ネットテレビの時代

 テレビを買い替えました。

 壊れたわけではないのですが、4Kやネットに対応ということもあり、約15年ぶりの購入です。

 2011年アナログ地上波終了を前に政府がエコポイント付与をやっていた時期から15年ほどで、まあよくもったものです。

 この間個人的にも還暦、定年を迎え、子供たちも就職、このテレビも買うまでに成長しました。

 しかし、エコポイント付与は官主導の典型的な愚策だったのか、家電業界の凋落は始まります。液晶テレビで勢いに乗っていた名だたる国内家電大手はこの15年の間に、どこも大きな変革にさらされ、一部は消滅、吸収され、撤退し、日本経済とともに転がり堕ちるのでした。

 この間、ネットやスマホの普及も顕著で、ガラケーが淘汰される時代になりました。

 地上波チューナーのないテレビもありました。私の子供らはまだ新聞のテレビ欄を見てという習慣はありますが、もう新聞も取らない地上波テレビも見ない世代が親になっていき、いわゆるオールドマスコミはコンテンツを発信する一つの業態になっていきます。

 テレビも、多くのネット配信を見るモニターとしてのハードとなりました。

 たった15年、変わっていないと思いつつ、世の中どんどん変わっているのです。

 衛星放送で他チャンネル化した時も、こんなにたくさん見るものがあったら、時間がいくらあっても足りないと思いました。

 今WBCで騒がれるネトフリや、ダゾーン、ティーバーやアマプラ、ABEMA、YouTube、家族のサブスクでいろいろ見れると、何だかとんでもないコンテンツ飽食の時代も感じます。

 それでも本を読むのがまた、カッコいい。

 

 

 

楽隠居か姨捨か?高齢世代の憂鬱

 高齢化社会を迎えて、なかなかリタイアした老人が優雅に暮らせる割合は低いのではと言われます。

 昔は「年金生活」というと接頭語に「夢の」とか「優雅な」とかがつきましたが、昨今の響きは全く違います。

「悲惨な」「不安な」が頭につきそうな年金生活の人が増え、今後高齢で年金受給を迎える方はますます現役の所得代替率が下がり、不安の通り悲惨となる人が増えそうです。

 昨今の急激な物価高には、年金支給額は対応できません仕事がある場合は別にして、相当な蓄えや、副業や運用で所得がある人以外は楽隠居はありえなくなりました。

 若い人は「ご隠居さん」とか、「楽隠居する」と言われてもピンと来ない言葉かもしれません。

 それでも昔は飢饉や恐慌などもあり、身分によっては弱い老人にまで食い扶持が回らず姨捨という悲劇もありました。

「楢山節考」という映画で描かれ、昔は姨捨という因習がありました。隠れて住まわせた老人の知恵が村を救って、姨捨制度を改めたという美談もありましたが、一般には見捨てられたのでしょう。

 横山光輝さんの描く時代ものにも、忍者や剣豪が出てきます。中には高齢になった者も描かれ、生命をかけ主君のために働いたのに、身体が衰えると最低限の食い扶持で蟄居させられ愚痴る場面もありました。

 軍人恩給という年金の原点もそんな感じで始まりました。鉱山作業員も早く年金制度が整いました。生命をかけ、身体も不自由になる仕事に就かせるには年金のような福利厚生が必要だったのです。

 しかし、誰もが働けなくなる老後は不安なのであり、年金制度は発展してきたのです。

 ところが2000年代以降、日本の政府は少子高齢化社会を見据え、大きく舵をきり、支える人間側の都合を鑑みた財政優先の考えのため、年金支給を減額していきます。

 消えた年金の騒ぎや、将来年金制度が破綻するのではという煽りで、年代で区切り厚生年金の支給の計算比率を下げ、さらに巧みに物価や賃金にスライドするはずの年金支給の乗率を下げていきました。

 高齢者は増えますが、その多くが時代を追うに連れて、年金では生活できなくなりました。定年も少しずつ延長されだしましたが、年金の支給も蜃気楼のように遠ざかっていきます。

 新自由主義が掲げられた2000年代以降、非正規社員比率が増え、所得も減り、貯金も退職金も少ない人がこれからどんどん高齢者になります。江戸時代や明治大正とかの昔に比べて医療も発達し、寿命は伸びて、高齢を迎える人は増えました。

 私の家の家系でも、母方の祖父は私が生まれる前に早死にしていますし、父方の祖父や兄弟も戦死や病死が何人かいました。父母の世代になると、それぞれ80歳は超えて生き、妻の父母は80代後半で健在です。ただ、この世代は自営も長く続けるのに恵まれた時代でしたし、年金もフルに厚生年金受給だと潤沢です。私たちの世代はその30年遅れて年金支給は遅く少ない。そしてさらに若い世代はもっと苦しい世代で自分の今が精一杯になり、高齢者を支えるのも、自分の老後への備えもままならないでしょう。

 冗談にもならない姨捨の時代が来るのです。

 子供が親を大切にしてくれるのか、しかし世代としては他人の高齢者まで支えてくれるのでしょうか。後期高齢者の負担を増やせていう世論もここからきています。

 高齢者に気遣う、長幼の序など知らない世代が占める割合が増えると、本当にギスギスした住みにくい世の中になりそうです。

 育ててくれた親の世代を大切にする社会が続くのか、終わってしまうのか、世代間の闘争などない社会であって欲しいものです。これは自分の目の前のためのエゴではなく、誰もが老いは避けられない高齢者を大切にするということはやがて自分たちも老いてうく、未来の自分たちの世代を大切にするという理解を広めることでしょう。

 

今、労働組合って何してる?

 私もかつて会社員で、もちろん労働組合員だった時期があります。

 管理職になり組合員ではなくなり、最終的な親会社は規模は大きくホワイトですが労働組合はない合理的な企業でした。

 それでも未だに多くの会社が全員が加入義務のあるユニオンショップ制の労働組合を抱えているのには呆れます。

 もっと驚くのは、最近、公務員の仕事もさせてもらいましたが、多くの自治体が自治労や自治労連という組合にユニオンショップに近い労働組合とつながっていることです。

 特に共産党や社民党が上部団体の自治労連に加入しないといけない自治体がそこそこの地方都市にまだ多いことには、失礼ながら驚きます。

 組合の活動にどうこうではなく、これほど公務員の組合員を組織しながら、今や議員の数や支持者が低迷しているのが不可思議に感じます。

 組合によっては、物価高や賃金、沖縄の基地問題のデモに駆り出す過激なところもあるようです。

 本来、国や地方都市を支えるべき公務員が、左翼系の政治活動に参加させられるというのも摩訶不思議です。

 従業員の福利厚生はもう十分に達成され、一般の公務員は潤沢に有給も消化し、犯罪者にならないで無事に勤めれば4カ月以上のボーナスが貰えます。

 もう組合の活動など、タテマエだけになっています。強制的に給与天引きされ、上部団体や専従者給与に充てられる組合費をなくし、手取りを増やせばいいのです。

 政治的影響力もなく、従業員の待遇改善の役目も終わった、パワハラやコンプライアンスは別の組織がある。もはや、労働組合こそ、消えてなくなった前時代の遺物です。

 当たり前のことですが、少ない手取りから先達の高齢者を支えるならまだしも、何で組合専従者や連合や自治労連の親玉を支えないといけないのか、考えればわかることです。

2年で倍になった品目も多い

 500グラムで1000円を切っている値段の珈琲豆に思わず飛びつきスーパーに行きました。今や半分以下の240グラムでも1000円近い値段、ちょっといい豆なら100グラムで1000円超えます。

 エンゲル係数が低い庶民にとってはここ2年ぐらいの物価指数の上昇は10%なんてとんでもない。米にしろ、2倍になってるものも多いじゃないかと言いたくなります。家電とかあまり毎日の生活に関係ないもので平均をごまかしているのかと思います。

 エネルギー価格も上昇して、住宅関連など住んでいるだけで上がるものもあります。

 生鮮食料品は確かに野菜などはまだらで、上がり下がりはあります。

 しかし、大問題になった主食の米をはじめ、買い物をしている人は目に見えて上がっているものが多く物価指数との乖離も感じるのでしょう。

 確かに統計をしっかりとっているはずですが、大多数の国民を支える物価という面ではどうしてもズレます。

 テレビのコメンテーター、アナリストなども頭の良い方は官僚の巧みな説明にごまかされていますが、実際にはお金持ちで庶民感覚がありません。

 政治家も残念ながら伝聞だけで自分は毎日スーパーで半額シールの貼られたパックを買う訳ではないのです。

 年金は本来物価や賃金にスライドして上がるはずですが、統計の反映はずっと後です。ましてや賃金がそもそも上がっていない上、年金は財政健全のためマクロスライドで上がるのは抑制されていますから、待っても物価に対応する上昇はほぼないと言えます。

 普通に年金だけで生活をしている人はどう考えてもおかしいと感じるはずです。この不満と不安も逼迫したものですし、かと言って今の年金を増やすとますます現役世代が負担になるので、どこかから財源をとなってしまいます。

 しかし、年金は本来現役世代からたくさんのお金を貯めている訳で、その運用でもっと収益を上げられるはずです。国の事業で儲けてはいけないと考える人はいますが、儲けてはいないのです。多くの金融機関や保険会社などと同様、お金を集め信用創造し、運用で益金を得れば税や保険料を増やさなくてもいいはずです。時限的にもそこから回さないと、マクロスライドの限界と、急激な物価高への非対応は明らかになっています。

 次と年金改訂検討では厚生年金から国民年金に回そうとしていますが、そんな卑怯なアクロバット的愚策を考えるなら、あと2年は運用益、政府の外貨資産で回すでいいはずです。

 

老老介護の時代か

 私の住むところも政令指定都市とはいえ、周辺部の住宅地で日本のどこにも漏れず高齢化の進んだ街です。

 新築購入のマンションには住んでしたが、12年経過して住んでいる人は私も含め熟年が増えてきています。

 小学生のまとまっての登校、幼稚園、保育園のお迎えのバスも来ますが、少しピークが過ぎるとデイサービスのバスもいくつも来ます。高齢者なのでお迎えというのは冗談にも不適切と言われるのでしょうか。介護サービスに預けた後のご家族さんも少し息がつける安心感が何とも切ないです。

 散歩に歩く近所のお家も小洒落た新築もあるものの、昔からの家が多いです。

 やはり高齢者がデイサービスに来る姿も見ます。

 杖やストックで頑張っておられる高齢者も見かけます。

 私もリハビリ中で杖こそないですがそんなに早く歩けないので、概ねよほど弱った高齢者以外は先を譲るぐらいです。

 鼻歌を歌いながらマイペースで歩幅や姿勢に気をつけてさっさとは歩いているつもりです。

 ある日の、後ろから♪カラスなぜ鳴くのと「夕焼け小焼け」を口ずさむ声が聞こえて来ました。ちょうど同じぐらいの速度からだんだん近づいて来ます。

 ホラーっぽい感じですが、高齢の女性が、やはり高齢の車椅子に乗ったご主人に歌を聴かせながら押して歩いておられるのです。

 ご主人が認知なのか足が不自由なのかはわかりません。ご近所の方も、どうですかみたいな声をかけて、ぼちぼちですと無難な返事をされていました。

 微笑ましい光景でした。このこ婦人が車椅子を押せる体力と、老いた夫を気遣う優しさを持っていることに感心しました。

 夫婦が老いていき、他に家族で介護する人がいないとなり、お互いのどちらかがが車椅子を押して介護する確率というのはどのくらいなのでしょうか。

 家族なら当たり前のようで、お金が潤沢なら人に頼むとか、片方が急に悪くなり過ぎる場合や、双方そこまでの体力も気力もないとこれはできません。

 経済状態や過去の経緯など知るよしもないのですが、当たり前に介護する側、される側それなりに徳があったのではとも思いました。

 そんな徳のある人が多い時代ではなくなってきているので、やはり自分の健康、特に足腰にはますます注意していきたいとは思いました。

 医学が発達して、統計上高齢者の平均余命は長くなっています。それは健康寿命が伸びている訳ではなく、長く生きながらえるということは辛い場合も多いのです。

 やはり、棺桶に入るまで自分の足で歩いていきたいものです。

http://seizafpkotodama.com/2026/02/14/%e3%80%8c%e6%a3%ba%e6%a1%b6%e3%81%be%e3%81%a7%e6%ad%a9%e3%81%93%e3%81%86%e3%80%8d%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%81%a8%e6%ad%a9%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%91%e3%81%aa%e3%81%84/

人生後半へのヒント?

「島耕作」シリーズや「黄昏流星群」などで知られる漫画家の弘兼憲史さんは、シニアの生き方に関するエッセイ、啓発本も多く出かけておられます。

 年齢的には私より12歳上で、島耕作の舞台、モデルになったとされる松下電器産業(現パナソニック)に入社して数年でドロップアウトして漫画家デビューされています。

 同世代サラリーマンたちの定年後や、島耕作ばりに役員になった友人もいるのでしょうか。

 リアルに響く助言もあれば、まあそれだけ印税も入る立場で書かれているからと、少しやっかみで共感できないところもあります。

 知識や考え方、割り切り方は参考にして、実際に羨ましがるのは抑えながら読むのがこの手の本です。

 成功した人は、奥付や解説読むと、気後れしますが、まあ偶然もあり運もあったのでしょう。そのタイミング、その時の流れ、人の流れでないと大成功はしないので、多くの人が憧れてもしかたはないです。

 島耕作で描かれる家電大手企業もドロドロとした人間模様でしたが、実際のパナソニックもなかなかに今苦しい業績です。創業者松下幸之助も神様扱いされますが、後継を間違い派閥争いが常態化して、得意分野のない企業となり苦戦しています。

 業界全体が苦しく、どこも本来のテレビや冷蔵庫といった家電がメインではなくなってきている中で松下幸之助が生きていればどう考えるでしょう。

 話がそれましたが、神様の威光も、経年劣化しているぐらいですから、凡人のシニアが、少し考え方を変え工夫しないと気楽な老後はないということです。

 ただ、あの大松下とふんぞり返る肩書の人間でも会社を辞めれば、普通のシニアです。

 現役の肩書では楽しくは生きていけないのです。

 シニアはダウンサイズした生活を、楽しみながらとも提案されています。

 もちろん、まだ生涯いつまでも何らかの肩書のある現役の役員さんという人もおられます。シニア対象の啓発書は、対象の環境がまちまちなので、自分に上手く当てはめて考えるのが読み方です。あまり力を入れず、残りの時間を逆算してやり残しのないようにはしたいものです。

 戦前派の五木寛之さんとか、森村誠一さんの本よりはさすがに共感部分は多いです。

 しかし、まあ難しいのはやはり人間、他人の成功を素直に喜ぶより、やっかむ心理は生まれやすい点。自分の度量の無さもよくわかりました。

 サクッと何冊か、漫画の感覚で読めます。

 

 

 

 

「棺桶まで歩こう」ちゃんと歩かないといけない

 キャッチーなタイトルで、中高年への運動啓発本かと思わせますが、高齢者にウォーキングを勧める本ではなく、終末のあり方の話です。

 在宅緩和ケアで2000人を看取った医師の本です。

 日本のとことんまで生命を長らえる医療の課題はよく聞く問題です。何となく延命治療を選ぶことがないように、真剣に老後を考える内容です。自分らしく在宅で穏やかな最期を迎えられる心のケアが中心になっています。

「歩けるうちは死なない」とコピーになっていますが、そこから終末医療に関して考えさせられるものです。

 健康寿命と言われますが、寝たきりとなっての期間が長いのはいくら長生きしてもやはり辛い時間になるのは分かります。

 歩くというのは比喩的な表題ですが、実際に一時的に病気などで歩けないと不自由を感じ、お金があっても何となく悲しくなります。

 クルマ社会ですから、私なども営業で車を与えられてる頃、目的地までギリギリまで車で行くのが当たり前でした。それが習慣づくと、歩くのが億劫になり歩く力が落ちていたものです。ウォーキングの良さと楽しさがわかると目からウロコが落ちた感じでした。

 時間や距離もですが、訪れたい名所など目的がある散策が良いとは思います。

 しかし、本格的なウォーキングはしっかりした姿勢、歩幅をとって、短い距離でも毎日継続する程度で良いと言われます。公園や広いショッピングセンター、マンションの空いてる空間などフラットで車の少ないところでしっかり歩くことです。

 逆に悪い歩き方だと、膝や腰に負担がくる場合があるので注意です。外を歩く場合、交通事故はもちろん、段差での転倒、衝突などの可能性は距離や時間に比例して大きくなります。

 若い頃から、習慣で健康とダイエットのため、バス停や駅間一つ歩いていた人が、結局躓いて歩けなくなったという笑えない話も聞きました。慎重に歩くのと無理は禁物です。

 高齢者の医療費負担割合が政治的にも問題になっています。政党や政府も後期高齢者の負担割合を3割にする検討を始めています。

 そうなると、高齢で医療期間にかこるか否かで本人や家族の負担の差も大きい時代になります。

 健康で病気をしないのが一番です。

 健康保険が高齢者に使われる割合が多く、現役世代の手取りが少ないので問題になっています。

 高齢者に対する保険適応の治療も、延命治療で診療報酬が稼げる制度をやめれば、現役世代の負担は減るのではと思います。

 

 

想像したより高齢者が生きづらくなった21世紀の日本

 今還暦を迎えて、高齢者と呼ばれてもおかしくない世代の人が、子供の頃の昭和末期まではお年寄りはもう少し優遇されていました。

 戦争と、戦後の厳しい時代とその後のモーレツに働いた世代が、日本を支えた人たちなんで現役引退お疲れ様という感じだったのでしょう。

 年金は納めた当時の金額よりも、はるかに大きな金額が貰えて、健康保険の保険料も医療費負担も少なく、介護保険は制度はないのですからもちろん負担も無かったのです。

 年金が年300万、月22万とか25万で当時の物価で昔は天引きもないので、十分生活できました。家族も多いので世話してくれる人がいたのです。

 老人ホームに入れるなどは、世間体が悪い印象すらありました。

 21世紀では家族で高齢者を介護するあらゆる余裕が無くなり、年金の中からか本人が払うか扶養者が負担して施設に入るのが当たり前になっています。それだけでも経済的な負担は大きくのしかかります。そこそこの施設に入ると年金では払いきれない支出になります。

 家族の奉仕で無料だったものが、保険料になり介護保険料の徴収が始まりました。健康保険も無料だった時代は終わり、国民健康保険や、健康保険組合の財政悪化の根源だった高齢者は後期高齢者医療保険制度に切り離されました。2割の負担と、保険料の本人負担も始まり、年金から天引きされ始めました。

 税制改正で富裕層の累進上限が70%から50%そして37%まで下がりました。これに対し年金生活者はこの30年近くで税金も社会保険料もどんどん上がりました。

 リタイア時の虎の子の退職金も、初任給や賞与などに比べ、じわじわと下がり、老後資金は自分で2000万用意が必要と言われるようになりました。お金がないのに長生きすれば罪のような感じの高齢者に厳しい21世紀になっています。

 ロボットが家事をやり、空飛ぶ車が家の上空にいると想像した未来でしたが、そんな未来は庶民には夢でした。平均的な高齢者はここへ来て物価高で相当厳しい生活を強いられています。自治体によっては国保料も高く、公営交通の特典なども減っています。

 ロボットはまだファミレスの配膳かウーバーぐらいしか見かけないですし、おかげで楽になったり安くなった訳でもないです。

 役人や政治家それぞれが年金を優雅にもらってるお年寄りから、もう少したかれるだろうと、あっちからもこっちからも無分別に税金やら保険料も取り立て給付は減らしていきました。支払う年金は年金財政のため抑えられては、仕事とか財産がない高齢者は悲鳴を上げるのは当然です。

 人生100年と言いながらも、サラリーマンの定年は65歳ですから、個々人のファイナンスプラン、バラ色の年金生活は大変厳しいものになります。

 物価高は待ったなしですから、ただでさえ2カ月に1度の年金振り込みですから、1〜2年後の改訂ではなく、食料品の値上がりにスライドして年金生活者支援給付金はもう少し幅広い層に給付すべきです。

 ほぼ国民年金だけの人に5000円程度だけの調整のような制度では貰える人はちょっと嬉しいにせよ、多くの厚生年金受給者の年金生活者には関係ありません。

 配当や事業で所得がある人以外の年金生活者には、物価高に合わせての増額給付を早くすべきです。

 外交、国防、そして少子高齢化ももちろん大事で比べるようなものではありません。しかし、喫緊の国民課題には違いありません。

 減税や社会保険料軽減に財源というのはそもそもおかしいので、既に取りすぎた制度時代の見直しであり、公平公平な老後の最適化です。政治に携わる人、役人・行政のトップはこれを考えないと、政権、国の根本は安定しません。

 失われた30年とかいうのは政治の失策と野党は言いますが、専門家の官僚が酷いのです。

 20世紀末に、将来まで俯瞰したグランドデザインを考えられず、目先のセクトだけの枠組での予算にこだわった官僚の責任が大きいでしょう。自分たちは天下りで悠々と老後を暮らせる退職金や年金をガッツリ貰う立場におれば、実質の所得代替率がどんどん下がり不満が爆発する時期は必然だったのです。

 最後には憲法で守られた最低限の生活、セーフティネットがあるというのはあまりにも横柄な役人の立場です。

 財政が厳しいなら、20世紀末に必要だった天下り団体が、用済みで縮小するとか、役員報酬ぐらいは減らすスタンスがあってもいいはずです。逆に入札で優位に立ち民間を圧迫しているのでは、貴重な税金が上手く経済にまわらないのです。

 退職金の税額控除など、せめて生涯でトータルにすべきです。そもそも巨額の退職金が、起業家でもない、横滑りの役人に何度も支払われることすらおかしい。最低賃金のボランティアでいいぐらいですが、「規定が」とか言って辞退する人もいない。

 この辺から財源を産まないと、金額の多寡は別にしても、不公平感が理不尽すぎます。

 高市総理の回りにも、庶民とはほど遠い世襲議員や官僚出身、財務省洗脳議員もおられますが、負けずに頑張って欲しいものです。

 他党とも協議を重ねた税改正などの案件をおろそかにするとイッキにブームは去ります。

 あえて、高市総理にもう一度エールを送ります。

 

 

 

 

 

続編も騙される それでも感動の連作短編 「看守の信念」城山真一

 刑務所内の謎を解明する連作短編集ミステリ第二弾。

 第一作も巧みなミステリと、珠玉のような人間模様を描いて、短編集の最後でもドンデン返しを食らわされました。この第二弾でも見事に感動と謎解きと、連作の最後でドンデン返しをやってくれます。

 第一作があったから、続編では無理と思って油断してた人はレビュー見ててもたいていひっかかっておられます。

 見事につきますし、やはり中でも「がて」は涙出ます。何度も窃盗で刑務所に入った男とジヤズシンガーと文通のやり取りなのですが、謎解きイコール感涙となる仕掛けがすごいです。

 出所後の就職を仲立ちする部署が登場し、受刑者が働きにつく苦労も描かれます。なかなか社会では一度歯車が狂うと、元に戻るのは難しいのが感じられます。

 職階やら権限、制度など細かく取材されているでしょうし、多くのエピソードも創作とはいえ検証もされているのでしょう。

 取材力と創造力のたくましさに関心するしかない。この事自体がネタバレになりそうですが、連作最後の小気味よいドンデン返しは絶対映像化が不可能なので、本を読むしかないのも好感です。

不祥事に思うこと

 

 この本には間に合わないタイミングだったのか、京都に本社を置く大手企業ニデックも上場廃止すら検討される銘柄に落ちた粉飾決算がありました。

 直近では、外資系大手のプルデンシャル生命も随分と不祥事がありました。企業ではないですが、東京大学も贈収賄で逮捕されるなど、いろいろやらかしています。

 私のいたカネボウのことももう世間から忘れられたと思ってましたが、この本には書かれています。

 著者はカネボウ再建に乗り込んだ産業再生機構にも属しておられた方です。さらに以前はリクルート事件当時にその社員だったようです。

 戦前は日本最大の民間企業だったカネボウの崩壊に関しては先日も某有名YouTuberが東レなどの繊維業界を取り上げていました。カネボウの中興者であり、崩壊へと導いたといわれる伊藤淳二元会長の闇の話を詳しく振り返って解説したのを見ました。

 その後、平成から令和とコンプライアンスが厳しく言われ出した時代で、多くの大企業も不祥事が明るみに出ました。

 粉飾もパワハラも無くなるわけでもなく、東芝、ダイハツ、宝塚歌劇、フジテレビ、名だたる有名企業や一流大学、団体が雁首並べています。

 カネボウが糾弾された時、社員としては痛恨の思いでいっぱいでした。

 何処でもやってるというのは免罪符ではないですが、その後も当たり前に大きな企業トップが謝罪で頭を低く下げる姿を見ました。

 人間は弱い生き物だし、組織となって悪い方向に向かうと、止められないケースが多いのを痛感します。

 やはり財務系に強く、倫理をトップに進言できる人材がいるかどうかが重要なポイントです。これは政治でも、町内とか小さな組織でも同じでしょう。

 まさに、昭和のカネボウから令和のニデックまでそうですが、成功した起業家や中興者が権力に溺れたせいです。偉そうな哲学を語り、業績の不振を見られたくなくないエゴがヤバいということです。

 こんな透明でガバナンスがしっかりしてるはずの時代の方が罪が重いとも言いきれないですが、とにかく人間は弱いから正しい方向への導きが必要なのでしょう。