書評:似鳥鶏「夏休みの空欄探し」

 旅の途中で読んだ軽めでも、楽しく、ほろ苦く、さわやかな青春ミステリです。
 引き込まれると、旅の途中は、乗り換えや車窓の楽しみもあり、とても悩ましかったものです。。

 雑学や謎解きが好きな高2のライの前に現れた暗号を持った美人姉妹、アニメにもよく設定されそうな平凡でシャイな語り手主人公と素敵なヒロイン。
 仲良しでもないのに大学生の姉のほうに関心を持ったクラスの人気者キヨがバディ的に加わり、4人で暗号の指定先をめぐる夏のお楽しみのようなお出かけです。
 パズルを解いては、次のパズルの場所へと誘われます。謎解き、暗号の面白さもですが、ラブコメ要素のあり、地図を広げて一緒に旅行気分を味わいつつも、最初から出来過ぎた謎、ほんのり影を落としているものが伏線回収され、ラストは切なさも含みつつ、しっかりとアオハルを生きる主人公たちです。

 ジョブナイルもの、ティーン向けの設定ですが、暗号も、雑学ペダントリーもそれなり深く、大人も楽しんで読めました。オタクとクラスの人気者、両極端の男二人は生きる目的に悩み、お互いを羨ましく思っています。
「モテモテの人気者になれば悩ましくなくなる」
「何をしたかいか分かる、何かのオタクになれば悩まなくなる」
 お互いの思いはやがて友情と共闘につながります。
 それぞれに共感する部分も多いですが、自分自身は主人公のオタクに近いところもありますが、目立ちたい人気者でもありたいような感情が錯綜します。生きるのに目的があるという前提を疑うことも大切で、それが分かるのはもっと自然に後の話なのでしょう。

 小説技法に関して少しだけ書きます。
小説の形として一人称を貫き、二人称の言葉使いまで気にしているのは文章、小説を書くのに正統派です。
 意外と一人称の主人公視点だけの小説って展開が難しいものですが、上手く仕上がっています。視点人物がバラバラになって神があちこちに飛んで小説を書いているような三人称では小説として、アンフェアというかまとまりがなくなります。
 しかし、映像化すると、キャストや大人の事情で原作通り一人称は難しいものです。

 読みやすいティーン向けの話に、意外なほど人生を考えさせられました。

新しいスキルで自分の未来を創るリスキリング

 いろいろな意味で、あらゆる世代に奨めたいいい本でした。
 実践編ということで、正編が先にあったので後で逆順になりましたが、そちらも読みました。

 もう感想というか、自己宣伝かもしれません。私、最近(と言っても、ここ20年くらい)はよく勉強してるとか、スキルを磨いてると言われて、定年後もいろいろ再就職に活かしたりしています。いい経験や出会いをさせてもらっています。
 この本と著者に共感したというか、最近の社会に求められるスキルの全体象が見えたような感じがします。この本は、もう卒業のような私たち60代、あるいは40ー50代の難しい世代から、若い世代の方も是非読んで欲しい内容です。

【あまりうまくまとめられませんが要約】
 変化し続ける時代、必要なスキルも変化する。リストラ直前とか、中高年の「学び直し」ではなく、どちらかというと企業内で、しかも就業時間内に行うのがリスキリングということです。
 デジタルとか外国語とかだけではなく、ソフト的なリスキリングこそ、長く強く通用するスキルだそうです。
 

 まだまだ、実際にはここまでの理想的というか、戦略的なリスキリングができている個人や企業、公的機関も少ないようには思え、ただリストラや再就職のための勉強と思われがちです。もう少し能動的でかつ、組織的な感じのものが著者の真意でしょう。

 以下は本を受けて、自分の体験とそこから思うことです。

 昔も「ソロバンから電卓」ぐらいの変化はありましたが、自分の大学までの教育と、会社に入っての経験で年を取ればエラくなり、定年までも短く、時代の変化が遅くて逃げ切ったのが私たちの10年以上年上にあたる先輩方でした。
 しかし、会社の寿命が30年、50年と昔も言われて、割合は少なくとも、合併吸収や大型倒産もその頃からありました。先輩風吹かしただけの年功序列での幹部が若い芽を摘んできたことが、その個々人だけでなく会社の成長や変化への対応を遅らせ、ひいては日本の発展を止めていたのかもしれません。


 私が昭和57年に入社し、配属された部署に居られたHという人は「ザ・セールス」と言われるほど、やり手でもあり、厳しくもあり、まあ人情味もある人でした。酔うと、カラオケで当時はやったひょうきん族のアミダ婆の歌が十八番でした。しかし、十年以上経って再会した時は管理職なのですが、パソコンが全くできなくて、なかなか厳しい局面でした。デジタル化の言葉もまだな時代でさえ、このような人が私の会社にも全国にたくさんおられ、おそらく他の会社、業界にもゴマンといたのでしょう。
 自分はできなくても、部下や事務の女性にまかせ、パワハラまがいの指示と社内営業で、逃げ切った人が、10年以上年かさの今の後期高齢者で年金もそれなりで、昭和の高度経済成長期をオレが支えたと思い込んでいるでしょう。

 また、会社としても、個人としても、年功序列がしみ込んでて、勉強は大学までのもの、たまにある社内の研修は要領よくかわし、管理職に滑り込めば現場を離れラクになると、組織の不具合など考えもしていなかったのです。
 ビジネススキルが必要と言われ、パソコンやアカウンティング、外国語を幹部教育のお題目のように掲げても目の前のことしかやらない。私も若手時代そうだったかもしれませんが、これではいけないと分かった時があります。
 そんなままではあまりに一般社会では通用しなのです。大手会社の看板がない下で、割り引けばマトモな資格や能力は大卒と運転免許だけというのでは、いくら何でも20代から成長が止まっているのです。

 40歳ぐらいから私はモーレツに勉強しだしました。簿記やファインナンス、英語、漢字、ITと次々と資格や検定を取りに行きました。別にその先は今いる会社だけを見ていません。転職は大変ですが、リストラもあれば定年後もありますから、その間にやれることをやっておくのです。

 結果、パソコンや会計などは若い人に教えるぐらいになりました。英語も海外事業とまでは行きませんでしたが、管理職としては当然のところまではスコアを上げました。当時でもTOEICなど時間の無駄とか、スキルだけあってもとか陰口はありました。当時の陰口のような人は、社会の波に流され、自分の間違いに気が付いたという話を聞かされました。
 リストラや定年を迎えて〇〇会社で〇長になりました以外に何も書けず、その部門さえも今はないようなら履歴書として読む価値もないと私が他の会社の人事でも思えます。

 定年延長の話が出た時、後輩社員が憤って「いつまでも先輩社員がいてはやりずらいし、なかなか管理職になれない」などとレベルの低いことを言っていました。
 もうその頃から、変革の時代が来ていましたから、延長するといってもそのまんまの条件ではありません。また若い人も自動で管理職になれる時代ではありません。スキルが必要であり、それは定年延長をにらんだ、長く持つ強いスキル、対応力です。その上、自分もやがてその定年延長の恩恵をうけるのであって、昔の人のように先輩風で逃げ切れないので、年下の上司でも上手く疎まれずに仕事のできる丸さ、コミニュケーション力もまさにスキルの一つです。
 本書に出てきた、高田純次さんの嫌われる老害の話の3パターン、「昔話、自慢話、説教」少なくともこれだけはタイミングや相手を考え、意識して抑えできるだけやめましょう。昔の経験には今に通じる良い内容もありますが、上手く伝える状況を見極めないと嫌われるだあけということです。

田中角栄の再評価と金権政治の罪

 田中角栄が今生きていたら、という歴史にIFはありません。それはもう信長や家康とか、諸葛孔明がとかいう映画や漫画で同じレベルです。
 田中角栄が死んでから、石原慎太郎も著作をしたため、最近では最後の弟子と言われる現首相石破さんも初出馬や結婚などエピソードを書いています。角栄の薫英を受けた議員もその後の竹下派にしろ、もう直接かかわって現役なのは小澤一郎ぐらいになりました。
 私も全国の新幹線や高速道路網を築く元になった日本列島改造論はやはり今の国土軸に根幹をなしていると思います。
 田中角栄が逮捕され裁判になった頃は、学生から社会人になったばかりで、政治の奥まで感心も少なく、角栄=金権政治というステレオタイプなマスコミの刷り込みだけでした。
 今、そのブルドーザーのような実行力と、人たらしとも言われた人心掌握術などは、多くの名言とともに再評価されています。それとともに、結局ロッキード事件はアメリカ、反田中派の仕掛けた策略に検察が手柄欲しさに走った冤罪だとの説も根強く、これはもうここで検証もできないことです。
 その後のいくつかの著名政治家や有名人も逮捕もあり、有罪もあれば一部冤罪もあり、灰色の決着もあります。

 田中角栄に対して言えるのは、総理大臣の立場としてはやや細かい内容の証拠で状況から有罪とされています。今の法律、コンプライアンスでは叩けば埃が出まくるのは間違いはないでしょう。その意味では冤罪とするほどの内容ではないとは思います。
 しかし、新幹線網も当初の計画のようには進まず、東北と地元上越は先行したものの、死んで30年後でも北陸はやっと最近できつつあり、羽越や山陰、四国などは影も形もありません。それどころか、国鉄は大赤字で解体されました。高齢者を票田にするため。農業や社会保障に回した制度も、今に尾を引く禍根とも言える財政破綻を産みました。年金制度や医療保険も当時の高齢者が恵まれて、それこそ未来の世代が苦しんでいるのです。


 角栄の大きな罪として、今も残念なのは政治の金権体質に今の自民党はじめ政界をどっぷり漬けたことです。もちろん全くの最初ではないでしょうが、そのやり方は強引で破格の金額と伝わります。
 福田派議員や無派閥の議員にも、人たらしであると同時に大きなお金を動かしていたのは間違いのない話です。
 時代がまだ、昭和という前時代であり、たとえば人権とか不倫とか言う今とは比べられないです。妻がありながら2号や妾とも言われた愛人を囲うのが政治家や実業家などに当たり前の時代です。商品券10万円で騒ぎになるようなことも皆無だったでしょう。
 しかし、一度、政治が理念や思想信条よりも、カネや数だけが優先になると、どんどんその傾向は強まり、汚れた堕落したものとなります。角栄門下の野中広務と小澤一郎、橋本龍太郎、小渕恵三らの時代の、推進力やリーダーシップも無ければ、尊い倫理もない政治闘争の時代に入りました。
 私は角栄自身が今の政治、自民党に直接悪い影響を与えてるとは思いませんが、彼を追い落とした政治家や官僚などが、結局同じように金権政治、思想なき数の論理を強めてしまったのが閉塞を産んだのです。
 独善と独裁、カネを使って数を奪えばいいということを強め、今に至ります。政策や国民目線をどんどん離れ、政局、政争優先が結局日本の活力を奪っていったのです。

田中角栄1983年北陸 | 天使の星座

旅先で読んだ 華麗なる一族の、女性活躍大正ロマン

 2025年のこのミス3位ということで、ミステリ好きだけではギブアップする時代もので文庫本でも1200円ぐらいする長く重い物語です。ミステリというより時代モノで、名家での女性の半生を描いた読み応え十分の内容で間違いなくオススメです。最初は登場人物の名前なども昔の女性ですから短いので誰が誰か覚えるまで私も感情移入が難しかったものです。
 本当にこの時代の文化、史実、風俗を良く調べて物語にしてます。著者は私より少し年下の女性?参考文献リストだけでも厖大です。維新後の発展、戦争景気の波など家を取り巻く状況は変化して、火事や病気などミステリ要素以外でも事故や事件も頻発するわけです。
 常に主人公かな子の視点で、目の前の事象と思いが描かれるのは小気味いいほど正統派な小説です。


【紹介文より】
 『細雪』×『華麗なる一族』×ミステリ!
「女であっても、私はすべてを手に入れたい」
富豪一家に拾われた娘のたったひとりの闘いが始まる。

横濱で知らぬ者なき富豪一族、檜垣澤家。当主の妾だった母を亡くし、高木かな子はこの家に引き取られる。商売の舵取りをする大奥様。互いに美を競い合う三姉妹。檜垣澤は女系が治めていた。そしてある夜、婿養子が不審な死を遂げる。政略結婚、軍との交渉、昏い秘密。陰謀渦巻く館でその才を開花させたかな子が辿り着いた真実とは──。小説の醍醐味、その全てが注ぎこまれた、傑作長篇ミステリ。

 と謳われていますが、書評の中にもこれがミステリ?と言われるほど、ミステリ色は薄いです。事件の真相を解決するという意味では広義の非本格であり、小説としては正統派なのでしょう。

 着物や家事の作法などよくこの時代のことを見てきたように再現しています。スペイン風邪の猛威と対抗策はもちろんコロナを彷彿させます。戦争の軍靴の音も聞こえだす、そして大正の関東地方の大災害へと物語は進みます。

 仕事の行きかえりの短い時間では読み進まず、旅先の車中とホテルでようやく読めました。カバーはしてましたがさすがにカバンの中でくしゃくしゃになりました。

 すき家の問題 労働環境

 すき家の味噌汁に異物混入、いわゆるミッキーマウスさんが入っていた騒ぎで、一時営業を休止、24時間営業をやめる方向らしいです。

 一時、バイトテロなどが流行りバズった投稿が未だにあります。

 外国人の従業員もどこの業界にも増えましたが、深夜特に飲食業は、働く方のストレスも考え、また監視の方法、モラルの教育も問題でしょう

 すき家は昔からよく仕事先の近所などでよく行きメニューは好きなものも多いですが仕事はハードそうです。今はオーダーがタッチパネルやモバイルで先に済ましてとかが増えましたが、以前昼間にワンオペかツーオペでやってる時など、客は注文でも騒ぐし相当悲惨な職場に見えました。

 やはり、他の店より事件発覚が多い企業は何かシステムに欠陥、何か問題があるのでしょう。

 セントラキッチンや、大量仕入れなど大手は原価低減のやり方も多く持っていて、物価高の中庶民にはありがたいとも言えます。それだけに残念です。

 先日行った神戸の、個人経営の店のランチなど、お米その他の値上がりに苦労されながらもいろいろ食材の美味しいものでした。値段は安くなく珈琲もつかず1180円と、二の足踏む人もいそうな値段です。それでも値上げに恐縮したPOP、ライスの大盛りも無料から100円プラスとか書かれてました。

 ちらっと見たシフト表にはけっこうな人数が関わっているのが知れました。やはり、個人経営は管理だけても大変なコストでしょう。手間はかかっても美味しい店、これはこれで淘汰されず残っていて欲しいものです。

 

磁気のカードや切符・定期券卒業

 3月改編ということで、テレビの番組も昨日までで最終回を迎えたり、キャスターやアナウンサーが卒業、異動などで挨拶されたりと、淋しいような季節でもあります。

 JRや大手私鉄も春のダイヤ改正もありましたが、一部には企画切符や磁気カードの定期券類が発売終了という案内も見かけました。

 4月は定期購入で窓口が大混雑するのですが、定期券もICOCA使えるんだっと感心してたのがついこないだのようなのに、あっという間に阪急は磁気定期券廃止になるようです。京阪は多くの駅で磁気の券売機すら廃止ですから、紙やカードはどんどんなくなっていきます。

 京都に住む私が神戸方面、神鉄や北条鉄道に乗る時によく利用している阪急阪神の1DAYパスも3月31日で磁気カードは廃止で、デジタルに移行するそうです。

 駅まで買いに行かないといけない磁気券はそれなりに不便でデジタルは便利な気もしますが、やや味気ない気もします。
 ローカル鉄道などはまだ現金で1日券を売るところも多いですが、徐々にQRコードや24時間デジタルなどの企画切符が増えています。駅員がいちいちスタンプを押したり、乗務員が日付を目視で確認するのは今の時代にはそぐわないのでしょう。
外国人向けには、今はイッキにクレカのタッチ決済改札対応も増えています。
 こうなると、日本のオムロン+阪急発の自動改札で切符や磁気カードが瞬時に出てくるガラパゴス系発明も、世界に広がることなく、衰退していきそうです。
 切符が詰まることもなく、メンテナンスも初期費用も少なそうですから、早晩淘汰されそうです。

 区間外の乗車券で入って、手持ちの磁気の定期券や回数券の2枚入れ3枚入れにも瞬時に対応する、とんでもないスペックのカ自動改札機もありましたが、もう磁気券をいれるところのないIC専用機に押されて消え入るのでしょう。

 地方の駅や、世界のほとんどの駅はアナログな乗務員改札か無人改札から、ICカードかクレカのタッチ決済、QRコード決済に進むのです。

 何だか、日本の尖った文化や技術が世界の標準からは、取り残されていくようで残念です。

 

昭和プロレスのハッタリ、喧嘩, 騙された大ウソ、

「昭和史」を紐解くとき、けっこうプロレスという文化は外せない象徴的なものです。
 敗戦で憔悴した日本に、テレビという新しい文明がもたらされ、そこでは力道山というヒーローが空手チョップで大きな外国人をなぎ倒して日本人に勇気と希望を与えました。白黒の街頭テレビに何万人という人が集まったのですから今では信じられない伝説的光景でし。
 テレビぐらいはほぼ家庭に行き渡った私の子供の頃は、アニメ(および連載漫画)のタイガーマスクでプロレスを少し齧った世代で、実際のプロレスは見なくともジャイアント馬場がタイガーマスクを助け、その下にアントニオ猪木が一緒にいたのを覚えている方もいるでしょう。
 力道山亡きあと、日本の高度経済成長期、ジャイアント馬場がプロレス界のエースとなり、アントニオ猪木が追い上げます。
 その後、当時の日本プロレスは分裂し、新日本と全日本の二つの団体に馬場と猪木が別れて競いあうのが、昭和末期のプロレスです。

 この本の煽りでは、
権威を破壊したアントニオ猪木と権威を追求したジャイアント馬場。
新日本プロレスと全日本プロレスの存亡をかけた1972~1988年の〝リアルファイト〟を再検証! となっています。
「俺のライバルは馬場さんじゃない。プロレスに対する世間の偏見だった」(アントニオ猪木/本書独占インタビューより)
「2022年、アントニオ猪木が設立した新日本プロレスと、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスが50周年を迎えた。今も多くのファンの心を熱くする70~80年代の“昭和のプロレス”とは、すなわち猪木・新日本と馬場・全日本の存亡をかけた闘い絵巻だった。本書は両団体が旗揚げした1972年から、昭和の終わりであり、プロレスのゴールデンタイム放送の終わりでもある1988年までに起きた出来事や名勝負を592ページにわたって網羅。その魅力を追求する叙事詩となっている」(著者より)
 この本自体は、そんなに深くバクロ話でもありません。他にも猪木周辺の深い話を書いたものはいくつかあります。

 プロレスなんて野蛮だと言う人と、プロレスはスポーツではなく八百長、ショーだとアンチの方も多く、力道山時代と違い、プロレスは新聞のスポーツ欄にも載らなくなりました。一般スポーツ紙にさえ、野球や競馬でも大きく載るなか取り上げられないマイナーな存在になっていました。

 それでも、一部のコアなファンは「猪木だ、馬場だ」と熱い論争を繰り広げていました。猪木が常に馬場に挑戦する仕掛けをしては、巧みにやり返されて、リアルなファイトは実現せず、夢の対決で終わりました。興行戦争としては、ここに綴られる70年代後半、かなり激しい引き抜きも中傷もあったガチンコの勝負でした。
 二人は5歳の年齢差(昭和13年と18年生まれ)という微妙な開きがありました。実際にピークを過ぎた時期の馬場に、猪木が何度も挑戦を口にしたのは今考えるとある意味卑怯だし、それ以前に猪木はおそらくこの時、プロレスではなく喧嘩で挑む気だったのでしょう。
 あらかじめお互いの技を出し合い受け合い、引き分けにするなどの取り決めがあるのが本来ですが、おそらく猪木は馬場を潰す覚悟での挑戦ですから、そんなものを受けるはずがありません。そして受けないと弱虫で逃げているように追いつめるのです。
 それでもしたたかな馬場は無視していたかと思うと、ある時期見事にやり返します。オープン選手権という大会を開き、強豪外国人を集めて猪木が挑戦するなら参加せよといいます。これは道場破りの挑戦に対し、しっかり力強い用心棒と師範代を揃える常套の対抗です。来るものなら来いと、来ないなら二度と挑戦すると言うなと返します。
 実際の馬場の全日本プロレスでは、猪木が万一参加した時、真剣勝負に強い外国人を次々と充てる算段をしており、不参加が分かると帰国させたレスラーもいるぐらいでした。この話はなかなか面白いです。

 
 この後も、猪木はアジアのチャンピオンの決定リーグ、タッグの統一リーグ戦、格闘技の世界一戦、各地で予選を行い全世界のプロレス最強を決めるIWGPと、次々と挑戦的な企画を出す猪木の新日本プロレスに対し、それ以上のレスラーを集結し、アジア王者も決め、世界最強タッグリーグも行い、世界最高峰といわれたNWAの世界タイトルも日本人で初めて馬場が奪取します。IWGPのために全日本のエース級の外国人アブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜かれると、新日本からタイガージェット・シン、スタン・ハンセンを抜き返します。返り討ちに合い新日本は苦戦します。新日本は猪木の闘魂と言われる激しいファイトこそ人気ですが、外国人は二流で、リーグ戦は羊頭狗肉に終わります。新日本はいつも経営としても、企画全般に今一つギクシャクしていました。そんな劣等生というか、危なっかしいところが猪木側を支えたくなるファン心理かもしれません。 

 ジャイアント馬場というのは、猪木のライバルだったロビンソン、ハンセンを倒した頃を最後にさすがに衰えて、巨体を生かしたユーモアなプロレスの晩年を彩ります。
 猪木は、その鋭い眼光で、体調を崩したり、仲間や好敵手を引き抜かれ離脱されながらも、次々と新たなファイトで格闘技戦、世代闘争、はぐれ国際軍団、マシン軍団と、その時期その時期に新たなファンも掴んでいきます。各世代で出会った、学校や会社などの知り合いでもそれぞれの時期に猪木のファンになったという人も多く、よく騙されているものです。猪木はいわば騙しの名人でもあるのです。

 時にセメントでガチの勝負を行う、道場破り、喧嘩も辞さないスタイルで鍛え上げているプロレスなのですが、裏を返せばやはり勝負として結果は決めておき。決まり事通りにやっているのが日常なのです。

 心底憎たらしいと思う悪役、ライバル役との死闘もですし、権威を持たせるためのタイトル認定団体も、張りぼて、嘘っぱちです。
 或る地区では弱い、日本では強いレスラー、悪役のレスラーもいれば、地元でも正義側に回るのもざらにあります。ロシアやナチスドイツ、モンゴルなど国籍デタラメなケースが多く、兄弟のタッグもほとんど血のつながりがないケースが多いのです。
 ワールドリーグ戦とか、IWGPもそうですが、〇〇代表とか〇〇チャンピオンとかいっても、サッカーのワールドカップやオリンピックの代表のような権威は欠片もありません。経歴、肩書詐欺です。野球のWBCはエキジビションで日本の報道はややこんな傾向にあるのが、アメリカ発らしいです。

 この本にも一部書いていますが、NWAというプロレスの最高権威と言われていた団体が実は相当眉唾な祭り上げられたものなのです。日本に常駐していたタイトルのIWA,NWFとか、PWFが完全なお手盛りなのはわかりますが、NWA自体も架空とは言わないまでもほぼ幻想です。テレビの全米中継もない時代、アメリカ全土を組織しているようなMLBのような組織とはかけ離れた小さな存在だったのです。
 NWAはセントルイスが母体で、ニューヨークは別団体のWWF(一時は傘下も独立)で売上シェア、人口比でもしれています。
 NWA幻想は、まさに私らのタイガーマスク世代の時代の日本プロレスで、当時インター王者の馬場、UN王者の猪木にさらに格上の存在として、NWAのチャンピオンとしてドリーファンクジュニアが来日して二人の挑戦を受けた時に遡るようです。アメリカの情報は伝わらず、地名やそこの人口など日本人が知る由もない時代に作られたハッタリです。
 日本はアメリカにとっても優良なマーケットだったのです。そこで本来、全米ですら権威の大してないタイトルを、世界一のような幻想を植え付けたのがNWA神話の始まりです。
 タイトル、チャンピオンベルトというのは興行の花ですから、地元に一つないとメインエベントで客を呼べないから、団体ができればお手盛りで作るのは当たり前です。ケーブルテレビが広がり、NWAのタイトルも一つになり、ヒール王者が各地のベビーフェイス王者と闘う図式もその後にゆっくり確立されたものです。
 こんなプロレスのような嘘っぱちが、日本の復興、高度経済成長を皮肉にも支えたのです。そしてどこかアメリカ依存の体質と騙されやすい日本人を浮き彫りにしているような気がします。
 それは今のご都合でルールが変わっていくメジャーの野球はじめアメリカ主導のスポーツ中継にも表れます。
 隠れた昭和史とも言える、プロレス興行に中に、昭和の嘘だらけの幻想、洗脳支配の体質が詰まっています。

 

75年前の日米野球

 メジャーリーグの公式戦の開幕試合が日本で行わわれ、かつ日本人選手同士が開幕投手を務め、日本人のスラッガーが双方のスタメンに名を連ねていました。そして、テレビを見た人がそのCMの多さと、そのほとんどが他業種にまたがる大谷翔平さんがらみという驚きの構図で、見た人はもはや洗脳されるようなここ2日間の試合中継でした。
 東京ドームにはいったいどのような特権階級の人が行けるのかとか、いったいどれだけのお金がアメリカ、主催者、MLBや、グッズ関連業者、放送局に流れていくのか、相対的貧困な立場を忘れさせ、庶民はただ一喜一憂のプレイに酔うだけの感じでした。

 公式戦しかも開幕の人気カードを米本土以外で行うというのは、本来禁じ手とも言える、興行優先の選手コンデションも考えない、地元無視な営業です。それでも日米を往復して十分大儲けして帰国の途につくのでしょう。それだけ、日本はMLBの美味しいマーケットなのでしょう。米国内ではバスケ、アメフト、アイスホッケーが強く、サッカーも上昇してきて野球は独占的人気ナンバー1スポーツではありませんから、日本のMLB人気は大助かりなのでしょう。

 確かに大谷翔平選手の身体能力と実力、スター性は群を抜いていてけなすところが見つからないほどです。体格とパワーでアメリカ人に負けない日本人は戦後75年のして、日本人が抱いていた敗戦のコンプレックスを払拭するものです。

 1949年という75年ほど前、戦争が終わって焼け野原から復興しはじめたばかりのサンフランシスコシールズというチームが来日して日本で日米野球が開催されています。主目的は、GHQの米国人とその家族の慰問だったそうですが、国賓級の扱いで日本中は沸き返ったそうです。3Aのチームですが、当時アメリカの事情もわからない日本人は大リーグと思いこみ、田中絹代さんら日本のトップ女優さんらもお出迎え、オープンカーを連ねて京浜国道―銀座へパレードしたそうです。各地で数万人の観衆を集めましたが、日本のできたばかりのプロ球団は0勝6敗で惨敗し、一般もアメリカの強さを感じる中、プロ野球関係者はシールズがアメリカの大リーグの下部リーグの7位と知り絶望するとともに、本格的にスカウトや2リーグ制などの今のNPBにつながるリーグの創設を研究し始めだしたそうです。

 テレビの本放送が1953年でまだその後です。コンテンツとしては日本がアメリカにチームとしては大差をつけられる野球よりも、日本人がアメリカ人を打ちのめすプロレスの方が初期のテレビではわかりやすく人気が出ました、敗戦で自信を失っていた日本人には、さらに米国との差を見せつけられるよりも、嘘くさくても力道山が空手チョップで外国人を打倒する姿が勇気づけになったのでしょう。

 もちろん、その後、高校野球もプロ野球も人気コンテンツに上昇します。日本人メジャーなど夢の夢だった時代から、一人また一人と階段を上るように挑戦者が現われます。

 テレビが当たり前に普及して、ネットも進化して情報はあっという間に早く伝わる時代になりました。アメリカのメジャーリーグを現地とほぼリアルに把握する人もいます。プロレスのハッタリの興行や、3Aを大リーグと誤解させるようなやり方は通用しない時代です。

 とは言え、WBCをはじめ、今回のメジャー開幕戦含め、溢れかえる情報操作は、昔のようなデマではないのせよ、洗脳的な強調傾向はあります。日本人は、いろいろ政治や税金などに文句を言いながらも、高額なチケットやユニフォーム、グッズを買うカモに見られているのも事実なのです。

 相対的貧困から逃れるには、大衆的洗脳に乗せらないことです。

高額療養費制度改定先送り

 医療費の患者負担を抑える高額療養費制度について、石破総理は今年8月からの引き上げをしないことを明らかにしました。

 これまでも議論されており、令和7年度予算が衆院を通過した後の方針変更で予算案の修正が必要となります。

 この点について判断が遅かったとか、追い込まれての修正だとか、色々声がありますが、患者負担を少なくする措置であり、患者の声が届いたわけであるから結果的に良かったのではないかと思います。

 民主主義は「議論に議論を重ね、そこで得た結論はお互い責任を持つが決まりです。官僚や一部与党政治家の思惑で、予算が動き出したから、強引で少々国民が迷惑しても走り出していたのが今までです。議論で好転するなら少数与党、大いに結構な話です。私の家庭もかつて妻が乳がんになり、子供は慢性小児腎臓病で、高額の療養費がかさみました。大企業の現役社員だと、そこそこの所得なので限度額が高かったですが、それでもありがたい制度でした。
 健保組合の高額療養給付もあり、教育費や住宅ローンを抱えながらなんとか、しのぎました。協会けんぽの中小企業の人、自営業やフリーランスで国民健康保険の方など、高額療養費制度がなければ、民間の保険に入っていないと、病気破産か治療を諦めるなどになりかねません。

 こんな大事な計算ができない官僚の部会にも腹が立ち、そこをスルーしかけた与党議員にもイラつきはします。

 速やかに予算修正をして一日も早い予算成立で国民生活を守るべきです。しかし、維新でも国民でも良く話し合うのはいいですが、与党化してしまい大政翼賛会になってしまうのだけは避けて欲しいものです。

怒れ! 年金保険料は元が取れない!

 いろいろ、壁と言われ、社会保障や税の壁などが問題にされますが、私は年金に関してもみんなもっと怒ればと思います。
 年金の給付は煩雑でかつ、杜撰で国側はズルいです。日本年金機構にも勤め、地域の年金委員もやっている立場で複雑な気持ちですが、やはり声を上げるべきとことはあります。

 よく年金は保険だから、必ず掛けたお金が返り、元が取れるものではないのは当たり前、我慢しなさいという人がおられます。
 これは国の罠のようなずるいやり方の代弁になっています。保険の元が取れないのは、リスクに合った時支給要件を満たしていない時だけです。支給要件まで長生きしたのに、払った分さえ貰えないのでは、保険に入らず保険料は支払わず自分で積み立ててた方が良かったのです。
 厚労省、年金機構の関係者はもちろん、政治家や公認会計士、FPの中にもそうやって損しても納得させようと言う人がいます。また繰り下げ年金などで、自分で持っていても使ってしまうし、知識がなく運用もできないから、やはり優れた日本の公的年金制度に全面的に頼るという人もいます。
 しかし、これは違います。他の保険も、支給条件を満たせば掛金以上のものが貰え、医療保険なら病気、火災保険なら火事、自動車保険なら自動車事故の損害に対して掛金以上の給付をしてくれるからこそ【保険】なのです。
 障害年金を思い浮かべると分かりやすいでしょう、老齢年金は長生きした時のための保険なのです。早死にしたならいざ知らず、長生きして一定年齢に達したというのに、払った掛金が返ってこないのであれば、端から年金など掛けないのです。
 今の給付水準はどんどん、遅らせることで年金財政を保とうとしますが、物価が上がると繰り下げより、繰り上げ、繰り上げよりももう年金制度など無い方が良く、支払わないように制度自体壊した方がいいようになってしまうのです。繰り上げ繰り下げで何歳まで生きたら元が取れるとかいう難しい計算、考察を強いられて、悩まされています。
 このことは年金事務所に勤めた私が言うと暴論ですが、給付水準は高く保たないと結局こうなります。頭のいい人が机上で年金制度の維持だけを先に考えたマクロ経済スライド制がっ結局無理が来ているのです。
 繰り下げで先送りしてできるだけ給付を遅らせることを推奨するのもいい加減にしないといけません。
 在職老齢年金の支給停止に至っては論外です。老後のために若い頃から払ってきた厚生年金を、高齢でも所得が多いと1円も貰えないというのは保険の態をなしてないのです。自動車保険をずっと加入して支払っていて、いざ事故起こした年に、1千万円賠償というとき、「あなた年収3千万以上だから保険金おりません、保険金は少子高齢化のため所得の低い人だけに払います」って言われたらブチ切れますよね。それなら最初から保険には入りません。
 元々厚生年金の標準報酬月額に上限もあります。どこかで壁を作って、在職で年金を止めても対象者は限られ歳入に来る金額などしれています。煩雑な壁は作らず、景気を上げ、所得税と、消費が増えることで十分チャラになるはずです。
 年金制度は難しいですが、みんな怒りの声を強く上げないと変わらないのです。