還暦からの人生戦略

 知の巨人とも言われる同志社大学神学部佐藤優さんが、アラカン世代に向けて書いた本です。彼の本としては気取らず比較的分かりやすい内容です。
【紹介文より】
 最高の人生にするための“還暦後の設計図”を提示します。「人生百年時代」となり、還暦以降の時間をどう使うかが大きな問題となってきます。漫然と死に向かって時間が過ぎるのを待つのか、生あるうちにできることを追求するのか――。誰しも、自分の生涯を充実したものにしたいと思うはずです。それには、還暦をすぎた時点でお金、人間関係、教養などの棚卸しをして、この先に備える必要があります。また、死にもいっそう近づくことから、確固とした死生観を持ちたいものです。

 働き方やお金の使い方、貯め方というのはこの世代向けに他の人も良く書かれているので、さほど真新しくもないのですが、なかなかこの世代の人は本当に満足し幸せになる設計をにわかにと言うと難しいものがあります。

「老い」と「死」あるいは「病」といった受け入れづらい、宿命と向き合う世代です。どんなに願っても活気に満ちた若い世代には戻れないのですが、いかに老いに向き合い、楽しんでいくか、かく言う私も60歳、65歳と節目の時期や、時折寂しい気持ちに苛まれます。

 リタイア後、毎日が日曜日、旅行にも気楽にいけ、趣味に時間が費やす優雅なシルバーライフという方もだんだん減ってきています。退職金も年金も少し上の世代に比べ大きく目減りもしています。寿命が延びていると言われる割には、働ける環境もなく目標もなく、何年かすると急に老け込む人、健康を害したりする人もいます。
 メンタルでも、自分の生きてきた時間や、今の時間も、これからの時間も何だか、価値のないどうでも良いものに思える時は誰にもあります。

 でも、それは気持ちの波のようなもので、何かに打ち込むとふと忘れていたように、良い方向に過去も現在も未來も見えてくるときが来ます。
 スピリチュアルな宗教的依存ではなく、禅的な感じで心を整えていくことも必要な時期かと思います。

 過ぎ去った時間など、戻りようがないことを考え悔やんでも仕方ないし、無理に良かったと思い込んでも、今からの未来にはつながりません。
 今ある、お金や健康、能力、人間関係をざっくりでもいいので棚卸してみて、これからどういう風に生きるか考えてみることも大事です。
 ファイナンシャルプランナー的な、設計です。棚卸はある程度客観的にすべきですが、考えることは楽しく、好きなことをやるには、どう取り捨て選択するかを楽しみながら考えればと思います。

 みんな決して楽には生きていないですし、なんだかんだ苦しんでそれを乗り越えています。
 お金のこと、健康のこと、寿命のこと、しっかり前を向いて備えた方が結論としてはいいに決まってます。こういう本や、このブログみたいな文章の提案内容がいいのかは別として、考えずに、何事にも備えずに悩み落ち込むことは避けましょう。

書評:木住鷹人「危険球」 京都関連受賞作 古都と野球

【紹介文より】夏の甲子園出場をかけた京都府大会決勝。木暮東工業のエース投手・権田至の投げたボールが、境風学園の強打者・仁科涼馬の頭部を直撃した。「あんな球、避けられるでしょ」少年はなぜそのような突き放した言葉を放ったのか?
 鮮烈な京都青春物語と銘打たれ、京都文学賞の受賞作です。この投手と打者だけでなく、関わった審判、両校の友人、双方に感情のからむ女性らさまざまな人間関係が描かれ引き込まれます。

 何より、その投球と言動の「なぜ」が明かされる過程は、ミステリの謎説きめいた面白さもあります。また野球のルールや審判の苦労なども描かれ、野球ファンの視点からも楽しめます。そして「東寺と西寺」「衣笠球場」「伏見の酒蔵」など京都の文学賞狙いっぽい巡りも一興です。

 私も個人的に戦後間もない、京都にタイムスリップする小説を書こうとしていて、衣笠球場は題材にしたかったのですが、ちょっと先にやられたかなと思います。ここの知識が立命館大学に行ってる人にはそう珍しいものではないかもしれません。

 ネタバレになりますが、ゲームやルールとしての野球の展開がもう少しあっても良かったかなと思います。やっかみ半分ですが、もうちょっと深堀りできることも多いのではとも感じました。秀作であることには間違いないです。

 同時期に書店で並んでいる「スピノザの診察室」夏川草介の方は、京都「本」大賞なんですが、さすがにこっちはプロ経験も長い、やはり洗練もされていて、感動度合いとほのぼのもあり、京都情緒もいいです。こちらも超おすすめですね。

 今はたまたま冬ですが、京都というとやはり夏ですね。両作品とも何だか、じりじりするような夏の京都がイメージされます。

「逃亡」「争議」から「バレーボール」近代日本を担った産業とは

 年末年始、少し休みも長いので、多読乱読しようと、いくつか目を引いて手に取った本を買ったり、借りたりしました。

 なぜ、東京なのかというとあまり意味はないのですが、あえて薄い線でいうとべらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜つながりの江戸でしょうか。
 実は、この本の第Ⅱ部第6章において40ページ弱も割いて「女工たちは語ることができるか」と題して、紡績工場とそこで働く女性労働者のことが書いてありました。

 退職直後なので5年ほど前に、カネボウの昔を調べ、創作をしようとして紡績工場の労働実態を調べようとしたことがあったのですが、現代文で書かれた物が少なく難解でお手上げでした。
 その時、あたった文献も含め、平たく、鐘紡も含めた紡績工場の女工とその労務管理について書いてあります。

 日本の近代化への道を支えた紡績、繊維産業がその成り立ちからより理解しやすくなっていますし、東京綿商社という鐘紡の前身が他の工場とともに墨田川べりに当時としては大規模な工業地帯を形成していた時代があったのです。

 当初、士族の娘が、女工についたのですが、工業化と社会の変化で女中奉公も減り、女性の働き口として人数も求められて、大規模化し組織化して、過酷な労務管理下におかれます。

 逃亡や脱走もあった中、「虐待」など過酷なものもあったようです。やがて労働争議という問題も出だします。鐘淵紡績は武藤山治社長の時代に、労使協調路線を先駆けて打ちだし、労働者の待遇改善、福利厚生に取り組み、民間企業では日本初の年金制度も取り入れました。
 大正中期には、各地の工場が、女学校の寄宿舎ぐらいの団欒とした集団生活で規範もでき、教育や娯楽も備えて、何年かすると嫁入り支度が整うか、監督や主任職に回るキャリアができていました。
 その娯楽のひとつに「バレーボール」もありました。当初は設備もコーチも整った裕福な子女の通う高等女学校の強かった競技が、やがて紡績工場の強豪チームが主役となります。戦後の高度経済成長期までをリードした繊維産業、紡績工場のチームが東京オリンピックも主力だったのはうなづけます。
 男性の過酷労働は、鉄鋼や化学工場や炭鉱労働などこれまたさらに体力を要し、危険なものが沢山あり、それらももちろん日本の近代化を支えました。鉱山労働の方の年金制度も早い段階で危険なものと認定され、手厚く進められました。

 戦後と簡単に括りがちですが、東京や大阪のビル群や洒落た街並みも50年ほどさかのぼると泥臭い工場だったのです。日本は、そういう汗と泥の中から、発展したのです。

人生は正解のない思考実験の連続ではないか

 調べてみると、このような多くは明確な正解のない思考実験を取り上げた本は何冊も出ています。「トロッコ問題」のハーバード大学サンデル教授の白熱教室も、文庫にもなっています。

 人生は、こういった思考実験をみずから実証する連続かもしれません。

 進学や就職、結婚、相続など大きなイベントだけでなく、今日何をするとか、どっちの道を選ぶかでも、大きな分かれ目になることもあります。

 重要な選択をいつも、成り行きや他人任せにする人もいれば、熟考や自分の信念のような選択をする人もいるでしょう。

 人生は、数限りない選択肢の連続です。それでも、裏目裏目を選んでしまう人もいます。金運や異性の運の無い人などもそういう感じです。

 思考実験は私などにはパズル的な感じで楽しく読めます。そして、今まで自分の岐路で選択を誤ってきた人は、分析して変えられるヒントになるような気もします。

「今何してる?」と訊かれ

「今何してるの?」と昔の友人に聞かれることがあります。悪気もない日常会話でしょうが、学生時代以来、40年ぶりとかかなりひさしぶりに会った人です。
 SNSでも繋がってないのでプロフィールも、卒業後の就職さえ知らない人に、40年をかいつまんでで、キャリアを語るべきのか、今?「息してる」とボケるか、「本読んでる」とか、勤務先だけ語るのか、「遊んでます」とか何か適当にかわすのか悩んでしまいます。

 本当に悪気はなくとも、こういう質問は、無職だったらどう応えるとか傷つくかもしれないのかなあと思ってしまいます。
 短縮版でキャリアを書きますが、カネボウという会社に大卒で入社して、途中会社が傾き花王グループに吸収されましたが、何とか60歳の定年までは勤め上げました。定年延長や再就職はせず、新しい仕事を探しまして、伏見区役所で半年あまり保険年金課で契約で働いた後3年間京都西年金事務所で国民年金の職員として勤め、京都労働局で3か月有期雇用の後、現在は京都地方裁判所というところで事務官をして1年弱経過しています。

 端折っても、前置きも長くなりましたが、定年後は公務員みたいな堅い仕事をやっていますが、何ていいますか。よくそんなところで採用され、働けましたねと言われますが偶然もあり幸運ですが、大したことではありません。定年以前に比べてわりと力は抜いた感じで、適度に緊張もしながらも楽しんで学ばせていただいています。

 写真の本なのですが、「雇用は契約」の方は、労働や、社会保険、雇用保険などの問題は俯瞰して良く分かる本です。改めて思いますに、私も含め、多くの方が社会人になっても雇用の形態というものは良く分からずに働いているものです。

 大学を卒業してずっと正社員で働き、定年まで同じ会社に安穏としていると、パートさんを雇用していても、家族がアルバイトでもあまり自分の立場や契約というものがわかりません。
 正規非正規、パートや無期有期など、表面的に言葉は分かっていてもなかなか意味や仕組みまではわからないですし、時代によってもいろいろ変わってきます。今もパートの年収の壁なども議論されていますが、雇用問題も10年ぐらいごとに大きく法律も変わっていきます。定年退職か雇用延長を悩み、年金を貰おうかという年代になりやっと労働契約が見えてくるのかもしれません。
 友人や後輩の中には、それでも周りに流されながらという人もいます。転職もせいぜい1回、定年延長や年金受給で、選択を迫られると慌てるものです。

 年金問題と言いますか、年金の制度や手続きも難しいですし、年金事務所に勤めていた私ですら厄介なことが多いです。社会保険労務士の試験となると、年金と合わせて雇用・労働が問題に出ますから、難易度の高い試験です。士業数あり、〇〇士というのは、それなりに必要でもあり難しいというのも良く分かります。
 そして、士業、国家試験でも法曹関係というと、全ての法律を網羅して最高峰かと思いますが、「六法全書」とかいうと、本当にスゴイとも思いますし、その勉強も大変です。しかし、司法試験、弁護士さんや裁判官といえども全てを覚え、実務を行うわけではありません。

 今、私がやっている仕事はパラリーガルと言いますか、裁判所事務官です。六法からさらに細分化した裁判事務、立件や処罰の書類も作り、審査や保存の補助もしますが、ある細分化エリアでは全く未経験でも、分かる部分があります。
「要件事実マニュアル」という本は条文だけ、書かれている六腑から、申し立てや訴訟のやり方をマニュアル化しているものですが、これでも相当な抜粋で、全4冊になります。世の中の全てが法律に絡んでいます。一つの分野で何冊も本がでていますから、法務も奥が深く、ややこしいものです。

 会社法、労働法などは当たり前に、一般企業の経営者や総務などには必要な知識です。

日本が戦ってくれて感謝しています (井上和彦)

 12月8日は日米開戦の日でした。
 冬の寒い日に戦争が始まり、暑い夏の終局を迎えたのです。
 戦争に対して語るとか、記録を残そうというと、どうも右と左、保守とリベラルで大きく価値観も変わり対立するようです。もうかなりのお年寄りだけが、小さい頃戦争を経験した世代です。それ以外の人は、伝聞、教育で戦争を教え込まれています。

 ずっと、その価値観の中で、教師がいて、教育を受け、本を読み、資料を見ていると、どうしてもバイアスのかかった見方を信じきってしまうようです。

 私は一つの本について、書評を含め、必ず左右の見方を確認して両側からの見え方を確認します。

「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」
 この本は保守的な方の書かれたもので、いわゆる日本がアジアに対して植民地支配をしかけ侵略戦争を仕掛けたという自虐史観を否定する内容です。
 フィリピン、インド、台湾、パラオ、ミャンマー、マレーシア、多くの国が欧米諸国から支配され、削除されていた状況から解放、独立して、日本には感謝こそすれ、侵略された意識などないということです。

 私は戦争に至った経緯、国民の多くを犠牲にしてしまった帝国主義がなかったとは言いませんが、多くのアジアの国を解放したことは事実で、この点は左翼の自虐観を全否定します。

 そして、当時は蒋介石率いる国民政府軍と戦いが始まったのが、日米開戦以前の日中戦争であり、朝鮮の併合はさらに前にさかのぼります、中国、韓国には若い世代になっても、反日の歴史が伝わっています。
 しかし、毛沢東語録にも「何も申し訳なく思うことはない。日本は中国に大きな利益をもたらした。日本軍国主義なくして、中国共産党が権力を奪取することはなかった」と日本の政治家に語ったことが記されています、

 その他のアジアの国も、黄色アジア人種が、欧米に対して、各国の奴隷的立場から解放し、近代化の道筋を使ったのが日本だという評価は間違いないのです。

 多くのアジア人は、直接の日本とのかかわり以上に、アジア人が欧米とよく戦ったことに、勇気づけられ、またその後解放、独立につながったことに感謝しているのです。
 中国や韓国は、確かにそこまで感謝されない背景もあるのも分かります。しかし、南京大虐殺にしても、あり得ないほど、日本人が、侵略、略奪をするとはあまりにも誇張、捏造が妄想的過ぎます。

 戦後の一時期、非武装中立、軍隊不保持がもてはやされ、多くの文化人、ジャーナリストも軍隊非保持、非武装中立がお題目になり、「戦争反対」「憲法9条を守る」「自虐」が当たり前の理念になり。自虐からの戦争忌避の考えが浸透しました。「軍隊はいらない、いざ敵国が攻めてきたら、命懸けで家族や国家を護る」という考えを真剣に披露している人もいました。

 もちろん、私以下の世代が知りもしない。焼け跡の闇市を経験している、戦後焼け野原で食うや食わずに生き抜いて、多くの「敵」も見て戦争の辛さ、奪われた者、失った家族との苦い体験をしてきた人です。戦争の問題からは、だからこそただ反対というのは逃げていることにも思えます。

 ならず者のような国家があるのは、否定できません。国家間の戦争でなくても、国境を超えて恐ろしい敵が略奪に来るときがあります。非武装中立だけでは、さすがにならず者は抑えられないのです。国家には、国を護る人、組織は必要です。

 東京裁判の理不尽で、日本が自力で戦争をする力を与えられなかった。その部分をさらに広げて、アジア全体に侵略を企図ぢたというのはいくら何でも否定しないといけなのです。最初は日本も組織や国民のため、戦争を始めました。決して略奪のためではなかったのでした。
 南京での虐殺が大虐殺というまでのスケールか、全く無かったかは分かりませんが、両極端ではなさそうです。大虐殺で何万人というのはあり得ません、日本の長崎、広島の原爆、東京大空襲や沖縄戦は盛っていなくて、何十万人と亡くなっています、事実と、推測は分けて考えるリテラシーが必要です。私は保守でも右翼でもないですが、左翼自虐バイアスにかかった人が使う日本が行った「侵略戦争」というのは少なくとも間違いだと思います、

 この本だって、都合の良い証言を集めて、盛っているところはもちろんあるでしょうが、全部を否定できるものではありません。沢山取材もされています。

 日本はアジアの少なくとも何割かの国の人に感謝されていたのです。

書評:関幸彦「刀伊の入寇」王朝からの防衛問題

 今日、この書評を上げるのも、分かる人には分かるタイミングではありますが、源氏物語の描かれた貴族の摂関政治平安時代にも対外防衛、戦争、軍事、外交という話があったのです。

 対外戦争というと、専門の軍隊があり、軍人や兵士がいて、政府が相手国に宣戦布告して国際法にのっとって、戦争が始まるというやり方は、ごく近代の話です。

 今も局地戦は、民族間の略奪のような小さな争いごとから始まっている場合もあります。
平安時代は、大和朝廷もまだ蝦夷を完全に駆逐したわけでもなく、沖縄は別の独立国、北海道も未開地でした。朝鮮半島は新羅と戦闘状態になったこともありました。
 優雅そうに見える平安貴族ですが、近代的な軍隊は有していなくても、国内をまとめるのにも弓や剣の武力は持ち、兵(つわもの)、武者を要し鍛えてはいました。

 私も含め、初見の人もいるかと思います。学校で出る歴史教科書にはあまりでていません。学校で習う日本史ですら記憶が曖昧な者には背景さえおぼろです。
 その国家を蹂躙する略奪者が来たのが道長の時代、寛仁3年(1019年)3月末から4月にかけて、女真の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐・対馬を襲い、さらに九州に侵攻した事件です。刀伊(とい)とは、高麗語で高麗以東の夷狄(いてき)である東夷(とうい)を指すtoiに、日本の文字を当てたとされています。(wiki参照)
 国家間の戦争というよりも、朝鮮のさらに北方のいわば蛮族が集団で舟で略奪に来たわけですが、そのスケールと残忍さには驚きます。
 元寇は有名ですが、それ以前の日本では最大級の対外危機でした。
 食糧や衣類を強奪、牛馬を食べ、働ける男子は拉致して奴隷にして、女子供、老人は惨殺したようです。死者364人、被虜者1289人、牛馬被害380頭と書にはあります。
 情報伝達の遅い時代で記録にももちろん詳細は遺りずらいものですが、朝廷がその情報を聞き、大宰府が対処して行ったのが、迅速だったのか後手だったのかも想像しかできません。

 某国の拉致被害がそれだけでも、大きな問題になりますが、国家安寧という面では、この規模の危機は絶対に手をこまねいていてはいけない事態です。

 戦後教育の中で、平和憲法遵守、非武装、戦争放棄、武力の不保持ということを金科玉条のように信じ込まされている人がいます。
 戦後の一時期、非武装を唱えるトレンドが学者や文化人、作家などでもよくいました。
しかし、国家の存亡、尊厳の喪失、国民の被害に対して備えは無ければ、国体を維持できないのは、この歴史的事件でもよくわかります。
 結果、この時代も日本が良く戦い、気象の運、高麗の協力もありましたが、刀伊を駆逐しています。
 武力をもって、ならず者を倒すのが正しいのか、武器を持たないでやられるままかは議論の余地のないところです。

鉄道地図好きで良かった

鉄道路線名はどのように名付けられているのかを分類しながら、紹介している本です。
長くなるので、目次の全路線は書かずにカットしようかと思ったのですが、どこも面白いのでだらっと書き流します。

 
◎目的地、それとも起点 ―起終点名をとった線名
 ○根室本線―延伸して釧路本線から改称
 ○函館本線―何度も峠を越えるが今や廃止の危機
 ○留萌本線―消えゆく「最短」の本線
 ○阪急宝塚線―私鉄の経営モデルの老舗
 ○福知山線―舞鶴鎮守府を目指す阪鶴線がルーツ
 ○鹿児島本線―かつては球磨川を遡っていた
 ○長崎本線―佐世保近くを迂回していた旧線
 ○つくばエクスプレス―「本名」は常磐新線
 ○奈良線―奈良県を走らない理由は

◎この町を通ります ―主な経由地をとった線名
 ○山田線―一部三陸鉄道移管で山田へは行かず
 ○赤穂線―山陽本線のバイパスを目指した
 ○飯田線―四社が手を繋いだ長い「国電」
 ○木次線―危機に瀕するスイッチバックの聖地
 ○香椎線―石炭運搬線の博多湾鉄道からJRの近郊線へ

◎この地方のために ―広域地名をとった線名
 ○東北本線―奥州を長駆する北の主役
 ○山手線―「田舎」に敷いた線路も今や都心線
 ○内房線・外房線―何度も線名を変えた路線
 ○富山地方鉄道―戦時体制が生んだ「地鉄」
 ○関西本線―私鉄の社名をそのままで国有化
 ○近鉄南大阪線―河陽→河南→大阪鉄道→関西急行→近鉄
 ○湖西線―江若鉄道の廃線跡をたどる高速線

◎信濃と越後で信越本線 ―国名またはその合成による線名
 ○石勝線夕張支線―平成最後に廃止された路線
 ○磐越西線―磐城国から越後国へ
 ○羽越本線―酒田線と信越線がルーツ
 ○両毛線―上野+下野でなぜ「両毛」なのか
 ○南武線―「多摩川砂利鉄道」は今、タワマンの街を走る
 ○紀勢本線―日本で最後に全通した「本線」
 ○予讃線―讃予線をひっくり返して
 ○伊予鉄道―最古の七六二ミリ狭軌を走った坊っちゃん列車
 ○日豊本線―ルートと線名が何度も変わった

◎東京と横浜で東横線 ―地名を合成した線名
 ○五能線―「途中駅」を合成した?
 ○八高線―起点と終点の頭文字をつなぐ
 ○京浜東北線―首都圏を南北に縦断する「系統名」
 ○東武東上線―たどり着けなかった上州
 ○北陸鉄道金名線―あまりに遠かった目的地
 ○阪和線―戦前に日本一速い「超特急」を運行
 ○福塩線の「塩」ってどこ?―福山から「無名の終点」を目指す
 ○高徳線―幻の「電気軌道」がルーツのJR

◎主要な街道に沿って ―五畿七道と街道に由来
 ○東海道本線―五十三次は今も国の主軸
 ○北陸本線―北陸道に沿う日本海縦貫線
 ○山陰本線―出自の異なる複数路線を併せて
 ○山陽本線―瀬戸内海の船便に対抗して
 ○南海電気鉄道―五畿七道から命名
 ○参宮線―「お宮参り」が線名になったJR

◎川、城、住宅地 ―その他いろいろな線名
 ○中央本線―本州のまん中を通る
 ○東武アーバンパークライン(野田線)―“都市公園”線?
 ○東急田園都市線―渋沢栄一が夢見た田園都市の系譜
 ○大井川鐵道―電源開発とともに生きる
 ○名古屋市営地下鉄名城線―初めて「右・左回り」を採用した環状鉄道
 ○西武鉄道の各線―戦後にことごとく改名
 ○東京の地下鉄路線―多くが都心地名を名乗る

 本線と支線も今や形骸化してますが、途中の駅を線名にしているかと思えば、起終点の合成などや、地域全体の名前など統一感がないのが面白いです。福塩線のように小駅でも起終点に拘ったケースもあるのに、仙山線などは山形でなくともOKなのも一貫性のない路線名です。

 東海道本線がかつては今の御殿場線経由だったように、北陸本線、山陰本線、鹿児島本線なども旧線や支線になった区間がありまます。さらに平行して新幹線ができ3セク化されている線もあり、栄枯盛衰が激しいものです。
 御殿場線も富士山が見事に見えますし、他でも3セクになった路線でも、普通から見える景色は良いです。
 子供の頃から鉄道地図を見るのが好きでした。実際の縮尺ではない、デフォルメした分かりやすい絵図で、地名をよく覚えました。高校野球などで、各県の地名が出ると。どこにあるのか鉄道地図を探したものです。その地図から、その地方をイメージし、その駅や路線を想像したのです。

 地図が読めないのは女性に多いとは言いますが、地図自体に慣れないのか、嫌いなのかその感覚はわかりません。方向音痴というのと、地図嫌いなのもどう結びつくのかよくわかりませんが、知り合いにはいろいろ迷う人がいます。最近は女子の鉄道ファンも増えて、平気に地図や時刻表片手に旅されています。
 幸いか、鉄道地図が大好きだった子供は、それを応用して地理や歴史、文化を学び、全国どこでもあまり迷わないで、どんどん旅する大人になりました。

書評:宮島未奈「成瀬は信じた道を行く」

本屋大賞の「成瀬は天下を取りに行く」の続編、スカッとした性格の主人公の奇行めいた面白さは継続、キャラにハマればリーダビリティに優れあっという間に読めます。
 地域の見守りパトロール、スーパーでのバイトでクレーマー対応、父親目線があったり、観光大使、次々とシチュエーションを変えても、成瀬ファンを増やしていきます。最後は相棒の島崎が締めくくりそれまでの登場人物も総出で連作短編らしい王道でした。
 試し読みと、立ち読みで半分読めそうでナントモ、それはそれでスカッとします。西武やフレンドマートなど地元の実名をどこまで明かすのかという、疑問もあるけど、まあ世の中が淀み不満の多い時代だからこそ、こういうスカッとして心和む話が良いのでしょう。

書評:「成瀬は天下を取りにいく」宮島未奈 – 天使の星座

くちびるに歌を 映画&読書レビュー

 アンジェラ・アキのヒット曲「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」をモチーフにした小説と、その映画化です。

 元々、この歌いつまでもみずみずしい青春を呼び戻せる神曲だと思いますが、2008年なのでもう16年前にもなります。
 そして、この本と映画が少し経った2015年で10年ほど前です。コードブルーでブレイクした新垣結衣が主演という、まさにこの物語の男子生徒と同じ鑑賞の仕方で入った人も、ガッキーを忘れる感動で映画館を涙しながら出てきたそうです。逃げ恥で大ブレイクする直前の新垣結衣と、15歳の中学3年の生徒役で、その後朝ドラや映画でも活躍中の葵わかな、恒松祐里、佐野勇斗らが若い姿で出ています。【以下ネタバレ 今さらの古い作品ですが】

 彼らの成長した姿を見るだけで、もうタイムスリップした感じです。モチーフへの15歳へ手紙、30ぐらいの大人になった新垣結衣演じるピアニストの産休代替教師の思いもあるのですが、彼女自身最後みんなに見送られながら五島を旅立つ、これからの人生まだまだどう生きるのかと気になります。

 小説は生徒の人間模様がもう少しいろいろ描かれていますが、映画はガッキーの悩みを深く掘り下げています。

 自閉症の兄のために、生徒たちが大会後に歌う姿は共通の感動を呼びます。涙ぐみ必至の場面です。

 映画はあと、長崎、五島の自然が素晴らしくキレイです。

 いつか旅したくなると思います。大きなクリアな画面で再生したくなる映画です。

 そして、やはり原点となった アンジェラ・アキの歌詞。
そういつの時代も悲しみは避けて通れない。苦くて甘い今を生きている。
 15歳の倍の30歳の、未来の自分に、逆に昔の自分に手紙を送った、そのさらに倍以上の時を経ても、人生に全ての意味があり、苦くて甘い今があるのです。

 また若い頃の悩んでいた自分に手紙を書きましょう。今さらやり取りできないと思わず、きっと何かいい返事が来るような、気づきがあります。