ただの一ミステリファンとしての考察で、いろいろ陰謀論含めネットには上がります。まあ真偽は誰もこの時点で確かめようもありません。
普通にミステリの論理的思考と、リアリティの出来栄えとして見て、今回の元首相狙撃には拭い難い違和感を覚えます。
ひらたく言えば今回の事件は「たまたまうまくいった」が多すぎるのです。結果背景に組織などがなく政治も思想もない一個人の私怨が動機、これではは海外では暗殺と報じられているのに、ただの殺人です。民主主義や言論の自由への暴挙と大きく報じるものでもありません。
ミステリ小説の殺人事件では、
「たまたま」 これは横溝正史などの本格、その後の新本格で、 いろいろな自然現象、偶発的なタイミングが重なり、犯人らが事件をおどろおどろしい伝奇や見立てに利用するケース1があります。
ケース2は、逆に「たまたま」衝動的な犯罪など、すぐに犯人も捕まったり、自殺や事故であっさり
事件解決するが、実はウラに緻密な真犯人や組織がいる場合。解決はフェイクで犯人がいても、フェイクやスケープゴートとされます。
今回、山上容疑者には母が宗教団体のトラブルとは上がっています。しかし、犯行は武器の製造から被害者の狙撃まで全く一人でとされています。今の日本で、あれほどの大物の政治家をイチ個人がいとも簡単にピンポイントで殺せたのかというところの、オポチュニティ(機会)とリアリティです。
爆弾や銃器の専門家は今も昔も個人で製造も狙撃も可能、要人警護の専門家はこういう抜け穴があって狙撃されたとは語られます。多くの方は専門家が可能性ありと言うとそういうものかと思われるでしょう。もちろん私は専門家ではありませんが、小さいオポチュニティ(機会)がありプロバビリティ(可能性)はあっても、それは現実には小さなすぎ「たまたま」が多すぎリアリティがないのです。
岡山で犯人は一度試し撃ちはしたと言われていますが、犯人は人を撃つのは全く始めてです。それで他は傷つけず上手くいった。それが歴代最長の安倍晋三元総理ということです。これでは劇画の世界で、失敗したことのない超一流のスナイパーが雇われて殺ったという方がまだリアリティがあります。
やはり、ケース2の凡庸は犯人に見せかけて、裏には緻密で組織立った犯人がいると見るのが妥当と思います。
実際、最初のテレビで見た奈良の病院の発表では銃創は首に2箇所、胸に向かって貫通しているとされました。これには違和感がありました。壇上の高い位置にいる安倍さんに背後から撃って何故首から胸側に弾丸がいくのか?その後何故か、司法解剖後の発表は腕からの銃創とされました。いろいろ専門家が、散弾はいろんな角度に飛ぶ可能性とかSPのカバンに当たって跳ねた傷かもとかウンチクで擁護されてます。可能性はあってもごく小さいように思います。
容疑者の最初の発砲(たぶん音と煙が目的)後、警備SP=真犯人が射殺もしくは、近くのビルからの狙撃。大きな背後、組織がある可能性の方が大きく思います。
安倍晋三元総理の業績を称賛する人も、一部非難する人も、考えても見てください。戦後爆弾や銃器の製造マニュアルぐらいはずっと出回っていましたが大物政治家の見事な暗殺など一度も未遂含めてなかったのです。今回それほどの偉大な人物が、いとも簡単に一個人に殺されるはずがないのです。
ミステリ的考察で、おそらく真実など深い闇の中で確かめようもないでしょう。