ドーナッツもリベンジ、セブンはしたたか

 コンビニにあまり行かない方、コンビニで買い物しない方には分からないところもありますが、やはり日本のコンビニはスゴイです。

 最近は、公共料金の支払いや、住民票や所得の証明なども取れますから、役所要らず、銀行にも行かなくてもいいから便利ですし、パソコンやプリンター、ファックスも要らないように使われています。支払いの一部はオンラインバンキングなどスマホに取って代わられましたが、それでも外国や過疎地で役場まで平日に行くしかない場所に比べ、コンビニがあることの恩恵は素晴らしいです。

 そして、やはり食べ物や飲み物の充実ぶりです。ギリギリの値段やデリバリー、ロジスティックでやっていますから、少し味が落ちたり、種類が変わったりします。それでも売上や顧客満足を分析して、よくやっています。

 本の中に、「おにぎり」から日本のコンビニの充実が始まったとされています。たしかにセブンイレブンのお弁当やおにぎりは絶品と言える時期がありました。

 それと、今はコンビニでの挽きたて淹れたてが当たり前ですが、何度かの失敗からリベンジして珈琲の話も頷けます。

 今はやはり一度失敗したドーナッツをリベンジしています。今度の店で揚げて、レンジで直前に加熱し、グラニュー糖をまぶすやり方は確かにいけます。

 ポテトチップスなどのお菓子やカップ麺の系統が棚で幅利かせすぎなのは少し不満ではありますが、コンビニはやはりスゴイとは思います。
 セブンイレブンもですし、追い上げるファミマやローソンもいろいろな経緯もありましたが、それぞれ得意な食べ物、良い特徴があります。やはりダイエー時代のローソンや、イオンのお抱えのミニストップはダメな原因も分かります。
 フランチャイズ制は、本社から見るとブラックでやや危うい地盤もあるようで、地元系のよろずやのうような店はどんどん淘汰されました。残念な気もしますし、ここまで大手が進化してくれば仕方ないとも思います。地元も小さな店を淘汰したあと、手抜きをしないで消費者本位であり続けて欲しいです。

有休なんて病気以外に取れなったブラック時代

 昔の会社の同僚、あるいは同級生と昔話していると、かつては有給休暇なんて取れないブラックな時代だったなあと回想します。
 女性でも育休は難しく、結婚での寿退社でなければ子供ができれば退社、子供が落ち着いたら復帰のような例がある程度で、育児休暇はおろか産休も難しい時代でした。まして男性の育児休暇など存在すらありませんでした。

 有給休暇もですが、日曜や祭日でイベントや決算対応で出勤しても、その振りかえの代休すらとれませんでした。

 毎年20日ずつ2年経過で消える有給休暇もザラで、30年以上で1年の日数ぐらいサービスしたまま退職したことになると嘆きながら話していました。
 今ならさすがに大問題になりそうですが、連続出勤も当たり前でした。残業手当もつけられないケースが多かったですね。

 その感覚で今を見てはいけないのでしょうが、現在ラクにとれる有給休暇の制度はどちらかというと少し日数が多いのではと思うぐらいです。管理職になると、勤退管理や稟議などで本来そう休めない立場になっても月に2~3日ぐらい有給休暇を消化して、給料も高いというのは制度としては無駄のような気がしてしまいます。

 時代の変化とも思いますが、これだけ子育て環境が恵まれているのに少子化というのも、どこに問題があるのかと思います。いろんな要因があると言われます。
 一人の実質的な所得は減り、共稼ぎが増えて、それぞれで働かざるを得ない中で、子供を作りたいとは思わないのでしょうか。
 昭和の、寿退社が本当は少子化対策なのかとも思います。

 

ブックカフェ ほっこりデトックス

 大阪市内、大正時代にできた古民家の二階にある「ホンのジカン」というブックカフェ。
 基本、オーダーも小声で行い、ひとりで無言で過ごす空間です。二人以上の入店でおしゃべりは不可で、本当に静かにまったりした時間が流れる空間でした。
 噂には聞いたことがありましたが、何か必然の運命に吸い寄せられるようにある日、そこを訪れることになりました。

 普段、テレビや動画配信、SNS,雑誌やムックにはやはり毒やマイナスの電波のようなものが沢山潜んでいるのがよくわかります。

 砂時計で出来上がりを待ったフレンチプレスの珈琲を飲みながら、最近の書店はもちろん、図書館でもそう見なくなった本を眺め、水槽に泳ぐグッピーを眺め、贅沢な時を過ごさせていただきました。

 遠くへ行くわけでも、絶景や美食を楽しむわけでなくとも、非日常な空間はすぐ近くにあるのです。

 テレビは一見すると、面白いとか真面目に社会正義のふりをしてとんでもない情報を流します。ネットが正しいかというと、これもまたさら規制もルールも緩い、エロい、悪質な商売、誹謗中傷にあふれています。ちゃんとしたチョイスをして音楽やドラマならいいとか思っていても、知らず知らずにAIが巧に商売で悪い情報も流してきます。一人で歩いて、デトックスをする場所が必要なのです。
 
 独りになるのがちょっと怖い、誰かとワイワイしないと寂しい、誰かに返信して欲しいと焦てしまう。現代人はついつい、何か追われ、何かを追うようになってしまって、ゆったりした時を楽しめないのではと思います。
 完成された、アニメや映画やドラマはそれはそれで作品としてはいいのですが、完璧、完全に近づくに連れて、観る側にゆとりや遊びがなくなります。
 伏線や製作者の意図を見落としてはいけないとか、極めないといけないという強迫観念のようなもので逆に楽しく鑑賞することが難しくなるような気がします。

 そんなに難しいことではありません。
 ほっこりするためには、テキトーに過ごし、読み捨て、いつか読み返すそんな読書が一番いいのです。

40年前に書かれた未来が現代そのまま

 ある場所、とあるブックカフェで、久しぶりに筒井康隆さんの本を手にして、その内容の面白さ、先見性、普遍性に驚き、いろいろ読み返したくなりました。
 読書というもの、本の世界は奥が深いとういうか、新しい作家もどんどん出る中、読み返したくなる作家がいるとは、本当に驚きで、もう生きている時間がいくらあっても足りないとしか思えません。

 日本のSFを切り開いたと言われる、SF御三家の一人でただ一人ご存命です。星新一、小松左京の残りお二人は既に亡くなられました。普遍的な世界を築きあげたショートショートの星さん、幅広い知識で、社会的な内容や、未来の警鐘などをテーマに重厚な作品を生んだ小松さんに比べ、筒井康隆の作品はスラップスティックコメディで、軽薄でブラック、エログロで、個性は強いものの、早晩消えるかもと言われていました。
 そんな筒井さんですが、しだいに、メタフィクション的な作風も書かれ、ミステリや歴史、純文学、ジョブナイルと幅広い作品を世に問い、押しも押されぬ大家、重鎮となって齢90歳を超えてもその評価は下がりません。
 星さんの、ショートショートの設定がエヌ氏など時代も国も抽象的でいつの時代でも楽しめる出来なのに対し、筒井さんのはその時代ポッキリな印象があったのですが、今見ていると普遍的であり、40年も前から今を予見していたような作品が多いことに驚きます。
 サムネの「最後の喫煙者」1987年の創作で、1980年代からそろそろと禁煙の運動とかは始まっていましたが、まだまだこの時代、職場でも愛煙家の居場所はあり、仕事しながらプカプカも当たり前でした。
 この作品では地球上で『最後の喫煙者』になった「おれ」小説家が、それまでに起きた嫌煙権運動を振り返る設定になっています。『健康ファシズム』と評され、愛煙家・喫煙者差別が、煙草屋が村八分にされ、魔女狩りレベルの排斥運動となって大きな騒動となりヒステリックに過激化していく様子を、主人公である小説家の視点から面白おかしく描いています。完璧に現代とマッチはしていないかもしれませんが、何かあると過激なまでに排斥したがる人権派的なエセ正義の描かれ方は、まさに現代を皮肉っています。

 

 今回目にした、「旅のラゴス」という連作からなる長編の作品も、同年代に書かれたのですが、全く中身は色褪せない内容で、発売後も何年経ってもジワジワ売れ続け、20年くらいたって再ブレイクしたという珍しい経緯の作品です。

 高度な文明を持っていた黄色い星を脱出した1000人の移住者が「この地」に着きます。人々は機械を直す術を持たず、文明はわずか数年で原始に逆戻りしていまします。その代償として超自然的能力を獲得しました。それから2200年余り経った時代、主人公の「おれ」ラゴスは一生をかけて「この地」のいろいろな場所を旅していきます。超能力で事件が起こる街をその知恵と人柄でラゴスが乗り切り旅を続けます。

 筒井康隆の「おれ」は正統派の一人称小説で、フェアで美しい小説だと思います。多くの小説が3人称で、視点がぶれ、ご都合で独白する人間まで変わりすぎる叙述が多い昨今では純文学以外で珍しいです。
 何周も回る人生を生きる作家さんの作品を読み通すにはやはり一度の人生では足りないような気がします。

道の駅、産直の販売所が今割安でお得

 お米が品不足で値上がりした時も、大消費地の都市部から始まったように、産地に近いほど作物は安いというごく当たり前の真実があります。

 何を今さらという感じですが、産直品や地場の産物や加工品は新鮮で美味しい分、地元でないと手に入らず、値段も激安とはいかない場合も多かったのです。それが、今のタイミングだとそう高くならないで、都会の大手スーパーなどよりも安く入手できたり、少し高くても鮮度や美味しさを考えると損ではないケースが増えている気がします。
 先日も和歌山のある駅前でみかんを買いましたが、やや不ぞろいながら京都で買うかなり親切な果実店よりも美味しいものが安かったです。
 値上がりして高いと言われるキャベツですが、小ぶりんものですが、200円ぐらいのもまだありました。市場価格というのもあるのでしょうが、中間業者や物流が少ないなら、市場に合わせて値上げする必要もないのでしょう。
 統計的なものではなく、あくまで個人の見聞、取材の範囲ですが、お米やみかん。冬物野菜など多くの生鮮食品と、ジャムなどの加工品にも顕著なものがありました。
 ジャムの例でいくと、大手メーカーのジャムが値上がりしたり、量が減っていく中、地場の手作りのジャムは元々高いのですが、そう値上がりせずに。大手のものがコスト高で追い付いてきている現象があります。同じくらいなら、手作りで添加物が少ない方が良いに決まっています。

 人件費、原材料、光熱費、運賃など何もかも上昇する中、ある程度利幅をとっていた商品はいきなり値上げしなくてもすんでいるわけです。もちろん、個人経営で家賃や光熱費、人件費を払いながら、原材料費がぐんぐん上がるとたまらないでしょうからやがては多くが値上がりするでしょう。ただ少しでも移動にかかるコストが抑えられるのが地産地消型なのでしょう。

 別にそういうところの宣伝をするつもりでもないですが、大手流通に比べて、価格政策に鈍感なところもあり、値決めが遅い場合もあるのでそこは今チャンスがあります。
 保存がきくものはまとめ買い。ふるさと納税という手もアリです。

黄金といえる60代の時間を楽しめるように

 60代は高齢者の入り口と言える年齢でしょうか。
 若い時も、未来が見えず悩み苦くて甘い時を過ごした人も、年齢を重ねてどうなったでしょうか。若い頃の方が良かったと言う人、年齢を重ねた方ができることも多く、気楽になった人もいるでしょう。

 いつの年代でも、流れる時間は同じで、大切にしないといけないのは同じです。しかし、大人になって、年を重ねると、身体も衰え、仕事は軽減されたりリタイアするケースも出てきます。
 まだバリバリ働いている人も、悠々自適に退職金や年金、資産運用で遊びだせると言う人ももちろんいます。悠々とはいかなくても、切り詰めながらものんびりゆったりと過ごす人もいます。
 苦くて甘いのは、いつの時代も変わらないかと思います。どう噛みしめて楽しむかでしょう。

 そうです、どの世代でもそうですが、限られた時間を楽しむことが大切です。過ぎた時間は帰らないし、若さを取り戻すことはできません。それでも喪失感で、萎れていても、その時間はどんどん減っていきます。今を大切にして、この世代を楽しむことです。

 幸い、多くの情報が手に入る時代です。70歳やそれ以上になると、長生きはできても身体などにはやはり衰えが来て、十分に楽しめるとは言えない時期に差し掛かります。

 介護がいるようになった時の備えや、死んだときの費用まで細かく計算し心配する人がおられますが、まずは長い間働き頑張ってたのですから、当面の生活が脅かされ老後に無一文になるとかでないのであれば、今の時間をもっと楽しめばいいと思います。毎年何度も海外旅行などに行き、グルメやファッションを満喫するほどのお金はなくとも、まとまった時間は取れる世代なので、遊び方は沢山あるはずです。
 同窓で、楽しんでいる人も多い中、60歳で仕事を卒業して、喪失感なのか、男女を問わず、この数年で元気の無くなった感じの人もおられました。誰もが陥るロスです。この時に知恵を絞って、情報を集めて考えて乗りきることです。楽しいことを考えるのに、悩むことはないはずです。

 心身のストレスをためないためにも、少し考え努力して、遊び、楽しむことです。遊びの計画を立てる時ほど、楽しい時間はありません。

人事院勧告は6倍 額も率もショボく遅い年金の増額

 現在奉職を戴く公務員で年金機構にも勤めた私が年金の件に関して、批判的なのもアレですが、ホンネで何度か書いています。探すと1年前も同じような発表画像サムネでやっていました。

 年金額上がります 保険料なども上がります – 天使の星座

 年金の内容を上げると賛否いくつかいただきました。勘違いされては困るのですが、年金制度があること、生活保護も含めた日本のセーフティーネットの立て付けそのものはそう悪くありません。
 繰り上げ繰り下げの件でも、納付してからその間の運用なども民間の保険や個人が投資してなかなかこのレベルにはできない面もありますし、多くの人はやらずにほっておいて老後や障害を迎えるかもしれません。
 ただ、昨今の厚労省の在り方、特にマクロ経済スライドが実際発動し、介護保険料や他の税金なども物価とともに大きく上がると、年金生活は実際には極めて厳しいものになっているということです。

  昨年末、人事院勧告で令和6年4月に遡り、俸給(公務員の給与)は上がりました。

 私も俸給が上がった9カ月分が昨年の最終日に入金され、12月は年末調整後の給与と賞与(約2.5カ月)とこの調整分が入り、年金の入る偶数月でもあるのでホクホクでした。
 ただ、平たくいうと同じ22万程度だとすると、年金は1.9%増で4000円強だけ増えるのに、俸給は12~14%増え毎月2万4千円弱も上昇です。
 人事院勧告は民間企業の賃金、年金は消費者物価指数を基準にするのでこの差はあるのでしょうが、物価も方こそもっと上がっていないかと思うのです。マクロ経済スライドで1%は減額するのは分かりますが、年金も1割以上上がって、しかも昨年の分から遡って上げてもしかるべしではないのかと思います。
 そう時期ですが俸給は遡って年度初めにあたる昨年の四月分からまとめて払ってくれて1月から上がっているのに、年金は今年6月まで待たないと行けません。
 公務員も民間に負けない優秀な人材も獲らないといけないですが。物価が上がって苦しいには年金生活者です。やればできるのに、目先の給付とかではなく、税金を減らすなり、年金をもう少し消費の実態に合わせて早いタイミングで増額するかです。

 ましてや、同じ厚労省管轄で、後期高齢者医療保険料もしくは健康保険料と介護保険料は毎年上がっています、介護保険だけでも、老齢基礎年金の上昇だけで、1400円は帳消しにされていますのではという試算もあります。
 年金だけが収入になった高齢者にとって、消費の割合をしめるのは物価指数だけではなく、社会保険料が高額を占めています。そこが上がれば6月に上がった年金が、前の年の所得が確定した8月以降天引きが増えて、実質はさらに下がるのです。せめて、公務員の俸給なみに月3万上がれば数千円の上昇は納得いきますが、このような複雑は計算で結局微々たる上昇で、それも公共料金負担で目減りするのでは不満も出るのは当たり前です。
 財務省の税金もですが、せめて厚労省の中で、年金と健康保険介護保険を考えて配慮した支給額にしないと、このような複雑なマクロ経済スライドを計算している職員も浮かばれないです。
 プレジデントの前週号の年金特集に日本の年金水準が諸外国に比べ構造的低いのが図表ででていましたが、いろいろ日本にも良い制度、良い点もあるのでしょうが、こと給付水準のレベルに関してはマクロ経済スライドが進みやはり低すぎるのが実感です。国民年金はこれでもマクロ経済スライドの財源が足りないのも大きな問題です。
 少し、抜本的発想を変えた税と社会保障の一体改革が必要です。

不満が多いのは税割合が高すぎる、五公五民 – 天使の星座

満額の老齢基礎年金でも生活保護!? – 天使の星座

【年金】繰り上げか繰り下げか、損得、元が取れるという発想が違う – 天使の星座

伝統的本格 楠谷佑「案山子の村の殺人」

 年末から、いろいろミステリも読んでるけど、他に書くネタが多くて時間ばかり経過してしまいました。
 案山子だらけの宵待村で、案山子に毒の矢が射込まれ、別の案山子が消失し、ついに殺人事件が勃発する。現場はいわゆる雪の密室の様相を呈していた――。“楠谷佑”のペンネームで活動する合作推理作家の大学生コンビが謎に挑むシリーズ第一弾。本格推理の俊英が二度に亙る〈読者への挑戦状〉を掲げて謎解きの愉しみを満喫させる、渾身の推理巨編! 
 というamazonの煽りです。

 半分忘れかけているけれど、11月になるとミステリランキングが出るのですが、昨年のベスト10には入っていた作品。読む機会があって 楠谷佑「案山子の村の殺人」伝統的本格とも言える「読者への挑戦」をトリックと、犯人当てで二回も挿入する復古的テクニックと、案山子の村という現代でも上手くおどろおどろしさを出している、

 エラリークイーンや横溝や初期の新本格のテイストを感じます。

 本格が好きではない人はちょっと、付き合いづらい面もあります。個人的には主人公側が3人になるのが、慣れるまで煩雑ですね、このあたりが楽しめるのでしょう。
 この他にも、それ以前のこのミスなどの上位作品、イヤミスの新作などいろいろ読んでるけど、まとめて紹介しても読まれないだろうし、難しいものだと思います。
 今日は、旅先に別のミステリ持って途中までほっこりと、特急の座席で読書の予定です。ミステリは知的パズルとして、頭の老化を防ぎます。

 

ルックスで選ぶ女子アナ不要論

 
 中居正広の引退が報道されましたが、個人の不祥事というより、今やフジテレビの会社を揺るがし、テレビ局、芸能界を揺るがす騒ぎになっています。
 女性の若いアナウンサーが番組を彩りだしたのは随分以前かあですが、あれよあれよと増えだし最近はちょっと私から見ても異常でした。テレビ局は宣伝だけでなく、女性の人権をも侵害しながらいわゆる性接待のようなところまで進んでいました、そこには通常の報道から、かけ離れたアイドル的職業のまさに偶像ができていました。しかし、大手テレビ局の性接待問題、その根底にあるルッキズムといのはやはり問題が大きいとは思いますし、女子アナ批判の論説もいくつか散見されました。
 
 女性〇〇、女〇〇という言葉は最近は差別を感じさせるということで不適切であまり使われないはずです。女優という表現も俳優に置き換えられています。それなのに女子アナという言葉は、若い、華やかなという意味を含めて、未だに使われていました。
 
 10年ほど前、大阪の職場のすぐ近くに、関西の準キー局読売テレビがあり、当時局アナだった辛坊治郎氏の番組なども見て、安倍晋三、麻生太郎が出演する時大変な警備になった時の知っています。その時代で関西でさえ、現在フリーになった川田裕美さんというキレイなアナウンサーがいて政治家よりも女子アナが見たいという人がいるほど随分売り出しの人気者がおられました。その後も同局は毎年ミス東大やらアイドルコピーユニットのセンターといったルックスで選んだ路線を展開しています。
 もうその前後の時期から、関西でも各局がアイドル的な若手アナを揃えてきていまして、中央の今問題のフジでも日テレでもテレ朝、TBSでも、朝の番組はじめ、もう判で押したような美人ぞろいで、長澤まさみや北川景子クラスのアナウンサーが、他の芸能人を取材してもどっちが上かわからない感じでした。朝や夕方の情報番組のメインキャストが日替わりで、誰が誰か良く分からない美人ぞろいといのが当たり前になっているのがキー局です。もうこれは報道とかではない感じです。
 女性側も高収入と名誉、芸能人やアスリート、財界人と交際し、玉の輿に乗るチャンスでもあり、まともにアナウンサーの職を続けて、熟年、定年を迎えるような仕事への取組み方ではないのでした。
「女性アナを商品化したメディアだけでなく、日本で暮らしている人の多くが、無自覚にこのマーケットに加担しているはずです」
 と元TBS女子アナでエッセイストの小島慶子さんは語っておられます。
 女性アナウンサーは一部を除き、若い方が多いのです。タモリさんに恨みも疑惑もないですが、タモリとぶらついたり音楽を紹介する番組が、テレビ界の縮図です。年配の男性と、若い女性アナのペア、決して高齢の女性アナはないのです。熟年男性と若い女性、実際に若い世代で女性が多く占めるのに対し。40代以上では逆転します。お笑いや文化人、司会者などは男性が圧倒的です。
 海外の人に日本のアナウンサーの仕事を説明するのはとても難しいそうです。多くの国では、ニュース番組のキャスターをやる人は、経験を積んだ記者です。日本では放送局の社員アナウンサーがニュースも読むし、バラエティ番組でタレントさんと同じようにコメントもして、リアクションもするのです。出演業務ならなんでもする局アナです。テレビ局は、番組予算に出演料を計上しなくていい、“タダで使える専属タレント” として便利に使ってきたわけです。

 ニュースを読むだけなら、AIでもう十分なのに、本当にたくさんメイン、サブ、天気、スポーツ、外の中継と一つのニュース番組にいっぱいおられ、みんなで挨拶が日本の報道の定番です
 女性も含めて、若い子の失敗を微笑ましく見て、成長を応援する人も多いのでしょう。しかし、やはりそれも裏では今回の接待のような問題を助長しています。何せ、フジに限らず。業界の体質はあまりにもひどいものです。

 その高収入を支えるのは、テレビ局のスポンサー、広告収入でしたが、もう地上波の視聴率も下がり、見ている人も少ないです。CMは今回の件で撤退も増えます。
 テレビ界は斜陽の業界でその転落は加速します。政治家や企業のお嬢さんも何を間違って、女子アナを目指すのか、真剣な報道に取り組まない方は、もうアナウンサーを目指さない時代が来て良いはずです。
 

 男性目線の私らは言われても仕方がない部分です。女性の中にも若い女性のアナウンサーを面白く思い、応援している人もいるでしょう。
 いろんな感じ方、考え方があるでしょう。

6月で休刊だそうです

 鉄道ジャーナルという私が本格的に30代で鉄道好きとなるキッカケの一つだった雑誌が今年6月号で休刊となります。1月21日発売のもので3月号ですから、4月20日過ぎに出る号でお休みに入り、そのまま廃刊の可能性も高いでしょう。
 同嗜好の「鉄道ファン」に比べ交通政策などにも言及した考察型の記事も多く、美しい写真やかつてはレイルウエイライターの種村直樹の記事も楽しめました。
 鉄道は何となく好きでも、地元の阪急電車と、転勤先の鉄道くらいしか知らなった私は、独身の気晴らしに手にしたのが、この雑誌との出会いです。
 現代はもはやどのジャンルも出版不況の嵐にさらされています、図書館の雑誌コーナーでも毎月のように老舗の雑誌の廃刊が見られます。その嵐に勝てなかったのでしょう。
 鉄道のオタク、女性も増え、テレビ番組などは増えていると言われますし、私の好きな廃線鉄、乗り鉄、音鉄。写真や動画の撮り鉄、葬式鉄と細分化されたコアなファンはそれぞれにいます。逆に言えば、総花的な雑誌から情報を得る時代ではなくなってきているのでしょう。
 昔は鉄道会社の新車などの発表も、雑誌で知ることもありましたが、今は経済新聞ばかりか、ネットの情報で先に知ります。新路線や新車体験など、ユーチューバ-がすぐに動画を上げます。ジャーナルの紙媒体の雑誌は美しい写真や詳しいレビューもいいのですが、早くても1カ月半以上遅れます。そして、まあビジュアル系の宿命ですが、写真もカラーで何枚もいれると紙質も上げねばならず価格も高くなります。
 私も随分前から、購入にいたらず図書館や立ち読みでいいわとなってしまいがちです。
 経済紙や旅行誌などの雑誌どころか、無料動画はじめあらゆるところに競合が多い中、1200円を毎月というのは難しいのでしょう。
 新車も新線や廃線もあるもののネタとしても独自なものには限界があり、パターンも枯渇しがちなところはありました。
 他の鉄道雑誌も苦しいところは同様です。それでも子供、大人年齢に関わらず新しい鉄道のファンが生まれるきっかけの紙媒体は続いて欲しいとは願います。