デジタル化で仕事は半分なくなる説

 よく言われるようにあと何十年かすると。無くなる仕事はいくつかあるでしょう。会社ももちろんですし、業界や職種、〇〇士など、〇〇手、〇〇人、〇〇ナーなども無くなっていくものが沢山でてくるでしょう。あと何年勤めるかにより、気になるところです。
 私は今公務員のようなことをやっていて、紙の書類をパソコンに打ち込んだりもします、年齢的にどうあがいてもあと数年でしょうから、民間で見て来た改革がジワジワ来るのを冷めて見ています。

 こんなことは時代が変わり、社会が変わり、人類が進化すれば当たり前にあることです。かつて、日本には武士という業種であり職種もありました。国鉄にも沢山の駅員から、機関車を扱う作業員も大勢いました。

 今の行政や多くの会社に経理部門などもありますし、総務や法務という間接部門もありますが、機械化やIT化が進み要らなくなり、多くの事務職員は必要なくなります。営業の人間も昭和から平成までの時代は、さまざまなプロセスで人間の手を煩わせ、個人の手間や工夫、愛嬌などが必要でした。現場のオペレーションも統一されていないので、マンパワーでカバーすることが大きかったのです。営業も沢山は必要なくなり、配達の末端の人間程度です。
 紙で書かれ出てきた申請書や企画書を人間の眼で判断し、確認して手続きが進むなどはもう完全にAIの方が有利な領域です。
 ミスが起こる可能性は人間の方が多いです。人間がしでかしてるの場合が多いのです。
 それでも、人間のやる仕事が残ります。AIに消される仕事と、AIにより生まれるとか共存できる仕事、あくまでもロボットではなく人間でしかできない仕事など、今とは構造は変わっても仕事は残るでしょう。
 介護などもロボット化はできる部分で、重労働を軽減しつつ人間しかできない仕事は必要であり、賃金はそう上がらないまま一定の求人が必要なぐらいこれからも残るでしょう。
 長く勤めれば管理職になり年功で楽な仕事しながら悠々はさすがに無理でしょう。多くの大企業が、やっているように勤続25年40代ぐらいからは役員、経営陣に入れないと、早期退職候補です。そういう動きは決定的に早くなるでしょう。

昭和の思い出、隣にあったラーメン屋

 行列のできるような斬新な系統という感じのラーメン屋さんができ出して、すっかり定着しだしました。盛衰はありながらも、ひと昔前からのチェーン店もそれなりに繁盛してりおります。
 私の高校生ぐらいまでは、屋台のラーメン屋が最寄のターミナル駅に南北に2軒店を構えて繁盛していました。衛生面で親などは「食べたらアカン」と言ってましたが、何度か食べに行き友達とも評論したものです。
 生まれ育った商店街の店兼家の隣に、北海道から二人組の男性のラーメン屋が入りました。両親が匂い面では微妙な最初の反応でしたが、気さくな人柄で家の商売が忙しい時は近所付き合いもあり、よく隣で食べといでと言われて行きました。
 醤油系の中華そばが主流だった時代に、本格的な札幌や旭川のラーメンでとても印象的で美味しかったです。
 やはり味噌ラーメンがイチオシなのでしょうが、塩バターラーメンも美味しあったのです。いわゆる豚骨系が出回るまだ前で、具もミンチに近いバラ肉で、のちの要望が多くチャーシューを作るようになった話を聞きました。チャーシュー入りは別料金で、それでも最近のどんぶりを埋め尽くすようなチャーシュー麺とは違いました。
 何年間して、札幌に帰っていかれました。あの二人が仲良くやられているのか、結婚されていたのかも全く知りません。つまらない話と味へのこだわりを聞かされただけです。
もう相当な年齢になるのですが、生きておられるなら札幌のラーメンの盛衰から、最近のラーメン事情をどう思っているのか聞きたいです。

年金生活が苦しい 退職金ジリ貧の元凶は?

出典:厚生労働省「就労条件総合調査」野村證券編集

 大卒で定年退職した人の退職金(45歳以上、勤続20年以上の平均)推移のグラフです。
少し前に問題になったいわゆる「定年後2000万円問題」60歳定年後の誰もが、年金を受け取るまでに預貯金が2000万必要とか、退職金だけではとても暮らしていけないと嘆く時代です。年金も退職金も20年以上遡るひと昔前の退職者の親ぐらいの世代ですと、今より1000万ぐらい多いのが如実に分かります。
 そうです、この20年で厚生年金の受け取り額も下がり、退職金もジリ貧の体たらくです。
IDECOが導入され、企業の負担も減ったはずなのに、退職引当金は他の内部留保に回されていたり、それ以前にバブル以降そこまでの利益がない企業も多いのでしょう。
 私の知識不足、リサーチ不足なので、不明を恥じる想像の部分が多いのですが、いったいなぜこんなに退職金が改定され、下がり続けることが許されてきたのかが良く分かりません。
 というのは労働者に不利益を伴う退職金の改定は、労使の合意が必要で、労働組合が断固拒否すれば、おいそれとできない取り決めのはずです。
 毎年毎年、春闘では賃上げを要求し、それなりのポイントで妥結しているのに、こんなに平均の退職金が下がっている。多くの大企業から中小企業までほとんどの企業の労働組合が甘んじてその改定を呑んでいるということです。
 共産党や野党が選挙やらで増税論争のたびに、「企業の内部留保をやめさせ賃上げや待遇改善に回せ、増税なら法人税を」と言いながら、退職金がどんどん下げられるのはスルーされていたのです。
 退職金の改定、春闘などの闘争ポイントでは直近の対象者が少ないので、全員が目先で全て対象になる賃上げや賞与ほど注目されない点があります。私も若い頃、労働組合員で職場委員や支部長などはやったことがありますが、自分にすぐ降りかかる課題ではなかったのか、記憶に薄いほどです。
 しかし、今老後資金が多くの中高年の労働者に問題になる中、こんなに不利益に改定されたのは目くらましか「陰謀」でもあったのかと思えるグラフです。
 多くの企業が昭和から平成にかけ、バブル崩壊からコロナ禍まで失われた30年ほどの間に、不祥事やら経営危機、合従、M&A、持ち株会社化などで平準化されたり、大規模なリストラもあり激動の中ではありました。
 企業独自の、社内福利厚生などいい面があっても、平準化の中では停止されるものもありました。
 AとBという会社が合併する場合、たすき掛け人事や支店の統合なども大変ですが、労働組合も、給与などの人事制度も最終的には統合されていきます。そんな中で、優遇されていたものは同水準に統一されていきます。
 リストラなどは、組合交渉もまず雇用が優先されて、早期退職などの退職金割り増しの提示がされ、総じてその際の枠組みの中で、賃金、賞与、雇用が守られて、退職金の積み立ては早期退職者に回すために残る社員の分を漸次減額されていったとは推定できます。
 それにしても、組合の力の無さなのか、経営陣に丸め込まれたのか、このグラフは納得できない数字です。春闘で、妥協点が最初から出来レースで分かっていても、徹夜交渉とかで、微増を勝ち取るとか悦ばせておいて、退職金はしれっと(早期退職増額を目立たせながら)改定していったのでしょう。
 死んだ子の年を数えても仕方ないですが。バブル以後の労働組合などはもう頼りにも何もなりません。コンプライアンスが社会にも浸透しだしたので、あからさまなパワハラ、セクハラ、労働協約違反は減りつつあります。それは労組が守ったのでも何でもなく、監視の法律が強化され社会全体が変わったのです。
 老後の退職金が時代とともに減ったことは、あからさまで分かっています。もう少ないことが分かって就職した人は自分で準備しないといけないことです。
 数字で改めて見ると減っていった時代を経験した我々の世代は残念なことです。
 労働組合は選挙の集票などやめ、もっと、本当の福利厚生、労働者の幸せ、退職金がこれ以上下がらないよう、努力しないといけません。
 

高齢者のつまらない仕事?

 ある経済アナリストが、「高齢者にはクソどうでもいい仕事で低賃金」で働く社会を非難して、年金と吝嗇、家庭菜園で生きられるのにと、暴言めいた話をしていました。社会保険などの批判もあったのでしょうが、60歳以上で良い仕事が選べない人が多い中、やや配慮に欠ける発言です。
 勝ち組負け組という言葉は、半沢直樹ではないですが、私も嫌いです。テレビの仕事や著作で儲けてるその人や、役員で高齢まで働き、資産運用や退職金と年金で悠々自適な人は勝ち組と言わるかもしれませんが。英語でブルジットジョブという、やっている人も何の意味があるのか分からない仕事、どうでもいい仕事は日本にはそうありません。
 働きたくともよい仕事がない、国民年金を70歳まで義務にするなど、お役所的発想に洗脳された議員さんがいるのにも辟易としますが、高齢者の多くはプライドを捨てるようなキツイ汚れ仕事、危険な仕事など、それでも社会に絶対必要で誰かがやらないといけない仕事を担っています。
 実際にお金がないし、年金も少ないとか働く動機はそれぞれでしょうが、仕事に厳密には貴賤はありません。むしろ低賃金で厳しい労働をしている人は称えるべきです。災害や外国の脅威から国土を守るとか、原子力発電所で被曝におびえながら作業をするミッションも誰かがやらないと成り立ちません。
アナリストやインフルエンサー、経営顧問などがいくら稼いで勝ち組だと言っても、社会を支えれ基盤にはなりません。それこそ、高額報酬のクソどうでもいい仕事です。
 60歳で経営層や幹部、役員で何倍もの報酬を得て、あるいは貯めたもので働かずに楽に老後を過ごせるのが、本当にエライ勝ち組ではないのです。
 自分のためでも誰かのためでも、社会のために仕事をして、低賃金でも貢献して、皆の役立ち感謝をされる人間こそ勝ち組と呼ばれないといけないのです。

いくつになってもコスメと身だしなみ

男性、しかも年齢のいったおじさんでも意外とUVケアしている人日焼け止め使っている人が職場とかでもおられて、ちょっと驚きました。しかも私が元勤めていた会社のブランドと聞くとそこまで義理はないのですが嬉しくなった時があります。
 コスメ、ビューティ系の新商品やヒット商品のお試し、ましてやレビューなんぞ年金暮らしのオヤジには贅沢で無駄とも言えますが、どこかで切り詰めながらもいくつになってもそこそここだわることがおしゃれかとも思います。
 もちろん、人間の本質は外見だけではないのですが、ちょっとしたことをしっかりやっていることは全てにつながります。日焼け予防は肌の老化、皮膚がん対策です。紫外線をシャットアウトするというのはごく物理的、科学的なことなので、他の化粧品や医薬品に比べ効果は確実です。
 今年、知らない間に日経のヒット番付に、こんな商品が5位にランクインしていました。本社が下駄履かせてるにせよ1位がチャットGPTのランキングなので驚きの評価です。他のアットコスメや、LDKの評価もまあまあ高いので、それなりに売れたのでしょう。乳液やジェルタイプの日焼け止めよりも、使いやすさはあります。画期的というほどではない形状ですが、持続感がこのタイプとしてはいいのでしょう。
 花王の化粧品系のアリーはシュリンクした感じで肌色コントロールや環境特化の路線です。年配の方の印象にはいまだに資生堂アネッサ対カネボウアリーの構図も強いようですが、今は残念ですが花王の中でどんどん縮小傾向です。
 私の家計の中でも、リストラ、シュリンクされそうな科目です。まだしばらく、シミと皺だらけの、白髪かハゲで腰の曲がった老人にはなりたくないと少し投資枠を残すよう頑張ります。

弁護士も裁判官も人の子

 あまりトラブルなく日常を過ごしている人は弁護士さんにお会いすること、ましてや検事や裁判官と会うのはまず稀でしょう、テレビや映画の世界、あるいは弁護士からタレントや政治家になった人を見かけるぐらいでしょう。

 勉強をして司法試験という難関を突破して、司法修習生を経て、多くが弁護士となり、1割以下が検事、裁判官に分かれます。
 先日弁護士で元大阪市長などを歴任し今はコメンテーターの橋下徹氏がネット番組で、かつて人気番組で共演していた弁護士丸山和也さんとトークを繰り広げていました。お酒も入って冗舌で面白い政治や法曹界に裏話、暴露話に花が咲いていました。そんな中で丸山氏は「裁判官なんて、広い世界、他の社会も知らない」という調子でかなり裁判官を罵倒した話になりました。橋下氏は、裁判官はエライ、自分にはあんなにコツコツ本を読み漁り、検証することはできない」という趣旨のむしろ裁判官をかばう発言でした。橋下氏は政治家をやめたのも人に気遣いして、仲間を増やすのが無理ということでしたが、いろいろ個性と能力で時代の風雲児となり、敵も多いが名声も得て、大金を稼いだのですから、公務員の年功ベースの給料の裁判官は割に合わない面もあるのでしょう。
 一般の人から見れば、司法試験に受かることさえ相当なものですし、その中でも裁判官と言えば優秀中の優秀に見えますが、それでも人の子だとは思います。
 小児科、婦人科をはじめ女医さんが多いように、裁判官にも女性は多いですし、若い方もおられます。
 とてもアタマはよく、記憶力も頭の回転もいいけれど、方向音痴とか、パソコンや機械の操作は苦手とか、アニメやアイドル、音楽ももちろん人並みに好きな人達ではないかと思います。
 

正義

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 前にも書いたかもですが。高校生のとき、友達と電車で不正乗車、キセルとうかか過少申告をしてこっぴどく怒られました。

 お金がない訳でもなく、どうせ分からないだろうという傲慢で甘い考えでした。
無人での野菜販売や、最近導入されているセルフレジでもそうですが、少し悪いことを考える人が、見つからないだろうと、犯す罪は悪質なものです。
 法律には、一つ一つの条文に難しくそれが書かれていますが、少し考えれば何が正義、何が正しいかは分かるものです。

観光都市京都市 交通へ提言

 先日の報道によりますと
 深刻な財政難に陥っていた京都市は2022年度の決算概況を発表し、22年ぶりに一般会計の収支が黒字に転じました。過去最高の77億円の黒字になったということで、負債の返済などに活用していくということです。8月2日、門川市長が会見で明らかにしました。 黒字に転じた理由として、歳入では固定資産税などの市税収入が増加したこと、歳出では職員の数を減らして人件費を削減し、市民サービスの見直しを行ったことが挙げられました。 一方で、京都市バスや市営地下鉄では赤字が続いていることから、市は引き続き対策を検討したいとしています。高齢者向けのパスなど引き締めた施策は継続して財政の改革に充てると市長は明言しています。
 京都市の財政問題は、まだ奥深く、【闇】と言われます。
 ここでは交通の問題だけを取り上げますが、まず市民目線で立て直すべきです。
 敬老パスが以前3億円の支出だったのが対象者が増え50億かかるようになったと市長は言ってますがとんでもない誤魔化しです。高齢者は増えてもそんなにコストは増えていません。電車やバスはガラガラで走っても、満員で走ってもコストはさほど変わりません。まして電子化もされていない敬老パスなど発行手数料はわずかです。
 鉄道関係が趣味なので、鉄道や交通の専門家の話やお聞きしたり論説に触れることも多いですが、京都市民は同情されるような深刻な状況になっています。
 観光地が多く、大学があり、文化的環境はそろっているかのようですが。肝心の生活をしていく上で、子育て環境、買い物や通院などの交通の便が悪い、土地も高く住みにくい町になっています。その状況に中で、さらに市バス地下鉄を値上げ、敬老パスの廃止など市民から遠ざけてしまい、赤字を根本から見直す、市民目線、お客様の立場になっていないのです。
 上場して完全民営になったJRや、昔から競い合った私鉄はもちろん、赤字で存続が危ぶまれたローカル鉄道や、第三セクターなどは、少しでも乗ってもらおうと運賃を抑えサービスを上げて、必死です。
 それなのに京都の市バス、地下鉄は高い運賃と、恵まれた待遇にあぐらをかいて、まるで改善されないままです。

 非常に、個人的でちっちゃいとこから書きますが、まず京都市営の地下鉄の料金が高いのです。
 しかも定期券を購入してもらい、固定客を増やそうという欲はなく、まるでやる気がないのです。販売場所も限られ、元々割引の比率もJRや他の私鉄に比べ低く、週休2日で有給も使うのが当たり前の昨今、回数券のが安かったりします。これでは他の交通機関やマイカー、自転車やらに流れるのも当たり前です。敬老パスなどは元々長年市内で働かれた人への感謝の意もあるもののはずで、家族も含めて利用が増えエキチカも利用されれば市は潤うはずです。
 利用せざるを得ない人だけから、高い料金を徴収していてはやがてジリ貧、コロナ禍がいい例で、観光客が去ればお客が増えるはずがありません。
 
 京都市内には市営地下鉄の他、JR東海道線(琵琶湖線、京都線)、JR山陰本線(嵯峨野線)京阪線、阪急線、叡山電車、京福電鉄がそれぞれ路線を運営しています。
 市民にはおなじみの交通でも、外国から来る観光客、ましてや団体ともなると乗り換えは簡単ではありません。残念ながらJRで京都駅に着いても、併設する地下鉄駅から1本で観光地へいけるところは少なく、バスの方がわかりやすく、運賃も加算されないため安いとあればバスに集中するのです。
 2路線しかない京都の地下鉄で、いまさらこれ以上の環状線への延伸などはさすがに難しいでしょう。市電をあっさり全廃し、地下鉄を莫大な予算をかけてハンパに作った当時の計画の未熟さも問題ですが、現市政で可能なことはやって欲しいものです。
 今ならライトレールLRTとして今出川線など残しておいて、嵐電と叡電を繋げれば市内北部での東西の移動が便利だったでしょう。単線でも定員の多い電車で走らせることは検討の余地がある地域です。
 バスが市民の生活路線なら何とか観光客は他の交通機関に移す仕組みが必要です。一部検討はされているそうですが、料金の差別化もそうです。外国人観光客向けの主要観光地行きライナーのようなバスを設定し、遠回りでも渋滞の比較的少ないルートを走らせ主要駅と観光地を結ぶのです。特に西側の嵐山、金閣寺と、銀閣寺、東山方面です。
 料金差別化設定も難易度は高いと見られますが、できないことはないはずです。
 市が観光税的に徴収して、LRTや別建てのライナーバスや他に向ける予算を捻出するのです。
 大がかりなインフラが難しいなら、何とかソフト面、乗り換え案内の改善含めて細かい点から施策を徹底して、市民の移動の動線を守ることを考えていただきたいのです。

 最終的には交通局の赤字完全解消は難しいでしょうが、その場合も観光という武器を市の税収増につなげて潤った分で、カバーして、市民の移動を今以上に快適にリーズナブルに、障害者や高齢者に優しく提供できるようにすべきです。

半夏生の日 7月1日 年の後半に

 7月1日は『半夏生(はんげしょう)』、七十二候の一つ『半夏生(はんげじょうず)』です。
 夏至の半分みたいな自ずらですが、「半夏」は生えるというところから来ています。
半夏とは烏柄杓(からすびしゃく)という植物の別名で、この毒草が生ずる季節という意味です。また、田植えの目安とされ、この頃までには田植えを終えるべきとされていました。
この日に降る雨を半夏雨(はんげあめ)と言い、この雨が降ると大雨が続くと信じられていました。
 まさに梅雨末期の大雨に警戒というところでしょう。
 1月1日から始まった1年はちょうど昨日で半分が終わり、折り返しの6カ月が始まります。季節は真ん中で湿気の多い体調管理の難しい季節です。湿度や温度などは、生活に直結します。防腐剤の添加が食品が多くて、カビの対策なども怠りがちですが、天然由来のものは身体によいかわり日持ちが悪いことも注意しあいといけません。
 汗や汚れのついた身体や衣服も、ほっておくと思わぬ体調不良やトラブルのもとになります。
 大雨以外にも、気をつけることの多い雨の季節です。

書評:「塞王の楯」今村翔吾

 直木賞、昨年上期かな、図書館本なかなか回ってこないでそろそろ文庫が出そうな頃にやっと読みました。
 面白いですね、やはりこういう歴史から、うまく話を広げ、登場人物のキャラを育て話を膨らませていくところは上手いです。
 ちょうど、大津や坂本にもいく機会があり、長浜には以前良く行きました。滋賀県在住の作家が戦国のキーパーソンとして、二組の職人集団を選び対決をエンターテインメント
 近江の国・大津城を舞台に、「絶対に破られない」石垣職人“穴太(あのう)衆”と「どんな城も崩す」鉄砲職人“国友衆”の宿命の対決を描く究極のエンターテインメント戦国小説とされます。。究極の守り「盾」の石垣と、至高の攻撃「矛」の鉄砲の、武士を通り越した職人同志のライバル対決を描いていきます。関ケ原の戦い直前の大津城の攻防に重要な意味を与えます。
 そこには職人の気概とともに、最近の大河とかでもよく描かれる、戦争を止めるための戦さ、平和のための葛藤がテーマにもなります。
ネタバレは避けますので内容はこれくらいにしておきま。時代ものはよく歴史考証やリアリティで「実際には、、」と学者やマニアに突っ込まれます。しかし、これは約束事みたいなものがあるのでしょう。古文書で確認されたとか最近の歴史学説などをチエックしつつ、言葉にしろ昔の言葉や方言をそのままでは、誰も読めませんので翻訳もののようで、かつ昔のその地方風で読み進むのに支障なく、歴史を感じるティストであれば良いのでしょう。微妙なラインがあって、映像化でもそうでしょう。オール字幕でないと当時の薩摩弁や宮中言葉は分からないとか、衣装や容姿もあまりにも役者のイメージまでないがしろにはできないと、どこかで妥協するのでしょう。
 少し前の本屋大賞の和田竜さんの『村上海賊の娘』もなかなか映像化されないようです。娯楽性に重きをおき、史実面に問題があると大河ドラマにはならないそうですが、こういった少ない主要登場人物の生きざま、葛藤を描くドラマは映像化は意外と制約が多いのでしょうか。大河にしろ、あまりにもキャスティングが多く、無駄な視点に飛び過ぎてスピンオフ的になり過ぎてあれは、リアル以前だと辟易してしまいます。
 この作品でいうと、映画化か大河に今風のキャスティングなら匡介が吉沢亮?、玲次に山田裕貴、彦九郎に小栗旬? 京極高次は大泉洋、お初に北川景子、源斎に三浦友和、立花宗茂に佐藤浩一、夏帆に杉咲花、などと想定します。