一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

れでも次に実現しそうなのが(かなり長考後、やはり北海道新幹線新函館~札幌でしょうか、北海道の場合、人口密度が低く採算性が低く赤字構造がより厳しく寒冷地で管理コストも高いため、平行在来線の3セク分離どころが、いきなり旅客路線を廃止する検討さえされています。函館北斗から函館延伸、小樽経由など課題山積みで、延期延期とも言われます。
 メインは札幌と東京の輸送だとしたら、そのために地域交通が犠牲になるのは本末転倒となりそうです。ただ北海道としては札幌中心でも活性しないと道全体が厳しいものです。在来線の切り捨てという過酷な選択は採算ベースでは仕方のない選択でもあります。

 北陸新幹線新大阪延伸は、まず私が生きてる間2050年でも難しそうです。後述の西九州新幹線ともども、整備新幹線の三セク地元負担のルールがだんだん新幹線網が伸びるに従い問題が多いことが浮き彫りになりだしました。
 北陸新幹線のルートはまさに紆余曲折、迷走に次ぐ迷走の末、悪手の選択をしています。元から無理筋もあるのでしょう。そもそも新大阪まで延伸するとして、最もコストの高い最後の京都~新大阪間には新幹線も在来線も大手2私鉄が走っていて、地元にとっては環境悪化させ、自治体が負担してまで本当は要らないのですからコトは厄介です。
 現在決定した敦賀から小浜を経て京都府北部の南丹美山等を通り、京都に至り市のその後東海道線などよりは南に回り、松井山手を経て西進して新大阪に至るものです。それ以前も米原ルート、舞鶴~亀岡ルート、湖西線ルートとさまざま浮かぶ沈むものがありました。
 小浜市にとっては悲願は間違いないですが、現在は閑散ローカル線の小浜市で敦賀や舞鶴とつながる「海の奈良」とも言われる門前町ですが人口3万の市に過ぎないのです。速達の「かがやき」が停車するか不明ですが、それはなさそうですし、敦賀から延伸して東京へは最も遠い直結となる駅です。ただこの時期になると、新大阪に出て東京へはリニアで向かう方が早いという矛盾が生じます。
 本当の意味では新大阪に至る最後の中間駅、松井山手に至ってはそこから北陸周りで東京は皆無でしょう。ここは京田辺市という大阪や京阪奈学研都市のベッドタウンですが、市民も寝耳に水で別に新幹線を欲していたわけでもなく、新幹線通勤するほどの距離ではなく、JR学研都市線の快速で十分用を足りていたのです。確かにお国のためとはいえ、これで京都府や京田辺市の税金が使われるなら、憤慨ものです。府県を通るから新駅を作れば喜ぶだろうというのが間違った方向に強引に押し付ける無理筋でした。府北部の舞鶴や亀岡を通るルートが没になり、京都府の国会議員が京都の面子を保つだけのために決めた松井山手ですが、小浜に比べても観光地としての要素はなく、北陸に行く人にしろしれていますし、まして他所から新幹線でくる街ではありません。それなら小浜、亀岡、新大阪で良かったのです。
 鉄道ファンで少し考えれば、無理で意味のない失敗が明らかな現行決定ルートは、やはり米原止まりにさらに後に修正でおしまいんかと思います。
 最後の西九州新幹線が、実は最悪の状況で孤立新幹線のまま放置されそうなのは、鉄道ファンや地元以外ではあまり知られていません。
 佐賀県武雄温泉から長崎駅までの60㎞あまりの日本一短いフル規格新幹線です。5駅ありますが、昔の東海道新幹線なら2~3駅程度での距離です。本来は博多からの九州新幹線が新鳥栖から分岐して県庁の佐賀を経て武雄温泉経由で長崎に向かう予定でした。ところが、在来線直通のフリーゲイジトレインは頓挫してしまい、そもそも50㎞程度の佐賀と福岡も在来線でも十分で、佐賀県に負担の割にメリットが少なく、長崎に行く通過の方が多いのでは両県が同じ負担というのはある意味問題がありすぎなのです。

リニア、整備新幹線 日本の未来へ1

 先ごろ北陸新幹線が金沢から福井県敦賀まで延伸しました。リニア中央新幹線の工事も静岡県知事が反対していましたが、辞任されるということでようやく活路が開かれつつあります。
 静岡以外の品川、神奈川、山梨、岐阜、愛知は実はリニア工事はそれなり始まっています。静岡の問題を何とかクリアして私が生きているうちに、できれば大阪までの開業をしていただき、見たい乗りたいものです。
 とはいえ、その開業はいったいいつになるのか、静岡工区に限らず始発駅の品川や名古屋、新大阪などの大都市周辺でさえ、地震国の日本で険しい山をトンネルで抜け、大深度から一気に地上に出る工法が成功するのかもまだ予断は許さないところです。
 駅や正式ルートもまだ、名古屋以西、大阪までは確実なものではありません。さすがに京都市はあきらめましたが、奈良にできる駅はどのあたりか既存のどの線につながるかそこからどうなるか不明です。
 京都在住の私としては現実的にほぼ見られそうなのが、2030年過ぎの品川~名古屋開業だとして、東海道新幹線京都から名古屋でリニア乗り換え、1時間10分程度、これが最速最終形に近いのではと思います。
 京都から東京に関して、ビジネスや観光含め、あとは乗り換えなしの現存の東海道新幹線で富士山を見ながら観光色豊かな列車で2時間30分。奈良に駅ができたとしても、京都~奈良は単線区間もある在来線にスーツケース持ってか、私鉄の近鉄でしかもターミナルとして新設駅のようで不便そうです。そもそも奈良に止まるリニアは山梨や岐阜にも止まるリニアの「こだま型」で本数も少なく遅いもので、京都~奈良を在来線経由していては名古屋乗り継ぎよりも不便そうです。
 あとは新大阪までの本数の多い「のぞみ型」の最速リニアで、新快速などで京都に戻るのもありそうです。
 リニアに寄せる期待はさまざまです。

 他の整備新幹線とともに、内容が長くなりますので詳しくは次の機会にします
 現在未成の整備新幹線が3つあり、ここも並行在来線や環境アセスメント、地元の反対など大きな課題を抱えています。

 日本全国に高速鉄道と高速自動車国道をという主張を日本列島改造論で唱えたのは1970年代の首相田中角栄でした。彼の地元新潟は早々の上越新幹線が通りましたが、いまや日本の地方は首都圏一極集中でどんどん過疎化が進む、少子高齢化とともに衰退し、消滅が囁かれる自治体も増えています。
 何とかその辺を、新幹線開業や在来線の維持から可能性をさぐりたいです。

 

おうし座の春 アオハル 

 おうし座の春、少し頑固ですが、温厚で穏やかな季節です。花粉が少し収まり、もうじき真夏のような暑さが来るとは言え、寒くもなくそこまで暑くもない短い春で、衣替えも進み、身体も暑さに慣れていく頃です。
 朝晩の気温の差も激しく、無頓着ではだめで羽織るもので調整したりと、日焼け止めや帽子などの対策も必要です。
 職場近くの京都御苑を歩いていると、高校生の男女が見えました。体育会系でしょうジャージ姿で時に口論しながらも仲良く話しているのがキラキラと微笑ましく見えます。二人ともかなり日焼けして同じジャージユニフォームなのでアウトドアのスポーツでしょう。
 日焼けはしているものの、よく見ると女の子もかなり可愛いし、男の子もかっこいい感じで青春ドラマだなあと、何だかまあ元気をもらいました。
 10代ぐらいは、化粧もせず日焼け止めもせず、ファッションにも気を配らずに思いのまま走れるのも羨ましいものです。
 

衣替え 簡単、感動パンツ

 関西当りだと、あっという間に真夏の暑さと梅雨の蒸し暑さが来ますから短い春の時期の着るものは難しいです。
 出番も短いのであまりお金もかけたくない人もいるでしょうし、忘れないうちに引っ張り出しておかないと忘れそうになります。
 比較的、イージーでもジャケットを着れば見た目普通?今宣伝中の量販衣料大手のパンツを買いました。しかもめんどくさい裾直しもせず、ウエストもレングスもぴったりを選んでゲット。
 4,000円前後は紳士服専門店のほぼ半額、あとは上半身だが、ジャケットはセットアップを選ぶと合計1万円でスーツっぽくなるが、逆に他のシーンで使えない。

 シャツは7分袖が、店頭では少ないのでネットで2枚購入。夏物の白は襟元が汚れが目立ちやすいので、シンプルで派手でないグレーやブルーの色物にしました。7分袖は置いているところが少ないですが、まくれば半そでなみに涼しいし、露出する肌が少ないのでエアコン下や梅雨寒の時でも寒くなく、真夏の紫外線も少し抑えられ体調維持しやすいです。真夏でもかえって涼しく思えます。それと半そでのカットよりもオシャレに見えます。

 思い思いに快適に季節のファッション、いでたちを楽しみましょう。

公務員共済はなぜ別物なのか

 私も 社会保険の仕事をする前は良く分からなかったことが多いのですが、一般の方も誤解されている方がたまにいるのが国民健康保険、国民年金と公務員共済のことです。
 国民年金と厚生年金、国民健康保険か協会健保・組合健保と書かれていると、「国民とつくから国がやっているのだろうから、私の夫は国民〇〇の方だろう」や「会社で入るのは厚生年金だから私の父は国民年金かな」という誤解です。
 まずはざっくり、国民年金や国民健康保険は、自営業、農家、フリーターなどサラリーマンや公務員ではない人が入る国が運営する制度です。会社に勤めているサラリーマンは年金制度は厚生年金で、健康保険は大企業は組合健保、その他の企業は協会けんぽです。公務員が入っているのは、公務員共済という制度です。言葉としては共済イコール保険ですが、この公務員共済には「年金(長期共済)」「健康保険(短期共済)」「雇用保険(退職等年金)」が含まれています。
 社会保険の知識やら質問の選択肢が足りないのと共済組合という言葉がやや難しいからの誤解も多いです。
 さらに、年金は最終的には一元化されたと言われ厚生年金と同じよう受給期間を計算されるので、国民年金と対比して言えば大まかには厚生年金のグループですからややこしいです。1階の基礎年金の上にある2階建ての部分です。また年金と雇用保険の共済は、パートでは入れない制約もあり公務員でも契約社員は「雇用保険あり、厚生年金」という場合があります。健康保険は共済の場合と協会けんぽの場合があるようです。
 公務員共済に加入できるのは原則、完全フルタイム勤務の公務員
厚生年金に比べ、公務員共済の加入要件は独特のものになっています。
厚生年金では、
①1日又は1週間の労働時間が正社員の概ね3/4以上であること。
②1ヶ月の労働日数が正社員の概ね3/4以上であること。
という2つの要件に該当する場合、事業主は従業員を厚生年金に加入させる義務があります。
もっと具体的に言うと、週40時間労働の会社であれば、概ね週30時間以上、週35時間労働の会社であれば、26時間15分以上であれば、厚生年金の加入を考えないといけません。
これは労働契約であって、パートタイマーやアルバイトなど、どんな雇用形態でも、その契約内容の如何にかかわらず、労働時間が上記の基準を超える場合は加入しなければなりません。
しかし、公務員にはこの基準は適用されません。
 先ほど述べた通り、市役所勤務でも厚生年金に加入されている知り合いがいたり、市役所退職後に市役所再就職で「厚生年金扱い」で働いている近所の方がいたりと、公務員共済については私も基準がよくわからない状態でした。
 この12月から私もひょんな経緯で事務補助員待遇から事務官となったため、厚生年金から国家公務員共済となり、年金は共済、雇用保険は外れて退職等年金掛金と呼び名も変わります。

 しかし、この立場でやはり思ったのが、公務員共済と、年金機構のつながりの悪さ、マイナンバーカード制度でデジタル化とも言われているのに連携や記録反映の遅さ、不明さです。
年金機構の人でも、共済に詳しい人は限られるのです。ほとんどの期間が公務員の方は未だに共済組合から請求の手続きをされますし、一時的に共済期間があった方は見かけ上「消えた年金記録」!になりやすいのですが、1年に1度誕生日の前々月には両者の記録の情報を一元化して整合をするのです。しかし、これも60歳まででねんきん定期便に反映させるためで、受給見込みをわかりやすくするためです。
 逆に言うと、公務員に就職した直近はなかなかデータが反映しないのです。公務員はそれだけ秘匿性の高いものなのか、新卒でさえ半年かかるのです。健康保険の方のマイナンバーカード連携も、他の健保や国保に比べ遅いです。国がやっている事業なのですが、このあたりはブラックボックスです。
 感じるのは国家公務員の上から目線です。
 

年金制度ムズカシ過ぎ、停止者には敬意を – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

休日のカフェにて

 先日の休日、京都駅近辺でカフェに行くとインバウンドの旅行者の外国人にカウンターの店員さんがメニューの案内と注文を流ちょうな英語で話しておられました。
 JRや地下鉄の改札も人員は減り、改札での英語案内に苦労され行列ができているのをよくみかけるだけに、外国人が増えて当たり前とはいえその店員さんの発音の良さには感心しました。メニュー内容や、交通機関だと駅や改札、観光情報など特化して英語を学べばそれだけなのですが、リスニングはできても慣れないとTOEIC型勉強の私などスピーキングは難しいです。
 また同じカフェのカウンター席の隣では、若い女性がノートパソコンでWEBデザインか企画書か何かを、多くの素材を次々とサクサク呼び出し、時折考えて試しながらサクサクお仕事されていました。 
 私もビジネスマン時代は、スタバや新幹線でノートパソコンを開いてプレゼン資料を作ってました。
 現在の標準に入っていたり、無料で手に入る素材もテンプレートも10年も経つと時代が違うぐらいに種類も増えているようで、その動きを見るだけで感動するような隔世感を味わいました。
 翻って、アナログな紙媒体が多く、古びたアプリにコツコツ手入力し、集計も初歩のExcelやAccessに垢抜けない作業をやっている公的機関に勤めていることに幸いなのかと複雑な思いです。
 会計なども、不正の監視も含めて、デジタル化を進めた方がよいことは今回の政治家の裏金問題で明らかです。
 役所も早くDXを加速させどこでも仕事できるようにしないと、遅れは取り戻せません。交通機関の駅に比べても、役所などの公的機関は田舎で人口が減っても、支所が無くなり人を減らすことはあまりないです。最近の無人改札のように、本庁からリモート、インターホンで手続きとかは少なく、人を介しての手続きが続いています。高齢者でも携帯やタブレットを使い、動画サイトぐらい見ている時代、民間ではすでにデジタル化で対応していることを役所がやらないのはやはり外国からも遅れてしまうところでしょう。
 それ以前に、この隣の女性ぐらいのスキルの人はたくさんいるのに、足元にも及ばないオジサンたちが国の全てを決めてるのは何だかです。

コイバナ? DV離婚?大阪で酔いつぶれた可愛い人 

 化粧品メーカー時代の大阪での最後に近いコイバナ 都会であることは変わりないのですが大阪の街と京都の街の違いは何なのかと思うと、大阪は関西のおばちゃん含め人が多く、海が近いので川幅の広いこと、あちこちの地下鉄と高架の都市高速が走っていることでしょうか。
 大阪時代に一番美しくスタイルも良かったのは前に書いた伊東美咲似スーパーモデル級のIさんだったとは思いますが、同時期に一緒にお仕事させてもらったOさんは高くとまる感じの無い母性的で可愛い人でした。
 Oさんははじめて仕事で一緒になったのは、応援で行った滋賀県の事務所でしたが、その時の新しい配属で戸惑うとても優しい声で私の名前を呼んで、満面の笑顔で迎えてくれました。色白の童顔で優しい表情なのですが、スレンダーというよりはグラマーという言葉が合うような体系の人でした。男性目線で恐縮なぐらいですが、大きな胸をされていて、歩くと胸も揺れますし、タイトでやや短めなスカートでよく柄のあるタイツを穿かれ引き締まった脚でモンローウォークのように歩く後ろ姿もコケティッシュさがありました。
 仕事ぶりも真面目で献身的で、美容教育のスタッフとして企業相手の企画や商談に現場目線でさまざまな情報を集め、勉強をして考察してくれていました。その相談や提案を持ってくるときの声と表情の愛苦しさには癒されました。
 Oさんの仕事である美容の情報に関して、メーカー主導のヨイショ系雑誌ではなく、私は自分でLDKなどのメーカー忖度のない雑誌やネット記事を共有して密に協力していました。彼女の主宰するセミナーや社内外の教育は好評を得ていたはずです。

 それでも教育スタッフの上司は厳しいパワハラ系の女性、セクハラ系の幹部、取引先もあって大変な面もあったようです。
 ある時は、肝心のその優しい声が全くでなくなり、筆談で過ごしておられるときもありました。その体調の変化は1~2週間は続きました。
 また、ある時な声をかけるにはややためらうのですが、タイツのおみ足に痣のようなものが見えることがあり、「ケガをしたのか」と聞くと、「いろいろな病気と付き合っているんです。気にしないでください」とやんわりと優しい声のままでも毅然と返されました。なぜそれならスカートでなくパンツを穿かないかとも思うのですが、足が太く短いのでパンツスタイルはとても嫌なのだそうです。このあたりの女性のこだわりはわからないものです。
 後で噂のように聞きましたが、OさんもIさん同様に、子供がありながらも離婚されていて、原因は配偶者の暴力いわゆるDVだそうです。
 Oさんの体調不良や脚の痣が何が原因かは訊いていないのでわからないままです。
 ある夏の夜だったと思います。大阪の街で同僚とお酒を飲んでいて店から出てあるいている時、別の女性グループの飲み会の帰り道に遭遇して、大きな声でOさんに声をかけられました。足元もふらつくほど心地よく酔っぱらっていて、私に寄りかかってきました。
 Oさんは他の面々には、私に送ってもらうように告げて、ほとんど抱きついてくるような感じで私に支えられました。
 普段社内では清楚でコツコツと仕事をするイメージなのが酔って豹変した感じで「ダイジョウブ、大丈夫、まだ飲める」とも言いながら呂律もまわらないぐらいですが、しかたなく他の連中とは「お持ち帰り」のような印象で見送られて、もう一軒二人でハシゴ。
 さんざんそこでも飲んで、しばらく中央大通りの高架から、空を見上げながら歩きました。こちらも酔っていますし「大阪で生まれた女」「悲しい色やね」的歌詞で、酔いしれるフォークソングか演歌のような世界です。
 聞いていた法円坂のマンションは御堂筋の本町から地下鉄で終電までは時間もあり、たった2駅です。タクシーには半端な距離ですが地下の駅までの上り下りが面倒です。歩けない距離ではないのですがここまで酔っぱらってる女性をつれて大阪の深夜を2駅間も歩くのもまた何とも微妙です。やはりタクシーかと思いましたが、案の定近場NGで3台拒否、あきらめて地下鉄の駅に戻りふらふらの彼女を引っ張ってエレベーターを探して歩き、何とか肩抱いて改札をのけて電車まで行き座らせると寝そうになるので話しかける。駅につくと立たせて下ろすのが大変で火事場のクソ力よろしくお姫様だっこで抱えながら電車をおりてエレベーターから改札を目指し、ようやく少し歩けるようになったのでマンションまでの部屋まで何とか送り届ける。
 そこでさすがにこちらも酔いも回り、体力もつき、京都まで帰る方法もホテルを取る思いつかないほどで、彼女をとりあえずはベッドに寝かせると、ソファーなのか絨毯なのかにばったりでした。


 翌朝は気まずい「やってしまった」状態で、あんまり何も覚えてない彼女ですが、さっぱりした爽やかな対応でシャワーを用意してくれて、朝食を準備してくれました。
 簡単な朝食をとって、別々に出勤でした。
 それ以降は、Oさんとは少し距離おいて深酒やめていました。
 Oさんは当時のパワハラ上司は更迭されて、その後のポストに就かれ、管理職の道に進まれましたが、その後は知りません。

コイバナ? 仕事のパートナーはスーパーモデル 大阪時代 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

阪急電車10分間のコイバナ – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

頭の良い人は人生何周目か?天命か

 大手化粧品メーカーを定年まで勤め、その後は年金事務所を中心に社会保障、厚生労働の公務を4年、その後現在は裁判所で司法系と方向の違う仕事をしています。こうやっていろいろSNSでノマドもやっていると「器用ですね」「私は今の仕事以外、他のことはできない」と言われる人もいます。
 今、ドラマなどで流行りのタイムリープものだと、「人生何周目?」みたいに言われますが、自分では不器用というかとてもそんな偉いものではありません。
 医者や学者になったとか、大会社の社長になったとか、司法試験やら難関資格を突破した人を見ると、その記憶の良さとか理解力こそ「前世の記憶」「天命」でもあるのかと思います。あるいは企業勤めから、自営に転じて家業を拡張とか、議員やアーティストに転じている人もおり異能に関心するばかりです。
 私の場合、集中力が長続きせず、記憶容量も小さく、意識が散乱・発散するのでケアレスミスは多いでし、飽きっぽいので2級ぐらいまでの資格が精いっぱいでした。今身近におられる裁判官の方など、日本でも最難関の司法試験に受かり、その中でも難易度の高い裁判官に就かれていることにはただ感心するのみです。もちろん見かけも含めてある意味では普通の人なんですが、やはり「天命」を背負ってなのでしょう。

 私に関しては60歳過ぎての働き方に関しては、特に志が強かったものではありません。ただ、興味があった新しいことに機会があればチャレンジしたかっただけです。その世界に何十年もいる人にとっは新参者でわきまえも常識もないアウトサイダーです。
 それでも新卒からの勤めと違い、ある意味「絶対辞められない」というプレッシャーのようなものは減って、慣れない仕事そのものは大変ですけれども、肩の力は少し抜けた感じの気楽さにはなってきています。
「社畜」とか「仕事中毒」というのは、本当に立場変われば抜け出せないのも良く分かります。私も若い頃、長いこと、クソみたいにブラックな会社で、さらにそんな中でも汚い上司にこきつかわれました。
 時間が限られているのだから、若いうちにもっとうまくやれたこと、主張したり、要領よく立ち回れたのではと思うことはあります。
 お酒の付き合い、ゴルフやギャンブなどの遊びの付き合いも本当に下手で不器用でした。50歳過ぎてから、ようやく美味しい店を見つけることは上手くなりました。
 60歳を過ぎ、転職して全く知らない人の中で、知らない仕事をするのに関しては「面白い」とだけ無邪気に妙にポジティブに進みました。最初は特に失敗ばかりでしたが、それもまた新入社員、雑巾がけを味わう、マゾではないけど、真新しい自分の能力を発見できる楽しみのようなものがあります。
 学生とか、まあ社会人になってもですが、英語とか簿記とかパソコンとか勉強したものを職場で役立てる機会とかシチュエーションは限られます。あっても競争が激しく他の人がやっているとそれ以下のスキルだとか、その組織では永遠にその勉強は無駄になりかねません。簡単に異動なんて無理な場合もあります。
 2周目の人生とか器用と言われるのは私の場合、何となく好きで勉強したり、いつかは役立つと信じ資格をとったり一見「無駄」をしてました。経験して引き出しを多くしていたものが、ここへ来て回収されるように役立っているような気がします。
 取れなった資格の中に「図書館司書」というのがあります。本が好きなので図書館への転職も考えてチャレンジしました。ところが、この資格は簿記や宅建などに比べ合格率は高いのですが、学生時代には取っておかないと、再入学して講義を受けないと取れずお金と時間が必要です。私は本は好きですが、図書館の中の仕事をずっとするのは合ってなかったとは思います。
 これはまあ、運命というのかやはり私にとって図書館は、趣味と勉強、癒しの空間で仕事場ではないという「天命」なのではと思います。

 勉強とか経験、失敗っていいよなあと今になって思えるのです。2周目なのか1周目かそれとも3周目以降かは知りませんが、一度の人生でガチャガチャいろいろできることを辛さも含めて楽しんでいます。
 
 

追悼:伊藤淳二元カネボウ会長  書評『天命』

 

 先日99歳で亡くなられていたという報道があった伊藤淳二(いとう じゅんじ)氏は、私が入社した時の鐘紡の社長でした。1922年(大正12年)中国青島生まれで、戦後すぐの1947(昭和23)年、慶應大学卒業後に鐘淵紡績(カネボウ)に入社され当時のオーナー社長・武藤絲治(むとう いとじ / 1903〜1970)の後継者指名を受け、1968(昭和43)年、45歳の若さで大逆転、クーデター人事で社長となった人物です。カネボウは経営多角化を推し進め、1984(昭和59)年、会長に就任、社長就任のストーリーは城山三郎のビジネス小説『役員室午後三時』 主人公藤堂のモデルとなりました。
 

 1985(昭和60)年の御巣鷹山の日航機事故後、政府(中曽根康弘首相)からの強い要請で日本航空副会長(翌年に会長)に招聘される。わずか1年で辞任しました。この経緯が山崎豊子『沈まぬ太陽』- 登場人物の国見会長のモデルとなりました。だいぶ美化されて、映画では石坂浩二が演じ繊維工場でを自ら糸を扱い差配している場面がありましたが、この当時すでに現場にいるような人ではなく、随分とデフォルメというか男前に描かれ映像化されていました。

 伊藤氏も今ではすっかり過去の経営者扱いですが、著名な作家の小説のモデルに二度もなった人物はそういないでしょう。 屈辱的失敗で日航会長を解任され、カネボウ専任に戻られるのですが、その後も会長として院政をはり、過去の成功にとらわれ傀儡的社長がコロコロ変わるだけで改革が進まぬまま、坂道を転がるように、事実上の経営破綻に落ちます。

「天命」は論語をはじめ彼が出会った様々な含蓄ある言葉を中心に生き方を著しています。多く方の書評や最近のコメントではその中身は古臭いという、褒めていても古き良き時代的なものです。時代としては少しあとになる稲盛和夫の著作に比べても、難解で衒学、知的顕示欲の強さが垣間見れます。
 ちなみに伊藤淳二は、社内で「知命教室」という幹部勉強会のようなもの、論語プラス経営という頭の痛くなるようなのをやっていて、それも社内で冊子が出回ってきて、ヨイショ的な内容が多いのですが、やはり博学であり衒学趣味でした。


「美しい人生とは美しい晩年を送り得る人、人生の一瞬一瞬をかみしめ「今」に燃え、毎日毎日を精いっぱい送る人であろう」という言葉には、大いに共感する部分もあります。

 しかし彼の晩年はどうだったのでしょう。博学でもありますが、稲盛和夫のフィロソフィーに比べると点が線につながらないような少し現実と合わなくなって、経営者としての評価は随分下がりました。
 自己顕示欲が強すぎ、後輩などの意見を受け容れての修正が難しいところがやがて綻びにつながったのではと思います。
 現実の社会は論語に心酔する一流大学出の向学心溢れた人間ばかりではなく、礼節や忠誠よりも私欲が優先するのが通例です。伊藤の思い、考えは本当の意味で浸透するわけではなく、権力者への盲従に支えられていたのかもしれません。

 そして、「未完の如くして完結して居る。果たされない様で果たされて居る。大切なことは、その時、自分の可能性の全てを尽くしたか否かであるように思う」という言葉で『天命』の最後を締めくくっています。
 日航会長時代でミゾをつけ、結局は鐘紡の栄華さえ砂上の楼閣のように崩れ去り、最後は大株主として元経営者として情けないような泥仕合も見せてしまいました。それでも未完と言っている以上矛盾ではないのかもしれません。
 未完であるが一時代を築き、実はそれなりの完結をしている。99歳まで永らえ、目的を果たし得なかったそういう生涯がありかもしれないです。

伊藤淳二と稲盛和夫 日航改革二人の明暗 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)