書評:北里沙月「アスタレピオスの断罪」

北里さんの作品、毒や寄生虫、ウィルスなど生物学系の話から今回は病院、医師の話です。

医師が殺された。被害者は三年前に起きた強姦事件の加害者二人組の一人。殺された医師が拷問とも思える傷を受けていたことが分かり、捜査一課の陽山承と真壁剛は、解剖医である楠衣春の協力を得ながら事件の真相を追う……。
しかし、捜査が進むと、その医師と病院のダークな面が、

フーダニット、ハウダニっトともわりとキレイに描かれています。病院の描写は、医師の作家ほどではないかもしれませんが、テレビドラマに比べれば許容できる範囲かと思いながらも、さすがにこれが看過されていた病院はヤバイだろうと思いました。
しかし、インフォームドコンセントなど、医療知識にない素人には元々無理もあり、高齢になればますます難しい。素人の立場でも、健康や医学の知識は最低限身につけて、医者に対して盲信、依存ではなく、緊張感のある質問ができるぐらいにはなっておきたいものです。

さすがに、この悪行がなかなか訴訟もできないというのも問題でしたが、一見荒唐無稽に見えて、やはり終末医療、末期患者の対応の難しさは、夏川草介の「勿忘草の咲く町で」に通ずるものがあります。
医師側が、善か悪か、患者側もどう感じるかどう動くかによって、物語は変わってきます。
それでも生命の価値は同じかというと、それはキレイごとです。
実際、多くの時間を持っている子供や若者と、老い先短い高齢者、ましてや余命いくばくかの患者では、生命の価値は実質的には違います。
その尊厳をも奪うという意味ではないです。
むしろ尊厳を保つためにも、ちゃんとした区別をして、若い人が優先され、譲るところは譲る、社会の中で大切に扱われるところは大切にされる。それでいいのではと思います。

テレビや新聞もたまに良い

地上波のテレビや、紙の新聞をもう若い世代は見向きもしていない時代です。
そこそこの年齢でも物価高もあり、新聞は止めて、テレビもあまり見ず無料の配信ばかりの人も増えています。
かく言う私も、企業に勤めていれば経済面、役所に勤めていた時は、地元絡みの報道チエックも欠かせませんでしたが、辞めた最近はあまり顧みません。
報道の劣化など、質の低下もですが、配信はじめ見たいコンテンツが溢れていて、十年一日のまったりしたテレビや新聞は見る意欲が沸かないし、時間もないのでスルーでした。
それでも、たまにテレビをつけて、あえて選択することのない情報を受け身で見ると、自分からは見ることのない新鮮な場合はあります。
ローカルニュースなどは、独特の味がありますし、旅の情報なども知らないところが掘り起こされたりします。
そういえば、昔ある流行作家さんが、民放を1局半日ほどチャンネルを変えずに見ると、けっこう世の中を知ることができ、創作の参考になると書いていた記憶があります。
自分の嗜好だけしか見ないと世間が狭くなるとは思います。

ホテルなどの、館内情報的な感じになりそうですが、BSも含めてテレビも重要ですし、新聞も参考にはなります。

立場を変えて見る役所の難しさ

久しぶりに前に勤めた役所に、立場を変えていきました。
その直前には、ある業界の宴席で、市長、知事が来賓に来られていました。
この人達、政治家も含めて、毎日毎日、分刻みのスケジュールで大変ですし、それを齟齬なく調整する立場の役人さんや秘書さんも大変だと思います。
それぞれの公務員さん、行政の方も、キリッとした仕事でシャキリと歩き、また時には同僚と談笑しながらも頑張っておられる風景です。

しかし、まあ、今勤めてるバイト先にくらべると、法令順守、コンプラ遵守、労働者の権利は守られていますが、公務員病というのか、寄らば大樹の陰、ことなから主義は否めません。この感じは大企業にもあります。
ひとつも部署に、採算や収益をいくら意識させても、俯瞰すると、無駄が多く、どうせ潰れないからと無駄遣いが多いのです。
しかも非効率で、前例や決め事に拘ります。
今のバイト先が緩いのか、酷いのかというのもありますが、一言でいうと融通が利かないのが公的機関です。無駄を平然と放置してしまうのです。

1ミリの誤差、1円の違い、一日の違いも許さないとなると、非効率も生まれます。人間がやることですから、ある程度のファジーな部分も許さないといけません。頭の固い人は、1円を許すから多額の不正会計、横領、汚職とか談合につながると思われますが、逆です。1円の領収書の差額に時間を費やす人が、巨額の横領をしているのです。
そこには無駄な稟議が、本当に無駄だということがわかります。
AIを使えば、不正に近い動きはすぐ分かる時代です。逆に1日の誤記や1円の誤差は目くじらを立てないぐらいで良いのです。

AIではできない仕事がある

近所や職場の道路が、ガスや水道の工事で通行止めになっていました。
インフラの老朽化問題ですが、何とか工事しているところに安心もしますし、暑い日に警備で立ちんぼの人も、アスファルトや重機を使い作業する人、空調服を着ていても大変だと感心します。
工事準備のために、測量をする人なども、なかなか大変な作業です。
私は一時的に昨年夏は、その測量機器や空調服、安全靴、公用車の購買や管理をする仕事をしていました。
室内での事務仕事は今後デジタル化が進み、どんどんAIに取って代わられ人員は減るでしょう。管理職や事務職は消滅すると言われますが。逆にこのような道路などのインフラを支える現場の仕事は、かなりの先の未来でないと無くならないでしょう。
自宅から義父の家に向かう道もひどく狭いです。戦後から高度経済成長期ぐらいから出来た狭い道路、両側に住宅があり電柱などが立ち、クルマの対面離合が難しい道も、たぶんあと何十年風景は変わらず、インフラもメンテナンスだけで、手のかかる工事はずっと続くと思いながら通ります。
この狭い道は、両側の住宅が一斉に建て直してセットバックするか、立ち退かないと道は永遠に広がりません。

もちろん、農業や漁業、林業などの第一次産業も機械化やデータ活用などのデジタル化は進んでいくとはいえ、人間が現場に行かないという未来は遠いのではと思います。
暑さ寒さ、風雨にも耐えて毎日田畑を守ったり、遠くまで漁船で海に出て行く、高い木に登り木を伐採するなど、いろんな現場の方に、社会は支えられています。
それでも、その管理をして、指示を出す仕事は、人間よりもAIが的確となれば、子供の頃に見たり読んだしたSFのロボットに支配される世界のような気もします。
この夏、暑い中で、工事に携わる人を見てふとそう思いました。

小さなことで悩む?

少しいろいろ忙しくて、気が付けば歯痛からの肩こり、頭痛に見舞われています。
会社時代も、少し根を積めると、眼に来たり、歯痛から肩こりや眩暈がしたことがありましたから、暑い夏を乗り切ったからとは言え、気を付けないとと思います。
同世代の人よりも、若いとか、年下に負けないと思いつつ、身体はよく観察、自覚しておかないと、無理がきく範囲を知っておき、かつギリギリまで頑張って力と経験を掴むようにと思います。

小さなこと、不安や失敗で悩むこともそれなりにあります。
それは誰でもであって、悩みがない人などいないでしょう。
日本の各地にも、災害や事故、貧困や差別も無くなったわけではありません。ましてや、世界の各地では、人為的な戦争や略奪も日常となっているところもあります。
自分の抱える問題など、小さいと考える時もありますし、やはり人間、悩む時は目の前の自分しか見えませんし、やっかむ時は恵まれた他人を見てしまうものです。
身体のこと、お金のこと、仕事や家庭、生き甲斐みたいなことでもめぐるように悩みは尽きないものです。
それはそれで、自然に受け入れつつ、流したり、向かっていったりして、毎日毎日を過ごすしかないのです。

日本遺産のプチ旅 

雨のオフで、時間があいたので河内長野市を訪ねました。
駅前のモックルステーションという観光案内所が日本遺産のご周印が貰える場所ということで、大雨でも何とかそこへはたどり着けそうということで、自宅からだと、嵐電-阪急-JR-南海と乗り継いでプチ乗り鉄旅でした。
高野山へ行く特急だと通過して見落としがちな駅も急行ぐらいだとよく見えます。まさに京都からの高野街道をなぞるのですが、急行でさえ通過する河内長野市の千代田、三日市町、天美とかでも街道としては大事なポイントです。今も近鉄長野線の終点で南海高野線が接続するターミナルではあり、商業施設もなりますが、昔は東高野街道、中高野街道、西高野街道が一つに結節し高野山を目指す高野街道となる一大ジャンクションだったのです。

そんな駅前ですが、ここまで来るまでに通った梅田や環状線沿いの賑わいとはうって変わった地方都市の様相です。過疎とか閑散ではないですが、景観がウリの観光都市でもなく、人口10万に満たないローカル色が良いです。
彦根や飛鳥のような国宝級で、世界遺産を目指すほどではなく、いかにも長閑な日本のローカルという風情が良いです。しっとりした夏の終わりの雨がまた良い情景を映します。  
中世に出会える街と、女人高野の二つの日本遺産の街です。
ここは大阪府でも河内国、南河内と呼ばれるエリアです。狭いようでも大阪は摂津国、和泉国、河内国に分かれ、河内は北は枚方から南はこの河内長野まで南北に長く、このエリアは南河内と言われます。
私的には、社会人になり最初に赴任したのが南河内を中心にしたエリアの販売会社で、見習い同行で1カ月ほど回ったのが美原から富田林、この河内長野までの一帯でした。40年の中で全国いろんなところをめぐり、1年から数年いてもあまり覚えていない地域もありますし、多くの路面や商店街の個人経営店が廃業されていますが、ふとこの河内長野の駅前商店街に、未だに当時の屋号のお店が健在なのを発見して、懐かしく思いました。
御兄弟で3店舗経営され、要求の多い難しい取引先でしたが、調べると千代田の西友のテナント含めて未だに存続されているようで、代は変わっているでしょうが、なかなかスゴイことです。
同行した先輩も、幹部に昇進したのち、すでに定年を迎えています。
40年ほど前、私が新入社員時代には、大阪の周辺、東部や南部の近鉄や南海の沿線は、首都圏が拡大したようにもっと発展すると言われていました。環状線まで30-40分で行けるエリアで宅地がどんどん開発され街が発展していく予想がされていましたが、実際には幸か不幸か、そこまで発展しませんでした。
開発は、ハンパに終わり。30年以上経って、古い街並みが残ったままで、中世とまで言えるかどうか微妙ですが、風情ある街が部分的に残り、情緒ある旅ができます。

30年前から、さらに劣化するジャーナリズムと政治

安倍元総理の番記者という人がいまだに政治解説などされています。
サツ廻りや、バンキシャは未だにいるのだなあと思います。
この本はたまたま、政経に詳しい方が教えてくれた政治ジャーナリズムの本質的欠陥を指摘した名著といわれているもので、図書館にはありました。1994年、平成8年の発行ですから、取材屋連載当時は35年ほど前になります。

なぜ、新聞は面白くないのか。事実の検証能力に欠けるのか。金丸神話や小沢神話を作り上げてしまうのか。政治を良くするために不可欠な新聞蘇生の処方箋を提示する必読の書。

と宣伝されていました。

35年というともう若い人は産まれてもいないし、現役の方でも物心ついていないとか、政治などに興味をもってもいない学生だったりします。
竹下、金丸、細川、羽田、リクルート事件、東京佐川急便事件といってももはや歴史上の人物のようなものなのですが、当然のように今の若い人が歴史として学ぶでもなく、かといって時事としても古すぎるので国会マニア的に政治に関心があって記憶の良い人でないと認識もないでしょう。

政治とマスコミの汚れた体質は、すでにこの時で十分語られ、残念なことにほとんど本質は改善されず、記者クラブも澱んだと言われた1990年代からまた同じように30年続いています。
テレポリックスという言葉がでてきています。テレビに影響される、テレビを利用した政治が始まった時期です。のちに小泉劇場など劇場型政治も輩出しますが、新聞からテレビへと、国民洗脳の媒体が変わり始めた時期で、サンデープロジェクト、ニュースステーションなども始まり、平日夜や日曜朝に報道ショーの番組が固定されたのもこの時期です。娯楽やスポーツと報道が明確に分かれていたのが、混在したニュースショーが現われ、巧みな世論操作も始まった時期です。

テレビや新聞がオールドメディアと言われた今と、国会をとりまく政治家とジャーナリストはあまり本質が変わっていません。むしろ、劣化したとも言えそうです。
すでに1990年代で自民党の一党独裁は続き、汚職まみれ腐敗した政治に、何とかしようという志の者と、結局は権力争いにそれを利用した者たちが、離合集散をして、細川、羽田の連立政権、自社さきがけの政権奪還と迷走します。
その後の自自公、自公、民主党政権、再度の自民党政権と、この時期改革を唱えて松下政経塾や日本新党などの志をもった若手ももはやベテラン、爛熟したのが現在です。
この書にさえ「最近の若者は」という言葉が出てきていますから、政治にしろどの世界でも、時代は巡り、世代は変われども本質は変わらないのです。
自民党の派閥も賛否がありながら、その求心力は強まったり、弱まったりしながら延々と続いていることにも呆れますし、伝統というものをひしひし感じます。

「政治とカネ」などと問題にされ続けて、久しいというのかこれも永遠の宿痾なのですが、政治家やジャーナリズムというよりも、それを許す国民が愚かとしか言いようがないのです。

私の学生時代などは就職先は新聞社は給料もよく花形でしたし。就職の面接には大手企業も天声人語は読んでおくのが必須の時代でした。ある研修で毎日新聞の地方記者と一緒になりましたが、問題意識もあり頭も良い好青年でした。政治家も官僚もジャーナリストも人間、どこかで金にまみれ汚れていくのかとも思います。

しかし、税金を無駄遣いするなとか、談合や汚職を罵る国民も、結局そういう政治家を選びそういう政治を許していることに、長年の問題はあるのです。著者の論調はまさにその通りです。
一時的なヒーローのような政治家が全てを変えてくれるのではなく、地道な投票行為の積み重ねでしか、政治は変わりません。持ち上げて、ウケを狙い、流行りが終わると、徹底的に手のひらを返し、貶め、池に落ちたら棒で叩く、ご都合主義のジャーナリズムにも責任はありますが、そこを見極められない国民もやはり愚かなのです。
30年以上前の名著の警鐘が、テレビからネットに時代に替わっても本質は変わらないのが残念です。

【必見】意外!人生、100歳まで健康で生きるには

60代も後半にもなると、60歳定年の人も、その後の再雇用の方もそろそろリアイアの時期を迎えます。
人生100年とすると、66.7歳がやっと3分の2です。毎日、仕事に追われ、悦びも苦しさも悲しみも、涙も笑いもあった年代から比べると、ずいぶん変化の少ないなだらかな時期で、自由には見えますが、随分と平凡な時間が連続していきます。
組織の一員として承認され、後半には多くの人が肩書までしっかりあった人が、何者でもなくなります。家事もしてこなかった男性はとくに、やることに悩みます。大きなアイデンティティの喪失に、落ち込む人も多いはずです。
毎日、しっかりした役目があったときから、起きる時間も制限もなく、出かけるのも、家にいるのも自由で、やりたいことをやる時間は山のようにあります。
ところが、仕事をしていると、毎日、最低でも数人と時には何十人と会話を交わし、議論や交渉、さまざまなせめぎ合い等のやり取りをしていたのが、他人との会話は激減します。
同級生の話などでも、下手をすると一日の会話が、近所の方の挨拶や販売員との「ありがとうございました」だけで、それもコンビニやスーパー、ファミレスなどがどんどんセルフで無人化されます。
こうなると、存在価値を失い、淋しくなり、孤独を紛らわすために、お金がを使い、遊びまくるなどして、気を紛らす人もいます。お金で紛らせる人はいいですが、収入が年金に限られるなどの人はそうそう出歩けないので、家の中や近所だけでは発散ができない人もいます。
でも、結局はお金で寂しさを紛らせているような人も、アイデンティを失って淋しくさまよっていることに大差はありません。
人間の脳も、身体も刺激がなくなり、目的がなくなるとどんどん衰えます。筋肉が鍛えればもりもりになり、さぼれば痩せ細るのと同じです。
「もう年だからしかたない」実はそういう思いが、マインドセットされるから人間は老けるのです。
人間の体、脳は実は年齢を自ら感じて、理解しているわけではありません。もうこんな年齢だと自覚した時、老け始めるということが、科学的にも証明されています。
とくにバリバリ仕事をして家庭を顧みずの男性が仕事を辞めた場合が、危険です。身体を使うことも、知恵を絞って考えることを、止めれば当然、肉体はもうやらなくていいのだと、どんどん衰えます。
家事をやっていた女性は、その点では定年なく仕事が続きますから、好き嫌いはあっても、肉体や頭脳は老化はあっても、使用しなくなっての衰えはありません。
本当に人間がパーツとしての身体を老化によって使えなくなるのは120歳くらいだそうです。
逆にいうとそれまでは、まさに人生100年、100歳ぐらいまでは、新しい知識を得て、経験をしていけるものです。どんどん新しいものを取り入れ、可能性を広げるていけるのです。
火事場のクソ力ではないですが、おばあさんが、娘を亡くし、急に孫を育てることになると、急に若返るように動き出し、子育てができるという話が、よく聞かれます。否が応でも動かざるを得ず、子育てや介護など、自分しかいないとなると、自然と目的ができて。動くから身体を頭も使うのでその間は体力も気力も充実して老けないのです。(もちろん、個人差や限度もあります)
定年を終えたサラリーマンも、そういう形で、貢献するような役割を貰えば、もう一度輝け、体力、気力が蘇るのは社会実験や心理学の実験などでも明らかなのですが。なかなか適当に意欲を持てる仕事などの役割はそうそうありません。
もちろん、賃金などの待遇が、現役時代なもの訳はないので、慣れないとか、プライドとかで、よほどお金に困らない限り、今さら若い者の下で働けないとなると、選択肢は狭まります。
もちろん、無償奉仕、いわゆるボランティアなどで、結構なスケジュールをこなして、アイデンティティを取り戻すほどの人もおられます。少ない時間でアルバイトと、趣味や奉仕、家事や近所のコミニティなどで貢献して、輝いている人もいます。
そのぐらい、動いている人に方が健康的で老けないのです。多少なりとも、OBなどのコミニティに参加しているとマシではあります。しかし、なかなか昔話と、同世代の共通趣味程度で、若さを取り戻す、新たなキラキラしたドーパミンが湧くような経験にはなりません。
幸いにも今はネットで情報も指南もある時代です。どんどん年齢に関わらず、新たな挑戦をしてみるのが、100歳まで心身を鍛えるコツです。
何か新しい資格や、専門ジャンル的な趣味にも年齢制限はありません。昔なら専門書やテキストを取り寄せるのにも、お金や時間がかりましたが、今はネットですぐですし、AIも指南してくれます。
文系理系とかなら、それぞれ反対のジャンルの何かを浅くても勉強するのも新鮮です。
新しいジャンルは、苦痛があっても新鮮で心身を緊張させ若返らせます。もちろん、今までの経験や知識を否定せず応用しながらで良いのです。
肉体、健康に関しても、自分の観察とともに、良く調べて実践することです。自分の口で食事をできないのはもちろんですし、自分の意思で自分の脚で歩けないのも、老化ですし、健康寿命とは言えなくなります。
「もう年だから」を禁句にして、マインドセット(思い込み)させないのです。
老化を防ぐのは、ドキドキする不安からワクワクするような希望の経験です。

季節は秋?大雨報道に憂う

お盆あたりに、ほんの少し秋の気配を感じたのですが、また蒸し暑く、今週も関西は体温近い猛暑の予報でうんざりします。
南に台風や高気圧があって、湿った空気がくるのか、蒸し暑い上、北陸など局地的に警報が出る豪雨です。
もう少し、雨も各地に均等に降らないものかと思います。これでも水不足で取水制限の地域があるのに、今朝の福井もとんでもない大雨です。
災害に遭い、避難されている方は、まだ不安が続いていると思います。十分に気を付けてください。
熊本の地震もまだまだ避難され不自由を強いられている方、不眠不休に近いハードワークの関係部署の公務員さんなどがおられると聞きました。
とりあえず無事なところに住んでいると、何もできないもどかしさもありますが、悼みいる気持ち、激励の気持ちを心に期したいとは思います。

災害はいつどこでっ来るか予測がつかないからこそ、不安もあり、同情などの気持ちも沸くと思います。
いざ、こういう大きな不幸を見ると、人間は優しさを持ち手を差し伸べる気持ちが生まれますが、なかなか日常ではそうもいかない人も多いようです。

目の前の、仕事や家族、地元を思うのに、他者には優しさを分け与える余裕がなくなるのでしょうか。
安穏とした場所にいて、むしろ、差別やいじめに近い、自己保身にまわりがちなのが普段の人間の行動です。
「情けは人のためならず」といわれるように他人への施しは、やがて自分にも温かい気持ちとして返ってくるのですが、都会に住む現代人はだんだんそういう優しさを忘れてしまうのです。
首都圏と、地方都市、過疎地とそれぞれ格差もあり、課題も抱えています。今、たまたま恵まれている地域の人は、不運な境遇の人に施す、税金を上手く回す仕組みを作り、差別や格差をなくしていく、構図としてごく当たり前の人道的なことです。
たしかにインフラを維持できない限界集落は増えますが、災害対策も日常的なインフラも含めて、しっかりした対策を講じていかないといけません。
優しさを忘れない国民が多くいないといけません。

決済サービス、まとめサイトはボロ儲け

飲食の仕事を就いていろいろ最近の業界にいろいろ思うことがあります。
かつて化粧品や日用品のメーカーで流通やユーザーと対していた頃とだいぶ状況も変わってきました。
お客の立場だと、今やネットで検索して買い物をし、たまにリアルで買い物をするときは、キャッシュレスという方の割合も増えています。
ホテルの予約サイトなどは、基本揃えているようで、微妙に選ぶサイトによって1000円以上違ったりします。
飲食店の予約サイトも、コースなどの基本は変わりませんが、微妙にプランの違いやポイントの貯まり方には違いがあります。
中小、弱小の飲食店や施設は、こういった業者に優位に立たれ支配されています。決済サービスも世の流れと従えば、やはり手数料をとられます。
大手のチェーン、アパホテルが手数料のかからない、自社サイトからのアパ直が安いと宣伝しているのはこのためです。
私もうよく旅行に行き、飲食もします。しかし、ホテル側の立場で見れば、同じ1泊の客室を、ポータルサイト大手経由だと、価格を安くされた上に、コミッションで歩合をさらに取られるのです。
飲食店でも食べログや一休などから予約すると、継続してポイントの貯まるお客さんはそのサイト経由となりますが、店側はコミッションをとられ、その分はありがたくないのです。
本当は自社サイトや電話で直接予約してくれた方が儲けは格段に大きいのですが、その方らに露骨にサービスを上げるわけにもいきません。
決済サービスも、現金を数える時間が節約されるとはいえ、機械のリースや通信費をとられ、歩合でやはりコミッションをとられます。いくらか、時短になってもそれほど節減できるものではなく、やはり利益を貪ります。
人件費がその分抑えられるからと、ある友人は言いました。
ずっと、サラリーマンでお客様側だと、なかなか店や施設側の経営の感覚は想像できなのです。
経営に関わっていない人は簡単にそう思われますが、零細経営や、中小企業やらでは、そう簡単にその部分の人件費などが浮くわけではないのは明らかです。大企業でもひとつのチームで、5人なり10人なりの部下がいたとしても、上から便利なシステムができたとして、人員を減らすとか時間を減らし手当を減らすと言われたら対処に困るでしょう。
売り込む側は、サイトに入ったらスケールメリットがあり、サブスクは格安だと上手く誘われ、原価、経費は上がってしまいます。その仕組みが分かると、現金決済、自社サイト予約を、私は推します。お店のためにも、極端な寡占を防ぎ健全な経済を守るためにも、小さいですが手間とお金をかけます。