繰り返される「分かっていても負ける日本」

 今年は敗戦から80年ということで、選挙も終わった8月は戦争の特集などが溢れるでしょう。
 しかし、今の日本はあの時と同じように、国が滅びつつあることが分かっていながら、良いような話だけで誤魔化されているのです。太平洋戦争開戦前夜の1941年(昭和16年)の夏、総力戦研究所で若きエリートたちによって、アメリカと開戦した場合のシミュレーションが行われ、「日本必敗」という結論が導き出されていたにもかかわらず戦争へ突入していった史実を描かれた話と、現代日本がダブって見えるのです。。
 この組織は昨年の朝ドラ「虎に翼」など、最近の戦中ドラマでもポツポツと描かれだしています。有名になったのがこの猪瀬さんの本です。

 今の時点で、選挙期間中なのであまり政治家を褒めるのもあれですが、改選議員でもなく、主に作家や以前の活動のお話をさせてもらいます。
 猪瀬 直樹(いのせ なおき、1946年〈昭和21年〉11月20日-生まれ)で、作家、政治家。元東京都副知事から知事、徳洲会献金のスキャンダルで公民権停止期間あり、現在は日本維新の会所属の参議院議員(1期)。日本維新の会国会議員団参議院幹事長です。
 都知事としては、石原さんの後、小池さんの前で、スキャンダルもありやや地味でした。その以前の、小泉内閣時代に参与として道路公団の民営化を推進した実績が知られます。改革派の実力者ですが、ハメられたところはあるのでしょう。彼がいなければ、未だに高速道路のSAやPAは古臭い自販機とまずい飯だけの不便なままだったとも言われます。
 JRや郵政よりも、成功したといええそうなのが、ネクスコと言えます。もちろん、道路族の利権を完全に断ち切ったとはいえないでしょが、適度に民間の活力を加えて、活性させた役割を大きいのです。
 頭の良い方で、日本の社会保障の課題を、目先の給付や減税ではなく、社会保障、保険料特に医療費や医師会や薬種業などの厚労族利権にメスを入れないと、日本はまた、壊滅的な敗戦を迎えるという主張をされています。減税や給付金の話で良く財源はという話になりますが、どこから取るかでは、結局国民の負担は個人差はあれ変わらないのです。
 社会保険料の、医療費のここの負担を、構造改革で1兆とかいくらまで減らすよいうのが、具体的です。もちろん、個々の組織は痛みも伴い、今回のコメ問題でのJAや農水族のように抵抗はあるでしょうが、国全体を俯瞰した場合に、どこにメスを入れて改革するかなのです。

 多くの省庁、業界と繋がった族議員や、労組や宗教と縁を切れない党では、しがらみがあるすぎて、この終戦に向かう流れを止められないのです。
 
 以下は現首相の、この本の感想で、猪瀬さんへの国会での応答です。
【石破首相】
 情報の開示とはなんであるか、すべてわかっていたのに何で戦争を始めたのかという疑念が沸き、楽観的な、そして刹那的な見通しは決して持ってはならない、そして、個別最適の総和は、全体最適ではない、という教訓にたどり着いた、と3月の国会で石破総理は述べていました。
 防衛庁長官をしていたとき、ある人から、この本を必ず読むよう勧められた。敗戦は昭和20年ではなく、16年に決まっていたという内容だ。昭和16年、今のキャピタル東急のあたりにあった「総力戦研究所」に、ありとあらゆる官庁、日銀、同盟通信(現・共同通信)など、30代の俊才達を集めて、あらゆるデータを集めて、日米の国力の比較を行った。GDPが八倍違うなどあらゆるデータを開示して、日米開戦後のシミュレーションを行った。その結論は、何をやっても勝てないので、いかなる理由があっても、この戦争は行ってはならない、というものだった。しかしながら、このことは省みられることなく、開戦になり、日本はあのような悲惨な焦土と化した。

 今の日本の問題は、空襲は来ないし、徴兵もなく、原爆投下もない一見恵まれた国のようですが、どんどん人口が減り。多くに人の手取り所得は増えない、貧しい人が増え、働く人が来っていて、国が支えを失ってスカスカになっていくのが見ていることなのです。

 また目をそらしてはいけないのです。

 関係ないですが、猪瀬さん、戦後生まれなのですね。今の奥様の蜷川有紀さんと、私は学生時代にある映画のロケで一緒になり、河原にねそべり2~3時間一緒にいました。

参議院選挙公示:古い衣を大切にするだけでは新しいことはできない

 今日は参議院選挙の公示日、梅雨も明け真夏の暑さの中、7月20日までの熱い選挙戦となりそうです。

 いろいろと政治に関して、騒がれる話題もありながらも、なかなか変わりそうで変わらない。だからやはり政治に関心がないという方もおられますが、是非公報や政見放送を見て選挙に入って欲しいものです。

 公務員的な立場なので、誰か個人や政党に偏る投稿はいたしません。
 政治や国民の生活に関する部分での日頃の想いだけ述べます。

 確かに、今の日本は国際的にも地位が低下していますが、それ以上に国民の生活が苦しくなっています。何とか、より良い道に進むような選択ができる選挙結果にならないかと思います。

 よく国会議員は高額の歳費やらいろいろとたくさんもらって、さらに不正にお金をもらい、大した仕事をしていないようにも言われます。しかし、日本の課題を考えた場合、議員の使命を重く、仕事は多いはずです。

 社会保障の改革に関して、超党派で進めていくということが決まったようです。税の改革はまだ、各党の公約もバラバラですが、一歩前進とも言えます。

 党勢を拡大するのが、各党の議員の宿命ですが、それ以上に進めるべき問題はあるはずです。

 税制とか、農林、厚生、国交とか大臣もいますが、それぞれ部会があり、各党の委員が専門となって話し合っているはずです。これは、各地方自治体の議員と同じです。所属の党が多いと部会でも有利ですし、国の場合、大臣、副大臣が与党が占めます。さらに、官僚やそれに連なる業界団体などの組織があり、大きな改革の弊害にもなります。
「古い衣を大切にするだけでは新しいことはできない」という言葉があり、新しい着物を仕立てるのは大変で、ついつい今までのものを直すだけでお茶を濁すのが日本人の常になりがちです。明治維新や敗戦など、外圧などで大きな痛みを伴わないと改革は進まないとも言われます。
 しかし、もはや日本の現状は、少子化や経済の低迷は敗戦に向かう太平洋戦争よりも悪い局面と言われます。

 今まで、それで良かった前例を見直し、既得権を持った人にも我慢してもらわないと、大きな変革はできないのです。
 今税制で騒がれる財務省、コロナの時に垣間見えた厚労省、米騒動で体現している農林水産省、その他の省庁も似たり寄ったりです。かつては国民のため、弱い業界のためとかの公のために作られた機能がやがて増殖して、自己利益のために肥大化して、蝕むが進んでいるのです。

 末端の一つ、一人は改革に痛みを伴いますが、本来公益のために公転すべきところが、自分のためだけに自転しているのです。これでも、公平に活力ある経済が回らないのです。

 結局、批判的にもなりましたが、これからの1回ずつの選挙とそれを受けた政治は注目が必要です。大きな改革が進む可能性はあります。

令和の女性の生き方

 昨日TOKIOのことを書いて、連日マスコミや元ジャニーズ事務所批判というわけではないですが、フジテレビ、中居正広の事件のお相手?被害者のことです。中居君がいまさらどうこうとはここでは別にして、どうも違和感とまでは言わないのですが。そういう時代なのかと思うのが被害者とされる女子アナウンサーWさんなのです。
 慶応大学を出て、フジテレビに入社され、今は退社されフリーで芸能活動を再開です。騒動もあって知名度も上がったせいか、有名男性雑誌の表紙を飾っています。
 それも、胸もはだけた、かなり露出の高い水着姿、多くの男性の視線にさらされ注目されるのが狙いでしょうが、私が父なら勘当ものの姿です。
 グラビアアイドル、俳優や歌手と女子アナウンサーの境い目があまりなくなったというか、目指すベクトルが近い方向にあるような現代です。

 女性が高等教育を受けることが懐疑的だった時代から、昭和の終わりごろからは、4大卒も全然珍しくなくなり、男性と同じく総合職の就職戦線に入り出しました。
 平成も終わりに近づくと、ミスコンはじめルッキズムに賛否はあるもののか、才色兼備が重用されるようなムードはテレビ局と言わずも醸成された感があります。メイクのテクニックも、プチ整形も男女含めて見せるために進化しました。
 関西の準キー局と言われるテレビ局や私の勤めた化粧品の大手メーカーでも、錚々たる美貌とキャリアや、タイトルホルダー的肩書を持った大卒女子が綺羅星のごとく毎年入社して来ていました。
 阪神やオリックス、Jリーグのレポーター、戎神社の福娘、ドームのビール売り子ナンバー1、ビーチバレーやラクロスの地区チャンピオン経験者、某集合アイドルにも合格した経験のある子まで、ほぼタレント然で入って。職場を彩っています。

 昭和から令和、女性の幸せな人生というのは、どう変わったのでしょう。美しさだけでチヤホヤされた20代では、よほど何か実力をつけないと、30代、40代と生き残れる人はかなりしたたかな一握りです。
 実際、化粧品会社などでは、女性で組織のトップになった方を見ると、したたかで優秀なのですが、何とも微妙な痛々しさがあり、後ろに怨念を感じます。


 私の娘も、実は某鉄道会社のマスコットのようなお誘いをあえて断っています。自力で苦労しながらも、調べた業界の大手にチャレンジして、何社目かで何とか内定を貰い、今も務めています。普通に仕事をして、良縁に恵まれ、子供を産む、育休や産休も配偶者含め制度は充実しています。

 人それぞれ、スタイルは自由で、それはそれで大変ですが、それぞれの生き方が、どうも少子化を解決できないのかなあとも思います。

 女性の幸せは、子供を産むことに、いろいろ言われようとあらゆる手段でプライオリティを高めないと、少子化は止まらないでしょう。

 

隠され騙され続ける大衆 メディアの責任は

 TOKIOというグループが、メンバーの一人のパワハラで解散ということです。すでにだいぶ前にアル中などの不祥事で一人退場になっても、バラエティ番組、音楽や役者は続きていただけに少し衝撃的には報じられました。テレビ局が、記者会見するという大きな事態でした。

 しかし、国民的なアイドルグループのSMAPや嵐に比べると、どうも中途半端な存在といえます。たしかに人気番組はあり、JRの新幹線のチャイムになった写真の「AMBITIOUS JAPAN」や中島みゆきさんの楽曲「宙船」などもそこそこヒットしました。長瀬や松岡は役者として、そこそこ頑張っていた程度です。

 このグループが紅白歌合戦に毎年出続け、24回も出ていいるのは、いくら何でも異常です。
 今さら元ジャニーズ事務所の問題をあげつらってもですが、大したヒットもない彼らが序列なのか、忖度なのかで大晦日の当時国民的視聴率の大イベントに出続け、その勢いと威光そのままに民放の番組に出続けていたのですから、テレビ局の罪も深いです。

 私は、音楽の先生をやっている妻と少し前まで毎年大晦日は一緒に紅白を見るのが恒例でした。歌の練習を怠っている大御所歌手にも辛辣で、結局はその何年か後に引退になるケースが多かったので、さすがと思いました。そんな中で、TOKIOにはひときわ厳しい評価で、「歌も楽器もダメで、ヒットもしてないしグループとして花もないのに何で出てる分からない」というダメだしでした。
 ジャニーズ系でも、役者はしっかり芝居をして、礼儀もいいようですが、スタッフに暴言や暴行まがいは人として論外で残念です。
 やはり小さい頃から、厳しいとは言え、世間とは違う世界で、世の中を知らずに育ち、人気が出るとチヤホヤされてばかりで、社長があのような性癖の人で、黒でも白で通ることを見て、従ってきたら、人間は歪んでしまうのでしょうか。

 踊りや歌の上手い、可愛い男の子を囲い、権力を持ち続け、肝心の報道さえも隠蔽され、ゆがめられていました。悲劇の余波のようなのが、今さらのTOKIO事件です。
 この程度の事件、以前ならマスコミは絶対放送できないですが、ジャニーズ事務所の呪縛はなくなり、今度はテレビ局などが知っていたのに隠していたことそのものが体裁悪く、時間もかかったのでしょう。

  NHKや民放各局に今さらモラルや公正な報道を求めても、何だかという感じです。「ドラマは良い内容」とか、「報道は良い」とか、俳優やタレント、芸術家にそういう厳格さは求めない人もいるでしょうが、事実として犯罪が分かっていたことは報道することはマスコミの義務であり、使命です。

 都合のいい時だけ、アリバイのように正義感を振りかざし、弱い者を助けるのではなく、強い者にだけ味方するのでは、まともな報道機関ではありません。そこまでの理想は無理としたら、国民はリテラシーを持ち、報道されるタイミングや内容のウラをよく考えることです。

夏越の祓い、今年の前半を振り返り禊ぎましょう

 いつの間にか、2025年、令和7年も半分が終わろうとしています。
 6月30日、「夏越の祓い」という行事の日です。
 それほど昔からではないですが、6月の終わりにはどこかの神社で茅の輪くぐりをっしています。半年の無病息災を喜び感謝し、あと半年の無事を祈る行事です。
 天候などによってはいけない年もありますし、たいてい6月の末日ではなく、茅の輪が設置されていれば、月後半にはくぐっていいました。

 今年はそう遠出ができない脚の状態なので、近所の神社に行きました。近所とはいえ、炎天下1kmほど歩くのはきつかったです。
 今感じるのは、この股関節炎で歩くのは辛い件が、この前半の最大エポックでしょう。

 とは言え、半年の間というと、振り返ればいろいろな出来事がありました。波乱万丈とまでは行かないまでも充実したいろいろあった6カ月でした。記憶力は衰えていますが、スマホの写真が保存されているのであんなこともあったと回想できます。

 前半の1ー3月、会計年度の3月末までが2年近く勤めた裁判所勤務のラストラン、雪の舞った2月がまだ4カ月前というのが遠い記憶のようによみがえります。
 年始から、結構な案件を処理し、年度末の準備もしながら、2月はリクルート活動にも入りました。年度替わりとあって。厳しい就職戦線で、結局会計年度の雇用には間に合わず、少し休んで、4月末からの仕事に採用されました。
 4月は少し、のんびりと旅をしたりする時間がとれました。そして、4月末から、現職で働きだして、慣れぬ職場であたふたする、あっという間の2カ月でした。

 何となく、知っているような気もした自治体の仕事ですが、全く知らない面が多く、感心する毎日でした。もちろん、民間企業や国と違う点もあり、こういう改革があればという思いを抱くことは、私の性格上ありますが、そこは徐々にという感じです。

 みなさんの半年はどうだったでしょう。今年、こうありたいという夢や目標は半分経過してどうでしょう。焦らずとも、振り返り、歩みを確かめながら、あと半年を前に進んでいくことです。

 私も明日からの半期も、いろいろあるのでしょうが、頑張って、まずは目の前の体調を整えて、一歩一歩を進め、目の前の課題をひとつずつクリアしていきたいです。

 

 生活保護受給者裁判より 25条というなら

 選挙前で、話題も立場上微妙ですが、裁判の解説的なフォローと、両論併記しながらも一個人の願望と、世相への投げかけとして書きます。
 6月28日報道されました通り、国が2008年リーマンショック以降に物価が下がったとして、生活保護費を減額したことが裁判となり、昨日、最高裁判所第3小法廷は違法と認めました。
 これを受け国は追加支給を考えることになります。また、これから国家賠償の話も出てくる可能性があります。
 受け取る側は生活が懸かっていますが、時間は経過しています。一方、支給する側は財政のバランスを考えてこうしてきた立場です。
 生活保護を受けている人でも、一部不正受給があるのではというイメージもあり、そもそも健康でなぜ働かないのかとの指摘の向きもあります。
 また申請して初めて審査されて、受給の流れになるので、多くの同じくらいの所得の方でもプライドが邪魔したり、何とか節約したり、過酷な勤めでも仕事に就くとか、遠い兄弟や友人に頼むなどでしのいで生活保護を回避しているケースも多くあります。
 日本の手当や給付の「申請主義」の仕組みの難しさがあります。
 個人情報保護だと騒がれますが、所得や家族、住居などはマイナンバー制度で国はほぼ掌握できます。生活保護をなると、就労意欲や財産とか案件は増えた上で、本人の意思となりますが、そこまでの手続きを簡単なインターフェイスで、数回のポチっとスマホをクリックで申請になれば良いと思います。逆にシステム化することによって、財産や購買行動がわかり、支給停止も自動化できるはずです。

 真の公正、公平とは何か難しいですし、裁判所の判決には限界があります。

 判決の元になるのは、「生存権」と言われ、戦争放棄の9条平等権の14条とともによく各方面から社会保障の場で注目され憲法25条です。
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 行政は判決を受けて説明責任をし、速やかにできうることを実行しないといけなくなります。民主主義、法治国家の難しい面です。
 
 しかし、本当に平等ということを考えれば、先ほどの生活保護申請に至らない人びとはそのままで良いのかと感じます。

 そして、リーマンショック後以降の、名目賃金が下がり、実質目減りの年金、社会保険料の高騰、マクロ経済スライドにより年金抑制も、いくつかの切り口で訴訟を起こせば憲法違反に問われるのではと思います。
 マクロ経済スライドは、今国会で決まった「基礎年金の底上げ」で実は間違いだったと否定されています。年金財源を守るために、保険料を上げるのを一定に抑え、給付金をジワジワ下げるというやり方は、結局どこかで憲法25条に抵触するか、急激な物価高に対応できずに今のような不平不満が爆発するのです。

 混乱やカオスを望むのではなく、正論をぶつけ、どんどん訴訟を起こせばと思います。

 今の制度で、選挙前の喧々諤々と減税や給付で騒ぐのではなく、実質GDPや名目賃金も物価も、優れた組織で分析されているので、システムとして無能で恣意的な国会に関わらず、早期に調整できるようにすべきなのです。

 年金を貰うのはお年寄りですから、早く給付に反映しないと2年間の物価を鑑(かんが)みでは遅すぎます。遅くとも1年の暦の間に、賃金、物価上昇分をプラスで支給すべきです。公務員給与は毎年12月に民間(大企業)の4月賃金上昇に合わせ、人事院勧告で差額を遡って支給されています。

 そうでないと頑張っている公務員のなり手もなくなるという考えはわかります。国家財政が厳しいから、賞与(期末賞与)や役員手当を削るようなことはしません。それなら、せめて年金の支給に対して、憲法に合致した社会保障の増進という面で早急な対処は必要ではないのかと思います。

 誰もがそういうものと考えていますが、年金は2カ月に1度、偶数月に前月と前々月の分が振り込まれます。給料は毎月1回、その月分、遅いところでも前月分で1カ月毎が当たり前です。
 2カ月に1回だと、入院したとか、エアコンが壊れたとか大きな支出があったり、今般のようなコメの高騰があると、次の支給までに破綻や高利の借金を重ねてしまうケースが増えます。

 2カ月に1回を月1回にすると、振り込みのコストがかかるのかもしれませんが、支給停止や減額や増額には対応しやすい面もあります。コストがかかるなら、本来公務員給与も民間も給与は2カ月に1回にすれば「平等」ではないかと思います。

 書き出すと熱くなりすぎますが、変えられる点はいくらでもあるのです。

 

書評:貴戸湊太「図書館に火をつけたら」

 タイトルはインパクトはある比較的若い作家の作品、このミスの上位というわけではなかったが、カバーと帯の煽りでつい手にする。

 バカミスっぽいので、やはり図書館本を待つことにして、貸出時に図書館の人からタイトルに怪訝な顔をされたような、されてないような感じでした。

【紹介文】
 市立図書館で大規模火災が起き、焼け跡から死体が発見された。
焼死と思われたその死体の頭部には何者かに殴られた痕があり、火災と同時に殺人事件が起きていたことが発覚する。
さらに、発見場所である地下書庫は事件時、密室状態にあったという。
炎に包まれた密室は、誰がどうやって作り出したのか。
 刑事・瀬沼は真相を探るなかで、図書館に救われた自身の小学生時代を辿ることに――。

 本格的な密室トリックと、読者への挑戦というロジックパズルめいたところと、
 不登校だった3人の小学生が刑事や司書、大人になって再会というドラマ的な面もあり、バランスは悪くなくリーダビリティにも優れています。
 司書や図書館のお仕事や役割が良く分かる面もありますが、トリックの前提となる部分含めて、リアルに可能かというと無理もありますし、司書の人数などにも急に取材不足かなという点もあります。ミステリなので、お約束だといえばそれまでですが、動機も好きではないです。

 本が好きで、図書館にはよく行くのですが、司書という仕事は個人的には何というのか好きでも嫌いでもありません。本にまみれるので、本屋や図書館の仕事がいいなと思う時もありましたが、好きと仕事は違うというのと、どうも「司書資格」の制度、中身や受験の仕組みが気に入らないのです。

 他の資格制度でも似たり寄ったりですが、実際の図書館実務とも乖離しつつあり、図書館そのものも一部で検討されているように、変容を迎えつつある時期です。
 個人情報は守られつつも、自分の貸し出し履歴すらデータが見れず、次の情報へのリコメンドもないのは、法律や仕組みがおかしく、他の娯楽や研究に比べ融通が利かなさ過ぎです。

 図書館はどの町にもある公共施設で、進化によってはさまざまな用途として市民に活用されるはずです。それまでに、図書館学から、司書の仕事の中身もそろそろ変わらないといけないでしょう。

宅配便は「置き配」標準化へ?

 国交省は宅配便を「置き配」を標準化する検討をしているという報道でした。
再配達が運送業に与える負荷、環境への悪影響などが要因ということです。

 かつては、郵便の小包か、国鉄小荷物が主流をしめた時代があり、国鉄の駅は旅行のターミナルというだけではなく、物流の拠点、取次の機能まで有していました。

 コンビニも宅急便もない時代、「駅留め」という小荷物を、庶民はハンコをもって、駅まで取りに行き、エラそうな駅員に渡されたのです。
 昭和とともに国鉄の小荷物運送も、国鉄そのものも終焉を迎えます。民間の宅配便が急成長して、親方日の丸的な国鉄も郵便局も淘汰されたのです。
 経営もそうですし、社会全体も核家族化し、共働きで不在も増えて、運搬の方法も変わらざるをえません、

 しかし、今のAMAZONなどの、おびただしい量の小口の荷物は異常です。下請け業者も個人の請負が多く、モラルもひどい場合があり、誤配や盗難、汚損などの心配の種はつきません。

 実際、折り曲げ禁止と書いてあっても、軽トラに積み重ねられ、乱暴の引き上げて、ポストやBOXにツッコまれては、良い状態で届く保証はありません。

 環境問題というならば、それほど急ぎでもないモノを、規定で早く届けざるを得ないシステムも何か問題が多いような気がします。国の政策もどこかで、宅配業者寄りになって、根本のところで何か違和感ありです。

 かつては、自分で買いに行くか、取りに行くが当たり前、近所でなじみの配達は定期的に決まった時でしたが、そんな時代は遠くなってしまいました。

 というながら、無意識にポチっと、買い物買いをしてしまうのです。

相手の立場を慮る 紛争解決の糸口

 国際紛争にしても、地域、職場、学校、家庭の小さな諍いにしても、ほんのちょっと相手の立場になり、相手のことを慮ると、解決の糸口が見えるのではないかと思います。

 いわゆる「育ち」ともいう、家庭環境、宗教、地域、学校などにもより、人が経験してきたことにより、価値観も変わります。まして国が違えば、発想から全てが真逆な時もあります。

 私も、そんなことでととも後ろ指さされ、非難めいたことも言われ、イラっとくることも多々あります。
 ディベートでもそうですが。立場変わればそう言わざるを得ないか、もともとその発想しかできず信じて行動するから、『正義」は一つではないので、戦争や喧嘩、争いごとは起こるのです。
 郷に入っては郷に従えという言葉もあり、またそれだけでは理不尽で、非効率とかを改善できないこともありいつかは言わないといけないこともあるでしょう。


 お互いに、良く相手の立場を分かれば、だいぶ和らぐのですが、なかなか感情やら意地が先立つとこうはいかない。誰にも経験があると思います。

 世界の戦争などを反面教師に、少なくとも自分の周りはイラっと来ないようにしたいものです。

2万円バラマキの愚に怒り

 石破総理は「社会保障の財源が確保できないから、減税もバラマキもしない」と言ってきていましたが、結局一律2万円プラス、子供と非課税世帯に2万円のバラマキ給付をするようです。

 もう目先の選挙対策で、なりふり構わずです。
 来月20日までに、お金を配るには、市長村役場もまた大変です。マイナンバー制度はあっても、カードを持っていない人も一定数いるし、口座を紐付けていない人もいます。マイナンバーカードと口座を紐付けていても、確認項目はありますし、扶養の子供がいるか、収入は?と確認して、郵便で確認書のようなものを例によって、送らないといけませんから、これは大変は手間のかかる負担が自治体にのしかかります。

 その上、その言い分がもう無茶苦茶です。「給付をするのは、税が増収だったからで、消費税の恒久的な財源としても枠組みは崩せない」と、野党とは違うと言いたいのでしょう。
 しかし、税収が思ったより増えたから国民に返すというなら、非課税世帯ではなく、ちゃんと苦しくても税金を払った層に返すべきです。一番苦しいのはおそらく、非課税世帯にも生活保護にも当たらず、税金と社会保険料を真面目に払っていた中間層の人たちです。
 資産が分からないから、非課税イコール貧乏ですらないのに、血税から給付金というのは筋道が違います。
 こう叫ぶと非課税世帯は所得が低いから、食料品の値上げが一番応えているという反発もあるでしょうが、これはあくまでも税金の戻しをするという話です。

 3連休の真ん中に投票日を設定し、ヒマ(失礼)もとい比較的時間があって投票に行きやすい非課税世帯に厚く給付するのも、魂胆がミエミエすぎるうえ、姑息すぎて、情けないほどです。
 しかし、全サラリーマン、自営業者、課税の年金生活者は怒るべきです。
 税金と社会保険で5割近くを抜かれて、わずかに食料品の値上がり分概算の2万円とはふざけ過ぎた話です。

 いたずらに、国の財政基盤を揺るがすとかそんなことではなく、日本の財政は資産が負債より多く健全です。財務省とか、厚労省とか、各省庁、インフラを支える自治体も、最前線は賢明です。しかし、やはりこの国の税と社会保障は一回メスいれないといけないのです。その場しのぎの栄養剤やカンフルで誤魔化されはいけないのです。
 とりあえず、現在の政権与党には退場願って、官僚や財界、労組とは距離を置いた改革のできる国会議員が必要です。国民にもずっと、痛みをともなってきたのです。国民が年間400万や600万の平均収入の時、国会議員が非課税で文通費合わせて5千万も貰い、その上、献金や政党助成金を貰っていること自体おかしすぎるのです。
 公務は決して楽な仕事ではないですが、現場の公務員に比べて、そのトップ国会議員や大臣らが10倍、20倍も忙しく重い仕事というわけではありません。
 お金がない、税金が足りないのなら、まず身を切る改革と言われて久しいですが、全くその姿はカケラも見えません。それなりの報酬は否定はしませんが、今の増税増税という路線で、税や社会保険料などの構造を全く改革できないのでは。国民は疲弊するばかりです。


 7月20日、まずは国政選挙の山場、参議院選挙があります。3連休ですが、期日前投票はできます。公報、政権放送、ネット情報も深堀して、必ず投票して、日本と国民の生活を守りましょう。