
田中角栄が今生きていたら、という歴史にIFはありません。それはもう信長や家康とか、諸葛孔明がとかいう映画や漫画で同じレベルです。
田中角栄が死んでから、石原慎太郎も著作をしたため、最近では最後の弟子と言われる現首相石破さんも初出馬や結婚などエピソードを書いています。角栄の薫英を受けた議員もその後の竹下派にしろ、もう直接かかわって現役なのは小澤一郎ぐらいになりました。
私も全国の新幹線や高速道路網を築く元になった日本列島改造論はやはり今の国土軸に根幹をなしていると思います。
田中角栄が逮捕され裁判になった頃は、学生から社会人になったばかりで、政治の奥まで感心も少なく、角栄=金権政治というステレオタイプなマスコミの刷り込みだけでした。
今、そのブルドーザーのような実行力と、人たらしとも言われた人心掌握術などは、多くの名言とともに再評価されています。それとともに、結局ロッキード事件はアメリカ、反田中派の仕掛けた策略に検察が手柄欲しさに走った冤罪だとの説も根強く、これはもうここで検証もできないことです。
その後のいくつかの著名政治家や有名人も逮捕もあり、有罪もあれば一部冤罪もあり、灰色の決着もあります。
田中角栄に対して言えるのは、総理大臣の立場としてはやや細かい内容の証拠で状況から有罪とされています。今の法律、コンプライアンスでは叩けば埃が出まくるのは間違いはないでしょう。その意味では冤罪とするほどの内容ではないとは思います。
しかし、新幹線網も当初の計画のようには進まず、東北と地元上越は先行したものの、死んで30年後でも北陸はやっと最近できつつあり、羽越や山陰、四国などは影も形もありません。それどころか、国鉄は大赤字で解体されました。高齢者を票田にするため。農業や社会保障に回した制度も、今に尾を引く禍根とも言える財政破綻を産みました。年金制度や医療保険も当時の高齢者が恵まれて、それこそ未来の世代が苦しんでいるのです。
角栄の大きな罪として、今も残念なのは政治の金権体質に今の自民党はじめ政界をどっぷり漬けたことです。もちろん全くの最初ではないでしょうが、そのやり方は強引で破格の金額と伝わります。
福田派議員や無派閥の議員にも、人たらしであると同時に大きなお金を動かしていたのは間違いのない話です。
時代がまだ、昭和という前時代であり、たとえば人権とか不倫とか言う今とは比べられないです。妻がありながら2号や妾とも言われた愛人を囲うのが政治家や実業家などに当たり前の時代です。商品券10万円で騒ぎになるようなことも皆無だったでしょう。
しかし、一度、政治が理念や思想信条よりも、カネや数だけが優先になると、どんどんその傾向は強まり、汚れた堕落したものとなります。角栄門下の野中広務と小澤一郎、橋本龍太郎、小渕恵三らの時代の、推進力やリーダーシップも無ければ、尊い倫理もない政治闘争の時代に入りました。
私は角栄自身が今の政治、自民党に直接悪い影響を与えてるとは思いませんが、彼を追い落とした政治家や官僚などが、結局同じように金権政治、思想なき数の論理を強めてしまったのが閉塞を産んだのです。
独善と独裁、カネを使って数を奪えばいいということを強め、今に至ります。政策や国民目線をどんどん離れ、政局、政争優先が結局日本の活力を奪っていったのです。