矍鑠(かくしゃく)と歩かれる老人に胸が熱くなる

毎朝通勤ですれ違う、リハビリ中の御老人の女性がおられます。
両脚にサポーターを巻き、杖を突きながらも一生懸命歩かれます。
外に出るのを恥ずかしがり、歩くのをモノグサがった母を思い出して、敬意の念を持ちます。歩けること、歩き続けられることは内臓や筋肉の老化を予防します。QOLを高め、他人に頼らず一見恥ずかしいようで自分の尊厳を保ち続けられます。
翻って自分もそこまでできるか自信はないです。でも見習いたです。つまらぬ意地やプライドを捨て、一生懸命歩くこと。健康は何よりの老後の財産です。

花火のない夏

夏祭りも、花火の中止ばかりで寂しいですね。
戦争で死んだ人の弔いでもある各地の由緒ある花火大会が中止になるのは、とても残念な気がします。
花火それ自体は、毎年丹精こめて花火師が作り上げた芸術です。それを打ち上げ、会場で観るのは多くの人を集めないといけないです。コロナウィルスの感染拡大防止のためしかたのないところです。
医療従事のご苦労への花火は良かったです。
まあ花火、芸術やスポーツは不要不急ではあります。未だに世界のどこかの国、地域では戦争で芸術もスポーツもできない。花火など爆撃を思い出しとんでもないというところもあります。そんなものにお金をかけるなら、食べるモノに回して欲しいという国もあります。
日本人が一年くらい花火を我慢する。スポーツイベントやライブを我慢することぐらいはたいした苦行ではありません。
経済として生業とされている方に対して何とも本当に申し訳ないです。
花火がなくとも、祭りがなくても心の中に輝きを持つことは可能です。

夏越の6月30日

水無月を食べて茅の輪くぐり。ちょうど激動の2020年も半分すぎます。
長いようであっという間の半年でした。
皆さんもコロナの騒ぎでいろいろな思いを馳せ、早いのか遅いのかわからない時間だったのではないでしょうか。こんな時こそ、半年を振り返り自分ができたことできなかったことを省みてじっくり点検することです。
一年のやりたいことが半分できたでしょうか。今年中にやりたいと思ったことは予定通り進んでいるでしょうか。コロナ禍は得てして言い訳にはなります。実際にコロナのため、予定通りいかなかった。後退をした。大損した。状況はあるでしょう。でも自分の心に決めたことがどれだけできたか。コロナ抜きで考えてみましょう。

旅に出れるかな? 2020年夏

2020年夏、青春18きっぷのような不要不急の旅は許されるのでしょうか。
今のところ最終決定ではないですし第2波や帰省の予約状況や感染具合にもより流動的です。予定では7月20日~です。
GO TOキャンペーンという国内旅行促す施策があるので何とか旅に出たいものです。
外国人も少なく、学生生徒も夏休みが少ないため、大人の日本人が旅に出ないといけない気がします。
コロナが消えてるわけではないので、手洗いうがい消毒、感染予防と体調管理を万全にして少し旅に出たいところです。もちろん予定に縛られず少しでも体調が悪くなればキャンセルするスタンスは必要でしょう。

人間ドック

昨日は1年2ケ月ぶりに健診。例年誕生月の5月には健診してましたが、コロナの影響で遅れていました。
人間ドックで胃カメラは3年ぶりでした。幸い、大して悪いところはなかったようです。左目の視力が落ちた程度。あとは胆石、前立腺等は年齢がら気にはなりますが、概ね血液や心電図、尿検査等の値は健康な値でした。
医療機関、大変な時期は過ぎたのでしょうが、抗体検査も始まりこんでいました。暑いのにマスク、シールド、防護服と医療関係者は本当に大変ですね。
注射とか胃カメラとか大の苦手な方もおられますが、私は献血もよくしてますし、鼻からの胃カメラにはだいぶ慣れましたのでとくに苦痛ではないです。仕事の一日よりも、ドック入りの言葉通りリラックスできます。
まあ検査費用を考えると、今後は綿密にドックでやるのは2年おきぐらいでいいかなと思います。現役ばりばりで働く人とはそこは健康にかけるお金は減らしてもいいところです。
これは年齢を重ねて60歳を超えたあたりの医療保険の見直しと同じです。
今さら病気が見つかっても一緒に歳を重ねるしかないかなと思います。もちろん健康寿命のため運動や食事バランス、、ストレスをためない等やるべきことはやっておきましょう。自分のため、家族にも迷惑をかけないためです。
健康でいられることに感謝し、またもう少し頑張っていきたいと考えるのです・。

自粛で不幸になった人の方が圧倒的に多い

仕事がら連日新型コロなウィルスの影響等で収入が減って青息吐息の方のお話しを聞きます。
正直自営の方で、稼ぎが何十万もあった収入がほぼゼロとか、税金や食費、家賃を払うと赤字というお話を聞くと本当に胸が痛みます。
しかも、免除や支援も残念ながら私個人は説明するだけの立場で、可哀想に思っても規定で適応されないこともあります。
かくも経済でダメージを受けた方を多く見かける反面、、実際にコロナに罹患した人はまわりにはほとんどいません。
コロナで死んだ人の数、重篤になった人の数は毎年のインフルエンザよりもはるかに少ない。
非常事態宣言の効果がどこまでかは検証できないので正確な比較にはならないです。
これほど外出を控え、うがい手洗いマスクの徹底をした経験はないから、比べようもない。
しかし、経済、消費の落ち込みで収入が減った人は圧倒的に多い。
今も毎日東京の患者が多いように報道されますが、ほとんど無症状の軽症で、死亡も少ない。それでも何のゴールもなくとも感染者の数をセンセーショナルに告げて、不安をあおるテレビのニュース。
連日、感染者の数だけを大きく報道することに意味はありません。経済を殺すだけです。
実際に収入がコロナ前と後であまり変わらない人が、自粛警察的な考えで、他人の批判と自分の正しさに酔いしれ、経済の回復を阻害している可能性にも注意しましょう。
他県からの異動者への仕打ち、マスクやゴーグルの強要など、まず自分がしっかりうがい手洗いすれば良いことで、今日見かけた他人の〇〇がどうのこうの呟くのはそれ自体心の毒です。
有名人が自粛期間に外に出れば自粛警察よろしく集中砲火する。戦前の隣組か婦人会のような全体主義の息苦しい社会にしてしまっています。
自粛を要請されたけど「出かけた、営業した」は犯罪ではありません。もっと本当の悪、犯罪をとりあげてもらわないと。どこの新聞、テレビも多少の左右寄りはあっても、横並びに「検察(警察)関係者への調べであきらかになった」ではマスコミの正義や独立などないです。

雨にも負けず、コロナにも負けず

いろいろ試練のようなことが起こります。
でも自然の恐ろしさは昔からありました。制御することは難しいのです。
これだけ科学が発達しても、予期することができないことは多いのです。
あっという間に昨日までに日常が消えてなくなるような不条理があり得ます。
諸行無常です。絶対の安定はありえない。
だからこそ日々を大切にし、備えて、憂い過ぎないことです。
ほどほどに、働いた後には休憩を取りましょう。
他人のことを心配し、ムダな争い事をやめる。しっとりとしなやかな生き方へ、雨の季節に見直しましょう。

コロナ後:密な美術館は遠慮

もともと混んでる美術館に並んで押し合いながら短い時間でお目当てをチラ見して帰るのがイヤでした。
コロナ禍で空いている施設、観光地もありましたが、あっという間に閉鎖になりました。人数制限をしながら再開。いいことにも思います。美術館、博物館はわいわい見るものではないです。あまり不要不急の人は来ない方がよいです。
上野の美術館なんかも本当に駅からすごい人で、東京の人の多さはケタ違いです。TDLでもそうなんです。これ以上価格を高く設定しないといけないジレンマはありますが、混みあって苦行を強いるだけでお金を払う人も問題です。
美術とか芸術のビギナーや素人を拒むわけではありませんが、付き合いやどうせ分からないという人はやはり邪魔です。
高価な絵が必ずしも価値につながらない場合もあります。美術館はロケーションも含めて楽しめなければと思います。
行列があれば並びたがるブームに横並びしたい。そんな考えはもうコロナ後には捨てた方がいいでしょう。

無観客で始まったプロ野球

先週6月19日から日本のプロ野球は無観客で開幕しました。
MLBはアメリカの感染拡大で開幕未定。
それでもひさびさの野球中継に、私も楽しみました。
これから感染予防体制を敷きながら観客を入れていく試みは、開催が微妙ながらオリンピックや他のスポーツの試金石にもなるでしょう。
観客席を密にしないと動員数に響き、その他の運営もWITHコロナはなかなか大変です。
プロスポーツの損益分岐点が上ります。
東京オリンピックは、規模縮小での開催も模索ですがかなりの赤字覚悟でしょうか。
サッカーも含めプロのチーム運営も相当厳しいところです。
それでもやはりスポーツへの興味はみんな持っています。
いいプレイを続け、スポーツの面白さを伝え、視聴率や動員数をあげて欲しいものです。
野球放送で気になったのは、地上波でのCMインターバルの長さです。
こんなにスピード感のないぶつ切りで3時間では、サッカーやラグビーにも大差をつけられます。戦後のテレビ普及時代でもあるまいし、攻守交替をきびきびして3回表裏ごとにCMタイムでいいのではと思いました。
レギュレーションも今にあわせどんどん変えていかないと野球はアメリカと中南米、東アジアぐらいしかやってない地域スポーツのまま衰退していきそうに思います。
体育会OBは伝統にうるさく保守系の人が多いです。プレイヤーとファンの満足度のためどんどん改革していくべきです。

コロナ後:身の丈にあった経営と消費

一時期インバウンドで外国人があふれていた頃、まさにバブルというべき現象が京都でも起こっていた。おそらく各地の観光地でもあるあるだったでしょう。
観光地の近くの、一般向けの商店にも人があふれ、外国人向けの何でもないものが、仕入れれば売れるような現象。
名前を挙げて悪いが、伏見稲荷の近くの商店街等もそうでした。結果、街もゴミで荒れたりするが、閑散としがちな街の商店街が観光地に近いだけで化けたのだ。
こういう現象は、たとえば破綻というか店仕舞い寸前だった和菓子や伝統産業等も救ったメリットもあった。
しかしホテルや飲食やショップでインバウンドをあてこんで拡張したり、過剰に投資や仕入れをしていた者は大きな危機を迎えています。
「身の丈」に応じたものでない「バブル」はやはり弾けました。
良いものを作り、素晴らしいサービスをしていれば日本人も見捨てないし、グローバルで売れるモノもあります。
当たり前ですが、入れ食いで客が来るからと値段を上げてサービスを下げて回していただけなら、もうこの危機は乗り越えられません。
グローバルに売れるモノを作るのはコロナ後も滅びはしません。日本人の繊細な文化、、創造的な力はこの先も世界に打って出れます。
そのためにも変に身の丈以上に儲けることはいらない経験だったのです。