会社などでもよく不祥事があると、事実関係を確認して責任の所在が追及され、監督責任を含め処分や謝罪が行われます。
中には長年同じようなことをやってきたのに、運の悪い発覚した時の担当者や管理職が詰め腹を切らされるケースもあります。
職場などでも、ハッキングやパソコンのウイルス感染、設計ミス、御配送、遅延、単純なミスなどで事の大小にかかわらず正義感の強い人による「犯人捜し」が行われます。しかし犯人捜しよりも重要なのは「再発防止」ということが言われているのですが、どうも「犯人捜し」に終始して満足してしまうケースが多いようです。
刑事や探偵ドラマやアニメで、犯人の告白が大団円になってしまうのですが、ミスや不祥事が起こるのは個人の責任ではなく、システムや組織の課題を浮き彫りにしていかないと再発は防げません。
たとえば飛行機や列車で、運行に携わる乗務員が寝不足で大事故を起こしたとして、そのパイロットや運転手が「犯人」で全て責任を負わせて「おしまい、これから監視や教育を厳しくします」では問題は一見解決します。「私は寝不足で大事な仕事などしない」と糾弾する向きもありますが、多少の寝不足でも何とか運行できるサポートのシステムがなければ、重大な事故など防げるわけがありません。
まして感染症にかかった人は、犯罪者ではなくどちらかというと被害者です。法律や条例、マナーに多少違反があったとしても「新型コロナウイルスに感染した」ということは犯罪ではありません。
この人たちがふざけていた、気が緩んでいたという責め、自分や自分の周りは我慢して自粛しているのにという怒りや嘆き、正義感もわからないではないのですが、発生してしまったことに対しては発生しない仕組み、システムの構築が必要なのです。
物事がうまくいかないときは犯人捜しよりも仕組みを見直すのが原則です。その仕組みの中に、最終的には運用段階で自覚やルールの遵守も含まれるでしょうが、コロナ感染症に対し行政、医学界あげて仕組みを早く構築していく責任に世論も向き、総力を挙げていかないとこの窮地は脱出できないのです。