春は曙 花粉でモヤッと

 昨日は朝、昼と移動を伴う私用で天気は良かったけれども花粉は「非常に多い日」でした。

 マスクや帽子で防備はしていたものの、完全に防げるものではなく、目も鼻もやられました。咳の風邪が治まったと思えば花粉症の時期で、外に出かけるのには良い気候なのですがジレンマに陥ります。

 立ち寄った区の総合庁舎で御琴の演奏をやっていました。風も通る広い吹き抜けで演奏の方も花粉に悩まされてる感じでしたが、唱歌等の穏やかな演奏で和ませてもらえました。

 中東の戦火の報道を目にすると、いろいろ思うとこるも多いですが、とりあえずは安穏な春が来たことを噛みしめて、また一歩進みます。

楽隠居か姨捨か?高齢世代の憂鬱

 高齢化社会を迎えて、なかなかリタイアした老人が優雅に暮らせる割合は低いのではと言われます。

 昔は「年金生活」というと接頭語に「夢の」とか「優雅な」とかがつきましたが、昨今の響きは全く違います。

「悲惨な」「不安な」が頭につきそうな年金生活の人が増え、今後高齢で年金受給を迎える方はますます現役の所得代替率が下がり、不安の通り悲惨となる人が増えそうです。

 昨今の急激な物価高には、年金支給額は対応できません仕事がある場合は別にして、相当な蓄えや、副業や運用で所得がある人以外は楽隠居はありえなくなりました。

 若い人は「ご隠居さん」とか、「楽隠居する」と言われてもピンと来ない言葉かもしれません。

 それでも昔は飢饉や恐慌などもあり、身分によっては弱い老人にまで食い扶持が回らず姨捨という悲劇もありました。

「楢山節考」という映画で描かれ、昔は姨捨という因習がありました。隠れて住まわせた老人の知恵が村を救って、姨捨制度を改めたという美談もありましたが、一般には見捨てられたのでしょう。

 横山光輝さんの描く時代ものにも、忍者や剣豪が出てきます。中には高齢になった者も描かれ、生命をかけ主君のために働いたのに、身体が衰えると最低限の食い扶持で蟄居させられ愚痴る場面もありました。

 軍人恩給という年金の原点もそんな感じで始まりました。鉱山作業員も早く年金制度が整いました。生命をかけ、身体も不自由になる仕事に就かせるには年金のような福利厚生が必要だったのです。

 しかし、誰もが働けなくなる老後は不安なのであり、年金制度は発展してきたのです。

 ところが2000年代以降、日本の政府は少子高齢化社会を見据え、大きく舵をきり、支える人間側の都合を鑑みた財政優先の考えのため、年金支給を減額していきます。

 消えた年金の騒ぎや、将来年金制度が破綻するのではという煽りで、年代で区切り厚生年金の支給の計算比率を下げ、さらに巧みに物価や賃金にスライドするはずの年金支給の乗率を下げていきました。

 高齢者は増えますが、その多くが時代を追うに連れて、年金では生活できなくなりました。定年も少しずつ延長されだしましたが、年金の支給も蜃気楼のように遠ざかっていきます。

 新自由主義が掲げられた2000年代以降、非正規社員比率が増え、所得も減り、貯金も退職金も少ない人がこれからどんどん高齢者になります。江戸時代や明治大正とかの昔に比べて医療も発達し、寿命は伸びて、高齢を迎える人は増えました。

 私の家の家系でも、母方の祖父は私が生まれる前に早死にしていますし、父方の祖父や兄弟も戦死や病死が何人かいました。父母の世代になると、それぞれ80歳は超えて生き、妻の父母は80代後半で健在です。ただ、この世代は自営も長く続けるのに恵まれた時代でしたし、年金もフルに厚生年金受給だと潤沢です。私たちの世代はその30年遅れて年金支給は遅く少ない。そしてさらに若い世代はもっと苦しい世代で自分の今が精一杯になり、高齢者を支えるのも、自分の老後への備えもままならないでしょう。

 冗談にもならない姨捨の時代が来るのです。

 子供が親を大切にしてくれるのか、しかし世代としては他人の高齢者まで支えてくれるのでしょうか。後期高齢者の負担を増やせていう世論もここからきています。

 高齢者に気遣う、長幼の序など知らない世代が占める割合が増えると、本当にギスギスした住みにくい世の中になりそうです。

 育ててくれた親の世代を大切にする社会が続くのか、終わってしまうのか、世代間の闘争などない社会であって欲しいものです。これは自分の目の前のためのエゴではなく、誰もが老いは避けられない高齢者を大切にするということはやがて自分たちも老いてうく、未来の自分たちの世代を大切にするという理解を広めることでしょう。

 

わかりやすい政治が良いのか?

 友達の発言をあまり悪く書くのもためらわれますが、総理大臣に求めるものがどうも違うレベルの話をする人がいます。

 そこそこの大学を出て企業に勤めた人や、政経に詳しい専門の著名人でも、「政治家の発言はわかりやすくないといけない」という意見になり、田中角栄、小泉純一郎や、高市首相は「わかりやすい」から良いというのだ。

「わかりやすい」だけが、高市首相の支持率高騰の理由とは随分失礼な話ではないのかとも思うのですが、直近でいうと菅義偉、岸田文雄、石破茂は話がわかりにくかったというのが不支持の要因というから何だかである。かつてはボソボソと滑舌が悪い総理大臣もたくさんいました。

 残念ですが、多くの人にとっては、難しい話をしてもわからない。いざ自分の目の前で税金が上がり、お金が無くなるとか生命が危険になると騒ぐだけで、気がつけばもう遅いのです。

 高市さんも、一時期は極端な右翼系の支持しか集まらず、保守党ぐらいと組んで自民党を割るべきといわれた時期もありました。

 安倍晋三の後継と言われますが、高市首相を見ていると、支持基盤は弱く一時期まではやはり総裁選に負け続けた小泉純一郎を思い浮かべます。「自民党をぶっ壊す」と「郵政民営化」のわかりやすい劇場型政治、ワンイシューで大変な人気の総理になりました。

 しかし功罪半ばというか、小泉純一郎の時代に日本の転落は始まりました。

「百年安心」と誇らしげに言われた年金改革は、今に至る所得代替率の漸減の始まりです。

 新自由主義を進め、非正規雇用を拡大して、大企業の正社員は助かっても、それ以外は大変な時代になりました。

 北朝鮮電撃訪問、靖国神社参拝なども、ただ右翼の支持を貰い目立ちたいだけでした。その時限りで、むしろ禍根が深まり広がっています。

 最も残念なのは、パフォーマンスで人気は得てもアメリカの言われるままに郵便貯金も手放し、財務省などの官僚の言われるままの経済オンチだった点です。

 今検証すると、トンデモない悪政しか残っていない小泉純一郎が、守旧派を叩いてあたかも勇気ある改革者を装い、大変な人気でやりたい放題、その後日本は真っ逆さまに転落したのです。

 その息子進次郎は結局高市首相に破れて今は閣僚止まりですが未だに人気はあり、どうなるでしょう。

 国民の大多数の支持がないと、政治を行うのは難しく、大衆迎合、劇場型政治は勝つためには間違いではなく、ネット情報が重要になった現代でも、政治の構図は変わりません。むしろネットにより傾斜が激しくなったかもしれません。

 ヒットラーも演説はうまかったようですが、大衆は破滅へと導かれました。

 話がわかりやすいことが正しいとは限らない。国民は、惑わされないよう、わかりづらくとも人物や政策をしっかり見ることです。

 高市首相はクレバーな面はあり、人気に自惚れずしっかり政策を見極めて進めて欲しいものです。

 

https://seizafpkotodama.com/2026/02/28/%e9%ab%98%e5%b8%82%e7%b7%8f%e7%90%86%e3%81%ab%e6%9c%9f%e5%be%85%e3%81%a8%e4%b8%8d%e5%ae%89/

いつまでも対岸の戦争ですむか?

 4年続くウクライナ、カザ、ベネズエラに続きイランでもアメリカの攻撃で戦火が拡大しました。

 戦後80年経っても、戦争はゲームやアニメのようにはスマートではなく、火器を使い市民の生命や財産を脅かす近世から人類は学んでいないのです。

 ホルムズ海峡封鎖が中引けば日本の経済への影響は計り知れません。原油価格はいきなり1割上がり、日本の備蓄が減っていくと物価や生活、産業に与える影響は計り知れません。

 しかし、それ以前にこんなにも好戦的なアメリカにずっと同盟国として寄り添い、貢ぎ続けていて大丈夫なのかとは、平和憲法とか戦争反対とはどの口で言うのか素直に感じます。

 日本人の感性では、目の前でころされる人がいれば、特にそれが知る人であれば悲しみ怒ります。

 人気のあるドラマや映画でさえ、思い入れた人が、戦争や犯罪でしんで行くと、大変多くの嘆きの呟きがネット上でも囁かれます。

 しかし、トランプの一声で何百人という人が一夜で亡くなっています。

 戦争にとにかく反対する声もあれば、国際平和のため悪の独裁者の国へは、先制や奇襲もやむなしという意見もあります。どちらも極端で、矛盾を抱えています。

 日本には平和憲法があり、戦争をしない巻き込まれないと、いわゆるリベラルや護憲の方は言われます。

 とはいえ、それ以前に日本は戦争大好きの力強い同盟国の軍事力や核の傘に守られ、戦後アメリカの傘下で朝鮮戦争やベトナム戦争の中継基地、関連特需で潤ってきた面の方が大きいです。

 第二次大戦の戦中、大空襲や原爆投下を味わい戦争の悲惨さ貧しさを嫌と言うほど味わってきたはずです。それでも、喉元過ぎれば、豊かな国になり恵まれた人たちは、他国の戦争は対岸の火事にしか見えません。。

 戦後の日本の奇跡的経済復興は日本人の勤勉さとか創造力と美化されますが、軍隊を持たず経済に特化し他の国の戦争で儲かったラッキーなだけで、何のことはない、今やアジアの国に一人あたりGDPで追い抜かれています。

 トランプという国家元首が「GO!」といえば、何百人がいきなり亡くなります、何万人もの生命や財産が喪われていても、日本人にとっては対岸の火事、遠い国の戦争なのです。

 親米や親中など、政治家のスタンスが極端に外国に寄り過ぎて国士と言える政治家が減っています。

 親米が保守、愛国で、親米がリベラル、護憲などとレッテルを貼ってベクトルを決めて分けてはいけない。真の保守、愛国、国士とは国と国民を思う政治家です。

 1980年代ぐらいまでの政治家は日本の政治や経済に強いブライドを持ってアメリカと、タ歩ネゴシエーションをしてきた人もいました。それで失脚させられたとされる総理大臣、政治家もいます。

 国際社会もソ連の崩壊、中国やイスラムの台頭で複雑になってきましたが、米ソ冷戦時代でさえ、日本はアメリカに対してそれなりに強い姿勢で臨んでいたのです。貿易摩擦に対して、妥協しない交渉で日本の産業、市場を守ってきました。もう一つ、あまり知られていませんが、軍事産業には矜持を持って手を染めませんでした。

 批判は受けますが、湾岸戦争でも当時は自衛隊の海外派遣はせずに済ませました。

 直近、国際秩序を大国の一政治家に任せていて本当に大丈夫なのでしょうか。

 外交は極端に走ってはいけない。一見敵対している国でも平和を望み友好の可能性を探り、交渉の糸は残しておかないとは思います。

 

 

 

 

オリンピック、WBC、W杯で思い出す昭和プロレス

 今年はスポーツイベント目白押しで、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが終わったと思えば、日本では人気の野球のワールドクラシックベースボールがあり、6月にはサッカーの北中米カリブ海ワールドカップが開かれ、9月には愛知県でアジア大会も開かれます。

 なんと言ってもサッカーのワールドカップは世界中で行われて注目される世界最大のスポーツイベントです。サッカーはほぼ世界中の国で盛んなスポーツで、野球やウインタースポーツは限られた国、地域で世界中とは言えません。

 日本では元々野球が人気で、一時下火で競技人口はサッカーに抜かれたようですが、大谷選手の活躍でメジャーリーグの人気に火がつきました。代表チームの国際大会WBCも、シーズン前のエキジビション的大会ですが、メジャーリーガーも出場して、日本のファンは世界一のかかった大会だと信じて熱狂します。

 野球は北中米、東アジアぐらいしか広がっていないスポーツですから、世界一とか世界大会といっても無理やりルーツをたどって欧州の国の代表にしたりして参加国を作っています。権威のある世界大会とは言い難い面があります。

 国際大会の国の基準は大会によって異なり、サッカーワールドカップは国籍要件で一度国の代表で戦うと国籍を変えても別の国では出られません。オリンピックは国籍要件はありますが、国籍変更は3年ほどの待機期間があり、2大会連続で2か国の代表での出場はできないのです。

 ラグビーは国籍ではなく、協会の所属で代表になれますが、通算10年の居住が求められます。

  これに比べると野球のWBCは、国籍、永住権、出生地、両親のルーツと広く認められ、まあユルユルです。大会そのものも、公式のシーズン前の宣伝、エキジビションでどこまで選手が参加し、全力で戦うかは微妙です。

 この感覚で、思い出すのは、昭和のプロレス、ブックと言われる筋書きや国籍ギミックなどです。

 プロレスもあのような形式ではアメリカと日本ぐらいしか行われていないので、とても世界のスポーツではありません。それでも、世界タイトルの選手権、世界の代表を集めたワールドリーグ戦、チャンピオンカーニバルだとかインターナショナルレスリンググランプリとかを信じて熱狂していた時代がありました。

 各国代表と言いながらもプロレスの国籍、特に悪役は、ショーのようなアメリカンプロレスでは嫌われるロシア人やナチスドイツのような衣装をつけ、プロフィールを偽って戦います。また、権威づけのために世界各国の代表を名乗っていても、実際にはプロレスの行われているアメリカ人でした。

 日本でも戦後すぐの時期、プロレスは敗戦で自信を失った日本人に、ウソでも勇気を与えました。

 力道山が大きな外国人を空手チョップでバッタバッタと倒すのに快哉を叫び、日本人は希望と活力を取り戻したのですから、ウソも方便かもしれません。

 当時はプロレスが、筋書きのあるものとはみんな思わず、力道山が苦しめられても最後には勝つのかハラハラして応援していました。

 少し後の世代はアニメのタイガーマスクでプロレスを知り、馬場や猪木がしのぎを削る時代でやはり内心嘘くさい面もあると子供心に思いながらも業界や団体ぐるみの虚構の世界とは思わず、タイトルマッチとかにはそれなりの権威があると興奮していました。

 ワールドリーグという大会に出場する相手レスラーも、オリンピックのように各国の予選を勝ち抜いた代表か、チャンピオンだと信じていたものです。

 プロレスの場合は、大会のレギュレーションもチャンピオンベルトだとかタイトルも、今となって知ると、全てが作り物、商売で、全く嘘くさいものです。

 それでもウソも方便のとおり、スポーツを見て喜ぶ心理はプロレスもその後の総合格闘技も、オリンピック、野球やサッカーを見るのと何ら変わらないと思います。

 母国や地元、ひいきの選手やチームが、勝てば良い。少し目が肥えると、内容も良く勝てば良い。それでも負けるよりは勝つ方が良い。

 昔の力道山など、ルールもいい加減で、とにかく人気者が勝てば拍手喝采でした。それは今、大谷選手がホームランを打つ、日本人が金メダルを取るのと何ら大差はなきのです。

 もう少しファンの目が越えると、最強のメンバーが集い、試合としても、接戦で競り合い、逆転などスリリングな展開で最後は推しが勝てればいいと思うレベルになります。本来のスポーツのルールを知り、技術の深さや面白さも知って見ている人はどれくらいいるのでしょう。

 やはり自国人や地元の推しが負けるよりは、理由は相手のケガなどのコンディション不良などであれどうであれ、勝てた方が良いと思うのが心理なのでしょう。

 スポーツを全く見ない人から見れば、見るのにかける時間もましてやサブスクやチケットにかけるお金ももったいないと思う程度の娯楽です。

 

 

 

宗教法人には当たり前に課税すべき

 旧統一協会、少し前はオウム真理教とか、怪しげな新興宗教の問題もありますが、普通に

宗教法人にもっと課税せよとの話は出てきています。

 実際に、いくつもの塔頭を抱え、観光客で潤っている寺社が事業を詳細には公表せず、全く税金を納めないばかりか、マネーロンダリングまで行っている疑いさえ囁かれています。

 非課税の聖域とも言われる宗教法人ですが、収益事業はしっかり分けて税金を払っていると反論、庇う方もおられます。しかし、課税非課税のその境界はあいまいであり、インバウンドで増えた膨大な賽銭や御守、御札、おみくじ、御祈祷などは非課税です。その他にも駐車場経営も、参拝補助として非課税となっています。

 私の住む京都市はお寺が多く、寺社の占める面積が大きいので、固定資産税、住民税の割合がいびつで、市の財政も市民にも厳しくなっています。

 京都市域で広大な面積を誇る社寺が境内非課税では、固定資産税や森林環境税は市に納められず、一般市民や民間の営利企業から穫るしかないのです。

 京都の名所旧跡が好きな市民もおられますが、観光客も来て京都の街は素晴らしいと自慢にはなっても、実家に住民税も高く、水道や健康保険も高くてはやはり住みにくく、イヤになるでしょう。

 諸物価が上がり、税や社会保険料が上がり、給与も年金も上がらないとなると、さすがにキツいのです。

 毎年「今年の漢字は◯です」とか呑気なことを言ってられないです。今度は儲かってるお寺さんが市に税金をもっと納めるなり、ふるさと納税のような寄附をして市民を助ける番です。

 今計画される、路面電車や、北陸新幹線など、京都の仏教会とかは反対しているようですが、むしろ儲けてるお寺や神社がスパッと払ってくれたらいいのです。

 近鉄の前身にあたる鉄道会社が奈良と大阪を結ぶ生駒山を貫くトンネルの難工事で、工費がかさみ経営が悪化し、沿線の宝山寺のお賽銭から借りた話があります。

 京都と小浜や福井、金沢は有名な社寺の本山と末寺でもつながっています。お賽銭から北陸新幹線の建設費用を出してもいいはずで、市民税も払わない社寺が反対するのはもってのほかです。それこそ千年の愚行です。

 京都の寺社が古く格式があり、「伝統を守るのにお金がかかる民間企業や新興宗教とは違う」というのも甘えた反論です。少子高齢化で檀家も減っているかもしれませんが、民間企業は当たり前に厳しいのです。

 壺を売るような霊感商法的な新興宗教だけをいかがわしく思う人がいますが、宗教なんてそういうものです。

 教義なども新しい方が、しっかりしてるかもしれません。他の学問やら機械や車などは新しい方が良い場合のが多いので、宗教も伝統だけではないでしょう。

 宗教も時の権力によって、重用されたり弾圧たり、栄枯盛衰もありました。自らを守るため、武力や財力、政治力を握っているのでしょうが、それは宗教の本質、教義とは違う問題です。

 少子高齢化社会で人口が減り、経済が低迷し、一人一人の負担が大きい時代です。

 既得権のように負担を免れる業界は、ルールを変え、聖域を壊していかないとならないのです。誰だって、税金が少なく儲けてお金が貯まればいいという誘惑にはかられますが、それでは社会は成り立ちません。ましてや、神職、聖職にある人は、まずは公に奉仕し、民に尽くす立場なのは当たり前のことです。

 期間限定で高額の料金を取る、荘厳で、絢爛豪華な社寺など維持するのは勝手ですが、通常の税金はもちろん、贅沢税のような付加税を課してもいいとさえ思います。

 一般庶民が、檀家になり、供養する程度のお寺の範囲なら非課税で良いのですが、かけ離れた事業レベルの宗教法人にはぜひ高市政権で改革の手をつけるべきです。

 

高市総理に期待と不安

 圧倒的な選挙の勝ちっぷりで国会に凱旋する高市総理、期待も大きいでしょう。

 白紙委任に近い議席を得た自民党ですから責任も重大です。毅然とした外交や憲法改正、皇位継承問題も保守の人は望み、積極財政や、税と社会保険の改革、議員定数削減など、国民がやって欲しいと求める問題は多いです。

 高市総裁の選出、公明党の連立離脱から、いきなりの選挙、立憲と公明の合体といろいろなエポックがあり、壮絶な選挙結果でした。

 石破総理時代は自民党も終わりで多党が群雄割拠する時代になったと言われました。

 しかし、小選挙区制度で傾くと大きくなる流れ、無党派の浮動票の勢いが、他の政党、労組や宗教団体をのみ込んだと言えます。

 しかし、心配な要素もあります。

 自民党だけの責任ではないですが、日本経済は30年ほど停滞しており、それぞれの病巣に勇気あるメスを入れていけない待ったなしの瀕死に近づいています。

 積極財政で成長をさせるに旧来の政財官の癒着があったままでは、せっかくの財政支出が血税のムダ使いになります。

 例えば保守の方でも、近年の自民党には何かと失望し、参政党や日本保守党などに興味を持っておられたと思います。根強い保守の論客の方で、やはり自民党は早晩潰さないとという思いの方もおられます。

 その長年の悪い自民党議員が大量に復活、政官財癒着の古い体制の自民党が延命したのです。

 何が悪い?高市さんの表面だけ見れば自民党が変わったと思われますが、それぞれの族議員のバックに紐づけいた団体との関係を普通に見ればやはり真っ黒、幻滅というか怒りを覚える構図です。

 一般の国民にはそこまで見えなくても、少し議員や役人、世の中の裏に詳しい人に知り合いがいればわかるところです。

 それでも大人気(おとなげ)なく、左翼政党を応援したくない保守の人は悩んできた人もいるはずです。

 あるいは、大きな政策を進める人物は少々倫理を外れ私欲を肥やすぐらい許されるとする人もいるかもしれません。

 それが経済を停滞させるほど腐りきり、浮上の妨げになるとしたら断ち切らないとならないでしょう。

 高市さんはかつて総務大臣で電波利権に脅しをかけました。伏魔殿とも言える財務省はじめ官僚、それぞれの省庁に繋がるマスコミ、各業界、各議員それぞれしたたかです。

 その議員が全て当選し、総理にうわべは恩恵を見せていても、裏では既得権益は手放しません。

 これではよほど頑張ってもらわないと、日本の浮上はありません。少なくなった野党の中に、相変わらずギフト券配りの批判など、レベルの低い論戦しか仕掛けられない議員がいるのにもガッカリです。

 せっかく選ばれた数少ない野党議員ですから、国を憂い、官僚の痛いところを的確に突いて高市首相の成長経済や行政改革を推し進めるアクセルになって欲しいものです。

 議会が3分の2がどうだとかいうのは問題ではなく、政策がどうで立法がどうかです。国士が対峙すべきは、議会の野党や与党内の反主流派ではなく、官僚や諸外国です。

 

 

 

 

日野町事件 あまりにも時間が過ぎた再審決定

 どの程度騒がれたかわかりませんが滋賀県の事件ですが、それなりに全国ニュースになってると思います。

 1984年(昭和59年)に起こって強盗殺人事件で無期懲役確定が言い渡され、既に亡くなられた死後再審が認められました。

 事件から42年後、遺族の執念ともいえる熱意は再審決定となり報われました。しかし本人は無念のまま、15年前にはこの世にはいないわけです。

 既に証拠や証言といっても、今さら検察が動いても、新たな立証は難しいとされます。よほど何か見つからない限り、再審では無罪ではと見られています。

 本人は何十年もの間、懲役に伏されて、家族は人殺し、犯罪者の家の者と言われた時間は何だったのでしょう。

 当時の捜査うんぬん以前に、袴田さんの件もそうでしたが、あまりにも長い時間がかかっていることが問題です。

 警察、検察は国の秩序を守る役所ですが、国民を不当に傷つけ長く拘束する権利はないはずです。

 何も咎なく過ごした人から見た42年前の1984年、そこから日本人の多くには、さまざまな時間の流れがあったはずです。それを奪われた人、奪われた家族がいるのです。

 日弁連が左翼系とか、人権弁護士のことを忌み嫌うような、ヘイト的発信をする保守系の方がおられます。それぞれいろんな発信や発言、思想信条はあるでしょう。

 しかし、いざ自分が警察に不当に逮捕された時、個別に事実を確かめるとき、味方になり、助けてくれるのはその時の弁護士さんです。

 あくまで、その案件の事実関係の審理だけが重要です。その弁護士がどういう組織に属して、どんな活動をするグループというのはこの際些末な問題です。

 厚労省局長だった村木厚子さんの冤罪事件も好例です。官僚とか、政治家でさえいざ警察、検察につかまり、訴訟される立場になると、対峙する弁護士を選定し、検察という国家権力と正義をかけて争わないといけません。

 国家権力にすり寄る検察や弁護士だけになると、やはり社会は大変なことになり、恐ろしい世の中になると思います。

御蔵入り免れた、感動の良い映画でした 「エンジェルフライト THE MOVIE」

 ぜひご覧になってください。アマプラ配信で見れます。

 主演女優に勃発したスキャンダルで上映が危ぶまれていました。劇場上映でなく配信は予定どおりだそうです。新作映画も劇場にかからず配信からの時代です。

 なかなか良い映画でした。テレビシリーズからの映画化のレベルは越えている。ドラマ見てなくても楽しめます。元々映画向けのロケがメインで、テレビ版プロローグとしてやっていたのかと思います。

 メキシコのロケはキレイでした。

 国際的な葬送を行う会社で、同時に依頼のあったエピソードが並行して描かれ、どれも見応えあるエンディングへと向かいます。それぞれ出来すぎのストーリーという評もあるかもしれませんが、一人一人の生と死、特に海外での無念な客死には当たり前にドラマがあっていいとも思います。

 映画から登場の俳優さんもみんな良かった。

 同窓の生瀬勝久が渋い父親役。ハチャメチャな若い時から思うと、なかなかお互い年を感じます。

 日本から駆け落ちした妻を事故で亡くす、頑固でダメな雇われシェフを演じた木村祐一も良かった。

 松本穂香は出番は少なかったのですが、語りは声に癒されます。

通勤で越境は疲れる

 旅が趣味のようなもので、電車に乗るのは苦痛ではありません。

 車窓や線路、車両、駅施設などを見ても楽しんで移動します。

 しかし、久しぶりに朝の通勤帯に京都から大阪まで電車に乗ると少し疲れました。通勤に慣れない人、特に女性にはいろいろな要素があり、電車での移動が嫌いな人も多いようです。

 便利で早い通勤時間帯の特急や快速は満員で、気ぜわしく重たい空気に満ちています。週明けは特に緊張感や、ストレスが溜まっているのがわかります。

 私も京都から、大阪、滋賀、奈良、兵庫と1時間以上かけて通勤していました。移動距離で言えば、電車や車のない時代なら、宿場町を経由して何泊もする国境(くにざかい)を超える旅行です。

 そんな距離の移動をするのだから、時間は短くとも何らかのエネルギーを奪われる気はしました。私も会社時代は仕事で他府県に朝向かうのは重い気持ちで、府県境を越えましたが、仕事へのイヤ感だけでなく、この速さと時間に何かを奪われるような気はしました。

 長距離だと、飛行隊や新幹線、高速道路を飛ばすのが当たり前の時代ですが、速く移動する反面で何かを犠牲にしているような気はします。

 毎日速く走る新幹線ほど、在来線に比べ世代交代は速く、今の東海道新幹線では最新のN700系SかAしか走っていません。のぞみで華々しいデビューを飾った300系や500系700系車両は、とうに東海道新幹線からは引退しています。

 在来線だと、かつて首都圏や大都会で花形だった車両がローカル鉄道で余生を過ごしている姿も微笑ましいものです。

 のんびり田園風景を短編成で田舎をゆっくり停車しながら走るのは、セミリタイア後の人生のようです。新幹線のように、あんまり速く走るとリタイアが早いのかもしれません。