
私自身が5年前、10年前と比べて3.11を思い起こすことが少ない今年の3月でした。
東北からは遠い関西では30年以上前の阪神大震災を1月に思い出す同年代の方が多いかもしれません。新聞やローカル局の報道も神戸の1月の割合の方が大きい感じです。
私の場合は、東北宮城県に震災の2年前まで住んだことがあり、被災した同僚や知古も多くいました。
運命のいたずらとはいえ、そこに居合わせなかったことを、僥倖とまでは言わないまでも、どう受け止めるのか複雑な思いです。当時、その2年前までは仕事で訪れていた仙台東部道路や石巻市北上川、仙石線野蒜駅に真っ黒な津波が押し寄せるの報道の映像で見た時は、怖さで鳥肌が立った記憶があります。
当時も今もチャリティーだとか、ボランティアとかふるさと納税など、小さなことしか、東北に役立てることはできませんが、やはり何かやりきれない思いを抱えて15年が経ちました。
15年の間、京都に居を構え、勤めていた会社も波乱もありましたが無事卒業し、小中学生だった子供も成人しました。世間はその後、コロナ禍にも見舞われて、経済は低迷を続けました。
この15年、家族を失い、家を失くし、風評に苦しむなど未だ東北の震災の傷は癒え切ったとは言えません。
復興特別所得税が名前としては残っていますが、多額の血税が徴収されているのに、決して上手く活用されているとは言えないのが悲しいところです。
日本の税金を予算立てる省庁は、復興とか、森林環境、子育て支援とか名前はキレイでもっともらしい名目をつけます。しかし使われ方は題目の目的と違うとか、特定の法人等が潤うなど、サギまがいになっています。
公務入札ビジネスを全て否定はしませんが、少なくとも人の不幸を助けるためとかでお金を集めて、半分はそれを利用して儲けているというのはとんでもない構図です。
震災から時が経てば経つほど、離散していく人、仕事に就けない、健康を害したなどの因果関係の証明も難しくなります。いたずらに手当を上げるだけでなく自立を促さないといけない場合もあり、一律の対応も難しいでしょう。
復興支援にしろ、被災した人の幅広い柔軟な対応が必要になっています。
コロナの時もそうですが、緊急自体的な時だけに、急ぐのも大事ですが、悪質な中抜きは厳しく戒めないと、政官財の癒着による国民の苦しみは絶えません。
震災から15年、個人としては達観した部分もできました。私益を捨てて考えると、能登の地震対応等を見ても、やはり公はもっと迅速かつ厳格であって、柔軟に動く、公僕とならないとと思います。
