沖縄いつかまた

旅行会社の我がムスメ。(自宅待機で花嫁修行中)先月中頃、オリンピック延期決定前まだ営業してた頃
海外ツアー商品が激減みんなモチベーションが下がってチンタラ。
その中頑張り屋なので、
チラシ配ったり、頑張って残った沖縄石垣旅行最後まで売ってたらしい。
中国人が減ってその時一瞬はみんな日本人が国内旅行したらと勧めた。
京都も「今はすいている」と逆手にとったキャンペーンを貼った時期もあったのに、ほんの1ケ月で今はどこの府県も来るな入るなになりました。
今、ゴールデンウィークの残った1割程度の沖縄行き予約(それでも6万→1万数千人)がディスられ、どんどんキャンセルされるニュースや情報見るのは、ちょっと悲しそうで不憫でした。
いっぱいお客さんに感謝もされてきたのに。
毎晩遅かったから今は休養して、雌伏の時。
また、いい時期も来るよ。
沖縄、いろんな問題を抱え、観光客で支えられた産業も多いが、美しい海がしばし人並みに揉まれず、静かに雌伏している時期かもしれません。

新幹線乗車率0%の衝撃

コロナ騒ぎでの移動自粛で、本来なら満員で5~10分ごとに東京駅を発車する東海道新幹線。しかも連休前の土日でさえ、自由席がなんと0%の乗車率の列車までが出る始末です。
インバウンドを当て込んで大混雑緩和のため、ダイヤを改正したばかりの各臨時列車は軒並み運休。新型車両も増結用車両も空振り、復興開業した常磐線や三陸鉄道も残念ながら他県からの乗車はご遠慮という事態です。
何度か書き、景気判断も出てきていますが、経済環境とくに運輸交通は厳しいです。何しろ旅行するな移動するなと要請されているわけですから人との接触8割ダウンが目標なのです。売上が前年2割ダウンでもキツイ世の中で8割も落ちたら、成り立たないのが普通です。
鐡道はとくに設備や車両などの固定費割合が大きく運休で削減できるコストはしれています。
たださえ少子高齢と都市への集中で、厳しい環境の地方交通はこの連休こそ、コロナの感染を防ぐため乗って欲しくないと云えても、その後が持たないかもしれません。
公共交通としての鉄道がこれ以上減ると全国のネットワークが瓦解していきます。
通学や通学、通院なのの活動に支障がくれば地域が住めなくなります。公的な支援とともに、それぞれの地元を支える人々の協力。この機会に都市部一極集中の弊害を考え、地方への分散を政策的に考えないといけない時期にきています。
何年か後でこの記事が、大したことない終息で終わっていることを願うしかありません。

4月25日【霜止出笛】鐡道はそれでも定時運行する

JR福知山脱線事故から15年

【霜止出苗】(しもやみてなえいずる)七十二候が移りまさにです。霜が降りなくなり、苗が伸びだす時期に入ります。
今日、4月25日は15年前の2005年JR福知山線尼崎での事故がありました。近年の鉄道事故の中でも特に悲惨なもので、被害も大きく、運行者の責任も大きいものでした。
残念ながらコロナの影響で慰霊や語り継ぐイベントが縮小されています。
比較的のどかな地方交通せんだった福知山線が、人口も増え通勤路線として阪急と競合しだし過密ダイヤになったことも原因と言われています。
今年は土曜日で、感染予防で不要不急の移動が抑えられ、当時で考えられないほど乗客の少ない電車が事故現場の前を通っていくのでしょう。それはそれで慰霊なのかわかりませんが、過密ダイヤの必要もないほどの利用で制限速度を守りカーブもゆっくり走っていくことを想像すると、少しだけ癒されるような気がします。
亡くなられた方ご遺族に改めて追悼の意を示し、傷害の残った方、心的後遺症の方のご苦労を思い事故の教訓を長く伝えていきたいです。
阪神間の移動が早くから制限され、今大阪も神戸も閑散としたこの時は、気忙しく『密』の中を移動してきた人々の心を、亡くなった方の魂とともに少し癒やすためにあるのかなとも思います。

鐡道事情の激変

高速鉄道の新幹線の高頻度定時運行は世界的にも有名です。その他の在来線や私鉄でも日本の鐡道早さと正確さに秀で、都市部では満員で多くの乗客を乗せても次々とほぼ大きな遅延なく運行していました。
確かに首都圏や大都市のラッシュアワーは異常な、今でいう『密』でした。
ローカル線しか知らない地方都市から東京に転勤等すると、カルチャーショックに驚き戸惑います。
そんな鉄道、新幹線、あるいは観光地のバスもガラガラの日々が突然来ました。
先日から急用で動いた友人が東海道新幹線のぞみに、指定席でわずか1~2名だったという情報に接しました。
私の地元京都でも、インバウンド需要で満員が続き肝いりで新型車両を増結しようとした特急はるかは減便でも空気を運ぶような感じ。満員でなかなか来ない乗れないだった観光地を結ぶ京都市バスも誰も乗らないので定時運行のためバス停で時間調整するていたらく。
これはこれで街が落ち着いているという見方もありますが、雇用や経営、消費経済としては大きな打撃です。

鐡道の定時運行の意義と宿命

私の鉄道旅のきっかけともなったレイルウェイライター、紀行作家編集者の宮脇俊三さんに『時刻表昭和史』という著書があります。その他の作品にも時々散見されたと思いますが1945年(昭和20年)8月15日の山形県米沢線今泉駅での鉄道の情景が描かれています。
玉音放送が正午に流れた真夏の日。蝉しぐれ。
人々が力を失い茫然とする中の情景。
しかしそれでもなお、鐡道は動いていた。
多くの人が虚脱し、絶望したはずの中、米沢発今泉13時57分坂町行きの列車は、人々を運んでいたということです。
もちろん戦後混乱期、国鉄からみで多くの事件も起こっていますし、JRになっても福知山線の前には信楽高原鐡道の事故など多くの事故はありました。しかし新幹線の死亡事故がないことをはじめ日本の鉄道の事故の少なさと正確な運行は、技術とともに日本人の生真面目な民族性の誇りでもあります。
自動車の発達はあっても公共交通機関の移動が可能なことは、訃報や病気等の急用への対応をはじめ、通勤通学通院の日常の足を支えて社会に安心と安全を与えています。
この緊急事態に臨時列車の減便、これから採算の難しい路線も出てくる可能性はあります。それでも日本は敗戦というどん底からも復興しました。東日本大震災からも常磐線、三陸鉄道も復旧しました。
日本人はやはり優秀です。
しばしこの間は人の少ない列車が走りすぎていくことを、いろんな想いをこめて見つめていたいと思います。

移動自粛で注目される都道府県境

非常事態宣言で、いろいろ制限が多くて自由な人たちはどう行動すればいいのか分からないようです。
三密を避けろと言われ、一日一度程度の外出運動は禁止されてはいなのので、ジョギングや公園に行く人は増えました。その延長で、距離をとって登山やサーフィンはいいのではないかと、休業になった人まで移動していたようです。
まあ面白おかしく報道が取り上げているきらいもあります。
大型連休の帰省や旅行も自粛を首相が呼び掛けています。
前代未聞。旅行や観光も、里帰りもするなということです。他県ナンバーが来ることを嫌い制限したい動きもあります。
県境マニアのこういう本読むような人を除き、一般の人の中で都道府県境をあまり知らずに移動している方は多いのではないでしょうか。
私は高校の時、三重県と奈良県に囲まれた和歌山県の大きな飛び地を旅してから県境に興味を持ちました。
本題に入りますが、昔は国の境を越えて旅をするには関所があったりで厳しい制限があり元々あまり庶民は旅行等できませんでした。街道が整備され旅籠が発達したのは江戸時代の大名行列も大きいはずです。
当時の旧国は廃藩置県で都道府県に置き換えられましたが明治以降少し紆余曲折し現在の47都道府県に収まりました。
旧国とほぼ近いところもあれば大きく違いがあるところや、微妙な違いや、変な県境のところもあります。
大きな河川や山の稜線が境なのはわかりいいです。平野部の住宅街など、駅やショッピングモール、大きな工場や会社敷地内に境のあるところもあります。
ざらにあるのは都市部の県境越えの通勤です。
このような場合は県を越えた移動をあまりうるさく言うのにも矛盾があります。もともと全国に二十数か所県境が曖昧なところもあります。
東京都といっても奥多摩や小笠原もありますのでひとくくりはおかしいです。兵庫県のように尼崎や神戸の都市部と、淡路島や但馬地方のような地域の差が大きい県は多くあります。
コロナ自粛で都道府県境に細かく拘ることに、行政上意味はありますが、移動の制限に関しては距離だと思います。
屁理屈かもしれませんが、都市部の人が同県でも田舎に行くのは自粛すべきです。23区から奥多摩とか、千葉の人が房総の方、神戸の人が城崎とかは移動とみなします。
逆にしっかりと、住民票を移し、何年か縛りで地方に永住するなら、2週間とかの間をおいてこの際許可したらいいと思います。コロナとの戦いは長いです。過疎地域に戻って地域を活性化するために、都市部で再開されない業種で休業していて補償のめどの立たない人は受け入れてあげればいいと思います。
とくに首都圏の一極集中、交通混雑、密の弊害、災害リスクは今に始まったことではありません。
行政なども試験的に、どんどん感染の少ない県に移していけばいいと思います。

地元を歩いて知ろう

全国に緊急事態宣言が出されゴールデンウィークまでの移動の自粛、不要不急の外出の要請もされます。
帰省や旅行も基本自粛です。
「今住んでいるところ、おうちにいてください」ということです。
連休とっても海外やら有名観光地に移動していたものは自粛してください。
海外に行くのがひと昔前では考えられないほど頻繁になっていた時代ですが、日本の同じ都道府県の〇〇市、▽▽町には行ったことがない。ということはよくあると思います。
同一府県なら移動できるとして散歩がてら,1時間か2時間くらいの距離なら。散策コースをシミュレーションしてみるのは良いと思います。人との接触を避け、自然とか歴史、地形等を普段と違う視点で気付かなかった部分を探しながらブラブラするのもいいのではないでしょうか。
観光地ではない、石碑や跡地、町名碑等探すのも面白いです。
自粛を守り、三密を避けながら一日一度は気晴らしは必要でしょう。

インパール作戦生き残りの叔父が96歳大往生

96歳の叔父、亡き父の8人兄弟の長兄が先日亡くなりました。
昭和、太平洋戦争に関わった人から直接話を聞ける機会はどんどん亡くなっていきます。
日本は満州や中国で戦争状態に入り国際的に孤立していきました。アメリカに石油を始め輸入を止められて、海軍の指揮下叔父は当初アラビア方面に石油確保の外交を命じられアラビア語。アラビアからの輸送困難と見るやインパール攻略でイギリスの援蒋ルートを遮断する作戦支援のためビルマ語を学ばされたそうです。
饒舌な叔父は親戚の集まりでビルマの話をし出すと長かった。私らは黄綬褒章まで貰った大叔父の自慢と苦労の話をよく聞かされました。
インパールは兵站を無視した無謀な作戦で史上最悪と言われる2万人以上の犠牲を出す悲惨な結果に終わります。
叔父は奇跡的に生存し帰国、もはや死んだ者と思われていた京都の実家に運ばれました。
知性と体力、叔父は何かを語り伝えるため生き延びたのでしょう。当時のビルマの将軍アウンサンと交渉したそうで、その娘が今のアウンサンスーチー女史です。
戦争を知らない世代が完全に国のリーダーになっていくことに、戦中派の叔父は平和ボケを嘆きました。
コロナの猛威を戦争と表現されるこの時代に、同世代も少なくなった中、ひっそりと叔父の宿命は終わりました。

東北の海、山、川、湖すべて美しかった

忘れられない東北の情景2~3.11

白神山地、奥入瀬渓流、不老不死温泉 五能線からの景色。秋田に2年いた間に世界自然遺産を満喫できました。八郎潟という日本最大の干拓地は四季折々の景色が奥深く楽しめました。
東北とひとくくりにされるが1県の面積が広く、他県への通勤などあまりできない距離です。
ミニ新幹線と呼ばれる秋田新幹線、山形新幹線は東北の背骨といえる山脈を横断します。しかも在来線ですから景色は素晴らしく、清らかな渓流や鬱蒼とした森も見えます。
福島は広く会津若松は、城下町らしい街並みです。
猪苗代もリゾートとしては最高の設備、ロケーションでした。
浜通りの原発事故後は訪れる人も一時的にはかなり減ったでしょう。今も福島の括りとしては会津は維新以来の厳しい時期が続いています。中通の郡山、福島も決して完全に復興しているわけではありません。常磐線がようやく全通しますが、まだまだ除染しきれない立ち入り禁止の地域が残る浜通り。
不安の少ない地域から見ると、日本から中東シリアの内戦見ているような他人事になります。しかし今も故郷に帰れない人たち、風評にも苦しむ人たち。
日本人の心のふるさと原風景。東北の復興を全ての日本人が心に刻み続けられますように 3月11日。

三陸海岸で見た桜、奥松島で見た朝日

忘れられない東北の情景1~3.11

海などあまり見ることなく育った京都生まれなので、東北の沿岸部秋田、宮城は新鮮でとても美しい景色が忘れられないです。
大阪、神戸、広島、静岡でも海は見えたが、東北の海の情景はまた独自の哀愁を秘めていました。
東北地方の沿岸部は南北に延びているため、日本海側の秋田山形の沿岸部はさえぎるもの無く西側の海に沈む夕陽が見えます。そして太平洋側の宮城岩手福島の沿岸部は真東の海から登る朝日が見えます。
毎日朝日や夕陽ばかり見ていないし、よその土地へ出かけて夕陽や朝日をわざわざ見る機会は実はあるようでそうないものです。
ずっと秋田に住んでいた女性が30歳過ぎてから慰安旅行 で人生で初めて山にい沈む夕陽を見てびっくりされていました。
秋田の夕陽は日本海に沈みます。
三陸の朝日は太平洋から登ります。
太陽は毎日、刻々とその姿も周りの色も変えていきます。
海は静かだったり、恐ろしい力で襲い掛かることもあります。そして人間も人間の使ったものも呑みこんで壊してしまい、また静かになります。
自然の力の前に人間の力の無力さを思い知らされます。高い丈夫な堤防を築いたところで叶うものではありません。
2011年3月11日、海は真っ黒になってものすごい勢いで東北の太平洋岸を襲いました。

ポーランドという国

若い人には、ワルシャワというと音楽祭等で東欧の芸術や文化の都という響きで把らえられます。
ひと昔前の冷戦時代はワルシャワ条約機構という東側の軍事同盟の尖兵にされていました。第二次大戦でもドイツに占領されロシアにも領土を荒らされます。それ以前も分轄や植民地化で国が消滅の危機を経験しています。
ショパンは最も有名なポーランド人ですが、巴里に亡命し、『革命』のピアノ曲で祖国の独立を祈りました。
日本は概ね独立を維持し続け、革命も支配も経験していません。
このところポーランド人を描いた『熱源』『また、桜の国で』といった小説でポーランドが取り上げられています。コぺル君の元、コペルニクスもポーランド人。日本には少ないですがポーランド人が何人かおり、親日家は現地にも多いです。阪神大震災東日本大震災の支援が多かったのも親日ぶりがわかります。
平和を願い世界共通言語エスペラントが生まれたのもポーランドです。
しかしヨーロッパの平原で強い民族ながら、東にロシア、西にドイツとい超大国に挟まれ、長い苦難を日本以上に経験しています。
そんな東欧の国、一度は訪れたいものです。

どんど焼き、左義長、火祭り

神戸の絆の灯を見ながら思います。
小正月1月15日前後に、正月の門松、注連飾り、書初めなどを焼く行事です。名前も規模ややり方も全国でマチマチです。
左義長、どんと、どんど、とんど、さいと、、これほどさまざまな名前で呼ばれる行事も珍しいです。概ね、小正月ですが節分近くに火祭りとして行われる場合もあります。
今年は暖冬とはいえ、外で立っている時は寒いものです。焚火やどんとがあると温まります。また火の粉が空に舞い上がる様は勇壮であり、ストーブなどが無い時代は一大行事だったと思われます。
星空も綺麗な季節。空に上がる火の粉は、書初めにしろお守りやお札にしろ、天に返すという意味あいです。
昔は15日まで松の内と言われました。正月気分も落ち着き1年が動きだしています。
どこかで火の祭りや焚火を見つけたら、少しほっこりとして、今年の無事を厳かに祈りましょう。