読書レビュー:「ヒロシマ」ジョン・ハーシー

 米軍従軍記者が、原爆投下直後の広島から.生き延びた6人を追ったルポ。

 医学博士、ドイツ人神父、牧師、開業医、女性労働者、市井の後家さん、それぞれ家族や友人を失い、自らも原爆病と戦いながら生きていきます。

 当たり前のことですが、原爆の日からしばらくは、爆弾の威力も病気になることも誰もわからなかったのです。ガソリンやマグネシウムを前もってまき散らしたのかとも思われていました。

 普通の市民や医者が考えて、当時想像された火器の威力を遥かに超えていました。人道上使用されるべき兵器として、殺傷力だけでもケタ違いすぎていました。

 東京裁判はもちろん戦勝国の主催の法廷であり、公平公正を願うのは無理ですが、日本人に限らずドイツ人やアメリカの一般市民でさえ原爆を投下を決定した者こそ絞首刑にすべき戦犯ではないかと言うのは本音でしょう。

 かと言って、ルポは淡々と綴られます。家が崩れた後にやがて草花が生えだすとかいうのは、やはり取材されてないとわからない描写です。

 1985年までの各人の生き様を追っています。その間に、アメリカはビキニ環礁で核実験、第五福竜丸の事故を起こし、ソ連、中国、インドと核を開発し実験を行う時系列が書かれています。

 ヒロシマの訴えは、常に警鐘を鳴らしておかないと、原爆の惨劇を知らない世代の国会元首や軍人が何をしでかすかわからない時代に入ってきています。

 焼夷弾の空襲には訓練され、防空壕が各所にあった時に比べて、何の危機感もない軟な世代です。ゲームや映画のオブラートに包んだ表現しか見ずに、あれが戦争と思っています。

 しかも家族、地域や近所で助けあい励ましあうような関係も稀有な社会、人口の密集した都会にこんな核攻撃が起これば一体どうなるのか。

 喉が渇けば、冷蔵庫に蓄えがあり、自販機もコンビニもあり、キレイなトイレも風呂もいつでも使える現代。その当たり前の快適の対局に戦争があることは、少なくとも反戦とか思想、政治信条以前の問題として、事実認識と伝えることは必要なのでしょう。

 暑い、苦しい、水を求める人々、重症でもはや見捨てられる人の描写はやはりキツいですが、世界のどこかの戦争ではこういう場面が今もあるのかと思うと、人類は何をやっているなかと思います。

 核はやはり禁じ手にしないと

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