石の体制が続くと思いきや、裏金問題や物価高などであっという間に転落でカオスの状態です。
 近年の政治体制でも珍しい、少数与党です。予算は通しにくく、委員会も野党に議長をいくつか取られ、何かあって野党が一致すれば不信任案が可決する、不安定な政権地盤です。まして石破首相は党内でも派閥やグループに属さない弱い地盤です。
 それでも、野党の意見を聞きながら、細々と政策を進めています。参議院で過半数割れや、衆院選での不利予想が出る際や、あるいは憲法改正など重要法案を仕掛けたい時、これまで「自社さ」「自自公」以外にも、自民党は野党との大連立を模索しています。小泉内閣時代に前原民主党、麻生内閣時代には小沢民主党に、それぞれ大連立を持ちかけています。民主党政権時代にも、東日本大震災の時に、菅直人政権で谷垣自民党と連携か連立してみればという話も出ています。
 いずれも小選挙区制の二大政党による政権交代を否定したような大政翼賛会、大野合のような企みで、現実には至りませんでした。民主党政権誕生の少し前、麻生内閣時代は、もう次の選挙で負けるのは分かっていたので、自民党は小沢代表を抱き込み実現寸前まで行っていましたが、小沢一郎が党に持ち帰えるや党内では真っ向批判され、結局破談となりました。小沢の思いとしては、今の民主党の若いメンバーで政権を担っても、当面人気はあっても、とても海千山千の官僚や外国相手にまともに運営できないので、一度自民党と組んでも政権運営の練習をして、その後単独政権に結び付けた方がいいという意図もあったようです。
 この話が本当であれば、民主党政権未熟からの崩壊、分裂を読んでいたわけです。ある意味、実現していれば、民主党の中で能力のないモノ、思想があまりに左巻きは淘汰されていたでしょう。自民と民主が適材でポストを担い共同して官僚にもモノを言い、より良い政策に結びついたかもしれません。そこは少し残念に思うところで、その中で多くの民主党議員が結局陰が薄くなり、自民党に仕切られるケースもあったでしょうが、切磋琢磨して、しのぎを削れば案外良い政権運営ができたのではと思います。

 今噂されるケースは、あまりにも官僚主導で、大連立を組まれ、国民民主あたりの積み上げたものが反故にされるなら大変なことです。枠組み自体は大きな指導力とリーダーシップを持つなら大連立はありかなとも思います。

 過去の連立や実現しなかった大連立の時代よりも、ネットによる市民の意見の醸成も顕著な時代になっています。
 憲法改正もやがては必要とは個人的には思いますが、今はそれ以前の課題が多すぎます。まず物価や景気賃金、社会保障の問題を落ち着かせ信頼を取り戻さないと、防衛や少子化対策すら進めないでしょう。結局、政治が淀み「民」を見ることがなくなり、税や社会保障の負担割合があまりにも上がりすぎて、多くの人の信頼を失ったのです。他の国なら野蛮な革命につながってもおかしくないのですが、日本人の多くはおとなしい事なかれで進んでしまった、でも不満、でも生活できない状態で政治や行政にNOがつきつけられているのです。
 大連立もいいですが、何かをきっかけに「民」を見る政治に戻らないと、静かな沈没は止まりません。

 


 

2025年イヤな感じを吹き飛ばしましょう

 正月休みが明け、成人の日に祝日も終わり、いよいよ日常ペースです。
 今週は17日が阪神大震災から30年の節目の日、と思っていたら宮崎でも大きな地震のニュースが入りました。昨年の元日の能登半島地震もなかなか復興が進まないような気もします。
 阪神も東日本も季節的には寒い時期で、体調も戻りにくく、イヤな感じです。
 あまり煽るように最高レベルとは言いませんが、インフルエンザ、コロナ、それに呼吸器感染症が流行しているようです。
 私も年末に家族がインフルエンザになり、自身熱はそうでもなかったのですが、平熱に戻ってもしばらく咳と痰の出る上部咽頭炎のようで不調でした。

 2025年ということで、西暦の1の位に5のつく年は10単位の周年になります。1945年が終戦の年ですので、戦後80年でもあります。
 もうモノごごろついた頃の戦争を知って語れる人がどんどんいなくなってこれはこれで、問題もあります。関西であの阪神大震災を知る人でももう30以上なのですから、時の移ろいは早いものです。 

 還暦も過ぎると、たいていの人が一度は入院など重い病気を経験し、自分の身体の特徴、弱点のようなものは知っているのではないでしょうか。
 人生の恩師、先輩や上司の世代ばかりか友人もどんどんなくなっていく世代で、それだけに身体のこと、健康やメンタル、そして自分の軌跡が気になるものです。

 そんな節目的な年ですが、相変わらず政治も経済、国際情勢も、景気の良い話も幸せそうな話題、平和なエポックも聞こえてこないです。

 大阪・関西万博はありますが、あまり盛り上っては来てません、始まれば盛り上がるとは言われますが、ここから上げてこれるでしょうか。

 若い方、高齢の方もそれぞれの人びとの中で、自分の軌跡を見つめ、今年に期すもの、やりぬきたいことが実現でき、夢がかなう年になりますように前に進みましょう。
 そうすれば社会も経済も前に進みます。
 そのために少し我慢したり、いつもより考え、調べたり、相談したりして頑張ってみようではないですか。自分さえよければ、自分だけ逃げ切ればいいいのではないです。少しでも回りの人を助けられればと思うことが大切です。

 世代も世相も「順風満帆」とはいえません、追い風だけを期待して愚痴ってもはじまりません。逆風を利用してうまく波を読み角度を利用し舵を取り、前に進むことはできるそうです。「逆風張帆」というそうです。前に進む気持ちが大切なのです。

時代劇かサッカーか

 子供の頃、三菱ダイヤモンドサッカーという番組があって、関西だとUHF局で細々と放映していました。ワールドカップやイングランドリーグ(現プレミア)の試合をリアルタイムからは大きく遅れて(半年以上などもザラ)しかも前半後半に分けて45分番組でやっていました。子供には野球人気全盛の頃でしたから、コアなサッカーファンでないと見ていなくて、戦術もテクニックも今とはだいぶ違いますが、芝生もキレイでパス回しや、シュートの精度などは今見ても面白いレベルだったとは思います。
 親や兄弟、祖母などとチャンネル争いしながらの観戦でした。大河ドラマもですが、昔は時代劇や戦中のドラマも毎日のように各局でやっていました。

 今は時代劇は衰退し、歴史ものというと大河ドラマぐらいになりました。

 今回の大河も、いろいろ物議を醸していますが、非常に若い人気の俳優が出ています。それでも、食事時に見てると子供世代は見向きもせず、DAZNなどで欧州サッカーを見ていました。
 チャンネル争いはないですが、少し別の嗜好も話しながら家族でテレビを見るということが無くなった時代で寂しいような感じです。
 時代が移ったなあとは痛感します。

牛飲水為乳、蛇飲水為毒「巳年、禅の言葉」

「牛飲水為乳、蛇飲水為毒(牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる)」という禅の言葉があります。
  同じ水でも、牛が飲めば乳となり、蛇が飲めば毒に変わる。 転じて、同じものでも使い方によっては薬にも毒にもなるということです。

 会社や大きな組織でが、業務を誰がやっても均一したクオリティ、同じ所用時間にするためのシステム構築やマニュアル化が進んではいます。

 しかし、ある程度相手があり環境を読む有機的なプロジェクトなどでは、Aさんに頼んだ時、Bチームに頼んだ時、外注のC社に頼んだ時によって結果、成果は大きく変わります。

 社運や人生を賭けた選択、そこまで行かなくても小さな選択場面で、その人それぞれに与えられた素材をどう味付けするかで、局面は替わり、結果は大きく変わります。
 何を与えられても、決まりきったやり方でやっつけ仕事しかしない人は、チャンスを逃し、ミスを見落として、組織に不利益を与えます。

 同じ食材を使っても、一流の料理人と、素人では全く違う料理になるのと同じです。

 現代は、一見マニュアルが進み誰がやっても同じに見え勝ちです。
 だからこそ選択の場面は重要になります。
 他人より一歩進んだ、気の利いた仕事をしたいものです。
 組織の毒にならず、乳を与えられるか、巳年ですが禅の言葉では蛇は悪役です。

公務員なら37年も続けられなかっただろう

 会社時代の上司が、年賀状に「前立腺がんで4カ月半入院した」と記されていました。電話をしてみると。大変感謝され懐かしがられました。
 しかし、まあ若くして切れ者の本社エリートから関西地区の総責任者となり社長候補の一人とまで言われた方でしたが、声や話の内容はさすがに老いた高齢者のものでした。
 10年ぐらいの先輩やそれ以上の方は、激務をこなしながらも60歳で定年で少し楽な延長をして優雅にリタイアされている方が多いです。この上司の場合は職階も上ですが、10年くらい上の世代になると、退職金や年金の額も違いますし、関連会社も含め、終身一企業でしか働いていない方が多いです。

 平均寿命も違いますが、先輩方も定年後優雅な年金生活と思われても、楽しむ期間は意外に短く、鬼籍に入られたとか、患われている方もよく聞きます。

 65歳にして、「裁判所でフルタイム事務官やってます」などと言うと、驚くあきれられる反応がよくあります。

 私の場合60歳で、再雇用は選ばす民間企業を定年で退職しました。同年代にも、そのまま勤め無い人もおれば、再雇用の道(役員や、定年なしの会社の人も含む)を選んだ人もいます。私は65歳の今の年度まで5年別の仕事で働いたことになります。
 アルバイト含め、こういう働き方の人もいます。もちろん、自営業など、まだまだ働いている人もいますが。大学を出て37年の60歳、42年の65歳区切りをつけた方は多いでしょう。
 42年同じ会社という方にも尊敬と驚きに値しますし、その方はそれが当たり前と卒業されたのでしょう。
 私が37年で定年でも、いい加減長い間という感じでした。プラス、5年の中で今は裁判所公務員の2年目です、年金事務所も公的機関なのでみなし公務員とも言えます。37年民間企業で5年公務員のようなものです。

 公務員的難しさ、楽さや良い面もありますが、大卒でそのまんま公務員だったら37年は勤まらなかったとは思います。今やってみて公務の新鮮さと面白さ、合っている面もありますが、やはり長くは無理です。飽きます。高校、大学時代からもっと勉強して官僚とか裁判官とか検事、公立施設の仕事とか目指すなどというのは、も生まれ変わっても間違っても選びはしないでしょう。

 民間企業だって、大手とは名ばかりでカネボウという会社はブラックで入社した時からもう経営は傾き破綻の道でバブル時代の恩恵もありません。公務員よりは賞与も給料も少ない時代が長かったですし、倒産しそうになり賞与が止まり、給料一律減額という時もありました。
 それでもやはり自分は企業で売上を伸ばすためとか、企業業績のために、いろいろブランドやマーケティングを身につけて、提案のスキルを磨き、仕事してきたのが一番性に合って、輝いていたとは自負しています。

 でも人生はいろいろです。この年になって公務を選んだ人と、出会い関わったことは本当に良い経験でした。
 今年は66歳を迎えます。健康寿命というといろいろ考えないといけないですが、これからも何が起こるのか楽しみです。

還暦からの人生戦略

 知の巨人とも言われる同志社大学神学部佐藤優さんが、アラカン世代に向けて書いた本です。彼の本としては気取らず比較的分かりやすい内容です。
【紹介文より】
 最高の人生にするための“還暦後の設計図”を提示します。「人生百年時代」となり、還暦以降の時間をどう使うかが大きな問題となってきます。漫然と死に向かって時間が過ぎるのを待つのか、生あるうちにできることを追求するのか――。誰しも、自分の生涯を充実したものにしたいと思うはずです。それには、還暦をすぎた時点でお金、人間関係、教養などの棚卸しをして、この先に備える必要があります。また、死にもいっそう近づくことから、確固とした死生観を持ちたいものです。

 働き方やお金の使い方、貯め方というのはこの世代向けに他の人も良く書かれているので、さほど真新しくもないのですが、なかなかこの世代の人は本当に満足し幸せになる設計をにわかにと言うと難しいものがあります。

「老い」と「死」あるいは「病」といった受け入れづらい、宿命と向き合う世代です。どんなに願っても活気に満ちた若い世代には戻れないのですが、いかに老いに向き合い、楽しんでいくか、かく言う私も60歳、65歳と節目の時期や、時折寂しい気持ちに苛まれます。

 リタイア後、毎日が日曜日、旅行にも気楽にいけ、趣味に時間が費やす優雅なシルバーライフという方もだんだん減ってきています。退職金も年金も少し上の世代に比べ大きく目減りもしています。寿命が延びていると言われる割には、働ける環境もなく目標もなく、何年かすると急に老け込む人、健康を害したりする人もいます。
 メンタルでも、自分の生きてきた時間や、今の時間も、これからの時間も何だか、価値のないどうでも良いものに思える時は誰にもあります。

 でも、それは気持ちの波のようなもので、何かに打ち込むとふと忘れていたように、良い方向に過去も現在も未來も見えてくるときが来ます。
 スピリチュアルな宗教的依存ではなく、禅的な感じで心を整えていくことも必要な時期かと思います。

 過ぎ去った時間など、戻りようがないことを考え悔やんでも仕方ないし、無理に良かったと思い込んでも、今からの未来にはつながりません。
 今ある、お金や健康、能力、人間関係をざっくりでもいいので棚卸してみて、これからどういう風に生きるか考えてみることも大事です。
 ファイナンシャルプランナー的な、設計です。棚卸はある程度客観的にすべきですが、考えることは楽しく、好きなことをやるには、どう取り捨て選択するかを楽しみながら考えればと思います。

 みんな決して楽には生きていないですし、なんだかんだ苦しんでそれを乗り越えています。
 お金のこと、健康のこと、寿命のこと、しっかり前を向いて備えた方が結論としてはいいに決まってます。こういう本や、このブログみたいな文章の提案内容がいいのかは別として、考えずに、何事にも備えずに悩み落ち込むことは避けましょう。

それでも頑張って欲しいオールドメディア

 このところ、いろいろな問題で記者クラブやテレビ局などの古いメディアをはじめ、古い業界や役所など守旧的老害に批判的なことをいいました。アメリカのGAFAなどの新しい企業がぐんぐん伸びるには老害への忖度批判は必要なことと言われれるのは当然です。
 規制や既得権の多い日本だからなのですが、それはそれで古い組織もしっかり頑張って欲しいということです。

 業界の団体というのも、そこを守る法律や組織というのも最初は、悪徳なところが蔓延らないよう、零細業者や国民の利益を守り、健全な業界にするためだったのです。
 テレビとネットを比べて、「オールドメディアが悪い、古い事実を伝えない」というのも真実ですが、無くなればいいものではないのです。ちゃんと機能して、正しい報道を忖度なく、伝えて欲しいのです。ネットは事実もあるけれども、無秩序です。地上波テレビに権威が全く無くなり、ネットだけが、ニュースや娯楽を配信する時代になっても困るのです。それはある意味今よりも無秩序過ぎる危ない時代になります。
 だから自主規制もしっかり判断し、表現の自由もギリギリまで議論して良いものを伝え、作れるメディアであって欲しいのです。
 政治団体、業界団体、〇〇業組合、農協や医師会なども、ひどい内容だとは聞きますが、やはり組織の下部の人には大事なのですし、その業界がその下部の人を守って欲しいわけです。

 ジレンマではありますが、そこはちゃんとやって改革していって欲しいのです。新聞をみんなが見て、家族そろってテレビを見た時代は戻らないかもしれませんが、無料の地上波テレビの内容が良ければそれに越したことはないのです。

地上波テレビ局終わりの始まりの年 – 天使の星座

壊さないといけない古い組織が多すぎる – 天使の星座

NHK紅白は今さら必要? – 天使の星座

書評:木住鷹人「危険球」 京都関連受賞作 古都と野球

【紹介文より】夏の甲子園出場をかけた京都府大会決勝。木暮東工業のエース投手・権田至の投げたボールが、境風学園の強打者・仁科涼馬の頭部を直撃した。「あんな球、避けられるでしょ」少年はなぜそのような突き放した言葉を放ったのか?
 鮮烈な京都青春物語と銘打たれ、京都文学賞の受賞作です。この投手と打者だけでなく、関わった審判、両校の友人、双方に感情のからむ女性らさまざまな人間関係が描かれ引き込まれます。

 何より、その投球と言動の「なぜ」が明かされる過程は、ミステリの謎説きめいた面白さもあります。また野球のルールや審判の苦労なども描かれ、野球ファンの視点からも楽しめます。そして「東寺と西寺」「衣笠球場」「伏見の酒蔵」など京都の文学賞狙いっぽい巡りも一興です。

 私も個人的に戦後間もない、京都にタイムスリップする小説を書こうとしていて、衣笠球場は題材にしたかったのですが、ちょっと先にやられたかなと思います。ここの知識が立命館大学に行ってる人にはそう珍しいものではないかもしれません。

 ネタバレになりますが、ゲームやルールとしての野球の展開がもう少しあっても良かったかなと思います。やっかみ半分ですが、もうちょっと深堀りできることも多いのではとも感じました。秀作であることには間違いないです。

 同時期に書店で並んでいる「スピノザの診察室」夏川草介の方は、京都「本」大賞なんですが、さすがにこっちはプロ経験も長い、やはり洗練もされていて、感動度合いとほのぼのもあり、京都情緒もいいです。こちらも超おすすめですね。

 今はたまたま冬ですが、京都というとやはり夏ですね。両作品とも何だか、じりじりするような夏の京都がイメージされます。

お正月お休みのスーパーを見ると少しほっとする

 正月の風情といっても、神社を回って初詣の賑わいはまあ毎年似たようなものです。セブンイレブンやファミマなどのコンビニはもちろん、イオンも1日から開いています。

 4日、5日、小さなお店やディスカウントスーパーのサンディや業務スーパーは31日の早めに閉店して、ゆっくり役所や会社の仕事始めに合わせてという感じのところもあり、それはそれで安心というか、みんなお休みを取られているなあとホッとします。

 逆にイオンやコンビニなどはブラックではと思ってしまいます。私などが化粧品会社に入った頃は完全週休二日制ではなかったですが、正月3が日はもちろん曜日に関わらず5日ぐらいまでは休みでした。初売りが2日から始まる仙台などは大変だなあと思っていました。それがいつからか、大手スーパーや百貨店はどこの地区も3日からの営業になり、初売り2日が始まりだしました。そしてイオンなどの大手は元旦営業も始めました。31日や正月3が日は特別手当やご祝儀も出して、店頭の販売員のシフトを組みましたが、1日なんてそんなに化粧品が売れるものでもありません。定価販売でしたから、おまけをつけた福袋などもセットしましたが、そうそう売れるものではありませんでした。

 少し今は働き方の改革で、イオン以外は元旦にそう力を入れるところも減りました。

 正月に空いているのはイオンぐらいという、妙な安心感もあり、カフェコーナーかフードコートで初詣帰りの休憩をしたりします。あるいはコンビニのイートインで安い珈琲での休憩とトイレ使用もよくします、外国人のアルバイトなども働いておられますが、良くシフト組まれています。これで24時間休みなしとは、いくつもの近隣店舗があって、よくやれるとも思います、

 どこも休みだと、多少の不便はありますが、セブンイレブンという店名由来の夜11時以降、あるいは早朝6時台より前に店を使うことは普通はあまりありません。元旦のイオンで買い物をすることもあまり経験している人は少ないのではと思います。
 それぞれの企業の緩められない戦略があるのでしょうが、巷間伝わるもは法令ギリギリの労働協約や契約です。一度24時間営業が崩れそうな時もありましたが、今後裁判での解釈次第では、ビジネスモデルが大きく崩れる時もくるでしょう。しかし、まだまだ経営者は強く、労働者やフランチャイズは弱い立場です。

 そういえばパワハラなど、社名を変えたブラック企業のクルマ販売店、性懲りもなく元旦営業で大々的にCMをしてました。日本人は真面目なのか、懲りないのかですね。商店街がお休みばかりで、正月休みなのか廃業で閉店なのかわからないシャッター通りになっているのも複雑な気持ちになりますが、正月営業はほどほどが良いのではと思います。

NHK紅白は今さら必要?

 テレビから時代はネットに移行しているとも言われ、オールドメディアへの風当りの強くなり、NHKや民放の存続理由も問われています。
「NHKをぶっ壊す」という政党が国会議員を当選させ、NHKに対してもその体質や偏向報道に対し批判的意見を持っておられる方も多いようです。
 偏向した報道姿勢には疑問が多いが、ドラマは見ている人、スポーツ中継はDAZNと違って無料だから見ている人もおられます。しかし、ドラマも映画もNHK受信料より、安く配信で観れる時代です。配信のドラマも良いコンテンツが増え、スポーツだけなら割高とさえ言えます。
 テレビ離れの中、朝ドラや大河ドラマ、紅白歌合戦だけは視聴率を落とせないと局側も必死で宣伝もしてお金もかけて作りこんでいます。

 いわゆるNHK党の党首で、元NHK職員立花氏の暴露話ではないですが、このところのNHKの放漫な経営、その内容に関してはやはり疑問も多く、偏向報道以前に、公共の受信料を使ってそこまでしていいのかという思いはあります。
 今年のドラマでは、源氏物語の作者紫式部の平安時代を取り上げた「光る君へ」や、女性初の弁護士、裁判官をモデルにして、法曹界への女性進出を描いた「虎に翼」も、力が入っていました。社会や政治問題や歴史も含め、潤沢な予算でキャストや衣装、ロケにもお金をかけ、大企業に忖度しなくてもいいため、NHKの報道や受信料を取る姿勢は嫌いでもドラマは好きと言う人もいます。
 しかし、報道やスポーツ、ドラマと局をぶつ切りにすることもできないし、やはりつながっているのがNHKなのです。ドラマの中にも、戦争観などNHKがねじ込みたい思想信条はプンプンと臭います。
 そして、ドラマ以上に気になるのが、そのドラマを番宣する紅白歌合戦の異様な盛り上げようです。
 今年はレビューをするため、NHK+で多少デレイしながらも全部見ましたが、お金の掛け方含め、大変力も入っています。あれだけのメンバーを一夜に集め、序列を決めて時間を振り分け、仕込むだけ大変なものです。実際にホールであれだけの歌手を一同にナマで見れば感激ものでしょう。
 今回は特に新旧の朝ドラヒロインを司会にもってきて、番宣とスピンオフドラマも持ってくる凝りようで、歌とは離れたところで、一体的に局全体でドラマと紅白の二枚看板を引き上げようと必死なのが見えます。紅白対抗の歌よりも特別企画枠も増え、通常の持ち歌時間が短いように感じられました。

 いい内容でしたし、出た人も準備した人スタッフもよくやっていたと思います。
 大物もサプライズ不在とは言われましたが、B’zの初出場はじめ、各年代に対応した大物アーティストも駆り出し、カメオ出演のように大物ゲストが応援などもありました。ただ、それだけにあそこまでお金かけて、どうかなという疑問もあります。

 私が子供の頃見出した紅白はまだ、大晦日7時にレコ大があり、9時スタートで2時間45分でした。今、考えると随分短いようです。楽曲も昔の方がフルでも短く、それを短縮すると、テンポも今よりよく、当時としてはそれでも長大な番組で、その年のヒット曲が網羅された歌中心の編成で全体が短くまとまっていました。

 公共の電波であるNHKが歌合戦に血眼でいいのかとは昭和の終わりには論議され、昭和の終わり頃にも「紅白を上回る企画があれば、来年からでも紅白をやめたい」(放送総局長)と公言もされていました。しかし、結局は視聴率稼ぎの方向に走っていきます。TBSのレコ大と時間を見事に重ね、最初の年こそ、かぶる時間を懐メロに充てましたが、翌年からは完全にガチ対決でした。
 当時、SMAPをはじめ歌謡界を席捲していたジャニーズ事務所が、賞レースを拒否してレコ大には出ないようになり、TBS側は完全に劣勢になり、大晦日を撤退して、前日の12月30日に追いやられます。

 それまで、有力なコンテンツで歌謡大賞など、各局にあった賞も、音楽の多様化で立ち消え、紅白だけが生き残りました。それでも格闘技やお笑いなど、民放もトレンドにのった企画で裏を盛り上げ、紅白も徐々に国民的番組、お化け的な視聴率に陰りが出始めます。
 NHKの中で特に、何らかの利権を持つ階層の人には特に看板番組の威光が落ちるのは、自らの特権を失う危機でもあるように思えます。受信料を徴収するとき、誰もが知っている看板番組は絶対に必要だと思い込んでいるかのようです。

 紅白出場となると、確かにステータスと見られる芸能事務所もあります。しかし、だんだん癒着や忖度がはびこり、レコ大が日本のその年を代表する曲が選ばれなくなって衰退したのと同様、年間セールス上位ランクが紅白にはでなくなり、毎年衣装や曲芸が注目され楽曲は同じという歌手も増え、かつ聞いたこともないグループも入り視聴者は離れていきます。
 ライブツアー中や休暇中で、5分だけのためにリハ含め拘束されたくないアーティストも多く、本来の趣旨の歌合戦とは合わなくなっています。それでも人気者の司会者登用や、広い世代をターゲットにしたレジェンド的な企画を打ち込んで視聴率を維持しています。無理に権威を維持しようとし、それも上層部の思惑と重なり、札束を積んでも大物を投入しています。
 舞台や、衣装や中継にもお金を湯水のようにかけている姿勢が30年前のアーカイブ映像とは大きな開きになっています。スポンサーの出資枠と局の予算内で作られる民放と、国会で決まった予算、元は受信料なのに際限なく使えるNHKの差もここにあります。しかし、視聴者も馬鹿ではありません。ある世代には、垂涎もののレジェンドも、少し若い世代になれば見向きもされない老人の宴会にように見えます。
 世代によっては「感動した」というシーンでも、あのおじいさんおばあさんのような歌手が何を戯れ合っているのかと見られていたのも本当です。
 しかも、今は動画サイトなどで昔の歌もMVやライブなどでカンタンに聴ける時代で、高いギャラで年末に引っ張ってきた掠れた声で歌うのを聞かされるよりマシな場合さえあります。そこに投下されたお金は国民が支払った受信料です。よく税金なら「血税を使って」の批判も出そうです。

 問題はここに遣われるギャラとかだけではなく、芸能事務所との癒着が問題です。本来スポンサーがなく、忖度のないはずのNHKがジャニーズ問題で、週刊誌や外国の放送局にも後れを取りました。吉本の問題はじめ、最近のさまざまなタレントの不祥事問題でも、全て民放と横並びなのが証拠です。どっぷりと古い体質に漬かっているのです。

 政治の報道も、芸能界やスポーツ界との問題も、一度潰れないとどうしようもないのがNHKです。
 心配しなくても、NHKなどなくとも、音楽もスポーツも報道も無くならないし、誰もこまりません。安くない公共料金が消えて、生活はが楽になるだけです。