勝ち組負け組とは

『【勝ち組・負け組】という言葉がある。私はこの言葉が大嫌いだ。だが私が銀行からここに赴任したときによく耳にした。銀行は「勝ち組」、俺たち子会社の社員は、プロパーの社員は「負け組」だってな。それを聞いてもちろん反発する者もいたが、大半は「自分はそうだ」と認めてた。
 だが今はどうだ。君たちは大銀行が総力を挙げても成しえなかったことを成し遂げた。「負け組」だと思っていた君たちがだ。大企業にいるからいい仕事ができるわけじゃない。
 どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って日々奮闘し、達成感を得ている人のことを、本当の「勝ち組」というんじゃないかと俺は思う」

 2020年に第二弾も好評だったドラマ半沢直樹で堺雅人さんが『倍返し』とともにスカッとするような名言で悪を諭してねじ伏せ、同僚や部下には生き方や働き甲斐を説きました。日曜のドラマなので明日から少し頑張ろうとドラマで元気を得た人も多かったのではないと思います。
 この【勝ち組・負け組】の話は、証券会社に出向させらた半沢が、見事親会社にもやり返し親会社復帰となり、別れの時に訓話する内容です。
 実際の世の中では、格差は広がり硬直したままで、なかなか【倍返し】も【お言葉を返すようですが】もドラマのようには行きません。子会社や非正規雇用はそのまま【負け組】のままでしょうか。
 私も企業に就職し、さんざん格差を味わい、早くに出世、上昇していった同期や後輩から見れば【負け組】にみられていたかもしれません。同級生や同僚、友達があげる近況のインスタやSNSの画像にも、とんでもないセレブの旅行や、ファッション、グルメなど【勝ち組】を誇って見せつけられるといいなあと思う時もあります。
 一般には他人が羨ましく、現状の理不尽にいら立つことが多い。だからこそ、冒頭の半沢直樹の言葉が響き、花咲舞も含め池井戸潤氏の原作ドラマがウケるのでしょう。

 実際に、仕事達成感ややりがい、快感というのは、現在の立場とか、報酬、お金とかだけでもないとは思います。
 今、私の職場周りにも司法試験合格者、法曹界の方はゴロゴロいますし、医者や教授になった人も同窓に何人かいます。企業の役員、社長も多くいます。頭の良さ、努力、その後の境遇を取れば【勝ち組】といえますが、それで全て幸せ、本当に勝った人生と思えるかというと、疑問な人も沢山いうようには思います。
 ここは本当にさまざまな考え、感じ方もあるでしょう。勝ってるとされる人も言い分はあるでしょう。
 ただスポーツやゲームなどでいうと一般的には攻撃しているときの方が楽しく遣り甲斐があるともされます。
【勝ち組】と言う人は、親からの資産などを多く引く継ぐとか、よく勉強もでき良い学校、学を出て良い勤めを得て早くの出世しているとかでしょう、ただそのため【守り】に入ってしまう時期が長いとも言えます。
【負け組】と言われても物怖じせず日々【倍返し】を狙って奮闘すればよいのです。その姿こそ【勝ち組】です。

汗臭さは衣類の捨て頃

 化粧品を売る仕事をしておりましたが、香水やコロンも当然あつかい、日用品とのはざまに制汗剤やデオドラント系のものもありました。そして、親会社が洗剤の会社になって50代になって洗剤の勉強もしました。
 洗剤を並べているとか売っている組織にいて管理をやって洗剤の知識がないというのでは話にならないので、そこは意外と?知っています。
 濃縮、液体やジェルボールなどの形態や、抗菌や部屋干し、柔軟などの機能もさまざまです。
 
 夏にかけ、ビジネスパーソンや外での仕事やレジャーでも、家事でも汗をかくことが多く、頻繁に洗濯もし、制汗剤などで汗臭さを防ごうとしてもなかなか完全には防ぎきれません。

 外見も第一印象で大事ですが、大きなマイナスイメージは「ニオイ」です。せっかく身だしなみが良くて、容姿もそこそこでも、ニンニクやタバコ臭いや汗臭いとかキツイ香水系ではイッキに評価が下がります。
 男性は特に加齢臭なども意識して警戒しないと、知らずに嫌われます。
 私は、ロールオンの制汗剤を脇に塗り、デオドラントスプレーを足裏含めて全身にかけまます。それでも汗かきですし、職場までそこそこ歩き、クールビズで冷房設定温度は高めだと、それなりに自分でも汗かいて臭いなと思います。
 ひどいと感じるとシートタイプの汗拭きで、気分転換も兼ねトイレで脇や首筋を拭きますが、着ている服によってなかなか微妙な臭さです。
 そう、ニオイの元は繊維の奥に残っていて、汗と反応すると身体よりは衣類が異臭を放っています。
 元いた会社も抗菌タイプの洗剤を良く宣伝していますが、これなかなか完全には取りされない気がします。漂白剤なども併用しますが、いわゆるシミもですがこびりついたものは、通常よく泡立てて落すやり方では難しくなります。表面的に汚れは落ちても、染み付いた悪臭の元が断ち切れないようです。一時的のコロンや消臭剤という手もありますが、その場しのぎでこれも好みがあり変な香りが複合化します。

 そうなると、もうすっぱりその衣類は捨て頃です。自分で分かるぐらいだから、敏感な人はいます。他人は必ずその人の悪臭を知ってしまい、一度でも知ると記憶され気になるのです。全くどうでもいいと言う人はそういないはずです。そのためには、下着やワイシャツ、ブラウス程度は安いものです。
 嫌われない快適な夏をです。

 離婚後の親権

 先日、民法と関連一部改正法案が成立しました。離婚後も父親、母親双方の共同親権を認めるもので、これまで離婚後の親権は原則父親の単独親権としていたものを父親、母親、いずれかに改めた昭和22年以降77年振りで、子供の権利を守ることを一番に考えた視点での、法制審議会家族法制部会でも3年の議論をしての法制化であり、DV、虐待と否定的な見方で反対意見もあったものの、子供は親に会いたいと思っている例が多く法案成立を評価はできます。
 子供は大人が勝手に決める持ち物ではないので、その人権に関わる法制は実態にあったもので、柔軟な運用が必要だとは思います。
 恵まれた育ち方をして、大人になっても離婚の経験がなく、順風満帆な人生を送る人には他人事のような法改正ですが、実際にはお金持ちでも離婚を繰り返す人もいます。
 また、せっかく愛し合って結婚をしたはずが、DVによる不幸や、浪費から倒産など経済的破綻の離婚もあります。仕事がら、そういう不幸のストーリーも目にしますが、子供が被害者にならないことはもちろんですし、奪い合いや押し付け合いの争いの渦中に巻き込んで欲しくないものです。
 『子は鎹(かすがい)』という言葉で踏みとどまるときもあります。自分が5歳ぐらいまでの子供だったら、親が争っているのを見るのがどれほどいやか、ちょっとでも想像でき思い返せるものならと考えるのですが、世の中本当にいろいろ残念な人が多いです。
 本当にお金もなく、社会で厳しい目にあっている人もいれば、前出のお金は持っていても離婚する人もいます。むしろ養育費を十分払う資力があるからなのでしょうが、だから安易に結婚離婚というのも残念な気がします。
 子供たちに少しでも平穏で、暖かい日々がと祈るのみです。

正しい意見でも 思いやりがなければ 言われた人は傷つく

  法律なんかもそうですし、科学でも数学でもそうなのですが、正しいことは正しいで間違いはないのですが言い方は大事です。
 そこへ至る過程は、人それぞれです。
 正しいことの証明を言い合うことに意味はなくて、それぞれの人が今後も正しい選択をし、正しい道を歩むのにはどうするかの方が大事なことなのです。
 聞く耳を持たない人もいますが、正しいからどんな言い方でも良いということはなく、相手の立場を分かり、間違っていても人生を否定して傷つけるような言い方は避けないと、その後が上手くいかなくなることが多いのです。

アングラ、テント芝居の時代から

 今放送中の朝ドラにも出演されて、多くの大河ドラマなどにも出ている小林薰さんというベテラン俳優は、先日亡くなった唐十郎の率いた紅(あか)テントと言われた状況劇場の出身です。根津甚八さんと並ぶ同劇団のスターでした。
 日本の一時代を代表したようなアングラ劇団で、まだまだ1970年代の後半は高度経済成長の終わりぐらい、学生運動も終息しつつはありばがらも今とは世間の空気が違うような時代でした。

 既存の演劇、既定の社会を否定するような集団が前衛劇団、アンダーグランドでした。公共劇場の空間を否定するように、象徴的な色のテントの中での芝居や、小劇場芝居には昏い沼に引き込まれるような恐ろしさとマゾヒズムの快感が入り混じりました。同劇団が芝居を見せるのは東京・新宿の花園神社の境内、地方だと公園や河川敷などに組まれた紅色のテント。客席はゴザでした。そこで俳優と観客が一体化するのです。役者を「河原乞食」よいわれるゆえん、歌舞伎俳優の故・18世中村勘三郎さんは「歌舞伎の原点だ」と評していました。

 小林薰さんは1969年、京都府立洛東高の3年時に退学処分を受けたそうです。理由は学生運動で当時は日米安保問題や沖縄返還問題などがあり、高校生を含めた学生たちが政治の在り方に異議を唱えていた。今よりも熱く若者が政治を語るのが、いわばファッションやゲームのように身にまとわりついていたのでしょう。小林さんも「学生運動っていったって、今から思えばかわいいもんでね。お祭りみたいに考えていたな。月1回、デモや集会に出て」と軽い感覚で雑誌のインタビューで語っておられました。

 アングラで上演される芝居は幻想的かつ肉感的、そして知性や想像力もフル回転してついていかないといけない言葉も「胎内回帰」とかともすれば難解なものを分かったように観るのも流行りでした。

 そして世の中では平行するように、アメリカナイズされた明るく豊かでおしゃれな時代が始まるのです。都会的なサブカルとして、雑誌【POPEYE】や「ビックリハウス」、【PLAYBOY】の日本版も出て、村上龍【限りなく透明に近いブルー】、田中康夫【なんとなく、クリスタル】池田満寿夫【エーゲ海に捧ぐ】などの小説は、基本ネアカでわかりやすくポップな世界です。演歌や歌謡曲からYMOのテクノが流れだし、ディスコも流行り出し【サタデーナイトフィーバー】などの映画も流行りました。
 多くの人、インテリでさえ、【胎内回帰】などの衒学から、明るくわかりやすく、難しいことは考えない時代へ移っていき、それから半世紀です。
 学生運動で退学になるような高校生や大学生など、見たことも聞いたこともない時代で、政治で何が起こっていようと国政選挙の投票率は半分以下3分の1ぐらいになりました。
 日本は、良い時代になっているのでしょうか、唐さん。

あっという間の10年 すっぴんでも可愛い人

 化粧品会社にいるときもは、初めて見る大人の女性たちのメイクばっちりで化けた顔とメイクオフいわゆるスッピンの差には驚き、そのうち慣れてもいました。
 いまだにつながりのある50過ぎの美魔女的友人でも、メイクオフは別人の顔です。たまに私生活の会話で出てくる購入したマンションで、修繕など管理組合の集まりにも出ると言てっますがいったいそっちの席にはどっちの顔で行かれているのか、下世話ですが興味です。
 化粧すると女優さんみたいで、ある意味ちょっと近所では周りは引く感じで、危ないような気もしますし、かと言って、くすんだ素顔を人前にさらすのも微妙なところです。
 まあ、そこまで心配はない落差の少ない人、素顔でも可愛い人、キレイな人は沢山おられます。

 10年ぶりぐらいに、前にも役員でご一緒して、また役員でマンションの会合で再会した女性も、前はバタバタで赤ん坊に授乳されていたような覚えがあるのですが、今は小学校か中学校かになって落ち着かれていました。
 ご主人の職業も知っていますが、子供を叱り、旦那さんを励まし、時にはキレるように怒り、奥さんも子育てに苦労されただろう10年が、何となく偲ばれました。素顔には疲れも見えそれなり加齢は感じましたが可愛い顔立ちは変わらず、微笑ましく感心してみていました。
 乳飲み子がこましゃくれたガキになるのが10年です。私のとこでもギリギリお風呂に一緒に入って娘が、大学出て就職するのですから10年あっという間です。
 新卒で就職して10年で出産もはさんだ人は、やっと10年、長い10年という思いで今年の新卒を指導していますが、こちらから見れば二人とも娘のように見えます。
 年代、性別、取り巻く環境などによって長かったり短かったりでしょう。概ね年齢を重ねると、変化が減り時間の経過は短く感じる傾向にはあると言います。
 美魔女はどうしているのか、それも関心はあります。
 

映画レビュー:「青春18×2君へと続く道」全世代に送る青春メッセージ

 このタイトルが旅行好き、鉄道好きにはあの「キップ」を連想します。
 私も勇んで、初日主演俳優と監督の挨拶ビューイングのある時間帯に映画館に駈けこみました。
 日本と台湾の美しい情景を舞台に、初恋の記憶と人生の岐路に立たされたシュー・グァンハン演じる主人公の旅を描いていく映画で、ちょっとお涙頂戴、ハンカチ必携の泣けるストーリーでありながら、どの世代にも力と希望が湧くようなワクワクの旅もの、青春ものの映画です。
 鉄道好き旅好きでも、そうで無い人も、必見の台湾の電車から、日本に来て江ノ電そして、JR東日本の珠玉的車窓のローカル線、飯山線や只見線が登場します。

 少しだけネタバレ混じり、公式で明かされている範囲程度からの感想ですが、18の意味はJRの企画切符ではなく、本当に年齢の18歳の意味で、✖2というのは主演の二人というだけでなく、リアルタイムではその倍の年齢になった主人公が18歳の時代を回想するという意味も含んでいます。
 実際に旅の途中で出合った道枝駿佑演じる18歳のバックパッカーに、年齢を尋ねられ自分は2倍だと返す場面があります。
 大都会の品川から、鎌倉、松本、飯山、長岡、只見と旅をしながら回想が挿入されます。学生時代に立ち上げたゲーム会社を彼は大きくして、結局は追われてしまったようで、18歳の時代の初恋の相手の絵葉書を頼りに感傷的な旅です。回想での初恋相手、清原果耶演じるアミと仲間たちと過ごした時間は甘く楽しく切なく描かれます。
 今流行りのチートなタイムリープではなく、ただ過去の思い出の回想との輻輳だけですが、見ている方にも、36歳の主人公が果たして時を隔てて、初恋の人と再会できるのかは想像できる部分はあります。
 ミステリではないので、叙述的(映像的)トリックも、視点のバラつき、アンフェアも評価の対象ではないのですが、見事に伏線回収され、それでもまた希望を持って次の青春をあるこうとする姿に「いいな」という終わり方です。挿入されるミスチルの音楽も幅広い世代にいいなと思わせます。
 鉄道でトンネルを抜けて「雪国」の情景が現われる時、道枝君が川端康成の名作を知っているのにも驚きですが、物理的なカメラではなく静かに「心の(人生の)シャッターを押しましょう」という感じのセリフもインスタ全盛の時代になかなかの名言でした。
 清原さんはほぼ台湾の場面だけなので、黒木さんや道枝君らとほとんど絡みはないのに、談笑しているオフみたいな初日挨拶は考えれば面白いです。黒木華さんは、ネットカフェの店員という脇役、最近のドラマでもいろんな役を好演していて、正直清原さんよりは役者としての幅も奥行きも格も上だなとは思いました。
 本人もゲーム開発者ですが、松本、飯山線、長岡、只見とそれぞれゲームで情報をくれるような人と出会いながら、主人公が進んでいくのは現実にはそんなのありかとツッコミたくなりますが、ゲームのような面白さでもあります。
 若い人も若い頃を思い出す人も十分に楽しめるだろうという感じの映画でした。

ハラスメント やはり自覚がない

 荒れている学校では未だに幼稚なレベルでも悪質で執拗なイジメがあるようです。
 ブラックな職場も最近は減ったとは言え、未だにサービス残業も暴言などのハラスメントも横行しているところもあるでしょう。
 本当に悪いと自覚していても、仕方なく回りの雰囲気で加担していしまうとか、注意できない場合もあります。
 むしろ多いのはある意味もっと悪質なケースで、それを自分は良かれと思い、相手が悪いのだから指導と思っている場合があります。これは自覚の度合いもですが、能力のある方で「自己陶酔」「自己顕示」「向上心」も強い人間が案外無意識でやっています。
 夢抱いて入ってきた、ピカピカの新入社員に、ハラスメントなんぞ今時一切見えないという強い姿勢が欲しいです。ハラスメント研修なども、より具体的なケースを見せないと時間の無駄です。
「昭和の世代なんで」などという言い訳めいた常套句を前に語るのは、一切禁止、まさに言語同断だと思わないといけません。
 生半可な情報提供的なハラスメント研修ではダメなのです。相手のいいところを見つけて褒め言葉だけを探すことを訓練として徹底的にやる、このぐらいでないと変わらない人は多いです。

 不適切な言葉と言葉狩りの間(はざま)

 未だに女性蔑視や障害者差別などの不適切発言で辞任やら謝罪の政治家がいます。とは言え、昭和や平成のはじめの世代にとって「言葉狩り」とも言える、不適切な言葉の言い換えは多岐にわたり「そこまで、それも、いつの間に、」となかなか難しいところがあります。
 〇〇夫、〇〇婦、女〇〇などと言うのは基本不適切だそうです。性や宗教、障害者や病気とかも連想されるだけで、「好ましくない」とされるようです。
「看護婦」が看護師となるのはその職業が男性もいるのでわかりますが、元々外来語で、丸覚えしていた「スチワーデス」がキャビンアテンダント(CA)が当たり前になり、「盲滅法(めくらめっぽう)」が差別用語で、「ブラインドタッチ」はタッチタイピングとなりました。ブラインドサッカーというのは、そのままOKなようで、このあたりはもはやネイティブでないとその感覚は分かりません。
 初めて世に出す作品を「処女作」と謳ったものですが、美しい響きの言葉ですが不適切らしくあまり使われなくなりました。子供の運動会でも「障害物競争」も障害者を想像させるということで「チャレンジ競争」個別に「飴食い競争」など解釈が難しい言い換えになっていきます。
 それなりに定着もし、そこから差別や人権軽視と想像することは曲解に感じるような美しい言葉まで狩って禁止にするのはどうかなと思います。
 学校では「父兄」とか「お父さん、お母さん」という言い方も「お家の方」と言い換えるそうですが、子供が迷子になっているときとか「お母さんは?」と聞くのもそのうち不適切と指導されそうな感じです。男性社会の名残かもしれませんが、「母性」が父性よりもよく使われるものであるように、「兄弟」は姉妹よりも幅広く男女を含んでいるのが日本語です。父兄という言葉の意味する中には母が当たり前に入っていると解釈して差別でも何でもなかったはずだと思います。言葉はそこまで考えて出来てはいません。
 私もブログで書いていたり、経歴や人物を紹介する時「課題解決を提案する営業マンでした」「ビジネスマンに最低必要なスキルとして英語、会計、ITを勉強しました」と話したりしていました。それも「営業担当」「ビジネスパーソン」が適切な言葉のようです。
 もちろん一部ではまだ「・・マン」も使われています。
 子供の頃からよく聞いた英語の挨拶の冒頭定番、「Ladies and Gentlemen」(レディース・エンド・ジェントルメン)という呼びかけも取りやめているところが増えています。 代わりに「All Passengers」(オール・パッセンジャーズ)や「Everyone」(エブリワン)などジェンダー中立的な言葉を使うようになっています。
 日本を代表する特撮ヒーローもそのうち、「ウルトラマン〇〇〇」ではなく、「ウルトラパーソン〇〇〇」になっていく日も近いかもです。

一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。