一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

自民党総裁選2024

 何とか、民主党代表選を並列に並べたがるマスコミもありますが、実質総理大臣に指名される自民党総裁を決める、与党内の選挙は公示され、27日に開票され、総裁が決まります。

 岸田さんは新鮮ともいえる平凡なイメージから、党内の派閥の裏金問題で一気に支持を失い、不人気ワーストを更新し続けました。
 かと言って自民党が政権を失うわけでもなく、トップの首が変わると、ご祝儀のようにしばらく支持は上がるでしょう、それは誰がやっても同じです。
 そのなかで、本人や閣僚の失言、失政が目立ちだすとまた凋落することの繰り返しでしょうか。

 誰がやっても大差はない。

 これは、自民党に限らず今の政治構造の劣化.若い無関心な人に言わせれば【オワコン】化しているからでしょうか。

 政治や議会に携わる人は。大半は優秀で真面目にやっておられるでしょう。与野党、事務方問わず戦後すぐの時期よりも、全てに垢抜けした仕組みもあるはずです。

 それでも、ここまで政治の劣化といわれ、新総裁、新総理に期待感がないのは、その既得権からの古い仕組みを、徐々にでも変えることが数十年なされていないからなのでしょう。思想とか保守革新、関係なしに、立法府は遅れています。

 政治の本来をどこかで見直さないと、誰がやっても同じの無関心は続き、国は衰えます、

田中角栄1983年北陸

 北陸新幹線が今年3月ようやく敦賀まで延伸されましたが、大阪まではルートがなかなか確定せずに、小浜から京都駅周辺と具体的になっても、米原案が浮かび上がったりしていますが、リニアともども大阪までいったいいつできるのかもわかりません。

 全国に新幹線網をと「日本列島改造論」で唱え、公約した1972年に総理大臣となった田中角栄、日本の高度経済成長を支え、地方への交通網を大胆に広げました。日中国交正常化はじめ、さまざまな政策を実現しましたが、1974年金脈を追求され辞任に追い込まれます。1976年にはロッキード事件で逮捕されました。1983年は実刑判決をうけた後、衆院解散でなお圧倒的な得票で当選したその年です。

 この演説で、感心したことがいくつかあります。

 やはり、演説としてのパワー、求心力が違います。を集めは
キャリアを見ても、自民党が創生した政治家だということもありますが、学歴でもなく仲間を当時の派閥(佐藤派)から一気呵成に独立し権力を奪った野心はすごいです。

 そして、国民を想い、地元民から愛される、地方にかける思いは。東京主体で、首都圏でなにもかも決めまかなう今と違うことを痛切に感じます。地元に明治時代からの、生き方があり、産業があり生活があることが熱く長く語られます。

 だからこそ、地方に新幹線や高速道路が必要なことが良く分かります。この前年1982年に東北と上越の新幹線が出来ます。しかし、それ以降ここでルートまで語られ、昭和70年?1995年大阪まで開業するとされた新幹線は国鉄の事情もあり、それから30年も長く日を見ませんでした。当時も新潟の西部を通り、富山、金沢、福井と繋ぎ、小浜からの大阪、米原からの名古屋も一気に今の北陸新幹線案を進めるような話でした。

 環境問題も騒がれない時代で、国鉄は大赤字でも進めるつもりだったという無茶な前提で、田中失脚以前に無理も多かったのでしょう。

 それでも、夢を語り、地方や国民の心に響く、今の自民党総裁選にない言葉が多くありました。

長浜鉄道スクエア 北陸本線の要衝

 長浜駅のびわこ側には、現存する日本で一番古い駅舎を改造した建物が長浜鉄道スクエアという施設として、駅に併設されています。
長浜市街は駅の東側に広がり、この鉄道の記念施設を訪れたのは30年以上前、30歳になる前だと思います。レイルウエイライター種村直樹さんのミステリにずばり「長浜鉄道記念館」とうのがあります。30年前では鉄道スクエアという名前ではなかったのでしょう。当時から30年以上、改装もしながら保存しているのはすごい歴史的意義です。

展示車両はD51蒸気機関車と、交流電化対応のED70電気機関車の2台です。

 昔の駅舎をうまく活かし、改札口や駅業務、駅長室を再現していますし、ジオラマや年譜、ビデオ画像で往時をしのぶことができます。
 北陸本線は、敦賀延伸の新幹線で注目されました。並行在来線ということで、直江津~敦賀の間は第三セクターとなり、米原から敦賀の45キロほどの短い区間のみとなりました。
 しかし、敦賀~長浜間は、日本で3番目にできた古い路線です。当時は東海道線が今より北側のルートで関ケ原から長浜につながり、長浜から大津は琵琶湖を船で結んでいたのです。大津~神戸、新橋~長浜に次ぐ最古のルートであり、現存する駅舎で最も古いのが、この旧長浜駅なのです。
 陸路と湖上交通の交錯する要衝だった長浜は北陸本線が米原経由、東海道線も陸路で全通すると、中間駅に成り下がります。二代目になるかつての駅も哀愁を帯びた北国で、車両も交流用で京阪神とは趣が違いました。今は京阪神から新快速が来るアーバンネットワークに組み込まれました。4両ながら新鋭の電車が行きかいます。かつて琵琶湖を3時間かけて船が渡る待合があったのですが、観光でも楽に日帰りでいける距離です。
 歴史上の人物、紫式部も明智光秀も琵琶湖を渡り、越前に向かいました。その琵琶湖を横に見ながら、快速で駆け抜ける電車たちと、思い出を刻む哀愁ある記念館。

 

時の流れをしばし、逆行できます。

憧れるのはやめましょう 差別と格差の助長

 以前にも、高額報酬の方がエライのではないということを書きました。↓
 同期や同窓というのは、基本的に気さくなもので、公の場を除けばざっくばらんに役職や出世に関係なくフランクに話せるはずです。
 それでも「勝ち組、負け組」「出世頭」など格差を気にして、強調するイヤな言葉も耳に入ります。
 反面、今日もドラマなんか見てまして、きれいごとかもしれませんが、「平安貴族で身分が高ければ幸せではない」なんてのが耳に入りました。
 もちろん、自然に地位やお金が手に入ればそれに越したことはないかもしれませんが、他人から見て羨むものでもないのです。努力して手に入れば、当たり前でもありますし、背伸びして家族や健康やら犠牲にしていても幸せではないでしょう。
 マクドナルドのCEOのお話では、人生のジャグリングボールの中で、仕事は落しても戻ってくるゴムボールだが、家族、健康、友情のボールはガラスでできており、一度落せば壊れてしまうとされています。


 エライという定義もなのですが、社長や大臣、医者、教授、弁護士、一流アスリートやアーティストといった肩書を称え、敬い、憧れることは間違いではないです。無名人よりも、一目見たり、握手したり写真を撮ったりもしたくなる心理は私にもあります。ここを議論していると勘違いして来る人がいました。
 かと言って、本当に社会に貢献しているのは、高額報酬の人だけではありません。
 日々、農業や漁業、畜産で日本の食糧を支えている人、土木や電気、水道、ガスなどのインフラ、ライフライン、自衛隊や消防、警察などの現場にいる人がいなかったら、社会生活はなりたちません。
 この人たちが、高年俸で稼いで、すぐ辞めたら社会は困ります。

 世襲の、同族企業の何代目かの社長さんだって、もちろん苦労もあり、責任も負い、経営は楽ではなく、ボランティア活動で無償でゴミ拾いしているより、エラくないわけがないという議論もあります。
 収入や肩書は、それでも私のここでの論説中の基準ではエライのバロメーターではないのです。
 社長さんが平社員よりエラく、世襲よりも創業者、一代を築いた松下幸之助、稲盛和夫とかの創業社長はもっとエライという議論もありますが、エライの意味合いもいろいろ違います。伝説であり、時代も違い、美化もあり、もはや比較もできません。織田信長とか聖徳太子と比べるのと同じ、今そこにいないので自分と比べてエライも何もないのです 
 一代で巨万の富を築いたとはいえ、GAFAやIT長者、ベンチャー社長が必ずしも尊敬されているわけでもありません。
 だいたい、社長よりも現場のエンジニアや営業、事務がエライものなのか。
 大学で教鞭をとる人は、高校や中学の先生よりもエライのか。
 病院の院長は、当直医師や、看護師よりもエライのか。
 大臣や官僚、国会議員は、自治体のインフラ支える職員よりも、給料に見合って大変な仕事をしているのか。
 電力会社の社長だって、原発作業員よりハードな仕事をしているのか。

 お金をたくさんもらっているとか、役職や肩書が大したものじゃないのは、十分証明されています。
 森博嗣さんの著書も紹介しましたが、成田悠輔さんもSNSで言ってました。
 社長なんて一人の力で成れたわけではない。
 社内営業、コネ的努力。幸運や人の引きや、時代背景など、さまざまな偶然が重なって、稀有な運命でその立場になるのですが、その過程は決して尊敬できるものではなく、「ラッキー、ついてた」「したたか」という妬みの言葉しかないものです。
 その程度のものです。偉人もいますが、努力もあれば、幸運も大きいものです。憧れるようなものではないのです。
 〇〇士とか、〇〇ナーとか〇〇タントなど、資格だと言って、ピンキリですが、お金も時間もかけその仕事に就く努力をしたのだから、当たり前。その分、高額な仕事に就きやすい。それだけです。それ以上でもそれ以下でもないことです。幸運な人を尊敬し、不運な人を蔑視するのは、逆です。
 「憧れるのはやめましょう」
 

最もエライ働き方は無報酬、低賃金か – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

学歴、職歴、収入、資格がエライわけではない – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

書評:有栖川有栖「日本扇の謎」

 同い年ですから、もう社会に出た人が全て、大ベテランなのは当たりまえなのですが、改めて時の流れを感じます。
 同窓の上原くんこと有栖川有栖氏もすっかり大御所中の大御所となりました。1959年4月生まれ大阪出身の同志社大学法学部卒、当時の推理小説研究会メンバーです。
 少しじっくり目に読んだ最新作です。相変わらず、ロジックに拘ったトリックと魅力的な謎の提供、京都府舞台ということです。舞鶴から、京都の洛北というのと、「作家アリス、火村准教授シリーズ」もご当地、キャラミス的に読まれる方もいそうですが、バリバリ論理の新本格(もはや「新)が死語的)です。
 【amazonなどの紹介文】
舞鶴の海辺の町で発見された、記憶喪失の青年。名前も、出身地も何もかも思い出せない彼の身元を辿る手がかりは、唯一持っていた一本の「扇」だった……。そして舞台は京都市内へうつり、謎の青年の周囲で不可解な密室殺人が発生する。事件とともに忽然と姿を消した彼に疑念が向けられるが……。動機も犯行方法も不明の難事件に、火村英生と有栖川有栖が捜査に乗り出す!


以下ネタバレの無い程度に、

 人物をある程度描きながらも、徹底的に可能性だけを理詰めでいきますから、話としては突飛すぎもしませんし、前半はやや退屈です。結末も少し昏いのが、読後感で、個人的には「なるほど」ぐらいで、「やられた」という爽やかな感じはしません。


 著者は大学時代には知らないのですが、私の勤めた企業のM&A親会社に、研修で出会ったトレーナーが彼の先輩で、探偵役の「火村」「江神」のモデルの一人とされ、初期作品のいくつかのトリックに関わっているという話を偶然聞きました。グローバルに活躍された企業人で、同窓のミステリ好きということで、たまたま話していると「有栖川有栖とタメ」「オレ、あいつの親友で、アドバイザーやった」ということで盛り上がりました。
 ミステリ界では、大物、大御所ですが、初期クイーンへの拘りが強くて、一般の方にはやはり好みが別れるところかもしれません。作中のアリス、火村の時間の経過はやや緩やかで還暦のような感じはないですが。コロナの話が出たりで正確な時代やらは検証していません。

 国名シリーズというタイトルの話が冒頭に出てきますが、松本清張さんのタイトルが抽象的というのは、なるほどと思いました。

13日金曜日の激動

 週末は忙しい上、三連休前ということで予想以上にバタバタした昨日、「13日の金曜日」でした。

 間違いの許されない、人名の漢字を貼り付ける仕事をしている際中に、申し立てや届出の来客、電話で再三中断。自らの扶養の書類も再提出しきり、10月の異動に伴う、仕事の分担の内示に呼ばれる。
 戻って送信して、原稿を確かめると、うーん件数が多いので間違った貼り付けを送信している。動揺しながら、対処法をやっと思い出し、パニくりながら修正、良く気付けたというか、冷や汗ものでした。
 なかなか深刻な申し立ても多い中、ミスもありながらもとりあえずやってきた仕事ぶり評価されているのにはホッとしました。
 異動が多いと大変な時期を迎えますが、少し残業して、今日は前に勤めていた事務所の親しいメンバーと飲み会。

 3年勤めた年金事務所、退所して1年半久しぶりの再会に懐かしくて、心地よい時間でした。

 マイペースで、いろいろやらかしたこともありましたが、やってきた仕事や、そこでの会話、コミニュケーションに今でも感謝されることはやはりお世辞でも嬉しいものです。久しぶりに天使が舞い降りる時間でした。これに驕ることなく私も精進したいです。

 社労士試験を目指し、ライバルに負けたくないという後輩さん、力みすぎず頑張って欲しいです。きっといいことがあります。

NHKドラマの功罪

 戦争や忘れかけていた歴史を思い出させ、しかも役者も頑張って、よく作りこんであります。そういう話はやはりNHKでしかできないし、民放や今いきおいの配信でも映画ですら難しい企画、内容のドラマです。
 8月の原爆投下や終戦記念日近くにも、サムネ写真のようなそういったドラマやドキュメントを放映します。また若手の人気俳優が主演する朝ドラでも、女性の半生を描く関係で戦時下が描かれることも多いです。
 今放映中の「虎に翼」は女性初の弁護士、裁判所長を描く意欲作で好評なようですが、そこでも主人公の夫や家族の戦死や、空襲の場面も描かれていました。昭和の疑獄事件から、戦時下を経て、新憲法公布、原爆裁判、安保闘争、男女平等、と法曹界をとりまいた、さまざまな歴史を上手く描いています。
 NHKでは朝ドラと並ぶもう一つの柱、戦国時代などの歴史を1年かけてやる大河ドラマの方も、今年の「光る君へ」は好評のようです。
 戦争モノでさえ、70年ほど経過で事実がどうかわからなくなっていますから、平安時代など創作部分も増え、会話も現代風です。細かい歴史認識とかをあげつらっても仕方ないのですが、歴史を都合よく変えることは、やはり視聴率の高いNHKだからこそやってはいけないのです。

 NHKがフィクションのドラマとしてやっても、歴史や時代背景からモデルはいるとされます。
 また実名で登場したり、よく似た仮名など、実際の人物とともに報道される場面があったりすると、NHKがやっているから「これが歴史なんだ」「この人はいい人物だった」ということが刷り込まれます。一人の業績や、一つの事件の背景には、諸説ある場合があっても、ドラマのストーリーの中で都合よく主人公とからむため、悪意はなくとも曲解されたり、美化されたりしていくのです。
 保守の方から見てNHKの報道姿勢に不満が多いのもありますから、戦争の描写はとくに問題はあります。しかし、それをためらってばかりでも、歴史を描くことはできません。「諸説あり、両論併記、製作者の見解」というスタンスをよく理解してもらうような姿勢も必要です。
 まして、視聴率のためや個人の好みや私腹を肥やすために出演者を選択したりするドラマ、業界を築いた偉人であっても、一民間企業の経営者をモデルにして結果として大きな利益を与えるようなドラマは、公共料金を使ってはいけないでしょう。
 

Rのつく月に

 残暑の厳しい年は、この頃10月はじめでさえ最高気温が30℃超え、真夏日というのもありました。9月半ばでも当たり前に日中は暑いです。
 しかし、9月ということで、Rのつく月、カキフライがお弁当に入っていました。
 セミの鳴き声は聞かれなくなり、日が傾く時間は早くなり、夕方五時半ごろに仕事帰りに歩くと、西日が建物に遮られやすく猛暑はましです。夜の蒸し暑さは、その日の湿度や風により変わりますが、外の空気もだいぶ低くエアコンなしで耐えられないことはなさそうなくらいです。集合住宅や家の込み入った街中では、惰性でみんなエアコンを使うので結局暑い空気が止まないのが困りものです。

 猛暑が行ってしまっても、夏の疲れは残ります。夏休みが終わり、何となくアンニュイになるのがこの季節です。
 健康やメンタルにも注意が必要です。
 読書やグルメ、スポーツ、芸術など楽しむための秋の過ごしやすい季節のはずです。残暑を乗り切って、季節を心地よく味わいましょう。

大阪が進化している

 普段、古都の落ち着いた街で、右京の太秦から京都御所の間の通勤で、高い建物の少ない町に慣れているので、東京はもうビル街が圧倒的過ぎて、現実味がないくらいです。
 大阪は近いので、未だに遊びにも行きますし、最初に実家以外で住み、長く勤めた都市でもあり、その変貌が見ておきたいとも思います。
 鉄道やら買い物、演劇や展覧会など「点」として通過したり、ピンポイントで行っても、万博を控えまとまっていろいろできてくるパワーにはやはり圧倒され、チョット付き合うのには疲れそうです。

 万博は小学校の大阪万博に何度も行き「制覇」したぐらいなので思い入れはありますが、そんなに強い期待感はありません。「行けたら行くわ」程度の思いです。

 最近では西梅田側にも、大きなビル、施設が複数でき、ウメキタ側にも芝生の大きな広場などできあと数年でさらに進化、完成する空間が広がっています。万博景気、さらにIRと、新駅、新路線も広がり先進性、利便性の高まりと、イベント効果で当面大阪は上がり目でしょう。
 西梅田近辺は10年ちょっと前、通勤にも四つ橋線を使い、取引先の新店舗の立ち上げにもかかわり思い出深い場所です。中央郵便局跡は更地にされ、屋台が出たり、サーカスなどイベントをやっていました。ここにKITTEという切手、郵便局を想起させる商業ビルが建ちました。
 劇場もあり、良いテナントも入っていますが、イマイチ「官」の匂いも残すのが面白いところです。
 まあ大阪は東京ほどではないにしろ広いし、一通りに行くには少し時間もかかりすぎ、気持ちとしては遠く感じるようになりました。大阪は京都より平野も多く、企図された公園も多くあり緑は案外多く、住むのに悪いところではないです。文化や芸術、スポーツイベントも当然開催頻度も高いので便利ではあります。
 しかし、私は人が多い所より、ローカル線や廃線鉄が好きなので、好きなイベントや経由地以外ではそう無理には行かないでしょう。

公務員も病むほどハードな面

Silhouette of two close friends rising hands to the sunrise

 ちょっと現在進行形のところもあるのですが、過去の経験、事象もふまえて一般的なこととしてご理解ください。
 公務員というと、安定していて、時間通りに帰れて、チンタラしててもクビにならない楽そうな仕事をしているように思われがちです。公務員は比較的頭のいい方が安定志向で選択する職業という面があり、一定の共通したパーソナリティがある気がします。

 未だに昭和、平成のようなパワハラのようなブラックな面もあるところが残る民間に比べて、公務員はいいように見えますがハードというのか、とにかく仕事は沢山多岐にわたりありますので、部門間や個人差が多く存在し、そこには理不尽な不公平もあります。

 組織としてはイッキに改善が難しく、統合や組織変更がすぐにはできないので、結果としてヒマとか予算が潤沢な部署もあれば、忙しく人も予算も足りないところもできます。
 そこらあたりの、ヒマな部門を見て役所は無駄が多いともみられます。忙しすぎて病んだ人もいるのですが、病んだ人を多く抱えたままになってしまいます。
 また、そういう批判的な目で公務員を見る、一般の厳しい目が一部にはカスタマーハラスメントにも捕らえられ病と溝は深まります。
 キャリアは現場を知らず、別の出世競争に勤しみます。そのしわ寄せは中間管理職や真面目な職員、現場の非正規職員に行きます。
 組合もありますから、職員は楽とか、契約や非正規が就業規則通りの場合は、全てが中間管理職に行く場合があります。
 

 何人か私が見た人の中には、スーパーマン的というかブラック企業なみに働いて、休まず、自らサービス残業をして、身体も精神も酷使している人がいます。自分の出世のためならいざ知らず、何となく義務感使命感にかられ理屈に納得して自分だけしょい込むのです。ここまで追いつめられると、人間の弱さが出ます。肉体か精神にほころびが生まれます。将来の持病や気質の悪い面、そういうものが「もう休め、辞めろ」とサインをおくるのでしょう。
 こう書くと残念な感じですが、良い人の場合が多く、市民目線や傍から見れば便利とも言えるぐらいよく働くのです。

 そういう人と、前記の働かない人が混在しているのが公務員です。民間と変わらない?もちろん民間にも格差はありますが、民間だとあまり働かないとクビになります。だから公務員のその格差が大きいような気がします。