書評:成田悠輔「22世紀の民主主義」暴言だけじゃない、選挙制度にも鋭く切り込む

 成田悠輔はやはり、恐ろしい切れ味と、斜めからの視点で世の中の仕組みを見て切り崩します。
一時「高齢者へ集団自決せよ」と老害を切り捨てる発言を切り取られ、保守や既得権者に嫌われたが、その発想は目の前ではなく、かなり先を見ています。というか、この人も自分の周りの炎上とかは見えず、先の方しか見えない性格なのでしょう。

 今の参院選、投票前に読むと、いかにも今の選挙制度をそのものが空しく感じてしまうかもしれません。今の不条理なほどつまらない選挙は、やがて来る大きな改革への前奏曲だろうかと思います。そういう意味では投票前に読んで、投票行動はすべきかなと思います。

 【キャッチフレーズ】世の中の根本を疑え

断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは日本は何も変わらない。

これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ゲームのルールを変えること、つまり革命である――。

22世紀に向けて、読むと社会の見え方が変わる唯一無二の一冊。

 とは言え。今現在のネコや猿のように揶揄される政治家、国会議員へのすぐに役立つような改革への直言もあります。
 争点を対象にしたイシュー選挙や、年代別、余命などで傾斜配分をかけた投票なども、そろそろ真剣に考えたらと思います。

 しかし、昨年来の自民党の裏金問題とかもそうですし、明日詳しく書評から上げたい河井あんりさんの著書で赤裸々になった、選挙や政治、司法のもはやお笑いのように古い体質も、本当に何とかならんものかと、成田悠輔に縋りたくもなります。

 国会議員は、確かに落選するとただの人になり、大変ですが、結局議員を続けることや、与党でいること、大臣になることが目的化してしまい、選挙制度や支持母体に手をつけられないのです。

 祭りの盆踊りに顔を出し、頭を下げお金を配り、選挙カーで名前を連呼する、60年以上続いた伝統芸能、若い人もこれがアナログで何年か後にはさすがにオワコンだと思いながらも、その世界に従順に入っていってしまうのでしょうか。

 ネットの選挙のノウハウも拡大し、若い人が棄権せず投票率が上がれば何かが変わるといわれる人がおられますが、雨垂れが石を穿つのを待っていても、沸騰して湯になり蒸気でタービンを回す時代にはならないのです。

 大きな改革を、このような才能の人に、預けて民主主義がごそっと一任されないとダメでしょう。

映画&書評:「国宝」3時間の大作

 封切りから時間が経ちましたが、二人の当代を代表する人気俳優のまさに競演ということもあり、興行的に大成功、封切り1カ月以上なのに、多くのスクリーンと上映回数で人気シリーズのアニメ以外の邦画では久々の大ヒットではないでしょうか。
 土曜日の昼とは言え、ほぼ満席に近い客席で、隣のおっさんの酒臭いのが不快でしたが、替わる席もないほどでした。中年以上の女性が多く2時間55分のロングには耐えきれず、しばしトイレに向かう人も見られ、休憩要りそうな長さです。
 それでも中身は序盤の東映らしい任侠場面、少年時代役の二人の好演の引きから、長さを感じさせず、ともすれば眠りを誘いそうな古典芸能を、うまく時間の快調な経過で進みました。

 原作の方も、上下2巻の堂々たる長さですが、古典芸能と重い内容の割にリーダビリティに富むさすがの快テンポでサクサク読めます。

 とは言え、ネタバレするほど中身を紹介するほどカンタンな長さではありません。

【以下ストーリー】
  任侠の家に生まれ、抗争で親を失った喜久雄、運命に導かれるように才能と努力で、芸の道を進む彼と、同世代で血筋で跡目の決まっている御曹司、俊介。
 古典芸能や社会でつきまとう、世襲なのか実力かの、究極ともいえる選択に翻弄される二人。
 歌舞伎の華やかな舞台の裏にある厳しい修行や人間関係、嫉妬や執着といった感情が丁寧に描かれ、物語に深みを与えています。
 また、芸にすべてを賭ける覚悟と、友情とライバル心。それに伴う孤独や苦悩も胸に迫ります。
 昭和という時代背景とともに、芸に生きる人間の美しさと脆さが詰まった重い2巻です。

 もちろん、映画と小説は比べられないもので、全2巻の活字を読み切ることができない人や、最低減の昭和史や芸能が分からないとイメージできないので、映画はその点、一瞬にして全てが眼に入ります。

 映画版には尺もあり、登場しない人物や、唐突に時間が経過して。その陰の努力や支えた人が見えないところもあります。しかし、概ね映画のビジュアルの華やかさは想像以上で、なるほどと興行的な成功も分かります。

 吉沢亮はスキャンダルが少しありましたが、正直その程度はこの映画の演技やその人像を見れば、そんなものがいかにどうでもいいか分かります。
 そういう意味では、つまらないスキャンダルでイメージを壊し、ドラマや映画、CMから俳優を干すマスコミは罪なものです。

 それぞれ、現在の蔦屋重三郎と以前の渋沢栄一でNHK大河ドラマの主演を勤めた今を時めく横浜流星と吉沢亮ですが、特撮ファンはもちろん二人の初共演を知っていて、話題にしていました。2011年仮面ライダーフォーゼの2号ライダー朔田流星、仮面ライダーメテオ役で出世した吉沢亮と、その3年後烈車戦隊トッキュウジャーのトッキュウ4号でブレイクした横浜流星です。仮面ライダーフォーゼにメテオ朔田流星の親友井石二郎役で横浜流星が共演していました。
 その設定も今回の映画に少し似ているのが、特撮ファンにはニヤリという感じのところです。

 さらに特撮ウンチク話になりますが、仮面ライダーフォーゼの主人公を演じたのは福士蒼汰、トッキュウジャーの1号センターのアカを演じたのは志尊淳です。この頃のニチアサは現在ブレイク俳優を量産していて、トッキュージャーの前年の戦隊シリーズ、獣電戦隊キョウリュウジャーの主演は竜星涼です。役名も含めて、リュウセイの3人が繋がるとも言われました。

 大きく脱線しましたが、映画に戻ると、長崎、南座などの京都も多く映り、ロケ地も美しく、昭和の彩をうまく撮っています。
 雪が舞う風景はいつまでも記憶に残ります。少々ざわついてエンドロールでそそくさと出口に向かう人も多かったですが、劇場は良いです。

相変わらず難解、言葉の置き換えを

 年齢の近い人が、年金の手続きの書類が届き、給付や減額などの連絡が来るけど異口同音に「難しい」という声を聞きます。

 年金事務所にいた私でさえ、難しい言葉や仕組みがあります。制度が変わったりしてややこしくなる背景もありますが、何でここまでややこしく、国民目線でないのかと思います。
 現役の官僚や政治家でも、専門に勉強していない人は、おそらく理解していないのと、さらに実務のちょっとした面が不親切なのはやっかいです。
 届出書や、申請書、申立書、なかなか自分で書くのは恐ろしいほどで、窓口に行く人も多いです。窓口の人も大変なのか、仕事があってありがたいのかは別として、デジタル化の時代に非効率です。民間ならHPのインターフェイス次第で、アクセス数から売上が変わるのに、こういう旧態依然はどうしたものなのでしょう。

 確かに、年金とか生活保護など、間違ってはいけないとても大事な届出です。でも、だから手書きで、難しい言葉でもいいということではないです。

 こういうのは総務省系、マイナンバーカードでの住民票発行や、国勢調査などは、少しインターフェイスに改善が見られます。

 申請主義の書類はまだまだ「お金を出してやるんだから、お前らちゃんとした手続きをしろ」という横柄なスタンスが覗けます。

 社保庁から組織が変わった年金機構のマニュアルには、難しい言葉は置き換えて丁寧に説明するという項目もあります。しかし、最初から難しい言葉をやめるか、わかりやすい説明を併記するだけでも、全然違うのにと思います。説明や問い合わせも減るはずです。
 実務に当たる人間が、もっと簡便化できるように、どしどし進言したら何か変わりそうですが、トップダウンの組織で黙殺されるのか、あまり変わりません。
 生活保護は、事情が少し変わりますが、本来対象なのに受給されない方が多いなども問題です。それも理由がいくつかあるとはいえ、申請の書式から手続きも大きなハードルであることは間違いないです。

 申請主義ではなく、所得把握やマイナンバー連携が進めば、申請なしで貰え、欲しくない人だけが声を出して止めるだけになれば、事務は圧倒的に事務効率は良くなるのです。ベーシックインカム以前に、申請主義から、条件が確認できれば全員給付にすれば、不正受給も減り事務経費も下がり、国も国民も結局WINWINだと思うのです。
 医療費や社会保険事務経費を、圧倒的に下げる改革をしないと、財源を付け替えても、とーたつ負担は変わらないのです。憲法改正よりははるかにハードルは低く、多くの国民に感謝されます。大きな決断をトップがする時期です。

書評の書評:小谷野敦「このミスがひどい」同世代、共感あるある多め

 面白いし、共感も多かった本です。厖大な本を端折りながらも、ネタバレも多く好きも激しく、一刀両断されています。
 4つほど年下の東大卒の学者、作家さんでかなりの読書家の方ようで、その読みっぷりと書評は評論家の体裁ではなく、好き嫌いが激しい感じも人間味が溢れて良かったです。
 同世代なので、刑事コロンボや日本沈没からコナンなどのテレビや映画までも懐かしく思えます。エラそうな評論家や選考委員さんも実際にはそれほど真剣日本を読んでいないというのは十分想像できますが、それを赤裸々に書くところに好感を感じました。
 ジャンルや部門で分冊してもいいようなエッセンスが詰まった内容に濃さがあります。
 愛煙家であるところは相いれない(笑)
 
【紹介文より】

40年以上に及ぶ推理小説渉猟の結論!
その作品は本当にすごいか?
世評の高い「話題作」「人気作」は90%がクズ、ひと握りの名作を求めつづけた濫読人生。
世の『ミステリー帝国主義』に抗して、
推理小説嫌いの著者が唱える“ひどミス”論。

「…覚えられないくらいたくさんの登場人物が出てきたり、思わせぶりをしたあげくに『え? 誰それ』というような人物が犯人だったり、ミステリーには、さまざまな恨みがある。そんな『すごい』ものが毎年ざくざく出るはずがないのである」(本文より)

<目次より>
第一章 いかにして私は推理小説嫌いとなったか
第二章 素晴らしき哉、『ロートレック荘事件』
第三章「旧本格」の黄昏と古典化
第四章 松本清張、長編はあかんかった
第五章 SF「小説」は必要なのか
第六章 ああ、愛しのバカミス
第七章 人気作家はどのような人たちなのだろうか

 私も松本清張からミステリに入り、社会派の反動で、角川文庫系の横溝正史、クリスティやクイーンも読みました。筒井康隆らのSF御三家、西村寿行、西村京太郎、鮎川哲也、内田康夫らも今はなかなか本屋の棚で希少な作家も以前は量産されて平積みされていました。
 そして、島田荘司以降の新本格を含む綺羅星のごとく群雄の作家が現われる時代へ入りました。いわゆる「このミステリがすごい」常連系のパズラーにはまりつつ、ここでもまた面白さとともに、愚策にもそれなりに当たることを感じるたものです。
 有栖川有栖くん(同級生、もはや大御所)や森博嗣、東野圭吾、米澤穂信らも楽しみました。でも「約束事」の世界とは言え、何だかなあというリアリティの無さ、文学としての軽さは感じる時も多いです。

 文学賞やミステリ界の賞が、必ずしも優秀作に与えられていないという説も、うなずけます。賞はどうしても、商業的成功への論功行賞的な意味合いになり、直木賞でもそうですが、文学史的エポックとはズレが生じます。
 パズラー的ミステリは、どうしても動機などの人間を描くウエイトより、物語の展開の切れ味、可能性や論理性に重きが置かれます。
 筒井康隆「ロートレック荘殺人事件」や西村京太郎の「天使の傷痕」をトップに評価するのは、物語としての完成度、読後感などでしょうか、これらはほぼ共感しますし、世間の評価が低いのにも同じく違和感を共有します。星新一さんの評価が低いには微妙な感じですが、著者のおっしゃることは分かります。筒井が天才なら、星は大衆受けする成功実業家です。

 名作と言われる作品の動機でさえ、時代もあるのですが、興ざめする点は多いのです。殺人を犯してトリックを駆使して逃げるなら、頭が良い人は論理的に考えるなら最初から殺人は行わないのではという点です。

 刑事コロンボの多くの犯人や、松本清張「砂の器」、森村誠一「人間の証明」などでも、出自をばらされるとかでは、殺人の動機としては弱い。それなら「殺人者」の汚名の方がはるかに不名誉で危険すぎるというところに、ミステリが嫌いな人は醒めたり、ついていけないのも分かります。

 読書のあり方、読み方というのが、特にミステリで駄作だと思った時、すっ飛ばせるのは全く私と同じです。海外ものを文学作品でも抄訳を評価するのもなるほど、あるあるです、

繰り返される「分かっていても負ける日本」

 今年は敗戦から80年ということで、選挙も終わった8月は戦争の特集などが溢れるでしょう。
 しかし、今の日本はあの時と同じように、国が滅びつつあることが分かっていながら、良いような話だけで誤魔化されているのです。太平洋戦争開戦前夜の1941年(昭和16年)の夏、総力戦研究所で若きエリートたちによって、アメリカと開戦した場合のシミュレーションが行われ、「日本必敗」という結論が導き出されていたにもかかわらず戦争へ突入していった史実を描かれた話と、現代日本がダブって見えるのです。。
 この組織は昨年の朝ドラ「虎に翼」など、最近の戦中ドラマでもポツポツと描かれだしています。有名になったのがこの猪瀬さんの本です。

 今の時点で、選挙期間中なのであまり政治家を褒めるのもあれですが、改選議員でもなく、主に作家や以前の活動のお話をさせてもらいます。
 猪瀬 直樹(いのせ なおき、1946年〈昭和21年〉11月20日-生まれ)で、作家、政治家。元東京都副知事から知事、徳洲会献金のスキャンダルで公民権停止期間あり、現在は日本維新の会所属の参議院議員(1期)。日本維新の会国会議員団参議院幹事長です。
 都知事としては、石原さんの後、小池さんの前で、スキャンダルもありやや地味でした。その以前の、小泉内閣時代に参与として道路公団の民営化を推進した実績が知られます。改革派の実力者ですが、ハメられたところはあるのでしょう。彼がいなければ、未だに高速道路のSAやPAは古臭い自販機とまずい飯だけの不便なままだったとも言われます。
 JRや郵政よりも、成功したといええそうなのが、ネクスコと言えます。もちろん、道路族の利権を完全に断ち切ったとはいえないでしょが、適度に民間の活力を加えて、活性させた役割を大きいのです。
 頭の良い方で、日本の社会保障の課題を、目先の給付や減税ではなく、社会保障、保険料特に医療費や医師会や薬種業などの厚労族利権にメスを入れないと、日本はまた、壊滅的な敗戦を迎えるという主張をされています。減税や給付金の話で良く財源はという話になりますが、どこから取るかでは、結局国民の負担は個人差はあれ変わらないのです。
 社会保険料の、医療費のここの負担を、構造改革で1兆とかいくらまで減らすよいうのが、具体的です。もちろん、個々の組織は痛みも伴い、今回のコメ問題でのJAや農水族のように抵抗はあるでしょうが、国全体を俯瞰した場合に、どこにメスを入れて改革するかなのです。

 多くの省庁、業界と繋がった族議員や、労組や宗教と縁を切れない党では、しがらみがあるすぎて、この終戦に向かう流れを止められないのです。
 
 以下は現首相の、この本の感想で、猪瀬さんへの国会での応答です。
【石破首相】
 情報の開示とはなんであるか、すべてわかっていたのに何で戦争を始めたのかという疑念が沸き、楽観的な、そして刹那的な見通しは決して持ってはならない、そして、個別最適の総和は、全体最適ではない、という教訓にたどり着いた、と3月の国会で石破総理は述べていました。
 防衛庁長官をしていたとき、ある人から、この本を必ず読むよう勧められた。敗戦は昭和20年ではなく、16年に決まっていたという内容だ。昭和16年、今のキャピタル東急のあたりにあった「総力戦研究所」に、ありとあらゆる官庁、日銀、同盟通信(現・共同通信)など、30代の俊才達を集めて、あらゆるデータを集めて、日米の国力の比較を行った。GDPが八倍違うなどあらゆるデータを開示して、日米開戦後のシミュレーションを行った。その結論は、何をやっても勝てないので、いかなる理由があっても、この戦争は行ってはならない、というものだった。しかしながら、このことは省みられることなく、開戦になり、日本はあのような悲惨な焦土と化した。

 今の日本の問題は、空襲は来ないし、徴兵もなく、原爆投下もない一見恵まれた国のようですが、どんどん人口が減り。多くに人の手取り所得は増えない、貧しい人が増え、働く人が来っていて、国が支えを失ってスカスカになっていくのが見ていることなのです。

 また目をそらしてはいけないのです。

 関係ないですが、猪瀬さん、戦後生まれなのですね。今の奥様の蜷川有紀さんと、私は学生時代にある映画のロケで一緒になり、河原にねそべり2~3時間一緒にいました。

 生活保護受給者裁判より 25条というなら

 選挙前で、話題も立場上微妙ですが、裁判の解説的なフォローと、両論併記しながらも一個人の願望と、世相への投げかけとして書きます。
 6月28日報道されました通り、国が2008年リーマンショック以降に物価が下がったとして、生活保護費を減額したことが裁判となり、昨日、最高裁判所第3小法廷は違法と認めました。
 これを受け国は追加支給を考えることになります。また、これから国家賠償の話も出てくる可能性があります。
 受け取る側は生活が懸かっていますが、時間は経過しています。一方、支給する側は財政のバランスを考えてこうしてきた立場です。
 生活保護を受けている人でも、一部不正受給があるのではというイメージもあり、そもそも健康でなぜ働かないのかとの指摘の向きもあります。
 また申請して初めて審査されて、受給の流れになるので、多くの同じくらいの所得の方でもプライドが邪魔したり、何とか節約したり、過酷な勤めでも仕事に就くとか、遠い兄弟や友人に頼むなどでしのいで生活保護を回避しているケースも多くあります。
 日本の手当や給付の「申請主義」の仕組みの難しさがあります。
 個人情報保護だと騒がれますが、所得や家族、住居などはマイナンバー制度で国はほぼ掌握できます。生活保護をなると、就労意欲や財産とか案件は増えた上で、本人の意思となりますが、そこまでの手続きを簡単なインターフェイスで、数回のポチっとスマホをクリックで申請になれば良いと思います。逆にシステム化することによって、財産や購買行動がわかり、支給停止も自動化できるはずです。

 真の公正、公平とは何か難しいですし、裁判所の判決には限界があります。

 判決の元になるのは、「生存権」と言われ、戦争放棄の9条平等権の14条とともによく各方面から社会保障の場で注目され憲法25条です。
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 行政は判決を受けて説明責任をし、速やかにできうることを実行しないといけなくなります。民主主義、法治国家の難しい面です。
 
 しかし、本当に平等ということを考えれば、先ほどの生活保護申請に至らない人びとはそのままで良いのかと感じます。

 そして、リーマンショック後以降の、名目賃金が下がり、実質目減りの年金、社会保険料の高騰、マクロ経済スライドにより年金抑制も、いくつかの切り口で訴訟を起こせば憲法違反に問われるのではと思います。
 マクロ経済スライドは、今国会で決まった「基礎年金の底上げ」で実は間違いだったと否定されています。年金財源を守るために、保険料を上げるのを一定に抑え、給付金をジワジワ下げるというやり方は、結局どこかで憲法25条に抵触するか、急激な物価高に対応できずに今のような不平不満が爆発するのです。

 混乱やカオスを望むのではなく、正論をぶつけ、どんどん訴訟を起こせばと思います。

 今の制度で、選挙前の喧々諤々と減税や給付で騒ぐのではなく、実質GDPや名目賃金も物価も、優れた組織で分析されているので、システムとして無能で恣意的な国会に関わらず、早期に調整できるようにすべきなのです。

 年金を貰うのはお年寄りですから、早く給付に反映しないと2年間の物価を鑑(かんが)みでは遅すぎます。遅くとも1年の暦の間に、賃金、物価上昇分をプラスで支給すべきです。公務員給与は毎年12月に民間(大企業)の4月賃金上昇に合わせ、人事院勧告で差額を遡って支給されています。

 そうでないと頑張っている公務員のなり手もなくなるという考えはわかります。国家財政が厳しいから、賞与(期末賞与)や役員手当を削るようなことはしません。それなら、せめて年金の支給に対して、憲法に合致した社会保障の増進という面で早急な対処は必要ではないのかと思います。

 誰もがそういうものと考えていますが、年金は2カ月に1度、偶数月に前月と前々月の分が振り込まれます。給料は毎月1回、その月分、遅いところでも前月分で1カ月毎が当たり前です。
 2カ月に1回だと、入院したとか、エアコンが壊れたとか大きな支出があったり、今般のようなコメの高騰があると、次の支給までに破綻や高利の借金を重ねてしまうケースが増えます。

 2カ月に1回を月1回にすると、振り込みのコストがかかるのかもしれませんが、支給停止や減額や増額には対応しやすい面もあります。コストがかかるなら、本来公務員給与も民間も給与は2カ月に1回にすれば「平等」ではないかと思います。

 書き出すと熱くなりすぎますが、変えられる点はいくらでもあるのです。

 

書評:貴戸湊太「図書館に火をつけたら」

 タイトルはインパクトはある比較的若い作家の作品、このミスの上位というわけではなかったが、カバーと帯の煽りでつい手にする。

 バカミスっぽいので、やはり図書館本を待つことにして、貸出時に図書館の人からタイトルに怪訝な顔をされたような、されてないような感じでした。

【紹介文】
 市立図書館で大規模火災が起き、焼け跡から死体が発見された。
焼死と思われたその死体の頭部には何者かに殴られた痕があり、火災と同時に殺人事件が起きていたことが発覚する。
さらに、発見場所である地下書庫は事件時、密室状態にあったという。
炎に包まれた密室は、誰がどうやって作り出したのか。
 刑事・瀬沼は真相を探るなかで、図書館に救われた自身の小学生時代を辿ることに――。

 本格的な密室トリックと、読者への挑戦というロジックパズルめいたところと、
 不登校だった3人の小学生が刑事や司書、大人になって再会というドラマ的な面もあり、バランスは悪くなくリーダビリティにも優れています。
 司書や図書館のお仕事や役割が良く分かる面もありますが、トリックの前提となる部分含めて、リアルに可能かというと無理もありますし、司書の人数などにも急に取材不足かなという点もあります。ミステリなので、お約束だといえばそれまでですが、動機も好きではないです。

 本が好きで、図書館にはよく行くのですが、司書という仕事は個人的には何というのか好きでも嫌いでもありません。本にまみれるので、本屋や図書館の仕事がいいなと思う時もありましたが、好きと仕事は違うというのと、どうも「司書資格」の制度、中身や受験の仕組みが気に入らないのです。

 他の資格制度でも似たり寄ったりですが、実際の図書館実務とも乖離しつつあり、図書館そのものも一部で検討されているように、変容を迎えつつある時期です。
 個人情報は守られつつも、自分の貸し出し履歴すらデータが見れず、次の情報へのリコメンドもないのは、法律や仕組みがおかしく、他の娯楽や研究に比べ融通が利かなさ過ぎです。

 図書館はどの町にもある公共施設で、進化によってはさまざまな用途として市民に活用されるはずです。それまでに、図書館学から、司書の仕事の中身もそろそろ変わらないといけないでしょう。

2万円バラマキの愚に怒り

 石破総理は「社会保障の財源が確保できないから、減税もバラマキもしない」と言ってきていましたが、結局一律2万円プラス、子供と非課税世帯に2万円のバラマキ給付をするようです。

 もう目先の選挙対策で、なりふり構わずです。
 来月20日までに、お金を配るには、市長村役場もまた大変です。マイナンバー制度はあっても、カードを持っていない人も一定数いるし、口座を紐付けていない人もいます。マイナンバーカードと口座を紐付けていても、確認項目はありますし、扶養の子供がいるか、収入は?と確認して、郵便で確認書のようなものを例によって、送らないといけませんから、これは大変は手間のかかる負担が自治体にのしかかります。

 その上、その言い分がもう無茶苦茶です。「給付をするのは、税が増収だったからで、消費税の恒久的な財源としても枠組みは崩せない」と、野党とは違うと言いたいのでしょう。
 しかし、税収が思ったより増えたから国民に返すというなら、非課税世帯ではなく、ちゃんと苦しくても税金を払った層に返すべきです。一番苦しいのはおそらく、非課税世帯にも生活保護にも当たらず、税金と社会保険料を真面目に払っていた中間層の人たちです。
 資産が分からないから、非課税イコール貧乏ですらないのに、血税から給付金というのは筋道が違います。
 こう叫ぶと非課税世帯は所得が低いから、食料品の値上げが一番応えているという反発もあるでしょうが、これはあくまでも税金の戻しをするという話です。

 3連休の真ん中に投票日を設定し、ヒマ(失礼)もとい比較的時間があって投票に行きやすい非課税世帯に厚く給付するのも、魂胆がミエミエすぎるうえ、姑息すぎて、情けないほどです。
 しかし、全サラリーマン、自営業者、課税の年金生活者は怒るべきです。
 税金と社会保険で5割近くを抜かれて、わずかに食料品の値上がり分概算の2万円とはふざけ過ぎた話です。

 いたずらに、国の財政基盤を揺るがすとかそんなことではなく、日本の財政は資産が負債より多く健全です。財務省とか、厚労省とか、各省庁、インフラを支える自治体も、最前線は賢明です。しかし、やはりこの国の税と社会保障は一回メスいれないといけないのです。その場しのぎの栄養剤やカンフルで誤魔化されはいけないのです。
 とりあえず、現在の政権与党には退場願って、官僚や財界、労組とは距離を置いた改革のできる国会議員が必要です。国民にもずっと、痛みをともなってきたのです。国民が年間400万や600万の平均収入の時、国会議員が非課税で文通費合わせて5千万も貰い、その上、献金や政党助成金を貰っていること自体おかしすぎるのです。
 公務は決して楽な仕事ではないですが、現場の公務員に比べて、そのトップ国会議員や大臣らが10倍、20倍も忙しく重い仕事というわけではありません。
 お金がない、税金が足りないのなら、まず身を切る改革と言われて久しいですが、全くその姿はカケラも見えません。それなりの報酬は否定はしませんが、今の増税増税という路線で、税や社会保険料などの構造を全く改革できないのでは。国民は疲弊するばかりです。


 7月20日、まずは国政選挙の山場、参議院選挙があります。3連休ですが、期日前投票はできます。公報、政権放送、ネット情報も深堀して、必ず投票して、日本と国民の生活を守りましょう。

高齢化を理解する

 前の職場にお父さんが脳医学の著名な学者で、ご本人も相当なIQの人がおられ、脳研究の奥の深さと、その急速な進化ぶりの一端を聞いたことがあります。
 「結晶性知能」と「流動性知能」とかエピソート記憶とか滔々と語られ、勉強のしかたそのものも、ガリ勉で詰め込むようなやり方でなくても、司法試験に受かるタイプのようでした。
 逆に面白くない仕事や勉強は受け付けないようで、凡人には理解できない扱い難い面もある人でした。

 この二つの資料でも、老化に関してもいくつも説があり、奥の深くかつ、日々更新されるものも多いようです。
 身体の衰えも60歳を超えると顕著になるものの、脳の進化は90歳まで続くという説は、取り上げられる以前から聞いていました。脳が成人となって一人前に整うのは実は25歳頃でありそこからまだまだ学習を積み情報をインプットして90歳まで進化し続けるのです。そうなると、定年を迎え体力が衰えると言われる還暦の頃はまだ脳の進化の半ばということになります。
 老害と言われ嫌われる一部の政治家や経営者のように、地位に執着するわけではなくとも、定年で目標を失って認知になるのはもったいないということです。
 さらになるほどと思ったのは、みなさんも薄々気付かれているところですが、20年前の高齢者と現在の高齢者、例えば65歳だとか80歳だとかは、時代で変わり大きく違ってきているのです。40年ほど前の昭和の高齢者は、55歳くらいで老人と言われ、実際年金を貰い隠居される人も多かったように、今とは全く違っていました。


 私も、個人的に感じるのですが、30歳ぐらいの頃より、体力は落ちてルックスも若くはないですが、60歳を過ぎた頃からの方が、いい仕事ができています。経験も知識や教養、知見が積みあがっている面もありますが、ノルマとか、お金、家庭とか、定年までの枠組みのようなものから力が抜けて、純粋に仕事への興味と探求心で働いていますす。

 人口減少、少子高齢化が問題と言われますが、根本的に急には変えられないところもあり、まだまだ日本の人口は減り続けて。働き手は減ります。働き手を海外からの移民に求めるのか、あるいは高齢者に対しよくトリセツを周りも本人も理解し、働いてもらうしか打開策はないでしょう。

 そしてこの70歳のトリセツというムック本、もちろん高齢者を扱う若者のためだけではなく、これから高齢を迎える者、高齢者自身の自覚、自戒のためにも、良い情報が分かりやすく入っています。

 多くの方が自覚している面もあるようで、意外と解っていない点も多いですし、仕組みとして理解していないから、プライドを傷つけかえってコミュニケーションを悪くする場合もあります。

 70歳では90歳まで伸び続ける部分と、50歳くらいからすでに勤続疲労し、衰えて劣化している部分が混在して、その扱いは微妙なのです。
 自分の現在地でもそうですが、運動不足にならないように歩いていて転倒し股関節や膝を傷めました。同年代でもよく話を聞きますが、転倒が増える年代です。
 足が自分の主観イメージよりも上がっていないので、小さな段差につまずくのです。足が若い頃より上がらないという、身体の衰えを客観的にイメージできず、凸凹の多い外の道などは気を付けるという情報を入れて、ゆっくり確認しながら歩かないといけないのです。
 ここでも、変なプライドがあったりして、客観的になれないと大変危険です。
 高齢者の運転なども、大きな事故につながってます。
 自分は若い頃から、良く動けて、運動神経も良いと言う人ほど、危険なのです。過去の主観イメージを引きずり、客観的になれないのです。また、ちょっとしたモノを取るとかも、いちいち台を使うとか、他人に頼むとかができずに、身体を悪化させることがあります。また、それをやってしまったことを、怒られて行動を制限させるのもイヤで、正直にもなれず、自分でも都合よく忘れてしまって、ますます身体もコミュニケーションも悪くなる場合があります。

 仕事や家庭生活、ボランティアなども、目標を持ちながらやり続けることは若さを保ちます。自分で自分のトリセツを理解し、できることは目標を低くても設定してチャレンジすることです。体力や瞬発力などが要り、若い人に適した部分は任すことにして、それでも高齢者の経験によってできる分野はあります。

「システム処理とヒューリスティック処理』とも言われ、勘や経験、人間的な交渉、小さな気配りや発想の変換などはAIにできない分野で、高齢者の役割は残ります。逆に若い人の仕事はやり方にもよりますが、事務系はとくにAIに取って代わられ、間違いも少ない分野が多いのかもしれません。

 何か、夢や希望、やりたいことが多いほど、若さを保てることに間違いはないです。まずは、比較的大きい目標ですが、高齢者となった「取扱説明書」を自分がよく理解すること、また廻りも理解をし、本人によく理解をさせることです。

人間ドック、衰えと課題

 ほぼ年に一度の人間ドック、データの比較などもしやすいので、昨年と同じ新しいクリニック行きました。
 オフィス街にある、入院施設はないコンパクトながら設備も新しいモダンな感じです。
 健康保険(共済組合)の補助があるとはいえ、鼻からの胃カメラなどのオプションプラスで2万円強の支出です。なかなか、国保で全額自費となると数万円となり、健康のためとはいえ安くはありません。
 私の場合、1回だけ国保で、市民健診などを受けたことがありますが、初期費用は安いいけれど、胃の健診がバリウムで古いやり方です。バリウムでは良性のポリープが要再診に引っかかり、執拗に督促されるので、結局胃カメラでもう一度自費でとなると手間もあり割高なのです。

 おりしも、股関節を傷めて、少し足を引きずりながらも、痛み止めの投薬と移動時の配慮はあるものの、生活全般へのアドバイスはなしです。問診は、回答項目のチエックだけ、口頭で医師の話を聞くのは内科だけで、これも内科の範疇だけで、股関節炎は「管轄外です」とは言わないまでも、聞いても会話が続かない感じでした。

 ラウンジに置かれた、新聞や雑誌は撤去されて、元々テレビもなく、みんなスマホを見る程度です。昔いった病院系は雑誌や本がたくさんありましたし、大型テレビでMLBなども見れました。このあたりは、投資しても、結局みんなスマホしか見ないし、管理も大変だしと、ドライに切られているのでしょう。

 しかし、20年前くらいな昔は1日ドックということで、全体的にリラックスして健康のアドバイスも含んで昼食つきや1泊コースで3~4万円でした。今でもホテル近接でそういうエグゼクティブプランもあるようです。
 格差時代でしょうか、ドックに行くだけでも相当な贅沢と見る向きもあります。ドックを受ける層も、大半はリーズナブルな特定健診と、内科系で胃カメラ含めても2時間~3時間以内で実質終わります。

 これで、また要再検とかが見つかったら、再検査、治療となるのでは良いビジネスモデルであり、また何か愛想もないというのか、かつ肝心な心の健康への課題が置き去りという気もします。

 結果はまだ、教えてもらえませんが、胃カメラは昨年と変わらず、視力が衰えているのは分かりました。

 脚の傷みとともに、かつて自慢だった視力も衰え、加齢は避けて通れない確実に進むものと改めて実感しました。
 老いから目をそらさず、健康寿命のため、しっかり歩いて行くことです。これは簡単なようで結構難しい。