沁むる哀愁の鉄道物語

  今年は北陸本線の海沿い旧線廃線跡トンネル等を見て。敦賀までの新幹線工事の進捗もチラ見しました。全通から105年を過ぎた長大な鉄道、列車や駅に多くのドラマがあることが良くわかります。
 沁むる夜汽車の物語も各地の駅や鉄道の話をまとめ、本やBSの映像にもなっています。
 鉄道も最盛期を過ぎ。メインストリームは高速道路、クルマになっていく時代ですが、都市部も含めやはり列車や駅への哀愁は独特のものがあります。
 私の世代でさえ、SLが実質的に運行していたリアルタイムは知らず汽笛はせいぜいディーゼルのものですが、何となく心に深く刻まれる音色です。
 道の駅やSA、モールなどにかつての地方益、街の駅の機能が移され、異動された人もいるでしょうし、新設の新幹線やリニアに戻る人もでるでしょう。移動に長時間かかり、出迎えや別れ、列車の中での苦悶、喜びも嗚咽もたくさん乗せて時代を走り抜けていく鉄道です。

今年もいろいろ行きました

 遠距離出張の多かったサラリーマン時代に比べると距離は短い移動でした。
 切符を集める趣味ではないけど、なんとなく捨てがたいものを整理したり、譲ってもらったりで集まってきたものたち。行ったけど残ってないものもあります。
 今年はローカル鉄道と廃線跡散策にスポットをあてました。乗り放題切符等も元取ってるようでまあ不要不急で、飲食など含めると結構な出費といえば出費でした。
 コロナのフェイズアウトが来年こそはと思います。

 一人の命の重さ

 紅葉もそろそろピークを終え、風が冷たく冬の気配を感じ暦を見るともう師走、今年も1ヶ月ちょっとです。
 晩秋から冬はとりわけ寂しさを感じます。年末年始の欠礼の便りをいただくと、意外な方の御身内が亡くなっておられるのにも驚きます。
 毎年,日本中では100万人以上の人が亡くなっています。大きな事故や災害、ガンなどの病気等、統計的に分析してみると数字になって実感はつかめないです。お医者さんや、相続や死亡の手続きする人、葬儀屋さんなどは毎日他人死に関わるのですが、いざ自分の目の前にそれが来るとやはり悲しいし、怖いものです。
 自分の身内の死、あるいは自分に差し迫る死、これは100万分の1ではなく、1分の1に見えます。
 コロナ禍の規制、自粛要請は緩みつつありますが、その状況下でコロナ罹患もあれば、他の病気、事故もああります。
 自分や家族が直面した死、その死のトリガーとなった原因を人や遺族は恨みに思います。これも仕方のないもので、何かのトリガーは恨まれてもしかたないですし、それを完全に予測して、抑えきることは難しい場合も多く、一つの原因を抑えると他のところが犠牲になる場合もあります。ワクチンの効果と副反応等もメリット、デメリットがあるのと同じです。万能な対策などありません。経済対策、水際対策も同じです。どこかで線を引くと必ず他方に不満がでます。経済を再興しないと自殺や困窮が防げないですし、それによってやはり感染の可能性も広がります。
 紅葉の葉もやがていつかは落ち葉となり流れおちていくように、人の命も栄華も尽きるときがあります。紅葉が一葉、一葉落ちたといって落胆していられないように、役割が果たされたことを厳かに受け止めていくしかないと思います。

北陸新幹線開業で先々代トンネルになる明治の遺構

明治時代の遺構、北陸本線敦賀周辺の旧線レンガで作られたトンネルです。昭和38年長大な新線の北陸トンネルができたため、いままでのルートは廃線となりました。廃線の跡の公道を散策しました。
 いくつかのモニュメント、水の滴る天井、ところどころ欠落したレンガの壁に歴史を感じます。1キロを超すトンネルでは機関士は煤煙で窒息死に至った場合もあり、トンネル工事での死者とともに多くの犠牲者がいたことも分かります。
 鉄道ができる以前は、人間が歩くか、馬か船ぐらいだったでしょう。
 そして敦賀までいくと現在は3年後の開業を控えた北陸新幹線の工事現場が見えます。さらに新しいトンネルと軌道ができると、現在の路線は旧線になります。明治にできたこの廃線は先々代ということになるのでしょうか。
 現在の技術ではトンネルで死者も出さないでしょう。時速300キロの高速鉄道が駆け抜けて明治はどんどん彼方の過去に追いやられます。
 しかし犠牲を伴いながら一歩一歩近代に進んだ日本の歩みは、いつまでも心に刻んでおきたいものです。

引退を労い、ただそれだけ #岩田稔投手

この時期の例年スポーツ界から、引退のニュースを聞きます。
横綱 白鳳や、ハンカチ王子斎藤佑樹の報にも感慨がありました。
私にとっては、阪神の岩田稔投手が今シーズン限りの引退を表明したことが、少しショックでした。
1型糖尿病を患いながら、「自分が頑張ることで、同じように糖尿病と戦っている人たちを勇気づけていきたい」の思いに当時小学生だった息子が大変勇気づけられました。糖尿病ではないものの腎臓の慢性疾患を患い、仙台の病院から京都に移った2008年頃です。東北楽天の応援は親に引っ張られた感じでしたが、関西では友達が阪神を応援しているので、自分で学校から帰ると阪神戦を観戦して応援しはじめました。
糖尿病を患いインスリン注射を打ちながら、ローテーションに入ってWBCに選ばれるほど活躍する岩田投手の話に、息子は勇気づけられたようです。
この頃、妻も乳がんの嫡出手術から薬物療法を受け入退院、残された娘とともに、結構厳しい家庭生活で、会社の仕事もなかなか集中できないほど父娘とも心が病みかけていました。
一度、奮発して4人そろって阪神対中日戦を大阪ドームの内野席で見にいきました。息子とても嬉しかったようで、新聞を切り抜いて絵日記にしていました。
どん底とは言えたこの時期、4人とも何とか明るく振舞って、乗り切れたことを今でもよく頑張れたと思い返せます。
その後、何とか毎年の生検で小康状態を繰り返し、小児慢性特定疾患から指定難病にキャリーオーバーはしたものの、息子は大学を卒業して企業にも就職できました。妻も当時の癌のステージでは多くライフイベントを諦めかけたほどだったのが、考えれなキャンサーサバイバーとなって通常に生活しています。
岩田投手自身が多くの糖尿病を患いながらも頑張った先輩に励まされ、自ら基金も作り慈善活動をされていました。
いろんな思いの詰まった引退発表、号泣されていた姿にこちらも目頭が熱くなりました。
アスリートの引退は年齢的には若く、まだこれからの人生の方が長いので、それもまた大変ですが、それぞれ素晴らしい現役生活を胸に刻みながら、元気で頑張って欲しいです。

眺望の良い2階建て新幹線は復活して欲しい

2021年10月1日昨日で営業している定期の新幹線からE4系が引退して、2階建ての車両が全国の新幹線網から消えます。
東海道新幹線では1990年頃から出張等で2階建ての100系を利用したことがあり、最初グリーンではない普通指定席にも2階席がありました。グリーン車はエグゼクティブ感が満載で威圧するような客層でした。階下の席が広々でゆったりできました。
東海道の眺めはやはり浜名湖、富士山、熱海あたりが秀逸でワクワクしました。
写真では100系2003年ラストランとなっていますが、東海道でのフルスペック2階建ての最終で、100系自体は後継の300系とともに2012年まで山陽新幹線で細々とこだまで運用されていました。
秋田、仙台に住んでいた時期があり、E4マックスやまびこはよくみかけ利用しました。ただ当時も最速列車、はやてには運用されてはいなかった、先代2階建てのE2もそうでしたが、普通自由席は居住性が悪いのがJR東日本車両の欠点でした。それと東海道に比べると山陽区間でもそうですが、トンネルが多く特に東北新幹線はこれといった眺望の良い場所が少ないので2階建てのメリットは少ないような気がします。あくまで座席数確保の、通勤新幹線という意味合いから生まれていました。
アミニティ列車として、リニア後は東海道新幹線に眺望や食堂車カフェ等を設けた2階建て車両を導入して旅の楽しみを増やして欲しいです。
鉄道の歴史としては新幹線以前は知っていますが、子供の頃から新幹線は存在し、東京~大阪が3時間半くらいかかった時代から定年前になると住んでいた京都から品川までは2時間ちょっとで、本当に早くなりました。リニアができるとまた局面、時代が変わるのかもしれません。もうリニアなど眺望のかけらもない移動手段ですから、東海道新幹線とは旅の意味合いとしては全く両極の存在です。

おかえりモネの舞台、気仙沼の思い出

朝ドラ「おかえりモネ」が登米編、東京編を経て故郷の気仙沼編です。もう10年以上前、仙台在住の時、気仙沼に遊びに行きました。
同じ宮城県でも鉄道では不便で、乗り換えて2時間以上、当時三陸道も未開通で、主人公の父も転勤だそうですが通勤は無理のエリアです。私の勤めた販売会社エリアではこの地区は同程度の時間で行ける岩手の管轄でした。
今は社会人になった長男がまだ小学校低学年で、その時はなぜか二人で鉄道旅で気仙沼とその対岸大島(ドラマでは亀島)に渡り、リフトで亀山に登り海を見ました。
日帰りなので長い滞在ではなかったのですが、その後の震災でこのリフトは倒壊したままになり、山頂に登るのはバスや徒歩になっていうようです。子供は忘れたますが貴重な経験でした。

この時、仙台~気仙沼を当時走っていたジョイフルトレインこがねというキハ59系の直通の快速列車に乗りました。この車両も2010年にはフィリピン国鉄に譲渡され、今は存在しませんので貴重な体験でした。

その後、妻と娘とも一度気仙沼を訪れています。都合2回氷と水、魚の博物館、海の市気仙沼シャークミュージアムを見ています。気仙沼の市街地にあります。モネのドラマにはサメのモチーフが何度も出てきます。この施設もなかなか面白いところです。
ここは被災して改装されたのかはよく知りません。
ドラマには水産業もよく出てきます。
震災後は知らないのですが、確かに魚やカキを中心に美味しく、活気のある街でした。人口減少等復興への課題は多かったでしょう。今年のドラマでの注目を機会にさらなる復興、発展が進めばと思います。

諸事情により夏の青春旅は終了

青春18きっぷ、この夏のトライアルは5度のうち3度までで、悪天候、コロナ緊急事態宣言、家族の入院、自身も疲労もあり9月10日までに2回の乗車日を残して今年は終了としました。
前半の2回で運賃としての元は取りましたが、少し残念ではあります。
残り2回はノルマに縛られず、ゆっくりJRを使いながらローカル私鉄でもと画策していたのですが、ここは情勢やむなく撤退です。
少し公私とも疲れて体力も落ちていますので、自粛ルール以前に無理はできません。
のんびりテレビで菅首相の退陣後の総裁選政局を見ます。
菅さん何だかだ批判も多かったし。難しい時期でした。72歳この年で言うとやはり激務かと思います。候補に出る自民党員も河野太郎氏が58歳であとは60代です。永田町では若いのかとも思いますが、一般社会ではセミリタイアや後進に仕事を譲りだす頃です。気力や体力、記憶力、判断力や、新しいことへのチャレンジする意欲等が若い頃に比べて落ちてくる頃です。
それらをカバーした人間性やリーダーシップで、難局を乗り切っていただきたいと思います。

新幹線網VS地域の足  #並行在来線#ローカル線#第三セクター

青春18きっぷ愛好家通称青春きっぱーであり、ローカル鉄道愛好家にとって、コロナ禍の減便はショックです。
そろそろ、第三セクター鉄道、地方ローカル線に関してしっかり救済する手立てを考えないと減便→利用者減→廃止へ一直線ではないかと思います。
北陸新幹線延伸で北陸本線が三セクになれば、今回大幅減便の九頭竜湖線等は七尾線城端線同様JRと切り離された孤立線となります。孤立でやっていくよりも廃止の可能性が高いでしょう。
西九州新幹線は佐賀県と大モメに揉めました。
元々並行在来線をJRから切り離すのは地方には重みです。新幹線のメリットが大きい県はまだしも、このケースは元々福岡に近い佐賀県に速達のメリットが少なく、切り離されるデメリットが多すぎるのです。
国は折れて、JRに維持を求めたそうですが、これも今まで押し付けられた自治体、南九州や北東北、北海道、北陸の自治体には公正を欠きます。念書でもとっておけばですが、今まで在来線の特急が止まり普通と接続していた沿線が、高い運賃の普通だけになっている地区はざらにあります。
青春18族にとってもこの三セクは一部例外はあるものの難所です。同じ列車に乗っていて別料金が発生する三セク乗り入れ通過もあります。そもそも大湊線や七尾線のようにJRのほかの幹線から孤立しているケースも頻出しています。
青春18などはまあ趣味道楽ですが、毎日の通学通勤通院等の足が不便になるのは問題です。モータリゼーションに淘汰されたと言ってしまえば時代なのですが、それを言うと環境のため自家用車は止めて公共交通機関にと言われる時代です。その鉄道が不便になっては話になりません。
テレワークの割合も増えたとしても、環境も含めて公共交通がどれだけ大事で維持するために地元が考え国が支援して維持し得るかは、地方活性や過疎対策、都市集中緩和も含め今後の国家強靭化の大きな課題です。

不要不急でない旅とは 旅行や観光の復活はあるのか

実は結構、友達や同僚の何人かは、この時期の緊急事態宣言やまん延防止措置の地域に、観光やレジャーに行って戻ってきています。これを不謹慎といえるでしょうか。施設やサービスの一部は休止していても、大量のキャンセルが出ることも無く、旅行会社は沖縄や北海道のツアーを取りやめてもいませんでした。
だから今の感染状況があるのかというと、しっかりしたエビデンスもないので議論にはなりません。
ただ私の知人はしっかり自ら感染対策を取り、宿泊や観光施設もしっかり対策されていた。これはもうオリンピックのバブルに近いものがあるようです。
そして数少ないお客さんはこんなんで大丈夫かというぐらい空いたホテルでゆったりと夏休みを満喫されてましたし、迎える側も少ない客を大歓迎し、もしこのお客さえいなければどうなっていたかと感じたようです。不謹慎どころか経済を助けています。この人たちが家にこもっていて果たして感染は収まったでしょうか、
感染防止の決め手は人流の抑制!と、デパ地下等が今回やり玉にあがりましたが、これまた何のか証拠もなく効果も期待薄なのが感じられます。
幸い実行再生産数は8月初めをピークに下がり、1に近づいています
観光県でも、ただ住んでるだけの人と、来てもらう立場や飲食、観光、宿泊に関わる人、あるいは旅行や運輸に関わっている人はやはり感じ方が違います。
感染拡大さえしなければ本来不要不急(そもそも定義が難しい)の旅行は歓迎されるものです。どんなに自分の県やエリアを守りたい人も本当に来て欲しくないのは感染をばらまく人だけであって、人流の絶対数ではありません。
ある程度の人流を認めると、可能性としては変異が隠れて現れたり、潜在していたものやついうっかりもあり得ますが、そんな細かいことはゼロにはなり得ません。少しずつウイズコロナの旅の在り方を考えていかないといけません。みんなが一斉に盆や正月、連休の帰省と海外旅行のラッシュとUターンの密がニュースになった時代、正月のデパートに福袋、新ゲームソフトに並び、カウントダウンやスポーツの優勝決定にバカ騒ぎで集まる時代はもう来ないし、いらないと思います。これらは限定等の煽りと同調圧力等に負けていただけです。
個々の休みの取り方は自由で、移動も自由です。密なブームや集中が経済を支えるのではなく個の意思がこれからの経済を支えます。
政府の総花的キャンペーンではなく、これからの観光や旅行に業界がしっかりリカバーできるようにフォローと理解が必要です。