提案や意見は人物で見るものではない

 友達や職場での議論や審議、あるいは上は外交の交渉、国や自治体の大事なことを決める提案などでも、「人物が」とか「そのグループ」が嫌いで決まらないことがあります。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がありますが、袈裟に罪はないという話です。

 それぞれを具体的に例示すると、いかに大事な考えかわかりやすいと思います。

 何か難しい問題が例えば10問なり50問あってとして、全問に最適の答えを出すのは秀才であっても至難です。90点ぐらいがせいぜいです。

 間違った問題に関しては誰一人正解ではないかというと、中には確率的に正解者がいます。その正解者は90点には及ばないけれどその問題には最適解を出しているというケースはあり得ます。

 50問中、一人しか正解のない最難易度の問題があったとして、その一人の成績は凡庸だという場合や劣等生という場合もあります。

 秀才を高市くん、凡庸以下を玉木くんとか、野田くん、山本くんとかに当てはめると政治の問題になります。あるいは小泉くんとか、石破くん、河野くんとかでもいいです。

 優秀な総理大臣、力ある与党なら常に最適解を出せるなら良いのですが、どう考えてもそうはならないということです。

 残念なのは、今の政治の仕組みでも、選挙に落ちた人が素晴らしい提案、最適解を一つだけ出していても、それをピックアップして実現されることはなきのです。

 アイデアをある分野で出せても総合力がないとか、良き親分の下でないと実現できないのは、政治以外の世界にもあります。

 派閥の長か、長老や親分、御局など、職場などでもグループを束ねる人がいます。正式な組織の長や影のボスでも、自分の気に入った人をかわいがり、他を排除して意見も聞かないことがよくあります。逆に子分や愛弟子は少々ミスしても、犯罪を犯してもかばう場合さえあります。

 こうなると主流の派閥とかグループ以外の人間だと良い意見が通る訳がありません。改革など良い提案などが遅れをとるのです。

 個人の場合も自分は差別しないひいきしないと、バイアスにとらわれないと言いながら、意見を言った人に対する好き嫌いで決めてしまうことは多いです。

 政治でも、ネットなどの論争でも、とても優秀で弁も立つのに、天敵みたいにいつもどちらかが何か言えば上げ足を取り、その反対を必ず言い合う不毛の関係みたいな人たちもいます。

 政党もそれぞれ良いとこと、問題アリと感じるとこもあるとは思われますが、一議員で見ると、党是には関係なく良い主張をされる人もいます。

 党是は問題でも、あるジャンルにはしがらみがなく、良い意見を出す人や党もあります。

 ところが、それを通すと、そのグループが支持を集めて困るという選挙の利害も生まれると、良い意見が揉み消され、無難な多数意見しか通らず、かたやアイデア不足に嘆いているのです。

 会社にしろ、国家にしろ右肩上がりで余裕のある時は、好き嫌いの意見や人事がまかり通っても、それがために優秀なアイデアが揉み消されても何とか形になっていました。

 しかし、そういう時代は終わってしまいました。あるいは、そんなことが続いたから悪い時代になったのでしょう。

 個人として、生き残るためにも、他人の言葉を参考にする場合は、誰が言ってるかは正しいとか間違いではなく、誰しも間違いもあるし、胡散臭いやつも正しい時はあります。

 大事な選択、生き方に関しては、自分でよく考え、是々非々で見極めないと大損をしたり、大きな間違いを犯すことがあり得ます。

 

 

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