
往年のちょっと暗いモノクロ作品で、貧しい親子が登場するイタリアの名作映画に、「自転車泥棒」というのがありました。
昔は、自転車があれば仕事にありつけた時代があったのでしょう。今のAmazonなどの配達業務における軽のバンのようなものでしょうか。
今は、自転車は移動するだけのものなら安い価格で手に入り傷めば使い捨てる人も多く、乗り捨てて放置されている場合もあります。もちろんロードバイクなど、下手すれば乗用車より高価なものもあり、ピンキリです。
仕事に使うだけなら、安く手に入りそうですが、温暖化の猛暑の下、アスファルトを走るのでタイヤの寿命は短く、軽い金属ゆえ、車体も壊れやすいようです。
具合の悪くなった自転車は捨てられます。金属資源も多いのですが、プラスチックなども組み込めれて、瓦礫の山に積み上げられ放置されたままとか、埋め立てられている場合もあるようです。
捨てられる自転車の多さにも驚くものがあります。分別にも大変な手間、熱量が必要で、小さな自治体では、採算が取れないのです。
サステナブルと叫ばれながら、家電にしろ、自動車、パソコン、この自転車も、なかなか長く使わるれることなく、粗大ゴミとなるメーカー戦略を許してしまっています。
ゴミの焼却、そこからの灰は埋め立てに使われても、捨てる場所はもはや限界です。
サステナビリティを考えなるなら、一つのものの値段から、保証や修理の仕組みなども考えさないといけないのではと思います。手に入りやすいものは、捨てやすいものになり、ゴミが増えすぎるのは、環境以前に、地球の空間を考えるだけでとんでもない問題です。
