
いわゆる競争入札、随意契約などのトランプに言わせればディールの問題です。世界を揺るがす大国でも、世界最大級の都市である首都でもなければ、新興の保守の掲げる政策でもなく、政令指定都市の一部門のお話です。しかし、こういう考えは結局は日本全体、世界と通じるのでしょうか。民間企業大手経営者のお話、かつて勤めた企業の経験でも、矛盾に満ちた功罪半ばの事象がありました。
いわゆる競争入札、随意契約などのトランプに言わせればディールの問題です。私が今関わる仕事においては、比較的金額の大きいものでは、公用車や複合印刷機の、その車検やメンテ、空調服、ドローン、偽造防止機能のついた証明書用紙などから、事務机、文房具にいたる小さな買い物までを、厳密なルールに従い業者を選定しています。
イメージとしては、学校の制服や体操着、指定の文房具などはずーっと同じ業者のような気もしますが、それはそれで入札があるはずです。
公立小学校などの場合はその地域で学校最寄などの条件があると思います。それでも共働きなどの人は、amazonで買えたら安くて便利じゃないのかと思っているかもしれません。結論、それはできないのです。
地元優先、京都市でいうと競争入札参加資格登録を申請して認可された地元の業者でないと入札に参加できません。地元の中小企業、店や産業を支援するためです。
「京都ファースト」というところです。
とは言え、さまざまな事情で京都市は財政が厳しく、住む人には住民税や健康保険、水道料金や地下鉄運賃も高く、規制が多い割には、市バスも混雑して住みにくいので、市民ファーストとは言えません。
一つ一つを上げだすときりがないので、入札の構造問題だけにしますが、購買品によってはアククル、コクヨなどの大手の下請けの地元業者が有利になりますし、いろいろと裏には難しい課題があります。守秘義務スレスレで表現に慎重になりますが、京都の方が一般に知り得る情報からの考察レベルで書きます。
本来、税金を使っての、購買や公共事業ですから、いくら地元優先でもあまり無駄に高い買い物はおかしいのです。見積を取る業者も増やさないと本当の市場価格が分かりません。大きな事業から小さな購買の選定でも、安ければいいのか。あるいは貸したり、売ったりする場合高ければ良いのか。品質や技術、業者の信頼性などは同等と見て、地元の業者の利益を守るのか、市民の税負担を抑え、市の財政を健全化するかは大きな問題です。もちろん地元業者の方が回り回って市の税収が増える面もありますが、市民の目からそれが公平で税を適正につあっているように見えるかです。
私も商店街の商売屋の家に生まれたので、大手スーパーよりは地元商店街びいきです。しかし、商店街自体は市の援助も受けてはいたかもしれませんが、化粧品の商いなので、市の指定による契約などは端からない業種でした。その点では、衣料品店や文房具店、電気屋さんなどでそういう恩恵があるところはうらやましいというか、安定して利益がでる取引でいいなと見えていました。
スーパー、コンビニ、ドラッグストアの波が来て、さらにEC、ネットで買い物される時代になり、商店街の商売も激変しました。
それでも、市の選定で生き残る店がしばらくはありましたが、さすがに淘汰されていきました。地元の業者も、会社組織のそれなりに大きなところだけです。
市民ファーストとは意味あいが違うのですが、地元業者ファーストというのは、時代により変わり、部門にもよるのかもしれません。
京都市には、規模は大きくないですが、京都駅と河原町御池に二つの地下街があります。京都駅の方は、JRとむずびつき大きくなりデベロッパーの形態も変わったようですが、できた当初は二つとも垢抜けない店が多く集客に苦戦していました。地元の飲食や物販の店を優先したからで、御池の方など、閑古鳥が鳴き続けるような淋しい地下街でしたが、インバウンド需要も増えだし、店もだいぶ入れ替わりしてそれなりに賑やかになっています。
民間のモールや、SCなどは、部分的に地元資本もいれる場合もありますが、日本初上陸や関西初出店、京都初出店を売りにします。スタバは今では新鮮ではなくなりましたが、コストコだとか、成城石井などが入ると「おおっ」という感じで集客につながります。
商業施設と、公共施設でも違うのでしょうが、最終的には街が潤い、地元にお金が回り、税収が増える構造になるような選定が必要でしょう。
私のいた企業、カネボウも昔は総合繊維メーカーで衣料品、食品、薬品、化粧品、住宅関連品も作っていて、「BY カネボウ ファースト」などと掲げた時代があり、社員販売の奨励もですが、大きな問題は生産でのジレンマでした。素材によってはどうしても競合他社の糸の方が安くて丈夫とかいうケースがあり、そこで「BY カネボウ」をスルーすると更迭されたケースがありました。結局、そんなことも企業の衰退を早める要因です。是々非々でもあり、加減というのかその状況での判断でしょう。これはアメリカファーストにも通じます。国や公が、産業、市場に口出ししても、結局は談合、癒着でいい結果が出ないことが多いのです。騒がれるコメ問題の農業もそうです。入口で農協という組織は認めても、それとずっと癒着し、天下り組織になっては、結局組織の維持、肥大が目的化して、本来の農家や国民のためのものではなくなるのです。
国産の食糧だとか、エネルギーを何%使えとかいうのも、本来国が全て未来を予測してのことでなければ、差額を負担するのは企業か国民で、全くの延命のための無駄金というケースが多いのです。
そして、細かい競争入札や随意契約にかかる、時間や人的な費用も本当にバカにならない。これは最後、私の愚痴です。
