ヘソ出しが当たり前の時代

1970年代前半に、山本リンダという歌手が「どうにもとまらない」という曲を、へそ出しルックで踊りながら歌い、話題を集めて。大ヒットさせ紅白歌合戦にも出場しました。翌年の同傾向の曲「狙いうち」は50年以上、甲子園の高校野球のブラスバンドの応援曲として演奏し続けられています。へそ出しが強烈なインパクトだったのは間違いありません。

ここ数年は、街を歩いても、平気でお腹を出し、おへそを見せている人がいますが、昔は街中で女性がおへそを出すなど考えられない時代でした。山本リンダも、歌がどうこうより、やはりセクシーが売りのキワモノ、イロモノとしての注目でした。
実際に、昔の女子中高生の間で、男の子は女の子に興味があっても、せいぜいスクール水着や体操着の姿しか見られず、おへそはおろかお腹がチラリでも驚くほどの悦びでした。
ビキニの水着も、テレビやグラビアの芸能人か、海水浴に行く男女になる大学生ぐらいまでは見れるのはあり得ないのが昔ですし、セパレートでもおへその隠れる水着が多かったようでした。

それが今や、外国人だけかと思うと、日本の高校生ぐらいの女生徒が、平然とお腹を出したファッションで出歩いています。おへその形もキレイで、遠くから変な形と思うと、ピアスだったりします。
昔に比べて変な形のおへそもあまりないのでしょう。
それにしても、みんなで見せれば恥ずかしくないし、恥ずかしがっていないといやらしさもあまり感じられません。
しかし、みんなが恥ずかしかった時代もありますし、いまだに国家や宗教が女性の肌の露出に厳しい国もあります。
集団の心理や流行りという面で言うと、おへそまではOKで、乳房やお尻はダメというか恥ずかしいのかはもはや、みんながやるかどうかなのかもしれません。

書評:pha「どこでもいいから、どこかへ行きたい」

まったりとしたエッセイです。旅というよりも、ふわっとした生き方というのか、気分転換できるような内容です。
ニートな若い方なので、ネットカフェやサウナに泊まるなど、裕福な旅行やしっかりと計画を立て目的を持った旅をする人とは相いれない部分もあるでしょう。それでも、旅の本質、日常から離れるということには私は共感できるものが多くあります。
青春18切符を使い、普通電車でのんびりというのも、計画があっても、特になくても状態としては変わらないのです。
旅行はそれなり贅沢なものであり、日常生活に追われると、なかなかきっかけがつかめません。
でも、この程度の気分転換の軽い気持ちなら、若くてお金がないとか、年金だけで苦しくても、少し我慢して貯めれば、実現しやすいとも言えます。
私も、旅先のビジネスホテルに入るとと普段と変わらないで、本を読みSNSを見て、お風呂に入り、早めに寝るのが好きです。
旅に出たので、そこのグルメを絶対並んで食べるとか、そういうのをジャンルから外すと、予算的にも時間や気分的にも余裕ができます。混雑する遺跡、名所旧跡や行列のできるミュージアム、グルメ店など、そこまでに行けばもったいないから、行かねばならないと思うとむしろ旅が窮屈になる感覚があります。
私自身も、鉄道や遺産など、御周印を求めたり行くことを半目的にして旅はしますが、あれこれを求めすぎると、窮屈で楽しくなくなります。

やや反感をかいそうですが、お金が潤沢ならば勝手なのですが、すごく我慢してお金を貯めて、オーロラを見に行きたいとか、世界一周をしたいといか頑張っておられます。
しかし、海外旅行に行くのは移動旅費など諸経費が多いわりに、必ずしも天候などで満足な観光ができない場合があります。オーロラを見るとか、間欠泉や鯨をみるとか、4Kの高画質でプロが撮った映像で十分楽しめるという気もしますし、実体験で上書きするのはスゴイことですが、人生の大部分を何泊かの旅に費やすなら。毎月かシーズンごとに近場の小さな旅でも楽しめると思います。
私自身、窮屈な旅をついつい企図してしまうので、本質的にはこの著者に共感し、学びたい面も多々ありました。

伝統と破壊

高校野球の暑さ対策、7回制だとかでもそうですし、比べると不敬かもしれませんが、天皇制や皇室典範、憲法改正だとかでも、伝統を守りたい層と、破壊したい輩が混在します。

愛国者、保守の人たちにはアカの新聞で蛇蝎のように言われる朝日新聞ですが、どちらかというと古臭い慣習にとらわれる高校野球の大会を長年主催しています。スポーツでマスコミが協賛ではなく、主催しているのは稀有な例です。
戦前は日本の戦争をむしろ賛美していた新聞社ですが、戦後はリベラル、革新側、政府批判側に立ったスタンスのオピニオンを繰り返していました。政府転覆をはかっているような新聞社とさえ見られている向きもあります。
それでも、高校野球の長い伝統を守り、新聞という廃れ行く紙のメディアで、記者クラブなどで政財界に隠然と既得権益を守っています。

かつては、斬新的な活動で革新のシンボルだった組織も年月を経ると、既得権益を守り、保守的になります。

本来の、思想信条ではなく、自己目的、自衛のための組織になっていまします。
日本の国のためとか、現代、未来にフィットした組織やルールにしていくには、破壊的な革新も必要です。
ところが、守旧に回る側もなかなか簡単に革新を許しません。長く続いた大企業の腐敗や、老舗の廃業も結局はそういうところに原因があります。
社是や家訓など、立派なものはありますが。どこかの部分が正しくても全てが時代に合うとは限らないのです。進化論であるように、長く生存していくものは環境の変化に合わせて、自分も変われる者です。
創業100年、300年とか言ってる老舗も伝統産業や行事も、維新や戦争など多くの変革期を乗り越えるには、都度大きな改革を受け容れたのです。

保守だリベラルだとかの論争では、適応できないことがどんどん増えてきている。デジタル化の波はまた、歴史の大きな転換点であり、革新的なものを取り入れることが必要です。

夏の読書ノート:佐々木譲「ワシントン封印工作」冨山和彦「ホワイトカラー消滅,,」

夏休みに、旅の途中などで何冊か読んだ中、気になる本、オススメ本をご紹介します。
一冊目はベテランとうか大御所の佐々木譲【ワシントン封印工作】初版は1997年の上梓で、文庫版の美本が古書店で目に留まり、旅の友にと買いました。
ここ何年か、映画やドラマ、書籍でも研究が注目される日米開戦の直前の外務省、ワシントンの国務省と日本大使館を舞台にした小説です。
猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」の総力戦研究所の面々がドラマや映画で注目され、当時の野村吉三郎駐米大使のみならず、和平交渉に、岩畔 豪雄陸軍少将、官僚の井川 忠雄らも和平交渉にあたっていたこともドキュメントが85年を経て巷間にも広がっています。
30年ほど前に書かれたこの書は、それらの実在人物を脇に、ワシントンの日本大使館に臨時雇用された医学生の大竹幹夫を主人公に同僚の若い日系人タイピスト、ミミ・シンプソン、国務省高官のホルブルックとの微妙な恋愛関係が、大きな歴史のうねりの中で描かれます。
史実通り歴史が動いていく舞台の中で、平和や愛国を唱える戦争の是非ではなく、諜報戦もありますが、あくまでも恋愛に溺れる人間、メロドラマのような小説です。
総力戦研究も、大使や総理大臣、天皇陛下でさえ、軍部や世論を抑えきれず、戦争への流れを止められなかったとはいえ、そのことではなく、あくまでもその時代の若い男女が描かれています。もちろん、史実は違うかもしれません。アメリカはもっとしっかり日本の宣戦を早く知りながら、奇襲を受けたという説もあります。しかし、あえて政治的な主張が薄いことが、かえって信憑性を持つ、リアルな歴史小説にもなっている気がします。

冨山 和彦『ホワイトカラー消滅: 私たちは働き方をどう変えるべきか』著者は経営コンサルタント、経営者でもありますが、個人的にはカネボウやダイエーの再建に関わった産業再生機構の最高責任者であったことで存じ上げています。
AIの台頭のマニュアル的な本が前にもご紹介しましたが、この本は社会全体を俯瞰した上で、ホワイトカラーの方だけでなく、社会構造、特に都市と地方の格差を放置することに厳しい警鐘を鳴らしています。紹介文、梗概としては↓
少子高齢化による深刻な人手不足と、デジタル化の進展による急激な人余りが同時に起きつつある日本社会。人手不足はローカル産業で生じ、人余りはグローバル産業で顕著に起こる。
これまでの常識に捉われたホワイトカラーは、生き残る選択肢がほとんどなくなってゆく。
企業再生支援の第一人者による、国、組織、個人――それぞれの抜本的再生を促すための緊急提言!
↑以上。とされています。
少しネタバレ
労働力がやがて1000万人不足の中、ホワイトカラーは人余り★AIでホワイトカラー仕事の8割が消滅★現場で働くエッセンシャルワーカーは深刻な人手不足→これからは現場仕事の時代★残るホワイトカラーの仕事は 優秀な経営者かクリエイターのみ★エッセンシャルワーカーの賃金は大幅上昇→現場仕事への転換を考えなければならない→明治維新による武士階級の消滅に酷似★東京から地方に目を向けてみる★グローバルな企業から地方の中小企業に目を向けてみる★日本の政府は生産性の低い企業は潰れるのを黙って見過ごすべき
まとめるといった内容でしょうか。
冨山さんの言葉、わりと外来語や専門用語が難しく、AI大全みたいなトリセツ本よりも随分読みにくいところもあります。
歴史的な労働の転換期を迎えているのは、この本に限らずあちこちから言われています。今、正社員待遇である人で、仕事の質や内容は別にしても大企業で雇用が守られている人はラッキーではあると思います。営業や接客、配達など事務系とは少し離れたAIでは代替が難しい仕事にシフトされても、日本の法律ではそれほど急に条件が改悪されたり、解雇はないでしょう。
小規模な企業や、非正規の条件だと、厳しいでしょう。
そして、これから来るのはエッセンシャルワーカーへの待遇改善です、これができないで、デスクに座ってパソコンと睨めっこするホワイトカラー労働者を生かし続ければ、逆に日本の国家も企業も危ないでしょう。

みんな楽に小ぎれいにデスクで事務とかAI使って簡単に働きたいのですが、一部の幹部候補からの経営者、役員以外が必要なくなるのです。
チャンス、打開の一つは地方です。東京一極集中に関しては危険だし、明らかに過剰集積で。少子化も進み、雇用も経済も行き詰まるとされています。
「地方に仕事はない」のではなく、地方にカッコいい楽な仕事がないのであって、なんとなく不便でダサイイメージの田舎がイヤなだけなのです。都会に住んで働いて、まして少し娯楽に興じ、子育てをするなど、今の若い人に金銭も時間もないのです。

日米開戦を止めようとした85年前から、約100年後には新たな歴史の大転換が起り、日本人の仕事の役割も、地域も変わっていくはずです。

 

 

偽物、パクリばかりの時代

戦後すぐの混乱時期は知りませんが、物心ついた高度経済成長期でも、確かにニセモノやバッタものと言われる、本物を模倣した、詐欺まがいのものは多かったです。
だからこそ良心ある会社が集まり、業界の団体を作り、悪質な参入を拒み、廉売などを規制し、良い情報は業界で共有して、全体の発展を図りました。

しかし、技術の進歩、特に最近の生成AIの進化と、その普及により、巧みなニセモノが出回り、詐欺やボッタクリはますます巧妙化してきています。
SNS全盛時代になり、ニュースもショッピングも大量の玉石混淆の情報に対峙しないとなりません。

インフルエンサーや、まとめサイトにお金さえ出せば、詐欺ではなくとも販促で優位にたち、紛い物に近い存在が本物よりも売れるような時代になりました。

こうなってくると。少々拙い店でも、サービスの悪い施設でも上手く口コミをすればいきなり上位に来ます。実際、私のやってるSNSでも、他の商売をやる上でも、検索エンジンの上位や、比較サイトの上位に来ればと必死になる人もいます。まさに詐欺や虚偽広告などには引っかからないけれど、合法的に市民のお金は巻き上げられていく時代になります。
生成AIの画像などの加工進化もスゴイです。過去にもルッキズムの話にもつながりますが、専門家が見てもAIか判別がつきにくい投稿も増えてきています。
元々、美形男女が整形して改造している可能性も高いのですが。かなり自然に美しい姿のサムネなどはかなり目をひきます。
そして、そういう美しい女性などが、ここから先を見るのは有料とかいうビジネスになるのです。内容は千差万別です。
興味のあるないにもよりますが、ブサメンや整形前だと、見向きもされないと思われるケースもあります。
いったい、それがニセモノと気付くと最初から見る気もないか、気づくと萎えるのか人間の嗜好とは不思議なものです。
チラ見しかしてないですが。噂ではけっこう、エロイ人気があって何十万という閲覧とフォローを獲得しているある女性のサイトがあります。かなり露出の高い衣装や水着などで歩くとか語るだけですなのですが、少し不自然な動きもあり、顔の部分はAIではという説が根強いそうです。それでも、どうでも良く人気はるようです。
アニメなどは、そもそもが作り物です。実写がCGやAI加工であっても、完成したものが評価され、嗜好に合えばそれでいいとも言えます。
実際に証明写真でもシワたシミ、傷や痘痕などは簡単に消して表情を明るくしたりもできます。
しかし、顔そのものを別人にして、身体を露出させてバズって儲けている、それに多くの異性が登録して課金というのは、何だか簡単に世の中の人が騙され過ぎにも思います。
それでも、ネット上ではすぐには真偽がつかないです。リテラシーの向上もですが。やはり、ネットのデトックスの時間は必要でしょう。

 

 

富山、能登、福井、北陸の小ネタ集

東北には住んだ関係で各県を回りましたが、北陸は若い頃には通過が主で、それほど縁がなかったのですが、ここ何年かは何度か訪れています。
それでも一つの県が広く、鉄道や名所だけでもまだまだ訪れていない場所が多いビギナーもいいところです。

名古屋に勤めていた頃は、中部地方の管轄ということもあり、福井から来ている人も多くいました。
訛りというと、失礼なのですが。中部圏、関西圏とイントネーションが違うので北陸の人と会話するとよくわかります。
福井県は微妙で、嶺南の若狭は関西と同じイントネーションですが、福井市になると抑揚がない無アクセントの東北弁のようになります。
標準語のアクセントが最初に来るのに対し、北陸では平坦で最初は低く、次の音にアクセントが来ます。
典型的なのが富山です。たぶん、みなさんが読み慣れているトヤマとは違う響きが富山駅では呼ばれます。「あいの風とやま鉄道」という、北陸新幹線の並行在来線の北陸本線が三セク化した鉄道も、洒落た名前ですが平坦に呼ばれます。
愛のソナタのアクセントではなく、アイノカゼと棒読みのように聞こえました。

その並行在来線三セクですが、新潟から「えちごときめき鉄道」、富山の「あいの風とやま鉄道」石川の「IR(アイアール)いしかわ鉄道」そして敦賀延伸でできた最も新しい福井県の「はぴらいんふくい」と、愛とかときめき、幸せを運ぶようななかなか個性豊かなネーミングです。しかし、主要な幹線だった高規格路線で県庁都市を結んでいるので、あまりローカル鉄道という感じはしなくて、通勤や通学で賑わう都市間私鉄のようです。車両も「えちごトキめき鉄道」こそ架線下でもディーゼル車ですが、その他3社は塗装こそ違うものの、JR西日本521系の交流電車、要は新快速で関西ではおなじみの223系225系の交流電車版で、大阪から新快速で乗りとおすとほぼ同じ座席仕様の車両で、4社乗り継いでいくという、少し平凡な感じです。
福井県に入ってからも、海沿いではないので、新潟県までは田園と森、都市部を混雑しながら走りますから、やはりローカル色はそれほど強くはありません。
JRといっても、この元北陸本線から分岐する支線的なローカル線の方が、ローカル色は強いです。国鉄末期の赤字の特定交通線で先に三セクになった「のと鉄道」は単線非電化でローカル色が強いです。このあたりは、同じ三セクでも色合いも経営状況も全く違うのです。
JR西日本は古い車両を多く抱え、博物館のようなローカル線を多く持っていますが、北陸の七尾線、氷見線、城端線、九頭竜湖線などもまさに非電化のキハ40、キハ120が行き交うのどかな地方路線です。
JR化後のキハ120系でも30年の経年で、冷房の効きも悪く、経年劣化で汚れも軋みも目立つ中ですが。何と富山の氷見線、城端線が国鉄時代からのキハ40系です。マニアには人気でも、さすがに乗っている高校生らは興ざめでしょう。

高岡駅では、そのキハ40系の置き換えの新型車両のイメージパスがデカデカと掲示されていました。
21世記に、国鉄車両がここまで残っていたのも面白いですが、さすがに新時代がこちらにも来るのでしょうか。
山陽方面や、小浜線、きのくに線なども新型電車になりましたが、なかなかまだまだ何の法則なのか、奈良線、加古川線、播但線などは古い電車のままです。そういってるうちに初期の白い新快速221系も経年が進み、大量入れ替えを迎えるのです。新時代はもう少しで西日本でも来ます。

新幹線はJRですが、そこに直結する都市間路線はJRのままの方が自然な形で、観光地などへのローカル路線を自治体の三セクにした方が分かりやすいのにとは思います。国鉄転換時の赤字ローカル線ルールと、整備新幹線の並行在来線ルールが歪な地元負担と、旅行者への混乱を招いています。

北陸の三セクの中ではやはり、のと鉄道と、えちごトキめき鉄道の車窓や車両が秀逸でした。単線非電化で、ワンマン1~2両で走るローカル鉄道は癒されます。

書評:AI関連、夢も実現、AI時代を読み解く

書店の有料ブースで、手にしてささっと斜め読みしたAI関連の2冊です。
AIに関して、紙の本で学ぼうという時点でいかにも文系なのですが、AIの進化はまさに文系にも革命的な恩恵をもたらしています。

しかも【大全】の方では、今多くの方がAIをイメージしているレベルや、想像力に乏しいこれがAIだと使っているレベルの手法が、ほんの序章に過ぎないことに愕然とします。そして、自慢げに「こんなこともできる」などと話しても、すぐにアップロードされてしまう、変化の速さがあります。

数年前に私が市のコミニティITアドバイザーの資格を取った時、スマホの使い方、LINEのやり方などを、高齢者、デジタル難民へ教える講師の勉強をしていました。WordやExcel、PowerPointもありましたが、需要は減っていました。
最近参加していませんが、最近はAIを使ったカリキュラムに替わっているようです。

ここ2ー3年の生成AIの進化や普及はすさまじいものがあります。
実際に、画像や、動画の編集、調べものや考察でAIを使い、驚く場面もあれば、感心する人、ピント外れを笑う人や、苦手だと関わらない人がいます。
もちろん、強制するものでもされるものでもありませんが、AIを使いこなせるようになると、人生が何倍にも楽しめ、時間さえも多く手に入れ、夢を実現できる可能性を広げ、劇的な変化をもたらします。
リスキリングどころか、今までの人生をやり直し、やりたかった夢を実現、欲しかった知識もアドバイスも能力や資格も手に入れられます。

AIに人生相談などというと、ジャイアンツの前監督の娘が、相談の末、父を暴力で訴えたのが、過剰な良くない例で語られます。
しかし、今のAIは、まさに人生相談を深堀りし、友人や先輩のように成長を促すのです。
かつては、チェスや将棋、囲碁などの名人クラスの奔放な指し手にはAIも予想しきれず勝てないと言われていましたが、もはやそんな時代はとうに過ぎて、AIがそれらの手法も吸収して学習して、人間に負けることはないのです。
よく、AIも間違うし、トンチンカンな答えをしていると言われます。
いくら、AIが優秀でも、あなたの知りたいことや、やりたいことを具体的に相談し、知ってもらわないと的確な回答はきません。
そのあたりの、感覚を身につけることなのです。AIも身体こそなく、傷付きはしあいけど。人間のような存在であって、上手く付き合えば疲れも知らない最強のパートナーです。

そんな中でこのAIに関してのトリセツめいた本を読みました。

「AI独学超大全」資格・試験、リスキリング、大人の学び直し…勉強時間は1/100。インプットは100倍。学習難易度はゼロになる。
との紹介文です。
ネタバレですが、これを読むと本当に司法試験や公認会計士などの難関資格試験さえ、夢ではなくなります。
努力は必要でしょうが、AIの指導の下に、自分の弱点、躓くポイントを分析してくれるのです。もはや独学と呼べるか分からないレベルです。
「ChatGPT時代の文系AI人材になる」野口竜司
こちらもビギナーには分かりやすく、AIに脱帽させられる方もいるでしょう。

ジブンの得意×AIを操るチカラ
=GPT時代の知的生産術

ChatGPT時代のAIは「ことばで動く」ので、文系人材でも自由自在に操ることができます。
自分の得意なこと、専門分野にAIを活かして、知的生産力をアップしよう。

本書で解説しているのは、ChatGPTの仕組みや使い方だけではありません。
ChatGPTが引き起こした知的生産革命にどう対応するのか?
自身のスキル向上をどう図るか? その具体的な方法を解説しています。

どちらも具体例については、想像力を広げないと自分のニーズとはずれてピンとこないかももしれません。
プロンプト、語り掛ければ良いのは、圧倒的にやりやすい。反面、正確に分かりやすく、明確に、誤解を招かないように言葉で表すか、は論理性、国語力も今の段階では求められます。
ホワイトカラー消滅の時代と言われますが、今からしばらくの未来はこのあたりに文系の生き残りのチャンスはあると思います。
資格を取るのも、高額の授業料を出して専門学校ななどに行かなくともマンツーマンレッスンが安価でできます。
ただ、進化はすさまじく、「一度勉強した、資格を取った」で安穏とできるというホワイトカラーの平成までの時代とは、心がまえが違うのも事実です。

景気が悪ければ減税、福祉や年金、税金は財源ありきではない

高市総理が公約を守るためと、積極的な財政発動に対し、反対する勢力とも綱引きされていると言われます。
いろいろ裏のありそうなところで、正解はわかりにくいです。
積極財政も間違いではありませんし、緊縮財政にも一理はあります。
最近の財務省や、彼らに洗脳された政治家や評論家、一部の国民まで、何か成そうとすると、「財源は?」という楔を打って、ブレーキをかけてしまいます。
税収などというものは、本来景気が良ければ増えて、悪ければ減るものです。国の安定のため、恒久財源を抑えようとする考えでしょうが、人口が1億人として、企業がそれなりの数があるとして、かかる税金が、その所得や売り上げに関わらず一定ということはあり得ない話です。
売上が減り潰れかかった店や、リストラされた人は、失業手当など補償や手当、免除制度はあっても、順調な時のような納税があるわけがありません。
社会全体が厳しいなら、税金は下げて、景気の回復を図るのは、経済学の常識です。
そんなことが、国家の安定財源のお題目の前にはコロリと忘れて、財源をという宗教めいた考えがまかり通ります。
もちろん、公務員さんは真面目だから、予算が決められたら、1円たりとも計画していない科目にお金を払うことはできません。
税の原則は公平で、中立、簡素(シンプル)と、かつての経済学者は説いています。
なんか、財源と結びつける名目で、複雑な名前を付けた税金が増えています。紐づけないと、お金をおろさない会計元財務相の締め付けなのか、名目を復興とか、森林環境、子育てなどとつければ、徴収しやすいとでも思っているのでしょうか。そんなものは、名前を変えず、所得税や法人税から取るべきです。

もう一つ、難しい問題で、緊縮財政側の論者は、これからの人口減少、少子高齢化社会で政府を維持するための、税の割合を増やし、財政支出を抑えようという巧みな誘導をしています。
しかし、結局は自分たちの立場や使う予算を抑えるのではなく、ぶんだくる歩合を増やすのですから、その負担はどんどん国民にかかり、五公五民に近くなると、不満は増えます、
勤労意欲もなえ、脱税などの脱法に走り、国の力は確実に弱ります。
民間に自由に任せ、「小さな政府」というのは、実は緊縮財政とは全く違います。
公的な機関が推進するインフラ、福祉などのエッセンシャルワーカーは一定割合で必要ですが、上級国民面の官僚や管理事務者などの公務員はもはや組織として必要がない時代です。民間はどんどん合理化されて、AIやデジタル、ロボットも導入され、職員数も減っています。
企業間の厳しい競争にもまれ、最先端のマーケティングやマネジメントを追求している民間に比べ、典型的なセクト、前例主義でなかなか組織が改革できない国では、そもそも民間を規制する資格などないのです。
犯罪だけを取り締まり、福祉や社会保険に特化して、業界擁護などはもう民間に任せて、指図するの組織こそ解体すべきです。世論や業界の言うままに、間違った政策判断をする政府や官僚は小さくなるべきです。
こんな管理職に高給はいらないですから、自衛官や消防職員、警察官、介護士、配管工、土木作業員などに厚遇を回すだけで,国の力は増します。
価値観の大きな転換を早く迎えないと、逆に日本はますます弱い国に成り下がります。

飽食と飽娯楽?の時代

若い頃に比べると、大人になり可処分所得が増えたせいでもありますが、昭和の時代、まだ大人も子供はホテルのバイキングブッフェでたらふく食べるなど無かったです。
今は、そのバイキングでさえ、「味が大雑把」とか「冷凍ものじゃん」とありがたがらず切り捨てる輩もいます。
生活保護や母子家庭とかもですし、そこに至らずも病気などで働けず、ローンや税金などで満足に食べられない家庭もある時代です。それでも、今は多くの人が飽食、食べ物にそう困らない時代です。
戦後すぐは、残飯を煮込んだものがごちそうでしたが、今は賞味期限切れで、腐ってなくてもどんどん捨てられます。

そんな状況と少し似ているのが、配信やらチャネルが増え、見られるコンテンツが溢れてきているのです。
昔の名画から、最近のドラマ、配信会社や、テレビ東京までの地上波、BS入り乱れての制作も放映もあり、録画しているものとサブスクの優先順位も悩みます。ビデオなども普及する前は、国民の多くが同じコンテンツに同時刻齧りつきました。ビデオが出回っても、最初はテープも高く、かさばりました。特定のシリーズをたくさん録画して、ダビングする人もいました。
今では考えられない時代です。

スポーツもかつては、プロ野球の巨人戦ぐらいだったのが、今私もスポーツ系配信に入っているので、パ・リーグもJリーグも見放題です。最新のネット配信ドラマも、地上波の話題作もありますが、気が付けばそれほどテレビに齧りつくこともない、ワクワクは失せています。
食べ放題のバイキングが夢のような時代は過ぎ、もう飽きられたのでしょうか。やはり、あの時代や、恵まれない人がおれば、分けて上げたくもなり、感謝しながら味わいたいし、コンテンツなら鑑賞すべきだとは思います。

北陸旅行記、ハラハラ、感動、最後はハッピーな旅

この夏のお盆休みの旅行は、北陸の第三セクター完乗と能登半島地震復興支援がテーマでした。
北陸3県3社三セクのパスがあり、青春18切符のように北陸3県をぶらりと旅する計画でした。我ながら、青春18に近いハードなスケジュールを組み、乗り鉄を楽しみました。
詳しくはインスタなどに写真を上げていますが、たかが2~3日の国内旅行でいろいろとあるから、一人旅は楽しいです。ローカル鉄道、三セクの鉄印を集めるのと、日本遺産や廃線跡などがこのところの旅の目的になっています。
お寺の御朱印や、城巡りなど、若い人から見てもヒマな年寄りの趣味ですが、それはそれで計画を組み、歩き回り知的パズルと運動にもなり、オリエンテーリング的で心身にも良さげです。
計画を組むときのワクワクが旅の楽しみの半分です。今回では、どちらかというとお盆に簡単に行けそうなところと、漠然と考え、イッキに具体的に計画したのは2-3日前です。
緻密ではないですが、細かくは電車の時間、観光、食事、宿泊の時間や場所を考えて仕上げました。
それでも、幸運に予約の取りにくい観光列車が抑えられたのも加え、当日になっても最も遠方の糸魚川まで行くかは、体調などの成り行きでもありました。
それでも、旧北陸本線ではえちごトキめき鉄道が最も景色も良く、車両も架線下のディーゼルで、楽しめてよかったです。福井からのハピライン、IRいしかわ.愛の風とやまは、どこもJR西日本仕様の交流型で、新快速と塗装以外の車内はあまり変わりなく、高規格路線で平凡なのです。
そして七尾線、のと鉄道はやはり単線ローカルの楽しさ一杯でした。
若い女性グループと観光列車で出会い、震災語り部の列車では感動の涙でした。行きに金沢駅下車時に読みかけの文庫本とメガネケースを無くしましたが、鉄道会社2社にまたがり、手こずりましたがハラハラのあと、帰りには何とか、金沢駅で取り返しました。
なかなか、面白い旅ができました。