一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

学歴、職歴、収入、資格がエライわけではない

 私の母などもよく、「京大に入れるから頭がいい」とかいう他人の評価をしていました。
父母やその上の世代では大学に入る人も少なく、特に女性ではせいぜい女学校でしたから、大学がどういうとこら、どんな試験で入れて何をするのかあまり判っていない畏敬だけなのかと思います。
「あの人は東大を出ている」「お医者さんだから」「霞が関の官僚だから」「司法試験に受かった人だから」「大学教授だから、博士だから」どうもこういう安易なレッテルで人の頭の良しあしが決められる会話を聞きます。
 家系がみなお医者さんだから、みんな賢いわけではなく、家業を継ぐために勉強をしたり、準備をしそれに継ぎこんだ結果なのではと思います。家が工務店、農家、飲食店、寺院なら別の準備があるということではと思います。
 難関大学の入試や国家資格なども、経済的にそこそこ恵まれていないとそう簡単に準備して受かるものではありません。また記憶容量やその分野での理解力や考察力であって、必ずしも人生を乗り切れる頭の良さとは限りません。
 大きな名の通った会社や大学、先生と呼ばれる職業やエラそうな地位を聞かされるとなるほどとは思いますが、だからその人が絶対的に優れているかではないのです。
 私は女性の多い会社に入り、当時は学歴的には上でしたが、そんなものは少しも役に立ちません。そして、最近でも錚々たる大学を卒業した人のポンコツぶりも見てきました。今は司法試験合格者、院卒、ロースクール卒、国家公務員キャリアも周りに沢山いて逆に私はカースト下位にいますが、彼らはもちろん優秀なのですが、地頭というのか整理する力、コミニュケーション力がなかったり、気配りがないなど、残念な点も多々あります。
 結局、日本で最も難関を突破しても「東大が出たけれど」「司法試験は受かったけれど」「海外留学したけれど」その投資と期待に見合う人生になるか、頭が良いと言えるかはわからないものです。
 写真はイギリスの司法制度を学んで帰国された裁判官のお土産です。この人ももちろん優秀です。

湖西線50年、北陸線、サンダーバード

 踏切のない高規格腺として、颯爽と開業した湖西線。今年で50年だそうです。雷鳥から名前の変わったサンダーバード681系683系もJR化後すぐの特急車両なので、快適さんは維持されていますが、かつては富山、金沢まで一直線だった名門特急も敦賀止まりの短い区間特急になりました。
 今は結婚した娘が高校生の時、七尾の友人の実家に遊びに行くとき、夏休みの繁忙期で全く予約が取れず、ほとんど立ちんぼでそれでも快適だったと言っていたのを覚えています。
そのJR西日本を代表するサンダーバードと、経由していた北陸本線が新幹線開通で三セクとなり大幅に区間が短縮しました。
 湖西線も50周年というと、通過する駅、施設もさすがに経年の疲れを感じさせます。
 北陸新幹線がいつ延伸するかどちらに延伸するかも定かではなく、681系も登場から30年をしてリニュアル工事はしているものの、これからこの短区間の連絡特急をいつまで続けるのか読めないところです。
 北陸線には、蒸気機関車が走ったさらに昔の旧線区間のトンネル遺構、湖西線にも前身ともいえる非電化の江若鉄道という私鉄の遺構があります。北陸新幹線ができると、今のサンダーバードは無くなりさらに世代が交代していくのかと思うと時の流れを感じます。
 最新鋭の特急と思われたサンダーバード681系、683系も新しい新幹線の最新設備の重厚な車両に比べれば、さすがに見劣りします。時代の寵児ともてはやされてもいつかは脇役に回り、引退、承継の時を迎えるのは、人も電車も同じです。

平均寿命,平均余命,健康寿命

ファイナンシャルプラン、社会保険、年金などでは平均寿命とかの言葉がよく聞かれます。残りの人生の期間を算出し、どのくらいの支出に備えるのかです。
 平均寿命も、毎年伸びています。男性でも81歳ぐらいになってきています。若くして事故などで亡くなった人もいますから、今の中高年の方の余命はそこからさらに少し先となります。
「長いなあ」と感じる人もいれば「まだまだ生きられる」と思う人もいます。人生100年時代というのは、生物学的にも実証されているようで、目だとか内蔵などのパーツは120年以上もつようになっているそうです。脳科学の話で聞くと、100歳まで脳は成長するそうで、還暦というのは成熟してから期間としてはまだ半分なのだそうです。

 それでも、著名人の訃報などを目にすると、60代後半から増えだし、70代に入るとイッキに増えます。持病や事故、不規則な生活など、自分にはあてはまらないと楽観する人もいますが。100歳まで生きる人が平均を上げていることを考えると、60歳ぐらいから亡くなっている人はかなりいるわけです。平均の数値を植え付けられると、多くの人がそのポイントで一斉に亡くなるように思われますが、そんなことはないのは少し考えればわかります。
 繰り下げの年金制度で、年の年金額を増やそうと貰うのを遅らせても結局貰えないとか使うこともなく死ぬ可能性はここにあります。優雅な老後と思いながらも、結局はこの年齢になると命はあっても、病気で療養という可能性もあります。健康寿命は平均寿命マイナス10と言われます。そうなると、まだまだしっかり歩き、活動できる期間は案外残り少ないのが中高年の現実です。
 だからこそ、いろいろ健康に気を使いながら、お金は大切にしつつ使い、やっておきたいことをやり、会いたい人に会う、悔いのない毎日を過ごすのがベターと思います。

ナツイチどくしょ

 紙文化をビジネスや公務では淘汰されるところに関わりながらも。読書に関しては、未だに紙主体です。
 しかも、昔ながらの文庫などで小説を読むのが好きです。さすがに単価高騰で一時よりは時代の流れで電子書籍も読みますし、図書館も利用します。amazonで取り寄せ、ヤフオクで古本も買いますがやはり本屋をブラッとするのが好きです。
 文庫本も随分高くなり、昔の新刊のハードカバーと変わらないくらいの1000円超えもザラです。
 そんなもの好き以外誰が買い、読むのかという、文庫を紹介する小冊子が毎年シーズンごとに並びます。新旧の出版社推しがまとめられ、これもなかなか面白くフリーなので手にして持ちかえります。
 カドカワ、新潮。集英社、まあ老舗とも言える大手が揃い、今は文庫の出版社の数だけが増えて、大型書店では棚も増えました。あとは岩波、講談社、中公ぐらいで、マニア向けにハヤカワ、創元がありました。宝島、祥伝社とかは昔なかった新参です。ホラーとか時代とか専門も文庫もあります。

 海外ミステリ、SFの廉価版、文庫本といえばハヤカワもしくは東京創元社でした。
 国内の作家もSFなどはハヤカワのマガジンから掲載スタートで出版という流れがありました。創元もミステリの若手登竜門で本格はじめジャンルを広げていました。
 それでも、出版不況で、書籍離れの時代です。直木賞だとか、このミス、SF大賞とかでも売れる部数はしれていますし。それ以外の作家の部数は厳しいものです。
 個人経営の商店街などの本屋さんは激減する中、出版社も結構潰れています。それでも、かつて大都市の繁華街の書店でも、十分展開もできず、ロジスティックも弱かったハヤカワや創元が未だに続いているのには驚きまます。
 比べるのも変ですが、赤字ローカル線や、赤字のスナックならとっくに破産、撤退、解散してそうです。

 いびつな出版文化ですが、電子書籍が広がりつつも、元から小説を読もうなんて人が古臭い保守の人間が多いので、しばらくは延命しそうなので、今のうちに楽しみましょう。

ナツイチどくしょ

 紙文化をビジネスや公務では淘汰されるところに関わりながらも。読書に関しては、未だに紙主体です。
 しかも、昔ながらの文庫などで小説を読むのが好きです。さすがに単価高騰で一時よりは時代の流れで電子書籍も読みますし、図書館も利用します。amazonで取り寄せ、ヤフオクで古本も買いますがやはり本屋をブラッとするのが好きです。
 文庫本も随分高くなり、昔の新刊のハードカバーと変わらないくらいの1000円超えもザラです。
 そんなもの好き以外誰が買い、読むのかという、文庫を紹介する小冊子が毎年シーズンごとに並びます。新旧の出版社推しがまとめられ、これもなかなか面白くフリーなので手にして持ちかえります。
 カドカワ、新潮。集英社、まあ老舗とも言える大手が揃い、今は文庫の出版社の数だけが増えて、大型書店では棚も増えました。あとは岩波、講談社、中公ぐらいで、マニア向けにハヤカワ、創元がありました。宝島、祥伝社とかは昔なかった新参です。ホラーとか時代とか専門も文庫もあります。

 海外ミステリ、SFの廉価版、文庫本といえばハヤカワもしくは東京創元社でした。
 国内の作家もSFなどはハヤカワのマガジンから掲載スタートで出版という流れがありました。創元もミステリの若手登竜門で本格はじめジャンルを広げていました。
 それでも、出版不況で、書籍離れの時代です。直木賞だとか、このミス、SF大賞とかでも売れる部数はしれていますし。それ以外の作家の部数は厳しいものです。
 個人経営の商店街などの本屋さんは激減する中、出版社も結構潰れています。それでも、かつて大都市の繁華街の書店でも、十分展開もできず、ロジスティックも弱かったハヤカワや創元が未だに続いているのには驚きまます。
 比べるのも変ですが、赤字ローカル線や、赤字のスナックならとっくに破産、撤退、解散してそうです。

 いびつな出版文化ですが、電子書籍が広がりつつも、元から小説を読もうなんて人が古臭い保守の人間が多いので、しばらくは延命しそうなので、今のうちに楽しみましょう。

獅子座 最も暑い年の熱い時期

 暑いとかいうと本当に暑いです、二十四節気の大暑が昨日くらいで。西洋占星術の12星座は獅子座、太陽、火のエレメント、成功を目ざす男性のシンボルのような暑苦しさです。

 今年は、10年に1度とか史上最高に暑い夏になるとも言われます。梅雨時期から暑かったので、本当にへばらないように身体のケアが必要です。

 年齢を重ねたかたが今さらとやらないのが、日焼け予防です。日焼け止めや日傘は男性でも使用が増えて来たとはいえ少数です。エアコンの節電でもそうですが、妙な節約やプライドが健康を害し、命取りになります。
 
 暑い時期、気持ちは集中しながらも、ゆっくりボチボチと。

法律や取り決めで縛りたがる人びと

 個人的にはあんまりオリンピックに興味は深くなく、とくに普段見ないスポーツをにわかに「NIPPON」と叫んで応援しだすのだけは恥ずかしいと思ってる非国民です。
 今回、女子体操の日本代表でチームの主将でもあった選手が19歳での飲酒喫煙の発覚で、出場辞退となりました。
 体操チームや他競技含め日本チーム全体にも衝撃を与えたニュースでした。
 4年に一度のひのき舞台を前に過酷な練習を積んできたであろう本人の無念さ、同僚や応援してきた人に迷惑をかけたと思う責任からの苦渋を想像するだけで、本人が心配で可哀そうにも思います。
 ネット投稿などでは多少の擁護はあっても、概ね批判の投稿が多いようです。いかにも正義のように、潔癖に、国の代表が違反はいけないと宣う人もいます。
 通報した人がいるから、事実が明るみに出たわけで、酔って騒いだとか他人に迷惑をかけたわけでもありません。
 いかにもチクられて足を引っ張られたようにも見えます。
 女子の体操というイメージからも、今後の彼女の復帰も難しいかもしれませんし、19歳とは言え4年後はこの種の競技年齢としては厳しい年代にも差し掛かります。一人の人間が青春をかけたものがエセ正義漢に奪われた、少なくとも失われたわけです。
 正直。たかが飲酒や喫煙、それも常習ではないとしたら、そこまで社会的制裁が必要かと思います。
 お酒は20歳からと言われますが。私も高校生ぐらいから、父にビールぐらいは勧められ口にしていました。
 喫煙割合は減っているとしても、20歳未満で、お酒もたばこも口にしていない人がどのくらいの割合なのでしょうか。
 法律違反でいうと。高速道路や広い国道で制限速度を10キロオーバーぐらいを経験していないドライバーの割合の方が少ないでしょう。
「そういうと広い道の制限速度が低すぎる!』と運転がうまいから大丈夫だと反論する人がいますが、それは法治国家への反逆です。それなら「飲酒の20歳も高すぎる」から守らなくても迷惑かけなきゃ大丈夫になります。だから、その程度です何年か経って、メダリストとしてバラエティ番組で、20歳前に酒飲んでましたカミングアップしても笑いを取る程度、そのぐらいのものです。
 こんなことが大きく報道され、個人の努力が全否定される偏った世の中がなんともです。

読書レビュー:小川哲「地図と拳」

 18章、640ページにもわたり200近い参考文献の力作。それでいて時系列が鮮やかに進み読みやすい。日露戦争後から第二次世界大戦までの満州を中心とした何人もの人物が交錯する群像劇という感じの歴史小説ですね。重厚に見えて、イッキに読めるところはあります。
 「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」
 招集、憲兵、銃撃戦など戦争の色がどんどん濃くなる時代、読む側も夢のような大義名分の後に悲劇の結末はある程度予想できるだけにせつなさもあるものの、そこに生きる群像をリアルに描く、才能には感嘆します。
 「地図と拳」の題名も少し、暗号か判じ物みたいですが。建築家と戦争地勢学者の登場刃部を軸に、歴史の必然のような物語を見事に紡いでいます。

【あらすじ】amazon
 日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。ひとつの都市が現われ、そして消えた。
日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。

 著者は他にもアジアの歴史を題材にした作品もあり、クイズやゲームの裏側も描くなど、そのジャンルはSFとミステリ、歴史いずれにもまたがる鬼才です。同一作品がこのミス、SF大賞候補に上げられ、直木賞、山田風太郎賞まで受賞しちゃうという、読み手によってジャンルが分かれるような作品です。

夢破れ何処へ帰る「成人世代」友情と希望

 隣りを歩いて行くやつは
 誰もが幸せのぼり坂
 ころんでいるのは自分だけ
 誰もが心でそう思う
 (中島みゆき「成人世代」2番の歌詞より) 
 若い頃20代後半、30代に入る前だと思います。私は一人の中学高校と同じクラスだった友人を失いました。
 学生時代,ずっと私より優秀だったと思います。高校の頃学園祭で一緒に演劇をやり彼は主役をやり切りました。
 実家はウチと同じような家業で、長男だった彼もはじめ業界の大手メーカーに就職するようい聞いていましたが、結局事情が変わり大学卒業後すぐに家業を継ぎ新しい支店を任されるのでした。
 ドラッグストアも家電量販もコンビニもなく、商店街や町の個人商店がまだ活気にあふれていた頃です。化粧品は定価販売で、家賃や従業員の給料を払っても儲かるケースも多く、同族で出店をして、社長や専務、店長を占めるケースも多かったのです。
 それでも、今よりは地域での出店の規制が厳しく、新店の準備には資金も時間もかかりました。
 時代はバブル期を迎えるのに、それでも成功する事業とそうでない場合の格差はある意味今以上にありました。
 彼の人生は暗転したようです。同窓で就職して会社に入ったものがそろそろ「主任や〇〇長」になるような話を聞く頃、事業に行き詰まった彼は、行き場を失ったのか未来を自ら閉ざしました。
 告別式に行った私は読経とともに語られた、彼の短い生涯に目を潤ませ身体が震えました。

  確かに、サラリーマンになれば安定した給料があり、保証があり、何年か勤めれば肩書もつきます。でも昭和のこの時代、パワハラを訴えたり、有給を楽に取れた時代でもありません。まして事業を興した者、家業を継いだ者の中には、準風満帆に見えて苦労をしている場合は多いのです。

 どんな集まりの中でも、やはり格差への妬みのようなものはあったようです。

 久しぶりに同窓の集まりに顔を出すの勇気がいるものです。数人の顔のわかる仲間内でもそうです。
 簡単そうに勢いよく回される大きな縄跳びに「さあ入れ」と言われるようなものです。
 でも入ってみると、簡単なことですし、誰もが最初はドキドキだったこともわかります。
 一人でいると、ついつい誰もが幸せののぼり坂をかけているように見え、転んでとどまっているのが自分だけと思ってしまい勝ちです。でもそんなことはない。友達とは、そんな希望のヒントを与えられる存在かと思います。

どこでも いつでも 「のび太くん」

どんなに勉強ができなくても
どんなに喧嘩が弱くても
どこかに君の宝石が
あるはずだよ。

その宝石を磨いて
魂をピカピカに
磨いて魅せてよ。

 先日、高岡市で少し時間があったので、藤子F不二雄さんが出身地ということで、ふるさとギャラリーという美術館に併設された記念館のような施設を訪れました。
 原画などとともに、藤子先生が幼少期まさにドラえもんの「のび太」のような勉強もスポーツもできないいじめられっ子で、マンガは好きで夢だけを追いかけていた話に少しジンと来ました。
 昭和にはどこでもあった、土管のある空き地や、寝そべることのできる原っぱ、今では地方でも公園でないと遊べない時代で、めっきり小学生ぐらいが集まって遊ぶ姿は見かけなくなりました。
 そんな子供たちにも、もう3世代ぐらい続いて、毎年のようにリメイクも重ねて、勇気と感動を与えてくれるドラえもんの映画があります。
 最近は何周目とかタイムワープのドラマや映画も増えましたが、元祖タイムマシンの登場する作品。
 SFの先駆をいった他の作品とともに、科学知識が広く知られていない時代に、藤子先生の偉大さというのか、才能の豊かさに感心しました。コツコツと努力された姿を振り返るように観れて、この人もまた時を何周もかけておられるのだなと思いました。

今の時代が気にいらないと
こぼしてるだけじゃ
なんにもならない。

僕らの住んでいるこの時代を
少しでもよくするため
がんばらなくちゃ。

君はこの先 何度も転ぶ
でもその度に立ち上がる強さも
君は持っているんだよ。