日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ7】

カネボウと歩んだ人生7

営業の第一歩は大阪第一南販社。当時大阪は東西南北で8つの販売会社に分かれ一部尼崎の兵庫県も含め、細分化エリアで第一南は繁華街のミナミではなく、大阪府南東部、南河内、第二南が泉州でした。
ビジネスマナー以前の学生でしたが、販売会社の厳しさ、販売店との売上数字のギャップは大きく怒られてばっかりでした。バットニュースファースト、バットニュースコレクトと言いますが悪い癖で、あんまり悪い報告をするとネチネチ怒られる。長いこと捕まるので、解決できそうなことや誤魔化せることは報告しない。
少々の損は自腹でなんとかしないと、時間的に身体がもたないようなところもありました。
しかしまあ自分のためにも、会社のためにも報告しないことは良くない。当然上司も部下の話をうまく吸い上げる雰囲気を持たないといけないのは当たり前の論理なのですが、なかなかそうはいきませんでした。
うまく報告する人もいましたが、なかなかこの売上数字見込みの出し方は花王傘下になっても続いたカネボウの伝統でした。
そして最終5日の見込みが中間より大きく狂う時の出し方が最悪でした。最後までシラを切って最終日に狂わせる営業も課もありました。
悪い癖のついた先輩もいましたし、若手にも癖のある人がいました。
上位職について出世した輩でも、『お金。商品。オンナ』のトラブルは3悪と言われてました。
ハラスメントやコンプライアンスで気なものは余程でないとなんとかなる。
昭和の名だたる企業が実は追い込まれると似たような不祥事がぞくぞくでてきていました。まあ黒かろう白かろうがしっかり数字を上げる社員が重用される。昭和の大阪からはじまり平成が終わるころまでそんなペースでした。
具体的の粉飾まがいの手段については次で説明しましょう。

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