年金をもらえずに死ぬのは不運か #年金給付

「努力したら必ず報われる」と池江選手の言葉を昨日語りました。
しかし、世の中には1等賞になる人や合格する人がいる反面、努力が報われない人はいます。保険料でいうと努力の掛け捨てです。しかしそれは本当に無駄な努力、無駄なお金なのでしょうか。若い人に中には年金は自分の老後の時期になるともらえないのではとか、先に死ぬのでは無駄ではないかと思ってしまう人がいます。
報われる公的年金の多寡は別にしても、年金は年金保険料をかけても早死にすると元がとれずに不運だとかもったいないとの考えです。。
親が早死にした人はそれを見て、年金保険料を払っても優雅な年金生活を送れないかもしれないと考え、払いたくない思いは何となくわかります。。
少子高齢での年金財政への不信、不安と相まって公的年金への期待はすぼむ傾向にあります。
しかし早死にでもらえないか、長生きで掛けたお金よりたくさんもらうかは、保険だから当たり前で仕方のないことです。多くの損失をする人のお金を、損失のない人や少ない人の掛け金で賄うのが保険です。
健康保険や医療保険、あるいは自動車保険、火災や地震保険だと沢山ケガや病気をするとか実際に災害に会うと、掛けたより多くの恩恵を受け元が取れ、医者や災害にかからず健康で無事だとまったく掛け金は無駄になります。だからといって健康だったのが不運、火事にならなかったのが不幸だと思う人は少ないのではないでしょうか。
老齢年金は長生きのリスクへの保険です。働かないで年金だけで生活する期間が短いのは残念かもしれませんが、長生きして家族に経済的にも介護や他の面でも迷惑をかけることなく死ぬことはある意味潔くキレイな死に方と言えます。長生きのリスクを回避したという面ではまんざら不幸ではないのです。
そして日本人寿命は延び、医学はますます発展します。
保険とは掛け金の元をとることが目的ではなく、リスクに会うかもしれない運命にたいして安心を買うものです。そう思えば、年金保険料に納得できるのではないでしょうか。
ちなみに現在の国民年金の給付金は被保険者の掛け金だけでなく半分近くを国庫負担しています。したがって元が取りやすいのと、受給資格を得ない人は支払った税金が受給資格のある人の年金給付に回ることになりこれは不運でありもったいないことです。

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