廃鉱の町、昭和の遺構に思う

 最近は観光地や商業施設の一角にも昭和レトロのゾーンができたりして、オート三輪やオロナミンCホーロー看板、駄菓子などが定番パックのスキームになっているところも増えています。

 私が好きな産業遺構として廃鉱を訪れた鉱山記念館には、本格的な記録の継承としてのリアルな昭和がありました。

 戦後80年となり、高度経済成長からも60年以上過ぎたので、語り継ぐ人も減っています。

 戦争ほど衝撃はドラマ的ではないのですが、戦後復興から高度経済成長期、今日の日本を支えた時代の人たちの労苦のいくつかは消えてしまい想像するしかなくなっています。

 当時の産業や風俗は保存して伝えないとだんだん風化していきます。美化されたり、その逆に劣化されたり、間違った伝わり方もあるでしょう。

 今回、訪れたところでも、売店で売っていたちょっとしたものや、ちゃぶ台に並ぶ食器や居間の小物にも、失われた時代を感じました。

「お父さん、お仕事ご苦労さん」昔は、家長が働きに出て、専業主婦が今より手間のかかる家事をして帰りを待つ、そして家族揃って食事、テレビが家族の娯楽だったのがわかります。

 そしてエンタメとして、鉱山の町の公民館には三沢あけみ、橋幸夫、三田明、西郷輝彦、島倉千代子と錚々たる歌手たちが来ていたポスターなども残っていました。

 テレビで見た歌手が実際に来るという、地方興行が成り立つシステムだったのでしょう。それほど大きな町でも、有名な歌手が来るのは、今の推しが遠くまで行くライブとは形態が違うようです。

 鉱山ではないですが、五島列島の福江島では、戦後まもなくまだ市民体育館もない時代に学校の校庭に特設したリングにプロレスが来ていた写真を見ました。

 日本プロレス、馬場や猪木よりさらに前、なんと力道山の時代に地方巡業が来ていたのです。

 当時のプロレス、たぶん今のような華麗な技の掛け合いもなかった。相撲に近い、素朴な力と力のぶつかり合いではと思われます。それでも、テレビで見ていた力道山が来たというだけで、みんな集まったのでしょう。

 前述の歌手はもちろん、プロレスラーよ力道山を継承した馬場や猪木、その後の鶴田でさえ鬼籍に入っている令和の時代です。

 当時の興行を支えた人も事情を知る人や見た人さえほとんどいなくなっているのではと思われます。

 デジタルで液晶の大きく鮮やかな画面でコンテンツも無数のある今の時代よりも、画質は見劣りしますが、家族みんなで一喜一憂したテレビの時代が懐かしく偲ばれます。

 

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