一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

ウソばかりの時代 AIでフェイク画像が進化 

 Ford.Tord.Tさんの写真より修整

 政治家や新聞、テレビ局も証拠の捏造、偽装などウソばかりつく時代ですから、もう街やネットにはウソがあふれています。
 先日NHKのクローズアップ現代でも、卒業アルバムの写真から、好きだった女の子の猥褻写真をAIソフトで作り、本人にも見せた愚劣な犯罪も取り上げていました。
 Googleピクセルで画像の合成や修正が無料でカンタンにできるわけですから、有料ソフトで、卑猥な合成であたかも本物のようなフェイク画像や動画をつくるのも、それほど難しい時代ではないわけです。話は少しそれますが、私は卒業アルバムをもう持っていません。家もそうスペースがないし、転勤も多かったですし、早めの終活です。偉大な家長でもない限り、写真や賞状、トロフィーなんか残された者はそうありがたくもないです。若い頃の思い出とか、当時の友達の写真も、時間が経過してから今さらみて懐かしむ行為というのは、私は好きではありません。

 話がそれましたが、卒業アルバムやスナップなどそういうものが犯罪に使われたと聞いてからでも少なくとも数年は経過します。その後、技術や蓄積された知見も進み、悪質なものがフリーや有料で出回っています。昔は写真の現像技術や機材、場所も必要でそれでも稚拙なレベルでしたが、今はパソコンで素人でも慣れればかなり巧妙で、本人が気づかぬうちに裸を撮られたと勘違いするほどの出来ですし、作られたとはいえそれを見た本人はショックも大きい話です。

 アイコラともいう以前から芸能人のものも巧拙あるものの出回っています。
 一般人の卒業アルバムで好きな人の性欲を思いを浮かべるのは自由ですが、具体的なものにして、本人を傷つけるのは愚かな犯罪です。タチの悪い犯罪につながるソフトは手に入らないようにすればと思うのですが、そうも行きません。個人の自覚、倫理観に委ねるしかありません。最悪、もう卒業アルバムも顔写真NGなどという時代になるのかもしれません。

 防犯カメラなどの証拠画像も、ドラマなどではよくフェイク画像が使われたりします。巧妙度合いは高まるでしょう。

 30年以上昔、ある女性芸能人が整形を重ねたと噂される熟年の写真集を出して、それを別の男性タレントに「改造人間」と揶揄され面白おかしく辛辣に語られ、裁判を起こされた訴訟騒動がありました。今だと、それほど珍しくもない年齢でのヌード写真集はざらにありますし、整形も大学生の就職でさえ多くの割合で行われています。タレントの写真集など、もはや整形やダイエットをしなくても、カメラやデジタルの技術で修正できる時代になってきています。一時期リベンジポルノというのも問題になりましたが、そこまでの関係にない、ただ卒業アルバムや遠くから撮った写真を入手して、元恋人のようにポルノ写真が作れるのですから、そんなものを流されたら当人はたまりません。

 作られた画像の裸を見て「私ではない」と泣き叫ぶ人もいれば、作られた美しい肢体の裸像の写真集を「私のカラダ」と誇らしげに宣伝する人もいるわけです。

 もはや、真実は分かりにくい時代です。AIの写真も最初は丸わかりの感じでしたが、今は本物とかなり区別は難しい精巧なものができてきています。著作権以上にAIでできたパーソナリティが人権を訴えてきそうです。

 
 

こんな日に不快なテレビ局社長会見

 日本人は地震の避難所などでも礼儀正しく並ぶとか言われますが、逆に言えばおとなしすぎて、「長いモノに巻かれる」「付和雷同」なのでしょう。
「大人の事情」「ホンネとタテマエ」などがまかり通り、結局権力者、上層部のとんでもない暴走を止められないのです。
 誰かが言いだすまで、何も言わない、言えない。スキャンダル雑誌でスクープされ、海外メディアで取り上げ、海外の投資家が騒ぎ、ネットで騒がれだして初めて、日本の新聞やテレビ局が報道しはじめる。なんという体たらくなのかと思います。

 それでもNHKやフジテレビや朝日新聞が取り上げたら、やっと真実だと信じる人が多いのです。
 みんなおとなしい真面目な人が多いのです。だから、マスコミはしっかりして欲しいのです。
 オールドメディアとひとくくりで揶揄されるテレビ局や新聞社ですが、阪神大震災のドキュメントはじめ、それぞれ一人一人はちゃんと普通に目の前の仕事をしているのが分かります。
 30年の間に、労働者の権利は拡大に法的にも改善され個人は尊重される時代になったはずです。多くの古い企業が淘汰され、ガバナンスがしっかりし、コンプライアンスの規定ができ、パワハラやセクハラは告発できる健全な企業が増えていたはずです。
 ところがたとえば渦中のフジテレビ、社長は72歳、会長は87歳で40代から未だに隠然と権力を握っているそうで、先日100歳近くで総帥が亡くなった日テレ讀賣もそうですが、年齢だけでなく、この独裁の長さ、権力維持の構造だけでアウト、まさにオールドメディアです。

 とくに、フジサンケイグループというのは、毎日朝日の戦後の左翼系メディアに対峙したポジションで、親米一色の讀賣とも一線を画した保守層の期待を担っていただけに残念です。
 この30年以上の間、保守も左翼も親米も親中もクソもない、ただおふざけとカネと権力、女遊び人権無視の経営と言われてもしかたありません。

 普通の会社と同じように、コンプライアンスを遵守して、健全な報道や娯楽を提供できる会社になれば良いだけです。そのためには当たり前に、経営陣も幹部も一掃です。他のテレビ局も同じです。業界として似たり寄ったりと言われているのです。普通に今はどこの業界にもまともな企業マン、コンプライアンスを守れる社会人の経営幹部はいます。外部から登用して改革できます。

 大手スポンサーも総務省も経営体質が変わるまで一線を画さないといけないでしょう。

 高すぎるスポンサー料は見直し、ネットにシフトする割合が増えるでしょう。
 電通支配も弱まり、無駄な宣伝費はカットできメーカーの原価は下がり、良い商品が安くなり、一般消費者も大歓迎です。
 その影響はガソリンの暫定税率廃止よりずっと、国民にメリットがあります。国民も政治家もここに目を向けて、怒り、議論し吟味しないといけないです。
 放送法か自主規制でまともな選挙報道もできないテレビメディアなどに頼らなくても選挙で戦えることは先の兵庫県知事選挙でも証明されました。テレビ改革を公約に唱える政党が現われてもいいと思いますし、そこに気づく国民が増えないと、政治は変わらないでしょう。物価が高いとか税金が高いとあれだけ騒ぐのですから、中居くんが年収5億超えを20年続けていたことにもっと怒り、その構造に気づかないといけないのです。

それでも頑張って欲しいオールドメディア – 天使の星座

地上波テレビ局終わりの始まりの年 – 天使の星座

壊さないといけない古い組織が多すぎる – 天使の星座

30年の時の移ろい

 今20代の娘と息子、二人の子供たちはまだこの世に影も形もなかったんだと、改めて30年の時って長いなあと思います。今、ドラマで活躍する20代の俳優ももちろん、当たり前ですが阪神大震災を直接知っているわけではありません。

 50代だった人は80歳以上の高齢になっておられ、60代以上となると亡くなられた方も増えています。
 かく言う私も当時は働き盛り、今だとまだ若手バリバリの30代でしたが、もう還暦過ぎてるわけですね。
 30年とはそのぐらいの長さの時の流れです。
 その間にも東日本の大震災がありました。多くのエポック、イベントもそれぞれ経過しています。
 30年前はなかったスマートフォンが発展して、今なら電気さえきて充電ができれば、LINEなどでの連絡は取り合える時代ではあります。それでも電気や電波が途絶えスマホで通信ができないと、便利に慣れていた人間は反って生きられないとも言われます。
 コード決済ができず、やはりまさかの時のために現金は必要と言われるそんな時代です。30年前、存在しなかった発明もたくさんあり、それによっていつの間にか退化したのが今の世代かもしれません。
 当時、高校生や大学生だった若者もすっかり中高年なんです。やっぱり、30年、時代はもう平成だったのですが、随分時は流れ時間は経過したのです。

大連立 少数与党でも大政翼賛会でも良い政治を

 少数与党に転落した石破自民党が、財務省ら官僚主導で密に立憲民主党と大連立を組もうとしているという噂が真しやかに流れているそうです。

 財務省びいきで、消費税増税のもしてきた野田佳彦率いる立憲ですし、石破さんとも政策で共通するところもあり、あながち火のないところの煙と言えなくもなさそうです。
 そんなことになれば今の国民注目の「103万の壁」論争で、国民民主党と協議してきた内容など完全に反故にされそうです。

 党則、主義主張は違っても政権を取るためには野合するイメージの大連立ですが、過去にも似たケースがありました。今の自公政権も広い意味では政権維持のために当初は主義の違う公明党を抱きこんで自民党が強固な連合を作ったのが始まりです。

 戦前の大政翼賛会はもちろん知りませんが、何度か戦後、大連立の話は浮上し、またそれに近い連立も組まれています。
 今の自公政権の元は、1998年自民党が参議院選挙で惨敗し、いわゆるねじれ国会となり法案成立が難しく安定した国会運営をはかるため、小沢一郎自由党と、その後公明党を引き込んだ自自公政権が今の自公政権の原型で、これはまあ大連立というよりは数合わせの意味あいが強かったです。自由党の小沢一郎は何かと小渕首相に要求して困らせ、すでに公明党の参加で過半数を取っていた自民党は、自由党を切り崩した上離脱させて、保守党という形で残らせ、やがて自民党に彼らも合流します。扇千景党首、二階俊彦や小池百合子はこの時に保守党経由で自民党に参加しています。自由党から保守党に移ったメンツも政権を手放したくない甘い誘惑に負け、一度政権の利権の甘い汁を吸った公明党はその後、主張をどんどん保守自民党寄りに変え今も政権にしがみついています。


 それ以前には1994年、あの30年前の阪神大震災の時の村山首相を生んだ、自社さきがけ政権という今聴いてもとんでもない政権を奪うためだけの野合政権がありました。自民党が下野した日本新党、新進党、さきがけ、公明、社会党などの細川連立政権時代に、さきがけと社会党がまさかの自民党に寝返り社会党の村山首班指名で政権を奪い返したのです。力技もいいところで、その後、社会党は離脱させられます。この辺になるともう歴史になるうかもしれません。
 自民党は、この歴史で見るといつも権力を奪い返すには手段は選ばず、時には主義も政索も二の次で数合わせに走ります。何とか、安定した政権を握りたいのです。悪夢と罵った民主党政権がこけて自公政権に戻り、民主党はバラバラにあり、安倍さんの第二次政権以降安定した盤石の体制が続くと思いきや、裏金問題や物価高などであっという間に転落でカオスの状態です。
 近年の政治体制でも珍しい、少数与党です。予算は通しにくく、委員会も野党に議長をいくつか取られ、何かあって野党が一致すれば不信任案が可決する、不安定な政権地盤です。まして石破首相は党内でも派閥やグループに属さない弱い地盤です。
 それでも、野党の意見を聞きながら、細々と政策を進めています。参議院で過半数割れや、衆院選での不利予想が出る際や、あるいは憲法改正など重要法案を仕掛けたい時、これまで「自社さ」「自自公」以外にも、自民党は野党との大連立を模索しています。小泉内閣時代に前原民主党、麻生内閣時代には小沢民主党に、それぞれ大連立を持ちかけています。民主党政権時代にも、東日本大震災の時に、菅直人政権で谷垣自民党と連携か連立してみればという話も出ています。
 いずれも小選挙区制の二大政党による政権交代を否定したような大政翼賛会、大野合のような企みで、現実には至りませんでした。民主党政権誕生の少し前、麻生内閣時代は、もう次の選挙で負けるのは分かっていたので、自民党は小沢代表を抱き込み実現寸前まで行っていましたが、小沢一郎が党に持ち帰えるや党内では真っ向批判され、結局破談となりました。小沢の思いとしては、今の民主党の若いメンバーで政権を担っても、当面人気はあっても、とても海千山千の官僚や外国相手にまともに運営できないので、一度自民党と組んでも政権運営の練習をして、その後単独政権に結び付けた方がいいという意図もあったようです。
 この話が本当であれば、民主党政権未熟からの崩壊、分裂を読んでいたわけです。ある意味、実現していれば、民主党の中で能力のないモノ、思想があまりに左巻きは淘汰されていたでしょう。自民と民主が適材でポストを担い共同して官僚にもモノを言い、より良い政策に結びついたかもしれません。そこは少し残念に思うところで、その中で多くの民主党議員が結局陰が薄くなり、自民党に仕切られるケースもあったでしょうが、切磋琢磨して、しのぎを削れば案外良い政権運営ができたのではと思います。

 今噂されるケースは、あまりにも官僚主導で、大連立を組まれ、国民民主あたりの積み上げたものが反故にされるなら大変なことです。枠組み自体は大きな指導力とリーダーシップを持つなら大連立はありかなとも思います。

 過去の連立や実現しなかった大連立の時代よりも、ネットによる市民の意見の醸成も顕著な時代になっています。
 憲法改正もやがては必要とは個人的には思いますが、今はそれ以前の課題が多すぎます。まず物価や景気賃金、社会保障の問題を落ち着かせ信頼を取り戻さないと、防衛や少子化対策すら進めないでしょう。結局、政治が淀み「民」を見ることがなくなり、税や社会保障の負担割合があまりにも上がりすぎて、多くの人の信頼を失ったのです。他の国なら野蛮な革命につながってもおかしくないのですが、日本人の多くはおとなしい事なかれで進んでしまった、でも不満、でも生活できない状態で政治や行政にNOがつきつけられているのです。
 大連立もいいですが、何かをきっかけに「民」を見る政治に戻らないと、静かな沈没は止まりません。

 


 

2025年イヤな感じを吹き飛ばしましょう

 正月休みが明け、成人の日に祝日も終わり、いよいよ日常ペースです。
 今週は17日が阪神大震災から30年の節目の日、と思っていたら宮崎でも大きな地震のニュースが入りました。昨年の元日の能登半島地震もなかなか復興が進まないような気もします。
 阪神も東日本も季節的には寒い時期で、体調も戻りにくく、イヤな感じです。
 あまり煽るように最高レベルとは言いませんが、インフルエンザ、コロナ、それに呼吸器感染症が流行しているようです。
 私も年末に家族がインフルエンザになり、自身熱はそうでもなかったのですが、平熱に戻ってもしばらく咳と痰の出る上部咽頭炎のようで不調でした。

 2025年ということで、西暦の1の位に5のつく年は10単位の周年になります。1945年が終戦の年ですので、戦後80年でもあります。
 もうモノごごろついた頃の戦争を知って語れる人がどんどんいなくなってこれはこれで、問題もあります。関西であの阪神大震災を知る人でももう30以上なのですから、時の移ろいは早いものです。 

 還暦も過ぎると、たいていの人が一度は入院など重い病気を経験し、自分の身体の特徴、弱点のようなものは知っているのではないでしょうか。
 人生の恩師、先輩や上司の世代ばかりか友人もどんどんなくなっていく世代で、それだけに身体のこと、健康やメンタル、そして自分の軌跡が気になるものです。

 そんな節目的な年ですが、相変わらず政治も経済、国際情勢も、景気の良い話も幸せそうな話題、平和なエポックも聞こえてこないです。

 大阪・関西万博はありますが、あまり盛り上っては来てません、始まれば盛り上がるとは言われますが、ここから上げてこれるでしょうか。

 若い方、高齢の方もそれぞれの人びとの中で、自分の軌跡を見つめ、今年に期すもの、やりぬきたいことが実現でき、夢がかなう年になりますように前に進みましょう。
 そうすれば社会も経済も前に進みます。
 そのために少し我慢したり、いつもより考え、調べたり、相談したりして頑張ってみようではないですか。自分さえよければ、自分だけ逃げ切ればいいいのではないです。少しでも回りの人を助けられればと思うことが大切です。

 世代も世相も「順風満帆」とはいえません、追い風だけを期待して愚痴ってもはじまりません。逆風を利用してうまく波を読み角度を利用し舵を取り、前に進むことはできるそうです。「逆風張帆」というそうです。前に進む気持ちが大切なのです。

サイズ小さく、品質を下げてまで値上げしないのも困る

 良い商品があって、生産者、卸も小売も儲けて、手ごろな価格で売れればそれに越したことはないです。

 しかし、原材料費や人件費、円安などさまざまな要因で、物価が上がっています。主食のお米は昨年の夏以降、5キロが以前の10キロの値段で倍ぐらいになっています。
 それでも入手できた新米のブランド米はやはり美味しくいただいています。

 他の食料品、加工品も生鮮も右肩上がりです。加工品は一度上がれば下がることはないでしょう。野菜や魚、肉は乱高下しますが、今はキャベツなど冬野菜が高いなどとニューストップにもなっています。毎冬買うみかんも1.5倍ぐらいの価格になっています。

 米やみかんなどは、多少のグレードはあっても、その年の出荷ですし、見た目でチエックしやすく水増しも、安物混入も比較的難しいので価格をそのまま受け入れるしかありません。

 サイズのわかりにくいパックされた、加工品、半加工品はダウンサイジングという手で、値段は据え置きに近くても量が減っていたりして、少しタチが悪いです。

 もっと、タチが悪いのは、勝手に品質を落とした安い材料にされてしまうケースです。原価がどれくらいかわかりにいくいもので、真面目に同じ商材で作っていると相場通り高くなるので、どこかで帳尻を合わせてしまうケースです。

 ピザやラーメンが500円のまま、コンビニやイートインコーナーの珈琲が100円のままなのは価格的に助かりますが、品質が劣化していては困ります。

 コンビニの珈琲も100円で挽きたてが最初にセブンイレブンで販売された頃、喫茶店のものとそん色ない味で重宝していました。今は少し値上げしましたが、珈琲の相場はもっと上がっており、喫茶店の珈琲は3割以上上がっています。年末に奮発して買った、実家の商店街にある行きつけの珈琲店の豆は確かに美味しかったです。これを呑んだあとは、最近のイオンやコンビニの安い珈琲はもういけません。

 珈琲は本来、薬効があるほど、健康的な飲み物です。香りやコク、苦みなど、品質により絶妙な味のバランスもあります。劣悪な豆は混じっていても、豆のままをじかに見る機会がなければわからないですが、ディスカウントなどで売られていた安い豆は、病気の豆や劣化した豆が混じっていて、薬効どころか身体にも悪く、香りや味も楽しむどろろではなくなります。

 値段を決めるのは難しい問題です。安く維持されても、品質が落ちて行けば困ります。鶏卵が物価の優等生と言われた時期もあり、最近は少し値上がりしましたが、ずっと安いままの頃鶏の環境は悪化の一方を辿り、栄養価はどんどん落ちていました。
 コンビニやイートインの安い珈琲もそこに似たような感じがあります。
 値上げは生活には厳しいですが、健康に悪いモノが出回るのは最悪です。世の中のいろんなものがそういう感じは困ったものです。

時代劇かサッカーか

 子供の頃、三菱ダイヤモンドサッカーという番組があって、関西だとUHF局で細々と放映していました。ワールドカップやイングランドリーグ(現プレミア)の試合をリアルタイムからは大きく遅れて(半年以上などもザラ)しかも前半後半に分けて45分番組でやっていました。子供には野球人気全盛の頃でしたから、コアなサッカーファンでないと見ていなくて、戦術もテクニックも今とはだいぶ違いますが、芝生もキレイでパス回しや、シュートの精度などは今見ても面白いレベルだったとは思います。
 親や兄弟、祖母などとチャンネル争いしながらの観戦でした。大河ドラマもですが、昔は時代劇や戦中のドラマも毎日のように各局でやっていました。

 今は時代劇は衰退し、歴史ものというと大河ドラマぐらいになりました。

 今回の大河も、いろいろ物議を醸していますが、非常に若い人気の俳優が出ています。それでも、食事時に見てると子供世代は見向きもせず、DAZNなどで欧州サッカーを見ていました。
 チャンネル争いはないですが、少し別の嗜好も話しながら家族でテレビを見るということが無くなった時代で寂しいような感じです。
 時代が移ったなあとは痛感します。

牛飲水為乳、蛇飲水為毒「巳年、禅の言葉」

「牛飲水為乳、蛇飲水為毒(牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる)」という禅の言葉があります。
  同じ水でも、牛が飲めば乳となり、蛇が飲めば毒に変わる。 転じて、同じものでも使い方によっては薬にも毒にもなるということです。

 会社や大きな組織でが、業務を誰がやっても均一したクオリティ、同じ所用時間にするためのシステム構築やマニュアル化が進んではいます。

 しかし、ある程度相手があり環境を読む有機的なプロジェクトなどでは、Aさんに頼んだ時、Bチームに頼んだ時、外注のC社に頼んだ時によって結果、成果は大きく変わります。

 社運や人生を賭けた選択、そこまで行かなくても小さな選択場面で、その人それぞれに与えられた素材をどう味付けするかで、局面は替わり、結果は大きく変わります。
 何を与えられても、決まりきったやり方でやっつけ仕事しかしない人は、チャンスを逃し、ミスを見落として、組織に不利益を与えます。

 同じ食材を使っても、一流の料理人と、素人では全く違う料理になるのと同じです。

 現代は、一見マニュアルが進み誰がやっても同じに見え勝ちです。
 だからこそ選択の場面は重要になります。
 他人より一歩進んだ、気の利いた仕事をしたいものです。
 組織の毒にならず、乳を与えられるか、巳年ですが禅の言葉では蛇は悪役です。

公務員なら37年も続けられなかっただろう

 会社時代の上司が、年賀状に「前立腺がんで4カ月半入院した」と記されていました。電話をしてみると。大変感謝され懐かしがられました。
 しかし、まあ若くして切れ者の本社エリートから関西地区の総責任者となり社長候補の一人とまで言われた方でしたが、声や話の内容はさすがに老いた高齢者のものでした。
 10年ぐらいの先輩やそれ以上の方は、激務をこなしながらも60歳で定年で少し楽な延長をして優雅にリタイアされている方が多いです。この上司の場合は職階も上ですが、10年くらい上の世代になると、退職金や年金の額も違いますし、関連会社も含め、終身一企業でしか働いていない方が多いです。

 平均寿命も違いますが、先輩方も定年後優雅な年金生活と思われても、楽しむ期間は意外に短く、鬼籍に入られたとか、患われている方もよく聞きます。

 65歳にして、「裁判所でフルタイム事務官やってます」などと言うと、驚くあきれられる反応がよくあります。

 私の場合60歳で、再雇用は選ばす民間企業を定年で退職しました。同年代にも、そのまま勤め無い人もおれば、再雇用の道(役員や、定年なしの会社の人も含む)を選んだ人もいます。私は65歳の今の年度まで5年別の仕事で働いたことになります。
 アルバイト含め、こういう働き方の人もいます。もちろん、自営業など、まだまだ働いている人もいますが。大学を出て37年の60歳、42年の65歳区切りをつけた方は多いでしょう。
 42年同じ会社という方にも尊敬と驚きに値しますし、その方はそれが当たり前と卒業されたのでしょう。
 私が37年で定年でも、いい加減長い間という感じでした。プラス、5年の中で今は裁判所公務員の2年目です、年金事務所も公的機関なのでみなし公務員とも言えます。37年民間企業で5年公務員のようなものです。

 公務員的難しさ、楽さや良い面もありますが、大卒でそのまんま公務員だったら37年は勤まらなかったとは思います。今やってみて公務の新鮮さと面白さ、合っている面もありますが、やはり長くは無理です。飽きます。高校、大学時代からもっと勉強して官僚とか裁判官とか検事、公立施設の仕事とか目指すなどというのは、も生まれ変わっても間違っても選びはしないでしょう。

 民間企業だって、大手とは名ばかりでカネボウという会社はブラックで入社した時からもう経営は傾き破綻の道でバブル時代の恩恵もありません。公務員よりは賞与も給料も少ない時代が長かったですし、倒産しそうになり賞与が止まり、給料一律減額という時もありました。
 それでもやはり自分は企業で売上を伸ばすためとか、企業業績のために、いろいろブランドやマーケティングを身につけて、提案のスキルを磨き、仕事してきたのが一番性に合って、輝いていたとは自負しています。

 でも人生はいろいろです。この年になって公務を選んだ人と、出会い関わったことは本当に良い経験でした。
 今年は66歳を迎えます。健康寿命というといろいろ考えないといけないですが、これからも何が起こるのか楽しみです。

還暦からの人生戦略

 知の巨人とも言われる同志社大学神学部佐藤優さんが、アラカン世代に向けて書いた本です。彼の本としては気取らず比較的分かりやすい内容です。
【紹介文より】
 最高の人生にするための“還暦後の設計図”を提示します。「人生百年時代」となり、還暦以降の時間をどう使うかが大きな問題となってきます。漫然と死に向かって時間が過ぎるのを待つのか、生あるうちにできることを追求するのか――。誰しも、自分の生涯を充実したものにしたいと思うはずです。それには、還暦をすぎた時点でお金、人間関係、教養などの棚卸しをして、この先に備える必要があります。また、死にもいっそう近づくことから、確固とした死生観を持ちたいものです。

 働き方やお金の使い方、貯め方というのはこの世代向けに他の人も良く書かれているので、さほど真新しくもないのですが、なかなかこの世代の人は本当に満足し幸せになる設計をにわかにと言うと難しいものがあります。

「老い」と「死」あるいは「病」といった受け入れづらい、宿命と向き合う世代です。どんなに願っても活気に満ちた若い世代には戻れないのですが、いかに老いに向き合い、楽しんでいくか、かく言う私も60歳、65歳と節目の時期や、時折寂しい気持ちに苛まれます。

 リタイア後、毎日が日曜日、旅行にも気楽にいけ、趣味に時間が費やす優雅なシルバーライフという方もだんだん減ってきています。退職金も年金も少し上の世代に比べ大きく目減りもしています。寿命が延びていると言われる割には、働ける環境もなく目標もなく、何年かすると急に老け込む人、健康を害したりする人もいます。
 メンタルでも、自分の生きてきた時間や、今の時間も、これからの時間も何だか、価値のないどうでも良いものに思える時は誰にもあります。

 でも、それは気持ちの波のようなもので、何かに打ち込むとふと忘れていたように、良い方向に過去も現在も未來も見えてくるときが来ます。
 スピリチュアルな宗教的依存ではなく、禅的な感じで心を整えていくことも必要な時期かと思います。

 過ぎ去った時間など、戻りようがないことを考え悔やんでも仕方ないし、無理に良かったと思い込んでも、今からの未来にはつながりません。
 今ある、お金や健康、能力、人間関係をざっくりでもいいので棚卸してみて、これからどういう風に生きるか考えてみることも大事です。
 ファイナンシャルプランナー的な、設計です。棚卸はある程度客観的にすべきですが、考えることは楽しく、好きなことをやるには、どう取り捨て選択するかを楽しみながら考えればと思います。

 みんな決して楽には生きていないですし、なんだかんだ苦しんでそれを乗り越えています。
 お金のこと、健康のこと、寿命のこと、しっかり前を向いて備えた方が結論としてはいいに決まってます。こういう本や、このブログみたいな文章の提案内容がいいのかは別として、考えずに、何事にも備えずに悩み落ち込むことは避けましょう。