大吟醸 北秋田を呑む

しばらく、体調がすぐれなかったり家族の入院デスクランブル態勢だったためお酒を飲んでいませんでした。
この夏に飲もうと思って買った日本酒とウイスキーでスコッチは空けて飲み終えたのですが、こちらの大吟醸酒「北秋田」がまだでした。
体調が悪く、頭痛薬も欠かせず、公私にストレスの多かった8月後半から9月、もう飲む機会もないかと思った時もあるくらいでした。
ようやく昨日何となく、思い立って封を切りました。
大吟醸酒としてはお手頃のコスパで、辛口、口当りが良くスッキリしてシンプルな味わいでした。すぐに酔っ払いそうなのでグラス1杯と2杯目は半分くらいにしておきました。それでもかなり酔いました。久しぶりのせいか、まあ年齢もありどんどん酔うまでの量が少なくなっています。
地元京都、伏見や灘、雪国米どころでも新潟、宮城に比べてもややマイナーな秋田。秋田県北部内陸の大舘市の北鹿酒造です。
秋田にはかつて転勤で住んでいましたが、食べ物もおいしく独特の人情深い土地柄です。そんな秋田の厳しい冬と、短い夏を過ごしたお酒です。何かと潤沢な伏見、灘とは違う味わいです。
外呑みも始まるのでしょうか。社会全体がいろんなストレスを抱えていて、ちょこっと呑むことはやはり欠かせないのでしょう。

9月は疲れました

何だか9月はとても疲れました。
体調不良と在宅勤務等で実質出社は半分ぐらいでも、かえって仕事でストレスを抱えてしまいリズムを作れませんでした。
自分の体調もですが、家族、親族も入院等が重なり病院や妻の実家往復も重なりました。
自分のメンタルが弱るとどうしても悪い方向へ考えてしまいがちです。友人とやりとりしても、妙にやっかみがでたりです。
何でもないこと、どうにもならないことを気にしてしまったりで猛反省です。
できることから整理整頓して、積み上げていく、捨てるものを見極め課題をはっきりさせるとしましょう。
60歳を過ぎると、学生時代の友、会社勤めの同僚、やっていることは人により大きく違うようになります。人は人、我は我です。

敬老の日に思う 日本人のモラル

私は今62歳で、同世代にはまだまだバリバリ現役で経営や企業幹部、第一線で働く方もおられれば、セミリタイアして年金や貯蓄で悠々という方もおられます。
政治家なんて80過ぎでもやってますが、自分の身体や頭脳を冷静に省みると気力や記憶力、判断力をはじめ、あらゆる力が40代ぐらいのイケイケの時期とは衰えています。
60の定年の時は、選択でしたが、まだまだできるけど譲るという感じで、身を引き別の仕事に付きました。しかし実際には60歳手前から、いろいろできないことも増え、覚えないこと成長しない面が増えて、柔軟な人材ではなくなっていたとは思います。
シニア世代が働き、働かせるのは結構難しいものです。
電車やバスでも座席を譲ってもらって、喜ぶか怒るかも世代としては微妙です。
私は今のところ、髪の毛が真っ黒で遠見には若く見えるのか電車で席を譲られたことがありません。譲ったことは多いですし、疲れて座っていると何で譲らないんだ目線で見られたこともあります。
大震災等の災害で、食糧や水の供給等に秩序正しく真面目に列を乱さず並ぶ日本人の姿を「報道され、日本人は真面目でモラルの高い民族といわれています。
しかし、いざ目の前の高齢者や障碍者、妊婦さんなどを見てすぐに席を譲る人は意外なほど少ないです。優先座席以外では譲らなくてもいいと思っている人もいます。
これは欧米や他のアジアに比べても日本のモラルの低い?ところです。
結局はモラルというより、大勢の人の目があり、やっている、並んでいるという同調圧力でしょうか。
もちろん、その同調圧力が悪いわけでもありません。
中には並ぶことすらしないで注意されたり顰蹙を買う輩もいます。若い人でも結構な年配にもいます。
敬老をうける側が近づき、何とかかわいい愛される年寄りになりたいとは思います。まずは、健康維持、体力維持で細かいことは衰えても、自分でしっかり考え、食べて、歩くことができることだけは続けていきたいと思います。

コロナでさらに進む少子化

昨年2020年の死亡者数は、2021年を下回り、コロナによる死亡は日本では死因では10位にも入らない下位です。
ここらが欧米、インド等と決定的に違う日本ではコロナでの死者は今までの年のインフルエンザよりも少なく、相変わらず死因上位は、がんが37万人、心疾患20万人、老衰と脳疾患が10万人以上でコロナ関連では1万人以下です。
ところが新生児も、その前段階の婚姻も、15%減っていて、結局日本の人口は昨年より40万減り、5年前より86万人も減っています。
今後毎年50万人近く減ると言われています。マスクで顔が見れないのが原因なのか、コロナで籠り出会いも減り、結婚式も激減です。フランス等は自宅待機で子供が増えたのでお国柄の違いというか、若い人に子育てのお金も体制もないので日本は苦しいのです。
この大きな人口減少は、少子高齢化と叫ばれて時折騒がれてないますが、若い人の一部以外でそれほど深刻に考える人はいないようです。
よく考え日本の国勢を想えば本当に深刻な話です。
ところが、今目の前で高熱が出るようなコロナと違い、なかなか一般に将来の高齢日本がイメージできず、また選挙にすぐ結びつかないこともあり高齢者の多い政治家はあまり真剣になりません。もっと具体的な少子化対策を打ち出さないとこれこそ緊急事態です。
減少数をコロナと比較したらとんでもない事態が来ることを国民全部で共有しないといけません。
アフターコロナやウイズコロナが5年後とか10年後とか言っても、人が減ればますます経済は縮小しやれることが減少します。
マンパワーが減り、税収が減り、生産も研究も減ることは間違いありません。
保育園が足りないとか、子供の手当等細かい対策も必要です。そして強制はできないにせよ、子供を作り育てれば豊かになれ明るい未来が待っているという強力な施策、支援が必要です。
コロナのワクチンやらに財政支出できるならば、将来の借金にはならず返済につなげる子育て施策にコロナ以上の財政支出が必要です。

カーリングの日本的チームワークは強み

パラリンピックでポッチャを見ていると、何となく冬季種目のカーリングを思い出しました。冬季五輪時期限定、銅メダル時だけの人気かと思ったが、北海道や長野などを中心にシーズンを通してなかなかの人気でした。
たまたま試合をこのタイミングでやっていました。北京オリンピック最終予選代表を決める国内の最終決戦は最後までもつれ面白かったです。
知力、技術、体力、精神力求められる。それぞれの役割を担った女性も美しく躍動して見えました。(男子もありますが)
ビーチバレーや体操、新体操、アーチスティックスイミングなどが、女性にハラスメントに近いあざとさやセクシーさを求めるのに対し、あくまで知的な美という感じです。スケボーなどのストリート系のスポーツと感覚的にはやや似ています。
組織、チームで助け合う点もいいです。
最近の新しいスポーツでの、日本人の若い力、技術やチャレンジ精神には感心します。ただ、昔からのフィジカル勝負、身体能力になると、どうもまだまだ日本人は欧米人やアフリカ人には勝てません。
どちらかというと、知的な判断力や戦術、戦略と、チームでの連携を得意としていました。1964年の女子バレー東洋の魔女などは、そこに猛特訓が加わっています。
この時代の女子バレーと、カーリングで似ている点があります。カーリングは規定で国内大会の優勝チームが日本代表になります。この頃の女子バレーは日紡貝塚の選手がほとんどを占め、他のチームからあとは2~3人程度でした。
日本のチームスポーツが海外で成果を上げるのは、単独チームもしくは長期の合宿などでの練習期間が必要だと思います。
女子バレーはその後、日立が全盛の時期を迎え、その後多少の巻き返しはあってもソ連との2強時代が遠くなりました。オリンピックも予選落ちや、せいぜいベスト8という時代になり、2020東京では他の女子スポーツ隆盛の中寂しい結果となります。
サッカーも、裾野は広がり、高年俸で時差のある欧州でプレイにする選手が増えると現状では日本にいる選手が限られてしまいます。強い選手を選抜して代表チームを組むのが難しくなります。集合しての練習時間が限られると、顔見世のエキジビションならまだしも、真剣に向かってくる相手との無名選手との対戦でも難しくなります。細かい戦術の浸透とチームプレイが日本の強みとすればこの状態で世界の上位を狙うのは難しいでしょう。
陸上の男子400メートルリレーもバトンリレーが日本のお家芸で、100mでの個の力以上のものを4人が引き出して北京五輪で銀メダルをとっていました。100m9秒台の選手が頻出して最強メンバーと言われた2020東京では、それぞれの選手が100でも注目され、結局はバトンミスでリレーも惨敗に終わりました。リレーは明らかに練習不足と思われます。
もぐもぐタイムというおやつを食べ談笑するカーリングチーム。その仲の良さが、困難な練習を乗り越え、新たなアイデアを呼び、次のステージへと向かえるのではないかと思います。
ずば抜けた個の力も必要ですが、それをよく理解し連携していかないとチームスポーツは勝てないのではと思いました。

トップ辞任でコーチが昇格する危うさ 政治にも

サッカーや野球でも、成績不振の責任、特に優勝や予選突破等が期待されながら不振をかこると世論の非難も浴び監督が解任される場合があります。
その際、日本のサッカーの代表やJリーグやプロ野球チームだと監督更迭後、部下だったコーチが監督に昇格する場合があります。
トップの首をすげかえることで、選手たちに責任感、危機感を伝えることはできます。しかし、戦術や指導の点ではすでにチーム内にいたコーチですから、その人は何をやっていたのか、責任はないのかの疑問は沸き、力を出し惜しみしていたのかと思われます。
外国の場合、スタッフ毎入れ替えが多いようです。
シーズンや大会途中だと、急には人材の手当ができず首のすげ替えがやむをえないという事情もあります。
プロ野球等の場合、次期監督禅譲が決まっているような人がコーチで入閣しているケースも多く責任まで問うと、路線が修正されてしまうため、責任は監督一人に押し付けるケースもあります。
サッカーの1998ワールドカップフランス大会予選で加茂周監督が更迭され岡田武史コーチが緊急昇格し、プレイオフでイランに辛勝して初の本大会出場を決めたのは内部昇格の稀有な成功例です。
いい結果が出るかは未知数でも、まだまだ日本の場合、指導者は名選手、人気選手で元チームOBというのが期待されて、戦術や指導力より政治的要素で決まる場合が多いようです。
政治というと、次の首相選びもまさにそうなのですが、今や与党内での権力争いです。いくら人気があっても、現在の首相がコロナ対策で総裁選に出れないというのであれば現役の閣僚も当然無理なのではと思います。総理以外ならそんなに忙しくないと言っても、不人気の原因となった感染の拡大や,ワクチン接種の混乱、経済対策等で同じ閣僚として何ら意見も言わずサポートもし切れなかった人が人気があるだけで後任を期待されるのはやはりおかしな話です。
日本では二大政党制はなかなかしっくりいかなかった感じで、こんなに政府に不満がつのっても政権交代とはいきません。せめて現政権では要職についてない人が組閣して、自民党Aー自民党Bで交代していくべきとは思います。官僚の緊張感からいうとこういう一新、交代は必要です。
そこまで人材はいない現状では、自分が閣僚時代に、あるいは与党内でなぜ政策が実現できなかったかも明確にすべきです。
また大臣、閣僚を本当に戦術特化した仕事をする人材に揃えることが求められます。勝ち馬に乗るグループ支援、論功行賞、派閥当選回数順の力学では今の危機は乗り越えられないでしょう。
日本は崖っぷちのトップ交代だということを、マスコミも含めお祭りごとではなく真剣に考えないといけません。

去り行く2021夏

今日から9月です。
季節は今月の前半から後半で大きく秋へとシフトしていきます。
何やら落ち着かない2021年の夏も去り行こうとしています。コロナは引き続き真夏なのに感染者は多く、ワクチンは効いているのか接種が進んでいるのかイマイチわからないまま医療体制が厳しいことで不安が広がります。
大雨の被害も出ましたが、自然災害や大きな人災、事故は毎年真夏8月に結構おこっています。元々帰省や祭り等のイベントもレジャーも多いためでしょう。
今年のように自粛をしていた年なら、かつての日航機の墜落でいたいけない命はあれほど亡くなっていないかもしれません。明石の花火大会での歩道橋事故や福知山の花火大会での露天商の爆発火災等はイベントそのものが無ければ被害者はいなかったことになります。
毎年の水難や山の遭難もこの2年は激変しています。
考えようで人生塞翁が馬です。
ただ毎年、山も海も帰省もレジャーもダメでは、やがて観光や運輸の産業も廃れ、業界も市民もストレスが溜まり自殺者が増えそうです。
塞翁が馬です。コロナで確率は低くても何人か亡くなり、他の病気や事故でももっと亡くなっています。ワクチンを打っていれば死ぬのは防げたかもしれない人も多くいれば、まれにワクチンを打っても亡くなっている人もいます。
人間、何が幸いか不幸か、どこで何が原因で死ぬかはわからないものです。
だからこそ、与えられた自分の命を大切しして、恐れず迷わず、目の前のことを一生懸命やって生きることなのでしょう。


北陸新幹線延伸さすがに見ることはなさそう

北陸へ行くのの昔は雷鳥、現在はサンダーバードが新大阪、京都からは乗り継ぎなしでいけます。
これが東京からの富山、金沢周り北陸新幹線が敦賀まで延伸すると、関西からは敦賀で乗り換えしないならなくしてしまうようです。
京都から新大阪は駅周辺は大深度工法で、京都府南部の学研都市松井山手あたりを通すらしいですが、今さらの京阪新路線が25年後に本当にできるのかちょっと生きてみれそうにないのが残念です。
そのころはリニアの延伸も実現していると、今さらの新幹線になるのかというのもよくわかりません。
とりあえず目の前には敦賀~金沢の北陸新幹線が開通するのとその平行在来線はJRから切り離されます。
関西からJRの在来線で富山、新潟までも行けたのが金沢、福井にさえ直通では行けなくなります。
新幹線の大都市への速達とともに、不便を甘受しないといけない地域があります。
日本のあちこちの地域格差問題と同じです。地域全体としては新幹線が来るところはいいはずです。それでも難しい問題です。

花火をめぐる涼しい話

今年も大規模な花火大会を観客入れて開催は少ないですが、子供たちと小さな花火をやる分には構わないでしょう。
お盆の送り火の時期や、海水浴、夏の部活の集まりなどではよく花火をするものです。
線香花火に代表される手持ち型や、据え置きして火をつける吹きあがるような花火や、小型の打ち上げもありました。
いくつだったか忘れましたが、子供の頃、数メートル上がってポンポンと開く打ち上げをやっていました。
田舎のおじいちゃんの家の畑でやっていたのですが、風に乗ったのと火の玉が消えずに祖父に当たって祖父のアチチという叫び声と『空襲や』という声が聞こえました。
何だかそこにいるはずのない沢山のざわめきながら逃げる人の気配がしました。
祖父に申しわけない気持ちと『空襲』はオーバーやなと思ったのですが。後から考えると空襲と叫んだのはおじいちゃんではなかったような気もして少し怖くなりました。

京都白川 哲学の道で異郷の友を想う

「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」
私の学生時代までの友人にも元々実家が名門だったり、自分でもすごく努力や勉強をされすごく出世されたり上級国民、お金持ちになられた方がおられて、比較的平凡なサラリーマンで終わった者としてはたまに驚き、恐縮します。また今の仕事はサラリーマンで成人の生涯のほとんどを厚生年金加入で過ごした者には縁の薄い国民年金の手続き、自営やフリーター等の方がコロナで減収して月々の支払にも汲々として将来が見えない人ともよく出会います。
まあでも人それぞれで、職業や人間に貴賤はないとも思います。人は人、それぞれに価値の合う生き方をしていれば良いのです。
会社の同期の中でも取締役に登り詰めた者もおれば、早期にリタイアドロップアウトした者もおります。
元々、好かれる嫌われるの割合で言うと前者が少ないマイペースな方なので、付き合う友人は限られた個性で、お互い立場は変わってもこの変わらぬマイペースさを好むようです。
早くに取締役に出世しても結局激しい権力闘争に敗れ、人生を失ってしまった友人もいて、「お前はいいよな」と最後に会った時言われて、その後彼の死を知った時、いろいろ感慨深かったものです。
京都の東山、白川沿いに哲学の道という、今では観光客の多い散策路があります。哲学者西田幾太郎が歩いたことで冒頭の文言の碑があったりします。
早期に同じ会社に昭和57年4月入社した、ある友人はその8月にリタイアした旨の手紙をよこします。
「すまんが、この会社のつまらん先輩にはついていけない。僕は国家公務員上級を目指す」

それから1年ぐらいして、上級試験に受かったことと、君はこんな会社で好きな部門にいけそうかとかの心配をしてくれた。
辞めた詳しい経緯も、『パワハラ(当時そんな言葉はない)ほどではないが、同行する先輩の知性の無さに辟易とした。昼食休憩時間にサンケイスポーツしか読まない輩と仕事したくない。会社人事にはいい話ばかりで採用されたが、周りを見渡すとコネ入社コネ出世の危険な体質だ
後のこの会社の凋落、崩壊を予見しっていたのかさすがです。
「井上私)といつか、哲学の道を語りながらまた散歩したい」
入社後の研修合宿でよくしゃべり都島の工場での研修の休養日には大阪の街も案内した。
毎日の所感ノートや、朝礼スピーチでの斜め上を行く博学(雑学)、含蓄とユーモアが大好きだったと言われていました。
私のスピーチや文章は30年以上たっても、賛否両論で、好きな人は好き、嫌いな人からは総スカンです。
まあ、私以上に彼はどんどん忙しくなったのでしょうから、哲学の道を散策する約束は当然実現しないままです。もうそれこそこちらが定年でセミリタイアしているときに彼はもう雲の上の人になっています。
ほとんど外国に赴任している彼、一度だけ彼が国内の広報担当参事官についているときニアミスしましたが、声かけもSNSも気軽にできそうな立場ではなさそうなので遠慮しました。
海外に行くことが苦痛ではないでしょうが、中東等難しい上に、危険な国が多く、彼の語学力や使命感、交渉力等がもう考えただけで、桁違いにレベルアップしていることと思いたじろぎそうになりました。
あの時、サンケイスポーツを読みふける先輩に出会わなかったら、日本は国家的人材を損失していたかもしれません。

『いままたアフガン情勢で激動して、その重要な位置にある国の、総領事を務める彼の激務を思うと、大学を出たばかりの若い頃、青い話をしたことを懐かしく思い出します。そして、不穏な国際情勢の中、命を家族を大切にして、また日本人のため懸命に勤めて無事に帰還することを願っています。こんな私でよければいつでも散策の相手にかけつかたい思いです』

戦争が近くにある国やイスラム教が世俗に染み付いた国に長くいる君にとって、コロナ騒動やオリンピックで平和ボケした祖国はどう映るのでしょうか。
あの時、悩み苦しんで決断した以上の、苦労を味わい辛酸に耐えて君は大人になっているのでしょう。君にとっては多分私は変わらぬ青いままかもしれません。
世の中の大部分の同年代が、リタイアかセミリタイアを迎えるか、まだまだ生活するために安い賃金で汗を流している時、国家のために日々を過ごす君はやはり傑物だったのだろうか。それとも何かの運命に引きずられたのだろうか。
上に行けば行くほどこの世の中、首相や大臣でさえ自由きままには働けず、どちらを選んでも憎まれ後悔するような選択の日々なのかもしれない。それでも君の選んだその道に間違いはないはずです。
あれから40年、君の友人だった私は全く別の道を歩んだ。きっと40年近くを経て、あまり出世もせず、定年を迎え、変わっていない少し斜に構えた、でも少し癒され考えさせられるという文章を書き続けている。
「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」