読書レビュー:城山真一「看守の流儀」ドラマとは全然違う秀作

 このミス上位で手をつけてなかったのてすが、素晴らしい小説でした。

 昨年のドラマは幸か不幸すぐ離脱して見てませんでした。これはもうどう考えても小説から先のが面白いのです。

ドラマや映画、演劇というのは脚本や監督、キャストやスポンサー、尺の問題で原作と違うと、騒がれる場合もあります。

 基本的にどこまでを原作、原案とかに区別するかは微妙な問題です。時代を変えたり、外国を日本になど場所を変えても、基本的な話の根幹が同じなら原作とされる場合が多いです。著作権も絡みますから、イメージだけでこれは原作と違うと読者が不満を言っても難しい所です。

 最近は作家が映像に寄せて、これこれの俳優をイメージしてキャラクターを作っている場合さえあります。

 しかし、小説というものは、活字の文章から読者が想像するもので、そもそも最初から完成した情報が入ってくる映像作戦とは違うのです。

 全てを実写、実際の役者さんが演じると、ミステリの場合は使えないジャンルのトリックがあります。

 この小説をドラマを先に見るべきではないのはキャスティングを見ただけで重要な結末が予想されてしまうからです。

 もちろんその意外な結末を知っていても、十分本は楽しめるのですが、肝心の意外性、やられた感は奪われてしまいます。

 まして、ドラマで見ちゃうとわかったようになって原作を読まない人もいるので残念です。

 映像化の原作なら、本が売れるのも分かりますが、これはちょっとドラマ化しちゃうのは私なら反対です。

 それでもドラマ化したテレビ局はある意味エラいですがね。

 ずいぶん、ネタバレ的なところまで引っばって書きましたが、刑務所の中がほとんどの連作短編で、刑務官と受刑者、関係者が登場人物で納得ゆく結末もあるものの確かに重いストーリーです。

 この時代、恵まれた当たり前の暮らしをしている人に刑務所の中、犯罪者の暗い背景、そして地味な公務員としての刑務官の描かれ方は普段なかなか想像できないものです。

 これをよく完成されてミステリにしています。

 しかし、ドラマっていうと、やはり美形の俳優が演じてしまって、そこで想像が止まるからやはり難しいですね。刑務官なんて地味な公務員の中で最たるものだから、イケメン俳優や美人女優が充てられた段階で、いくら演技をがんばっても違うものになります。

 それはそれで人気俳優に出てもらいみんなに見てもらってテーマを分かってもらえばという意見もあろうかと思います。しかし、それもやはり内容によるのです。

 だもんで、二重の理由で、このドラマと原作は全く別物、なおかつ先に小説を読むべしです。

 刑務所の中でもいろんなハラスメントがあり、刑務官も公務員、上位職や年功、経験でいろいろイヤなことがある。いろんな組織が、一面社会の縮図なのでしょう。

 

AIがあふれる時代

 自社のモデルが有名タレントでなくって、AIだという場合、社員やらのモチベーションはとうなんだろうか?CMモデルに金かけず社員の給料に回すとか、原価下げた方が評価されるかな?

 AIがどんどん進化して、ちょっと前は、ぎこちない特徴なので丸分かりだったのが、だんだんよく見ないと本物かと思えるのも増えました。

 振り込め詐欺、マルウェアなども、どんどん巧妙になってきています。自分はだまされないなどと思わないこと、チェスや、将棋で人間が名人クラスでもコンピューターに勝てなくなったのと同じようなものです。

 AIのモデルを使っていると、明記しているもの、チラリと作成AIのロゴが画像に入るものなとはまだ分かります。

 背景だけとか、人物の顔だけを入れ替えるのも巧妙になりました。

 有名人が被害にあっているディープフェイクのポルノなど不適切なのも問題になっています。

 話は少しズレますご、昔化粧品会社に勤めていた頃、化ける女性はたくさん仕事で相手にしてきていました。整形や化粧で入社当時はおぼこい女性が、びっくりするほど変身した例は見ました。

 そこそこの年齢になると、化粧を落としたすっぴんを見ようものなら、別人と見まがうとか、幻滅より恐怖すらありました。

 今、ティクトックやYouTubeで再生数をものすごく稼いでる方がいます。

 可愛い女性がいかにも男性受けする水着や透けた衣装など、あざといスタイルで散歩というだけで10万20万とか再生をもらうインフルエンサーがいます。かなりAIを使って美形に加工した動画という説が有力だそうです。

 課金できるプランではもっとセクシーな姿も披瀝しているらしいですが身体の方は本人なのか、やはり修正してるのかもわかりません。知ったところでどうだという話です。

 あざとい水着姿なり、ヌードの女性の美しい顔はAIだったとして、それで課金というのは、何だか虚しいお金の流れです。

 結婚する男女が減る、少子化なのも解ります。

 化粧と整形を重ねて、虚飾の仮面を被った生身の人間と、AIならどっちが良いとか悪いとか、倫理にかなうのかももうわかりません。

 私の会社時代の後輩に、イケメンではあるものの大変な女好きがいて、ルッキズムの典型で遊びまくっていました。「女性は顔で決めるとか美形の経済効果は計り知れない」と言ってはばかりません。

 でも、女性ばかりの会社でトップクラスでも、本当にすっぴん見ちゃうと私は幻滅はしました。虚飾と分かってもいいのかなと後輩には尋ねました。

 実際にAIでCMモデルに作られるとか、動画になるのは当たり前に美形です。アンドロイドとかヒューマノイドもたぶんそうなるでしょう。

 何十年かすると、顔面偏差値はさらに上がって、生きてる人間もロボットもさぞ美形だらけになっていることかと。

 

 

映画レビュー ラストマンファーストラブ

 テレビの連続ドラマでやって、新春にスペシャルがあって、その流れに乗せての映画化のパターンです。

 ドラマを知らなくても冒頭で紹介されて十分楽しめますが、やはり知ってる人がニヤリとしたいような面白さもあります。

 福山雅治と大泉洋のタブル主演で、脇役もテレビからと映画オリジナルキャラが登場して、アクション、ミステリ、ロマンスてんこ盛りの楽しめる映画になってます。

 元々の設定上が全盲のFBI捜査官が日本警察で捜査するという仮面ライダーなみのあり得ない話なので、ツッコミ出すときりがないので、カッコよさとキレ味、美しい景色と女優さん達を楽しめば良いです。

 大泉洋ホームの北海道ロケというので、設定上は東京生まれの刑事が、北海道をバカにされると怒る小ネタ満載です、重要な場所にローカルファミレスチェーンの“ラッキーピエロ“が宣伝色満載で登場します。

 大泉洋さん、しかし北海道ローカルからキャラは変わらないが、もはや大物俳優になったなと思います。

 福山雅治役とその初恋相手の若い頃のエピソードに若手俳優を抜擢しています。売り出しとともに、ベテランの時間拘束を軽減して尺を稼ぐのは最近のヒット映画の定番手法です。

 當真あみちゃんのハーフ役は文句なくかわいいかったですね。

 今田美桜さんは、スケジュールの都合で東京居残りでチョイ出演?絡みはあり、何と笑わせる朝ドラネタの重要なセリフもありました。朝ドラヒロインで格が上がり売れっ子になると、以前のシリーズの脇ポジションが難しくなりますが、今後はどうするのな、どうでも良い心配です。

 もうお一人、重要な役でネクストブレイク候補、月島琉衣さんも熱演でした。

 [ネタバレ]細かく要求を言えば、ミステリ的な部分で、犯人(内通者)はあんなんもんとしても、重要人物Xに関しては、もうちょっと脚本や設定で作り込みは欲しかったとは思います。

 とはいえ、なめら面白い、スカッとする映画でした。

窮地にこそ、人は験される

(神戸新聞)

 阪神・淡路大震災、31年が経過して、全国的なニュースでは扱いも小さくなりましたが、関西人の40歳代以上にとっては、やはり忘れられない日です。

 最近知事の問題とかで騒がしい兵庫県、神戸ですが、バブル期はまさに神戸株式会社と言われ繁栄を極めていました。博覧会やイベントが開かれ、商業施設や住宅が拡充し、関西を超えて日本の中でも最も潤って、ハイカラなセンスのある、繁栄を象徴するような都市に思われていました。

 しかし、日本のバブル崩壊を象徴するような、高速道路の倒壊、それにより、基幹インフラの脆弱さが露呈し、見せかけの繁栄が一気に崩れていくのでした。

 都市計画から見れば、天然の良港で、国際貿易都市としても栄えた神戸ですが、山が海に迫った風光明媚であっても、限られた平地で大都市の人口を支えるのには限界もあったのでしょう。

 神戸市の地下鉄、私鉄のインフラ、その駅周辺を見ても一部を除き、バブル崩壊、震災から完全に立ち直る前に、長い経済の低迷と少子高齢化の人口減少で活気は失われたように見えます。

 日本経済全体が、その後も大きな地震や災害にも見舞われましたが、それ以上にバブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍と度重なる経済の打撃からは立ち直ることができません。

 しかし、人間は順風満帆なら良い人生なのかと言うと、決してそうではありません。危機に見舞われたからこその、その人間としての対応力、そして団結や絆、紡いだものがあるのです。

 お金がどんどんお金を生んで儲けること、大金持ちになることをエラい、有難いと感じることは誰しもあります。それでも、そんな日常も生命を落としては儚く消えます。

 確かに最低限生きていくお金は必要でしょうが、それ以上に危機に遭った時、何をして、何が残るか、人生とはそれが験されている道場のようなものかと思えば、少々の危機は勇んで飛び込め、乗り越えられます。

 震災や危機に遭ったことが、良いとか悪いではなく、常に人は何らかの危機に遭い最後には生命を落とします。

 大きな危機に遭った人は、見方を変えれば、より大きなチャレンジの機会を与えられたともとれるのです。

憧れを壊すな

 昨日、昭和歌謡の話を書き、今昔の紅白歌合戦の比較にも触れました。

 昨年度は昭和のスポーツ界で活躍された、長嶋茂雄、釜本邦茂、尾崎将司と巨星が堕ちました。それに比べ、まあ音楽界は昭和から平成の大物歌手がそれなり残ってはいて、紅白歌合戦にレジェンドで出たり、マイナーな番組や営業をされてたり、発掘映像で見つかったりもします。

 しかし、まあ、ヒーローやアイドルが亡くなるのも寂しいですが、老いて、衰えた姿というのも、私はあまり見たくありません。

 若い頃から美人女優だったのが、すっかり老け役というのも憧れていた者からは寂しいです。吉永小百合さんのようにニノ線?美貌をいつまでも崩さない人もいれば、誰これと言う人もいます。

 昭和の特撮ヒーロー物も好きでこの頃リメイクされ、ウルトラマンや仮面ライダーの初代の俳優さんが存命なのは嬉しいですが、嬉々と出演されるのはちょっと引きます。

 たまに発掘されますが、引退後一切顔を出されない山口百恵さんなどは立派だと思います。

 ベテランでも支援する人や応援するファンなどしがらみもあるのでしょうし、年齢を重ねた役もあるし、ビジネスとしてはしかたないとは思います。

 ただ、歌手の場合は、元々元気な頃の音源はあるので、今さらナマで出て老醜とまで言うと失礼ですが、衰えをファンに見せるのはいかがなものかと思います。

 アスリート同様、鍛錬して衰えが隠せなければ、出られない、ファンも、思い出を大切にできて、憧れを裏切らないからです。

 中森明菜さんも、ディナーショーなどで少し活動は再開されてるようですが、強烈な激しいボイスはもはや望めないようで、毎年噂される紅白歌合戦のナマ出演はやはり無理な年齢でしょう。

 その点では、昨日書いた紅白歌合戦の70歳代の歌手たちプラス還暦超えて、すっかり声が衰えた人たちも、高い受信料からギャラをせしめてるのですから、「もう少しがんばりましょう」の人が多すぎです。

 長嶋茂雄さんも晩年はずっと車椅子だったので、亡くなられても若い人にはそれほどの大ニュースではありませんでした。

 長嶋茂雄にファンが求めたのは、現役時代の華麗な動きであり、中森明菜は10代から20代の不良っぽく、薄幸な悪女の力つ叫び声であり、還暦過ぎた明菜は見たくないのです。

 誰にも老いは来るのですが、それだけに、若い頃の憧れを壊してもらいたくないものです。  

昭和歌謡の時代があった

昭和歌謡の時代があった

 昨年末の紅白歌合戦には矢沢永吉さんや布施明さん堺正章さんら70歳以上のレジェンド歌手が7人も出演、その他にも還暦過ぎの歌手がスペシャルなどで活躍し、卒業して経年劣化のアイドルグループも出戻り、一部ではナツメロ大会と言われました。

 1980年代頃、フォークソングがニューミュージックとなり、その後JPOPなんて言われたのですが、音楽的にはもうそれほど変化なく、今の若い人がカバーしても新曲と変わらない70歳ぐらいの歌手の若い頃の歌が感覚的に変わらず受け入れられていたようです。

 昭和40年後半なら50年頃にかけては、紅白歌合戦の視聴率や占拠率は凄まじく、その前の時間にあったレコード大賞も大変な人気でした。

 日本レコード大賞を独占するTBS以外の民放はその次に権威のあった歌謡大賞を持ち回り、独自の賞も設定していました。年末は賞が目白押し、普段も毎日のように歌謡番組がありました。今とは少し音楽的には曲も歌詞もレトロな感じの時代です。夜のヒットスタジオやその後のザ・ベストテン等も今では考えられないほどの人気歌番組でした。

 当時は、若いアイドル歌手も歌謡曲のジャンルに入る人が多くいましたし、演歌やムード歌謡等の中堅からベテランの歌手もたくさんいました。

 昭和42年とか45年の紅白歌合戦のリストを見て年齢計算すると、子供時代に見ていた歌手が意外に若いのに驚きます。今の紅白歌合戦のような60歳や70歳なんて人はいません。

 これは社会全体の傾向、高齢化なんでしょうか。

 昭和42年の紅白歌合戦、司会は白組宮田輝アナウンサー、紅組歌手の佐良直美、総合司会山川静男アナウンサーでした。

 応援団長に堺正章、水前寺清子といますが、司会のタレントは歌手の佐良直美さんだけでした。今は朝ドラの番宣のヒロインが入りタレントや俳優が司会が当たり前ですが、昔はアナウンサーでした。やはりプロの司会が前奏に重ねて滔々と流れるような口調で曲紹介をし、丁寧で手際の良い進行は、当時の歌謡曲に欠かせないものでした。

 歌謡曲の歌詞、演歌というジャンルも、社会そのものが今とはどこか違う感覚がありました。どこか知らない土地や、大人の水商売や裏の世界に引き摺り込まれるような感覚もあり、貧しさの中に温かさや、苦さが混じり、微妙なテイストの名曲も多いです。

 演歌は演じる歌や、怨みの歌か、艶の歌か、縁(えにし)の歌かとか滔々と紹介されていました。

 個人的に、優劣とか何もない好みですが、昭和42年日本レコード大賞を取った、ちあきなおみさんの「喝采」という曲は名曲だと思います。

 時代も風景も変わり、歌詞にある「止める貴方 駅に残し、動きはじめた汽車に、一人飛び乗った」というのは、現代ではあり得ない描写ですね。鉄道ファンでも苦笑しそうですが、列車が動き出してると、ドアは閉まっていて飛び乗ることは今の車両構造では無理です。とは言え情景や気持ちは分かりますね。

 今回の紅白歌合戦に79歳で特別出場された堺正章さんだと、私はこないだは歌われなかった曲ですが、昭和48年の「街の灯り」がしみじみとした名曲だと思います。当時もオイルショックなど不安な世相で、落ち着いた歌が求められ、この年のレコ大の作曲賞と、紅白歌合戦の楽曲に民放ドラマの挿入歌としては珍しく選ばれていました。

 良い楽曲は、時代を超えていつまでも心地よく響きます。本人たちはもう亡くなられたり、老いて表に出られなくても歌は残る、それもまた良いことです。

 

 

 核はやはり禁じ手にしないと

 漫画のレビューをするのは珍しいのですが、少し広島の原爆を調べていて見つかった本です。後半、熱く長くなってしましました。

 考え方が真っ直ぐで原爆の悲惨さをしっかり伝えたい訴えたい気持ちがよく分かります。

 広電の女性運転手、被爆電車のお話はドラマ化もされ有名です。もう一話、反戦の気持ちを抱えながらも軍医となった広島陸軍病院の医師が焦土の中を奔走するお話。

 この本を読み終えたのはモールのカフェコーナーで、外は寒くても暖かい中でした。平和な日本で珈琲と甘い物を食べ、多少は景気が悪く貧しくとも周りもみんな楽しそうで、赤ん坊を連れた母親もくつろいでいます。

 この人たちは、身体中に火傷を負い真っ黒の遺体になることも、突然高熱と発疹、吐血で亡くなることもない。平和な日本です。

 しかし、広島、長崎の原爆の日から、80年を過ぎたのに、世界から核兵器は消えていないのです。

 いたずらに戦争反対、核保有反対と叫ぶことに与するつもりはありません。

 しかし、戦争が罪なき市民を巻き込み、健やかだったはずの人生を蹂躙するのはやはり悲しいことです。

 戦争は、それぞれに大義はあっても、国の疾病のようなもので研究し、治療せねばならないものでした。80年前に投下された原爆は、その悲惨な実験が終われば永久に国と国との紛争に使わないという選択肢がなぜなかったのかと思わずにいられません。

 戦争という人間の原罪、宿痾は治癒することなく、現代も社会を蝕み市民を危険にさらしています。

 日本人を守るというためには、核保有も選択肢とされています。どこかの国が核兵器で攻撃してくるので、そのためには必要かと言われればあながち間違いではないでしょう。

 丸腰で、何の武器も力もなく、武器がないから攻撃されない、財産や生命を奪われないとは強盗には通用しない理屈です。

 国際法や国連、人道上許されない兵器を禁じる条約も、結局は無力とも言われます。

 では強いものが勝ち、常に正しいのか。あるいは強いものの庇護のもとなら、人道上許されない兵器が使われても良いのか。

 正義とは何で、正義とはどこにあるのでしょうか。

 核兵器を持たないというだけで、核兵器を持つ国の傘に入っている。

 原発に反対しながら、原発の電気を回してもらい、原発の危険は他の地域や国に被ってもらう、お金が回っているならそれでいいかなというのと、やや似ています。

 原子力も発電の場合は上手くコントロールすればアリとも言えますが、兵器としての核はやはり最終的に使われてはいけないのが大前提にならねばです。

 放射能の恐ろしさは、戦後アメリカの免罪のための正当化や原子力政策のため、少しずつ、マイルドに表現されるようになったのではと思います。時代の波、経年でその悲惨さと鋭利さが伝承されないのではと思います。

 冷戦時代は、SFや特撮ものでは、核兵器による人類絶滅の終末が描かれたものが多かったです。ゴジラはじめ東宝や円谷でもそうですが、放射能も核兵器もマイルドな描かれ方になって、CGや科学的裏付けはしっかりしても、終末は多岐な未来の一つのようになり、危機感を伝えるものでなくなってきたように思います。

 独裁的な人間たちのナショナリズム支配では、核兵器の発射ボタンが押される確率は残ります。

 かつて戦争は兵士同士が名乗りを上げて戦っていました。今でも宣戦布告はあり、禁じ手はあります。戦争が中世、近世、近代、現代と進むに連れ、かつては考えられなかった市民、ロジスティクスを攻撃するなどもアリとなりました。

 軍事施設を攻撃するだけではなく、食料倉庫や病院、学校なども攻撃すると、国際法上許されないとは言われます。しかし、逆に偽装した部隊やゲリラが逃げ込んでいる場合もあり、フェアな戦争の判断は難しいです。近代の戦争はたいてい陰謀めいた暗殺や爆破事故などがきっかけで真実はわかりません。

 権力者が、大量破壊兵器を隠し持っていたからとか、あの紛争地域の自国民を救うためと強弁すれば何でもあり、勝ったものが正義です。

 主義や思想や宗教は自由としても、市民を巻き込む人道上許されない方法での戦争とその兵器に関しては、早く禁じ手を全ての国が批准して決めないと、やがて日本民族の危機も来ますし、人類の危機は続くのです。

 あえて左翼系、平和を訴える人にもここで強く考えて欲しいのは、戦争反対、核保有反対、平和憲法、自衛隊派遣反対と、戦争に頬かむりして蓋をしてもいけない。戦争とは何かしっかり見て伝えることです。

 自衛隊が無ければどうする?もっとアメリカに頼るのか?

 結論が出る問題ではないのですが、核兵器使用に至るような戦争は絶対に止めるというポイントだけは、どんな国の人、どんな思想、宗教の人にも刻んで欲しく、伝えて欲しいのがヒロシマの教訓です。

 

 

日本はアメリカの30分の1のままでいいのか

 今年も、日本のプロ野球から三冠王経験の村上選手や、巨人の主砲岡本選手、パ・リーグを代表する好投手今井選手らがメジャーリーグに行きます。

 毎度驚き不思議なのがその年俸の高さです。大谷選手の数十億も別格ですが、日本のトップクラスで1億や2億の年俸だった選手が20億や30億の契約です。

 日本のプロ野球ってWBCでアメリカに勝って世界一、今度も勝つと騒いでいるのでは?もちろんメジャーに行った選手も含めての代表でしょうが、この待遇格差は何で?これじゃ、誰も日本のプロ野球にずっといたいと思うスポーツ選手はよほどの飛行機嫌いしかいなくなりそうじゃないですか。

 なぜこんなにアメリカと日本の野球選手の年俸に格差があるのか。日本プロ野球界は格差を埋める努力をしているのか。

 格差の原因は調べるといろいろ書いてあり、訳知り顔で解説されてるのですが、どうもしっくりきません。

 アメリカは国土が広く人口も多く、経済もデカい?

 でも、人口ってせいぜい3倍、メジャーのチーム数30チーム、日本の2倍強。面積が広いといっても移動に飛行機使うだけで球団のコストがかかるだけです。

 アメリカは本場だから凄く野球人気があるかと言っても人気はアメフト、バスケ、アイスホッケーに分散されてるし、時折見かけるスタンドってドジャースホーム以外はガラガラもよく見かけます。

 調べてみると、一昨年の世界のプロスポーツ最多動員はドジャースですが、2位に阪神タイガースが入り、5位が読売ジャイアンツです。最近はパリーグ含み消化試合も動員が多くどこも盛況です。

 確かに外資系の業績反映の給与体系の企業は日本企業より従業員の所得は多くヘッドハンティングもされ、優秀な学生やキャリアも集まります。しかし、業界としてそれほど個別企業の業績に差がないのにこの年俸の差には呆れ、手をこまねいて放置する方にも情けなくなります。

 何でこんな差が生まれるか、最終的にもこれだけというのはないのですが、大きな一因として、テレビの放映権やグッズの売上のロイヤリティなどをメジャーが一括管理して分配しているからだと書かれてます。

 ケーブルテレビでサブスクの下地があったアメリカだからと言われますが、それが主因ならもうちょっと頑張ったら日本もだいぶ落ち着くんじゃないかと思うのですが、情けないけれどやる気がないようです。

 地元テレビ局との関係にこだわる球団が一括に反対しているのもあるようですが、そういう人たちはこのままの日米格差で良いのでしゃうか。

 参加選手や代表資格で何かと物議を醸すWBCですが、これも120億だとか放映権料をぼったくられます。全てメジャーリーグの収入でメジャーリーグの宣伝をして、日本プロ野球には分配はありません。日本企業は協賛してチケットを広告の景品にする程度、どちらにせよバカ高いチケットと放映権料は最終的に日本人の負担でなりたちます。

 通常シーズンのメジャーリーグの放映権もオオタニさまさまで、どんどん跳ね上がってます。150億とも200億とも言われます。NHKの受信料収入が5900億ですから、割引してもらっても、かなりの比率です。

 日本ではサブスクの意識が高齢者を中心に低く、NHKの受信料を納税義務のように支払い、ただで放送を見るのが当たり前と思っています。

 WBCもメジャーリーグや、サッカーワールドカップも配信会社が独占と言うと大騒ぎで反対し、NHKが放送してくれるとホっとする人がいますが、野球やサッカーが好きでない人もいます。スクランブルをかけ有料契約にしても良いはずです。

 野球の実質の世界選手権とはとても言い難い参加選手の編成で、世界一のタイトルさえ取ればいいと騒ぐエキジビション大会に大金などかけることは要らないです。

 ナショナリズムをかき立てられますが、アメリカが本気になったら勝てないのも内心わかっている心理がまた不思議です。メンバーが揃わないとか連係プレーの練習もままならないぐらいの選抜チームだから勝てるという考えは、本当のフェアな意味での強さとか世界一なのか、良く分かりません。

 メンバーさえ本気で揃えれば、勝てるなんて囁かれる大会が面白いのかと言うと疑問です。

 メジャーリーグは商売上手で、放送権料や看板広告も日本からぼったくって儲けてる訳で、それが国益も国力も削いでいるのです。

 別に毎日メジャーリーグ見たい人は個別に契約してもらってけっこうです。ニュースや災害情報だけは無料、ドラマだけ、歌合戦だけならそれぞれ契約でいいと思うのです。

 少なくとも、この30倍という年俸の差を日本人は屈辱だと思い、思考停止から脱却して、差を縮める努力はしないと、軍事でも経済でもアメリカになめられっぱなしです。

 

 

 

日本を知らな過ぎだと痛感

 只今勉強中。

 日本にも、まだまだ行ったことのない場所、知らなかった文化、歴史、遺産が多いことを痛感いたします。

 私な多分比較的全国を旅行や転勤で回っている方だと思いますが、まだまだあまり知らない県はあります。

 全く初耳もあれば、名前だけ何となくの場所も多くあるものです。

 通過しただけとか、仕事で取り引き先には行ったとか、乗り継ぎで駅には行ったが、肝心のその場所は行ってない、知らないとかもたくさんありますね。

 かつて日本にはたくさんの国や藩がありましたし、明治以降も近代日本を支えた忘れ去らがちな産業もありました。

 生命を削って、山を切り崩し、鉱山に入り、資源を運んだ道を作った先人がいたから現代の日本があるのです。

 飛行機や新幹線、高速道路で行き過ぎると、見落としてしまう地方の街中に、ひっそりと遺るものがまだまだあります。

 限られた一生の時間、世界中を旅するのも選択です。それでも日本の隣にある都道府県でさえ知らない町やそこの文化、遺産はいっぱいありますね。

 地理の勉強、旅行案内としても面白いです。

提案や意見は人物で見るものではない

 友達や職場での議論や審議、あるいは上は外交の交渉、国や自治体の大事なことを決める提案などでも、「人物が」とか「そのグループ」が嫌いで決まらないことがあります。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がありますが、袈裟に罪はないという話です。

 それぞれを具体的に例示すると、いかに大事な考えかわかりやすいと思います。

 何か難しい問題が例えば10問なり50問あってとして、全問に最適の答えを出すのは秀才であっても至難です。90点ぐらいがせいぜいです。

 間違った問題に関しては誰一人正解ではないかというと、中には確率的に正解者がいます。その正解者は90点には及ばないけれどその問題には最適解を出しているというケースはあり得ます。

 50問中、一人しか正解のない最難易度の問題があったとして、その一人の成績は凡庸だという場合や劣等生という場合もあります。

 秀才を高市くん、凡庸以下を玉木くんとか、野田くん、山本くんとかに当てはめると政治の問題になります。あるいは小泉くんとか、石破くん、河野くんとかでもいいです。

 優秀な総理大臣、力ある与党なら常に最適解を出せるなら良いのですが、どう考えてもそうはならないということです。

 残念なのは、今の政治の仕組みでも、選挙に落ちた人が素晴らしい提案、最適解を一つだけ出していても、それをピックアップして実現されることはなきのです。

 アイデアをある分野で出せても総合力がないとか、良き親分の下でないと実現できないのは、政治以外の世界にもあります。

 派閥の長か、長老や親分、御局など、職場などでもグループを束ねる人がいます。正式な組織の長や影のボスでも、自分の気に入った人をかわいがり、他を排除して意見も聞かないことがよくあります。逆に子分や愛弟子は少々ミスしても、犯罪を犯してもかばう場合さえあります。

 こうなると主流の派閥とかグループ以外の人間だと良い意見が通る訳がありません。改革など良い提案などが遅れをとるのです。

 個人の場合も自分は差別しないひいきしないと、バイアスにとらわれないと言いながら、意見を言った人に対する好き嫌いで決めてしまうことは多いです。

 政治でも、ネットなどの論争でも、とても優秀で弁も立つのに、天敵みたいにいつもどちらかが何か言えば上げ足を取り、その反対を必ず言い合う不毛の関係みたいな人たちもいます。

 政党もそれぞれ良いとこと、問題アリと感じるとこもあるとは思われますが、一議員で見ると、党是には関係なく良い主張をされる人もいます。

 党是は問題でも、あるジャンルにはしがらみがなく、良い意見を出す人や党もあります。

 ところが、それを通すと、そのグループが支持を集めて困るという選挙の利害も生まれると、良い意見が揉み消され、無難な多数意見しか通らず、かたやアイデア不足に嘆いているのです。

 会社にしろ、国家にしろ右肩上がりで余裕のある時は、好き嫌いの意見や人事がまかり通っても、それがために優秀なアイデアが揉み消されても何とか形になっていました。

 しかし、そういう時代は終わってしまいました。あるいは、そんなことが続いたから悪い時代になったのでしょう。

 個人として、生き残るためにも、他人の言葉を参考にする場合は、誰が言ってるかは正しいとか間違いではなく、誰しも間違いもあるし、胡散臭いやつも正しい時はあります。

 大事な選択、生き方に関しては、自分でよく考え、是々非々で見極めないと大損をしたり、大きな間違いを犯すことがあり得ます。