不満が多いのは税割合が高すぎる、五公五民

 キャベツやコメも大きく値上がりし、生活が苦しいのは、江戸時代の「四公六民」を凌ぎ、「五公五民」とも言われる重税が原因です。実際、全国民の所得に占める税金と社会保障費の割合を示す国民負担率は2022年に48.1%に到達。以降も5割近い水準で推移しています。その国民負担率の中身をみれば、控除が縮小、復興特別や森林環境税おかしな名前の税など、これ、なぜ取られるの?と疑問になるものも多い……。

 サラリーマンの給料から源泉徴収される税金や社会保険料は、ひっそりと天引きされていることから「ステルス増税」との批判も根強い「103万円の壁」を178万円に引き上げろと国民民主党が訴えると、政府からは「7~8兆円の税収減となる」と懸念の声が上がり、地方首長からも「自治体財政が破綻する」などと反対論が巻き起こったわけです。

政府与党も地方も「税収が減るから大変だ、大変だ」と、税金を取る側の話ばかり……。減税によって手取りが増えれば消費が増え、経済が活性化して税収も増えます。ところが、7~8兆円の税収減という試算は自然増収を完全に無視して、減ったものだけを計算しています。

 たしかに反対している人の中には、浪費家やギャンブル依存などの人も一部はいますが、多くの年金生活者も現役時代からは切り詰めた生活をし、貯えを切り崩しながらも、この物価高には爆発しそうです。教育や住宅ローンを抱えた人も、切り詰めていても食費に回るお金がなくなる、自分の家庭で使っているお金なので非課税や生活保護にも該当はしないが、給料だけでは極めて厳しい人が増えています。せめて手取りをと言って103万円の壁の撤廃に期待しをても「財源がない」??と新たな税負担が増えれば同じです。

 まともに考えない、政治家、財務省はまずは、税と社会保障を所得の3~4割に抑えて、その収入を厳しくとっていいのでその範囲をシェアすればいいのです。各省庁に紐付けし過ぎた予算は結局肥大化して、徴収や分配段階でも手間も時間もかかり、誰も得をしてしていなのです。

 ここはあまりにも民の負担は多い、そして年金の支給でい言うと実質の所得代替率がこれまた低すぎる結果につながるのです。

 年金が月7万、15万、20万といってもそこから引かれては現役時代とは大きな差です。年金生活者に税負担など本来なしでいいぐらいのはずです。

 こんな当たり前の図式を分からない官僚や政治家何とかならないモノかと思います。

満額の老齢基礎年金でも生活保護!?

 年収の壁問題で、国会でもネットでも議論されています。
 しかし、この問題がここまでクローズアップされたのは、結局社会保険料割合が高く、税金の割合も高い、物価が上がるのに賃金のいい仕事にそうやすやす就けず年金が上がらないからです。生活保護を申請する高齢者は増えています。
 国民皆保険、皆年金の全体の立て付けは悪くないのですが、国の財政のためと負担割合ばかりが多いのです。
 特に基礎年金は月7万円、それだけでは生活するのに全く足りないからなのです。
 2階部分のある厚生年金の受給者でさえ、この物価高はこたえます。
 稼いでも稼いでも、半分近くを税金と社会保険料に抜かれる。これでは、制度がどうこうというよりも、よほど丁寧な説明で納得させない限り、不満が爆発するのは当たり前です。
 東日本大震災の復興特別所得税とか、森林環境税とか見栄えの良い寄付金か募金ではないので、名前を変えて取らないでも、普通の所得税とかの中でやればいい話です。
 もっと言えば、年金も税金にくるも徴収を一本化すれば、取りっぱぐれも少なく、手間も組織もシンプルになるはずです。
 生活保護もよく、ベーシックインカムと一緒に問題にされ、不正受給もよく話題に上がります。しかし、生活保護の方の多くは高齢者です。本来年金で生活できるはずの人が生活保護を全額もしくは一部支給されています。制度や申請、考ええただけで複雑です。

 本来、生活保護は家庭や健康の事情などで、一時的に生活が苦しい人に支給されるべきで、教育扶助や医療扶助などで、失業保険が切れた後、働けるまでの繋ぎであるべきです。もう働けない高齢者にずっと支給し続けるのは、本来は趣旨と違い年金の役割です。

 年金保険料を納めた人に手厚く年金を支給し、本来はそこよりも下に生活保護の世帯があるはずです。しかし、実態は、国民年金の満額支給で我慢しながら家賃、医療費や保険負担まで払っていては生活保護の方が圧倒的にリッチな生活になります。
 これでは、真面目に年金保険料を納めるきにもならないでしょう。

 この辺の立てつけや、壁はもっとシンプルに、実態にあったものに考えないと、底辺側の年金問題は解決しません。財源だけで、厚生年金から、国民年金側の基礎年金にお金を回すのは目くらましの詐欺行為です。厚生年金の方でも、物価高で現役所得の代替率がどんどん下がり、結局不満は募っています。

 目先の壁ばかり、議論していないでもっと底辺の実態から見ないと、政治は何をしているかという感じです

【年金】繰り上げか繰り下げか、損得、元が取れるという発想が違う

 還暦を過ぎ、同窓で集まると年金の受け取りをどうするか、繰り上げ受給と繰り下げ受給、どちらが得かについて、悩まれて相談される方が多いです。同年代はすでに、65歳前後で繰り上げのタイミングではなく、繰り下げて年金を増やすかどうかのハガキが来てその選択のようです。
 趣旨、制度を確認しますと、
 繰り上げる場合は、受給期間が長くなるため、1ヶ月につき0.5%減額されます。
繰り下げる場合は、受給期間が短くなるため、1ヶ月につき0.7%増額されます。
繰り上げ受給を選ぶと、年6%が減額され、減額された年金額が一生涯続きます。60歳で受給を開始すると、30%もの減額です。
 66歳以降に繰り下げて年金を受け取る場合、繰り下げた方が65歳からもらうよりも年の総受給額70歳からの受給にすれば、65歳からの受給に比べて月額は42%アップする。さらに一昨年から75歳まで繰り下げ可能になり、この場合月額84%アップとなります。
 ただし、その間は年金を貰わないわけですから年額は増えても5年遅らせると取り戻すのに10年以上かかります。損益分岐点とか言われますが81歳、90歳と生きれば計算上はプラスが増えます。

 こんな計算を強いる政府の方も罪です、このためファイナンシャルプランナーや社労士も相談を受けることが多く、両論が動画サイトなどにも挙がっています。両方のメリットデメリット、損益分岐点や税金、減額対策も出ています。どちらが正解?


  年金は自分の老後、長生きした時に働けなくても生活できるお金を貰える保険制度であり、基本的に投資のように損得を考えるべきではありません。結論はこれなのです。ここが理解されず、「どっちがいいの、どっちが得なの?」の疑問が多く、それに対する考察的回答が多いですが、私は正解などないですし、語れません。

 言えることは損得ベースではなく、今お金が必要ならば、繰り上げるか、タイミングを過ぎても65歳以降なら今すぐ貰うかです。在職老齢年金の話はまた別に語りますが、今お金が潤沢に回っていたら、繰り下げてもいいという程度の話です。

 損益分岐点などと言いますが、他の保険で、例えば医療保険で元を取るために病気やケガをするでしょうか!確かに医療費の支払いの足しになりラッキーと思ってもそのために病気を幸運とは思いません。自動車事故を起こし保険で元が取れたと喜ぶこともないでしょう。
 乗り放題パスだとか、食べ放題や飲み放題のバイキングなどで、損益分岐点を超えた時点で大喜びはするでしょうか。実際には元とれなくても、一喜一憂はあまりしません。損得だけでは本質的な旅や食事を楽しめません。元を取るために、無理に食べたり、移動したりして不必要なことをして喜ぶのと同じで、よく考えるとあまり意味はないのです。人生もそうです。

 繰り下げで問題なのは、在職老齢年金制度で、高額で稼いでいる人はその時点で停止や減額されますから、増額にはなりません。さらに税金の壁を超える場合もあり、最初の計算式が全て成り立つとも限りません。在職老齢年金制度も年金にかかる税金も計算は複雑ですし、これから改定になる可能性が濃厚ですので、ますます損得の正解はないのです。まあ自然体でいいのではと思います。

「今何してる?」と訊かれ

「今何してるの?」と昔の友人に聞かれることがあります。悪気もない日常会話でしょうが、学生時代以来、40年ぶりとかかなりひさしぶりに会った人です。
 SNSでも繋がってないのでプロフィールも、卒業後の就職さえ知らない人に、40年をかいつまんでで、キャリアを語るべきのか、今?「息してる」とボケるか、「本読んでる」とか、勤務先だけ語るのか、「遊んでます」とか何か適当にかわすのか悩んでしまいます。

 本当に悪気はなくとも、こういう質問は、無職だったらどう応えるとか傷つくかもしれないのかなあと思ってしまいます。
 短縮版でキャリアを書きますが、カネボウという会社に大卒で入社して、途中会社が傾き花王グループに吸収されましたが、何とか60歳の定年までは勤め上げました。定年延長や再就職はせず、新しい仕事を探しまして、伏見区役所で半年あまり保険年金課で契約で働いた後3年間京都西年金事務所で国民年金の職員として勤め、京都労働局で3か月有期雇用の後、現在は京都地方裁判所というところで事務官をして1年弱経過しています。

 端折っても、前置きも長くなりましたが、定年後は公務員みたいな堅い仕事をやっていますが、何ていいますか。よくそんなところで採用され、働けましたねと言われますが偶然もあり幸運ですが、大したことではありません。定年以前に比べてわりと力は抜いた感じで、適度に緊張もしながらも楽しんで学ばせていただいています。

 写真の本なのですが、「雇用は契約」の方は、労働や、社会保険、雇用保険などの問題は俯瞰して良く分かる本です。改めて思いますに、私も含め、多くの方が社会人になっても雇用の形態というものは良く分からずに働いているものです。

 大学を卒業してずっと正社員で働き、定年まで同じ会社に安穏としていると、パートさんを雇用していても、家族がアルバイトでもあまり自分の立場や契約というものがわかりません。
 正規非正規、パートや無期有期など、表面的に言葉は分かっていてもなかなか意味や仕組みまではわからないですし、時代によってもいろいろ変わってきます。今もパートの年収の壁なども議論されていますが、雇用問題も10年ぐらいごとに大きく法律も変わっていきます。定年退職か雇用延長を悩み、年金を貰おうかという年代になりやっと労働契約が見えてくるのかもしれません。
 友人や後輩の中には、それでも周りに流されながらという人もいます。転職もせいぜい1回、定年延長や年金受給で、選択を迫られると慌てるものです。

 年金問題と言いますか、年金の制度や手続きも難しいですし、年金事務所に勤めていた私ですら厄介なことが多いです。社会保険労務士の試験となると、年金と合わせて雇用・労働が問題に出ますから、難易度の高い試験です。士業数あり、〇〇士というのは、それなりに必要でもあり難しいというのも良く分かります。
 そして、士業、国家試験でも法曹関係というと、全ての法律を網羅して最高峰かと思いますが、「六法全書」とかいうと、本当にスゴイとも思いますし、その勉強も大変です。しかし、司法試験、弁護士さんや裁判官といえども全てを覚え、実務を行うわけではありません。

 今、私がやっている仕事はパラリーガルと言いますか、裁判所事務官です。六法からさらに細分化した裁判事務、立件や処罰の書類も作り、審査や保存の補助もしますが、ある細分化エリアでは全く未経験でも、分かる部分があります。
「要件事実マニュアル」という本は条文だけ、書かれている六腑から、申し立てや訴訟のやり方をマニュアル化しているものですが、これでも相当な抜粋で、全4冊になります。世の中の全てが法律に絡んでいます。一つの分野で何冊も本がでていますから、法務も奥が深く、ややこしいものです。

 会社法、労働法などは当たり前に、一般企業の経営者や総務などには必要な知識です。

物価高でも買い替え、修繕の出費

 ほぼ毎日家事として、ルーティンで使う家電や住宅設備に、マイコンが使われていて、半導体も部品として入っています。
 随分前から、家電の計画的陳腐化、商品ライフサイクルの短縮、買い替え促進の戦略が見えていましたが、食品や消耗品の物価高と賃金が上がらない人、年金中心の暮らしで余裕の無い人には大変にイラつく喫緊の問題です。
 私はマンションに住んでいますので、家電に限らず、マンションの自動ドアや駐車場のシャッター、火災報知器や、防犯カメラ、宅配ボックスや、全体と個人宅のモニター付きドアホン、免震装置や屋根の防止など、共用部分の設備も10年以上経過すると、老朽化交換を迎えて、管理組合でも予想できたもの予想外のもの含めて大きな出費となるのを毎年見ています。

 ネット環境の設備、4K8Kのアンテナとケーブル、EV車用の充電装置と当初予期しなかったものの要望も出てきます。

 多くの機器がこれまた保証期間が5年とか長くて10年です。10年以上経つとどうなるかわかりません。更新は大変な出費です。

 掃除機だとか炊飯器、洗濯機なども毎日使えば結構な頻度で買い替えが必須となります。修理も馬鹿にならない値段で、やがて部品も製造、保有がなくなり、新機能の商品が主流だと買い替えが必然になります。買った時が最新でないと、部品の保有期間も短いケースもあります。スペックが優れ、いろいろ機能もあって高いからといって寿命が長いとは言えず、むしろ脆い場合もあります。
 電化される以前の鍋や釜、火鉢や懐炉、石炭ストーブは壊れて買い替えることは少なく、修繕しながら何十年と使えたものです。
 炊飯器と釜、洗濯機と盥・洗濯板では、主婦の手間が違いますが、結局は便利なものは意外にも大金がかかるのです。時間がある人で手間を惜しまない人は、冷蔵庫やエアコンは替わりは無理でも、炊飯器や掃除機、洗濯機、湯沸かし器程度の代替は、自分の力と工夫でできます。メーカーや流通業者の思惑通り、買い替えていたらいくらお金があっても足りません。
 大きな住宅の修繕や、食品などの毎日の物価には備えられても、家電などの中堅から少し大物クラスの買い物が高頻度で来るのは、ファイアンス的には準備が少なく苦しいです。

 保証期間をよく考え、実際に要るかも含めて検討が必要です。マンションなどもオーバースペック気味だと、やがてメンテナンス費用が厳しくなります。外壁材なども含めて、高給そうなら良いわけでもないでしょう。

 物価がこれからも上がると、このあたりの買い替えは難しい選択になります。

「年収の壁」2 厚生年金106万撤廃は負担激増

 

「年収の壁」1 分断を増長する話 – 天使の星座

【私はどうも納得いかない!】
 マスコミの報道の在り方は酷い。
 マスコミというのは右寄り左よりあると言われていますが、結局大きなニュースは横並び、政府や検察、行政の言う通り、垂れ流しているだけです。少し考えれば両論併記の社説ぐらい書けるのに、勉強不足なのか隠蔽なのか。
 兵庫県知事選挙や、紀州のドンファン事件などは、派手に考察されても直接国民の負担にはつながらない喫緊でも何でもない話題です。
 兵庫県知事選挙も酷いも酷いと言われましたが、年金問題もそうです。「103万円の壁」が与党と、野党の国民民主党で段階的に178万円に引き上げることに合意したとされます。これでも随分の進歩と言われますが、物価の上昇からいうと当たり前の話です。
 こちらは、片方で税金を負担しない「年収の壁(103万円)」を、最低賃金に見合った水準に上げる議論を、希望のある見え方で、じゃんじゃん報道しています。ところが議論もなく、しれっともっと負担の大きい社会保険の壁をあげるどころか撤廃する、実質国民の手取り負担が増える仕組みがどさくさに通されるのです。
 補正予算が国会通過しましたが、与野党の談合の指摘は免れません。
 増えた厚生年金保険料で、在職老齢年金を拡大するとか、基礎年金の財源基盤に回して、将来の基礎年金を3割上げるとか体よくだます感じで導入が図られます。
決して、基礎年金がいきなり3割上がるわけでもなく、これは詐欺的表現です。
 しかも、当面保険料負担を減らす時限的スキームで、保険者や小企業を助ける策を講じると、煩雑なややこしいことを言っています。企業が負担すれば、それはそれで大変でパートは雇えません。

 「社会保障の壁」と言われる「106万円の壁」は、無くなれば、パートで小規模なところで働いている人は週20時間を超えれば、みんな厚生年金に入り、給与を労使折半で天引きされることになります。
 年金委員として年金機構の幹部とお話を聞いた際、106万の壁、130万の壁を引き上げて、扶養のしくみを守る気など、サラサラないのが良く分かりました。壁は所得に合わせて上げるのではなく、取り払うのです。ホンネは3号の主婦年金をほぼ廃止に追い込みたいのです。
 週20時間以上のパートも厚生年金となると、もう全くの専業主婦ぐらいでないと、3号被保険者になれない仕組みを数年で作っていくのが本音のようです。

 しかも、こんな負担増なのに、こちらは政党同士のしのぎ合いもなく、スルッと来年通常国会で決まりそうです。
 将来の年金が増えるから、長い目で見ればいいことではないかという方がいます、確かに92歳以上長生きすれば、理論上は払った保険料の元が取れ得をします。しかし相当長生きしても増える金額も期間もしれています。月8000円払うとして自分で積み立て運用したら、永遠にその差は埋まらないという専門家もいます。
 貰える厚生年金が少しだが増えると、そこを強調して、正攻法で国民にわかりやすく説明するならまだしもです。
 難しいのを盾にして、他の壁の報道に混ぜて、目くらましをして、強引に厚労省独走で、政治家も国民も無視して進めるとは何たる卑劣さかと思います。

 実際に、年金が増えて得をする人が少なく、長く待ってもあまりにも金額も少ないケースが多い割に、今現在の手取りは増える、悪法、あくどい制度もいいところです。

 まだ段階的な導入年など細部は決まったわけではないですが、早く反対のムーブメントを起こさないと大変なことになります。

国民年金の父と厚生年金の義父、それぞれの生きざま

 私は商店街の店舗兼住宅の「商売屋」に生まれ育ったので、父は少し勤めにでていた期間を除き当然ほぼ「国民年金」です。還暦を過ぎて、母とともに年金を貰いだしたはずですが、商売で稼いでいたので、年金など雀の涙でとても暮らせるものではないと言っていました。商売の時の在庫を処分して、父は80過ぎまで結局店を続け、貯えを母に残して、死ぬ直前まで店を開け締めし、商店街に貢献していました。
 定年ということを知らず、老後に悠々と旅行に行くとか、趣味に興ずることも少なかったです。植木や園芸は好きで、店先や屋根裏に花を育てていましたが、商店街や業界の会合にこそ行くものの、他に遠くまで遊びに行くことはなかったはずです。昭和一桁生まれの、兄たちは戦争に行った世代です。ギャンブルもしませんし、お酒も付き合い程度で、京都ですが祇園などの花街に出かけることもない下町の自宅での飲食がほとんどだったと思います。商売を大きくしたわけではないですし、堅実に働き、二人の息子の大学も行かせてくれて、それなりに不自由はさせないで育ててくれました。

 義父、妻の父は少し年は下になります。こちらは典型的なサラリーマン、銀行というか信用金庫で、支店長まで勤められたので、定年退職後は厚生年金で、企業年金や個人での年金もあり、60歳以後は少し嘱託をやって後は働かず悠々自適です。健康のため、山歩きをされ、退職後の方が随分スリムにはなられました。お酒はよく飲まれる方で、胃がんの手術はされました。
 さすがに、80を過ぎ足腰も弱り、軽い認知も入ってきているようですが、完全な健康体とは言えませんが、まだまだ健在でおられます。山歩きと、お酒は飲みながらも節制が良かったのでしょうか。何より、商売がらしっかり財テクの知識があったので、

 私の父らの世代は、年金とくに国民年金の周知はそれほどではなく、3号制度も昭和61年からなので、満額の国民年金の人も少ないようです。農家など自営業の方は、高齢でも働くのが当たり前、子供らも家庭で老後の親を支えるのも当たり前の社会だと思われていました。老後への漠然とした不安はあっても、高齢者施設や介護保険制度などは、親の世代は若い頃自分たちが世話になるとは思わないばかりか、存在も無かったのです。

 しかし、長寿化、高齢化の社会、平均寿命の伸びはこれからではなく、今の高齢者、戦前生まれの方も含んでのことです。定年が55歳の時代からの人も、80歳まで25年以上生きている場合が多いのです。
 高度経済成長を支えた、父や母の世代、生きざまを参考にしながら、今の60代以下の人間はこれからさらに長寿になるかもしれない社会を想像し、長い人生を考えないといけないのです。人生100年時代と、言葉だけでは聴いていても、実際に60歳で燃え尽きるように生きたとしたら、残り40年に対して準備するところが無ければとんでもなく寂しい人生になります。もの心ついてから半分くらいの時間が、昔の概念では老後として過ごす算段がいるのです。

 お金のこと、健康のこと、仕事や趣味など生き甲斐のこと、それぞれリンクもしますが十分に考えないといけないことです。
 そういう面では、自営業とか、手に仕事を持って生き甲斐にしているとか、老後も半隠居でも居場所があるような家業のある人はいいかもしれませんが、なかなかそれだけうまくある人ばかりではないでしょう。

 まだまだ働き手は必要です。社会参加や地域の秩序を維持をするため、無償で町の見回りをするとか、統計や要望の吸い上げ、提案や意見、アンケートなどをするカンタンなジョブをこなすのが仕事として成り立てばとも思います。ベーシックインカム的な収入が得られる仕組み作りができるか、これからの国の喫緊の重要な課題です。

年金問題を少し落ち着いて考えさせる 楢山節考

年金問題は奥が深く煩雑です。今も年収の壁問題や、非課税世帯への給付などが連日話題に なり、少し物価が上がると年金生活の人は苦しいと騒がれます。

 非課税の年金世代にも壁があり、給付をすれば壁は高くなります。また今、年金を既得としてもらっている世代の人は原則下がりませんから、団塊世代以前からのサラリーマンで定年まで勤めあげた人などは比較的悠々な年金生活を送った状態が続いています。高額の高齢者施設、介護やケアのサービスもビジネスとして成り立ち、シニアをターゲットんしたクルーズやグルメなども盛んです。是非は別にして、生産性の高い年代に比べて経済の流れというかが何か変な方向に向いていて、寿命や生命の尊厳もビジネスになり、ただ長生きしていればsこには国も医療機関もコストをかけることを誰も否定できません。

 そんな時、ふと昔の価値観、生命観を思い出させ、考えさせられるものがあります。

 「楢山節考」深沢七郎の小説。昭和33年木下啓介監督、田中絹代さん主演での映画化、そして二度目の映画化昭和58年の今村正平監督、緒形拳、坂本スミ子さんのもの、私は二度目の映画を劇場で見て、重いインパクトを受けました。しかし、当時はその重さの意味が本当には分かっていない20代でした。

 【以下 ネタバレ、ストーリー】 
信州の山々の間にある貧しい村に住むおりんは、「楢山まいり」の近づくのを知らせる歌に耳を傾ける。村の年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行くのが習わしで、69歳のおりんはそれを待っていたのである。山へ行く時の支度はずっと前から整えてあり、息子の後妻も無事見つかる。安心したおりんは自分の丈夫な歯を石で砕く。食料の乏しいこの村では老いても揃っている歯は恥ずかしいことであった。

「自分が行く時もきっと雪が降る」と、おりんはその日を待ち望む。孝行息子の辰平は、母の「楢山まいり」に気が進まない。少しでもその日を引き延ばしたい気持ちだったが、長男のけさ吉の妻はすでに妊娠5ヶ月で食料不足が深刻化してきたため、家計を考え、急遽早めにおりんは山に行くことを望む。
そして、その最後の日、辰平は禁を犯して山頂まで駈け登り、念仏を称えているおりんに「雪が降って来て運がいいなあ」と呼びかけた。おりんはうなずいて帰れと手を振った。--村に帰りついた辰平は楢山をのぞみ見ながら、合掌していた。


 ただ、その情景だけが登場人物とともに描かれる。
現代人が失った生命の尊厳を問い直す「棄老」の物語。
 そこには、悲しみや怒りも、主張もなく、ただ自然とともに力強く、生きて死んでいく姿があり、おそらく、この人の生き方は現代人よりてらいなく濃密なのろうと想像させます。

 現代の寿命、生き方、高齢者の福祉や介護、経済や食糧事情、環境も全て違います。60や70になっても、今の世代の高齢者は歯を折るどころか、行列のできるような名店や、ミシュランの三つ星グルメ店で、豪華な食事をして写真をアップしています。
 あるいは、そこまで恵まれない裕福でない老人は、家族に養われることもなく、年金だけでは生きていけないとイラ立って国を責めているかもしれません。

「棄老」姥捨て的発言は暴論で、炎上してしまう何もかも違う時代、閉塞した高齢化社会だからこそ、何か次の考えを馳せるとき、「歯が揃っていることが恥ずかしい時代」を省みることも必要ではないかと思います。かつては「老人ホーム」に親を居れることは「棄老」「姥捨て」と罪悪感を持って言われまいしたが、そんなことも時代により変わっているのです。もうこの話に描かれた、高齢者を捨てる家族すらいない時代です。
 高齢者は自立して福祉を勝ち取り自分勝手に長生きするだけの爛れた国家が残っているというのは暴論でしょうか。

年収103万?106万の壁とは

 国民民主党の政策を自民党石破内閣が呑むか注目される扶養者年収「103万円の壁」
 現状大きいのは「103万円」ではなく「106万円の壁」の方ではと思います。
 もちろん103万を超えると所得税が僅かずつかかります。しかし、それは超えた額に税率がかかるだけです。
 106万円を超える収入になると、従業員数が50人を超える企業で働いている者が、月8.8万円以上の所定内賃金を得ると被用者保険が適用され、社会保険料負担が発生します。
 今までは支払う必要がなかった厚生年金保険料が発生するので、手取り収入が減少します。手取り収入を維持するためには収入が125万円以上になるまで働く必要があります。ただし、将来、厚生年金をうけとることができるようになります。さらに医療保険から傷病手当や出産手当を受け取ることができるようになります。メリットもありますから正確な損得は難しいです。目の前の手取り収入が減るという意味では損であり『壁』です。ややこしいことに岸田内閣で支給を始めた社会保険適用促進手当が受けられるので、最長3年間は保険料負担が補填されます。雇用主にとっても負担が発生し、支払いたくない会社などは、さらに時間を制限したり解雇したりのケースもあります。これは「壁」の限度が増えた場合も同じです。
「130万円」は「従業員数が50人以下の企業で働く者が、年間収入130万円以上になると、配偶者の扶養から外れるため、国民年金の第三号被保険者から第一号被保険者になり、国民年金保険料が発生します。また、国民健康保険の保険料負担も発生します。将来の国民年金の金額は変わらないため、保険料負担の分、手取り収入が減ります。従業員数50人以下の企業で働く者にとっては大きな『壁』となっていますが、51名以上の会社などですでに壁を超えている人にはこの金額は関係ないのです。
 少しややこしいですが、いわゆる103万の壁は所得税がそこから少しずつかかるだけで、1万円あるいは千円超えたからと大騒ぎするほどではありません。150万円の方も配偶者特別控除が少しずつ減り、201万円でゼロになります。
 やはり大きいのは年金、社会保険料にかかる「106万円」OR「130万円」の壁です。これは壁を千円でも超えたら、目の前の支払いはイッキに万単位で増えます。
 ここが、労働時間、意欲の壁になり、最低賃金が上がればますます実質の時間は減っていたのです。

 ここの労働を壁を取り払って推進するので、そんなに悪いことでも何でもありません。主婦や学生などもリミットが上がって働き、その分社会に貢献し、経済は上手く回るのです。

 元々、最低賃金が上がればスライドしてあげていれば良かったと思えるくらい、当たり前の筋を国民民主党は主張し、自民は唸っている感じです。

 財源が7,8兆必要でと、財務省の言い分をそのままに反論する向きもありますが、場当たりで岸田内閣も社会保険適用促進手当を支出していますし、経済が成長すれば税収は増えますから正確なシミュレーションは実は難しいです。目の前の枠に決まった財源論だけで、余った時は何十兆と余剰が出て、還元するのに今年のように苦労しているので、今の税の仕組みはそう簡単に国は損をしない仕組みです。中小企業の社会保険料負担をもっと軽減してもいいとも思うほどです。

 年金の方も含めて、枠による財源と、国民や企業の全体負担のバランスを考えて、厚労省と財務省、政府が一体となって考えれば良いことです。数字を誤魔化して虚飾しても、国民の手取りは増えないのです。社会保険料を天引きして、今の物価で最低限の生活、現役の時からシュリンクしてやり繰りできるかを、庶民目線で考えることが政治(まつりごと)です。それが政治家、官僚の仕事であり、財源確保はそこがあってのものです。

マイナンバーカード便利だけど

 マイナンバーカード、私はマイナポータルとかの機能をそこそこ便利に利用しています。保険証はどうがありますので、マイナカード一本なら財布の中に保険証も要らず便利です。ただ、健康保険を切り替えた時の紐付けには時間がかかるのは仕方ないところでしょうか。
 あとはe-TAX、年金の扶養手続き、ふるさと納税のワンストップ特別申請などもカンタンにできます。オンラインバンクで公共料金も支払える時代ですから、平日に役所に行くとか、コンビニに走るとかしなくても、家にいながらにしてかなりの手続きができます。

 年金事務所に勤め、その後も年金の委員として、「ねんきんネット」というアプリを使ってもらうのに、「アクセスキー」という数字からのアプローチを推奨、紹介していましたが、そのやり方よりもマイナポータルに連動したやり方の方がはるかに簡単、楽にできます。

 実は先日、マイナンバーカードの6ケタ~の方の暗証番号を忘れてロックをかけてしまったのですが、休日にもやっているセンターに行き、少し待って解除してもらいました。セキュリテイもまあ安心で、来年は5年目で電子証明書の有効期限が切れますから、更新が必要と聞きました。これもめんどくさいでことですが、まあしょうがないでしょう。

 健康保険証が12月に切り替わり、妥協策として全員に資格証を送るそうですが、これも何だか結局ムダなお金だと思いますがね。保険証のマイナカード一本化反対する人は、こういうところに税金が使われるのはいいのでしょうか。何でも「国が」と言いますが、国がやるということはいつも「何でも反対する人が良く騒ぐ」誰かの「血税」が使われるのです。「血税」でマイナ保険証だけに絞れず、わざわざ二重に発行した資格証明書が来ますから大切にしてください。
 今はETCで高速料金支払い、乗るのも当たり前でその方が楽なのはみんな認識しています。最初はあれも、カードリーダーめんどくさいとか、「何でそっちだけ割引する」とか反対してました。ああいうのと同じで慣れない、めんどくさい、機械音痴だからと嫌がる人を巻き込んで、何でも反対する人が騒ぎを大きくしているだけでしょう。病院がカード読み取りを設置できないというのは、また別の問題です。各医療機関がここはカードリーダーがある、ここにはないということもはっきりすれば良いことです。カードから暗証番号の打ち込みや、顔の認証は高齢者に難しいとも言いますが、反対したり、笑っていないで自治体などでもっと学習機会を増やすべきです。動画などで繰り返せばわかる人はいます。

 ただ、パスワードロックや5年の更新ではやはり窓口の人に頼っています。そうすると、Sこへ行ける人、説明を聞く能力は必要です。パスワードの設定も本人でできるかです。
 ここまでの過程で、やはり他人に頼る人、人に聞かずにおられないという依存の多い人も思い当たります、一人で何もできない人で、ある程度大人になっても、会話が必要でお母さんのようなAIがいるのかなと言う人はいます。まあ人間ですから。