自民党総裁選2024

 何とか、民主党代表選を並列に並べたがるマスコミもありますが、実質総理大臣に指名される自民党総裁を決める、与党内の選挙は公示され、27日に開票され、総裁が決まります。

 岸田さんは新鮮ともいえる平凡なイメージから、党内の派閥の裏金問題で一気に支持を失い、不人気ワーストを更新し続けました。
 かと言って自民党が政権を失うわけでもなく、トップの首が変わると、ご祝儀のようにしばらく支持は上がるでしょう、それは誰がやっても同じです。
 そのなかで、本人や閣僚の失言、失政が目立ちだすとまた凋落することの繰り返しでしょうか。

 誰がやっても大差はない。

 これは、自民党に限らず今の政治構造の劣化.若い無関心な人に言わせれば【オワコン】化しているからでしょうか。

 政治や議会に携わる人は。大半は優秀で真面目にやっておられるでしょう。与野党、事務方問わず戦後すぐの時期よりも、全てに垢抜けした仕組みもあるはずです。

 それでも、ここまで政治の劣化といわれ、新総裁、新総理に期待感がないのは、その既得権からの古い仕組みを、徐々にでも変えることが数十年なされていないからなのでしょう。思想とか保守革新、関係なしに、立法府は遅れています。

 政治の本来をどこかで見直さないと、誰がやっても同じの無関心は続き、国は衰えます、

田中角栄1983年北陸

 北陸新幹線が今年3月ようやく敦賀まで延伸されましたが、大阪まではルートがなかなか確定せずに、小浜から京都駅周辺と具体的になっても、米原案が浮かび上がったりしていますが、リニアともども大阪までいったいいつできるのかもわかりません。

 全国に新幹線網をと「日本列島改造論」で唱え、公約した1972年に総理大臣となった田中角栄、日本の高度経済成長を支え、地方への交通網を大胆に広げました。日中国交正常化はじめ、さまざまな政策を実現しましたが、1974年金脈を追求され辞任に追い込まれます。1976年にはロッキード事件で逮捕されました。1983年は実刑判決をうけた後、衆院解散でなお圧倒的な得票で当選したその年です。

 この演説で、感心したことがいくつかあります。

 やはり、演説としてのパワー、求心力が違います。を集めは
キャリアを見ても、自民党が創生した政治家だということもありますが、学歴でもなく仲間を当時の派閥(佐藤派)から一気呵成に独立し権力を奪った野心はすごいです。

 そして、国民を想い、地元民から愛される、地方にかける思いは。東京主体で、首都圏でなにもかも決めまかなう今と違うことを痛切に感じます。地元に明治時代からの、生き方があり、産業があり生活があることが熱く長く語られます。

 だからこそ、地方に新幹線や高速道路が必要なことが良く分かります。この前年1982年に東北と上越の新幹線が出来ます。しかし、それ以降ここでルートまで語られ、昭和70年?1995年大阪まで開業するとされた新幹線は国鉄の事情もあり、それから30年も長く日を見ませんでした。当時も新潟の西部を通り、富山、金沢、福井と繋ぎ、小浜からの大阪、米原からの名古屋も一気に今の北陸新幹線案を進めるような話でした。

 環境問題も騒がれない時代で、国鉄は大赤字でも進めるつもりだったという無茶な前提で、田中失脚以前に無理も多かったのでしょう。

 それでも、夢を語り、地方や国民の心に響く、今の自民党総裁選にない言葉が多くありました。

憧れるのはやめましょう 差別と格差の助長

 以前にも、高額報酬の方がエライのではないということを書きました。↓
 同期や同窓というのは、基本的に気さくなもので、公の場を除けばざっくばらんに役職や出世に関係なくフランクに話せるはずです。
 それでも「勝ち組、負け組」「出世頭」など格差を気にして、強調するイヤな言葉も耳に入ります。
 反面、今日もドラマなんか見てまして、きれいごとかもしれませんが、「平安貴族で身分が高ければ幸せではない」なんてのが耳に入りました。
 もちろん、自然に地位やお金が手に入ればそれに越したことはないかもしれませんが、他人から見て羨むものでもないのです。努力して手に入れば、当たり前でもありますし、背伸びして家族や健康やら犠牲にしていても幸せではないでしょう。
 マクドナルドのCEOのお話では、人生のジャグリングボールの中で、仕事は落しても戻ってくるゴムボールだが、家族、健康、友情のボールはガラスでできており、一度落せば壊れてしまうとされています。


 エライという定義もなのですが、社長や大臣、医者、教授、弁護士、一流アスリートやアーティストといった肩書を称え、敬い、憧れることは間違いではないです。無名人よりも、一目見たり、握手したり写真を撮ったりもしたくなる心理は私にもあります。ここを議論していると勘違いして来る人がいました。
 かと言って、本当に社会に貢献しているのは、高額報酬の人だけではありません。
 日々、農業や漁業、畜産で日本の食糧を支えている人、土木や電気、水道、ガスなどのインフラ、ライフライン、自衛隊や消防、警察などの現場にいる人がいなかったら、社会生活はなりたちません。
 この人たちが、高年俸で稼いで、すぐ辞めたら社会は困ります。

 世襲の、同族企業の何代目かの社長さんだって、もちろん苦労もあり、責任も負い、経営は楽ではなく、ボランティア活動で無償でゴミ拾いしているより、エラくないわけがないという議論もあります。
 収入や肩書は、それでも私のここでの論説中の基準ではエライのバロメーターではないのです。
 社長さんが平社員よりエラく、世襲よりも創業者、一代を築いた松下幸之助、稲盛和夫とかの創業社長はもっとエライという議論もありますが、エライの意味合いもいろいろ違います。伝説であり、時代も違い、美化もあり、もはや比較もできません。織田信長とか聖徳太子と比べるのと同じ、今そこにいないので自分と比べてエライも何もないのです 
 一代で巨万の富を築いたとはいえ、GAFAやIT長者、ベンチャー社長が必ずしも尊敬されているわけでもありません。
 だいたい、社長よりも現場のエンジニアや営業、事務がエライものなのか。
 大学で教鞭をとる人は、高校や中学の先生よりもエライのか。
 病院の院長は、当直医師や、看護師よりもエライのか。
 大臣や官僚、国会議員は、自治体のインフラ支える職員よりも、給料に見合って大変な仕事をしているのか。
 電力会社の社長だって、原発作業員よりハードな仕事をしているのか。

 お金をたくさんもらっているとか、役職や肩書が大したものじゃないのは、十分証明されています。
 森博嗣さんの著書も紹介しましたが、成田悠輔さんもSNSで言ってました。
 社長なんて一人の力で成れたわけではない。
 社内営業、コネ的努力。幸運や人の引きや、時代背景など、さまざまな偶然が重なって、稀有な運命でその立場になるのですが、その過程は決して尊敬できるものではなく、「ラッキー、ついてた」「したたか」という妬みの言葉しかないものです。
 その程度のものです。偉人もいますが、努力もあれば、幸運も大きいものです。憧れるようなものではないのです。
 〇〇士とか、〇〇ナーとか〇〇タントなど、資格だと言って、ピンキリですが、お金も時間もかけその仕事に就く努力をしたのだから、当たり前。その分、高額な仕事に就きやすい。それだけです。それ以上でもそれ以下でもないことです。幸運な人を尊敬し、不運な人を蔑視するのは、逆です。
 「憧れるのはやめましょう」
 

最もエライ働き方は無報酬、低賃金か – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

学歴、職歴、収入、資格がエライわけではない – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

NHKドラマの功罪

 戦争や忘れかけていた歴史を思い出させ、しかも役者も頑張って、よく作りこんであります。そういう話はやはりNHKでしかできないし、民放や今いきおいの配信でも映画ですら難しい企画、内容のドラマです。
 8月の原爆投下や終戦記念日近くにも、サムネ写真のようなそういったドラマやドキュメントを放映します。また若手の人気俳優が主演する朝ドラでも、女性の半生を描く関係で戦時下が描かれることも多いです。
 今放映中の「虎に翼」は女性初の弁護士、裁判所長を描く意欲作で好評なようですが、そこでも主人公の夫や家族の戦死や、空襲の場面も描かれていました。昭和の疑獄事件から、戦時下を経て、新憲法公布、原爆裁判、安保闘争、男女平等、と法曹界をとりまいた、さまざまな歴史を上手く描いています。
 NHKでは朝ドラと並ぶもう一つの柱、戦国時代などの歴史を1年かけてやる大河ドラマの方も、今年の「光る君へ」は好評のようです。
 戦争モノでさえ、70年ほど経過で事実がどうかわからなくなっていますから、平安時代など創作部分も増え、会話も現代風です。細かい歴史認識とかをあげつらっても仕方ないのですが、歴史を都合よく変えることは、やはり視聴率の高いNHKだからこそやってはいけないのです。

 NHKがフィクションのドラマとしてやっても、歴史や時代背景からモデルはいるとされます。
 また実名で登場したり、よく似た仮名など、実際の人物とともに報道される場面があったりすると、NHKがやっているから「これが歴史なんだ」「この人はいい人物だった」ということが刷り込まれます。一人の業績や、一つの事件の背景には、諸説ある場合があっても、ドラマのストーリーの中で都合よく主人公とからむため、悪意はなくとも曲解されたり、美化されたりしていくのです。
 保守の方から見てNHKの報道姿勢に不満が多いのもありますから、戦争の描写はとくに問題はあります。しかし、それをためらってばかりでも、歴史を描くことはできません。「諸説あり、両論併記、製作者の見解」というスタンスをよく理解してもらうような姿勢も必要です。
 まして、視聴率のためや個人の好みや私腹を肥やすために出演者を選択したりするドラマ、業界を築いた偉人であっても、一民間企業の経営者をモデルにして結果として大きな利益を与えるようなドラマは、公共料金を使ってはいけないでしょう。
 

大阪が進化している

 普段、古都の落ち着いた街で、右京の太秦から京都御所の間の通勤で、高い建物の少ない町に慣れているので、東京はもうビル街が圧倒的過ぎて、現実味がないくらいです。
 大阪は近いので、未だに遊びにも行きますし、最初に実家以外で住み、長く勤めた都市でもあり、その変貌が見ておきたいとも思います。
 鉄道やら買い物、演劇や展覧会など「点」として通過したり、ピンポイントで行っても、万博を控えまとまっていろいろできてくるパワーにはやはり圧倒され、チョット付き合うのには疲れそうです。

 万博は小学校の大阪万博に何度も行き「制覇」したぐらいなので思い入れはありますが、そんなに強い期待感はありません。「行けたら行くわ」程度の思いです。

 最近では西梅田側にも、大きなビル、施設が複数でき、ウメキタ側にも芝生の大きな広場などできあと数年でさらに進化、完成する空間が広がっています。万博景気、さらにIRと、新駅、新路線も広がり先進性、利便性の高まりと、イベント効果で当面大阪は上がり目でしょう。
 西梅田近辺は10年ちょっと前、通勤にも四つ橋線を使い、取引先の新店舗の立ち上げにもかかわり思い出深い場所です。中央郵便局跡は更地にされ、屋台が出たり、サーカスなどイベントをやっていました。ここにKITTEという切手、郵便局を想起させる商業ビルが建ちました。
 劇場もあり、良いテナントも入っていますが、イマイチ「官」の匂いも残すのが面白いところです。
 まあ大阪は東京ほどではないにしろ広いし、一通りに行くには少し時間もかかりすぎ、気持ちとしては遠く感じるようになりました。大阪は京都より平野も多く、企図された公園も多くあり緑は案外多く、住むのに悪いところではないです。文化や芸術、スポーツイベントも当然開催頻度も高いので便利ではあります。
 しかし、私は人が多い所より、ローカル線や廃線鉄が好きなので、好きなイベントや経由地以外ではそう無理には行かないでしょう。

公務員も病むほどハードな面

Silhouette of two close friends rising hands to the sunrise

 ちょっと現在進行形のところもあるのですが、過去の経験、事象もふまえて一般的なこととしてご理解ください。
 公務員というと、安定していて、時間通りに帰れて、チンタラしててもクビにならない楽そうな仕事をしているように思われがちです。公務員は比較的頭のいい方が安定志向で選択する職業という面があり、一定の共通したパーソナリティがある気がします。

 未だに昭和、平成のようなパワハラのようなブラックな面もあるところが残る民間に比べて、公務員はいいように見えますがハードというのか、とにかく仕事は沢山多岐にわたりありますので、部門間や個人差が多く存在し、そこには理不尽な不公平もあります。

 組織としてはイッキに改善が難しく、統合や組織変更がすぐにはできないので、結果としてヒマとか予算が潤沢な部署もあれば、忙しく人も予算も足りないところもできます。
 そこらあたりの、ヒマな部門を見て役所は無駄が多いともみられます。忙しすぎて病んだ人もいるのですが、病んだ人を多く抱えたままになってしまいます。
 また、そういう批判的な目で公務員を見る、一般の厳しい目が一部にはカスタマーハラスメントにも捕らえられ病と溝は深まります。
 キャリアは現場を知らず、別の出世競争に勤しみます。そのしわ寄せは中間管理職や真面目な職員、現場の非正規職員に行きます。
 組合もありますから、職員は楽とか、契約や非正規が就業規則通りの場合は、全てが中間管理職に行く場合があります。
 

 何人か私が見た人の中には、スーパーマン的というかブラック企業なみに働いて、休まず、自らサービス残業をして、身体も精神も酷使している人がいます。自分の出世のためならいざ知らず、何となく義務感使命感にかられ理屈に納得して自分だけしょい込むのです。ここまで追いつめられると、人間の弱さが出ます。肉体か精神にほころびが生まれます。将来の持病や気質の悪い面、そういうものが「もう休め、辞めろ」とサインをおくるのでしょう。
 こう書くと残念な感じですが、良い人の場合が多く、市民目線や傍から見れば便利とも言えるぐらいよく働くのです。

 そういう人と、前記の働かない人が混在しているのが公務員です。民間と変わらない?もちろん民間にも格差はありますが、民間だとあまり働かないとクビになります。だから公務員のその格差が大きいような気がします。

すべてコードですますスマホの進化

 チエーン系の飲食店では、もうタブレットタッチや手持ちのスマホでQRコードを読んでのオーダーがあっという間に一般的になりました。愛想はないし、操作に戸惑うIT難民もいますが、なかなか注文を取りに来なくてイライラするとか、繰り返しても間違えて届くとかもなくなりました。店側も楽でしょう。
 鉄旅も、昭和から変わらないような、車窓や駅風景、古い車両もありますが、切符をはじめ乗り方や楽しみ方は変わりました。こちらもスマホで撮影はもちろん、切符の決済も可能になり、紙の切符や券売機も減ったばかりか、ICカードもスマホに取り込まれて、イッキにコード決済になろうとしています。

 スマホで、今どこにいるか、何キロで走っているとかを見比べて楽しむ方も増えています。混雑や運休、路線変更の情報も手に入りやすく、車掌のアナウンスもあまり必要なくなりました。
 時刻表や各駅の到着時刻、運行情報も最近は「QRコード読んでください」と新幹線は座席の後ろにコードがあるだけです。かつては駅にも、車内にもあった掲載の時刻表、ポケット時刻表もいつの間にか完全に消えました。
 こちらも、つい案内をするとき、URLやQRコードで済ませてしまいがちですが、手紙などだとやはり、内容な書かないと礼を失する者ではとも思います。スマホのスキルや知識などは個人差の多いマダラなもので、まだこれはできてもこれはできないということも多く、その辺は配慮しないといけないでしょう。 
 CITAとい地域のボランティアで、町内会などにスマホやパソコンを教える活動をしていますが、みんな不安も抱え、いろいろです。ここまで安全というスキルや知識の前に、どんどん情報が押し寄せてくるのが怖い時代です。

ハラスメント社会

 兵庫県の斎藤知事のパワハラ問題が特に関西では派手に報道されています。部下の局長が自殺し、内部告発もされて、いろいろと判明したことがあり、百条委員会なども開かれマスコミも連日バッシングに入っています。知事は辞職を否定していますが、もはやあることないこと突つかれて、厳しい情勢でしょう。

 ワンマンの暴君や、パワハラ、セクハラ、名前を変え種類が増えても昭和の遺物でもなく、平成、令和に至っても絶えることはありません。

 今はコメンテータなどで注目され、明石市を日本一の子育て優遇で人口増加させて実績を上げた泉房穂元市長も、部下に対するパワハラで一度辞任しています。
 私自身も企業で管理職になった時、パワハラやセクハラと相手には解釈されて、何度か人事総務や労組に説明と善処を求められたこともあります。
 若手時代から中間管理職までは、かなり徹底的にパワハラを受けた方ですが、「受けた方がこのぐらいはオレはもっとやられた、見て来た」では通らない。不適切が通る時代を生きた損な役回りとも言えますが、未だにハラスメントはあちこちでくすぶり、表にも出てきます。
 令和で私のいた会社も完全ホワイトになってと思いきや、やはりチラチラ聞くのは、少し形は変わっても厳しいハラスメントはあるようです。私は平成の終わりごろはもう年齢も年齢で上の人はいなくなり、気を使われるようになっていただけで、気づかずにハラスメントはあったのでしょう。

 なまじ、管理職ぐらいになった方が、トップは言いやすいということが兵庫県知事の場合でもそうですし、企業などの最近の職場でもあるようです。「管理職イコール罰ゲーム」とも言われ、優秀な若手が管理職になりたがらないのはこういう点もあるかもしれません。
 人により受け方も違いますし、やりすぎとか権利を行使しすぎて、経営や管理がかえって成り立たないという意見もあります。明石市長ではありませんが、強引にでも進めないといけない事業だったということもあり、他にうまいスキルが見えなかったとかもあるのでしょう。

 もちろん人権というのは守る、守られるのが前提ですが、差別とか優劣はしっかり信賞必罰にしないと、小学校の競争でみんなにメダルを挙げても、世の中にはまだまだ金メダルを賞賛しメダルを取れないと非難される風潮があり、それが厳しい社会の現実だということは、やはりどこかで最低限学ばないといけないことだとは思います。
 

収まって欲しい令和のコメ騒動

 少し前から大阪や名古屋の都市部のスーパーからお米が消え、全国に広がり大騒ぎになっていました。新米は出てきましたが、値段は高めのようです。南海トラフの警戒情報で、水やコメを備蓄する人が増えたのがきっかけのようです。我が家も家計的にも大変ですし、まず非常用以前に毎日炊く分が枯渇しかかり、少しパニック感もありました。私も旅先で家族から電話で依頼され、田舎ならまだあるから買って帰れて、ローカル線でコメを抱えて帰りました。戦後のヤミ米買い出しのような感じでした。

 戻るとちょうど、シャディのカタログを貰ったのがあり、早速配達可能なコメギフトを注文、あとふるさと納税でも新米を早めに送ってもらえそうな自治体から18キロほどを抑えておき、当面不安はなくなりました。しかし、そこそこのコメを買っているので、激安で買えた時期よりは大きな出費です。
 政府が備蓄米を放出せずに、価格は安くならなかったというのは、賛否言われています。農家やJAのため、良かったのか、既得権の擁護のため消費者にしわ寄せ、ワリを食ったのかはわかりません。
 コメは長い間、日本の主食で保存性もあり、貨幣の価値があった時代もあり、価格が統制されていた時代もあります。農家の作り手がなくなることを想えば、もっと儲かるように価格は高めでもいいという説もあります。ただ今回の騒動を見るに本当に農家が儲かるのかなとも疑いはあります。元締めのJAはじめ、流通や販売が儲けて、余れば値崩れしてしまうのでは、それも問題です。こうい危機を煽って、あくどく儲けるものこそ取り締まるべきです。
 農業保護の政策とは別問題ですし、結局コメ離れにつながればもっと深刻です。

応急手当WEB講座

 目の前で誰かが倒れてしまったとき、
 あなたは助けることができますか?

 特別な資格がなくても、誰にでも行えるのが応急手当です。
 万が一の緊急事態に備えて、適切な応急手当を学び、
 日頃から身につけておきましょう。

 とういことで、職場の輪番に当たり、総務省消防局の応急手当WEB講座を受けました。

 町内会の消防と体育は大変なので避けてましたし、田舎に転勤しても消防団なんてまっぴらごめんでした。消防訓練は消火器の使い方を覚えれば何とかで、救急はめんどくさく感じていました。
 まあ半分イヤイヤ、スキマ時間に受けた講習ですが。ためになりました。救急車は来る時間は地域にもよりますが、有料を検討するなど年々遅くなっています。
 都市部では渋滞でなかなか来ませんし、田舎は消防署との距離もあります。
 救急救命士が来る前に、近くのAEDを使い、人工呼吸や胸骨圧迫をやれる人が増えれば、突然死や、重篤な後遺症になるのも防げることがあります。
 救急車が来るまでの数分、少しでもできることがあれば、大切な人を守れますし、他人を守るということは、巡り巡って自分も守られるということです。
 そんな機会に巡り合う確率は低いと思われますが、危機管理、保険的なものは低い確率のリスクへの備えです。応急処置やAEDの操作や知識などは誰でのタダで身につけられます。町内会に必ず一人ぐらいは詳しい人はいるでしょうが、いざという時その人が救急車より早く立ち会ってくれる確率はさすがにゼロ近似値ぐらい低いでしょう。おろおろと救急車がくるまで数分手をこまねいて見ているかできることはやるか。親兄弟、家族も友達も高齢になれば、そういう場に出くわすことは増えます。また自らの周りの人にもこの知識や意識を広めることも大切です。

応急手当WEB講習 (fdma.go.jp)