選抜高校野球 石川県だけではない応援小さな町応援

 春の甲子園、選抜高校野球大会に21世紀枠で北海道立別海高校が選ばれた。北海道大会で私立や野球の名門校のある中、ベスト4まで進んだのですから21世紀枠とはいえ実力もあり、公立、しかも過疎の小さな町からは快挙です。
 被災のあった石川県勢2校、日本航空石川や星稜高校も判官びいきで注目されそうですが。この別海高校も暖かく応援して欲しい存在です。
 私は高校生の野球があれほど注目され、新聞社が煽りチヤホヤされてプロ予備軍になる構図は基本的に好きではありません。それでも大学生の駅伝やラグビーなどよりは、全国津々浦々から代表が選ばれることに意義は大きく、予選だけではない選抜の21世紀枠も良い制度だと思います。
 まだ日本にこんな地域があったのかと思います。元々子供の頃、テレビで見る高校野球で地名を覚え、地理に興味を持ったのです。

 人口12,400人の町、人の数より牛の数が多い上、面積では日本で三番目に広い町だそうです。(1位は足寄町、2位遠軽町でいずれも北海道です)市内にかつては標津線という鉄道路線が走っていましたが1989年に廃線となっています。私は学生時代に周遊券で2度ほど北海道を乗り歩いています。標津線と厚床支線で別海町に8つほどの駅がありました。野付半島を訪れているのでこの線に乗車して別海町を通過していると思われますは全く記憶はありません。別海村営軌道というものも昭和48年まであったそうです。
 一度は廃線探訪にとも思いますが、何せ遠いですね。
 本州、大都市もある近畿地方の県の田舎の方でも、小さな市や町は過疎で、不便で何もないと思いますが、まあ距離感、スケールが違いますし、冬の寒さもハンパでなさそうです。カーリングのロコソラーレの選手が北見市常呂町は何もないと思っていたとか言いましたが、多くの北海道の札幌以外の市町村は広く雄大であるので、すぐにコンビニが見つかる都会から見れば何もないとは感じるでしょう。
 根釧原野という開発しにくい土地でしたが、戦後農業から広大な土地を活かして酪農に切り替え今は酪農のメッカと言われる町で息づいているそうです。
 日本の中にもまだまだ知らない町や村があり、それぞれ栄枯盛衰、開発の歴史、地理がある。高校野球の全国大会がそんなことを教えてくれます。自分の地元だけでなく、被災の石川だけでなく興味を持ち見ましょう。 
 

〇年に一度の天才は実はどこにでもいる?

 大谷さんのグローブが各地の小学校に配られて、子供たちが喜んでいるようです。
 大谷翔平が二刀流の驚異的な活躍でアメリカメジャーを席捲し、藤井聡太が将棋の世界で八冠という、昨年は何年かに一度の記録で二人の若者が世の中を明るくしました。

 言葉尻をとるようですが、不世出とか、何十年に一度しか現れない天才というようなアスリートやアーティスト、偉人への表現には少しひっかります。。
 また、本人らは謙遜もこめてか、周りのおかげとか、人一倍努力した賜物とも言います。
 確かに同じような才能でも、環境によって埋もれてしまう場合もあります。時代がかぶってしまうと、ライバルにはなれても圧倒的な1位にはなれない確率的な問題もあります。環境という面では、子供のころから、取り組める恵まれた環境がなければ、立派な身体能力や、音楽の才能があったとしても世に出ることなく、平凡な生涯におわっているかもしれません。
 大器晩成型で、才能を発揮する場合もありますし、カリスマ的、天才のいない時代に泥臭く時代のトップをとった感じの人もいます。
 競争の激しいやや薄汚い面も社会にはあります。一度トップをとった人間は追い上げてくる人間を潰しあるいはとりこみ自分のカリスマをさらに輝かせる場合もあります。
 必ずしも天才が、社会的栄光をつかむとは限らない世の中でもあります。
 天真爛漫に見える若い二人の活躍は爽やかに思えます。だからこそ、過剰な煽りや忖度めいたことはやめて、次の世代が来ればまた別の人が輝く社会が良いのです。

スポーツ界不祥事の処分と、感情煽る報道への疑問

 度重なる不祥事があり、大麻のも問題で伝統ある日大のアメフト部が廃部と決定したようです。
 大学スポーツということで、処分の是非、軽重にさまざま意見もあり、テレビなどで関係者や街の声も報道されていました。
 私の大学でも不祥事があり片方で、大学特権的なアスリート優遇を廃止して伝統があろうと廃部せよという声と、スポーツに一途に賭けた若者からはく奪するのは酷だし大学の名前を売るのにずっと貢献してきたのにという意見も出ます。
 高校野球はもっと厳しく、部員はもちろんよく選手でない生徒が起こした問題でさえ連帯責任で大会辞退という場合もあります。
 大麻の温床で何人もの選手となると指導者や寮の環境にも相当の問題があり、部の処分は仕方ない面もあります。
 廃部は、嘆願により復活の可能性はありますが、当面卒業するまでの現役生徒は居場所を失い厳しい処分ではあります。
 同じアスリートでもプロは、不倫や暴力、イジメの基準が厳しくなった昨今とは言え、球団自体が自粛することはなく、大物選手はなんだかんだ救う球団が出て、シャーシャーと高給で復帰しています。開き直って黙殺してほとぼりが冷めるのを待つ球団もあります。
 大学だから、プロだから、高校だからと、どうも一貫性がないのが気になります。都度、その大学や球団の関係者が利害がらみで相談していては、そこでも時と場所により運不運の結果が生まれます。大物だから再契約できて、中堅以下だと路頭に迷うというのは何か違う気がします。
 大学の処分で言うと、今回の日大の廃部は潔いと思います。もちろん、学生への同情という感情論は抜きにです。教育としても、学生全体でこの問題を考える機会でいいのではと思います。
 プロスポーツも個人への処分もですが、ファンの暴言なども含めて、チーム、団体として協会で決め無観客などもっと厳しい処分があってもいいと思います。コロナでかなりの期間無観客で成り立っていたのですから少々の期間自粛しても潰れはしないのです。その代わり、暴力や麻薬、イジメや飲酒運転などがいけないことを徹底して社会へ訴える機会になれば良いことです。
 個人への処分を楽しんだり同情したりするのが一般ファンの楽しみになってはいけないのです。ファンに個人を罰する権限などないのです。特に大学生、高校生に至ってはマスコミにも処分の権限はないので、報道で煽ること自体が問題です。
 人気のある高校や大学のスポーツが異常なまでに集客がありお金に繋がり、トラブルがあれば守る力のない親や教員しかいない彼らに、正義感ぶって同情を煽る感情論で語るのは間違いです。
 日本のプロスポーツは、野球だと巨人中心とかで儲かるとこだけが多く設けて分配や還元の考えがなく、チーム数が少ない寡占体制で新規参入が難しいので、経営やコミッショナー、機構や協会は飾り物で管理はなれ合いの体質です。
 一部の既得権者が利権をあさるため、結局組織が大きくならないのではと思います。
 罪には毅然と罰を課して、利益は分配して苦しいところを助けて組織全体が大きくならないと、グローバル化は無理です。
 日本のスポーツ界は、MLBやプレミアなど欧米のメジャースポーツにいつの間にか、大きく水を開けられました。この差が開いたのも、既得権の集団、何かこういう大学や高校からのスポーツの在り方を含めて、澱んだものが一因ではとさえ思います。

ハラスメント

 流行語大賞も「A・R・E」に決まり、日本シリーズの関西対決、WBCと盛り上がった野球、サッカーでも神戸が初優勝。バスケやラグビーも盛り上がった1年でした。
 そんな中、プロや大学スポーツも含めアスリートの残念な不祥事のニュースもありました。
旧ジャニーズ事務所、歌舞伎役者、宝塚歌劇団とまだまだ旧来の因習のような忌まわしい事件も多く報道された1年でもありました。
 私の推し球団の楽天イーグルスでも中堅選手のパワハラ問題が持ち上がりました。
 WBCの爽やかな大谷翔平のインタビューを聞いていたら、そんなことありえない時代のはずなのにと、体質を責め加害者を糾弾したくなるファンも多いようです。
 実際にはイジメの事実があったアスリートや性加害者や不倫騒動の選手が現役で高年俸で活躍しています。
 一度の過ちを許さないというのではなく、寛容にその才能を認めて活躍させていく社会とも言えます。
 体育会系といえば身体能力が高い先輩が後輩に厳しい指導をして、礼儀を教えるのが伝統だという組織もあり、それがいい選手の輩出に繋がっているところもあります。昭和から平成のかつての名将、名監督は鉄拳制裁も当たり前でした。八百長でもない限り、選手の処分はありませんでした。
 ある監督は多少パワハラや金銭疑惑の噂もありながらも、結果を出して平成でもいまだ伝説的にもてはやされています。
 プロのアスリート、あるいはアーティストは才能を開花させて、魅せてお客様を悦ばせる存在であり、労働基準法を適用させて残業を貰い、厳格なコンプライアンスを守る公務員やのようなものではないと思います。
 才能はあるけれど、発達障害的な部分も多く、周りがうまく扱わないとやっていけない。所属チームの構成によって、実力を発揮できるかうまくやっていけるかは運しだいのようなところがあります。たとえば、好きなスポーツ(芸術)があって、その学校の部活を選ぶとき、先輩や顧問がどうしようもない人物だと、他のスポーツの部活に入るとか、地域クラブなど外部の組織に入るあるいは学校を変わるなどの選択をする考えが必要になるのと同じです。
 日本のスポーツが相対的に強くなっているのは、体格が良くなってきたりいろいろ要素はありますが、旧来のパワハラ体質がずいぶん改善はされつつあると思います。それだけに、ある程度の伝統は守りつつ、のびのびと多くの人の才能が発揮できるようにと思います。
 

それでも試合時間 長さすぎる日本プロ野球

 関西対決となった日本シリーズ、昼間にやっていた頃に比べて秋の夜長とは言え結構な注目で盛り上がりました。
 全試合ナイターで、10時を過ぎた試合もあり、インタビューが地上波の放送に収まらないクレームもあったようです。
 CMを入れる地上波民放局も苦労していた感じですが、やはりコンテンツとしては時間が長すぎると思います。
 ビールを飲みながら、スタジアムでも家庭でも飲み食いしながらで丁度いいと言う人もいますが、3時間半から前後4時間以上はちょっと厳しいところです。明日仕事の人でも、深夜になります。観劇やらでも休憩時間や弁当を用意してもありますが、さすがに午後10時はないでしょう。
 メジャーのピッチクロック制もですが、ルールや仕組みを変えるだけでもだいぶ改善できるところもあります。
 投手の交替も、1イニングの2回でそのたびにCMを長々では、ワクワクというより興ざめです。CM時間のためにマウンドで投球練習をするわけではないでしょうが、交替できるのはイニング1回きりとか、投球練習の時間も短くするなど改善のやりようはあります。
 ランナーへの牽制の回数も制限を設けることができます。(メジャーは2回)投手コーチや守備の野手が間をとる時間は短く、回数も制限したら、スピーディでしょう。
 それと、やはりイニングの交替の時間です。高校野球やメジャーに比べても間が長すぎます。
 こういう間や、牽制や頻繁な投手交代が戦術の妙だとか飲食を楽しむ時間と、反対する保守的な人もいるでしょうが、トータルの時間を縮めていかないと、マニアだけに愛されるオアコンになっていきます。飲食の機会は試合前などで、イベントも含め考えれば良いことです。
優勝が決定する試合や日本シリーズの激戦だけで、夜遅くても騒げて楽しいじゃないかということではありません。普段の土日や平日の夜、地上波放送は減り、放送のコンテンツとしても岐路に立っています。
 新しいスポーツが台頭し、ラグビーやバレーなどもどんどんルールを改訂しています。日本のプロ野球が一部のファンと、高額な放映権のテレビ局(それもシーズン中はほぼ地上波全国放映なし)のために、旧態依然と長時間試合をやっていては衰退します。

トイレで体操する清掃の人

 今の職場のトイレを掃除する年配の清掃員の方がおられます。時々、男子トイレの奥で就業前に体操をされています。
 バツ悪く顔を会わせると「毎日腰を屈めるとか、同じ姿勢が多いから、体操をしてから始めると随分マシ」なので続けていると説明してくれました。
 良い心がけですし。私もほぼ終日デスクワークですのでパソコンで目が疲れ、肩もこるので、一日の始まる朝の体操は必須ですし、時々休憩しては肩を回したりでだいぶ疲れや凝りが違います、
 クルマや電子機器も少し立ち上げにウォーミングアップが必要なように、朝の体操は、危険な工事作業などでもそうですし、いろんな仕事をする前には必須です。
 オフィスで、体操していると、奇異に映りますが、立派な心掛けです。
 年齢を経過すると、頭、首、肩、腰、膝と一通り痛むは経験するものです。血流や軟骨の摩耗など原因はいくつかあっても、適度な運動は必須です。薬品やサプリより効果も高く、副作用もありません。同僚、家族なら照れずにいっしょに軽い運動から、健康へのステップを始めましょう。
 一日同じ姿勢での仕事、頭だけを使う仕事でも一日の初め、初動で全身に血をめぐらせ、筋肉をほぐすかで、カロリーの適切な消費も含め一日の全身の動きが変わります。
 ラジオ体操とか、腰痛体操なんて子供やお年寄りとかアスリートや作業員のすることと思わずすべての人に重要なエクササイズです。

「そうじのおばちゃん」は差別用語? – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

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「星野君の二塁打」はもう古い?自主性の時代か

 プロ野球日本シリーズの関西対決で盛り上がるところですが、今年道徳の教科書で長年採用されてきた「星野君の二塁打」という少年野球の話が消えたそうです。
 その内容はおおざっぱに要約すると
「監督のバントの指示を守らずにバッティングをした結果、幸運にも二塁打を打ち放ちチームを勝利に導いた星野君。しかし翌日、監督は指示に従わなかった叱責し星野君に大会への出場を禁じる」というお話です。
 原文は旧仮名遣いで吉田甲子太郎という童話作家が1947年に書いた短編小説で、長年道徳の教科書に定番とされていました。自分勝手な判断をせず監督の指示に従うことがチームとして大切だという道徳的教えなのでしょうが、軍国主義的とか、子供の自主性を奪うとかいうことで時代と合わなくなってきたのので教科書から消えた言われています。

 そんな中、先日のパリーグのクライマックスシリーズで、ロッテの吉井監督はバント失敗のあと、タイムリー二塁打を打った選手に、申し訳ないサインを出したと謝るようなしぐさをしていました。
 サインを無視したわけではありませんが、結果オーライにして監督が笑ってすますと、打ちたい選手はどんどん作戦を無視していく傾向になるかもしれません。
 無能な上司の指示を状況判断で現場社員は臨機応変の対応ができた方がいいとか、上司の指示だけで考えることをしない無能社員を産むからと、批判は多いです。それでもあまり、リーダーの指示に従わない組織も良くないのではとも思います。
 それこそ、状況によるというところでしょうか。
 パワハラ的な監督、コーチが指示をして悪質なタックルをさせたアメフト部もありましたが、まだまだその指示に従わないという雰囲気のある昔の体育会系がはびこってもいます。そんな中ではメジャー経験のある吉井監督の優しさは清涼剤でした。日本のスポーツも軍隊式から、楽しむ時代へとようやく来ているのかと思いました。

サッカー ラグビー 野球も体格差なくなる?日本

  大谷翔平が二刀流で活躍し、最後は休みながらもホームラン王になったのは、日本人の体格やパワーがもうひと昔前と違い欧米人と大差ないということでしょうか。
 野球で言いますと日本のホームラン王松井秀喜が米国では中距離打者だった十数年くらい前に比べ、投手も150キロ以上は当たり前に投げ打者はそれをはじき返すスゴイパワーとスピードの時代であり、変化球でコーナーもつく日本人らしい繊細さと戦術もあります。
 サッカーも三苫や久保をはじめ欧州のトップリーグで活躍する選手が当たり前に増え、代表はアジアでは完全に抜きんでて、欧州や南米の強豪国とも互角の戦いができるクラスになりました。
 体格差は最も実力差になるラグビーでさえ、助っ人はいるものの、強豪国と競り合い、面白い戦いで勝てるのではと希望も持て、ラグビーの醍醐味を見せてくれるぐらいにJAPANのチームは成長しています。
 この20年くらい日本の経済は停滞と言われますが、スポーツ界、アスリートの体格や技術はどんどん進化したと言えるでしょう。その裏には、お金の大きな流れもあるのでしょうが、見ている方素直に楽しめ、勇気づけられます。

素晴らしいプロ野球の球場

 日本のプロ野球も大詰め間近、クライマックスシリーズが始まりました。
 野球経験のない私ですが、今年はサッカーではなく野球の観戦に2度ばかりスタジアムに訪れました。
 推しの球団は敗退しましたが、昨夜のホーム千葉ロッテマリーンズのzozoマリンスタジアムにも一度行きました。とにかく、日本一と言われるファンの応援が素晴らしいですが、30年以上経過している千葉マリンスタジアムは海風なびく心地よいロケーションです。サッカーのような応援団の熱い声援の雰囲気とともに、一度は見ておきたい球場です。
 今季限りで引退される谷保さんという方のスタジアムのアナウンスの美声も素晴らしいです。
 かつて川崎球場で寂しい観衆でやっていた昭和末期のオリオンズ時代とは隔世の感です。
関西にあった、大阪球場、西宮球場、日生球場、藤井寺球場など私が学生から社会人になったころの古い球場は全て淘汰されています。西武球場、横浜スタジアムが真新しくできた頃でしたが、これらも(西武はペルーナドームに改修)は別格の最古の甲子園、神宮に次ぐ古参になりつつあります。
 西武やDeNAも地域でコアなファンを作り、かつてほとんどの子供がYG 帽をかぶりテレビは巨人戦だけだった人気1強時代もまた遠くに過ぎました。
 野球帽をかぶる人は、メジャーや応援に行く地元球団で、カッコいいものになっています。
 クライマックスシリーズで2位3位が勝ちあがるかもしれない矛盾や、球団数の少なさなどいろいろ問題はありますが、日本のトップクラスの野球、シーズン終盤を楽しみます。

猪木 人生の応援者であり、政治家でもあった

 昨年10月に亡くなったアントニオ猪木を追悼するドキュメンタリー映画を観ました。今、どこでどうされているかは知りませんが、若手社員の頃の先輩に猪木ファンがいまして、プロレスの日を楽しみにしていました。
 少し年上から、私より下の50代ぐらいまでが子供の頃、猪木の激闘を応援した世代ではないでしょうか。
 プロレスラーであり、そのジャンルにとらわれず、いろんな人の人生を応援する求道者のような生き方をした人物です。
 この映画の劇中ドラマの中にも、女兄弟とタイトルマッチでもチャンネル争いをした子供もいるでしょう。昭和から平成の手前の時期、ようやく裕福な家でビデオが出回り出した頃が猪木プロレスの最後の隆盛でした。最後も安田顕演じる主人公が猪木ビデオに励まされ、子供や学生だった頃も猪木の戦いや言葉に支えられてきたことを思い出します。
 常に、プロとして、新しい戦いの場や、恥も恐怖も恐れず、怒りを込めて敵にぶつかっていく姿は、その後政治家となっても、一見無謀で懲戒ものでしたが、誰も恐れて近づかないイラクや、キューバに命懸けで行動していく姿は、凡庸な体制べったりの今の政治家にはあり得ないスタンスでした。
 まず、行動を起こし、チャレンジをする、意外なほど、その後のアスリートやアーティスト、芸能人にも影響を与えています。
 データ分析やら、戦術が進化し、トレーニングなども充実した現代ですが、昭和のプロレスのヒーローが未だにVHSデッキのテープとともに語り継がれるのです。