戦後77年 決して戦争により無念の死を繰りかえさない

 戦後77年ということはもう戦争を実質的に体験した人がいなくなっています。
歴史を正確に伝えるのは、思想による思惑、それぞれの時代背景などで難しくなってきます。
70年以上前のことをドラマや映画で再現するにも考証極めて困難で、衣装や小道具、メイクを拘ったところでしょせんは現代からの想像になってしまいます。歴史の中の重要な部分に間違いが無いように考察していくしかありません。

 今年は5月に広島を訪れ、本土復帰沖縄は訪問できていないですが、沖縄戦や沖縄の歴史や文化に関する本を読み漁りました。

 期せずして、ウクライナの戦争が起こり、東アジアの情勢もここへ来て米中の緊張が高まり『戦争』への不安が戦後の中でも最大級にこみあがっています。

 広島市内の川を見て、この川にいくつもの死体や、被爆で瀕死の人達があふれていたという思うと恐ろしいです。5月だというのにもう暑くて、すぐにコンビニや自販機で飲料を求め、好みの冷たい飲料を選んで飲める、当たり前のようなことが、酷暑の8月の空の下、ままならず無念の死を遂げた人々、病に残りの人生を苦しみ戦後の平和と繁栄を愉しむことなのできなかった人。

 長らく住み続けた自分の家も街も失い、さまよう人々の難渋も、快適な旅しか知らない世代に想像できるでしょうか。

 国家のためと信じさせられ、仲間の国との約束のために、戦争への道を安易に選び、話し合いを否定する層の方もおられます。自国民を危険にさらし何が保守、愛国かと思います。
 国家のため、国民の、家族のために戦うのは当たり前のことです。しかし、他国のために戦う、戦わされる、ましてや目先だけの軍需産業にためには別です。自分の顔や家族の顔が殴られ命の危険があるなら、拳を上げるのはやぶさかではない。ちょっと、足に水がかかったかどうかで、喧嘩をあおられるのは愚かです。今の情報社会はその愚かを煽ります。

 戦争のトリガー、きっかけになったことは常に陰謀、タテマエを利用した情報の操作です。いつも国民は騙され、義憤にかられ正義と信じこまされて、あとで真実を知ります。ここ50年くらいの内乱、戦争をちょっと調べれば良くわかります。
 

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