都会でも生き残っている商店街は一部[回想昭和①]

 こちらは先日訪れた大阪の下町商店街。かつてはアーケードや舗装等からも賑わっていたのが想像できます。

 私は京都市内、ど真ん中の町家、商店街の店舗付き住宅に生まれ育ちました。今は実家は両親も亡くなり廃業し、売却しております。

 それでも地元の友達らの残る商店街は世代交代しながらも、個性ある店を入れたりして、健闘しています。

 もちろん、かつては生鮮食料品や日用品を買う人で夕方は賑わい、今頃の規制、年末は現代のインバウンドいっぱいの観光地なみに混んでしました。

 昭和40年代から50年代、コンビニやドラッグストアもまだなく、大型のスーパーも少ない時代、間違いなく地元の商店で誰もが買い物をしたのです。

 かつては、どこの地方都市にも活気のある商店街や市場があり、バスや自転車で遠くからも買い物に来られていました。

 電気屋さんや、薬局が、量販店に勝てなくなった理由はすぐ分かります。

 思い出してみると、お米屋さん、酒屋さん、タバコ屋さん、八百屋さん、豆腐屋さんなど、果物や鶏卵、豆などの専門店、今は見かけない業種のお店もたくさんあって、賑わいを支え合っていました。

「スーパーのが、ワンストップで何もかも揃う、コンビニのが便利、ネットショップでいいじゃない」の声もしょうがないのです。

 昔は1つの地域でお酒やタバコ、お米などは免許などで決められた店でしか買うことができない独占だったのです。家電や薬、化粧品なども業界団体があり、メーカーもあそこにもどこにもと、卸すことはしませんでした。

 取扱も価格設定も、規制緩和でほぼ自由になると、大手でないと生き残れない時代が来ます。

 メーカーや卸の立場でも、イオンだとか、セブンイレブン、マツモトキヨシ、Amazonだとか、たくさん買って売ってくれる企業体を有利な条件にせざるわ得ません。

 世知辛いですが、メーカーは商品価格も、提案もときには商品開発まで、大手を優遇してしまいます。商店街や住宅街にある個人経営のお店など、下手するとポイント値引きした後の大手やAmazonで売ってるよりも高い値段で仕入れさせられています。

 メーカーに勤めている時も、取引条件は、会社の利益と売上に関わり相反する時もある極めて難しい問題でした。

 たくさん買う人を優遇することが、結果的には小さな町の商店を淘汰してしまった。廃れた商店街を見ると、それだけが原因ではないでしょうが、そこここに賑やかな時代の栄華が見えて哀しいものです。

 子供の頃、12月は近所の商店街の大人達もかきいれ時で殺気だっていました。週休2日どころか、休みなしでみんな頑張ってました。

 ちょっと景気が悪いと、「正月のお餅やおせちも買えない」とハッパを掛け合っていました。

 ちょっと重たい回想ですが、別の切り口でまた別の機会に続きを書きます。

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