財政均衡論を今こそ崩そう!

 昨年亡くなった森永卓郎さんの残した魂のこもった財務省への批判の一冊、日本への警鐘。改めて重いですが、わかりやすく書かれてます。

 例えば、森友学園の問題とかマスコミの情報だけだと、安倍晋三元首相と奥さんが近畿財務局の役人がなんやかんやとやらかしてる、いかにも政治と官僚の癒着みたいなイメージしか持ってないのではと思います。

 あれは財務省に対立する安倍総理の経済政策アベノミクスへの、財務省からの、警告的なものであり、忖度なのか嫌がらせなのか、何らかの工作なのは間違いないのです。

 昨年あたり一時期、日本経済の低迷、国民負担の増加は全て財務省が悪いと、財務省解体が叫ばれ実際にデモが行われていました。

 財務省と対立する者、従わない権力者は抹殺されるか、スキャンダルに消されます。安倍さんは上手い距離を置きながら、政策を進めたやはり稀有な大物政治家です。

 昨年亡くなった、森永卓郎氏の著作も一つのきっかけで騒がれました。

 財政均衡論は日本の財政は赤字だから、もう国債を発行せずに、積極的な財政投資はしないで税金を上げて行くという、財務省の考えです。

 公共投資は、大きな経済対策などは、民間企業の大きな設備投資と同じで、その1年だけで収支を計れるものではありません。

 ちょっと簿記をかじってるか、経営やバランスシートなどを見れる人なら、財務省がおかしいのは分かります。

 赤字垂れ流しで、企業でも、設備投資や新規事業は確かに慎重な分析からの決断は必要ですが、逆に何もしないで沈んで行くのは許されません。財務省は、税金を上げれば財政が均衡すると考えますが、企業なら、商品やサービスだけ値上げして、何も将来が見込めないなら、見向きもされません。

 経済産業省もお役所で、財務省に仕切られる面はありますが、まだ専門なので、わかってる役人もいます。しかし、民間企業は10年20年と見据えて事業を計画し、単年や5年短期で見直しています。

 それを本来監視、指導する役所が、単年決算にあまりにも拘り過ぎることが、日本経済を30年止めた一つの大きな要因でおるのは間違いないでしょう。

 財務省を解体というのは、庶民がデモしようと、実際にはないでしょう。

 しかし、日本経済を立ち直らせるのは、積極財政論者です。

 残念ながら、自民党はドンの麻生さん以下、岸田、石破と多くが最初はキレイ事を言っても財政均衡の宗教にハメられています。

 さらに残念なのは民主党時代に財務大臣に入った野田佳彦現立憲民主党代表です。その前の菅直人にしろ、今は野党でも一度財務省に洗脳されると、リベラルや左翼どころか、官僚の言いなりです。

 鳩山由紀夫や小沢一郎もいろいろ言われますが、財務省はじめ官僚、マスコミに総スカンで潰されました。野田、菅直人はそれを見て、コロリと財務省側に寝返りました。

 国民の期待を集めた民主党政権はいつの間にか、自民党よりも官僚よりで、何ら改革の志のない腑抜けた政権になって、凋落しました。

 野田さんの、民主党政権以前のシロアリを退治する!と、比喩して、官僚の天下りを止める、国会議員も身を切る改革をすると叫んだ姿からは、想像できないほど今は堕落されています。

 高市さんは幸い積極財政です。それと並んで野党で積極財政を唱えるのは、国民民主党、参政党、維新の一部と、一番声高なのが、れいわ新選組ぐらいでしょうか。

 逆に言うとこれは異常に少ないメンツで、いかに財務省の浸透がひどいか分かります。

 高市さんには、今後選挙後の体制を組み直し、内閣再編で、積極財政シンパを増やして、安倍さんが無念のうちにできなかった経済対策を進められるか、外交よりもまずそちらです。

 

 

 

再生紙はサステナブルではない

エコじゃないし、高い

 今日もたまたまある役所にトラックから大量の印刷用の再生紙を荷下ろしする光景を見ました。

 私も民間企業辞めて、勤めた市役所や区役所、他にも裁判所やらでも、この同じ再生紙をよく使い、段ボール箱までお馴染みでした。

 一体、日本中の役所や公的機関で、この再生紙にどれだけコストをかけるのでしょうか。

 エコやグリーン、サステナブルとか言いますが、値段だけで言うと、古紙からの再生紙はバージンパルプの白い紙より高いのです。

 日本中の役所で割高な再生紙にこだわって税金をムダに使っています。

 なぜ再生紙が高く、エコでないのかと言うと、異物を取り除き、インクや汚れを洗剤や薬品で洗い、漂白する過程でコストがかかるからです。

 水も薬品も石油も使って環境には良くないのに、バージンパルプから作る紙よりも高いのでは何をしてるかわかりません。某大手製紙会社の社長さんも、この珍現象を嘆かれ、各社が古紙率の偽造で摘発された背景も語られていました。

 エコやグリーン、サステナブルと言う言葉がイメージだけで広がり一人歩きして、国民にも自然にもムダな負荷をかける典型的な例です。

 森林資源の、保護といっても、バージンパルプ使用は木材の有効活用であって、あえて木を切って森をなくしてるわけでもありません。どちらが環境負荷が大きいかは諸説議論もありますが、古紙回収で比較的簡単なのは、包装や台の厚紙や、トイレットペーパーの芯等のようでそれも、それほど使うものでもなく、余ってるようです。

 インクのついた新聞や雑誌、チラシは燃えやすいので、昔たどおり焚き付けに使う感覚で燃やせば、安上がりなのは誰でも分かります。あれをインク分解して、漂白してたらそれは環境に悪いし、お金も手間もかかると、素人でも少し考えたら解ることです。

 サステナブルといっても、紙やお箸の節約で森が守れるのではないのです。森を保つにも林業にしっかりお金を回さないといけないのです。

 そもそもが未だに役所は紙を使い過ぎで、デジタル化が遅れてることです。

 役所の今までの仕事の中でも、今は随分コンビニで住民票や戸籍、税金の証明などはプリントできるようになりました。

 この動きを加速し、幅を広げれば、多くの手続きや申請はオンラインで可能になり、紙や人の手間は減る。こんなことは大手企業は十数年前からやっています。なぜなら、民間企業はリストラがあり、業績をステイクホルダーに厳しく監視され、改革が進むからです。

 公務員が雇用も含め一定数要るのは、百歩譲って良いとしても、印紙代は電子でも税収なので一定額納めるのもそのままで、せめて紙はリストラして欲しいものです。

 もう一つ再生紙のデメリットとして、やはり白い上質紙より目が疲れることです。

 役所の書面、庁内で再生紙を使ってエコアピールしてても、肝心の身体には良くないですし、そんなとこでは節約にもなんない、天下りの条件をちょっと厳しくする方がよほど世のため、国民のためです。

 どこかで、再生紙NOという運動を始めて欲しいものです。

 核はやはり禁じ手にしないと

 漫画のレビューをするのは珍しいのですが、少し広島の原爆を調べていて見つかった本です。後半、熱く長くなってしましました。

 考え方が真っ直ぐで原爆の悲惨さをしっかり伝えたい訴えたい気持ちがよく分かります。

 広電の女性運転手、被爆電車のお話はドラマ化もされ有名です。もう一話、反戦の気持ちを抱えながらも軍医となった広島陸軍病院の医師が焦土の中を奔走するお話。

 この本を読み終えたのはモールのカフェコーナーで、外は寒くても暖かい中でした。平和な日本で珈琲と甘い物を食べ、多少は景気が悪く貧しくとも周りもみんな楽しそうで、赤ん坊を連れた母親もくつろいでいます。

 この人たちは、身体中に火傷を負い真っ黒の遺体になることも、突然高熱と発疹、吐血で亡くなることもない。平和な日本です。

 しかし、広島、長崎の原爆の日から、80年を過ぎたのに、世界から核兵器は消えていないのです。

 いたずらに戦争反対、核保有反対と叫ぶことに与するつもりはありません。

 しかし、戦争が罪なき市民を巻き込み、健やかだったはずの人生を蹂躙するのはやはり悲しいことです。

 戦争は、それぞれに大義はあっても、国の疾病のようなもので研究し、治療せねばならないものでした。80年前に投下された原爆は、その悲惨な実験が終われば永久に国と国との紛争に使わないという選択肢がなぜなかったのかと思わずにいられません。

 戦争という人間の原罪、宿痾は治癒することなく、現代も社会を蝕み市民を危険にさらしています。

 日本人を守るというためには、核保有も選択肢とされています。どこかの国が核兵器で攻撃してくるので、そのためには必要かと言われればあながち間違いではないでしょう。

 丸腰で、何の武器も力もなく、武器がないから攻撃されない、財産や生命を奪われないとは強盗には通用しない理屈です。

 国際法や国連、人道上許されない兵器を禁じる条約も、結局は無力とも言われます。

 では強いものが勝ち、常に正しいのか。あるいは強いものの庇護のもとなら、人道上許されない兵器が使われても良いのか。

 正義とは何で、正義とはどこにあるのでしょうか。

 核兵器を持たないというだけで、核兵器を持つ国の傘に入っている。

 原発に反対しながら、原発の電気を回してもらい、原発の危険は他の地域や国に被ってもらう、お金が回っているならそれでいいかなというのと、やや似ています。

 原子力も発電の場合は上手くコントロールすればアリとも言えますが、兵器としての核はやはり最終的に使われてはいけないのが大前提にならねばです。

 放射能の恐ろしさは、戦後アメリカの免罪のための正当化や原子力政策のため、少しずつ、マイルドに表現されるようになったのではと思います。時代の波、経年でその悲惨さと鋭利さが伝承されないのではと思います。

 冷戦時代は、SFや特撮ものでは、核兵器による人類絶滅の終末が描かれたものが多かったです。ゴジラはじめ東宝や円谷でもそうですが、放射能も核兵器もマイルドな描かれ方になって、CGや科学的裏付けはしっかりしても、終末は多岐な未来の一つのようになり、危機感を伝えるものでなくなってきたように思います。

 独裁的な人間たちのナショナリズム支配では、核兵器の発射ボタンが押される確率は残ります。

 かつて戦争は兵士同士が名乗りを上げて戦っていました。今でも宣戦布告はあり、禁じ手はあります。戦争が中世、近世、近代、現代と進むに連れ、かつては考えられなかった市民、ロジスティクスを攻撃するなどもアリとなりました。

 軍事施設を攻撃するだけではなく、食料倉庫や病院、学校なども攻撃すると、国際法上許されないとは言われます。しかし、逆に偽装した部隊やゲリラが逃げ込んでいる場合もあり、フェアな戦争の判断は難しいです。近代の戦争はたいてい陰謀めいた暗殺や爆破事故などがきっかけで真実はわかりません。

 権力者が、大量破壊兵器を隠し持っていたからとか、あの紛争地域の自国民を救うためと強弁すれば何でもあり、勝ったものが正義です。

 主義や思想や宗教は自由としても、市民を巻き込む人道上許されない方法での戦争とその兵器に関しては、早く禁じ手を全ての国が批准して決めないと、やがて日本民族の危機も来ますし、人類の危機は続くのです。

 あえて左翼系、平和を訴える人にもここで強く考えて欲しいのは、戦争反対、核保有反対、平和憲法、自衛隊派遣反対と、戦争に頬かむりして蓋をしてもいけない。戦争とは何かしっかり見て伝えることです。

 自衛隊が無ければどうする?もっとアメリカに頼るのか?

 結論が出る問題ではないのですが、核兵器使用に至るような戦争は絶対に止めるというポイントだけは、どんな国の人、どんな思想、宗教の人にも刻んで欲しく、伝えて欲しいのがヒロシマの教訓です。

 

 

日本はアメリカの30分の1のままでいいのか

 今年も、日本のプロ野球から三冠王経験の村上選手や、巨人の主砲岡本選手、パ・リーグを代表する好投手今井選手らがメジャーリーグに行きます。

 毎度驚き不思議なのがその年俸の高さです。大谷選手の数十億も別格ですが、日本のトップクラスで1億や2億の年俸だった選手が20億や30億の契約です。

 日本のプロ野球ってWBCでアメリカに勝って世界一、今度も勝つと騒いでいるのでは?もちろんメジャーに行った選手も含めての代表でしょうが、この待遇格差は何で?これじゃ、誰も日本のプロ野球にずっといたいと思うスポーツ選手はよほどの飛行機嫌いしかいなくなりそうじゃないですか。

 なぜこんなにアメリカと日本の野球選手の年俸に格差があるのか。日本プロ野球界は格差を埋める努力をしているのか。

 格差の原因は調べるといろいろ書いてあり、訳知り顔で解説されてるのですが、どうもしっくりきません。

 アメリカは国土が広く人口も多く、経済もデカい?

 でも、人口ってせいぜい3倍、メジャーのチーム数30チーム、日本の2倍強。面積が広いといっても移動に飛行機使うだけで球団のコストがかかるだけです。

 アメリカは本場だから凄く野球人気があるかと言っても人気はアメフト、バスケ、アイスホッケーに分散されてるし、時折見かけるスタンドってドジャースホーム以外はガラガラもよく見かけます。

 調べてみると、一昨年の世界のプロスポーツ最多動員はドジャースですが、2位に阪神タイガースが入り、5位が読売ジャイアンツです。最近はパリーグ含み消化試合も動員が多くどこも盛況です。

 確かに外資系の業績反映の給与体系の企業は日本企業より従業員の所得は多くヘッドハンティングもされ、優秀な学生やキャリアも集まります。しかし、業界としてそれほど個別企業の業績に差がないのにこの年俸の差には呆れ、手をこまねいて放置する方にも情けなくなります。

 何でこんな差が生まれるか、最終的にもこれだけというのはないのですが、大きな一因として、テレビの放映権やグッズの売上のロイヤリティなどをメジャーが一括管理して分配しているからだと書かれてます。

 ケーブルテレビでサブスクの下地があったアメリカだからと言われますが、それが主因ならもうちょっと頑張ったら日本もだいぶ落ち着くんじゃないかと思うのですが、情けないけれどやる気がないようです。

 地元テレビ局との関係にこだわる球団が一括に反対しているのもあるようですが、そういう人たちはこのままの日米格差で良いのでしゃうか。

 参加選手や代表資格で何かと物議を醸すWBCですが、これも120億だとか放映権料をぼったくられます。全てメジャーリーグの収入でメジャーリーグの宣伝をして、日本プロ野球には分配はありません。日本企業は協賛してチケットを広告の景品にする程度、どちらにせよバカ高いチケットと放映権料は最終的に日本人の負担でなりたちます。

 通常シーズンのメジャーリーグの放映権もオオタニさまさまで、どんどん跳ね上がってます。150億とも200億とも言われます。NHKの受信料収入が5900億ですから、割引してもらっても、かなりの比率です。

 日本ではサブスクの意識が高齢者を中心に低く、NHKの受信料を納税義務のように支払い、ただで放送を見るのが当たり前と思っています。

 WBCもメジャーリーグや、サッカーワールドカップも配信会社が独占と言うと大騒ぎで反対し、NHKが放送してくれるとホっとする人がいますが、野球やサッカーが好きでない人もいます。スクランブルをかけ有料契約にしても良いはずです。

 野球の実質の世界選手権とはとても言い難い参加選手の編成で、世界一のタイトルさえ取ればいいと騒ぐエキジビション大会に大金などかけることは要らないです。

 ナショナリズムをかき立てられますが、アメリカが本気になったら勝てないのも内心わかっている心理がまた不思議です。メンバーが揃わないとか連係プレーの練習もままならないぐらいの選抜チームだから勝てるという考えは、本当のフェアな意味での強さとか世界一なのか、良く分かりません。

 メンバーさえ本気で揃えれば、勝てるなんて囁かれる大会が面白いのかと言うと疑問です。

 メジャーリーグは商売上手で、放送権料や看板広告も日本からぼったくって儲けてる訳で、それが国益も国力も削いでいるのです。

 別に毎日メジャーリーグ見たい人は個別に契約してもらってけっこうです。ニュースや災害情報だけは無料、ドラマだけ、歌合戦だけならそれぞれ契約でいいと思うのです。

 少なくとも、この30倍という年俸の差を日本人は屈辱だと思い、思考停止から脱却して、差を縮める努力はしないと、軍事でも経済でもアメリカになめられっぱなしです。

 

 

 

人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

親分肌の弊害

 一昨日も書いた件で、少し長くなって書きたりなかったエピソードなどがありました。

 合併すると、よく旧◯◯派とかできます。合併しなくても、そこそこ大きな会社だとやはり派閥みたいなのがあって、誰々のグループにいて、親分のイエスマンになれば、少々トラブルを起こしても揉み消してくれるとかありました。

 信じられない方もいますが、私の化粧品会社だと、ザラにありました。どうしても女性の多い会社で、仕事はできるけど、女癖の悪い人も多くて、今なら人権、コンプラ問題のひどい話も多いです。

 親分が揉み消すのは、ほとんど金か女のトラブルで、豪傑も多く、真面目に働いてトラブル無い人よりも、むしろそういう奴のが出世して、処分されてもまた浮かび上がるのには、呆れるケースもありました。

 西日本を統括してる人が私の仲人でしたが、各県の支店長は自分がトラブルを揉み消した経験があると話してました。

 社長になった方も、名古屋時代に私の上司でしたが、パワハラやセクハラありありでしたが、見事に当時のチームを本社の側近に持っていきました。

 親分に取り立てられ、ミスも揉み消してもらったメンツで固めれば、ある程度結束は凄く強いですが、いかんせん不正には弱くなってしまいました。

 これは潰れそうになった民間企業の昔の話ですが、最近でも聞きますし、役所でもあるようです。

 国家や国家間はどうなんでしょう。人間がやってるのでは、やはり似たりよったりです。市会議員さんや、国会議員さんのお話でも、やはり政治もよく似たもんです。

 年明けにまた大きな戦争のニュースが入りましたが、世界の警察や親分となる国、それに従う同盟国はどういう感じなんでしょうか。

 戦争とまでなると、生命がかかりますから、親分が正しいかどうかはしっかり見極めないととんでもないことになりそうです。

http://seizafpkotodama.com/2026/01/05/%e6%8f%90%e6%a1%88%e3%82%84%e6%84%8f%e8%a6%8b%e3%81%af%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/

未来の交通を阻むモノ

 全国的に一般にはあまり知られていませんが、JRの鉄道では唯一?JR九州福岡県の香椎線という路線で自動運転が行われています。

 複雑なポイントやらは少ない都市近郊ではシンプルな盲腸線です。ただ、踏切もある路線なので、自動運転の完全なレベルではありません。

 関西万博ではアクセスに自動運転バスも運行されていました。

 運転手がいない!と不安になる人もいるかもしれませんが、乗り物の安全性という面では状況にもよりますが、今後ますますロボットや機械に任せた方が、ムラのある人間よりは安定しています。今までの電車、機関車では運転手になるのに大変な熟練も必要で、今後の人手不足を考えても、人間が自ら運転するシステムは早めに淘汰されないといけないでしょう。

 ホームドアの位置に合わせてマスコン、ブレーキを毎回どの駅にもピタリと停めるのは明らかに人間よりAIの方が得意なはずです。

 人間に任せるのは、災害などの緊急事態や、高齢者や障碍者への配慮、運賃や行き先、乗り換えなど細かい問い合わせへの対応ぐらいでしょうか。

 役所の窓口での申請なども、ゆくゆくほぼデジタルで可能になります。中での処理も今後ロボット化が進むでしょうが、(法律の改正など諸問題はありです)こちらもデジタル難民的な人への対応に人が要り、少しそういう対応に人は残ります。

 介護等含めてロボット化が進めば、社会の中で人間のやる負担は減ります。

 とは言え、進化の袋小路なのか、狭い道路は昭和以来の古い建物が立ち退かず、道幅も広がらないままで膠着しています。

 介護サービスもなかなか保険料は高騰するのに実態に合わない割には、業界は低賃金でブラックは状態が長く続いています。

 日本だと、タクシー業界などが、自動運転に反対します。

介護サービスにロボット導入というと抵抗する人かまた騒いで時間がかかるのでしょう。

 既得権益をもった業界や役所の関係者は急激な変化を嫌がり、上手く反対意見を盛り上げ粘ります。

「絶対反対」とか「暫定に」とか、「段階的に」とかで新しいアイデアをなかなか認めません。

 官民で連携して考えるべきは、AIに仕事を任せた時、人間がやるべき仕事です。

 自動運転の鉄道などでは、マスコンの操作は無理でも、人員は要ります。

 安全の知識があり、トラブル時の再起動などができ、鉄道会社への要望を聴くなど乗客への対応ができ、普段はひたすら運転台横に座って前面車窓とモニターに張り付けるだけの運転補助のような人が必要です。

「デジタル化は困る!ロボットに仕事を奪われては嫌だ」という人が反対すると、ますます未来は遠ざかります。

 子供の頃に想像された未来の都市が実現されるには古い家、建物やら、古い考え方を変えられない人は、申し訳ないけれど邪魔になります。

 しっかり補償して、未来的住居に移転してもらうことです。かつて高度経済成長期には今から思うと狭い団地や、ニュータウンがトレンドの憧れの住居だった時代があります。人気が出るような、住みやすい未来型住宅を作り、道路幅をまず自動運転に揃えることです。

 デジタル化の第2の波はデジタル難民が減った段階で、国のインフラ系の集中整備で、統廃合が必要です。 

 スマホがほぼ全員に行き渡り、使えるようになった時に、まずは電波の届くエリアをインフラ整備エリアとしてセグメントすることが、これからの限られた予算の投下には必須かと思います。

 私はローカル線や廃線跡など、古い街並みを見るのは好きですが、未来を考えた場合、朽ちゆくもの、要らないからこそ可哀想ですが選別すべきものがあります。

 

 

提案や意見は人物で見るものではない

 友達や職場での議論や審議、あるいは上は外交の交渉、国や自治体の大事なことを決める提案などでも、「人物が」とか「そのグループ」が嫌いで決まらないことがあります。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がありますが、袈裟に罪はないという話です。

 それぞれを具体的に例示すると、いかに大事な考えかわかりやすいと思います。

 何か難しい問題が例えば10問なり50問あってとして、全問に最適の答えを出すのは秀才であっても至難です。90点ぐらいがせいぜいです。

 間違った問題に関しては誰一人正解ではないかというと、中には確率的に正解者がいます。その正解者は90点には及ばないけれどその問題には最適解を出しているというケースはあり得ます。

 50問中、一人しか正解のない最難易度の問題があったとして、その一人の成績は凡庸だという場合や劣等生という場合もあります。

 秀才を高市くん、凡庸以下を玉木くんとか、野田くん、山本くんとかに当てはめると政治の問題になります。あるいは小泉くんとか、石破くん、河野くんとかでもいいです。

 優秀な総理大臣、力ある与党なら常に最適解を出せるなら良いのですが、どう考えてもそうはならないということです。

 残念なのは、今の政治の仕組みでも、選挙に落ちた人が素晴らしい提案、最適解を一つだけ出していても、それをピックアップして実現されることはなきのです。

 アイデアをある分野で出せても総合力がないとか、良き親分の下でないと実現できないのは、政治以外の世界にもあります。

 派閥の長か、長老や親分、御局など、職場などでもグループを束ねる人がいます。正式な組織の長や影のボスでも、自分の気に入った人をかわいがり、他を排除して意見も聞かないことがよくあります。逆に子分や愛弟子は少々ミスしても、犯罪を犯してもかばう場合さえあります。

 こうなると主流の派閥とかグループ以外の人間だと良い意見が通る訳がありません。改革など良い提案などが遅れをとるのです。

 個人の場合も自分は差別しないひいきしないと、バイアスにとらわれないと言いながら、意見を言った人に対する好き嫌いで決めてしまうことは多いです。

 政治でも、ネットなどの論争でも、とても優秀で弁も立つのに、天敵みたいにいつもどちらかが何か言えば上げ足を取り、その反対を必ず言い合う不毛の関係みたいな人たちもいます。

 政党もそれぞれ良いとこと、問題アリと感じるとこもあるとは思われますが、一議員で見ると、党是には関係なく良い主張をされる人もいます。

 党是は問題でも、あるジャンルにはしがらみがなく、良い意見を出す人や党もあります。

 ところが、それを通すと、そのグループが支持を集めて困るという選挙の利害も生まれると、良い意見が揉み消され、無難な多数意見しか通らず、かたやアイデア不足に嘆いているのです。

 会社にしろ、国家にしろ右肩上がりで余裕のある時は、好き嫌いの意見や人事がまかり通っても、それがために優秀なアイデアが揉み消されても何とか形になっていました。

 しかし、そういう時代は終わってしまいました。あるいは、そんなことが続いたから悪い時代になったのでしょう。

 個人として、生き残るためにも、他人の言葉を参考にする場合は、誰が言ってるかは正しいとか間違いではなく、誰しも間違いもあるし、胡散臭いやつも正しい時はあります。

 大事な選択、生き方に関しては、自分でよく考え、是々非々で見極めないと大損をしたり、大きな間違いを犯すことがあり得ます。

 

 

お墓参り、実は自分のお墓で悩んでます

 お正月には、父母のお墓まいりのため、お寺に行きました。正確には代々の墓になります。

 私は次男で分家になりますから、ここのお墓には入れない、まあ絶対入れないことはないのですが、多分入らないのです。

 となると、どこかにお墓買う、永代の供養の共同墓地を探すか、樹木葬とか海に骨を撒くとかになります。

 同じ立場の人もそれなりにいるのでしょうか。お墓も少子化?諸物価高騰のおり、安くもありません。老後資金の中から相当捻出して新しいお墓を買う価値というか、意義はあるか少し悩むところです。

 私は個人的には死んでしまうと、お墓やお葬式、法事などご本人が来る訳でもなく、煩わしいものでそう重く考えてません。

 残った家族に迷惑をかけない程度に意思と少しのお金を遺し、あとはお墓やお葬式は全くこだわりません。

 逆の立場で親戚や友人でもお葬式には本人ではない人との社交です。弔問外交というのが国と国の間ではありますが、利害やしがらみがなければ要らない部分が多いと思います。

 葬送の業者さんも、大変なお仕事ではあると思いますが、いい人もいますが、玉石混交でやはりそこはビジネスです。

 身内が亡くなり、安くない費用をいきなり払うのか否か決断を迫られるのですから、最近の悪質なネット詐欺に対抗するぐらいの知恵は少なくとも費用です。

 お墓も相手はやはりビジネスですから悩みます。

 従兄弟も分家がおり、私の妻の父も分家ですし、何やかんやと小金はあるので新しいお墓を用意したと聞きます。家を継ぐ男子もいず娘はみんな嫁に行って一代限りが決まった義父は山登りが好きなので山へ散骨か、墓を買うか悩んでいたそうです。(ちなみに存命です)

 私も悩むところです。次男の知人も何人かいるのですが、なぜか諸事情で家を継いだ方で、あまり直近で参考にならないものてます。

 先ほども書いた通り、それほど、自分の死に尊厳もこだわりもないので、気楽にボチボチ考えます。

 父と母の墓前で相談も、まあ勝手にしろともちろん答えは貰えません。

お酒に強いは自慢にならない

 お正月は何かとお酒を飲む機会が多いです。しかし、お酒は百薬の長とは言われながらも、年齢により弱くなるとも言われます。

 高年齢の方で今までよく飲んで来た方は肝臓が弱りつつある場合もあります。

 低アルコールのビールや酎ハイ、ノンアルコール飲料、スマドリがオシャレまさにスマートとも言われ出しました。スマドリや、お酒断ちか酒終いを考えてもいい時期です。

 年輩の方はお酒を取り上げられてまで長生きしたくないとか言う人がいますが、いざ病気になって苦しいのはイヤとかやっぱりそんなに早く死にたくないとなるようです。

 そもそもお酒が好き人は、アルコールに強いことや酔わないことを自慢しがちです。飲めない人を飲ませてハラスメントになったり、下戸を低く見て馬鹿にする傾向があります。

 高齢の世代の男性に多いですが、しかし酒が強いは全く自慢できるものではありません。むしろ酒に強い、酒をやめられないのは恥ずべきことです。

 特に高年齢になると肝臓や循環器など、アルコールの健康面でのリスクの方が大きく、ずっとお酒を飲めなかった人の方が確率的には健康で、長寿です。

 だいたい「お酒が強い、酔わない」のを自慢する理由というのは、持って生まれた体質、分解酵素のあるないであり、本人が努力したのでもなく、誇りたい理由すら良く分からない。合理的な説明がつかないものです。

 酔いたいために飲むはずなのに、飲んでもなかなか酔わないという人は、酔うまでの時間は全くムダで、お金を払って何をしてるのか解りません。

 高いお酒を味わえるのがいいのかもしれませんが、他の料理でも楽しめますし、同じ酒を量を重ねる理由にはなりません。

 お酒が好きということは、やはり酔うことが好きなのでしょうから、本当は酔っているはずで、イマイチよく分かりません。

 私のように比較的すぐ赤くなり酔う人の方が、経済的にも明らかに有利な良い体質だと思えてきました。それでも中途半端に飲みにはつき合わされました。

 友人の中には全くアルコールを受け入れず、それでも飲み会に顔を出して割り勘負けしそうですが、楽しそうな人が何人かいます。以前はそういう人の気持ちを理解できなかったですが、今はわかりますし、カッコいいとさえ思います。

 飲み放題につられて飲んで二日酔いとか、やがて肝臓壊すとか成人病は情けなく、カッコ悪いし辛いのです。

 今はノンアルコールでも大変美味しく、見事にビールの泡やキレやコクを原典に近く再現したものなどができています。

 低アルコールでも味は変わりません。アルコール分が濃く6や8だから5より優れているとか、お得ではないのです。

 写真のノンアルコールビールがも本当に良くできています。ドライゼロよりグレードアップしたアサヒゼロは価格も高いですが、味やのどごしが完璧にビールで、醸造酒の二日酔い感すらあるような気がします。確かに値段は高いので、水やお茶でも良いと言えばそれまでです。

 これでビールと同等の値段、ある意味贅沢な楽しみ方と、発想を転換する、酒好きの方はこれが理解できるとこれからも健康で過ごせます。

 人生100年、ファイナンスとともに健康寿命は大切だと言われますが、嗜好品に関してもできることは何だってやるのが健康に近づけることではと思います。