沖縄のこと ウクライナの戦いを賛否する前に

 今年は沖縄本土復帰50周年ということで、式典もあり、テレビでもドキュメンタリーはじめ題材を含んだドラマなどが放映されている。戦後70年以上たち、沖縄戦をはじめその歴史を検証することは、現在の国際情勢を鑑みても有意義なことだと思います。

 とはいえ私は残念ながら、沖縄にそれほど詳しくはないです。広島や東北には住んだことがあり、北海道も頻繁に訪れ友人も多いのですが、沖縄は訪問回数も知人も少なく、その面では多くを語る資格がありません。

 何人か知る沖縄出身の人は、苗字で何となく感じ、よく聞いてみないと本土に親や祖父母が出てきているだけで、標準語も垢抜けして他の出身県の人と変わりません。むしろ九州人や関西人の方がコテコテの方言です。↑(ここ重要)

 しかし、第二次世界大戦を語る上では、広島や長崎の原爆投下とその後の本土決戦か無条件降伏かなどの終戦までの道のりに沖縄は外せないところです。そして、やはりウクライナで想起された激しい地上戦という意味では日本国内では沖縄が唯一最大規模のものです。

 たまたま沖縄が舞台になったNHKの朝ドラで、比較的軽いラブコメ要素かの前半から、やはり戦争の問題が取り上げられる回に来て、戦争を知る世代の語りたがらない複雑な思いが描かれていました。同じような沖縄の人の取材の難しさは、別の書籍でも見ました。

 とにかく現在にいたる基地問題も含め、沖縄の歴史的問題は複雑です。多くの政治家や報道関係も実際に現地に行き長い時間をかけ酒でも酌みかい、初めてホンネを引き出せるところが多いようです。以下のことも多くは伝聞から、推測的考察です。

 沖縄の基地問題も確かに構造や人々の心情は複雑で、県民の中にもいろいろと立場も別れるわけです。旧来の自民党政権を打破し日の出の勢いだった民主党鳩山政権は「普天間基地を最低でも県外」と言ってしまって、結局実現できないばかりか、アメリカ側から相当の圧力をかけられたと想像のつく迷走、自滅したのは比較的記憶されています。
 沖縄の人たちの中には基地依存の方もおり、もともと基地移転に消極的ながら反対の立場もいます。民主党や社民党が考えたよりは簡単ではありません。この点は自民党で長く沖縄に関わった政治家の一部からは、何か仕掛けたかもしれませんが、稚拙な進め方にはせせら笑いしながら高見の見物だったでしょう。

 歴史を調べれば、小さいながら独立王国のようだった琉球王朝だった沖縄は明治に遅れて日本になりました。真面目な沖縄の人は日本国民になろうと、学校では沖縄の言葉をしゃべると札をつけて外に立たせるほど、純粋に過剰なまでにキレイな標準語を学んだといいます。これは日本の文部省の強制ではなく、自主的に沖縄県民は日本国民に認められようと努力したと想像されます。

 そして沖縄の人の悲劇は、その真面目さで日本軍とともに米軍と必死で戦い、女学生までひめゆり部隊など学徒隊となってさらに被害が拡大しました。日本軍の中心は首里城にはとどまらず玉砕することなく南部撤退を行い、軍は住民を守れず住民だけの徹底抗戦に追い込まれ悲劇は大きくなりました。
 広島、長崎は米軍が勝手に選んだ理不尽ですが、沖縄の人口の4分の1を失った地上戦は、沖縄にとって自ら追い込まれ日本政府に騙されたような悲劇なのです。
 日本全体から見れば本土決戦の決断がなくなったことは良かったことでしたが、沖縄の人たちは我々に続いて本土でも地上戦をやるものと信じていました。そのために必死になり善戦し粘って日本国のために戦ったのです。ところが沖縄だけが捨て石のように、本土決戦は行われなった。沖縄県民の中には、またも日本政府に、軍に裏切られた、姑息で卑怯な本土人との思いを感じられた方も多くいたのです。
 沖縄の人が、政府に複雑な思い、自衛隊に複雑な思いをするのもそういう歴史があるからなのです。
 単純に左翼にそそのかされているとネトウヨ系が罵るのは簡単で、一部は正しい時もありますが、その根は暗く深いものです。

 そして、ウクライナの戦いを賛否する前にもう一度、日本の、沖縄の歴史を振りかえって欲しいところです。

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