命の橋がつながっても

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 かつて私は20代の若手社員の頃、昭和59年広島県呉市に赴任し、呉市内と一部周辺の音戸大橋でつながっていた倉橋島、能美島まで営業で回っていた。現在は平成の合併で倉橋町、音戸町なども呉市に編入されました。当時「島」と聞いてどんな過疎の集落かと想像しましたが、本州とそれほど変わらない田舎の風景でした。
 船でないといけないところと違い「橋」でつながることは大きい意味があるとは思いました。


 私も海から遠い盆地生まれですし、内陸の県や有人島の無い県関係の薄い地区の人には「島」に生活する人の願望、医療や教育や大きな商業施設とのつながりへの渇望はなかなか想像がしにくいものです。
 昭和から平成になって、本州と四国が3つのルートでつながり瀬戸内の島のいくつかに橋ガつながりました。その詳細を元々本州に住む人にはあまり知らないと思いますがつながった嶋の人は喜び、他の島の人は取り残された思いだったでしょう。


 とびしま海道と言われる安芸灘諸島連絡架橋は呉市東部仁方から6つの橋を渡って、北前船やドライブマイカーのロケ地でも有名になった大崎下島、汐待ち風待ちの港「御手洗」地区があります。
 さらにもうひとつの橋を渡り愛媛県の岡村島にはつながっていますが、その先いくつかの島をつなぎ大三島まで繋げないと四国には行けません。
 確かに御手洗地区や、岡村島はクルマを飛ばせば、ドライブマイカーの西島秀俊演じる主人公と寡黙な女性ドライバーがたどったルートで1時間ちょっとで広島に通勤できます。首都圏では考えられないスゴイ景色からのドライブ通勤ですが、現実味は薄い気がします。
 大崎下島で2000人、レーモンド松屋氏の名曲「安芸灘の風」の舞台にまなった岡村島には実際には300人しか住んでおらず、それも昭和の末からは何分の1にも漸減しています。
 その島の小学校に生徒が3人、校長、教頭、担任、副担任、英語、体育、用務とスタッフのが多く、廃校の便りもそう遠くはないでしょう。

DSC_0621_TEMP第二音戸大橋

 島に命の橋がつながり、いざというときクルマで本州の病院に行ける!
 それでも過疎が止まるわけではないのです。映画のロケで話題になっても、コンビニやスーパー、大手ドラッグストアやホームセンターが来るわけでもないです。
 都市との格差はむしろどんどん令和になって広がっています。
 呉にほど近い音戸大橋でつながった倉橋などは第2音戸大橋ができるほどで、人口の減少はさほどではないです。やはりある程度の近さと元々の人口規模
 橋のつながっている島でもこれなのです、つながっていない島はもっと厳しいでしょう。
 首都圏や都市部が、働き方や生き方を変え、風光明媚な島からのワークがもっとできるようになれば活路は開くのかもしれません。

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