一人の命の重さ

 紅葉もそろそろピークを終え、風が冷たく冬の気配を感じ暦を見るともう師走、今年も1ヶ月ちょっとです。
 晩秋から冬はとりわけ寂しさを感じます。年末年始の欠礼の便りをいただくと、意外な方の御身内が亡くなっておられるのにも驚きます。
 毎年,日本中では100万人以上の人が亡くなっています。大きな事故や災害、ガンなどの病気等、統計的に分析してみると数字になって実感はつかめないです。お医者さんや、相続や死亡の手続きする人、葬儀屋さんなどは毎日他人死に関わるのですが、いざ自分の目の前にそれが来るとやはり悲しいし、怖いものです。
 自分の身内の死、あるいは自分に差し迫る死、これは100万分の1ではなく、1分の1に見えます。
 コロナ禍の規制、自粛要請は緩みつつありますが、その状況下でコロナ罹患もあれば、他の病気、事故もああります。
 自分や家族が直面した死、その死のトリガーとなった原因を人や遺族は恨みに思います。これも仕方のないもので、何かのトリガーは恨まれてもしかたないですし、それを完全に予測して、抑えきることは難しい場合も多く、一つの原因を抑えると他のところが犠牲になる場合もあります。ワクチンの効果と副反応等もメリット、デメリットがあるのと同じです。万能な対策などありません。経済対策、水際対策も同じです。どこかで線を引くと必ず他方に不満がでます。経済を再興しないと自殺や困窮が防げないですし、それによってやはり感染の可能性も広がります。
 紅葉の葉もやがていつかは落ち葉となり流れおちていくように、人の命も栄華も尽きるときがあります。紅葉が一葉、一葉落ちたといって落胆していられないように、役割が果たされたことを厳かに受け止めていくしかないと思います。

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