マイナンバーカード便利だけど

 マイナンバーカード、私はマイナポータルとかの機能をそこそこ便利に利用しています。保険証はどうがありますので、マイナカード一本なら財布の中に保険証も要らず便利です。ただ、健康保険を切り替えた時の紐付けには時間がかかるのは仕方ないところでしょうか。
 あとはe-TAX、年金の扶養手続き、ふるさと納税のワンストップ特別申請などもカンタンにできます。オンラインバンクで公共料金も支払える時代ですから、平日に役所に行くとか、コンビニに走るとかしなくても、家にいながらにしてかなりの手続きができます。

 年金事務所に勤め、その後も年金の委員として、「ねんきんネット」というアプリを使ってもらうのに、「アクセスキー」という数字からのアプローチを推奨、紹介していましたが、そのやり方よりもマイナポータルに連動したやり方の方がはるかに簡単、楽にできます。

 実は先日、マイナンバーカードの6ケタ~の方の暗証番号を忘れてロックをかけてしまったのですが、休日にもやっているセンターに行き、少し待って解除してもらいました。セキュリテイもまあ安心で、来年は5年目で電子証明書の有効期限が切れますから、更新が必要と聞きました。これもめんどくさいでことですが、まあしょうがないでしょう。

 健康保険証が12月に切り替わり、妥協策として全員に資格証を送るそうですが、これも何だか結局ムダなお金だと思いますがね。保険証のマイナカード一本化反対する人は、こういうところに税金が使われるのはいいのでしょうか。何でも「国が」と言いますが、国がやるということはいつも「何でも反対する人が良く騒ぐ」誰かの「血税」が使われるのです。「血税」でマイナ保険証だけに絞れず、わざわざ二重に発行した資格証明書が来ますから大切にしてください。
 今はETCで高速料金支払い、乗るのも当たり前でその方が楽なのはみんな認識しています。最初はあれも、カードリーダーめんどくさいとか、「何でそっちだけ割引する」とか反対してました。ああいうのと同じで慣れない、めんどくさい、機械音痴だからと嫌がる人を巻き込んで、何でも反対する人が騒ぎを大きくしているだけでしょう。病院がカード読み取りを設置できないというのは、また別の問題です。各医療機関がここはカードリーダーがある、ここにはないということもはっきりすれば良いことです。カードから暗証番号の打ち込みや、顔の認証は高齢者に難しいとも言いますが、反対したり、笑っていないで自治体などでもっと学習機会を増やすべきです。動画などで繰り返せばわかる人はいます。

 ただ、パスワードロックや5年の更新ではやはり窓口の人に頼っています。そうすると、Sこへ行ける人、説明を聞く能力は必要です。パスワードの設定も本人でできるかです。
 ここまでの過程で、やはり他人に頼る人、人に聞かずにおられないという依存の多い人も思い当たります、一人で何もできない人で、ある程度大人になっても、会話が必要でお母さんのようなAIがいるのかなと言う人はいます。まあ人間ですから。
 

年金のルーツ 日本最初の企業年金は意外にも、私が勤めた会社

 国内で最も古い企業年金の給付記録が近江商人発祥の地の一つ、滋賀県蒲生郡日野町の商家から見つかっていたそうです。私の母方のルーツは近江で、そこから都に流れ明治期以降に小間物や薬の商いをしていたので、近江商人には興味がありました。
 見つかったのは、関東に十五店舗以上の造り酒屋を営んだ近江日野商人の鈴木忠右衛門が、明治三十三年(1900)に退職した勤続四十五年の従業員に渡したとみられる「慰労状」(写真)です。
 これによると、謹厚をねぎらった上で、亡くなるまで毎年百円(現在の十万円相当)を支給し続けるほか、本人亡き後も遺族に半額以内を終身支給することを約束したもので、「終身年金」の記載が見られるほか、「遺族年金」に当たる内容が記されています。
 さらに、別の商家からも「退職年金」に相当する幕末の史料が見つかり、「退職年金」の最古とされた昭和二十四年から百七年も逆上る制度に注目されました。
 現代の多くの商社やメーカーなどの企業に息づく近江商人の質実さと先進性がうかがえます。もちろん、庶民と言えば、土地に縛られた農民がほとんどの時代、縁の薄い遠方で商売をするには、従業員に大変な苦労をされる面もあったでしょうし、その苦労に見合う待遇を定め、人材を確保する面もあったでしょう。
 公的年金という意味合いでは、諸説があり、江戸幕府や各藩も『養老扶持」として支給をしたりしていますが、家族の扶養手当、介護手当的意味合いも強い感じです。現代の厚生年金制度につながるのは、近江商人から5年後の明治三十八年(1905)です。
 なんと、私が勤めていた会社の名前が出てきました。
 企業年金を国内で初めて導入したのは、明治三十八年(一九〇五)の「鐘淵紡績(後のカネボウ、クラシエブランドやカネボウ化粧品などの源流となる、後年カネボウとして知られた紡績会社)」とされています。日本初の企業年金は鐘淵紡績の経営者、武藤山治がドイツ鉄鋼メーカの従業員向け福利厚生の小冊子を1904年に入手し、研究後、翌年1905年に始めました。
 私は、この話を定年退職後、契約で勤めた年金事務所の研修で初めて知りました。40年前にも新入社員の長い導入研修で聞いているのかもしれませんが、当時はそんな歴史があってしかも【年金・共済・退職金】【社会保険・福利厚生】など、若い世代の自分に今関係ないし、まして企業の歴史などどうでも良かったのです。当時ですら、大企業の後塵に近く、戦前日本最大の民間会社で待遇も退職金も日本一素晴らしかったことには同期と愕然として悔しがったことだけ記憶しています。

 
【鐘淵紡績の共済組合制度】
 明治期という早い時期に,一種の企業年金制度を創設した事例です.
それは1905(明治38)年に鐘淵紡績で創設された鐘紡共済組合で,ドイツの鉄鋼会社クルッ
プ社の社内福祉制度を参考に,一般の従業員を対象とした企業年金制度が実施されていたとい
うものです.この制度を創設したのは,三井銀行から鐘紡に転じたのち議員にもなる、武藤山治であり,明治時代にこういう先進的な制度が存在したという事例は,日本では他に類例が全くなく,極めて先
進的でユニークなものであったそうです.
 具体的には以下のような規定を定め,傷病手当や退職年金の給付を行ないました。
「本組合は組合の人々が病気にかかり亦は負傷をなし若しくは死亡し又は老衰のために働くこ
とが出来ずして退社し又は既定の勤続年限に達したる時は夫々定まれる救済をなし又は年金を
給与します.」
 保険料は従業員が給料の3%,会社は拠出総額の二分の一以上の金額を補助するとされてお
り,退職年金の給付要件の部分を見ると,「男子は15年,女子は10年勤続して退社した場合に15年間年金を支給する」などと書かれていました.
 近代の民間企業でこのような相互共済制度が取り入れられるの初めてで、三井や三菱の財閥系企業などにも注目され、その実績が関係官庁や他の企業に出回り他の社も採用するようになりました。厚生省の健康保険法は鐘紡の共済組合制度を骨子に作られたのです。
 その評価は、当時の過酷な労働事情や国策で発展する企業事情でもあり、上意下達であり現代で評価されるほど民主的とは言えないとの評価する向きもあります。
 年金制度に関して,後の厚生官僚は以下のとおり述べている.
「いわゆる本格的な老齢を事故とする年金制度にはほど遠く,いわば一種の勤続年数に応じる
手当金的性格が強かったが,当時の民間企業における制度としては,十分評価にあたいするも
のであったといえる」
(参考)『鐘紡百年史』の121~126P第二編第十一章の二「鐘紡共済組合の創設」等

 三方よしで日本初の年金の原型を作った近江商人を母方のルーツに持つ私が、年金制度を最初に制度化した会社に就職し、定年まで勤めると、その制度を引き継いだ厚労省の所管の年金機構に就職したのも奇しき縁かなと思います。今は少し年金とは別の勉強をする仕事に入っていますが、年金の仕組み、手続きの啓蒙、制度改革には地域の年金委員として興味を持って啓蒙に当たります。
 共済や保険の言葉も知れ渡らない時代から労働時間や環境、生涯の過ごし方も120年の間にどんどん変わり、直近の20年ぐらいでも大きく変わりました。
 社会保障、年金制度へ労働者や国民が受ける恩恵、期待もまた様変わりしています。複雑になりすぎて、人間の欲望とともに混迷の時代かもしれませんが、いつの時代もいろいろ保障や老後、障害などを考えてくれた人がいるのです。
 いろいろ言われますが、日本の社会保障制度はそれほど悪くないのも歴史を見ると良く学び直せます。
 

セカンドキャリア、セミリタイア後の充実

 人生には多くの選択があり、重要なターニングポイントを経験します。多くの人がその時に間違った経験をしないかとか、間違ってしまったのかと悩みます。
 若い時でもそうですし、多くの人は高齢に足を踏み出し、定年や継承でセカンドキャリアやセミリタイヤを迎える時、「何をしようか、何を選ぼうか」と戸惑います。
 多くの人が、学生から就職して社会人になって、それほど多くの会社や業界を経験はせず、一つか二つを勤め、あるいは家業を継ぎ、還暦を迎えリタイアの時期を迎えます。多少の趣味はあっても、綿密に組んだライフプランの無い人が悩むのも当たり前です。
 
 意外と参考になるのが、アスリートのセカンドキャリアではないでしょうか。若いうちに契約金や高年俸で、収入が高かったスポーツ選手も、身体の衰えで30代後半かせいぜい40代にはリアイアを迎えます。メジャーリーグぐらいまで行けば、年金で楽に暮らせますが、日本ではよほど現役の収入を貯めこんだ人でないと、別の仕事を見つけないと食べていけません。
 指導者やアナリストになれるのは、一部のトップクラスですし、その椅子も少なく競争が激しいものです。第二新卒として始めるには年齢も中途半端ですし、事務などのスキルももちろん身につける余裕はなかったはずですから、先輩やコネがないと現実には厳しい就職活動が待っています。
 ちょっと前に綾野剛が主演のドラマ「オールドルーキー」というそんな就活を描いたものがありました。
 サッカーしか知らなかったいなかった元プロサッカー選手が、引退後の道(セカンドキャリア)を模索していた中で出会ったスポーツマネジメント会社で現役アスリートの代理人やマネジメントを行いつつ、自分のことを誇りに思ってくれた娘たちのために現役への未練やプライドを捨て、奮闘していく姿を描くものでした。監督やキャストも、スポーツ監修も優れたなかなかドラマとしても、しっかりしたものでしたが、代表クラスまで行った選手が別の職種という難しさは身につまされます。

 まして普通の会社で、長年勤め「部長」「課長」「支店長」をしていましたと誇っても、MBA取得とか、英語や会計、パソコンなどが人並み以上できなければ、別の業種ではただのおじさんです。

 現実にアスリートのセカンドキャリアを見ていると、業界で細々コーチや解説の席を守っている人と、スナックやら水商売、運動具店などの自営も多いでしょう。残念ながら、失敗やしくじりの例も多いようです。

 成功してる方で、少し変わったところで、私と同い年1959年生まれの元プロ野球選手に、大洋ホエールズ(元横浜DeNAベイスターズ)読売ジャイアンツで俊足好打の外野手として活躍した屋敷要(やしき・かなめ)さんがいます。私はパリーグの球団のファンで、名前だけは知っている程度で当時も原辰徳や掛布、岡田、落合などが有名ぐらでセリーグの球団なのでよく見ていません。高木豊、加藤博一と俊足の、1~3番を組む外野陣でスーパーカートリオと名は馳せていました。
 その屋敷要さんが、指導者解説者を少し経験した後、子供の頃には興味があったものの、現役時代は縁のなかった、鉄道、蒸気機関車の写真に魅せられ、撮り鉄型の鉄道愛好家としてメディアのに登場し、いまや「元野球選手の、」という前説の肩書は要らない、評価の厳しい鉄道ファンからも認められた、屋敷さんの楽しそうな仕事が見られます。カメラも一流になり、真摯に打ち込まれたのが良く分かります。

 もちろん、現役の延長戦というより、その知名度を生かしたビジネスを拡大しているサッカーの中田英寿、本田圭佑のような例もあります。また女子アスリートもその容姿やスタイルを活かし、女優やモデル、タレントの転身したり、やはりビジネスで成功している例もあります。自分の才能、能力を良く見極めて人生設計している姿ですが、ここまで常人は少し真似できないクラスになります。

 還暦過ぎてからのの就職、生き甲斐の持ち方はよく似た難しさがあります。よく聞く話が、先ほど書いたように、職場では管理職や役員まで上がった人が、降格でヒラのような仕事で定年延長や再雇用の待遇を嫌がり、別の仕事を探そうにも高齢ではとても雇ってくれる職場もこなせる仕事もありません。
 そもそも「一兵卒」「雑巾がけ」でプライドを捨ててやる覚悟と、前の仕事をしながらもやりたかった仕事へのスキルや知識がないと、好条件のヘッドハントなど増してありません。
 幸い、子育ては終わり、マイホームのローンも終わり、退職金や年金である程度の生活基盤が見えればそう焦らないで力を抜いて、子供の頃の夢、若い頃やりたかった頃、残りの人生やりたいことを見つけることです。
 未経験の仕事を教えてもらいながらするのですから、雑巾がけから始められることに喜びを見出す謙虚さは要ります。
 横を見れば、同い年の中には、まだ定年がなく70歳以上でも高収入で働き続ける人もいるでしょうし、すでに年金生活でシュリンクした暮らしの人もいるでしょう。どちらをやっかむとか、性悪,是非はありません。他人の人生を羨んでも、やっかんでも他人にはなれません。未だに引退できない人も30歳で引退した人も、苦しむも楽しむも似たようなものです。
 一つの仕事、業界を貫き生き通すのも良し、またいろんな経験を楽しむのも良し、早めにリタイアするのも良しです。
 それぞれ、自由ですが、私は人生いろいろ経験して、この年でも雑巾がけ、一兵卒から始められるのを喜びとしています。
 それにはとても深い意味があります。


平均寿命,平均余命,健康寿命

ファイナンシャルプラン、社会保険、年金などでは平均寿命とかの言葉がよく聞かれます。残りの人生の期間を算出し、どのくらいの支出に備えるのかです。
 平均寿命も、毎年伸びています。男性でも81歳ぐらいになってきています。若くして事故などで亡くなった人もいますから、今の中高年の方の余命はそこからさらに少し先となります。
「長いなあ」と感じる人もいれば「まだまだ生きられる」と思う人もいます。人生100年時代というのは、生物学的にも実証されているようで、目だとか内蔵などのパーツは120年以上もつようになっているそうです。脳科学の話で聞くと、100歳まで脳は成長するそうで、還暦というのは成熟してから期間としてはまだ半分なのだそうです。

 それでも、著名人の訃報などを目にすると、60代後半から増えだし、70代に入るとイッキに増えます。持病や事故、不規則な生活など、自分にはあてはまらないと楽観する人もいますが。100歳まで生きる人が平均を上げていることを考えると、60歳ぐらいから亡くなっている人はかなりいるわけです。平均の数値を植え付けられると、多くの人がそのポイントで一斉に亡くなるように思われますが、そんなことはないのは少し考えればわかります。
 繰り下げの年金制度で、年の年金額を増やそうと貰うのを遅らせても結局貰えないとか使うこともなく死ぬ可能性はここにあります。優雅な老後と思いながらも、結局はこの年齢になると命はあっても、病気で療養という可能性もあります。健康寿命は平均寿命マイナス10と言われます。そうなると、まだまだしっかり歩き、活動できる期間は案外残り少ないのが中高年の現実です。
 だからこそ、いろいろ健康に気を使いながら、お金は大切にしつつ使い、やっておきたいことをやり、会いたい人に会う、悔いのない毎日を過ごすのがベターと思います。

読書レビュー:坂本貴志「ほんとうの定年後」       高齢者の生き方、働き方

 帯の煽りが良いのか結構売れた本のようです。内容は、良く細かいところも調べてはいます。

 60歳の還暦、定年にジンと来ていたのもつかの間、あっという間に後輩たちも還暦を迎える報を受け、次は雇用延長も終了?の企業が増える65歳を迎えようというのが私たちのの世代です。
 学校を卒業してから勤めだし、定年延長まで働いた人は確かに大きなターニングポイントになる65歳ですし、体力的にも自営業などの方もそろそろ事業を継承や引退を考える時期です。そういう世代、あるいはその手前の方、もう過ぎている方にも大いに参考になる、働き方、生き方の本です。
 この本は1985年生まれのエコノミスト、アナリストによるもので、こまめに分析されています。他の方のレビューでも見かけましたが、やや男性目線の話が多いと指摘されています。しかし現在の高齢者がかつて「男は仕事、女は家庭」が主流だった時代を生きてきている関係もあるである程度仕方のないところでしょう。
 あと10年もすると、専業主婦の割合は増えだし、今の若い人が高齢になった時は世帯の年金や働き方としては男女がかなり似かよってきます。

 ルポ、体験談などは自分も経験してるし、見聞きしているのでそう目新しいものばかりではないですが、統計値を見ての論説にはうなるものがいくつかありました。
 形はどうあれ70代でも働いている人の割合が半分近いのには驚きました。裏を返せば半分ぐらいは働いていないのです。年金や家族の扶養、貯金の食いつぶしで生活しているということです。ごく当たり前のことですが、なるほどそういう割合なのかと思います。
 
 70歳をすぎて、ゆとりのためならいざ知らず、生活費のために働かざるを得ないのも厳しいなあとも感じていましたが、働かないでも食べていけるから絶対幸せで居場所があるかはわかりません。
 高齢、この年齢になって、さらに70代、80代で、居場所というのか、終の生き方を見つけるのが大事なところです。
 私自身は大企業を60歳で延長せずに定年退職し、その後公務員のような仕事にありついています。化粧品のメーカーからは随分変わった転換をしているように思われますが、60代手間から、随分と「働く」ことへのプレッシャーは減り、自分を見つめ直す機会に恵まれたのは、この本に書かれている通りで決して非凡ではないとも感じました。
 とくに若い頃は、目の前の仕事を必死に頑張る藻は大事ですし、そうしないと食っていけません。それでも将来を見据えて何か自分で学び、身に着けていくことは大事だと思います。学生時代から社会人になっても勉強して、身に着けたことは必ず何か後で役に立つ、損をすることはないと思っています。

2025年金制度改革速報!?

 

 参考となるのは「令和6(2024)年財政検証結果の概要」(2024年7月3日、第16回社会保障審議会年金部会)ですが、かなり長文で難解で、要約しても何かわかりにくいかもです。
 正式に決まるのは与党、国会を経てですが、マスコミの速報でも「65歳までの国民年金の拠出期間延長」は見送られたもようです、さんざんネットでも100万円の負担増とか言われていました財政上は有効なのに、批判を恐れるのか無理だと判断したようです。
 あとデマ混じりに、「付加給付」「遺族年金」「3号制度」が無くなると言われていましたが、それもありません。抜本的な改革が今後持ち上ればですが、今具体的に出ていないとまずないでしょう。
 遺族年金や寡婦加算などの男女格差についても触れられていません。マイナーなので効果も測定されてなにのか触れられていません。幹を変える議論中心なので、枝葉の部分ですから、逆に小さく改定される可能性は残ります。
 報道では「在職老齢年金の撤廃」「厚生年金要件拡大、扶養106万の壁の撤廃の検討」に言及されていますが、世論の観測気球的な場合もあり、支持率下ルならやめようかみたいな可能性も残ります。
 そんなことでは大きな改革などとてもできなのですが。2025年で大きく変わる可能性は小さいかもしれません。

 【ニュースの要約】
 7月3日発表、厚生労働省が年金制度の財政検証結果を公表し、所得代替率が50%を維持する見通しとなった。財政検証は5年に1度行われ、今回の結果を踏まえて与党との年金改革議論が進む予定です。
 所得代替率は2024年度に61.2%見積もられ、基礎年金の拠出期間延長案が注目されました。具体的な案として、拠出期間を45年に延長することで所得代替率が6.9%改善するが、負担増加も懸念されています。(負担増のブーイングがあり、今回は見送られそう。ある意味残念)
 厚労省は他の改革案でも所得代替率向上の可能性を示唆しました。
 年金制度改革は財政の安定性や信頼性向上だけでなく、人手不足対応も重視されている。在職老齢年金制度の撤廃案や第3号被保険者制度の見直しも提案され、労働力不足問題への対応が求められています。
 特に在職老齢年金撤廃案では、給付が増加する一方で将来の受給世代に影響があり、年金財政に悪影響(2029年に0,9%)が及ぶ可能性も指摘されてはいますが(それでも撤廃案に踏み込むようなニュアンスです)(ここは観測気球なのでしょうか)
  第3号被保険者制度の改革も労働力不足を考慮し、年収106万円超えると問題が生じる「106万円の壁」が存在しています。
 女性の社会進出を促進するためにも制度改革が必要であり、高齢化が進む中での課題に対処するために政府は抜本的な年金制度改革を急ぐ必要があることは明らかです。来年の年金改革に向けて政府の積極的な対応が求められています。

 たった0.9%の財政悪化など、景気や少子化の予測の誤差の範囲で、積立金の配当でカバーできそうなものを、在職老齢年金撤廃が、「働き手確保OR給付財源優先か」世論の様子見でまだ微妙です、この報道だと、反発が少なければ撤廃の方向ではあるようです。
 所得代替率が6.9%も改善できるのに既得権の反発怖れて、国民年金拠出5年延長45年案は据え置きというのも情けない話です、
 ベーシックインカムなどの抜本的改革など考えてひねり出す政治家や官僚が現われないのはとても残念。
 結局、受給者、勤労する高齢者、受給期間の近い中高年、遠い若者、それぞれの顔色を窺いすぎてたら何も変わらず。制度がつぎはぎだらけで老朽化し、誰もが不満のままジワジワ沈んでいくのではと思います。
 早く決めないと5年の拠出延長も経過期間を考えると実効はとても遅くなります。
 女性を中心に働き方は昭和61年頃とは大きく変っているのに、3号制度もですが、遺族年金の規定、中高年寡婦加算などは手付かずだと、実際に世の中との乖離が長く続きます。イッキに変えないと一貫性もない部分もありますが、寡婦加算や遺族年金の男女不平等など早く止めたらと思います。マイナーチェンジから始めればいいと思います。

 個人的には、あまりにも経過措置が煩雑になりそうで事務方も大変だと同情しますが、そんなことは偉い人にはわからないです。

使い捨てられる傘

 雨の季節なので傘の話題ですが、日本は雨が多い国ということもありますが、世界一傘を生産して販売している国です。これは人口比では圧倒的に多く、消耗品ではないのですが、成人一人より多い1億3千万本の傘を販売しているそうです。
 その6割以上はビニール傘で、年間8000万本消費され、もはや使い捨て感覚で購入している層も多いようです。
 コンビニに勤めていた人に聞くと、コンビニで忘れ去られるというか、気にしないで置いたままになるビニール傘といいうものは物凄い数になるようです。大型のゴミのステーション用コンテナが満杯になるほどですから、ある意味すぐ燃えるゴミになる弁当などの食料品系の残飯ゴミよりも廃棄に困り性質(たち)が悪いのです。
 私の勤めていた会社や役所でも,ルールを決めて処分しているところ以外では、とにかくどうでもいい誰のカわからない不潔な傘が溜まります。いざとなると傘立てが満杯で使えないというぐらいになります。
 梅雨時や真夏は出かける時晴れていても、急な雨にあうことがよくあります。しかし、大金持ちならいざ知らず、税金や物価が高いと言いながら、コンビニで傘を買う贅沢というか浪費をする人の多いことには驚きます。そもそもお金持ちやファッションに敏感な人は、しっかりした機能、デザインにすぐれた傘を持ち、安っぽいビニール傘は持たないでしょう。
 コンビニの少ない田舎や、30年~40年ぐらい前の日本ではまだ、傘は使い捨てのようにポイポイとされていませんでした。靴下と同じように、破れれば繕い、骨を修繕したり交換したりして使い続けていましたし、どこかに忘れたとなれば必死で探したものです。
 急な雨で傘が無いとか、忘れると、駅前まで家の人に傘を持って迎えに来てもらう光景もありました。本当に家の人も来ないと誰かと相合傘でということもありました。
 今は相合傘も死語に近く、お迎えの微笑ましい光景も、見かけることもありません。
 こと傘に関しては、直したり、失くさないように大事に使う精神がなくなったのは残念なことです。
 「またコンビニで買った」などとお金をどぶに捨てる自慢をしてないで、夏などは置き傘や折り畳みを晴雨兼用で持つなど少し考えればできそうなことをやらない人が多いのは何なのでかと思います。
 賞味期限の過ぎた食品、靴下や下着なども丈夫でも一度破れれば終わりで捨てられます。
 スマホはじめ家電なども値段の割に保証期間を過ぎると壊れやすいのもが増えて、新しいタイプが推奨される時代です。
 社会の多くの人が使い捨ての割高にシフトした結果、結局実質の可処分所得は少なくなり、多くの人の生活は貧しい時代になっているのではと思います。

時代に置いて行かれる、昭和生まれのエイジハラ?

 アクリルにこじゃれたプレートの表札、セキュリティの番号を知らないとノックもできない住居が増えたました。火事や老朽化による建て替えで減りましたが、それでも未だに木造の長屋や安っぽいモルタルやコンクリートの〇〇荘というのも近所にあります。
 タイムスリップ?もののバブル期や昭和末期でもなく、もう50~60年の築年数でしょうか、本当に吸い込まれてタイムスリップすうような雰囲気のところもあります。

 職場でも、同窓とかでもやはり昭和生まれは、なかなか今のハラスメントや、コンプライス違反が肚にははいっていません。
 完全なダメオヤジというか、突き抜けて昭和のまんまと言う人もいますし、意外と厄介なのは、表面的には理解しているけど、結局はもう今はそれでもアウトがわからない人です。
 若い世代に理解のある先輩、上司であろうとしつつ、「私の時代はこうだったけど」を、ついついいってしまいます。時代の史実だけなのが良そうそうですが、結局は「昔のようにサービス残業なないから、ラッキーな世代だよね」「ネットで検索したり、コピペするのが当たり前なんだろう」のような言い方はエイジハラです。もちろん、若い世代にオヤジ狩りのように、無能扱いされる逆のパターンもエイジハラですが。露骨な高齢者いじめがないとしても、それはそれで高齢に気をつかうことで、職場の効率も下がります。
「あの人、前部長やったけど、今再雇用で何にも仕事できないで、たまに「どうや」とかお菓子もってくるだけで、影では「忙しいときにファイルの開き方とか初歩的なことで何回も時間止めるし」「退職金もらってアレで、パートの何倍も給料もらってるんよ、正社員は優雅な会社よ」昭和の激動を乗り切り、雇用延長後はヒラに落され、給料は半分以下でもそんな言われ方をされています。
 デジタルに追いついている人はまだマシで、WINDOWSの発売から、ワープロソフトや、パソコン通信の歴史を語れるような人はまだ重宝されます。スマホ世代で、ワードを卒論でやっただけで、Excelも全く知らない大卒世代が増えていますから、ビルゲイツ世代の私たちが「年齢だから」と若者に劣るわけはなく、そこは私は強く反論させてもらいます。
 デジタル化についていっていないでも、逆にやはり、若い世代が経験していないいろいろな苦労をしてきている世代ですし、企業や社会を支えてきたのが高齢者です。
 65歳なのか70なのか75歳なのかは別として、この世代もいい人も悪い人もいますので、世代で括って高齢者とするのは不適切としたいです。

『金欠』も『燃え尽き』も避けたい老後

 若い頃でも長いこと働いていると、ときどき。あるいは人によってはブラック企業とかで毎日「働きたくない、お金さえあれば辞めてのんびりしたい」と思う時があるでしょう。
 
 でも退職金3,000万円、貯蓄4,000万円。ファイナンシャルプランニングや年金相談などでは理想ともされる大手企業の元役員や部長さんとかでも、幸せな老後ではないという衝撃です。
60歳ですっぱり定年で悠々自適の方。
 60では役職も退くか上がり目は少なともなくなりますので、遅くとも65歳では規定で延長もおしまいで円満退社。
 いずれも場合もそれだけお金があれば幸せじゃないかと思われても意外とそうではありません。
 その理想的ともいえるキャッシュフローの家計でもいざ辞めるとあれほど楽しみにしていた「毎日が日曜日」
 旅行も孫の世話もし放題のはずが、結局『ぽっかり穴があいた』『やることがない…』と自宅に引きこもり『あぁ、あの頃に戻りたい』『これからどうしよう』と言う人は案外多いものです。

 定年退職した後の生活、定年前からイメージし、具体化できてないからなのでしょうか。仕事一筋で頑張ってきた人のなかには、時間があったとしても、何をしたらいいのか分からない……というケースも珍しくないようです。
 エリートだった人がかえって「定年退職」を機に激変、鬱、引きこもりはよくあるのです。
子供には、「老後は、何も心配ない。だから自分のためにしっかりと働きなさい」と言われてたとか。
 定年退職金は4,000万円ほど、貯蓄も3,000万円程度、さらに株式や投資信託などもあり、定年までに老後に向けた資産形成は完璧だとか。「頑張って働き続けたおかげ」ご褒美とばかりに退職後に夫婦で1ヵ月ほど海外旅行をし、よほど楽しかったのか、帰国後、写真や動画をイヤというほど見せられ、自慢話を子供や周辺に語っています。
 しかしその方はその後……燃え尽き症候群で鬱、ひきこもりになられたそうです。
 このようなケースは、決して珍しい話ではありません。
 お金の心配だけでなく、メンタルというか老後やることへの計画は必要です。

 暗い話ではありますが、お金が全てではないこともこれは証明しています。もちろん収入や貯金が少なければ良いわけではないですし、それはそれでもっと苦しい時代です。
 確かに貯金も退職金も少なく、年金の10万か20万チョイでは夫婦二人、現役時代なみには暮らせずに老骨に鞭打ち、無理して働くのです。それがイヤならますます苦しい時はあります。
 酒やギャンブル、買い物などに回すお金はこのご時世限られています。病気や事故、大きな出費があれば経済的な歯車はイッキに狂います。
 
 内職やボランティアでも少しは働いていると新しい刺激を受けます。
 そのことは人生の目的、居場所の証明になるのかもしれません。
 お金を少し持っている人でも、先々不安で出歩くのを抑え気味だとストレスが溜まります。
 そこは良く計算をして、近場を狙うなどうまく使って出歩かないと引きこもってしまいます。限られた予算で賢く遊ぶのはこれからすごく良いミッションだと思います。
 

寡婦って何? 年金の男女差別は早くなくせ

 今の年金制度は、最新の大きな改革が昭和60年に決まった昭和61年4月1日施行です。この時の社会の経済情勢、雇用形態、家族の役割、働き方など家計をとりまく状況を基本にして、まさに昭和の時代に決められたままです。専業主婦の国民年金3号制度や働き手が亡くなった時の遺族年金の現在の形もできなした。
 その後、平成を跨ぐ40年の間、大きく世の中は変わり、男女平等が謳われた現在、労働が同一条件とされながら、実は年金の給付に関しては旧態以前に夫が働き、妻を扶養しているため、女性が状況に寄り、給付面では優遇されて、男性は差別されていると言えます。
 もちろん今年金を貰いだす昭和の世代は男性が働き家庭を支えるのが主だった時代から入っていますから、そこでは問題が無いように見えますが、夫婦で女性が先に亡くなる場合多くのケースで、男性が先に死ぬよりは給付が少ないのです。
 これは男女平等と、人権団体や野党からもっと騒がれ改革を迫られてもいいはずなのに、女性が優遇されているだけになかなか変わりません。
 ずるずると年金財政がひっ迫しているはずなのに、何ら改革の手をいれないまま、社会がだいぶ変わった令和でも続いています。
 その一つが中高齢寡婦加算「ちゅうこうれい かふ かさん」と読みます。「寡婦」とは、夫と死別した女性のことです。何だか、難読な上に差別的な印象すら感じますね。
厚生年金の被保険者が亡くなった際に、その妻が40歳以上65歳未満の間、遺族厚生年金に加算される形で支給されます。だいたい基礎年金の4分の3、60万円ぐらいが年額もらえます。同じぐらいの所得で夫婦とも働いていて、妻が死んだ場合は「寡婦」ではないため当然もらえません。なぜ上乗せで貰えないかというと、女性で40歳過ぎて、新しく就職して働くことはほぼない時代だったからです。男女がほぼ年齢に関わらず再就職できる時代で、給付されると働かない人も出てしまいそうですし、何より「どうせ女は働かないから給付してあげる」というのは差別であり。今すぐ辞めて失業給付や生活保護一本でいいのではとさえ思えます、女性人権団体がこういう経緯でできた制度こそ早く廃止を訴えるべきです。
 根っこの遺族厚生年金がまたとんでもない差別で、男性はあまり受け取っていません。
男性は妻の死亡時に55歳以上でなければ受け取れず、支給は原則60歳からとなるからです。 女性は夫の死亡時に30歳以上であれば、子どもの有無にかかわらず受給できます。したがって遺族年金の受給は98%が女性です。

 夫が会社員、妻は専業主婦またはパート収入のみのような場合は、上記の制度でよかったのです。死語ですが「後家」「出戻り」という感じで、女性が中高年になり、自立して働くなど考えられない時代からの制度が残っているのです。
 しかし、最近では妻が夫と収入が同じぐらいで共働きでやっと生計を立てているとか、または妻の収入が高いような場合には上記制度では男性は不公平感を感じようになりました。
 ようやく、その是正が2025年の年金制度改定で検討されている一つです。

 昨年行われた厚生労働省の「第6回社会保障審議会年金部会」資料によると、遺族年金の指摘事項として挙げられていたのは以下の項目です。

1.制度上の男女差の解消

2.養育する子がいない家庭における有期化または廃止

3.その際には、現に配偶者の年金で生計を立てている者への配慮が必要

4.離婚後に子を引き取った一方が亡くなり、その後生存している一方が子を引き取ったときにおける遺族基礎年金の支給停止といった各論の検討がおこなわれているようです。実際には、政府や関係機関各所から廃止される旨の公式な発表はありません。


 遺族年金は廃止ともうわさされますが、受給中の方のハシゴ外しを避ける激減緩和措置はされそうですが、徐々にでもなくす方向で進むこと、その他男性、女性それぞれのためにも制度は平等を願うものです。国会で決まるまでは右往左往、与野党世論を気にしたかけひきでとんでもない骨抜きやとんちんかんなものが出てくるのだけは止めて欲しいです。