高齢者を敬い、死生観を共有

デイサービスのお迎えのバンをよく見かけます。正直、無表情で運ばれるだけの老人、少しだけでも介護の時間を他人に任せ少し解放されるのか見送る方が心なしか明るく、戻ってこられるとそれなりに重い表情になります。
ここ3~40年で高齢化も進み、介護老人施設や高齢者向き住宅も増えました。種類も様々のようです。
軽い運動は別として、ゲームらやお遊戯のようなものも何だか老人の人間としての尊厳を奪っているような印象もあります。
自分で考え、歩くこともできなくなれば、もう長く生きることが幸せとは思うことはできません。
健康長寿が理想ですが、実際には難しいようです。潔くとも思いますが、死は怖いとも思います。
昨年母を亡くし、その前の父の晩年も合わせ、老いと死、病、生きることの苦という意味が少しわかりました。還暦を過ぎ老いも病もなお生きることの苦しみもまたわかります。
コロナ禍で、高齢者の致命率が上がり、にわかに死生観も注目され、世代間のコロナへの感じ方の違いも顕著になりました。介護、延命、安楽死の問題含め死生観も国や時代、個人によりさまざまですが、生きているうちは何かを感じ探しながらいたい気がします。
何より健康寿命を延ばしたいです。健康に歩き、ボケないよう毎日鍛えましょう。

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