連休に中国地方を旅していて、鳥取から福山、鞆の浦、尾道、呉と周り、最後は広島駅から新幹線の予定でしたが、広島の路面電車も久々に乗っていきたいとも思い、やはりここを素通りするのはいけないと平和公園、原爆ドームと改装された平和祈念資料館を訪れました。連休中夜8時まで開館というのも、何だか「見ておけ」という運命なのかと磁石に吸い寄せられる鉄粉のごとく、見学に入りました。
CGなどの技術が進みリアル感も増し、本当に重く暗い史実がそこにはあります。旅の疲れも増し頭が痛くなり吐きそうになるほど、心身に響きます。人類の罪というのか、非業によって生まれた悲しいもので胸がいっぱいになります。
「熱い、熱い」と叫び 「水を、水を」と叫び壊れていく人々は、自分の係累、父や母、祖父母、子供たちか自分自身なのかもしれないと感じさせます。
日本に原爆が落とされたのは、日本が侵略戦争をして、アメリカを奇襲で攻撃したから自業自得の面があるという自虐史的な理解には私は絶対うなずけません。日本が細菌や毒ガスの生物兵器を研究していたからと、アメリカの免罪的言い訳も後付けでまったく正当性はないです。
どのような局面でも、こんな大量破壊兵器は使われてはいけない。核攻撃は昔も今も許されてはいいけない禁じ手の戦術だったです。
ともすれば「核」を保有することが大国の防衛の要とされ抑止力と言われ、相手が核のカードを切ってくる可能性がある以上、戦略上持たざるをえないという冷戦時代からの理屈がまかり通ります。
ロシアのウクライナ侵攻を機に、日本も「核共有」や「核保有」という議論さえ出てきています。
原爆の被害の実相を世界の人々に伝え、核廃絶と世界恒久平和に寄与するというヒロシマの心をこの施設を見学して、もう一度見て欲しい人達が多いことです。
どんな悪い国であっても、核による戦争、核攻撃で先制する戦争も終結させる戦争もあってはならないのです。
アメリカの元大統領オバマが来た時警備が大騒ぎになったと誰かが言っていました。
今、日本の首相はこの広島の出身です。G7サミットをこの地で、世界の首脳にヒロシマの教訓を理解してもらい、平和を祈念してもらう。
お花畑のような話と、非難する人もいるでしょうが、世界の指導者は相手を尊重し、話し合い信じることです。悲しみや怒り、裏切りや争いや憎しみだけで世の中を動かしては不幸しか生まないのです。
一人一人の死が重いように、一人一人の微笑みも信じる心も、優しい心も重いはずです。平和を祈る。死んでいった人たちへ少しでも報いるのはこれからの平和です。