2万円バラマキの愚に怒り

 石破総理は「社会保障の財源が確保できないから、減税もバラマキもしない」と言ってきていましたが、結局一律2万円プラス、子供と非課税世帯に2万円のバラマキ給付をするようです。

 もう目先の選挙対策で、なりふり構わずです。
 来月20日までに、お金を配るには、市長村役場もまた大変です。マイナンバー制度はあっても、カードを持っていない人も一定数いるし、口座を紐付けていない人もいます。マイナンバーカードと口座を紐付けていても、確認項目はありますし、扶養の子供がいるか、収入は?と確認して、郵便で確認書のようなものを例によって、送らないといけませんから、これは大変は手間のかかる負担が自治体にのしかかります。

 その上、その言い分がもう無茶苦茶です。「給付をするのは、税が増収だったからで、消費税の恒久的な財源としても枠組みは崩せない」と、野党とは違うと言いたいのでしょう。
 しかし、税収が思ったより増えたから国民に返すというなら、非課税世帯ではなく、ちゃんと苦しくても税金を払った層に返すべきです。一番苦しいのはおそらく、非課税世帯にも生活保護にも当たらず、税金と社会保険料を真面目に払っていた中間層の人たちです。
 資産が分からないから、非課税イコール貧乏ですらないのに、血税から給付金というのは筋道が違います。
 こう叫ぶと非課税世帯は所得が低いから、食料品の値上げが一番応えているという反発もあるでしょうが、これはあくまでも税金の戻しをするという話です。

 3連休の真ん中に投票日を設定し、ヒマ(失礼)もとい比較的時間があって投票に行きやすい非課税世帯に厚く給付するのも、魂胆がミエミエすぎるうえ、姑息すぎて、情けないほどです。
 しかし、全サラリーマン、自営業者、課税の年金生活者は怒るべきです。
 税金と社会保険で5割近くを抜かれて、わずかに食料品の値上がり分概算の2万円とはふざけ過ぎた話です。

 いたずらに、国の財政基盤を揺るがすとかそんなことではなく、日本の財政は資産が負債より多く健全です。財務省とか、厚労省とか、各省庁、インフラを支える自治体も、最前線は賢明です。しかし、やはりこの国の税と社会保障は一回メスいれないといけないのです。その場しのぎの栄養剤やカンフルで誤魔化されはいけないのです。
 とりあえず、現在の政権与党には退場願って、官僚や財界、労組とは距離を置いた改革のできる国会議員が必要です。国民にもずっと、痛みをともなってきたのです。国民が年間400万や600万の平均収入の時、国会議員が非課税で文通費合わせて5千万も貰い、その上、献金や政党助成金を貰っていること自体おかしすぎるのです。
 公務は決して楽な仕事ではないですが、現場の公務員に比べて、そのトップ国会議員や大臣らが10倍、20倍も忙しく重い仕事というわけではありません。
 お金がない、税金が足りないのなら、まず身を切る改革と言われて久しいですが、全くその姿はカケラも見えません。それなりの報酬は否定はしませんが、今の増税増税という路線で、税や社会保険料などの構造を全く改革できないのでは。国民は疲弊するばかりです。


 7月20日、まずは国政選挙の山場、参議院選挙があります。3連休ですが、期日前投票はできます。公報、政権放送、ネット情報も深堀して、必ず投票して、日本と国民の生活を守りましょう。

高齢化を理解する

 前の職場にお父さんが脳医学の著名な学者で、ご本人も相当なIQの人がおられ、脳研究の奥の深さと、その急速な進化ぶりの一端を聞いたことがあります。
 「結晶性知能」と「流動性知能」とかエピソート記憶とか滔々と語られ、勉強のしかたそのものも、ガリ勉で詰め込むようなやり方でなくても、司法試験に受かるタイプのようでした。
 逆に面白くない仕事や勉強は受け付けないようで、凡人には理解できない扱い難い面もある人でした。

 この二つの資料でも、老化に関してもいくつも説があり、奥の深くかつ、日々更新されるものも多いようです。
 身体の衰えも60歳を超えると顕著になるものの、脳の進化は90歳まで続くという説は、取り上げられる以前から聞いていました。脳が成人となって一人前に整うのは実は25歳頃でありそこからまだまだ学習を積み情報をインプットして90歳まで進化し続けるのです。そうなると、定年を迎え体力が衰えると言われる還暦の頃はまだ脳の進化の半ばということになります。
 老害と言われ嫌われる一部の政治家や経営者のように、地位に執着するわけではなくとも、定年で目標を失って認知になるのはもったいないということです。
 さらになるほどと思ったのは、みなさんも薄々気付かれているところですが、20年前の高齢者と現在の高齢者、例えば65歳だとか80歳だとかは、時代で変わり大きく違ってきているのです。40年ほど前の昭和の高齢者は、55歳くらいで老人と言われ、実際年金を貰い隠居される人も多かったように、今とは全く違っていました。


 私も、個人的に感じるのですが、30歳ぐらいの頃より、体力は落ちてルックスも若くはないですが、60歳を過ぎた頃からの方が、いい仕事ができています。経験も知識や教養、知見が積みあがっている面もありますが、ノルマとか、お金、家庭とか、定年までの枠組みのようなものから力が抜けて、純粋に仕事への興味と探求心で働いていますす。

 人口減少、少子高齢化が問題と言われますが、根本的に急には変えられないところもあり、まだまだ日本の人口は減り続けて。働き手は減ります。働き手を海外からの移民に求めるのか、あるいは高齢者に対しよくトリセツを周りも本人も理解し、働いてもらうしか打開策はないでしょう。

 そしてこの70歳のトリセツというムック本、もちろん高齢者を扱う若者のためだけではなく、これから高齢を迎える者、高齢者自身の自覚、自戒のためにも、良い情報が分かりやすく入っています。

 多くの方が自覚している面もあるようで、意外と解っていない点も多いですし、仕組みとして理解していないから、プライドを傷つけかえってコミュニケーションを悪くする場合もあります。

 70歳では90歳まで伸び続ける部分と、50歳くらいからすでに勤続疲労し、衰えて劣化している部分が混在して、その扱いは微妙なのです。
 自分の現在地でもそうですが、運動不足にならないように歩いていて転倒し股関節や膝を傷めました。同年代でもよく話を聞きますが、転倒が増える年代です。
 足が自分の主観イメージよりも上がっていないので、小さな段差につまずくのです。足が若い頃より上がらないという、身体の衰えを客観的にイメージできず、凸凹の多い外の道などは気を付けるという情報を入れて、ゆっくり確認しながら歩かないといけないのです。
 ここでも、変なプライドがあったりして、客観的になれないと大変危険です。
 高齢者の運転なども、大きな事故につながってます。
 自分は若い頃から、良く動けて、運動神経も良いと言う人ほど、危険なのです。過去の主観イメージを引きずり、客観的になれないのです。また、ちょっとしたモノを取るとかも、いちいち台を使うとか、他人に頼むとかができずに、身体を悪化させることがあります。また、それをやってしまったことを、怒られて行動を制限させるのもイヤで、正直にもなれず、自分でも都合よく忘れてしまって、ますます身体もコミュニケーションも悪くなる場合があります。

 仕事や家庭生活、ボランティアなども、目標を持ちながらやり続けることは若さを保ちます。自分で自分のトリセツを理解し、できることは目標を低くても設定してチャレンジすることです。体力や瞬発力などが要り、若い人に適した部分は任すことにして、それでも高齢者の経験によってできる分野はあります。

「システム処理とヒューリスティック処理』とも言われ、勘や経験、人間的な交渉、小さな気配りや発想の変換などはAIにできない分野で、高齢者の役割は残ります。逆に若い人の仕事はやり方にもよりますが、事務系はとくにAIに取って代わられ、間違いも少ない分野が多いのかもしれません。

 何か、夢や希望、やりたいことが多いほど、若さを保てることに間違いはないです。まずは、比較的大きい目標ですが、高齢者となった「取扱説明書」を自分がよく理解すること、また廻りも理解をし、本人によく理解をさせることです。

我田引鉄の歴史、整備新幹線は?

 「我田引水」という言葉が原点としてあってそれをもじった「我田引鉄」という言葉が鉄道ファンの中では著名な造語です。
「我田引水」とは、何となく字面で分かるように、「自分の田んぼに水を引き入れる」ことから派生した言葉で、自分の都合のいいように物事を解釈したり、行ったりすることを指します。これは、元々村で用水を共有する際に、その水配りを担当する者が自分の田を優先したことから生まれた言葉です。
 水の替わりに鉄道のルートを自分の街に通すように有力政治家などがルートや駅を誘致したのを、面白おかしく揶揄した言葉が「我田引鉄」です。明治以降の鉄道草創期は、他に交通機関もなく、道路も未整備でしたから、鉄道は、地元の街にとって、喉から手が届くほど誘致したいものでした。
 現代でも高速道路や新幹線は地方で来て欲しいと言われる交通機関ですが、昔の鉄道はもっと差し迫ったものです。隣町の学校や県庁に行くのに電車やバスもない、材木や農産物の運搬も河川を頼るなど、今では想像できない苦労のあった時代であり、集落の有力者にとって鉄道誘致は町の盛衰に関わる喫緊の問題でした。
 町同士も政治家を絡めて、我が町に鉄道をという時代ですから、まさに「我田引鉄」となったルートが今も残る路線がいくつかあります。
 有名なのが岩手県内陸の一ノ関から、宮城県沿岸部の気仙沼を通り、岩手県大船渡市へと向かう大船渡線です。ナベツル線とかドラゴンレールと歪な形に愛称ができています。当時の政友会と憲政会という二大政党の地元有力者の綱引きで、一度まっすぐに東進するはずが、北上してからの東進となり、さらにそのままかと思うと、再逆襲があり、もう一度南に回ってからの東進となり、さかさまの鍋のような形の路線ができ、時間帯によっては歩いて追いつけるような変な迂回ルートができました。
 当初は東北本線(現在は新幹線も止まる)一ノ関から陸前門跡を東へ千厩へ向かう予定が摺澤の攻勢で北へ逸れたものの、千厩もそのまま東進は譲らず、再度捻じ曲げて自分の街へ引き戻したのです。
 こんな迂回のただでさえ、遠回りのルートですから、現代では高速道路や国道が整備されると、厳しい経営状況は当たり前です。

 もう一つの代表例が中央本線の「大八廻り」と言われる諏訪から塩尻へ抜けるルートです。諏訪から西へ向かう路線は岡谷を過ぎ大きく南に辰野まで進んでから北へ向かって塩尻を目指します。まっすぐトンネルで結べば短い距離を、当時の帝国議会議員で鉄道局長という要職だった伊藤大八という大物政治家が、辰野から今の飯田線ルートで伊那谷、飯田から豊橋に繋ぐ主張を通そうとしたことで、「大八廻り」と言われます。

 最終的には辰野から塩尻、木曽路を抜けて、中津川から名古屋に向かう現在の中央西線はこんな経緯でちょっと迂回しています。

 当時と比べて、鉄道の相対的な役割りは低下して、期待度合いも違うものがありますが、今の整備新幹線の悶着は、昔の政治家ならどう思い、いびつな路線が残った街の人はどう感じるでしょう。

 新幹線駅が欲しい地域はまだありますが、並行在来線はJRから分離され、地元負担が重くなります。建設費で地元財政が厳しくなる上、3セクで生き残った路線も割高で地元民にも負担が重いもので、通学や通勤、通院の足にしても気軽に乗れなくなります。

 その上、盲腸型の路線の末端になるターミナルができる地方は活性化できていいでしょう。金沢への新幹線延伸は大成功でしたし、地元も負担した意味がありました。
 しかし、現在の北陸新幹線や西九州新幹線で佐賀県や京都府はすでにターミナル駅と近くて、新幹線駅もあり、私鉄や複数の手段で、東京、大阪や博多のターミナルに行けるので、同じ条件ではなく、メリットは少ないのです。その上で、負担や環境問題が出ては反対に転じるのもわかります。
 明治期ともここは違います。「我田引鉄」ではなく、「我田嫌鉄」がまかり通っています。

 国の大きなプロジェクトと考えると、一度〇〇から△△駅へ新幹線を計画した時、おおよそのルートは決まっていたはずです。そこまで行かず未成に終わりそうとか、違うところでおしまいでは約束が違う話です。 確かに長大トンネルが必要で、大深度工法で京都や大阪の都市部近くに新路線というのはお金もかかり、反対の住民も増えます。しかし、それまで作ってきた路線の人もやがて完成するからと、土地を提供し、環境に我慢をしてきた背景があります。長野、新潟西部、富山、金沢、福井と多少の差こそあれ東京とが繋がった恩恵を受けつつ、京都、大阪の近畿圏ともつながる完成を最終形スキームと聞いて受け入れているのです。
 北陸新幹線も長い間途中の長野までで、長野行新幹線と言われていました。その後、ようやく段階を経て、金沢、昨年敦賀と延伸しました。元々が東京から北陸を経て新大阪へ行く新幹線なので、敦賀で終わりとか、米原でつないでしまうのはスキームを根本的に変えなくてはいけないので、それをもっても無理筋だと思います。

 小浜からさらに西へ廻って京都府舞鶴市から、京都へ向かうという案まで復活し、山陰新幹線の布石にもなるのでそれも良いという話も出ています。負担があって便益の少ない京都府の中では北部の活性につながる点はポイントではありますが、先のナベツル線のような迂回のようで、ますます工費も所要時間もかかります。それぞれの課題、メリットデメリットは検証し終えての「小浜ルート」であり、いちいちリクエストやVARを受け付けていては試合が終わりません。

 地方と都会の格差をどう埋めて、未来の日本はどういう形なのか、JRと政府がもっと前にでて、分かりやすい希望のあるプランで国民を納得させて進めるべきところです。

北陸新幹線延伸反対の世論に思う | 天使の星座

鈴木宗男という頑なな政治家

 鈴木宗男さんのことをいつか書きたいと思っていました。今般、参議院議員を昨日辞して、自民党に24年ぶりに復党して7月の参議院選挙に臨むと報じられました。
 実は以前から野中広務さんつながりで興味のある政治家で、発信されることも正論が多く、密にフォローしていました。

 世間一般には、あまりイメージは良くなく、逮捕されたことがあり、ロシア寄り、強面で収賄、疑惑という印象が強いのでしょう。2002年、小泉政権時代に、当時の田中真紀子外相と対立して、野党にリークされて、追及された印象が強いのでしょう。有名なエピソードで社民党の辻元清美議員から「あなたはねぇ、疑惑のデパート言われてますけど疑惑の総合商社なんですよ!」と批判を受けたのを記憶されているか、のちの映像で見た方もおられるでしょう。辻元は7年後の2009年に外務委員会で「(自分が追及した案件については)裁判でもその事実は出ておらず、確証がなかった。そのような言葉遣いをしたことを反省している」と陳謝しています。
 こういう訂正はあまりマスコミは報道せず、悪い印象だけで政治家の力をそぎます。
 外務省や財務省官僚など、正論で追及されて困る場合に、何か弱みはないかとなると、スキャンダルマスコミに流し、野党に依頼して、こういう抹殺を図るわけです。

 世の中の人は、一度逮捕され、収監された人間、政治家や実業家を認めない人もいます。しかし、政治家などをよく見て見れば、逮捕されてもおかしくない人の方が多いぐらいです。決してその人だけが極めて悪質ではなく、何か官僚か権力者の虎の尾を踏んだだけというのは分かると思います。結局、田中角栄しかり、明確には何で逮捕されたかは記憶にはないけど、悪いことをしたんだろうというイメージだけが残るのです。

 鈴木宗男は頑なで一本気です。今回の辞職からの復党も別にこだわらなくてもいいわけですが、維新を除名された際の鬱憤もあるのでしょうか、筋は通しています。
 ロシアとの交渉も、悪い角度で切り取られがちですが、森喜朗さんでもそうですが、いざロシアと交渉する段階になって、誰もいないでは外交にならないのです。国会議員であれ、外務省であれ、ロシアでもアフリカでもイヤな地域とも担当し交渉する使命はあるのです。そのためには相手を良く調べ、懐に飛び込まないと話もできません。
 外交に行くと、接待を受けたり、記念写真の一つも撮りますから、そんなものでいちいち切り取ってああだこうだ報道するマスコミは、もう少しマトモになって欲しいものです。

 一番に書こうと思っていたのは、袴田さんの逮捕から58年で再審無罪判決が出たおり、国会で「法務大臣に対し、袴田さんに直接詫びろ」という要求を繰り返しました。なかなか大臣の立場ではできないという態度に激高して、「人道として法を司る最高責任者が、一人の人間の人生を50年以上拘束したことに対して、拒否する理由はない」と趣旨で何度目かで説き伏せました。
 コメや税金の壁などで、ごちゃごちゃとやり取りする国会で、法務大臣は、検察や裁判所が独立して「法に則って適切に処置します」「個別の案件に対しては、発言を控えます」と逃げればいいだけの、お飾りのような役職です。こんな時こそ、誰も文句は言わないはずですから、法務大臣は土下座してでも言い訳です。宗男氏が強く言わなければ、法務大臣の直接訪問の謝罪は無かったはずです。世間が注目しているわけでもないワンイッシュですが、こんな筋を通せる政治家はいないと思います。

 小泉首相ももはや、息子に代を譲り、田中真紀子も引退、辻本清美も自らも秘書費用の不正で一度議員辞職してとうに賞味期限切れで、あの頃の政治家が表舞台から消える中で、77歳の鈴木宗男が、自民党をどう変えるのか楽しみです。かつて離党後、地域新党を立ち上げ、民主党政権や日本維新の会とも関わりつつ、政権に対しても自分の所属に関わらず、常に是々非々の正論で煙たがられても、自分のスタイルを貫いてこられました。
 日本を変えられるとしたら、小泉ジュニアの上っ面の人気ではなく、強面の爺の正論がどれだけ多くに理解されるかにかかってきます。

こんな野党では自民党安泰?

 昨日、立憲民主党の野田佳彦代表(68)が内閣不信任決議案の提出を見送る意向を正式に表明したことに言及しました。
 こんな情けない与党応援団のような野党第一党では、次の選挙で惨敗するのは明らかではないかと感じます。

 野田代表はこの日、記者会見し、提出見送りの理由について「大事な外交努力をしなければいけない。危機管理上の問題もある時に政治空白をつくるべきではない」と中東情勢や関税交渉を踏まえた決断だと説明。弱腰との批判が出るという指摘に対し「イスラエルとイランからの邦人退避など危機管理に関わる問題だ。弱腰ではなく、責任ある態度だ」と反論し、総理経験者だけに現職時代の辛さを慮ってとの見方と解説する向きもあります。

 政治の世界はそんなにキレイなことはあり得ません。たぶん、裏では大連立や閣外協力の裏取引もあるのでしょう。
 外交や行政ももちろん政権は変れば方針は変わりますし、衆参同日選挙ともなれば、勝ち負け以前に党も国も挙げての一大イベントで、外交も官僚たちもしばし見守り、政策は止まります。しかし、そんなものは、大きな改革どころか、内閣改造など人事異動があれば当たり前のことです。良い政策はそのまま実行を続け、ダメなものは検証して変えれば良いだけです。そんな小さな傷みすら甘受できないで、どうやって国民に大きな改革を提案できるでしょう。
 誰かの負担を軽くするには、仕組みを変えていかないといけないし、そこで一時的にも苦痛が生まれる人は嫌がります。
 野党は、実現不可能な夢みたいな政策を唱えますが、そこには一つ一つ切り崩し、チャンスを逃さない姿勢でないと、政権取るなど夢のまた夢にしかなりません。

 立憲民主党内部、他の野党内にも安堵が合ったり、反対もあります。反対があってしかるべきです。

人間ドック、衰えと課題

 ほぼ年に一度の人間ドック、データの比較などもしやすいので、昨年と同じ新しいクリニック行きました。
 オフィス街にある、入院施設はないコンパクトながら設備も新しいモダンな感じです。
 健康保険(共済組合)の補助があるとはいえ、鼻からの胃カメラなどのオプションプラスで2万円強の支出です。なかなか、国保で全額自費となると数万円となり、健康のためとはいえ安くはありません。
 私の場合、1回だけ国保で、市民健診などを受けたことがありますが、初期費用は安いいけれど、胃の健診がバリウムで古いやり方です。バリウムでは良性のポリープが要再診に引っかかり、執拗に督促されるので、結局胃カメラでもう一度自費でとなると手間もあり割高なのです。

 おりしも、股関節を傷めて、少し足を引きずりながらも、痛み止めの投薬と移動時の配慮はあるものの、生活全般へのアドバイスはなしです。問診は、回答項目のチエックだけ、口頭で医師の話を聞くのは内科だけで、これも内科の範疇だけで、股関節炎は「管轄外です」とは言わないまでも、聞いても会話が続かない感じでした。

 ラウンジに置かれた、新聞や雑誌は撤去されて、元々テレビもなく、みんなスマホを見る程度です。昔いった病院系は雑誌や本がたくさんありましたし、大型テレビでMLBなども見れました。このあたりは、投資しても、結局みんなスマホしか見ないし、管理も大変だしと、ドライに切られているのでしょう。

 しかし、20年前くらいな昔は1日ドックということで、全体的にリラックスして健康のアドバイスも含んで昼食つきや1泊コースで3~4万円でした。今でもホテル近接でそういうエグゼクティブプランもあるようです。
 格差時代でしょうか、ドックに行くだけでも相当な贅沢と見る向きもあります。ドックを受ける層も、大半はリーズナブルな特定健診と、内科系で胃カメラ含めても2時間~3時間以内で実質終わります。

 これで、また要再検とかが見つかったら、再検査、治療となるのでは良いビジネスモデルであり、また何か愛想もないというのか、かつ肝心な心の健康への課題が置き去りという気もします。

 結果はまだ、教えてもらえませんが、胃カメラは昨年と変わらず、視力が衰えているのは分かりました。

 脚の傷みとともに、かつて自慢だった視力も衰え、加齢は避けて通れない確実に進むものと改めて実感しました。
 老いから目をそらさず、健康寿命のため、しっかり歩いて行くことです。これは簡単なようで結構難しい。

 

今さらのコロナワクチン感染予防効果なしに?

 関西ローカル制作の番組だと思いますが、久しぶりにテレビで見た尾身茂さんを見ました。新型コロナワクチン対策の座長だか会長だかで一時期毎日のように登場していた人です。
 ワクチン尾身氏は番組内で、「感染防止効果は乏しかった」と発言して大きな波紋を呼びました。「若者は重症化しにくく、ワクチンの副反応が強いため、接種は本人判断でと初期から訴えていた」と釈明していました。しかし、共演した橋下徹氏や倉田真由美氏らからは「そう聞いていなかった」とも反論されています。SNS上も切り取られ炎上気味です。
 報道の在り方も、若者も含めて、「ワクチン接種せよ」というムードを当時は必死で醸成していたと思います。実際に若者の接種率も高くなっており、少なくとも「若い人は自己判断です、こんなに接種してもらっても意味ないですよ」というアナウンスは無かったです。

 さらに残念なのは、番組の参加者と後でホンネを呟かれていたようで、「政府から言われたら、誰だってああいう言い方になる」という趣旨も共演者から伝わっています。

 もちろん、人間弱いものですし、自分が信じたものを裏切ることになっても、自分を守りたいし、報酬や出世欲もあります。上から命令されれば「そんなことできません」とは言えないというのは、生々しいけどホンネとして正直なものです。サラリーマンでもそういうものです。

 しかし、拒否することもできたはずであり、やはり組織の上に立つ人物が、「あの時、ああいったけど政府から言われたから仕方なかった」は残念な点です。
 それが許されるなら、国や企業の大事なことが隠蔽されたり、粉飾や虚構がまかり通ることになります。
 ある程度のインフルエンサーになると、政府の公報のような依頼もあるようですが、有名人になると、それを受けるかの判断も難しく責任は重いものです。

 そして、コロナのような有事には、混乱でこうなったけど、実は検証すればこうですということも政府はやらないといけないのです。
 国だって、間違いもするのですが、大きなお金を国民からの税金でやっています。戦術の判断はミスがあっても責めることはできないにせよ、検証は必要です。

戦前から近代日本を支えた女性労働

 女性の働き方について、以前繊維工場で働いたいわゆる女工さんといわれた女子工場労働者について、小説を書こうと思って調べたことがあります。

 その時も感じたのですが、戦後も平成の終わり頃になって法律も世相も変わったため、女性の労働の処遇が大きく変わりました。
 大卒女子が、寿退社までの腰かけ的就労の時代から、最近は総合職として完全に公平に女性の労働を扱われています。
 しかし、繊維工場をはじめさまざまなところで女性の労働が、戦前から近代日本を支えていました。
 明治以降、近代日本を支え、都市と地方の格差を埋めていたのは女性の労働者たちです。都会と地方の格差が大きくなったと最近も言われます。地方には目立つ産業もこじゃれたオフィスもなく、文化施設や商業施設も少なくて、首都圏に出る人や会社が増え、ますます格差が開いてきたとされます。明治から戦後すぐまでの日本の田舎は本当にもっと貧しく、凶作で若い娘が売られるとか、餓死とかの話さえありました。集団就職だとか、出世列車のような写真を見ると昔も働く場所は、都会や工場のあるところに限られていたのでしょう。貧しい農村などでは、人身売買まで行かずとも、家計のために女子が工場で働くのがいわゆる女工哀史のはじまりであり、そこまで集団化しなくても女性の鉄道員という仕事がジャンルとしてできたわけです。
 男性の労働も過酷な時代ですが、明治から近代までの働く女性には過酷、悲惨さと危険さが伝わり、選択の余地のない貧しさがあります。
 週休二日制で有給もあり、残業手当も育児休業もあるのは当時見えることもなかった夢の未来です。
 
 明治12年2月、当時の新聞の女性踏切番の事故死から記述は始まります。線路工の夫が踏切番もさせられ、家族までそれに従事させられられるという、明治悲惨小説の世界が現実にありました。
 その後、出札、車掌、運転士と徐々に職種は広まるが、今なら性差別、ルッキズム、ハラスメントあるあるの雇用で広がりました。
 原爆投下時の広島の路面電車でも、戦時下の男性不足を補うために採用されていた女性を描くドラマもありました。。「太平洋戦争下に、男性の代替として鉄道は女性を大量に動員した」この史実よりずっと前、1900年より前から女性は鉄道員として働いていました。
 「服従」「緻密」「温和」が女子の通有性と、今ならとんでもなく炎上、批判される言葉がこの本にも書かれています。

 戦後の本格的な「女性の社会進出」の男女同一の労働とは乖離した時代の暗部との関わりが浮き彫りになります。
 記述は専ら終戦まで、鉄道ファンでもそうでなくてもわかりやすく、個別な事例を詳細に書かれています。戦後は、女性鉄道員は減ります。新憲法下の労働基準法が「女子」の保護が主目的にせよ深夜労働禁止を掲げたため、20世紀の終わりまで門戸が狭められたのは皮肉なものです。

 パワハラもあり、それ以上に事故などの危険と女性としての危なさもあったでしょうし、労働環境の悪さは書きだすときりがありません。
 しかし、今の男女平等、雇用機会均等というのも、どうもそれぞれの適正の仕事を割り振りすることをできなくしているような気がします。
 そんな時代でさらに、AIやロボットが男女の別もなく台頭して、人間の簡単な仕事は無くなってくるのです。改札機や券売機も減り、旅行をするにも切符の手配はネットか、駅の機械相手です。
 女子鉄道員、バスの車掌さんなどの、温和で親切な対応を懐かしむ人もいるでしょう。

書評:澤田瞳子『孤城春たり』幕末に咲く

 備中松山藩の儒学者にして藩主の信頼も厚い山田方谷を中心に描いた群像劇です。彼は多額の借財を抱えた藩を有事の備えに大砲や外国船を買えるまでにしました。藩政改革と財政再建のサクセスストーリーだけでなく、誠を貫き、民を思い、人を育て、国を憂う熱い人びとの物語です。
【あらすじ:ネタバレ】
 備中松山藩で藩校校長と私塾「牛麓舎」を開き多くの育成した有為の人材、義理の息子山田耕蔵、国家老大石隼雄、牛麓舎唯一の女子お繁、臥牛山の山城番頭の浦浜四郎左衛門、ダメ男から改心して操船技術を習得した塩田虎尾、熱き心と武術に秀でた熊田恰ら松山藩士は動乱の幕末をどう乗りきっていくのか、長い物語ですが特に後半は息もつかせません
 山田方谷と、そこに関連する人物たちが章ごとにサイドストーリーを積み上げ群像劇として幕末の悲劇へと進みます。
 方谷が仕える藩主は七代藩主の板倉勝静 松平定信の孫で幕末では徳川慶喜と行動を共にして備中松山藩も朝敵と攻められる。恰は冒頭方谷のやり方に異を唱え命を狙おうとするが真意を理解し身を呈して方谷や備中松山藩を護る。勝清も薫陶を受け難局を乗り越える。
 藩主が松平定信の末裔、ましてや幕閣でもあり徳川慶喜と行動を共にしていたことで松山藩は朝敵にされてしまう。当時の武士ですから、現代の会社などでもそうですが、上の指示には簡単に歯向かうことはできないのです。その立場、立場に苦しい決断があります。

 同志社出身の作者のサービスか、操船技術を学ぶ虎雄らの前に、マイペースな個性的なキャラとして新島七五三太(後の新島襄)も登場します。
 備中松山という、今の岡山県高梁市が主舞台ですが、江戸や京都,大坂の場面もあり、多くの群像の生涯を描くまさに大河ドラマの素材になってもおかしくない作品です。方谷が本や歴史が好きな人でもネームバリューがなく、女性の登場人物が少ないのが映像化にがは難かもしれませんが、逆にこのような魅力的な人物にスポットを当て物語を膨らませた作者の才に感心します。

 登場人物を通して語られる、江戸期の藩の財政改革、その後の幕末の傷みを伴う維新への想いが印象的でした。
『人は長らく着古した、古い衣をなかなか捨てられない。なお用いる手立てはないか思い悩むのだ。まして一国の政(まつりごと)ともなれば、丸ごとの仕立てなど容易に行えるわけがない』

 物語後半は、まさに260年続いた徳川の天下がついに終焉し、『大政奉還』から『明治維新』を迎え、加速をつけて内戦という大きな犠牲とともに方谷の唱えた国の大きな変革が現実のものとなります。そして、皮肉にも母体の備中松山藩は筋を通したばかりに賊軍扱いとなります。

 江戸時代の人材交流や各藩の政治の戦略にこれほど暗闘があったのかも興味深いです。政が変わるのは大変なことであり、それでもいつか大きな改編の時期も来るのだとは歴史が証明しています。

不倫の禊ぎ期間は?男女格差は

 昭和の時代には、先ごろなくなった長嶋茂雄さんのような一世を風靡し、時代を象徴する人がいました。『天才』というとADHDなどが疑われ、周りの理解が進むようで、逆に今はグレーの人が住みにくく『空気を読む』ことが強制されるような気がします。
 
 芸能界や政治の世界でも、不倫スキャンダルが話題になっていて、一国の運命を左右しかねない選挙の政党支持が、不倫のスクープで大きく変わる局面がでてきました。

 しかし、不倫に関して最近の日本は潔癖というか大変厳しいものです。スクープ週刊誌に一度報道されると、契約していたCMは止められてしまい、次の地上波ドラマ出演の話は難しくなります。仕事を奪われ、収入の道を絶たれ、社会的に制裁されるこのレベルは一般人の罰金にすれば、とんでもない金額の過料です。
 別に期間などの決まりはなく、報道を見た庶民がバッシングしておさまるかどうかです。これは少し理不尽な話です。確かに当事者のパートナーは心を傷つけられ、怒る問題ですが、示談などが済めば『ゴメン、もうしない』と謝罪して納得すればそれで終わりの話ではないのでしょうか。

 とくに清純派の女性は致命的なものがあり、CMを続けようというスポンサー会社には執拗な抗議に電話が入るようです。
 他人の恋愛事情など、演技や政治には関係ないと思います。しかもなぜか、男性はあやまってしばらくすると復帰できる例が多いのに、女性、とくに男性受けするようなタイプの方はなかなか世論は許さないようです。

 今回、山尾志桜里さんの国民民主党の参院選公認取り消し問題はさらにひどいものです。
 別に山尾さんを庇うわけでも、どこの政党を推すのでもなく。党が本人の過去の不倫事案を承知で公認を出しておいて、世論が過去の問題を許さず党支持が下がると公認取りやめ、党籍除名とはいくらなんでもやり過ぎです。
 国民が山尾さんの過去からの行動や発言が気に入らないなら、投票せず支持しなければ良いだけの話で、立候補させないというのは酷すぎます。
 不倫問題で、責任を取り当時の党を辞めて、数年経過して、どう考えても通常の禊ぎは終わっただけの時間は経過しています。禊ぎが終わったかの確認を含めての審判のための選挙であり、その出馬すらできないというのはどうかということです。
 それをあえて騒ぐならば、不倫問題で選挙に出る出ないの禊ぎの期間はどのくらいか、法律で決めるべきです。
 その後に出てきた候補者が過去にこういうことをした、こういう発言をした、今はどういう見解をしていると、来歴や広報を見て投票するのが選挙です。言葉を荒げますが、選挙に出る出ないまで、週刊誌の報道で作られたムードで左右されては、愚民扱いされた、衆愚政治です。
 本来、憲法で定めた被選挙権の資格を持つ人を、公党が振り回し、結果立候補させないというのは、とんでもないことです。不倫は良いことではないですが、それだけで刑事事件にはならず、殺人や強盗、不同意性交罪などとは違います。
 女性はとくに同性に対し、いつまでも嫌悪する傾向があるようですし、山尾さんの場合は野党出身ということで保守支持者にも強い反発があります。

 しかし、東大法学部を卒業し、司法試験合格で検事にもなった大変優秀で頭の良い方で、政治に情熱を抱いて議員となっていて、いくつかの論説では保守や左翼問わず唸らせる国家を思う強い意志はある方で、ここで抹殺するのはやはり惜しいです。日本会議が主導する団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の集会「第23回公開憲法フォーラム」に、櫻井よしこ、菅義偉首相、下村博文、足立康史、田久保忠衛(日本会議会長)、中山義隆(石垣市長)ら、改憲派の人々とともに参加しておられ、自民党からの誘いもありました。菅義偉首相の不信任決議案には議員時代に提出には共感できないと、複雑な思いもツイートしていました。
 
 いかにも肉食系女子が、色仕掛けか軽いノリの野党党首の勧めで、公認を受けたのというのは印象操作による誤解です。世論の総スカンで公認取り消しはいかに理不尽な話になってしまい、結局迷走させた国民民主党自体がこんな措置をする政党なら、過去に一切傷の無い聖人君子でない限り頼まれても選挙に出なくなりますし、公認と取り消しの対応でも、すでに支持を失っています。
 残念ながら、政治が国民のものでないとか言いながら、週刊誌のスキャンダルを鵜呑みに、集団リンチをするようなレベルの低い国民では、いつまでたってもオールドマスコミや既得権者の思うままです。
 コメ問題が注目されますが、税制や官僚体制全体が、戦後80年老害化し、やりたいほうだいの放蕩政治が続いています。
 国民はこの状況を変えることのできる人材を選び、政党を選ばないと、日本は沈みます。つまらないスキャンダルなどに惑わされず、選挙では公報や政見放送、過去の言動にも目を通し、時に友人や先輩と議論し、一票を選ぶことです。
 新しい長嶋茂雄のような人がどんどん現れ、女性閣僚も増え、切磋琢磨して日本を良くする、政治に向かうことを躊躇(ためら)わせてはいけないのです。