憲法改正へのターニングポイント

 自民党が衆議院の3分の2以上の議席を得たので、国会の安定とともに憲法改正の発議もできそうなところになりました。

 憲法改正というと、「平和憲法を護れ」「9条を護れ」と護憲派、いわゆる左翼系が大騒ぎします。

 しかし、戦後80年を過ぎた今この機会にこそ憲法改正の議論は進めるべきだと思います。

 憲法改正に関しては9条だけの話ではないのに、すぐ全ての議論をフリーズするのは、そろそろやめないといけません。

 憲法を改正するというのは、保守でも革新、右でも左でもないはずです。いやむしろ本来革新系の政治家が叫ぶべきことです。

 日本は異常で、憲法を変えようというのが保守で、維持したいというのが革新、左翼、リベラルです。少し考えるとおかしい話です。

 しかもアメリカに半ば押し付けられた憲法なのに、親中に近い左翼が憲法改正に反対し、親米の保守が改正をしたいというのですからそれも捻れた感じです。

 この問題は余りもタテマエ、うわべだけの言葉が行き交います。

 そもそも「平和憲法」「自衛隊」という言葉も変です。

 平和憲法の対局に「戦争憲法」というものがあるのでしょうか。そんな戦争大好き憲法というものは世界中探してもありません。

 世界で平和よりも自分や家族の生命が危険にさらされる戦時下が好きな人も探してもいないでしょう。

 考えなければ巻き込まれいものではありません。日本の憲法として、戦争に巻き込まれたらどうするか、しっかり議論すべき点です。

 日本が第2次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争を仕掛けた反省と言われますが、戦略の保持や交戦権を認めないというので独立した国を維持できるのでしょうか。

 戦力と交戦権不保持、核保有など論外という主張もあるでしょうが、「正義の秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求する」という前段からして、全て戦争大好きアメリカの傘の下でこその平和ではそれほど身ぎれいなものではありません。

 じゃあ安保条約も無くなり、アメリカの基地が無くなり、自衛隊も無しで、まさに丸腰でいいのか、それも含めていつまでもつまらん論調を終わりにしないといけません。

 実際に交戦権、戦力をどう維持するか、自衛隊でどうなのかしっかり議論し、話しをしていけば良いでしょう。

 軍隊を持たない方が攻められないのが本当にそうならその通りで良いでしょうが、誰もが納得できる議論になるかです。

 自衛隊が軍隊という名前かどうかというのは本当に些末な問題です。

「自衛」+「隊」セルフディフェンスフォースとは変な言葉で、自分で自分を護る部隊?そんなはずはなく、やはり自分の国を護る部隊のはずです。

 自分の仲間、同胞が、家族が他国に攻撃、蹂躙されるとしたら、戦う力、負けない力が必要なのかどうか?

 オープンにしてそこを議論していけば良いのです。当たり前のことですが、他国にああだこうだ言われる筋合いのものではありません。

 極左、極右の人々も、何でもかんでも反対賛成ではなく、研究していればいろいろ建設的な意見も出るかもしれません。

 まずは俎上に載せるこどです。戦争をすることが目的でないことを、ちゃんとして議論に入れば良いことです。極端に言えば、反戦イコール左翼でもないはずです。それなら反戦イコール核保有でも、成り立つのです。

 太平洋戦争下や、戦後の混乱を知らない世代ばかりになり、安直にゲームのように戦争が始まるのは避けないといけません。

 もう一つ憲法や自衛隊の議論に蓋をすることで、結局困るのはアメリカ依存が過度になっていくことです。兵器も武器も軍隊も核もアメリカ頼りで、過度にぼったくられても文句も言えず血税から巻き上げられます。

 国防費の適正もある程度透明化して議論できます。

 だからこそ、戦争に対してもっと現実的に議論しあい、憲法について話しあうべきです。

 80年も経た憲法ですから9条以外でもアップデートしていけば良いと、もう少し気軽に考えられないものかと思うのです。

 

0泊夜行でスキーに行ってた時代があった

 まあ今でも夜行バスはたくさん走っていますが、鉄道ファンにはシュプール号という冬季限定の夜行列車がありました。

 私もスキーなんぞ何年も忘れていました。学生時代にゼミの先生に半強制的に連れていかれ、社会人になってからも若手の独身時代は何度かスキーには行っておりました。

 昭和の若者は土曜日が完全に休みではなかったのです。シュプール号は土曜日の夜に都会を出て朝にスキー場最寄り駅に着くという設定でした。

 クルマは若者にはリッチ過ぎた時代、狭いクロスシートに雑魚寝した風景とともに懐かしく思い出されます。

 それでも、やはりドアツードアとクルマの便利さには勝てず、誰かがクルマを調達できればみんなで乗り込んでいきました。それもゼロ泊が多かったように思います。

 体力はありましたが、その後スノボの時代が来て、やがて若者もスキー場から遠ざかる時代になりました。休みは増えたので、逆にホテルに泊まるようになりました。

 タイムリープとかタイムスリップとかがドラマではありますが、写真のようなざこ寝無理のような気がします。軟弱になったのか若さとか体力だけでなく、スマホがないとかトイレとか含め今の記憶があったままでは、とてもタイムスリップは無理に思えます。

 それでも懐かしく思う、やはりよい時代だったのでしょう。

想像したより高齢者が生きづらくなった21世紀の日本

 今還暦を迎えて、高齢者と呼ばれてもおかしくない世代の人が、子供の頃の昭和末期まではお年寄りはもう少し優遇されていました。

 戦争と、戦後の厳しい時代とその後のモーレツに働いた世代が、日本を支えた人たちなんで現役引退お疲れ様という感じだったのでしょう。

 年金は納めた当時の金額よりも、はるかに大きな金額が貰えて、健康保険の保険料も医療費負担も少なく、介護保険は制度はないのですからもちろん負担も無かったのです。

 年金が年300万、月22万とか25万で当時の物価で昔は天引きもないので、十分生活できました。家族も多いので世話してくれる人がいたのです。

 老人ホームに入れるなどは、世間体が悪い印象すらありました。

 21世紀では家族で高齢者を介護するあらゆる余裕が無くなり、年金の中からか本人が払うか扶養者が負担して施設に入るのが当たり前になっています。それだけでも経済的な負担は大きくのしかかります。そこそこの施設に入ると年金では払いきれない支出になります。

 家族の奉仕で無料だったものが、保険料になり介護保険料の徴収が始まりました。健康保険も無料だった時代は終わり、国民健康保険や、健康保険組合の財政悪化の根源だった高齢者は後期高齢者医療保険制度に切り離されました。2割の負担と、保険料の本人負担も始まり、年金から天引きされ始めました。

 税制改正で富裕層の累進上限が70%から50%そして37%まで下がりました。これに対し年金生活者はこの30年近くで税金も社会保険料もどんどん上がりました。

 リタイア時の虎の子の退職金も、初任給や賞与などに比べ、じわじわと下がり、老後資金は自分で2000万用意が必要と言われるようになりました。お金がないのに長生きすれば罪のような感じの高齢者に厳しい21世紀になっています。

 ロボットが家事をやり、空飛ぶ車が家の上空にいると想像した未来でしたが、そんな未来は庶民には夢でした。平均的な高齢者はここへ来て物価高で相当厳しい生活を強いられています。自治体によっては国保料も高く、公営交通の特典なども減っています。

 ロボットはまだファミレスの配膳かウーバーぐらいしか見かけないですし、おかげで楽になったり安くなった訳でもないです。

 役人や政治家それぞれが年金を優雅にもらってるお年寄りから、もう少したかれるだろうと、あっちからもこっちからも無分別に税金やら保険料も取り立て給付は減らしていきました。支払う年金は年金財政のため抑えられては、仕事とか財産がない高齢者は悲鳴を上げるのは当然です。

 人生100年と言いながらも、サラリーマンの定年は65歳ですから、個々人のファイナンスプラン、バラ色の年金生活は大変厳しいものになります。

 物価高は待ったなしですから、ただでさえ2カ月に1度の年金振り込みですから、1〜2年後の改訂ではなく、食料品の値上がりにスライドして年金生活者支援給付金はもう少し幅広い層に給付すべきです。

 ほぼ国民年金だけの人に5000円程度だけの調整のような制度では貰える人はちょっと嬉しいにせよ、多くの厚生年金受給者の年金生活者には関係ありません。

 配当や事業で所得がある人以外の年金生活者には、物価高に合わせての増額給付を早くすべきです。

 外交、国防、そして少子高齢化ももちろん大事で比べるようなものではありません。しかし、喫緊の国民課題には違いありません。

 減税や社会保険料軽減に財源というのはそもそもおかしいので、既に取りすぎた制度時代の見直しであり、公平公平な老後の最適化です。政治に携わる人、役人・行政のトップはこれを考えないと、政権、国の根本は安定しません。

 失われた30年とかいうのは政治の失策と野党は言いますが、専門家の官僚が酷いのです。

 20世紀末に、将来まで俯瞰したグランドデザインを考えられず、目先のセクトだけの枠組での予算にこだわった官僚の責任が大きいでしょう。自分たちは天下りで悠々と老後を暮らせる退職金や年金をガッツリ貰う立場におれば、実質の所得代替率がどんどん下がり不満が爆発する時期は必然だったのです。

 最後には憲法で守られた最低限の生活、セーフティネットがあるというのはあまりにも横柄な役人の立場です。

 財政が厳しいなら、20世紀末に必要だった天下り団体が、用済みで縮小するとか、役員報酬ぐらいは減らすスタンスがあってもいいはずです。逆に入札で優位に立ち民間を圧迫しているのでは、貴重な税金が上手く経済にまわらないのです。

 退職金の税額控除など、せめて生涯でトータルにすべきです。そもそも巨額の退職金が、起業家でもない、横滑りの役人に何度も支払われることすらおかしい。最低賃金のボランティアでいいぐらいですが、「規定が」とか言って辞退する人もいない。

 この辺から財源を産まないと、金額の多寡は別にしても、不公平感が理不尽すぎます。

 高市総理の回りにも、庶民とはほど遠い世襲議員や官僚出身、財務省洗脳議員もおられますが、負けずに頑張って欲しいものです。

 他党とも協議を重ねた税改正などの案件をおろそかにするとイッキにブームは去ります。

 あえて、高市総理にもう一度エールを送ります。

 

 

 

 

 

没個性、大衆迎合、日本人はなぜ群れたがる

 昨年ミスタージャイアンツと言われた長嶋茂雄さんが亡くなりました。

 私が少年だった昭和40年から50年代という時代は、子供が憧れるスポーツと言えば野球。野球と言えば巨人の時代でした。

 関西にも阪神や南海などたくさん球団があったのですが、テレビのゴールデンタイムは巨人が独占していました。多くの野球少年がYGのジャイアンツの帽子を被っていました。昔はレプリカユニフォームなど無かったのですが、帽子だけはリーズナブルなのかよく被っていました。

 かつてマイナーだったスポーツがオリンピックなどでも注目され、野球というスポーツの相対的な地位は下がりました。その野球の中でも、地域に根ざしたチームが人気を博して、平成にもなると巨人の帽子を被っている子供を見かけることも少なくなりました。

 ところが、令和の時代、ファッションとしても、メジャーリーグの人気チームの帽子を被っている人が増えました。

 昔の巨人のシェアほどではないにせよ、繁華街で子供も大人もドジャースやヤンキースの帽子を被って街を歩くのを見かけます。

 オオタニさん効果なのでしょうが、このオフィシャルの帽子かなりのお値段のものです。

 ウエアはユニクロでも帽子はメジャーという人も見かけます。日本のプロ野球、Jリーグというのは、コアなファンはいるものの。ここまでストリートのファッションにはなりません。

 人権、個性化と言われながら、日本人は、流行、大衆に流されやすいのです。みんながやっていることが、正しくカッコいいと思い、巧みなスポーツビジネスに知らず知らずに搾取されているのがわからないのです。

 世界のどこか別の国に、TOKYOとかロゴのはいったユニフォームや帽子がバカ売れし、埼玉西武ライオンズとか、福岡ソフトバンクホークス、浦和レッズ、名古屋グランパスといった帽子やユニフォームを着て街を歩く若者たちがいるでしょうか。

 前にも書きましたが、グッズだけではなく、もっと大きな放映権料も莫大になり、日本人だけがたくさん支払っております。

 こちらはNHKの受信料に反映するものですし、タダで見れると思われる地上波民放にせよ、スポンサーが自社の商品やサービスに転嫁して、実質は庶民が負担しているのです。

 飲料だけ見ても莫大な金額をCMモデルのタレントやアスリートを使っています。そんなに宣伝費使わずに同じクオリティで価格を抑えた商品があれば買うべきだと思います。

 その価格の原価以上の部分が、日本の社会に上手く分配されずに、多くはフェアトレードでなく、海外の大企業、ブローカーのような広告会社に流れてしまうのが残念です。

続編も騙される それでも感動の連作短編 「看守の信念」城山真一

 刑務所内の謎を解明する連作短編集ミステリ第二弾。

 第一作も巧みなミステリと、珠玉のような人間模様を描いて、短編集の最後でもドンデン返しを食らわされました。この第二弾でも見事に感動と謎解きと、連作の最後でドンデン返しをやってくれます。

 第一作があったから、続編では無理と思って油断してた人はレビュー見ててもたいていひっかかっておられます。

 見事につきますし、やはり中でも「がて」は涙出ます。何度も窃盗で刑務所に入った男とジヤズシンガーと文通のやり取りなのですが、謎解きイコール感涙となる仕掛けがすごいです。

 出所後の就職を仲立ちする部署が登場し、受刑者が働きにつく苦労も描かれます。なかなか社会では一度歯車が狂うと、元に戻るのは難しいのが感じられます。

 職階やら権限、制度など細かく取材されているでしょうし、多くのエピソードも創作とはいえ検証もされているのでしょう。

 取材力と創造力のたくましさに関心するしかない。この事自体がネタバレになりそうですが、連作最後の小気味よいドンデン返しは絶対映像化が不可能なので、本を読むしかないのも好感です。

わざわざお金をかける旅はムダ?

 旅というのは時間と体力と、お金を浪費し、節約した貧乏旅でも贅沢と言えば贅沢なもの、ムダと言えばムダです。

 今や、書物はもちろんリアルは映像で世界中の街を知ることができます。

 大金をかけ、時間と体力をかけて、行ったことがない場所だから実際に見てみたいと思って行ってもガッカリする場合もあります。

 目的にもよりますが、季節や天候が悪かったり、交通機関や宿泊施設のトラブル、自身の体調や同行者の具合によっても、思っていた楽しい旅にはならない場合もあります。

 旅番組やネットなどの情報を信じて行くと、天候が悪いならあきらめはつくものの、もう廃止や休業の場合があったりしますし、ドローンを駆使したり、タクシー移動や膨大な待ち時間を使わないとそんな光景や体験ができない場合もあります。

 それでも現地に行くと安心し、満足してしまい、お土産を買いインスタに上げ、◯◯に行ったと自慢したがるものです。

 別に知り合いが行った自慢を見なくても、他にもっとプロが撮った美しい画像はあるのです。

 ましてや、天候が悪いとかイベントでもないとなるなと、そんなに自慢のものでもありません。

 歴史や文化、映像を見るなら実は旅行しなくても、十分です。

 逆にその土地の文化、風俗、歴史、気候などを本当に知るなら1〜2年住むぐらいでないとわからないものです。日本国内ですが、北日本から中四国まで転勤であちこち住んだ私だ

からわかることです。

 あえて今さらそれができない場合は、同じ旅先に季節やイベントを狙って何度も行くことです。旅の醍醐味はむしろそこかもしれないと思います。

 初乗りや廃線好きの乗り鉄であり、旅大好きの私があえている旅の持論です。

 旅に対する考えも人それぞれですから、旅の目的、ツアーが好きな人や一人旅が好きな人もいて感性が違うのはしかたないところでしょう。

 私は鉄道そのものと、最近は産業遺産にハマってますが、城とか歴史が好きな人とかが、そこに行ってみたいというのは、その目的がはっきりしてるとスッキリします。

 私はあまりプライオリティは高くないのですが、グルメや温泉目的という人も、リアルでないと味わえないのは分かります。まあ、東京や大阪ではたいていのグルメは味わえて、お土産はネットで取寄はかなりできる時代ではあります。

 まあ、やはり旅は気分転換の時間とお金の贅沢な使い道で、旅に行かずにできることは行かずに済ますことです。

 

読書レビュー:「ヒロシマ」ジョン・ハーシー

 米軍従軍記者が、原爆投下直後の広島から.生き延びた6人を追ったルポ。

 医学博士、ドイツ人神父、牧師、開業医、女性労働者、市井の後家さん、それぞれ家族や友人を失い、自らも原爆病と戦いながら生きていきます。

 当たり前のことですが、原爆の日からしばらくは、爆弾の威力も病気になることも誰もわからなかったのです。ガソリンやマグネシウムを前もってまき散らしたのかとも思われていました。

 普通の市民や医者が考えて、当時想像された火器の威力を遥かに超えていました。人道上使用されるべき兵器として、殺傷力だけでもケタ違いすぎていました。

 東京裁判はもちろん戦勝国の主催の法廷であり、公平公正を願うのは無理ですが、日本人に限らずドイツ人やアメリカの一般市民でさえ原爆を投下を決定した者こそ絞首刑にすべき戦犯ではないかと言うのは本音でしょう。

 かと言って、ルポは淡々と綴られます。家が崩れた後にやがて草花が生えだすとかいうのは、やはり取材されてないとわからない描写です。

 1985年までの各人の生き様を追っています。その間に、アメリカはビキニ環礁で核実験、第五福竜丸の事故を起こし、ソ連、中国、インドと核を開発し実験を行う時系列が書かれています。

 ヒロシマの訴えは、常に警鐘を鳴らしておかないと、原爆の惨劇を知らない世代の国会元首や軍人が何をしでかすかわからない時代に入ってきています。

 焼夷弾の空襲には訓練され、防空壕が各所にあった時に比べて、何の危機感もない軟な世代です。ゲームや映画のオブラートに包んだ表現しか見ずに、あれが戦争と思っています。

 しかも家族、地域や近所で助けあい励ましあうような関係も稀有な社会、人口の密集した都会にこんな核攻撃が起これば一体どうなるのか。

 喉が渇けば、冷蔵庫に蓄えがあり、自販機もコンビニもあり、キレイなトイレも風呂もいつでも使える現代。その当たり前の快適の対局に戦争があることは、少なくとも反戦とか思想、政治信条以前の問題として、事実認識と伝えることは必要なのでしょう。

 暑い、苦しい、水を求める人々、重症でもはや見捨てられる人の描写はやはりキツいですが、世界のどこかの戦争ではこういう場面が今もあるのかと思うと、人類は何をやっているなかと思います。

 核はやはり禁じ手にしないと

名作読者レビュー:松本清張「点と線」

 古典とか昔の名作を再読するのも滅多にないのですが、たまたま、気になった興味深い点がいくつかあり、文春文庫がキレイで読みやすそうに見えたのでイッキ読みしました。

 とにかく文章上手いし、面白いし、まあそれほど長くないのですが、あっという間でした。

 昭和32年連載開始で、映画化も含め、66歳の私が生まれる前、新幹線もできる前の時代の作品です。

 中学生ぐらいの時に、松本清張さんがわりとブームにもなってて、カッパ・ノベルス(新書判)を母が買ってて読んだのではと思います。内容はあんまり記憶にないのですが、同じキャラの刑事が出る「時間の習俗」も読んだかすかな記憶があり既読だと思います。

 福岡の香椎海岸で見つかった男女の服毒死体。官僚と水商売の女性の心中かと見られたものを地元刑事が、男性の財布に入っていた寝台特急の食堂車から、小さな疑惑を抱き、警視庁の若手刑事へと繋ぎ、精緻で堅牢な大きな壁が少しずつ、

 ネタバレ的に、有名なアリバイトリックが上っ面だけで語られて、交通インフラが進化した今では、古臭い印象だけ上書きされていました。

 いや、なかなか全てに面白いのです。

 アリバイそのものは、専門家の鮎川哲也らが貶したらしいですが、ストーリーとしてよくできています。

 堅牢なアリバイの壁が何重にも刑事に立ちはだかります。そして、犯行の背景が、社会的でもあり、また男女のドロドロした情念もありで、このあたりは鮎川哲也など全く及ばない力量です。

 警察小説的な展開で、最初の犯人の登場からは、あとは全て捜査する警察側からの視点で、倒叙もののような構成です。最後は警視庁と福岡の刑事の書簡だけで真相が明かされます。

 社会派と言われる官僚と癒着業者の不適切な関係、汚職が絡んでおり、時代も当時らしい男と女の情愛も描かれていました。

 その後、角川が横溝正史を掘り起こし、新本格の時代となり、おどろおどろしいミステリが復活して、なぜかリアルな社会派の松本清張はミステリ界でも少し隅に追いやられて行きました。どっこい清張はやはり優れた本格ミステリです。社会派というレッテルだけで読まず嫌いの友人がいて残念でした。

 今の時代とは相当捜査も違うのは仕方ないですが、探偵の発想や捜査の流れはその後の西村京太郎らに引き継がれる王道です。

 今ならメールでやり取りできる依頼を電報でやっているのが少し笑えますが、それが現代の科学捜査への依頼などと、スピード感覚的に変わらないです。

 警視庁の刑事がコーヒー好きで、東京でないと上手いコーヒーが飲めないというのも時代を感じさせます。寒冷前線という言葉が斬新だったとか、応接間に接待煙草が備えてあるのも、今の創作ではまず思いもつかないでしょう。

 難読な香椎(かしい)という地名、香椎海岸、香椎線香椎駅、西鉄香椎駅が重要な舞台となります。

 私にとっては最近の鉄道趣味として、ハイブリッド車両を導入し、自動運転を行う香椎線が頭に浮かぶのですが、もう一つの趣味の読書、ミステリの金字塔のような作品の聖地だったとは驚き、まさに点と線が繋がりました。

 ビートたけしが主演で2007年にテレビドラマ化はありましたが、映画化は、他の松本清張作品に比べ少なく、昭和33年に小林恒夫監督で一度きりです。完全な映像化は内容も時代も難しくなっているようです。

 脱線する蛇足ですが、ちなみに映画の主演、刑事役が抜擢で南廣さん、バンドや刑事ものも出られてますが、ウルトラセブンの終盤客演宇宙ステーションクラタ隊長や、マイティジャックの隊長で子供世代には著名な方。特撮繋がりでは、被害者の役人を演じた成瀬昌彦さんは、ウルトラシリーズ屈指の悪役俳優です。犯人役山形勲さんは時代劇や刑事ドラマの大物悪役が多いですが、ウルトラマンエースでも防衛軍のパワハラ上司でした。ここでも点が線に繋がりました。

 

健康はお金に勝る

 健康とお金というのは二択の問題ではないですが、究極的に選べと言われれば健康です。

 先日も雪の日の朝、近くの寺社の雪景色を撮ろうかと勇んで歩き回ろうとしましたが、道が凍結してツルツルで転倒しそうなので、早々に中断しました。

 年齢とともに身体は衰えますし、病気や障害は避けられない運命かもしれません。

 しかし、あえてトシを重ねて思うのは、ちょっとしたことでもケガに注意をはらい、健康に気をつけるのは大切だということです。

 年齢を重ねててからのチャレンジというのは無謀さを美化するのではあってはいけないのです。慎重に熟慮を重ねてのチャレンジでなくては痛い目に遭います。

 元々体力があって無理がきく、胃腸が強いとかお酒が強い、寝不足でもへっちゃら、少々具合が悪くても出歩けるという過信は禁物です。

 ファイナンシャル的にも、お金では若さも健康は買えませんが、健康を損なうとお金がかかり何かと不便です。

 お金があると、健康診断やジムワークなどにお金をかけられるメリットはありますが、自分の身体の衰えや変化に敏感になることです。

 他人から指摘されるほど、目に見えて、動きが鈍くなったとか、痩せた太ったとかとなれば遅いと言えば遅いのです。

 私自身も大したことはしてないのたすが、私が見てきて自分の健康に対して敏感な人はクレバーな人が多くカッコよく見え、感心します

 地頭がいいというのか、感性が鋭い、自分の体調を冷静に評価できる人は、加齢や病気にも強いと言われます。

 頭がいいとか、感性が鋭いという言葉が適切かはわかりませんが、毎日見て感じている自分を冷静に受け入れられるかどうかではないかとも思えます。

 誘惑に弱い、結局は健康よりも、一時の何かどうでも良いことを、自分に言い訳しながら優先してしまっている人は健康寿命を縮めます。

 ズバリ、歩けないほど健康でなくなると、お金があっても高齢になっての幸福度は下がります。

 確かに、宅配で何でも手に入り、バリアフリー化でそこそこの移動はそれほど不自由なくできる時代ではありますが、いざエレベーターを探すとなかなかそうでもないものです。

 歩けないことによって、身体全体のバランスは崩れ、体力も衰える可能性は高いです。元々若い頃からの障害で歩けない人よりも、高齢で歩けなくなった人は辛いのです。

 健康に対する意識、金銭的にはそんなにかけなくても可能です。むしろ浪費を減らし、いろいろ感じて、考えて、情報を得て、試してみることからです。

 健康に良いからとか、このぐらいなら大丈夫と思ってる運動習慣や、食生活がけっこう問題なケースもよくあります。

 若い頃なら、良かったけれど、そのままでは通用しないことが多いのです。

 数値的なものを見ている人も、この若い頃のバイアスにかかり、まだ走れるとか、まだ夜更かしできると思う人が多いのです。学校や社会でも、数値にこだわり負けず嫌いな真面目な人も、若い頃できたことに寄せたくて無理をします。

 先ほどクレバーと感じると思った人は、ここで無理をしたり見栄をはらないのです。

 タイムやスコアが悪くなるのはトシ取れば当たり前、若い人に負けるのも当たり前だと早く気づかないと大変なことになるのです。

 高齢者の運転もよく問題になりますが、スポーツ、ジョギングやウォーキングその他の身体活動も同じような問題、直接身体を使う分運転より重要ですが、あまり家族は止めません。

 当の本人は、現状維持バイアスみたいなのに、かかります。「毎日これだけ歩いていた(走っていた)から、今日も明日もやれる。去年も登れたから、やれたから今年もやれる」と、なかなか自分の身体の細かい衰えに気づかないか認めようとしないのです。

 高齢者が意地のようにマラソンやフットサルやったら危ないのはさすがに解るでしょう。

 同様にちょっとしたスポーツゲームでも出場時間を短くしていく、ジョギングやウォーキングもスキーやスキューバでもタイム、距離や歩数ではなく準備運動をしっかりして、姿勢を整え短い時間でも愉しみ習慣づけることです。

 長く外で過ごせば歩いているだけでもリスクであり、ましてやスポーツとなると危険性は高まります。

 もちろん全然動かないとないとか、動いてこなかった人も適切に運動はしないと論外です。

 ダイエットは食べ過ぎを抑えるのと、適度な運動程度であって、体重を落とすような運動は高齢では無理と諦めるべきが定説です。

 平均寿命が伸び、健康寿命が大事と言われていますが、本当に健康でいられるか、よく感じ、考えて、実践していかないと簡単では無さそうです。

 

 

 

冬のボーナス過去最高それでも過去最多の倒産や廃業?広がる格差

 この冬のボーナスの統計が出て、100万を超えて過去最高だそうです。

 一方、昨年の企業倒産も過去最高でした。自己破産や生活保護申請も過去最高を更新しています。

 商店街を見ても、ロードサイドや住宅地を訪ねても、商店の閉店をよく見かけます。

 更地になり、立地のいいところはすぐに大手の外食や、ドラッグストアになっていきます。寂れた商店街やモールはシャッターが閉まったまんま、空き家や空き地が増えています。

 ローカル鉄道などを旅しても、どこの田舎でも郊外にイオンモールなど大型SC ができて、駅前の地元資本の店は老朽化、廃業の一途て閑散としたものです。

 コンビニがあれば良いほうで、あとなぜか質屋みたいな業態、中古品扱い店やら、小さなお葬式やる所とかがお決まりのパターンですね、

 大手企業の正社員の賞与平均を受けて、人事院勧告で公務員の給料は一律に上がります。

 50人未満の中小企業や、非正規社員は平均に入っていませんから、一般的な方の賃金とはどんどん乖離してきています。

 大手企業に合わせていかないと、優秀な人材が官僚に確保できないと言われますが、結局官僚が庶民感覚から離れていくのはこのあたりに原因があるのです。

 大手企業や官僚、勝ち組だけが、平均所得を上げ、マスコミや世論も操作していては、国民の生活は良くなりません。

 地方独自の文化や産業、観光があってこその伝統ある日本です。

 物価高対策も公約されますが、本当の格差を埋める対策、選挙でもそのあたりを伝えるのは難しいところです。